青年の主張2020 コロナ禍で青春を奪われた若者たちに、心のマグマを吐き出してもらうべく「青年の主張」が特別版で復活。…
出典:EPGの番組情報
青年の主張2020[字]
コロナ禍で青春を奪われた若者たちに、心のマグマを吐き出してもらうべく「青年の主張」が特別版で復活。青年たちの熱い主張を田村淳が受け止める。
番組内容
コロナ禍で青春を奪われた若者たちに、心のマグマを吐き出してもらうべく「青年の主張」が特別版として復活。主張するのは相次ぐ採用中止でCAの夢が叶(かな)わなかった専門学校生や、活躍の場を失った応援団の大学生など、全国から集結した8人の青年たち。彼らの熱い思いを田村淳、山之内すずが受け止めます。番組HP・Twitterに届く視聴者の意見も放送中に紹介します。
出演者
【司会】田村淳,【出演】山之内すず,青山テルマ,前田裕二,崎山蒼志,【語り】土師亜文ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – その他
趣味/教育 – 中学生・高校生
テキストマイニング結果
ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20
- 田村
- 自分
- 主張
- 似顔絵
- CA
- 応援
- 山之内
- 拍手
- 青年
- 地元
- コロナ
- 本当
- カワイイ
- 学校
- 鈴木
- 人生
- フレー
- 釜谷
- 気持
- 吉崎
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気の配信サービスで見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?
全て無料!民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから →
民放公式テレビポータル「TVer(ティーバー)」
他にも、無料お試し期間のある配信サービスがありますので、以下バナーなどからラインナップを調べてみるのもいいかもしれませんね。
≫「青年の主張」。
かつて、半世紀にわたり
若者の魂の叫びを
受け止め続けた番組が…。
2020年
特別版として帰ってきた!
北海道から九州まで
全国から集結した8人の青年たち。
コロナ禍で奪われた
青春の証しを残すべく
心のマグマを解放させる。
♪~
≫さらに…。
≫わー!
田村≫さあ、始まりました
「青年の主張2020」、早速ね。
山之内≫きょうは
北海道から九州まで
全国から集まった
15歳から23歳の青年たちに
来てもらってます。
よろしくお願いします。
≫してますね。
田村≫してるんだ。
あの「わー!」って言ってたのは
皆さんですよね?
一回、言っといたら
気持ちがリラックスするんじゃ
ないですか?いける?
せーの!
≫わー!
田村≫これはもう。
前田≫1人、声が大きい人が
いましたね。
田村≫非常に気になりますが。
山之内≫三重県と福岡県からの
参加です。
よろしくお願いします。
≫よろしくお願いします。
山之内≫さらに、皆さんからの
コロナ禍の今、言いたいことを
受け付けています。
番組ホームページ
またはツイッターで
「#青年の主張2020」を
つけて投稿してください。
田村≫それではまいりましょう。
≫まずは、北海道から。
新千歳空港から西6kmにある
日本航空専門学校に通う
青年の主張です。
ここは、整備士など
空港で働くスタッフを
養成する学校。
CAの養成コースもあり
生徒の9割以上が
航空業界に就職してきました。
しかし、新型コロナウイルスの
感染拡大によって
深刻な赤字となった航空会社は
軒並み、新規の採用を中断。
学生たちの就活に
大きな影響を与えました。
CAを目指し
専門スキルを学んできた彼女も
その影響を受けた1人です。
≫彼女の主張は…。
田村≫さあ、それでは
主張していただきましょう。
鈴木宏奈さんで
「諦められない私の就活」。
(英語)
鈴木≫専門学校で
何度も何度も練習した
機内アナウンスです。
しかし、卒業後、実際の機内で
これを使う予定はありません。
コロナが私のCAの道を
閉ざしてしまったからです。
私がCAを目指し始めたのは
高校2年生のときでした。
きっかけは、母の
「私の娘CAなんだよねって
言えたら格好いいな」という
何気ないひと言でした。
そして、今の専門学校に
入学することに決めました。
専門学校での日々は
想像以上に厳しいものでした。
派手な頭髪やアクセサリーは禁止。
丁寧なことばづかいや
きれいな所作を
みっちりと指導され
学生気分は
すぐに吹き飛びました。
鈴木≫カート通ります。
≫宏奈、宏奈って
「お気をつけください」って…。
鈴木≫失礼いたします、はい。
大学に通う友達たちは
自由なファッションで
キャンパスライフを楽しむ中
私は、この制服を着て
2時間かけて通学。
とにかくCAになるために
必死で勉強していました。
特に、つらかったのが面接練習。
「堅苦しい」
「あなたから、親しみやすさを
全く感じない」
CAの先生から、何度も厳しく
指導されてきました。
自分の性格を
真っ向から否定された気がして
毎日2時間かけて通う電車の中で
泣きながら帰っていました。
弱音を吐く私に、先生は
こう言ってくれました。
「CAにとって一番大事なこと
それは、お客様の命を
守ることです」。
清潔な身なり
丁寧なことばづかい
親しみやすさ
それがあって初めてお客様に
「命を預けてもいい」と
信頼してもらえる。
それがCAです。
「お客様の命を守る」という
責任の重さを痛感し
より一層、CAになりたいと
思うようになりました。
そうして迎えた、就職活動。
事態が一転したのは
5月のことでした。
各航空会社から次々と
新規採用中断の
連絡が届いたのです。
すべて終わったと思いました。
自分が今まで耐えてきた
つらくて厳しい授業は
なんだったんだろう?
