プロフェッショナル「問い続けるは、己の進化 すい臓外科医・中尾昭公」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

プロフェッショナル「問い続けるは、己の進化 すい臓外科医・中尾昭公」[解][字]

治療が最も困難とされる『すい臓がん』と闘い続ける『最後の砦』に密着。不可能とされた手術を引き受け、それでいて手術の死亡率は全国平均の20分の1。驚異の技に迫る。

詳細情報
番組内容
治療が最も困難とされる『すい臓がん』と闘い続けてきた世界的外科医・中尾昭公(73)に密着。不可能とされた手術を引き受け、それでいて手術の死亡率は全国平均の20分の1。理由は自らが開発した画期的な手術法にある。だが古希を超えてなおメスを握り進化を追い求めるのはなぜか…?気づかないままがんが進行し約7割の人が手術不可能と診断される『最難関がん』との闘いに身を投じ命を救う『最後の砦(とりで)』迫真の記録
出演者
【出演】すい臓外科医…中尾昭公,【語り】橋本さとし,貫地谷しほり

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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そして促していくということが
日本ができる役割

なんじゃないかなというふうに
思っています。

治療が最も困難とされる がんがある。

自覚症状がないまま進行し
発見された時には

すでに手術が難しいケースが少なくない。

だが…。

不可能とされた手術を引き受け
命を救う医師がいる。

そして男は平然と こう言ってのける。

すい臓外科の第一人者 中尾昭公。

45歳の時「メセンテリック・アプローチ」と
呼ばれる画期的な手術法を世界に発表。

手術の死亡率は…

驚異的な実績を誇る。

人柄は豪放らいらく。

言葉も謙遜する そぶりもない。

だが 患者には とことん尽くす。

最難関がん 最後の砦。

格闘の日々に密着。

♬~

中尾は現在 名古屋市中心部にある病院で
院長を務めている。

(取材者)おはようございます。
よろしくお願いします。

トレードマークは
若いころから変わらない

襟足長めのヘアスタイル。

ルーティーンは一杯の熱いお茶。

なんと これ以降
夜帰るまで何も食べないという。

中尾が これまで手がけてきた
すい臓がんの手術は1, 400例。

世界でも稀有な存在だ。

失礼します。
よろしくお願いします。

その ずぬけた実績を頼り
全国から患者がやって来る。

そのほとんどが
他の病院で手術を断られた人たちだ。

この患者は4つの病院で
「手術は難しい」と言われていた。

がんは周囲の血管に浸潤し
広範囲に渡っていた。

「沈黙の臓器」とも呼ばれる すい臓。

気付かないうちに がんは進行し

周辺の血管にまで
広がってしまう
ケースが多い。

こうした血管に取りついたがんを
全て取り除くことは極めて難しい。

そのため 実に約7割が
「手術不可能」と診断されるのが現実だ。

だが 中尾は
他の医師には見えない可能性を見いだす。

それこそが「最後の砦」と呼ばれる
理由の一つ。

すいません
お願いします。

また一人の患者が
中尾を頼ってやって来た。

こんにちは。
よろしくお願いします。

別の病院で すい臓がんが見つかったが

「手術はできない」と言われていた。

がんは肝臓に血液を供給する
総肝動脈など

重要な血管にまで広がっていた。

極めて深刻。

中尾が手術を諦めた瞬間
宇野さんの希望はついえることになる。

中尾は常に究極の選択の ただなかにいる。

手術の成否を握るのは

総肝動脈に取りついたがんを
剥がしきれるかどうか。

中尾は「五分五分」と言った。

はい よろしくお願いします。

手術の日。

(取材者)おはようございます。

宇野さんの手術が始まった。

中尾が「最後の砦」たるゆえん。

その最大の理由は この手術にある。

中尾が開発した
「メセンテリック・アプローチ」は

画期的な手術法だ。

従来のやり方では
十二指腸に沿って切り込みを入れ

すい臓を引き出し 切除していた。

だが この手術法では出血が多い上に

がん細胞をまき散らすリスクがあった。

一方 中尾開発の手術法は

すい臓から離れた腸間膜から切り込む。

そして重要な血管を一本一本
組織から剥がし むき出しにしていく。

その上で すい臓へ向かう血流を遮断。

出血が少なく 腫瘍部分に触ることなく
切除できるため

がん細胞をまき散らすリスクも少ない。

だが この手術法を実行するには
不可欠なものがある。

それは卓越したメスさばきだ。

重要な血管を僅かでも傷つけてしまうと
大量出血を招き

患者の命に関わる事態となる。

中尾は電気メスの出力を微細に変え

同時にメスを0.数ミリ単位で
巧みに動かし

血管を全く傷つけず 組織を剥がしていく。

これは 決して誰もができる技術ではない。

こうして血管をむき出しにしながら

同時に がんの潜む組織を取り除いていく。

(電気メスの音)

(電気メスの音)

