先人たちの底力 知恵泉「保元・平治の乱 “武士台頭”の始まり」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

先人たちの底力 知恵泉「保元・平治の乱 “武士台頭”の始まり」[解][字]

約700年に及んだ“武士の時代”。なぜ武士は貴族に代わり時代の主役に躍り出たのか?平安末期の保元・平治の乱における源義朝・平清盛の姿を通して、その知恵を探る。

番組内容
鎌倉時代から江戸時代まで約700年に及んだ“武士の時代”。なぜ、武士は、貴族に代わり、時代の主役に躍り出ることができたのか。そのターニングポイントになったのが、平安末期に起こった保元・平治の乱。朝廷・貴族・武士が複雑に絡み合った乱の実像とは。それぞれの乱の中心人物、源義朝・平清盛の姿を通して、武士がどのように存在意義を示し、なぜ周囲に認められるに至ったのか、その知恵を探っていく。
出演者
【出演】佐々木則夫,福田麻貴,帝京大学准教授…佐伯智広,【司会】新井秀和

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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長く日本史の主役を担ってきた 武士。

そうそうたる面々が

歴史を彩ってきましたよね。

でも この武士…

日本では 奈良時代から平安時代の
400年以上にわたり

貴族中心の時代が続きました。

武士の登場は 平安時代の半ば。

当時は 貴族の用心棒のような存在でした。

そして 12世紀
世の中がガラリと変わります。

武士が
一気に時代の主役に躍り出たのです。

武士の時代は その後
明治維新によって江戸幕府が倒れるまで

およそ700年も続くことになりました。

なぜ 武士は
長く続いた貴族の時代を終わらせ

新たな時代を
築くことができたのでしょうか?

そのきっかけは 「乱」でした。

12世紀に起こった
保元の乱と平治の乱です。

中心人物は 源 義朝と平 清盛。

二人は どんな知恵を使って
自らの力を世に示し

武士が台頭するきっかけを
作ったのでしょうか。

武士の知恵に迫るのは…

2011年…

当時 マイナーとされていた
女子サッカーの存在を

一気に世に知らしめました。

現在も 日本女子プロサッカーリーグの
理事として

更なる発展を目指し 尽力しています。

女子サッカーを時代の主役へと押し上げた
佐々木さんは

新たな時代を切り開いた武士たちの知恵を
どう読み解くのでしょうか。

ということでね 福田さん
いらっしゃいませ。 はじめまして。

こんばんは。 はじめまして。
伺ったところによると

今回のテーマ「保元・平治の乱」
この辺りの歴史も お好きという…。

中学時代に 何か 先生がね

ここのパートだけ
やたら入念に教えてくれて

すごいドラマチックだなと思って
それが すごい記憶に残ってるんです。

まあ 忘れちゃったんですけど ほとんど。

ぜひ ちょっと
思い出して頂けると思いますんでね。

佐伯先生 久々のご来店ですけれどもね
ありがとうございます。

どうですか?
この辺りの歴史が お好きって。

この時代っていうのは
日本の歴史を動かす主役が

それまでの貴族から 新しく登場してきた
武士に ガラッと交代する

激動の時代なんです。
激動。

本当に 幕末 明治維新の頃に並ぶような

ほかに例がないような時期
なんですけれども

スリリングな状況の中で
源 義朝であったり 平 清盛であったり…

あっ あっ いらっしゃいませ。 どうも。
こんばんは。 お待ちしておりました。

こんばんは。 こんばんは。
どうぞ どうぞ。

佐々木則夫さんでいらっしゃいます。
いらっしゃいませ。

はじめまして。
よろしくお願いします。

佐々木さんっていいますとね
女子サッカーを

一躍 主役に躍り出るきっかけを作った
という方だと思うんですけれども。

あのころは 「あれ?
女子 サッカーやってんの?