どこで人生の選択を
間違ってしまったんだろう?
そう自分を責めました。
私の人生をかけた就活は
あまりにあっけなく
終わってしまったのです。
それから半年たった今
ずっと頭から
離れないことがあります。
私は、CAになる実力が
なかったんでしょうか?
向いていない
職業だったんでしょうか?
せめて、面接で
それを確かめてほしかった。
「不合格」と言ってもらえれば
諦めがついたのに
見てももらえず
結果も教えてもらえず
悔しくて
しかたがありませんでした。
だから、諦めたくても
諦めることができません。
専門学校の卒業まで、残り4か月。
私は今、ほかの職業で
就職活動を続けています。
でも、またいつか
CAの募集が再開されたときには
改めて挑戦して
ことしの無念を晴らしたいと
思っています。
飛行機がなくなる日は
絶対にありません。
だから、CAという職業が
なくなる日も絶対にきません。
いつか、お客様に
「命を預けてもいい」と
信頼してもらえる
CAになってみせます。
いつか皆さんと飛行機の上で
空の上で、お会いできる日を
楽しみにしています。
私の人生は、これからが本番です。
(拍手)
田村≫鈴木宏奈さんでした。
ありがとうございました。
いや、ちょっとやばいよ
泣きそうだわ。
鈴木≫緊張しました。
田村≫主張してみて
いかがですか?
田村≫すずさん。
山之内≫CAという
夢を諦めず…
田村≫会ったときに
すごいよね。
「あー!あの主張してた
宏奈ちゃん」。
テルマさん、どうでした?
主張を聞いて。
青山≫この状況って。
だから、やるせない
気持ちの中で、丁寧に…
鈴木≫ありがとうございます。
山之内≫ちなみに
実は、鈴木さんには…
鈴木≫恥ずかしい。
田村≫いいじゃない。
彼は就職できたの?
鈴木≫はい。
なので、負けないように
頑張りたいと思います。
田村≫刺激し合える関係だから。
鈴木≫「頑張れ」って
言ってくれるのが
一番うれしいです。
田村≫またCAの道、目指して
頑張っていただきたいと思います。
ありがとうございました。
≫続いては…。
≫柳瀬さんの職業は、似顔絵師。
人の表情や特徴を
ユーモラスに描くプロです。
≫ことし、似顔絵師になる
夢をかなえたばかり。
そんな彼女の主張は…。
田村≫さあ、それでは
主張していただきましょう。
柳瀬愛結さんで
「私の夢って社会に不要!?」。
柳瀬≫私が
似顔絵を描き始めたのは
小学生のころです。
友達とか家族の
誕生日プレゼントに
似顔絵を描いて
喜んでもらえたことが
すごいうれしくて
それから似顔絵を描くのが
日課になりました。
中高からは
似顔絵が特技みたいになってきて
入学式初日もクラスメートの
全員の似顔絵を描いて
名前とか顔を
覚えたりもしてました。
そしたら、描いた相手も
喜んでくれて
すぐ仲よくなれたし
本当に似顔絵が私の人生を
明るくしてくれました。
それから、高校2年生のときに
初めて自分の似顔絵を
プロの似顔絵師の方に
描いてもらったことが
あるんですけど
本当に数分で、自分の
外見だけじゃなくて、内面とか
話し方、表情の移り変わりまで
私の特徴のすべてが詰まった
似顔絵を描いてもらったんです。
それを見た瞬間、感動しすぎて
その場で泣き崩れちゃいました。
そこで、高校卒業したら絶対に
この道に進もうっていうのを
決めました。
それから約2年ぐらい
似顔絵の教室に通って
技術を習得して、ことしの春
ずっと憧れていた似顔絵の会社に
就職することができました。
でも4月入社して、すぐに
コロナの影響が深刻になって
観光客をメインとする
似顔絵業界は大打撃を受けたし
会社自体の経営も傾き始めました。
そして、ことしの7月に
結局、一度も
現場に出ることのないまま
会社を辞める形と
なってしまいました。
似顔絵って、枠で言えば
娯楽の枠だから
やっぱり、こういう仕事から
なくなっていっちゃうのかな。
もう、似顔絵っていう娯楽は
社会から必要とされて
いないんじゃないかという思いが
不安が、頭をよぎりました。
でも、やっぱり自分の夢を
諦めることはできなかったので
それからは
フリーの似顔絵師として
