インタビュー ここから「お笑い芸人 古坂大魔王」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

インタビュー ここから「お笑い芸人 古坂大魔王」[字]

ゲストは古坂大魔王さん。高校時代の古坂さんが取り組んだこととは。そしてピコ太郎のプロデュースにどうたどり着いたのか。ふるさと青森と東京をつないでインタビュー。

詳細情報
番組内容
2016年に「PPAP」で世界的な大ブームとなったピコ太郎の生みの親、お笑い芸人・古坂大魔王さん。「何やるにも1番になれ」という母の教えを胸に、故郷・青森からお笑いの世界で1番になることを目指した。高校卒業後上京しデビューを果たすが、プロのお笑いの厳しさに圧倒されたという。売れない時代の苦悩。そこで古坂さんが貫いたこととは。そしていま、ピコ太郎のブームをどう見ているのか。インタビューで迫る。
出演者
【ゲスト】お笑い芸人…古坂大魔王,【きき手】高市佳明

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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  19. 元気
  20. 今回

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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♬~

5年前 私たちの前に 突如現れた
謎の人物…

♬「I have a pen」

♬「I have an apple」

♬「I have a pen」

♬「I have a pineapple」

この奇抜な動画「PPAP」は

世界中で 6億回再生されました。

その人気は インターネットを飛び出して
さまざまな国で旋風を巻き起こしました。

「インタビュー ここから」
今回は このピコ太郎ではなく

彼をプロデュースしたお笑い芸人…

子供たち まだ見てないんだよな
うちのおじいちゃん おばあちゃん。

孫 見したかったな~。

行きたかったな~。

古坂さん 今日はよろしくお願いします。
アナウンサーの高市と申します。

高市さん よろしくお願いします。
お願いします。

リモートでのインタビューということで

本来ならば 古坂さんと一緒に
お邪魔したかった

古坂さんにゆかりのある場所に
私 来てみました。

はい やって来たのは…。
こちらでした。 あっ Quarter!

そうです
青森市内のライブハウス!

あの そこで 僕の高校生活最後の
お笑いライブを。

お笑いライブ。
やりましたね。

そこから プロになってからも
何回もライブやらしてもらって そこでは。

そんな思い出の場所から 今日は
いろいろと 聞かせていただきますので

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

今回ですね 古坂さんにお会いする前に

やっぱり ピコ太郎さんの
生みの親だから

改めて見とこうと思って
動画拝見したんですけども…。

ああ ありがとうございます。

どうしても ちょっと気になったことが
ありまして

そこから まず聞かせてください。
何ですか?

あれって あの 漫才でもないし
コントでもないし

お笑いのジャンルでいうと 結局 これって
何なんだろうってことを

私 思ったんですけど
あれは 何なんでしょう?

高市さん もう 大本 間違えてますね。

ピコ太郎は 歌手です。

歌手!
歌手なんですよ。

シンガーソングライターですから…。

だから カテゴライズは
長渕 剛と一緒ですね。

その… 長渕さん さだまさしさん

ピコ太郎さんっていう感じになるとは
思いますね。

で まさに このQuarterでも
前説をやってもらったんです。

古坂大魔王単独ライブの。

このライブハウスで。
はい。

なのに 僕の単独ライブが 1時間弱で
ピコ太郎が 1時間10分やってました。

え~! 前説の方が長い。

だから 僕が後説って感じになってる
感じだと思うんですけど

まあ それぐらい だから 本当に
ピコ太郎っていうのは

僕の中でも 大きな大きな
やっぱ 存在ですよね。

世界で一番短いポップスとして

ギネス世界記録にも
認められたものですもんね。

なぜ そこまで 世界中で ウケたんだと

プロデューサーご自身では
お思いになりますか?

実は いろんな取材で受けて
いっぱい答えてて

いまだに悩んでるんですけど
すごく正直に言っていいですか?

どうぞ。
ええ… 分かんないです。

分かんないんだ。
分かんないです。

何か面白かったんですよね。
何かですね。

「PPAP」で世界中を笑わせた古坂さん。

原点となる欲求は
幼少期からあったといいます。

ウケたいですね もう ず~っと ウケたい。

ウケたい。
ウケたかったんです。

もう ウケればいい。
子供の頃から そう思うもんですか?