代表あるの?」っていう感じも
一般の方はありましたからね。

そういう意味では 本当に ワールドカップ
優勝してからじゃないですかね。

女性のスポーツの地位向上も含めて。

あとは さまざまなね 女性の 今 活躍って
すごくうたわれてますし

全世界 そういう意識が高まってる中で
そういったところもね 視点に置いて

女子のサッカーリーグを作ろう
という方向で

開催することになりました。

すばらしい。
ねえ。 さあ 今日はですね

新しい武士の時代を切り開いた

いろんな「乱」を見ていこうかなと
思うんですけれども

こういったものをね ご用意いたしました。
あら?

どうですか? どれがいいですか?

全然見たことない食材なんですけど。

たもも…。
飛騨のももですか? たももって。

たもも…。
実はね 全部 このことなんですね。

こちらです。 「方言の卵」。

あっ 方言で卵を この地域では
こう呼んでるっていうことなんですか?

そうなんです。
はあ~。

卵が 「たもも」になるわけですね。

っていうことなんですよね。

何か気付きません? 「方言の卵」。

方言の…。

らん?

うまいこと考えましたね。
なるほどね。

1時間くらいかかったんじゃないですか
これ考えるの。

すごいうまいことを。
その割に これで大丈夫なのかって

ちょっと不安があるんですけれども。

ということで
今日はですね 「保元の乱」ということで

頼朝 義経のお父さんですね
源 義朝の知恵を中心に

まず見ていこうと思います。

京の都に
重苦しい空気が立ちこめていました。

鈍く光る刃。

重い鎧を身にまとった武士たち。

今まさに
戦が始まろうとしていたのです。

命がけの戦いを前に
源 義朝の気持ちは高ぶっていました。

自分たちの力を世に示すチャンスが
来たのです。

我々武士の力を存分に見せてくれようぞ。

ここで時代の主役に躍り出る
1つ目の知恵。

歴史に 保元の乱として
記録されることになる この戦い。

当事者は
後白河天皇と その兄 崇徳上皇でした。

なぜ 新旧の天皇
しかも兄弟が殺し合いをしているのか。

その原因を作ったのは
2人の父親 鳥羽上皇でした。

当時
天皇が皇子に位を譲って上皇となり

陰で権力を行使する院政が
行われるようになっていました。

鳥羽上皇も 皇子に位を譲り
院政を始めましたが

どうやら 自分の後継者…

というのも
崇徳天皇は自分の子ではなく

祖父 白河上皇の子ではと
疑っていたからです。

そんな折 鳥羽上皇と若い寵妃との間に
男子が誕生しました。

私たちの子どもも天皇にしてほしいわ。

そうじゃのう。

ここから 鳥羽上皇の暴走が始まります。

なんと 崇徳天皇に無理やり譲位を迫り

自分の3歳の息子を
天皇にしてしまいました。

近衛天皇です。

しかし 近衛天皇は
若くして崩御してしまいます。

順番からいうと
次は 崇徳上皇の皇子のはずですが

鳥羽上皇は
これを阻止。

崇徳上皇の子ではなく
その弟を即位させました。

後白河天皇です。

このことで権力の座から外された
崇徳上皇。

院政を行えなくなったことに
恨みを持ちます。

そんなさなか 突然の出来事が…。

鳥羽上皇 崩御。

朝廷を動かしていた権力者が
いなくなったのです。

後白河天皇の後ろ盾が消えた。

崇徳上皇は
この機に乗じて反撃に出ることを決意。

こうして 天皇と元天皇が

互いに武士を雇って
ぶつかり合うという

前代未聞の戦が
行われることになったのです。

後白河天皇の軍の要となるのが
2人の武士。

最大の武家勢力 平家を率いる 平 清盛。

そして