SNSから注文をいただいて
自宅で似顔絵を
描くことにしました。
ありがたいことに
始めてから、すぐに何件か
注文をいただいたんですけど
その依頼内容っていうのが
コロナで会えなくなってしまった
恋人どうしから
「ツーショットの似顔絵を描いて
お互いの家に飾りたい」だとか
コロナで結婚式が
延期になってしまった方から
「似顔絵の中だけでも
挙式をあげた場面を
描いてほしい」だとか
コロナ禍を反映したもの
ばかりだったんです。
現実では不可能なことも
似顔絵の中であれば、なんでも
かなえることができるので
これって実は
すごい仕事なんじゃないかって
ちょっと興奮しながら
1枚1枚、心を込めて描きました。
どんなに、困難な状況でも
むしろ、こういう
困難な状況だからこそ
似顔絵によって救われたり
元気になれる人がいる
っていうことに気付いて
今、改めて似顔絵師という職業に
やりがいと誇りを感じています。
私は、コロナで
仕事は失ってしまったけど
夢を失ったとは思っていません。
人を幸せにする
笑顔にできる似顔絵を
描き続けていきたいです。
(拍手)
田村≫柳瀬さん
ありがとうございました。
僕たちの似顔絵を
内面とかを見て描くって
言ってたけど、すごいなんかね。
ちゃんと、捉えてくれてると
思ったけど。
柳瀬≫すずさんは…
田村≫けだるいイメージ。
山之内≫そんな
イメージだったんですね。
田村≫闇あるんですか?
すずさん。
柳瀬≫ありがとうございます。
≫続いては…。
無観客の外野席に
マスクを着けて応援する
明治大学応援団の姿が。
選手たちにこん身のエールを送る
彼こそが続いての青年。
彼の主張は…。
田村≫それでは
主張していただきましょう。
松下大輝さんで
「あなたを応援させてください」。
松下≫明治大学応援団
応援指導班、松下大輝です。
私は応援が大好きで、大学入学後
すぐに応援団に入団しました。
応援することは
誰かに元気を与えたり
誰かが勇気をもらったり
僕らの応援が
誰かの役に立っていると思うと
うれしくて、うれしくて
たまりません。
しかし、ことしは
コロナウイルスの影響で
駅伝、アメフト、ラクロスなど
40以上もあった
試合や大会が、すべてなくなり
私たちの応援の場も
なくなってしまいました。
さらに練習も8月まで5か月間
自宅でのリモート練習と
なってしまいました。
そんな中で
なんのために応援しているのか
頑張る意味が
見いだせなくなってしまい
モチベーションを保つことが
難しくなってしまったことも
ありました。
そんな中で、1つの大会が
開催されることが決まり
応援が許可されました。
東京六大学野球です。
しかし、マスク着用のうえ
無観客の外野での応援という
条件付きでした。
そんな応援をどうにかして
いいものにしようと
団員全員で
必死になって考えました。
10年後、20年後、30年後
振り返って
「あのときはコロナで
全然、応援ができなかった」と
思うのではなくて
「コロナだったけど
ここまでやれたじゃないか!」と
胸を張って言えるように
いつも以上に
拍手というものに力を入れて
応援することを決めました。
100年の歴史を持った
明治大学応援団は
どこにも負けない
伝統の拍手があります。
ただ、手をたたくだけではなく
大きな音、大きな動き
移動速度、止め。
たくさんのこだわりの詰まった
日本一の拍手です。
それでは、ここで
少し披露したいと思います。
いくぞ!
1!2!3!
4!5!6!
7!8!
1!2!3!
4!5!6!
7!8!
どうもありがとうございました。
このような拍手を
ふだんの練習では3時間ほど続け
手が腫れ上がり、手のひらからは
血がにじむこともありました。
しかし、ことしの応援の場は
もうありません。
そして今、お願いがあります。
こんな自分に、もし
やらせていただけるのであれば
皆さんを応援させてください。
部活をしたくても、できない人
卒業前、最後の試合が
なくなってしまった人。
そして、コロナウイルスで
苦しんでいる、すべての人に
エールを送らせてください。
フレー!
フレー!
あなたー!
スラー!