う~ん… だから
これはね 幼稚園の時に

「桃太郎」の舞台が 学芸会がありまして。

その時に猿の役をやったんですね。

で タイツに尻尾がついてるんですね。

その尻尾をですね
ず~っとグルングルン回しながら

猿の芝居したんですよ。

…したら ウケたんでしょうね きっと。

その感覚が もう気持ちよくて。

男の子3兄弟なんですよね。
はい そうです。

だから きっと どっかで これも
スペシウム光線を出して

壊そうとしてますよね 何かね。
「ウルトラマン」のスペシウム光線…。

僕は 普通だなと思いながらも
いましたけど

うちのお母さんいわく

学校に何度も呼ばれたよ
っていう人だったみたいですよね。

どっかで だから うちがですね
うちのお母さんが すごく真面目で

真面目というか 厳しかったんです。

もう スパルタを通り越えた
とんでもない 勉強 勉強 勉強。

そうなんですよ。
うちの兄貴は もう銀行員でして

うちの弟も大学の教授やってるんですね。

で 何か その中で その空気を
どっかで壊すのが面白かったんですよね。

幼少期に ず~っと 何か こう 厳しかった
って おっしゃってましたけども

ずっと言われてたことって
何かありますか?

これは もう あの 僕 いまだに ある意味
自分の一番大事な言葉といいますか…

1番になれ。
何やってもいいから 1番になれ。

1番になんないと 弱い人救えないよと。

だから 2番 3番でもいいんだけど
何やってもいいんだっていう。

でも まず 一番ちゃんと
力を持って 強くなって

で みんなを救えっていうことを
よく言ってましたね。

1番になれ この言葉は
古坂少年が大好きだった

テレビの世界とつながります。

テレビで当時が たけしさんとか…。
北野 武さん。

そこから小学校に入ってきて
高学年になると

とんねるずさんが出てくるので。
世代ですもんね。

とんねるずさん… 僕 お笑い芸人になろう
っていうのも

とんねるずさんになりたかったんですよ。

たけしさんや とんねるずさんにあった
引き付けられたものって

何だったんですかね? 場の空気を
全部ぶち壊して 自分のものにする。

場の空気をぶち壊して 自分のものにする。

ええ だから 簡単に言うと 最強なんです。

その… だから 特に たけしさんに
一番最初ハマったのは

アントニオ猪木 大橋巨泉 ビートたけし
っていう

3人がしゃべってる番組が
あったんですね。

で 僕は アントニオ猪木
すごい好きだったんで

猪木最強。 で テレビの中では 大橋巨泉が
もう最強なんです。 一番偉い人。

ところが 当時 若手だった たけしさんが
その場を全部ガ~ッと持ってって

一番面白かったんですよ。

みんな もう ず~っと
たけしさんのギャグで笑ってるって状態。

それを見た時に あっ お笑いっていうか…

お笑いの世界で一番になるという夢。

高校生になる頃には
迷いはありませんでした。

高校に入ったら 結構 将来…
あと3年後 東京に行くんで

そこに向けて 東京でやるコントを
青森で試し打ちをしとくっていうことで

同級生とコンビを組んで
何か ショートコントを作ってましたね。

当時 お作りになった コント作品が

全国の大会で
入賞されたということ聞いてますが…。

コント作品…。

古坂さん 実は 今回ですね その作品
私たち…。 「実は 今回ですね」?

見つけました。
俺 持ってないっすよ!?

どこにあるんですか? それ。
じゃあ ご覧いただきましょう。

要らな~い! え~!

嫌だな…
うわ 出た!

だっせえ
「参上!」だって。

ちょっと話を聞いてほしいんだ。

僕は 君のことが好きだったんだ。

ちゃんとアテレコしてますね。

僕とつきあってほしい。

いや 何だよ これ 超恥ずかしいな。

♬~

ハハハハハハ!

平和公園かな これ。

ということで ございました。
どういうことですか。

三十数年ぶりに ご覧になって…。

え~… オンエア分かんないですけど
ほとんどカットでしょ これ。

どうですかね。
でも 今 見ると ちゃんと編集してますね。

あっ 作りちゃんとしてるんですよ
さすがです。 俺 やるじゃん。

アハハハ そうですよね。

このころ目指してたお笑いって
どういうものだったと記憶されてます?

何なんでしょうね… だから…。

これって やっぱ つまりテレビでやる

お笑いさんがやる
テレビ用のコントあるじゃないですか。

スタジオコント。
あれをしたかったんでしょうね。

で 何かね 映像は
自分で編集してるんですよ その当時。

本当に あの オープンリールみたいな
こんなやつで編集してたんで

何か その編集機も
すげえ自分で勉強して覚えて…。

当時を振り返って 古坂さんご本人は
そういうふうに おっしゃってますが

先生 どうでしょうか?
先生!? ああ! あら!

先生!
はい。

年食ったね! 元気ですか?
(笑い声)

高校3年生の時のね
担任でいらっしゃった

瀧谷和彦先生に
今日 お越しいただいちゃいました。

いや しばらくだね。

久しぶり。
元気?

元気… 瀧谷先生こそ 三十何年ぶりですね
30年ぶりだ。

古坂はね 本当に 面白くてね
やっぱり まとめ役で

一生懸命 こう クラスの議長とか
やってくれて

で 古坂のいた学年だけはね
私 本当に安心して見てました。

何ですか?