源氏 期待のホープ 源 義朝でした。

義朝は 若い時に
父の命令で東国に送り込まれたという

異色の経歴の持ち主。

東国は 京のような都と違って

豪族たちが力と力でぶつかり合う
荒々しい世界でした。

日本の中世史を研究する 関 幸彦さんは

当時の東国の状況を
次のように考えています。

やはり…

ですから いわば…

実力がものをいう世界で

義朝は 関東の豪族たちをまとめ上げる
リーダーにのし上がり

鎌倉に拠点を建設しました。

そして
意気揚々と京都に戻ってきたのです。

その後 生前の鳥羽上皇に気に入られ

従五位下 下野守という
殿上人まであと一歩というところまで

出世していました。

天皇の軍として戦う今回の戦は

自らの力を見せつける
願ってもないチャンス。

天下を分ける戦に
武士として加わることの喜びを

義朝は こう口にしたといいます。

両軍は 鴨川を挟んで対峙しました。

兵力の上で優位だったのは
後白河天皇軍です。

平 清盛は 300騎の兵を
源 義朝は 200騎の兵を従え

ほかにも 数百騎の武士が控えていました。

対する崇徳上皇軍にも
源氏 平家の武士がついていました。

平 忠正は 清盛の叔父。

源 為義は 義朝の父親。

為朝は 弟でした。

たとえ 家族同士であろうと

雇い主から払われる報酬のために
命をかけて戦う。

それが 当時の武士だったのです。

崇徳上皇軍は 不利な状況でしたが

援軍が来ることになっており

望みをつないでいました。

源 義朝は 後白河天皇軍の司令官 信西に
進言します。

今夜のうちに攻め込みましょう!

夜襲をかける!?

義朝の言葉は 一同を驚かせました。

当時 「戦いは正々堂々と行うもの」という
不文律があり

夜襲は 野蛮でひきょうな戦い方と

されていたからです。

しかし 東国で実戦経験を積んできた
義朝からすれば

戦で重要なのは結果だけ。

きれい事を言っても
負ければ それまでです。

また 義朝は
武士の力を世に見せつけるためには

華々しい成果が必要と
考えたのかもしれません。

人々の記憶に焼き付けるために
作戦は刺激的な方がいい。

信西は 夜襲作戦を許可しました。

とにかく勝てというわけです。

攻撃が開始されました。

崇徳上皇軍の抵抗は激しく

中でも 弓の名手として名高い
源 為朝が守る門は

近づくことすらできない状況でした。

源 義朝は この時 東国から連れてきた
猛者 50騎余りを失ったといいます。

共に戦っていた平 清盛も
門を破ることができません。

この膠着状態を打開するため

義朝は
またまた掟破りの作戦を提案します。

火を使いましょう。

上皇に対して火をかけるという
なんとも恐れ多い作戦です。

しかし 信西は これも許可。

構わぬ。 とにかく勝つのだ。

午前8時ごろ
崇徳上皇の拠点に火の手が上がると

守備兵たちは ちりぢりに逃げだし
上皇方は 総崩れになりました。

後白河天皇の勝利に終わった 保元の乱。

崇徳上皇は 讃岐に流され 上皇側についた
武士の多くが処刑されました。

この戦いで初めて行われた
直接 武力を使って政敵を倒すという

権力闘争の手段。
迅速で効果的であることは明白でした。

これからは 人の上に立つためには
武士の力が欠かせないということを

世に示したのです。

鎌倉時代の歴史書「愚管抄」を著した慈円は
次のように書いています。

歴史のターニングポイントとなった
保元の乱。

源 義朝たちは
実力を派手に見せつけることで

長く続いた貴族社会に 武士という存在を
強く刻み込んだのです。

保元の乱でしたけど
佐々木さん いかがでした?