フレー、フレー、あなたー!
フレー、フレー、あなたー!
どうもありがとうございました!
(拍手)
田村≫ありがとうございました。
いやー、すごい元気もらったわ。
応援団の人の声量って
やっぱ、この近さで聞くと
どえらいものがありますね。
松下≫ありがとうございます。
田村≫「フレー、フレー
あなた」って言われて
ズガーンとくるんだね、やっぱり。
でも、あんなに手を強く打つこと
ないでしょ、生きててね。
それを3時間
フルでやり続けるんでしょう。
宏奈ちゃん。
鈴木≫絶対できない。
田村≫中井君
どうですか?応援団の。
中井≫やっぱりリモート越しでも
松下さんのすごいパワーが
熱量が伝わってきて
力をもらいました。
田村≫手打つのね、やってみた?
中井≫やってみたんですけど
結構痛いですね。
松下≫いい音鳴るんですよ。
田村≫音出すとき、中にこう…。
怒られる。
すてきな応援を
ありがとうございました。
≫続いては三重県鳥羽市から
リモートでの主張です。
三重県鳥羽市の高専で
情報処理を学ぶ4年生。
釜谷さんは、この夏
ある挑戦をしました。
それは…。
全国の高専生がAIを駆使した
新たな技術を開発し
ビジネスとしての魅力を
プレゼンで競い合いました。
そこで釜谷さんが発表したのは…。
釜谷≫それでは
ezaki-lab…
≫地元のオススメ観光スポットや
そこまでの効率的なルートを
案内してくれるアプリ。
しかもAIが各地の混雑状況を
予測する機能付き。
三密回避にも役立つ優れ物です。
鳥羽市内に設置した
10台のカメラで観光客を撮影し
顔認証機能で道行く人たちを検出。
そのデータをもとに
混雑予測をするのです。
最大の売りはマスクをした人でも
顔認証できること。
マスク着用が当たり前となった
ウィズコロナ時代の
画期的な技術なのです。
そのアイデアが買われ
審査員からは1億円の価値が
あると高い評価を受けました。
≫若きアプリ開発者
釜谷さんの主張は…。
田村≫さあ、それでは
主張していただきましょう。
釜谷優来さんで
「コロナ禍で見つけた私の将来」。
釜谷≫私は高校の普通科に通って
自分探しをするなんて
3年間がもったいない。
ならば当時、一番興味のあった
コンピューターを
専門的に学びたいと思い
高専に入学しました。
でも、日々勉強する中で
卒業したらどうしよう
私は何がしたいのだろうかと
進路について、もんもんと
考えるようになりました。
そんな中、地元の観光を
AIを使って
支援するプロジェクトに
同じ研究室のメンバーで
参加することになったのです。
コンピューターについて
勉強はしてきたけれど
地元のことはほとんど分からない。
そんな私がアプリを開発しても
役に立つことができるのかと
初めはすごく不安でした。
でも地元の方々の協力のおかげで
アプリの開発は
スムーズに進みました。
そして、地元の方と
やり取りをしていく中でも
お客さんには、鳥羽を満喫して
いい思い出を作って
帰ってほしいなとよく言っていて
仕事への熱意と温かさを
肌で感じることができました。
アプリ開発も
佳境にさしかかったころ
新型コロナウイルスが
世界中で流行。
鳥羽の観光客の数も
前年の9割減と
人が全く来なくなり
飲食店や宿泊施設の
被害は甚大でした。
「少しでも役に立てるよう
動かなくては」と悩んでいたとき
ある考えを思いつきました。
「あ、もしかして、このアプリは
AIで混雑を予想するものだから
観光客は三密を回避するのに
役立つんじゃないか。
ウィズコロナの時代にこの機能は
絶対に必要になるはずだ」と。
しかし、肝心の顔認証機能に
問題が発生しました。
マスクを着けている人を
人と認識しなかったのです。
正直途方に暮れかけていましたが
ここでも力になってくれたのは
地元の人たちでした。
マスクをしている様子を
撮影させてくれたのです。
こうして集まった
600枚の画像をAIに学習させ
マスクを着けていても
顔認証できるシステムを
開発しました。
学生の私たちでも
人の役に立つものが
提供できるんだと
実感が得られた瞬間でした。
それもすべて
地元・鳥羽の人たちが
まだ学生の私たちに全力で
力を貸してくれたおかげです。
私は卒業後
進学するか、就職するかも
全く決まっていない状況でした。
でも、プロジェクトを通じて
地元のよさを再発見し
もっと地元の役に立ちたいと
思えるようになりました。
だから私は、卒業後
地元で起業することを決めました。
コロナは私の未来を変えたのです。
今でも、まだまだ
地元について勉強中の私。
でも以前より
興味を持っている私は
格好よくなったと思います。
皆さんも一度、地元を
見つめ直してみてください。
あなたの地元のよさが1つでも
あなたの目に留まることを
切に願います。
(拍手)
田村≫すごいアイデアですけど
これはもう前田さんに
いろいろとお話聞きたいなと
思いますけども。
前田≫何がいいって一番は…
田村≫もっとあるっていうね。
田村≫すごい。
釜谷さん、いかがですか?
