こころの時代~宗教・人生~「死者は沈黙の彼方(かなた)に 作家・目取真俊」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

こころの時代~宗教・人生~「死者は沈黙の彼方(かなた)に 作家・目取真俊」[字]

小説「水滴」で芥川賞を受賞した作家・目取真俊さんは、故郷・沖縄の人々の心の奥底にある痛みを描いてきた。初めてのロングインタビューにより、目取真さんの人生を描く。

詳細情報
番組内容
1997年に小説「水滴」で芥川賞を受賞した、沖縄在住の作家・目取真俊さん(60歳)。沖縄県北部やんばるで祖父母や両親から伝え聞いた戦争体験や地域の歴史などを元に、沖縄の人々の心の奥底を描いてきた。目取真さんは語る「死者の痛みは沈黙の彼方にある。だからこそ想像し、その気持ちに近づく努力をすべきだ」。目取真俊さんへの初めてのロングインタビューと、作品の朗読を通じ、その人生と作品に込めた思いを見つめる。
出演者
【出演】目取真俊,【語り】加賀美幸子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉

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  17. 見捨
  18. 取材者
  19. 世界
  20. 辺野古

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(波の音)

(取材者)すみません。 お待たせしました。
はい。

拝所ですね。

自分たちの祖父の
時代ですね

まだ明治 大正とか そういった時代には
みんな神人が集まって

そこで神行事なんかを
した場所なんですけど。

みんな おじい おばあとかが
拝んでたらですね

その拝んでる場所というのは
大切な場所だから拝むわけですよね。

そこは だから拝まないといけない
場所だと思うわけですよ。

だから こういった所を
少しでも壊したりとかですね

勝手に木を切ったりすれば
やまされると言って

病気になったり けがをしたり
ろくなことがないわけですよ。

だから それをみんな信じてるから。

この季節は 蝶々が多いですけどね。

例えば 家の中に鳥が飛んできたり
蝶々が飛んできたりする時は

何か その魂がですね

鳥とか蝶々になって
入ってきたとかですね。

自分の祖母が言ってたのは

こういうふうに ひらひらひらひら
蝶々が舞うように

人間の魂というかですね

そういったようなもの
飛ぶという話をやってましたけどね。

蝶々が飛んでる姿は 人間の魂が
飛んでるのと 同じ姿だというですね。

♬~

♬~

やんばると呼ばれる
沖縄本島北部。

豊かな森と海に抱かれた
今帰仁村です。

作家 目取真 俊さんは
1960年 この地で生まれました。

子供の頃 ふるさとの川が遊び場でした。

そこらなんかも
よく釣り場だったんですよね。

テラピアという外来魚がいて
それが一番よく釣れる場所だと。

ボラとかですね。

これは昔のままですよ。 川自体は。

大体こういう川沿いに
みんな墓地がある場所なんですよね。

こういう岩穴を全部くりぬいてですね
つくったのが

昔の ほんと沖縄の
やんばるの墓なんですよ。

ここは今 板で塞がれてますけどね。
お墓の。

以前は全く塞がれてなかったんですよ。

だから 石が崩れ落ちて
中の白骨がですね すぐ見えるんですよね。

こうやって白骨が見えるすぐ前で
自分たちは釣りしてるわけですよ。

で ここに
製糖工場の給水パイプがあって

そのパイプにまたがって
魚をとるんですけど

暗くなって帰ろうとしたら
すぐそこで 白骨があるもんだから

やっぱ 怖いんですよね。

両側の草むらからカニがはって
ざわざわざわざわ 歩いてですね。

そこの先に つり橋がかかってて
そのつり橋を渡るのが怖いんですよ。

そういった所で やっぱり釣ってると

小説の背景の感覚というのが
生まれてきますよね。

単に自然の力というよりも
すぐ後ろに白骨がありますからね。

一人でこんな いつも夕方
こういった時間帯に釣りしてたら

いろんなこと考えますからね。

だから小説の核というか 種というか
そんな小さな世界なんですよ ほんとに。

半径せいぜい1キロとか2キロ四方の
子供たちが生きた世界というのはですね。

(雨の音)

雨… 大丈夫ですか? 雨は。
(取材者)ありがとうございます。

ちょうど 葉っぱの下にいる。

(雨の音)

