NHKスペシャル「ある、ひきこもりの死 扉の向こうの家族」社会とつながりを失い、長年のひきこもりの果てに命を落とす…
出典:EPGの番組情報
NHKスペシャル「ある、ひきこもりの死 扉の向こうの家族」[字]
社会とつながりを失い、長年のひきこもりの果てに命を落とす―。高齢の親の死で追いつめられる人々がいま全国に拡大。推計61万人とされる中高年のひきこもりの現実に迫る
番組内容
長年にわたるひきこもりの果てに、命を落とす―。深刻な事態が全国に広がっている。推計61万人とされる中高年のひきこもり。高齢化が進み、親の死後、生きる術を失った子が衰弱死するケースが相次ぐなど8050問題は“最終局面”ともいえる状況にあることがNHKの独自調査で明らかになった。親の介護や退職など様々な事情で社会とつながりを失い、死に至るまで追い込まれる人々の現実を、当事者たちへの長期取材で伝える。
出演者
【語り】リリー・フランキージャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番
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この時 男性は まだ生きていた。
牧岡さ~ん。
30年以上ひきこもっている男性の
身を案じ
市の職員が通い続けていた。
どうも どうも。
両親の死後
一人 取り残されていた男性。
ガスや水道も止まり やせ細っていた。
だが 男性は支援の申し出を拒み続けた。
職員が最後に訪問した10日後。
男性は遺体で発見された。
56歳 栄養失調による衰弱死だった。
全国に100万人いると推計される
ひきこもり。
その半数以上が中高年だ。
80代の親が
50代のひきこもりの子を支える…
高齢化が更に進み
新たな局面を迎えている。
親が亡くなり 生きるすべを失った子が
死亡するケースが
全国で相次いでいるのだ。
母親が入院した2週間後に
遺体で発見された。
彼女が 海外で。
国際的な企業に勤めていた女性は
病気で仕事を辞めて以来
40年以上ひきこもっていた。
最後の食事の跡が残されていた。
全国の自治体から
独自に情報を集めたところ
ひきこもり死の危険があるという事例は
300以上に上った。
扉の向こうで 誰にも知られず
誰にも助けを求めず 死んでいく。
そんな死が なぜ 今
日本で広がっているのか。
長年のひきこもりの末に
衰弱死した男性。
その家に 通い続ける人がいる。
牧岡二郎さん。
亡くなったのは 2歳年上の兄だ。
市役所からの連絡を受け 駆けつけた。
5年ぶりに対面した兄は
変わり果てた姿となっていた。
兄の牧岡伸一さん。
かつて 医療事務などの仕事で
生計を立てていた。
兄弟の仲はよく
度々 父と母を連れ 旅行に出かけた。
そんな家族に亀裂が入ったのは
兄の失業がきっかけだった。
2階の自室に閉じこもり
何も語らなくなった兄。
二郎さんは その存在から目を背け
晩年は疎遠となっていた。
ひきこもった兄を支えていたのは
年金で暮らす両親だった。
だが 12年前に相次いで亡くなり
兄は生活の糧を失った。
両親の残した貯蓄を取り崩し
命をつないでいた兄。
亡くなった場所には
お金のやりくりを書き込んだメモが
落ちていた。
なぜ
誰にも助けを求めようとしなかったのか。
どうして
生き続けようとしなかったのか。
ひきこもり死は
どれほど広がっているのか。
今年 全国1, 400の自治体の支援窓口を
独自に取材した。
ひきこもり死の危険があるという事例は
300以上に上った。
更に 支援に乗り出したものの
亡くなった人は 去年1年間で 72人いた。
自治体は ひきこもり死を
止められない難しさに直面していた。
熱海市の相談窓口。
去年 支援に乗り出していた
2人が死亡した。
亡くなった2人を担当していた
石橋真由美さん。
ひきこもり死を 目の当たりにして以来
また 最悪の事態が起きるのではないかと
不安を拭えずにいる。
この日訪ねたのは 支援を拒み