田村≫頑張ってね、釜谷さん。
ありがとうございました。
釜谷≫ありがとうございます。
≫続いての青年は
鹿児島県奄美大島から。
コンビニエンスストアで
アルバイトとして働く彼ですが
実はことし8月までは…
力士だったんです。
体重150kg、しこ名は奄美将。
十両以上の関取を目指し
プロ5年目で三段目まで昇格。
しかし…。
8月、吉崎さんは相撲をやめ
ふるさと、奄美大島で
新たな人生をスタートしました。
そんな彼の主張とは…。
田村≫それでは
主張していただきましょう。
吉崎やまとさんで
「生まれて初めて
弱音を吐きます」。
吉崎≫自分は、これまでの人生で
弱音を吐いたことが
ありませんでした。
小さいときから
体が大きくて、力が強く
「強いね」と
言われることがうれしくて
どんどん相撲に
のめり込んでいきました。
早朝から砂浜を走り
夜遅くまで筋トレ。
ただ強くなることだけを
考えていました。
次第に、勝って当たり前
優勝して当たり前。
将来は関取だと期待される
選手になりました。
そして「関取になるまでは
帰らない」と決め
高校を卒業後
東京の相撲部屋に入門しました。
でも、プロの世界は
高校までとは違って
自分より強い人ばかり。
本当に同じ人間なのかと
衝撃を受け
自分が強いと思っていたことが
恥ずかしくなりました。
でも、両親や島の皆さんが
地方場所にも駆けつけてくれて
自分の活躍を
期待してくれていました。
なんとか結果を残さなければと
プレッシャーを感じ
弱音を吐くことなんて
許されないと思っていました。
そして関取になれないまま迎えた
プロ5年目のことし。
コロナの影響で
巡業や五月場所が中止。
がむしゃらに戦ってきた
人生の中で
初めて自分を見つめ直す時間が
できたんだと思います。
すると、前々から思っていた
心の底にあった不安が
一気に駆け上がってきました。
「自分は、この先
相撲でやっていけるのか…」と。
同期の力士たちは
どんどん階級を上げていく中
結果が出ていない自分。
さらに、コロナで景気が悪くなり
失業者が増えているという
連日の報道。
自分が、年をとって
相撲をやめたときに
相撲しかしたことない自分に
仕事があるのかと思うと
どんどん自信がなくなり
怖くなってきました。
さらに困ったことがあります。
自分は人に悩みを相談したことが
ほとんどありません。
悩みを相談することは
格好悪いこと。
弱みを見せることだと
勘違いしていました。
親方には、ただ
「ほかにやりたいことがある」
とだけ伝え
8月に引退しました。
具体的に、やりたいことが
あったわけではないのに
たぶん、最後までどこか
格好をつけていたんだと
思います。
そして
地元・奄美大島に戻りました。
みんなをがっかりさせたと思い
誰にも会いたくないと
ふさぎ込んでいた自分に
中学時代の相撲部のコーチが
「気まずいか?」と
声をかけてくれました。
自分は「気まずいです」と
正直に答えました。
「でも、やまとが帰ってきて
うれしいよ、おかえり」と
明るく迎え入れてくれました。
このとき、心の中にあった
大きなつっかえが
取れた気がしました。
なんで、今まで自分は
強がってきたんだろう。
格好つけてきたんだろうと。
これからの人生は
自分の弱いところを
見せてもいいんだと
思えるようになりました。
親方、先輩方
お父さん、お母さん、島の皆さん。
この場を借りて
弱音を吐かせてください。
相撲が嫌いになったわけでは
ありません。
でも、きつかった。
稽古もきつかった。
周りが強いこともきつかった。
逃げ場のない
集団生活もきつかった。
僕は強くなんてなかった。
もう限界だったんです。
でも、今まで支えてくださった
皆さんには本当に感謝しています。
これまでの経験をむだにせずに
まずは、ゆっくりと
これからの人生を考えていこうと
思っています。
ありがとうございました。
(拍手)
田村≫やべえ
進行ができなくなっちゃった。
いい?一回、泣いて。
すごいな…。
苦しかったな?