目取真さんは 高校を卒業するまで
この村で暮らしました。

自分なんか三世代同居ですから

両親 祖父母 あと きょうだいですね
8人家族で住んでて

またすぐ近くに 母方の祖母がいてですね
その家族が近くにいましたから。

祖父母は 明治の生まれですので

まあ 古い沖縄の歴史とかですね
言葉を使って暮らしてるわけですよ。

だから家庭では 当たり前のように
ウチナーグチで生活してて

共通語は全く使いませんので。

学校に行っても 当時 日本復帰前で
共通語励行というような形でですね

方言使っちゃいけないというような指導を
教師がやりますけども

普通 男子生徒は
ほとんど言うこと聞かないわけですよ。

だから教師の前では 共通語使っても

ふだん 友達同士の会話は
全部ウチナーグチですので。

だから ほんとに母語としてですね

自分のこの母語として ウチナーグチを
使った世代なんですよね まだ。

家族からは沖縄戦の経験を聞きました。

父 景介さんは 14歳の中学生の時
鉄血勤皇隊として動員されました。

やんばるの山中で
アメリカ兵と戦ったのです。

戦闘してる時に
下から米軍が攻めてくると。

自分の父親も銃で応戦するんだけど

アメリカ軍は自動小銃で
パラパラ撃ってくるのに

父親なんかが持ってるのは

三八式歩兵銃だから
一発ずつしか撃てないわけですよね。

あ これはとても勝てないというふうに
思ったとかですね

あるいはもう 銃が重くて
こんな構えきれないから

木の股とか石の上に置いて
撃ったとかですね。

それを擲弾筒で攻撃してる時に

上原さんっていう方がですね
頭を撃ち抜かれて死んだとか。

二人一組で擲弾筒っていうのは
攻撃するわけですよ。

上から弾入れてですね。

弾が切れたから
父親が取りに行ってる間に

周り 米軍に包囲されてるわけですよね。

それで地面に伏せてる時に
上原さんがですね

攻撃が中断して
しばらく静かになったから

様子を見ようとして 頭をもたげた瞬間に
バンと頭撃ち抜かれてるわけですよ。

で そのあとも逃げていくわけですけども。

だから そういった体験を
断片的に聞くわけですよね。

ふるさとの人々の物語に触れてきた
目取真さん。

高校生の時 作家を目指す
きっかけがありました。

まあ 僕は 停学になってですね
酒飲んで停学になって

2回目の時に 暇だから
学校から本借りて読むわけですよ。

その時に エミリー・ブロンテの
「嵐が丘」という本を読んでですね

衝撃を受けたんですよね。

小説っていうのは
こんなにすごいもんなのかと。

ここまで
人間ってものを表現できるのかと。

それからまた再度ですね
改めて本を読み直すわけですよ。

そういった本 読んでいく中でですね
やっぱり小説書きたいとかですね

あるいは 詩を書きたいという思いが
出てくるわけですよね。

田舎の高校ですから 受験勉強っていうの
もうほとんどしないわけですよ。

塾や予備校に通ったことも
なければですね。

だから逆に言うと
くすぶってるわけですよね。

自分の このエネルギーを
発散するすべを見いだせなくてですね。

そういった時に
小説というのに出会いますから。

もともと自分の生まれ育った環境が

非常に濃密な場所というのを
持ってましたからね。

やっぱり そこを描くことがですね
ほんとにこう

独自のものを生みだす源泉なんだ
っていうのを

やっぱりあのころ
漠然とであれ 分かってたわけですよね。

だから あくまでも
こんな今帰仁を舞台にしたですね

小さな村の物語であってもですよ
そこを掘り下げていけばですね

一つの世界が やっぱり築けるわけですよ。

何も東京とかですね ニューヨークとか

そういった世界に
出て行かなくてもですよ

そこに生きてる人間がですね いて

非常に古い小さな村かもしれないけれど
やっぱり一つの世界なんですよね。

それは決して閉ざされたものじゃなくして
沖縄戦があったり 米軍統治があったり

あるいは歴史的にたどれば
中国との交流があったりですね

沖縄っていうのは やっぱり
そういうふうに交わる場所ですからね

そこを描くことによっても
普遍的なものが書けるんだというのは

認識としてありましたけどね。

目取真さんは 中学校や高校で
国語の教師をしながら 執筆を続けました。

そして 小説「水滴」で芥川賞を受賞し
一躍脚光を浴びます。

主人公は 半世紀前に沖縄戦を戦った男性
その身の上に不思議なことが起こります。

「水滴」。

「徳正の右足が
突然膨れ出したのは
六月の半ば

空梅雨の暑い日差しを
避けて

裏座敷の簡易ベッドで
昼寝をしている時だった」。

徳正の膨れた足からは
水が滴り落ちるようになります。

すると 夜な夜な壁から
何人もの日本兵が現れ

その水を吸い始めるのです。

(水滴が落ちる音)