ひとつき以上 連絡が途絶えている
50代の男性の家。
安否の確認が取れなくなっていた。
(ノック)
こんにちは。
(ノック)
社会福祉協議会です。
生活を支えてきた母親が 介護施設に入り
半年前から 収入が途絶えていた。
誰にも気付かれないまま
命を落としているおそれもある。
石橋さんは
心配していることを伝えるメモを
ドアの隙間に挟み込んだ。
男性に どう対応していくのか。
急きょ 関係する部署が集まった。
医療には かかってないって言ってました。
例えば 何か…。 ないでしょうね。
ないですか。
男性は制度のはざまに陥り
どの部署も 助けに乗り出すことが難しい。
本人の同意がなければ
プライバシーや人権への配慮から
強制的な介入もできない。
この日の会議では
有効な手だてが見当たらなかった。
親が生きているうちに
対策を打とうとしても
その親が 解決を諦めている現実もある。
こんにちは。
この家庭は…
関わるようになって 2年がたつが
いまだに 手だてが見つけられずにいた。
6年間 ひきこもっている息子は
石橋さんが訪ねると
家を出ていってしまった。
母親はパートに出て 生活を支えてきたが
今年 新型ウイルスの影響で失業。
家賃を滞納し 退去を迫られているが
息子とは
話し合うこともできていなかった。
そうだよね そうだよね。
すいません。
なぜ命を落とすまで
ひきこもり続けるのか。
亡くなった 牧岡伸一さん。
弟の二郎さんは タクシー運転手として
早くから自立してきた。
働かず 社会と関わりを断った兄を
自業自得と捉えてきた。
しかし最近 その死の意味を
考えるようになった。
新型ウイルスの影響で仕事が減少。
自身も社会との関わりが薄れていた。
二郎さんは 今年 業者に依頼し
手を付けられなかった遺品整理に
取りかかった。
初めて 兄が長年ひきこもっていた部屋に
足を踏み入れた。
目に留まったのは
積み重ねられていたノートの束。
まだ ひきこもる前
書籍の訪問販売で
なんとか成績を上げようとしていた。
「園芸本を時々買う」。
「28才の息子が本好き」。
一冊でも多く売ろうと努力する
兄の姿があった。
非正規で働いていた 伸一さん。
ノルマの達成や競争が求められる中
成績が上がらず
2か月で職場を追われていた。
安定した仕事に就こうと
公務員試験や就職活動に臨み
ようやく医療事務の正規職員に。
そこで待っていたのは
当直や深夜残業を繰り返す日々。
伸一さんは 体調を崩し
仕事を続けられなくなった。
積まれた仕事のノートの下から
メモが見つかった。
「生きていても
ちっとも面白くない」なんて…。
「就職 教員 公務員。
生きていても ちっとも面白くない。
健康さえも ないがしろにして
働くだけ働いて
頭の中は空っぽなのだから」。
死が迫ってなお
助けを求めないのは なぜなのか。
2人の死に直面した
支援員の石橋さん。
今年2月
ある ひきこもりの男性を助け出した。
伊藤茂夫さん 60歳。
8年前に職を失って以来
ひきこもってきた。
だが 去年11月 親の死で所持金が底をつき
追い詰められた。
このまま死んでもいいと思ったのは
社会に対する絶望だという。
43歳の時に 清掃の作業員から
目指していた事務職へと移った伊藤さん。
しかし 効率を求める職場のスピードに
ついていけず
上司から 人前で何度も叱責されたという。
43歳の新人に
手を差し伸べる同僚もいなかった。
精神的に追い詰められ 適応障害に。
退職に至った。
仕事もせず 家にいる姿を
子供に見せたくないと
自ら離婚を切り出した。
50を過ぎた伊藤さん。
社会のレールに戻るのは難しかった。
自分は社会に必要とされていない。
その思いから
助けを求めようとしなかった。
たった一つの 逃げ場だった家。
そこでも 本人は追い詰められていた。
兄 伸一さんを亡くした 牧岡二郎さん。
遺品の中にあった 父の日記に
兄が死に向かっていった日々が
克明につづられていた。
高度成長期 製鉄所の工員として
勤め上げた父 吉之さん。