吉崎≫はい。
田村≫弱くないよね、強いよ。
ここで言えたってことが。
吉崎≫本当にプライドが高くて
そういう弱いところを
見せたくないっていうのがあって。
田村≫つらかったんだな、相当。
でも、どうだった?
みんなの前で主張できて。
吉崎≫やっぱり自分の中でどこか
すっきりしないとこがあったんで
ことばにできてよかったなと
思っています。
田村≫同じような
苦しみ持ってる人
俺、たくさんいると思うんだよね。
なかなか弱音吐けないっていう人。
その人たちの代表となって
今、ここで主張してくれたことは
本当に、いろんな人
救ってると思いますけど。
すずさん、いかがですか?
山之内≫本当に、すごい
優しい方なんだと思うんですよ。
地元から出て…。
やばいですね、これ。
田村≫そうなのよ。
山之内≫誰でもいいから
つらいときは、つらいって
言ったほうがいいし。
吉崎≫ありがとうございます。
一同≫おー。
田村≫すてきな主張でした。
ありがとうございます。
≫「青年の主張2020」。
山之内≫皆さん
きょうは11月29日。
いいにくいことを言う日
ということで、こちら。
山之内すずの
「#いいにくいことをいう」
コーナー!
(拍手)
山之内≫ふだん
ちょっと言いにくいけど、この際
言っておきたいということを
街の青年たちに聞きました。
まずは、この方。
彼女の言いにくいことは
こちらです。
宇都宮さんは名字が宇都宮のため
会う人、会う人に
「栃木県で生まれたの?」と
数え切れないほど聞かれました。
しかし、宇都宮さんは
生まれも育ちも東京。
栃木いじりは、ほどほどに
してほしいとのことです。
青山≫自分から。
田村≫合わせにいったんだ。
山之内≫続いてはこちらの方です。
インドからの留学生…
トリシットさんの
言いにくいことはこちらです。
トリシットさんは
初めて会った方に
必ずといっていいほど
「毎日カレーを
食べてるんですか?」と
聞かれるそうです。
と、大きな声で
主張したいそうです。
田村≫結構、食べてんじゃん!
山之内≫ちなみに、ある1週間の
トリシットさんの
カレーのレパートリーが
こちらです。
こちら、すべてトリシットさんの
手作りカレーになっています。
松下≫このレパートリーだったら
毎日、食べられますね、全然。
田村≫食べれる?
吉崎≫僕は食べたいっていう
気持ちしかないですね。
≫大阪・道頓堀に
日本のカワイイ文化を発信する
カフェがあります。
だーご≫
PINK KAWAIIへ
ようこそ。
ばっちり、ありがとうございます。
≫奇抜なファッションに身を包む
こちらの店員が続いての青年。
♪「どんな時も2択 2択 2択
選べよ 2択」
≫フォロワーは11万人。
SNSでも人気急上昇中の
だーごさんの主張とは…。
田村≫それでは
主張していただきましょう。
だーごさんで
「自分の好きを突き進め!」。
だーご≫はーい!
360度、どこから見ても
坂口健太郎。
はい!水星出身、佐賀県育ち
メンヘラブルー担当
だーご君、5ちゃいです。
(拍手)
だーご≫だーごは小さいころから
「男のくせに」とか
「オネエ?」とか
いろいろ言われてきました。
でも頭のてっぺんからつま先まで
これが、だーごなんです。
カワイイ自分が大好き!
そう、胸を張って
言えるようになったのは
実は最近のことです。
だーごが、周りの男の子と
違うって思い始めたのは
小学3年生のとき
ぬいぐるみのペンケースを
学校に持っていったら
「男のくせに」とか
「お前ってオカマ?」とか
いろいろ言われました。
保健の授業では
性同一性障害を勉強したとき
「だーごのことやん!」って
言われました。
そうなのかな?って
自分でも思ったけど
怖くて、誰にも言えなかった。
それ以来、カワイイは
いけないことなんだって思って
男らしくすることにしました。
男の自分は、女の子を
好きにならなきゃいけないんだ
って思って、中学生のとき
女の子とつきあいました。
でも、やっぱり、そういうことを
したいって思えなくて
だーごは、女の子が
恋愛対象じゃないことに
気がつきました。
男子が多い工業高校に進めば
男の子っぽくなれるかなと
思ったけど
好きになったのは
同じクラスの男の子でした。
そして、女の子の友達に
協力してもらって
遊びに出かけたりしたけど
その女の子の友達から
「ごめん
つきあうことになった」って
言われてしまいました。
女の子にも裏切られて
人間関係が嫌になって
工業高校はやめてしまいました。
引きこもりだった
だーごを救ってくれたのは
やっぱり、カワイイもの。
カワイイものを部屋に置くと
暗かった気持ちが
ワクワクに変わる。
カワイイものを身に着けると
自分が無敵になれる気がした。
学ランなんて
もう脱ぎ捨てちゃって
好きな服を着て髪色も緑に染めた。
そして、新しく入った
通信制の高校は服装も髪形も自由。
だーごの世界観を
「カワイイ!」って
言ってくれる人も出てきて
カワイイを信じてよかった。
でも、ことしコロナがやってきて
カワイイがピンチなの。
だーごの働いている
カワイイカフェのお客さんも激減。
暗いニュースばっかで
まじ、ぴえん。
でも、だーごは
そんなやばい世の中だからこそ
だーごの、カワイイで
みんなにハッピーを届けたい。
自分が、しんどいとき
カワイイが救ってくれたから。
結局、だーごは「ゲイ?」
「トランスジェンダー?」
ってよく聞かれるの。
いっぱい考えたけど
よく分かんないから
だーごは、だーごとして
自分のカワイイを貫いて
生きていきたい。
もし今、人と違う格好や
行動をしてて
「変わってる」って言われたり
悩んでる人がいたら
これだけは言ってあげたいです。
他人から否定されても
あなたの普通は絶対に正しい!