やっぱり 結果というところが

時代からしたら
これはタブーだったところから

やっぱり 武士というのは
乱において勝つということ。

手段を問わない。
結果だけを追い求めるっていう。

これ だって サッカーで言ったら もう

ペナルティースレスレでもいいから勝つ
みたいな。

ファウルされたふうな
ふりでも何でも使うみたいな。

何でも もうズルい手 使ってでも勝つ。
なでしこは

そんなこと 指示してませんからね。
いや 分かってます。

佐々木さんが義朝みたいな性格じゃなくて
安心してるんですけれども

当時は ほんまに それでもいいから勝つ
っていう時代だったってことですもんね。

もともと武士っていうのは 都から離れた
地方でトラブルが起こった時に

そのトラブル解決のために
都から警察のような形で派遣された人が

そのまま
子孫が武士になっていくっていう。

今度は そうすると
武士になった人たち同士で

例えば 土地争いとか いろんなトラブルが
起こってくるんですよね。

じゃあ 相手よりも上に立つためには

都のお偉いさんとのコネを使って
そのコネで相手よりも上に立とう。

そうすると 都のお偉いさん…

「じゃあ お前のところから
何か利権を私に差し出すんだったら

バックアップしてやるよ」となると。

そうすると 最後行き着いた先は

都のお偉いさん同士で
トラブルが起こった時に

じゃあ もう ここは
自分に味方する武士で戦わせて

決着をつけるかというふうに
行き着いてしまった先が

まあ 言ってみたら 保元の乱と。

武力に頼ってしまうと
結局 武力の値打ちが

どんどん上がっていく
っていうことですよね。

例えば 信西なんかは 保元の乱で負けた
崇徳上皇方の武士が降参してきましたと。

許して下さいと。 信西は死刑って。

バッサリ もう 軒並み
敵の武士を首斬っちゃうんですよね。

もう そこまで行き着いてしまう。

さあ ここの知恵が

「派手な結果で実力を見せつけろ!」
ということだったんですけど

福田さんも 女性お笑い芸人の大会で
見事優勝ということで。

さすがに手段は問うてましたけど…。

(笑い声)