(水滴が落ちる音)

(取材者)
「水滴」を書こうと思ったのは これは

なぜ これを書こうと思ったんでしょうか。

書こうと思って書くもんじゃないんですよ
小説っていうのは。

これ 人によって違うと思いますけどね

自分の中では できるもんなんですよ
自然とですね。

ある程度 もちろんペンとってですね
ワープロに向かって パソコンに向かって

意志を持たなければ持続できないですから
意志は伴うんですけどね。

ある種やっぱり時間がたってですね

欲求が起こって
形がこうできてくるわけですよね。

こう一から十までストーリーが
あらかじめ決まっててですね

これをサーッと書いてくんじゃなくして
映画のコマ撮りみたいにですね

部分的な場面場面がいくつも
頭の中に残って あるわけですよ。

これが最終段階につなげる形で 一つに
まとまった作品になっていくんですよね。

それは ずっと考えてるわけですよ。

自分の父親は
運天港という港で働いてますけど

学生 卒業してですね
しばらく そこで働いてたわけですよ。

で 作業終わったあとに
桟橋っていいますかね

港の構内で
みんな酒飲んだりするわけですよね。

そしたら ふだん6名で
一緒に荷物かついだりしてますけども

ある人は 関東軍に従軍してですね
満州で終戦 敗戦を迎えて

シベリアの収容所に入れられてですね
そこで暮らしてた人とかですね。

また別の人は 小禄の方で
米軍の捕虜になって

で ハワイに連れていかれてですね
ハワイの収容所にいたとかですよ。

ハワイの収容所に連れていかれた
という方がですね

自分に…
ガマの中にいて 壕の中にいてですね

外はもう艦砲射撃が激しいから
水をくみに行けないわけですよ。

渇きに耐えかねてですね

じゃあ どうやって水 手に入れたか
っていう話があるわけですよね。

この同じ死んだ仲間をですね
衣服を全部剥ぎ取って 丸裸にして

平たい岩の上に置いとくと
明け方になって気温が下がったらですね

体から出た水分が
岩の上に水滴となってですね

にじみ出てくるというわけですよ。

自分は これをなめてですね
この渇きを癒やしたというわけですよ。

やっぱり この話聞いた時は
僕はもう 鳥肌ものですよね。

これは 作り話だと思えないわけですよ。

体験した人じゃなければですね

なまじ こう
考えつかないようなことなんですよね。

このことが やっぱり一つ
頭に残ってたのが

「水滴」という小説を書くですね
源にもなるわけです。

また別の ある人は
ずっと従軍して 歩き続けてる時に

渇きで耐えかねてですね
バタバタ倒れてくわけですよね。

その時に倒れた兵隊のですね
口をこじあけて

舌を引っ張り出してですね

自分の手にこう唾をペッとつけてですよ
舌にこう すり込むと。

そうしたら人間っていうのは
少しでも水分を与えられるとですね

またフラフラ立ち上がって
歩きだすというわけですよ。

何回も これをやって
もう立ち上がれなくなったら

見捨てるしかないと。

そんな話をこう
聞いたこともあるわけですよね。

(取材者)
リアリティーっていうんですかね。

そういう話を聞けたってことは
大きいんですかね?