今は、周りから理解されなくても
いつか、あなたを
受け入れてくれる人は
絶対にいるから
あしたもクッソ生きようね!
ありがとうございました。
(拍手)
田村≫だーごでした。
テルマさん、いかがですか?
だーご≫やばい、テルマやばい。
青山≫イエーイ!
だーご≫イエーイ!
だーご≫え、うれしい!
田村≫今も生きたいように
生きていいとか、多種多様な時代
っていわれてんのに
まだ、そこの苦しみはあるんだね。
だーご≫「カワイイ」って
言ってくれる人も、もちろん
いるけど、アンチも多くて
「うわ、男のくせにキモい」とか
やっぱ、いまだにくるから…
めっちゃいいこと言った?
田村≫めっちゃいいこと言ってる。
≫続いては…。
福岡県で暮らす中井さんは
通信制の高校に通う1年生です。
中井さんには脳性まひの影響で
生まれつき脚に障がいがあります。
≫今回、彼が主張するのは…。
田村≫それでは
主張していただきましょう。
中井健翔さんで
「大人のみなさんに
お願いがあります」。
中井≫僕は小学5年生のとき
自身の障がいを理由に
いじめに遭いました。
最初は、ことばだけの暴力で
特に気にならなかったのですが
階段から突き飛ばされるなど
徐々に身体的な暴力に
変わっていきました。
そんないじめに耐えかねた僕は
不登校になりました。
次第にいじめから逃げた劣等感と
将来への不安が押し寄せ
不登校の自分が嫌いになりました。
そんな僕を救ってくれたのが
絵本でした。
もともと、絵本作家になるのが
夢だった僕は
自分のもやもやした感情を
絵本にして表現しました。
思ったより
いい出来だなと思ったので
その絵本を、あるイベントで
販売することにしました。
そこで、イベントに来てくれた
お客さんから褒められたり
共感してもらえたことによって
自己肯定感が上がり
不登校であることを
恥ずかしく思わなくなりました。
そのとき、ふと僕は
僕をいじめていた
クラスメートたちのことを
考えました。
なぜ、僕をいじめなくては
ならなかったのだろうと。
そして、彼らが言っていた
ことばを思い出しました。
親に無理やり塾や習い事に
行かされて自分の時間がない。
やりたいことをやろうとしても
大人から止められてしまう。
みんな、やりたいことを
大人から抑圧されていて
そのストレスや不満を
僕にぶつけていたんだと
分かりました。
もし彼らに自分のやりたいことが
表現できる場所があったなら
いじめなんて
起きなかったのではないか。
僕は、そう思い…
子どもたちは自分で
プログラミングしたゲームを
お客さんに体感してもらったり
自分でデザインしたイラストや
ポストカードを販売したり
みんな自由に自分を表現していて
会場は子どもたちの
ポジティブなエネルギーで
満ちあふれていたと思います。
そして、ことし3回目を
開催しようとしていたやさき
コロナウイルスが流行し
去年と同じ会場での開催が
困難になりました。
しかし、なんとか
開催できる方法を探しました。
最初に思い浮かんだ開催方法が
オンライン開催でしたが
一部の大人たちからは
「オンラインなんて危ないよね」
だったりとか
「自分の子どもの顔や声が
ネットに上がるなんて怖い」
「そんなものに
参加するんじゃない」
といったような声が聞こえました。
しかし、実際に開催してみると
参加者は
場所や天候に縛られなかったり
障がいがある人も
オンラインなら参加のハードルが
下がるということに
気付けました。
オンラインだからこそできる
人と人との交流もあったんです。
僕から大人の皆さんに
お願いがあります。
子どもたちに
自由な表現をさせたり
新たなツールを使わせるのは
危険だと思うかもしれません。
もちろん、間違っていたり
失敗することは出てくると
思います。
でも、これからの未来を
作っていくのは僕たちの世代です。
否定したり拒絶するのではなく
一緒に考え
応援してもらえませんか?