伸一さんは 働き口が見つからないことを
とがめられていた。
親の思いが おもしとなって
伸一さんは 孤立を深めていった。
自室に閉じこもり
まともに食事もとらなくなっていく。
伸一さんは 生きる気力そのものを
失っているかのようだった。
社会 家庭。
二重に追い詰められ
その果てに死んでいく人たち。
それは 自業自得なのかと
問い続ける現場がある。
千葉県で ひきこもりの
支援をしている田中君徳さん。
田中さんには つらい経験があった。
訪問を続けていた 48歳の男性が
去年 亡くなったのだ。
本人の気持ちよりも
仕事につなげることを優先するあまり
男性は より心を閉ざしていった。
その死以来 田中さんは
関わり方を変えようとしてきた。
この日 訪ねたのは15年近く
ひきこもる45歳の男性。
こんにちは。
男性は ひきこもり続けるうちに
心身の状態が悪化。
無気力になり
一切の支援を受けようとしない。
田中さんは あえて仕事や支援の話を
切り出すことはしなかった。
何かを強いるのではなく
本人の意欲に つながる糸口を
時間をかけて 見つけようとしている。
田中さんが何度も面談を重ね
少しずつ意欲を取り戻してきた人がいる。
お気遣いなくしてください。
あの 面談も この前したんですけど…。
佐藤 誠さん 47歳。
20年以上 ひきこもってきた。
高校を卒業後
自動車の整備工場に就職した。
しかし 同僚と うまく関係を築けず孤立し
5年で退職。
ひきこもるようになった。
家族の世話になり続けるうちに
将来を悲観し
命を絶とうとしたこともあった。
今 田中さんが進めているのが
職場でも家でもない居場所の確保。
あ 大丈夫です。 は~い。
自宅の近くで待ち合わせをして
支援員が送迎をする。
一緒に過ごすのは
同じように社会で挫折を経験した人たち。
週3日 ここで過ごしながら
地元の社会福祉法人の手伝いをする。
この日は 寄付された漫画や本を
ネットで販売するための作業。
疲れたら休憩し ノルマや競争もない。
ゆっくりと お互いを知っていく。
ああ… そうですか…。
自宅での面談中
佐藤さんが家の敷地に案内し
ある思い出を田中さんに話し始めた。
やってたんだ。
あ~。
ああ そうですね。
かつて父親の畑だった場所。
いつか自分も やりたいという。
どうしようもなくなって…
周囲との関わりを拒み
最後は 生きることを
諦めたかのように見えた兄。
弟の二郎さんは この日
ある女性に会うために東京を訪れていた。
いえいえいえいえ。 お話を伺って
ちょっとびっくりしましたけれど。
伸一さんが 大切にとっていた2通の手紙。
送り主は 精神科の診療所で
ケースワーカーとして働いていた
この女性だった。
「牧岡伸一様。
金曜日は 本当に久しぶりでしたね。
よくたずねて下さったと
内心は うれしかったです」。
「病院へは行かれたでしょうか」。
「お会いしてからず~っと
あなたのことを考えていました」。
家族にも心を閉ざしていた伸一さんは
1時間半離れた診療所を一人 訪れていた。
女性は 診療所に初めてやって来た時の
伸一さんの様子を
今も覚えていた。
女性は伸一さんを気にかけ
手紙や電話でやり取りを続けた。
しかし 伸一さんとの連絡は
やがて途絶えてしまったという。
兄は生きようとしていた。
最後まで。
世間様から
褒められるということもなく
自身 家庭を築くということもなく
こう あまり生産性という面では
社会に寄与しなかった人ですけれども
ただ まあ弟の身からすれば
それで生きる価値がなかったとは
思いたくはないので どういう形であれ
命は 長らえてほしかったという気持ちは
ありますね。
♬~
「生きていても 価値がない」
そんな思いが広がる社会に
いつの間にか なっていたとしたら。
誰か一人でも
こう言葉をかけられる世の中でありたい。
「生きてるだけで いいんですよ」。
安否が確認できなかった 50代の男性の家。
玄関に挟み込んだメモは
受け取られていた。
よかった ああ よかった…。