聞くというのはですね あくまでも
きっかけにすぎないわけですよ。

そっから先に どこまで細かくですね
考えきれるかっていうのは

これも想像力の話なわけですよ。
例えばじゃあ 倒れて

舌にこう 唾液をすり込まれた側の人間に
身を置いて 考えてみるわけですよね。

もう疲れ果てて
意識も もうろうとしてですね

誰かが自分の舌 引っ張って
何か こすりつけてんだけど

もう それが何かを認識する能力も
なくなってると。

その人の状態になった時に
何がですね 脳裏に去来して

どんな形で その人は
死んでいくのかっていうことを

身を置いて考えてみるわけですよね。

最後に 何がその人の脳裏に
浮かんだのかですね。

たあいもないことかも
しれないわけですよ。

母親の姿なのか 恋人の姿なのか。

あるいは全く関係ないですね

子供の頃に見た
なんかこの 本の表紙とかですね

こんなのが ちらっと浮かんで
死んでいくかもしれないわけですよね。

あるいは また 舌にすり込んだ
兵隊の側に立ってみればですね

死んでく人間が 仲間で
どんだけの関係だったのかですね

本当にもう無二の親友で その男に
助けられた経験があったとしたら

無念さとかですね 怒りとか いろんな
感情がよみがえってくるわけですよ。

(水滴が落ちる音)