大人と子どもで
意見に違いがあったとしても
お互いの意見に耳を傾ければ
きっと
よりより未来が作れるはずです。
僕はそう思って
これからも活動していきます。
ご清聴ありがとうございました。
(拍手)
田村≫すげえ。
すずさん、いかがですか?
山之内≫なのに15歳で
そっちには、そっちで
ストレスがあって
そのはけ口が僕だったんだなって
そう思えるって。
田村≫イベントでね
3回目のときに
コロナになっちゃったんだ。
中井≫そうなんですよ。
よけいに、今回は絶対に
成功させたいって思いがあって
なんとか探しました
開催できる方法を。
田村≫自分の地位に
しがみつこうとする醜い大人が
たくさんいる中で
もう僕は子どもの心を
失いつつあるから
こどもばんぱくの主催を
降りますって。
≫続いての青年は…。
♪~
≫中学1年生から浜松駅前で
弾き語りを開始。
オリジナル曲「五月雨」の動画が
ネットで大きな話題に。
♪~
≫今、注目の
若手ミュージシャンです。
そんな崎山さんの魅力の一つが。
♪~
≫10代ならではの
繊細な感性が紡ぎだす歌詞。
その多くが嫌いだった
学校での経験をもとに
生まれたものだといいます。
地元・浜松で高校生活を
送りながら活動を続ける崎山さん。
伝えたいメッセージとは。
田村≫それでは
主張していただきましょう。
崎山蒼志さんで
「世界は憂鬱(ゆううつ)で
ほんの少し愛おしい」。
崎山≫僕にとって学校は
ずっと憂鬱な場所でした。
基本的に学校に行くのが嫌で
中学校のときとかは
本当に、本当に嫌な気持ちで
登校をしていた時期もありました。
友達の陰口を聞いたりすると
自分も言われてるのかなと
思ったり
学校が求めてくる
協調性みたいなものは
圧迫感や閉塞感のように
感じていました。
当時の僕は周りのことも嫌いで
自分のことも嫌いでした。
そんな毎日の逃げ道が音楽でした。
作詞・作曲にも没頭して
中学校3年間で気付いたら
300曲の曲を書いていました。
でも、ことし
そんな学校に対する嫌悪感が
新型コロナウイルスの流行という
予想外の出来事の影響で
予想外に変化しました。
長い期間の休校も体験する中で
学校が少し懐かしく
思えるようになりました。
高校3年生となって
残りの学校生活が名残惜しい
という気持ちも芽生えて
それも相まってか
少し学校がいとしくさえ
思えるようにもなりました。
この歌中には…
…という歌詞が
出てくるんですけど。
でも、今聴き返すと、ほんの少し
あんなに嫌だった学校に対して
いとしさを感じている自分が
いるのに気が付きます。
あのとき
すごい悩んでいたんだなとか
あのとき
もがいていたんだなとか。
同じような気持ちを
抱いてる方々にも
さまざまな矛盾を
抱えている方々にも
その矛盾した気持ちも
時には大切にしてもいいのでは
ないかなと思います。
一生懸命歌います
「Heaven」。
♪~
(拍手)
田村≫ありがとうございました。
崎山さん
主張してみていかがですか?
崎山≫皆様の主張が
今回すばらしくて
僕、結構あいまいな
主張だったんで、なんか本当に
あんま自信なかったんですけど。
田村≫俺は今の音楽が
刺さりましたけどね。
前田さん、いかがですか?
崎山≫本当ですか。
≫思いのこもった
8人の主張でした。
田村≫なんか、みんなの主張を
聞いていく間に18歳のころに
東京に出てきたときの感覚に
戻されたっていうのが
正直な感想ですね。
田村≫きょう
詰まってましたよね。
本質が詰まってる。
前田≫まさに。
田村≫同年代の、すずさんは
どうですか?
田村≫本当にすてきな主張を
皆さん、ありがとうございました。
(拍手)
山之内≫そして、最後は
視聴者の皆様から寄せられた
主張に合わせて
私たちも30秒間、叫びます。
田村≫30秒なかなか長いよね。
山之内≫では、いきましょう。
青年の皆さんも
一緒にお願いします。
せーの…。
全員>>わーー!
(拍手)
田村≫意外とすっきりしたなあ。