確かに… 私たち インパクトっていうのを
大事にしてたっていうのはあるんで

初めて決勝に進出したんですね。
テレビでネタをするってなった時に

こんなに派手な3人組がいる
っていうのを

知らしめた時に
優勝しないと

もう二度とチャンスがないんじゃないか
って思ったんです。

来年また決勝に出ても 「あっ 去年見た
あの3人組でしょ」っていうことで

この3人のインパクトっていうのは

薄れた状態で
ネタをしないといけないんで

決勝に初めて進出した年に
絶対に優勝しないとっていう

そこの何か… ここが勝負だっていう
気持ちはありましたね。

そこは最大の手段だったんですね。
そうですね。

インパクトというかね。

佐々木さんもね まさに
2011年のワールドカップの時には

優勝っていうことで…。

サッカー 女の子がやってるって
あまり 少女の時に

周りから評価されないというか

「女の子がサッカーやってんの?」
っていう感じで見られてた経緯の中で

でも あの少女たちに 私たちの姿を見て
サッカーやってる意義だとか

やはり 我々を目指す楽しさだとか

第三者の思いが強い子たち
だったんですよ。

あのころ 2011年って 東日本大震災で
大変だったじゃないですか。

やっぱり 皆さんに 何か 私たちから
元気を送れないかということと

だからこそ 私たちが頑張るんだっていう
そういう気持ちが

すごいパワーになってる現実が
あったんですよね。

女子サッカー自体を
あんまり知らない状態から

一気にスターが誕生したなという記憶が
あります。

大会行く前は 本当 名もない選手たちが

帰ってきた時は もう

シンデレラストーリーみたいな
状況でしたけれどね。

一番よかったのは やっぱり
皆さんに何か喜んで頂いたっていうこと。

それが一番だったと思いますよね。

それぞれね
「今だ!」っていう そのタイミングで

結果を残したわけですけども
まさに ここも その義朝も

武士の力を まずは人々に認めさせた
というわけなんですけれども

その僅か3年後には 次の
平治の乱が起こるということなんですね。

今度はですね
平 清盛を中心に見ていこうと思います。

保元の乱から3年。

熊野地方を旅する一行の姿がありました。

平 清盛です。

保元の乱の勝利により
清盛は

播磨守という 武士として
破格の役職を与えられました。

皇族や貴族に人気の熊野詣に行けるまでに
出世したのです。

京の都では
ほかにも さまざまな動きがありました。

戦いに勝利した後白河天皇は
二条天皇に皇位を譲り

上皇として院政を始めました。

しかし 上皇と天皇の間に
微妙な対立が。

ん? 何だか 先ほどと同じ感じですね。

そして 保元の乱で
劇的に人生が変わったのが

あの信西です。

勝利の立て役者として

後白河上皇から 全幅の信頼を
寄せられるようになった信西は

息子たちを
次々と要職につけるなど

権力をかさに やりたい放題。

そんな信西
恨まれても おかしくありませんよね。

さて 熊野の旅を満喫していた平 清盛に
都を出て6日目 火急の知らせが。

清盛の顔から 血の気が引きます。

なんと…

後白河上皇の御所が襲撃され

上皇は 天皇と共に
内裏に幽閉されたというのです。

国を揺るがす危機。

自分は…

…というわけで
時代の主役に躍り出る2つ目の知恵。

クーデターの標的は あの信西でした。

そして 首謀者は…

藤原信頼という男。

後白河上皇の配下で
信西に次ぐナンバー2の存在でした。

自分の上にいる信西を邪魔者と考え
排除しようと考えたのです。

そのために信頼は 源 義朝を誘いました。

義朝は 保元の乱における自分の働きが
正当に評価されていないと

信西を恨んでいたからです。

更に 二条天皇の側近たちも加わりました。

後白河上皇の重臣 信西がいなくなれば
好都合だからです。

しかし 信西を襲うのに
最大の障壁だったのが

平 清盛でした。

京都の中でも最大の武家勢力
平家を率い

天皇や上皇を守る役目を
担っていたからです。

その清盛が都を留守にする。

これを千載一遇のチャンスと捉えた
信頼たちが

クーデターに踏み切ったのでした。

信西は 敵の襲撃から逃げきれず
自害しました。

さて 清盛は どう動くべきか。

敵は 天皇 上皇の身柄を確保して
勅命を出して天下に号令できる立場に。

慎重に行動しなければ
簡単にやられてしまいます。

清盛が最も恐れたのが
逆賊のそしりを受けること。

それだけは避けなければ…。

更に 清盛たちは
旅の道中とあって 軽装です。

武器や兵は
六波羅の自宅に残してきました。

今 クーデター派と
正面から武力衝突するのは

かなり不利です。

ところが
クーデターを起こした藤原信頼は

清盛を仲間に引き入れたいと考え
戦うつもりはなかったのです。

熊野の周辺は
平家の勢力が強い地域でした。

清盛は とりあえず 兵と武器を集めて
京の町に戻りました。

クーデター側と手を結ぶ
という選択もある。

しかし 我々武士は
何のために存在しているのか。

自分たちの利益のことだけを
考えていいのだろうか。

いや 違う。

ならば そう行動するまで。

清盛は そう考えたのかもしれません。

清盛は 信頼に対して
神妙に家来になると申し出ます。