人々の心の奥底に残る 沖縄戦の記憶。

人間っていうのは 戦後
仕事に没入することによってですね

記憶を封じ込めてきてる人が
たくさん いるわけですよね。

思い出すとつらい
トラウマが起こってですね

生きてることが つらくなる。
そんな方々は

目の前のことに没入することによって
生きてきたわけですよ。

ところが 仕事が終わったらですね
急に やることがなくなって

昔のこと振り返ってですね

生々しく記憶がよみがえったって人が
たくさん いるわけですよね。

だから「水滴」書く時 思いましたけど

水滴っていうのは
どういったイメージかといったら

地下の暗いガマにですね 水が落ちる
というイメージなわけですよ。

表層に降り注いだ雨がですね
50年という時間を経てですよ

ずっとこう地面を通ってきて
地下に大きな空洞があってですね

そこに ちょんと落ちて波紋が広がる
というイメージなわけですよ。

だから あの主人公はですね
それまで意識しなかったんだけど

突然 目の前に 自分が見捨てた戦友が
現れてくるわけですよね。

で 見捨てた戦友に対する思い
というのはですね

沖縄の人が
広く持ってることなんですよ。

助けきれなくてですね
見捨てていったというのはですね。

逃げてく時に 赤ん坊がいたんだけど

子供拾ってる余裕なんかないから
見捨てていったとかですね。

だから ひめゆり学徒も そうですけども

生き延びたことに対する喜びよりは
後ろめたさが あるわけですよ。

だから そういったことも 一つ
あの中でテーマになってるわけですよね。

ただ それはもう
単なる悲惨な物語じゃなくて

半分はパロディーなんかも
入れてますけどね。

だけど 基本的なテーマっていうのは

沖縄の人が ある種広く持ってた
感覚なわけですよ。

その後 発表された小説 「眼の奥の森」。

アメリカ兵に暴行され 穏やかな日常を
失った女性が描かれました。

そして 「面影と連れて」では

学校に通わず 社会から隔絶した女性の
人生に光を当てました。

目取真さんは 地域の中で
声を上げることのない人々の姿に

目を向けたのです。

そのまなざしに 大きな影響を与えたのは
祖母 ウタさんの生きざまでした。

まあ出生は… 父親がですね
あんまりはっきりしないんですよ。

ちゃんとした結婚してできた
子供じゃなくして

私生児みたいな形で生まれてですね。

家が やっぱり貧しいもんですから
当時は もう

こういう やんばるの
貧しい家庭っていうのは

全部 子供を売るんですよね。
奉公という形で。

すぐそこのおうちですけどね

金持ちのおうちの
ずっと下働きとして働いて。

で 上のお兄さんは 糸満売りと
いってですね 糸満の漁師に売られて

そこで もうずっと
暮らすわけですよ 海人としてですね。

祖母は そこのおうちで
7歳ぐらいからですね

朝の6時から夜の10時まで
ずっと もう下働きですよね。

畑仕事したり 水くみしたりして。

15歳の時にですね
もう このまま自分は

奴隷みたいな一生を送るのかと
思ってですね

なんとか この借金
返さないといけないと思って

当時 パナマ帽というですね
帽子を編む仕事があって

だから それをですね 25歳まで10年間

10時まで仕事したあと

夜の2時ぐらいまで
帽子を編み続けてですね

自分の借金を返して
自由の身になってるわけですよ。

そのあと 祖父と知り合ってですね
結婚して 母とか生まれるわけですけども。

ずっと売られて学校に行けなかったから
文盲なわけですよね 文字が読めなくて。

選挙の時も
ボール紙をくりぬいてですね

カタカナの字を持ってって これを当てて
書くような人だったんですよね。

県外にも恐らく出たことないし

言葉だって やっぱりウチナーグチ以外
知らないままだったし

文字も読めないから
本読んだりもできないわけですよね。

ずっともう子供の頃から
働いて 働いてですね

子供を育てて 老いて
死んでいくわけですよ。

だから それはもう 波乱万丈の人生では
ないかもしれないわけですよね。

でも そういった中でも
いろんな喜びもあればですね

子供をなくしたりとかですね
つらい体験もあるわけですよね。

だから こんな人の一生だって 書けば

もう無尽に いろんな出来事が
あるわけですよね。

この祖母が亡くなる直前も
最後にまだ語れたわけですよ。

最後は もう意識がなくなって
病院で亡くなりましたけどね。

その時に
老人ホームでも入院しててですね

一生懸命 言ってたのは…

このことを繰り返し
言うわけですよ。

当時 まだ高校に
進学できる人は

少なかった
わけですよね。

当時 女性が一人で
現金収入 得ようと思ったら

ブタ養って ブタ売るわけですよね。

頭に塩担いで 読谷まで歩いて

塩 売って こつこつお金ためて
高校まで学費 出すわけですよ。

これが自分の祖母の
一生だったわけですよ。

そうやって まあ老いを迎えてですね
孫ができて 喜んだんでしょうけどね。

華々しい物語はないかもしれないですよ。

でも これが祖母にとって
最後に言って

心の支えだったんでしょうね。
誇りだったわけですよ。

何か成功してから
政治家として有名になったとかですね

いろんな形で
ヒーローになったとかですよ

それはそれで 物語として
面白いかもしれないけれど

でも こんな人の姿が

自分にとっては やっぱり
一番心に残るわけですよ。

沖縄に生きる名もなき人々を
描き続けてきた 目取真さん。

小説「群蝶の木」では

ふるさとで その存在が忘れられようと
していた人たちのことを書きました。

太平洋戦争の最中に

日本兵のための
慰安所にいた女性です。

父よりも まあ2つか3つ…