そして肝心の総肝動脈にまとわりつく
がんも慎重に剥がしていく。

これを全てやりきらないかぎり
宇野さんの命は救えない。

中尾は がんを僅かでも残さないことに
どこまでもこだわる。

総肝動脈など血管の周りに
広がったがんを剥がしきった。

そして…。

すい臓自体の腫瘍も摘出。

これで宇野さんを苦しめてきたがんは
全て取りきった。

出血量も最小限に抑えた。

宇野さんは退院の日を迎えた。

一人の人生を中尾はまた変えてみせた。

古希はとうに過ぎ 今73歳。

当然 体はきしむ。

別の日も…。

同世代の医師は
はるか以前にメスを置く中

なぜ中尾は現役を貫くのか。

そのことを問うと
はっきりとこう言われた。

「自分は日本の宝」。

この言葉の裏には
「今なお 自分は進化している」という

強い自負がある。

中尾にとって日々の手術は
自らを見つめ 研さんを積む場でもある。

中尾には口癖がある。

中尾はいつも 自分にこう問うている。

中尾さんの家には毎晩
近所に住む孫が遊びに来る。

中尾さん いつもの豪快さはどこへやら。

そして息子にも頭が上がらない。

中尾さんは
子どもの成長を見られないほど

外科医という仕事に のめり込んできた。

生まれは終戦の3年後 1948年。

父 久夫さんは
中学校の教師だった。

学校が終わったあとも生徒を家に招き

勉強を教えるほど熱意にあふれていた。

「自分も社会の役に立つ人間になりたい」。

猛勉強の末 名古屋大学医学部に合格。

医師になると決めた。

「簡単な道は行くな」という
父の教えに倣い

治療が最も難しいといわれた
すい臓がんのスペシャリストを志した。

手術を難しくしていたのは門脈。

傷つければ命に直結する太い静脈。

「門脈には触るな」と言われた。

でも中尾さんは不可能に挑んだ。

カテーテルを使って血液を迂回させ

門脈ごと
がんを安全に取り去る方法を開発。

確立してみせた。

さらに多くの命を救うべく
大胆な術式の開発に取り組み始めた。

それが…

血管を組織から剥がし
すい臓に向かう血流を先に止めることで

出血を抑える画期的な術式だった。

これで救えなかった命を救える。

日々 改良を続けた。

でも そんな時…。

3名の患者が術後間もなく
立て続けに亡くなった。

合併症だった。

一転して 風当たりが強まった。

「無謀な術式だ」とささやかれた。

その時 今後の身の処し方で
もう一つの選択肢を提示された。

それは アメリカで分野の違う
肝臓移植を学ぶ道だった。

「メセンテリック・アプローチ」の開発は
中断になる上 休職扱い。

給料も出ないという。

それでも中尾さんは
父の土地を売ってお金に換え

家族を残し アメリカに飛んだ。

10歳以上 年の離れた若手に交じり
40代での手術助手。

英語も思うままに操れない。

それでも目の前の手術に目を凝らした。

肝臓移植は当時 最先端の医療だった。

アメリカでの1年間を
中尾さんは無駄にはしなかった。

帰国すると「メセンテリック・アプローチ」
の追求を再開した。

そして3年後

出血量を最小限に抑える
画期的な手術法として世界に発表した。

73歳になった今も
中尾さんがその歩みを止めることはない。

休日にもかかわらず 病院に顔を出す。

過去の手術を振り返り

どうしたらもっと
多くの命を救えるか考え続ける。

中尾さんは今 後進の教育にも力を入れる。

新たな患者がやって来た。

他の病院で手術が難しいと判断され

中尾に いちるの望みをかけていた。

がんは すい臓から重要な血管へ浸潤。

広範囲に渡っていた。

だが…。

抗がん剤で腫瘍を小さくできれば

手術は不可能ではないと
中尾は考えていた。

ありがとうございます。

しかし 中尾には懸念があった。

それは吉田さんの血管について。

肝臓に栄養を送る「右肝動脈」が
極めて珍しい形をしていた。

通常 固有肝動脈から分岐する
右肝動脈が

胃十二指腸動脈から出ていた。

その血管が がんに侵されていた。

百戦錬磨の中尾でも
初めて相対するケース。

難しい手術が予想された。

吉田さんは3人の子どもを持つ父親。

だが 子どもたちにはまだ
がんのことは伝えていないという。

育ちゆく子どもの姿を この目で見たい。

その一心で
できることは何でもやってきた。

命は中尾に託されていた。

これまでにない右肝動脈。

そこに取りついたがんを どう剥がすか。

手術の日。

「長い手術になる」。

中尾は言った。

午前10時25分 手術開始。

がんが疑われる組織を
血管から慎重に剥がしていく。

肝臓に血液を送る もう一本の血管。

左肝動脈は残せることが分かった。

電気メスを巧みに操り

右肝動脈にまとわりつくがんを
丁寧に剥がしていく。

だが 癒着が
ことのほか激しい。

肝臓への血液の供給は左肝動脈に任せ

右肝動脈は取り除こうと考えた。

ところが…。

エコーで血の流れを確認した時だった。

エコーで見る限り

左肝動脈からの血流が弱く 十分ではない。

右肝動脈を残すと決めた。

癒着の程度から見て
がんを全て剥がせるかどうかはギリギリ。

だが こんな時のために
自らに一つのことを問いかけ

ずっと研さんを積んできた。

右肝動脈のがんを剥がし始めて
50分ほどたった時だった。

肝臓に近い細い血管から
血が勢いよく噴いた。

エコーには映らなかったが
左肝動脈からの血流で

肝臓は十分な血液が
送られていることが分かった。

すぐさま方針を転換し 右肝動脈は切除。

がんを全て取りきることを優先した。

最後に すい臓を摘出した。

中尾は長い手術をやり遂げた。

経過も良好だった吉田さんは
退院の日を迎えた。

家では かけがえのない子どもたちと

あのレモンが葉を広げ 帰りを待っている。

中尾は今日も
こう問いかけながら手術に臨む。

「俺はまだ うまくなっているか?」。

♬~(主題歌)

まずね 高度な知識と高度な技術を
持たないかんね。

これは備えていることが絶対必要。

そして その職業にね
情熱と愛情がないとダメだよ。

情熱と愛情がないとダメ。

なおかつ 持続してできないとダメだよ。

♬~

♬~