でも これは 清盛の策略でした。

油断させて時間を稼ぎながら

こっそり 二条天皇側近の2人と
連絡を取っていたのです。

2人が信西の襲撃に協力したのは

後白河上皇の力をそいで
主の二条天皇を有利にするため。

天皇を幽閉するような
悪事に加担するつもりはなく

清盛側に寝返りました。

清盛は ついに動きます。

二条天皇に女性の格好をさせて
衛兵たちを欺き

内裏から脱出させることに成功。

六波羅の自宅にかくまいます。

後白河上皇も内裏を脱出し
六波羅に入りました。

続いて 有力な貴族たちが
続々と六波羅に集まってきます。

とらわれていた 天皇 上皇を
無事救出した清盛。

あとは 国家転覆を謀った悪人どもに
裁きを下すだけ。

翌26日。

清盛は 天皇の名のもとに
藤原信頼 源 義朝の追討命令を出し

3, 000騎の兵で
2人が立てこもる内裏へ攻め込みます。

対する義朝軍は 僅か200騎。

今や 逆賊となった彼らは

奮戦するも 圧倒的な兵力差を前に
なす術なく敗れ去りました。

こうして 天皇 上皇を人質にとっての
クーデターは

清盛によって鎮圧されたのです。

天皇を無事救出し 反逆者を退治。

国家を救った英雄として

清盛の名声と人気は
揺るぎないものになりました。

この事件で力を失ってしまったのが
後白河上皇でした。

信西と藤原信頼
2人のブレーンを一度に失い

政治的な影響力が低下したのです。

二条天皇の側近たちは
上皇をたたくチャンスとばかりに

露骨ないじめなど
横暴な行動をとるようになります。

業を煮やした後白河上皇は
清盛を頼りました。

清盛は直ちに兵を動かし 側近たちを逮捕。

流刑にしてしまったのです。

改めて
平治の乱の影響をまとめてみれば

藤原氏では
天皇 上皇に仕えていた有力者たちが失脚。

平家のライバルだった源氏は
ほぼ壊滅状態。

清盛率いる…

もはや 清盛に対抗できる勢力は
なくなりました。

二条天皇からも 後白河上皇からも
頼られる存在になった清盛。

後に朝廷の最高の地位である
太政大臣にまで上り詰め

武家政権の礎を築くのです。

武士の存在意義は 天皇を守り
国を支えることだという信念を

ブレることなく貫き通した 平 清盛。

平家一門の栄華は
来る武士の時代の先触れだったのです。

いや~ すごいですね。 清盛の内なる
ゴールは どこだったのかなと思って。

朝廷を守ることだったのか

それとも 朝廷を守ったぞという活躍で
朝廷を上回ることだったのか。

最終的に やっぱり清盛は

天皇を擁立する形で 自分の権力を
作っていこうとするんですよね。

そこは やっぱり
鎌倉幕府とは全然違う生き方ですよね。

義朝がすごい夜襲とか火攻めで台頭した時
ちょっと不安だったんですけど

結局 正義は勝つということで
何か安心しました。

やっぱ 王道路線が最後は勝つ。
よかったです。

武士としての志というところが
しっかりブレずにいるところの中で

やはり こういうふうに大成していった
というところは

やっぱり曲げないで 自分のコンセプトを
しっかりやっていくっていうことは

周りの人たちからも 裏切りが
あまりなかったりしますでしょうし。

そして このあと しばらくすると
「平家にあらずんば人にあらず」と

全盛期を表す言葉が 平 時忠が
言うことになるわけですけれども

これは やっぱり 先生 武士の力が

急激に認められてきた
っていうことなんですか?

そうですね。 平 清盛がいないと
政治的にもそうだし

例えば 経済の面でも 治安維持の面でも

世の中が成り立たないというふうな
状況になる。

なので 後白河上皇も
自分の息子の天皇のお妃に

平 清盛の娘を迎える。

最終的には その清盛の娘が産んだ
皇子が天皇になる。

そうですよね。 後白河さんもね…。
後白河さんって言っちゃいけないけどね。

あれほど 危険な状況から
脱出させてあげてね

本当に生命を守ってくれたっていうのが
一番感じてるのが

平 清盛だと思いますから。
それはもう 清盛は

国を平和にしたいとか
そういう思いだけで

そこまで
上り詰めていってしまうんですか?

その時に 当時として
一番みんなが納得する形っていうのは

天皇を擁立して それを支える

自分が天皇を支える存在なんだっていう

自分の存在意義の位置づけをする
っていうのが

清盛にとっては欠かせなかった。

それが 世の中のあるべき姿と
一致する部分があるから

成り立つんですよね。

まさに ここの知恵
「自らの存在意義を明確に示せ」

ということだったわけですよね。

誰のために戦うのか。
何のために戦うのか。

それが 強くなるためには必要だっていう
ところもあると思うんですけれども

2011年のワールドカップの時には

そういう意識っていうのは
ありましたか?

2011年の大変な日本の状況の中で

日本というバックボーンを背負って戦うに
すごくモチベーションというか

そういうものは 明らかに
選手にしても 我々スタッフにしても

一致団結して 本当に 一戦一戦
勝ち上がっていくことによって

皆さんが元気になる。 そういった
我々にとってのモチベーションが

一致団結した要素だと思いますね。

だんだん そういう声が聞こえるように
なってくるって感じですか?