2つですか 年上のおばさんから
今度 聞くわけですよ。

おばさんは 当時17歳でですね
この慰安所は 近くにあったわけですよ。

当時のおうちの 斜め向かいに
病院があってですね 診療所があって

その診療所で 慰安婦たちがですね
日本兵 相手にしてるわけですよね。

だから おばさんたちは
日本兵が もうずら~っと並んでですね

自分の順番 待ってるのを
目にしてるわけですよ。

そこにいる
慰安婦といわれてる女性たちは

同じぐらいの年齢なわけですよね。

「群蝶の木」に登場する
年老いた女性 「ゴゼイ」。

戦時中に那覇から今帰仁にやって来て
慰安所に身を寄せました。

沖縄戦が始まると 今帰仁は
アメリカ軍に占領されます。

すると ゴゼイは
地域の人たちから言われました。

戦後も集落に住まわせてもらうことを
条件に 求めを受け入れたゴゼイ。

50年以上もたって
その時の思いが わき上がります。

アメリカ兵は 体が大きいから
痛くてつらいとかですね。

だから そんなのをこう
おばさんから聞いたら

あっ こういうふうに生きた人たちが

やっぱり当時いたんだな
っていうのをですね 知るわけですよ。

決して それは遠い場所に
いたんじゃなくして

すぐ近くに そんな場所があったんだ
っていうのがですね。

多くの日本人はですね
慰安所といったら

南洋とかですよ
中国戦線だとか思ってて

沖縄にあったっていうのを知ってる人
少ないんじゃないかと思いますよ。

そうじゃなくて ここらにも
あったわけですよ ほんとは。

兵隊相手にするような
慰安所っていうのはですね。

そんな皆さんがですね 戦後
どうやって生きたかということですよ。

いろんな生き方してるわけですよ。

だから もう なかなか

事務員になったりとか
学校の先生になったりとかですね

そういった一生を
ほとんど送れないわけですよね。

三線 身につけてる。 踊り 身につけてる。

なんとか それを生かして
生きてくとかですね。

あるいは そうでなければ また
コザの街の飲み屋で働くとかですね。

そういう形で一生を過ごした方が
やっぱり多いと思いますよ。

ほんとに結婚して子供ができてですね

幸せになった人も
いるかもしれないけれど

同時に また
それを夢にみるだけでですね

そんなふうに生きられなかった人だって
いるかもしれないわけですよ。

恐らくは
フラッシュバックになってですね

何回も何回も過去のことを
思い出してですよ

耐えきれなかった方だって
たくさん いるはずなんですよね。

80年代 90年代になってですね

そういった女性が
どこに行っただろうと

そういった女性が どうやって
最期を迎えたんだろうとかですね

ということを
いろいろと考えるわけですよね。

そういったものを やっぱり
小説の中で書くことで考えるわけですよ。

誰にも みとられずですね

ひっそりと死んでいかざるをえなかった
人というのは

恐らく いたはずなんですよね。

死んだ人たちはですね
沈黙の彼方にしかいないわけですよね。

語ることなんか できないわけですよ。

だから その人の代弁するっていうのは
ものすごく傲慢なことなわけですよね。

誰しも代弁なんか できないわけですよ。

他人の痛みを 本当に痛むことは
できないわけですからね。

だから 我々ができるのは 小説という
想像力を武器にしたですね 表現形態で

少しでも やっぱり近づく努力ですよね。

手記を読んだり 証言を読んだり
そういった形で

学ぶこともできますけども
それだけじゃなくてですね

書かれてない向こうに何があったのか
ということをですね

知る努力というのが
やっぱり小説だと思いますし。

本当に じゃあ 死んでく瞬間

その人間の胸に何が去来したか
というのはですね

誰も 本当は表現できないわけですよ。

日本国 万歳!
≪万歳!

万歳!
≪万歳!

沖縄が本土に復帰した 1970年代。

目取真さんは 今帰仁村を離れ
琉球大学に入学します。

(飛行音)

人々の暮らしの間近にある
アメリカ軍基地。

その存在の大きさを
思い知ることになりました。

当時 生活道路を越えて砲弾を撃つ

アメリカ軍の訓練が
行われていました。

それに抗議するため
目取真さんは 現場に行きました。

キャンプ・ハンセンっていうのが
ありますよね。

で あの高速自動車道のすぐそばに
山があるじゃないですか。

あそこに 実弾をポンポンポンポン
撃ち込んで 演習してたわけですよ。

頭の上をシュルシュルシュルシュル
実弾が飛んでくわけですよ。

僕 初めてその音
聞いたわけですよね。

(発射音)

(着弾音)

それが着弾すると 地響きがですね
座ってると内臓に響くわけですよ。

僕は この感覚も
生まれて初めて知ったわけですよ。

これ聞いたら やっぱり
ショックなわけですよね。

同じ沖縄でですよ
こんなことが行われてるのかと。

沖縄の基地の実態というのを
知るわけですよ。

今帰仁村にいた頃は ほとんど
こういった経験なかったんですけどね

逆に新鮮だったわけですよね。

中南部で生まれて 目の前に
基地がある所に住んでたらですね

当たり前の日常になって 強いインパクト
なかったかもしれませんけども

逆に やんばるから来たから ものすごく
これ 衝撃的に受け止めたわけですよね。

同時に それはまた やっぱり許せない
という思いになっていくわけですよ。

なぜ こんなに沖縄に
基地があってですね

米兵が好き勝手に演習してるのか
というのがですね

知れば知るほど やっぱり
おかしいと思うわけですよね。

中学校や高校で教師をしていた
目取真さん。

辺野古など 基地の町の学校に勤め
その現実を見つめてきました。

(飛行音)

1995年 極東最大の空軍基地
嘉手納基地のある

沖縄市の高校に赴任します。

この基地周辺の建物っていうのは
ほとんど変わらないですね。

大体25年ぐらいになりますけども

今 通ってみても ほとんど昔の建物が
そのまま残ってる感じですね。

近くは もう嘉手納基地ですから まあ
広く知られたコザの街なんですけどね。

米兵たちが よく酒飲みに来るような
場所なわけですよ。

で 一度はコザに来てみたかったんで
そこを希望してですね

その希望どおりになって
ここでアパート探したんですけどね。

そのころ
ちょうど小説なんか書いてましたから

近くにマクドナルドがありますけども
よくあそこに行って 小説とか書いて。

ちょうど その時に95年ですから

95年っていうのは 戦後50年で…
いろんな出来事があって。

9月に あの 米兵3名が少女を拉致して
暴行する事件があってですね

ちょうど あれで
騒然としてるような状況でしたけど。

軍隊のない 悲劇のない
平和な島を返してください。

アメリカ兵による暴行事件をきっかけに

沖縄の人々の積み重なってきた怒りが
大きな うねりとなります。

8万人余りが参加したとされる集会。

その場に 目取真さんもいました。

常に考えるのは あのやっぱり事件が
原点であって

その時の被害者たちですよ。

どっかで生きてて
どっかで今の沖縄を見つめてて

どういった思いになるのかと。

そのことを絶えず考え続ける
義務があると思ってますよ

あの集会に参加したり あの時
生きてた大人たちっていうのはですね。

事件から4年後に発表された
短編「希望」。

目取真さんは

やり場のない沖縄の人々の思いを

あえて衝撃的な
フィクションとして描きました。

その犯人は テレビが伝える事件の報道を
見つめていました。

(取材者)
タイトルを「希望」というふうにしたのは
どうしてですか?

彼らにとって
それは希望だったからですよ。

その主人公にとっては。

まあ こんな理由は 言っても
あんまり しょうがないですけどね。

作者が語っても。
答えなんて ないもんだから。

それは一人一人が みんな
考えればいいだけの話ですよ。

こういうのを僕は 作者に聞くこと自体が
何というか おかしいと思ってるんですよ。

作者が「希望」をつけたから 「じゃあ
なぜ 『希望』とつけましたか?」なんて

これは国語の問題じゃないですからね。

それを考えることが
読むということですから。

絶望かもしれない 希望かもしれない。

じゃあ なぜ絶望じゃなくて
希望なのかとかですね。

例えば じゃ 本当に
こういう形で 米兵の子供をですね

殺してでも
アメリカに衝撃を与えなければ

アメリカ人は思考しないと。

考えようという努力すらしないと。

最初に そんな衝撃を与えることが
やっぱり必要なんだって思う人がですね

出てくれば
たった一人でも可能なわけですよ。

それが 沖縄にとって一番不幸なことかも
しれないわけですよね。

だから そういった状況に
追い込んではいけないわけですよ。

窮そ猫をかむような状況にですね。

そのことを
考えなければいけないんだけど

考えないわけですよね。

起こることは
可能性としてあるわけですよ。

そのことを考えなければいけませんよ
ということですね。

(飛行音)