そうですね。 現地にいて
予選リーグを しっかり突破して

ドイツ戦の時には…
勝った時は すごい反響があったのを

我々も向こうでも感じましたし

やはり 本当に元気を送ることも
そういうところの中でできましたので

それが一戦一戦 我々にはパワーになった
っていうことがありましたね。

福田さんもね
今活躍してる お笑いの皆さんのことを

第7世代なんて
呼ぶこともありますけれども

時代の主役を ひた走ってる感じが
するんですけれども…。

ちょっと スケールが違いすぎて
恥ずかしいですけれども。

どうでしょう? 今の時代に
活躍をされるっていうことで

何か意識してることとかって
あるんですか?

「芸人とはこうあるべき」っていうのを
逆に ちょっと捨ててというか

そこの概念を壊しながら 芸人だったら
こんなことしないだろうとか

芸人のくせに何やってるんだって
言われるようなことも

どんどんやっていくっていうのは
ちょっと 自分の中で…。

ポリシーって言ったら あれですけど
笑いの存在しない仕事も

全然 それを
真面目にやっちゃうっていうところで

いじってもらってもいいと思ってますし

何か 全然お笑いに固執しないスタイルで
いこうっていうのは

トリオの中では
いつも言い合ってるというか。

でも 世の中 今 多様性っていうところが
すごく問われてて

そういう意味で お笑い芸人の方も

意外に お笑いのコントをやってるとか
そういうのは

10回見たら 1回か2回で あとの8回は

本当 多様性を伴って
お仕事なさってるじゃないですか。

そうですね。
同世代の第7世代でいったら

EXITとかも 笑いがなくても
自分のやりたいことをやるとか。

それが自分の主張というか
存在意義を示すっていうところに

つながってるし
そこに 今日は笑いのない仕事だから

恥ずかしいとか そういう感情が一切ない
っていうところ

すごい見習うべきだなと思ってます。

多分 これからは…

自分がしたいことを受け入れてくれる
人だけに発信していけばいいかな

っていう時代なのかもしれないですね。

いや~ でもね 武士が主役の座を
つかんだとも言える この保元・平治の乱。

この時代っていうのは
どうなんでしょう?

女子サッカーでいうと
当時の2011年の状況に似てるのかなと

思うんですけれども
それから10年がたちました。

主役に躍り出たものを
ずっと継続していくためにも

また新たな仕掛けが必要なのかな
っていう気もするんですけれども…。

そうですね。 今 女子サッカーはですね

アンダー17の世界大会
アンダー20の世界大会

そして トップ 全て ワールドカップの…
優勝してるんですよ。

これ まだ世界に1か国もないんですね。

それだけ 日本の女性っていうのは

サッカーという競技には
すごく適してる人材なので

プロリーグを形成して
将来につなげていきたいというのが

遅ればせながら
準備が整ってスタートすると。

大変なコロナ禍なんですけど
だからこそ 苦しい時こそ

皆さんに元気を送るということ。
新たな改革ということですかね。

さて 今日は 保元の乱 そして 平治の乱
見てまいりましたけれども

福田さんは いかがですか?
この武士たちの活躍。

源 義朝のやり方と 平 清盛のやり方
それから 朝廷の考え方っていうか 性格。

誰が どの結果を出してきたのか
っていうのを見ると…

義朝みたいに 1回すごい結果出したけど
結局は殺されちゃう。 裏切られちゃう。

清盛みたいな自分でありたいなというのは
思いましたね。

やっぱり 後の時代から見た
私たちの目から見ても

当時の人たちがリアルタイムに見ても

ここから先は新しい時代なんだっていう
転換点だっていうことですよね。

ただ そこで終わってしまわずに

やっぱ 武士たちというのが

自分たちの時代を
切り開いていき続けたからこそ

次があるわけで その起点としての
保元の乱 平治の乱ですよね。

そこに見えてるものが

そのあとの時代にも
続いていくんだっていう

そういうことになるんだと思います。

そうだ。 こんなところに卵がある。
あれ? 卵が…。

私も ちょっと この店の存在意義を考えて
派手な結果を残せるように

ちょっと この卵を使った新メニューでも
考えちゃいますかね。

また そのころ
ご来店頂いてもいいですかね。 はい。

頑張ります。 はい。
ランランって…。