今 目取真さんが
足しげく通う場所があります。

普天間基地の移設工事が行われている
名護市の海です。

あそこで あのクレーンが
土砂を積み替えしてますけども。

辺野古側の海域ですね。

そこの埋め立てに使用する土砂を
今 あげてるところですね。

これを一日中 繰り返してるわけです。

2018年から政府は 名護市
辺野古沖で 土砂を投入し

埋め立て工事を
本格化させています。

普天間飛行場は今後
5年ないし 7年以内に

全面返還されることになります。

1996年 日米両政府は
基地負担の軽減策として

住宅密集地にある
普天間基地の返還を打ち出しました。

移設先とされたのが

同じ県内にある名護市 辺野古沖でした。

辺野古では 移設工事に対する
抗議活動が行われています。

目取真さんは この場に訪れた人物を
主人公にして 作品を書きました。

最新の短編「闘魚」。

辺野古を舞台に 沖縄戦の時代から
現代に至るまでの

人々の姿を描いています。

辺野古のゲート前に
娘に付き添われて やって来たのは

80代の女性「カヨ」です。

沖縄戦の時 幼かったカヨが
弟・勘吉たち 家族と過ごしていたのが

辺野古にあったアメリカ軍の…

およそ3万人が収容され
飢えや病から 多くの人が亡くなりました。

カヨの弟・勘吉は
ここで命を落とし 埋葬されました。

その3年後 家族は 地域の風習に倣い
勘吉の骨を掘り出し 弔います。

辺野古で行動してると 沖縄戦の体験者が
たくさん来るわけですよ。

そこに来る皆さんの中にはですね

肉親を亡くした方が
たくさんいるわけですよね。

あの「闘魚」という小説の中では

弟が目の前で 海に流されて
死んでいくわけですけども

違った形で みんな死んでくわけですよ。

助けたくても助けられないと。

見捨てるしかなかったとかですね。

こんな経験を まあ

こんだけの時間がたつと
幼少期に経験した人たちがですね 来て

一生懸命 座り込みしてるわけですよ。

自ら ブログや
ツイッターで発信することもない

50 60 70の
おじさんたち おばさんたちがですね

朝から夜遅くまで ひたすら
作業員の車を止めようという具合にして

立ってるわけですよ 暑い中で。

そういった姿 見てるからですよ。

こんなのが 1950年代も 60年代も
ずっとあったわけですよ。

名も残さないで 消えていく人たちが。

政治家とか
運動のリーダーといった人たちはですね

ドキュメンタリー映画の
主人公になったり

テレビのニュースの中で
マイク握ってる姿 映ったりしますけど

こんな皆さん
映す人なんか 誰もいないわけですよ。

そういった人たちが
一生懸命 頑張ってもですね

この現実は
なかなか変わらないわけですよ。

で みんな 多くの人は
関心すら持たないわけですよ。

で そうこうするうちに
6年 7年の時間がたってですね

どんどん
もう先に旅立っていくわけですよ。

そうやって じゃ あの人たちの思いは
消えてしまうのかということですよね。

小説であれ何であれですね
違った形でも書き残してかないとですね。

(取材者)
今 こういう状況になって こういう海を
見ていると どんなお気持ちに…?

どんなお気持ちと言いますけどね
誰が これ つくったと思います?

あなた方 日本人ですよ。

沖縄県民が
これ要望したんじゃないんですよ。

皆さん方 ヤマトンチュがですね
この現実つくってるんですよ。

それが この 棚上げしてですね
傍観者的な発言して聞きますけどね

この責任は
じゃあ 誰にありますかなんて話ですよ。

安倍政権
菅政権が強行したわけだけども

その政権 支えてきたのは
圧倒的多数の日本人なわけですよ。

大多数の日本人は
関心すら持たないわけですよ。

思いというのは
もう死んだら ないわけですよ。

死んだ人には
思いすら抱けないわけですよ。

思い 抱くのは
生きている我々だけですよね。

自分たちが 今 どうして
どういう行動をとるかがですね

彼らの思いをですね
一つ想像する きっかけになるわけですよ。

死んだ人の思いなんか 海底に
横たわってるわけないじゃないですか。

彼らは ものも言えなくて 沈黙の彼方に
消えてしまったわけだから。

生きて思いがあるんだったらですね
この船 みんな沈めますよ 海の底に。

(波の音)

目取真さんは やんばるの山に
分け入っていました。

野戦病院の跡ですよね。

まだ やっぱり ここら辺の奥には

亡くなった方の遺骨が
残ってるんじゃないかと思いますけどね。

日本軍が設置した野戦病院。

撤退する際 およそ300人が
置き去りにされたといわれています。

戦後…

30年 40年ぐらいまでは まだ
来る人もいたかもしれないですけど

今は もう来る人いないです。

だから まあ 代わりじゃないですけども
やってるんですけどね。

歩いて行けない皆さんは
ここに残されてくんですけど

最後に 手りゅう弾を渡されて

まあ 自決を強制されるわけですよね。

だから 下っ端の兵隊というのは
一番哀れなもんなわけですよね。

最後 こんな所に みんな置き去りにされて
死んでくわけですから。

自分なんかにしても 日本兵と別に
何のつながりもなければ 義理もないし。

住民虐殺して ひどいやつらだ
というふうに決めつけてですね

怒りの矛先 向けることもあるんだけど
でも同時に…

本当に底辺にいた人たちですよ。

農民だったり
母ひとり子ひとりだったりとかですね。

あるいは 小さい子供たちを残して

いやいやながら
沖縄に送り込まれたとかですね。

こんな皆さんだって
たくさんいたわけですよ。

中には 心優しい兵隊だって
いたはずなんですよね。

その無念な思いをですね
誰が記憶にとどめて

誰が そこに年に一回でもいいから
足を運んでですね

酒とかお茶を手向けるかという話ですよ。

自分自身が もし そこに… けがをして

最後 横たわる時にですね
何を考えるのか

どういった思いが去来するのかですね

それを想像力で書くのが
小説なわけですよ。

だから それは もう死んだ人の

記録でもなければ
代弁でもないんですけどね。

新しい作品としての世界なんだけど
でも近づくことはできると思いますよ。

あるいは
日常生活の中に埋没してですね

何も考えないということに
比べればですね

ずっと
そこに近づくことはできるわけですよ。

ここに来ること自体がですね。

♬~