あ~ そっか。

そっか… 確か 先生に あれだよね

お笑いやるって言って…。
そうそうそう。

先生 その時 進学を
じゃあ お勧めになったというか…。

そうですね。

だって…

そんな不安な…

先生としては そう思いますよね。

すごい三者面談ですけど
ご本人の当時の意志は

かたかったという感じですか?
かたかったみたいだね。

覚えてます?
覚えてます。

まだね 前の東高校 古い校舎のね
三者面談の部屋が寒いんですよ。

で 何か すごいね
それを すげえ覚えてて

うちのお母さんが 横で怒ってるから
もう お母さんの顔 見ないようにして

瀧谷先生 優しいんで
あんま怒んないんで

瀧谷先生に向かって しゃべって
お母さんの方は 見ないでっていう

あの何か 変な口の中の変な苦い味は
覚えてますね 何となく。

でも もうね もう決めたんですよ
僕ね 決めちゃったんです。

何がなんであれ
最悪 家 出ようと思いましたから。

縁切ってもいい
もう 何か 絶対 東京に行って

やっぱり 標準語で ちゃんと笑いを取ろう
っていうふうに思ってたんで

実は 友達とか家族以外の
一人で どっか行ってる場合には

ずっと標準語しゃべってました。

家で その日 聞いた
ラジオ テープにとって

そのラジオを
自分で標準語で練習するっていう…。

だから 東京に来て 18歳の段階で
もう なまりを消す。

伊奈かっぺいさんとか
あと 吉 幾三さんが いわゆる

青森県人らしさ 津軽弁を使って
全国放送で活躍されてましたけども

もう それとは 自分は 違う道を
あえて行くんだっていう

そういう決意みたいなものが
おありだったんですね。

それか やっぱ 兄弟3人じゃないですか。

お兄ちゃんがやったものは 嫌なんですよ。

だから 言ってみれば
吉 幾三さん 伊奈かっぺいさんが

やって来た道が もうあって
これは もう確立してるんで

そこに行くってなると まあ 言ってみれば
二番煎じじゃないですか。

何か そうじゃなく
僕は 違うふうに行きたいなと。

道なき道を行って
ナンバーワンになるっていう

そういうこだわりなんでしょうかね。
そうですね…

まあ なかなか ナンバーワンには
なれなかったですけど

でも まあ…

実際 芸人として デビューして
テレビなんかで お姿見たら もう…。

いや ホッとしましたよ。
(笑い声)

よかったなと思ってね。

はい どうも よろしくお願いします!

高校卒業後 いよいよ 飛び込んだ
お笑いの世界。

♬「あなたのキスを」
(鐘1つ)

え~ 数えられませんでした。
ありがとうございます。

ここからが プロとして
本当の闘いでした。

もう とんでもない世界
バケモンしかいないと思いましたね。

キャリアが違う人たちと
こう 組んだ瞬間に

何て言うんですかね
力を入れるところがないというか…。

ただ ボ~ッと
立ってるだけになるんですよ。

そこで 僕たちは だから 勝てないから
テンションとか 元気だけで

勝負し始めるんですよね
18歳 19歳の時には。

若手の皆さんって
とにかくテンション高いですもんね。

あれは 理由があって
あれぐらいしか勝負できないんですよ。

ああ そういうことなんですか。
そうなんです。

これは 本当に もう お笑いって
すごい層が厚いと思いましたよね。

その中で 古坂さんご自身が見つけた
一番の武器って 何かありました?

武器は やっぱり 2つあるんですけど

1つは くりぃむしちゅーが
一番仲よくさしてもらって

楽屋でも 一番しゃべってる時間は
長かったんですけど

あいつが探してくれた…

ちっちゃな違和感のボケ?

音楽。 あ~。

やっぱり 音楽を 作れるっていう。

お笑い芸人って
売れたら 曲出せるんですよ。

誰かが作ってくれて。

でも 何か お笑いの人がやる音楽って
何か お笑いっぽくて

僕 もうちょっと ぶっ飛んだ…
とんがった曲が 好きでして

とんがった音で
お笑いをしたかったんですね。

当時 無敵だった 爆笑問題に唯一勝った。

ライブコンテストで 唯一勝ったのが
当て振りってコントなんですよ。

で その 音楽を使った
ヘンテコなコントっていうのは

自分の強みかなとは思ってますね。

小さなライブハウスでやった時の…
僕は あえて音を爆音で出すんですけど

その爆音で ドンって…
爆音なのに 笑い声が聞こえたんですよ。

すごく思いましたね。

古坂さんの主戦場が テレビじゃない
ところになっていったってことですね。

で 僕が出したいものなんて
興味ないんですよ。

売れれば興味ありますけど

売れてない人の自分のプライドなんて
何の足しにもならない。

でも それを 一部の人が
すごく熱狂的に応援してくれてたので

しかたなくライブでやるしか
なかったんですね ある意味では。

その 同時期に活躍してた
ほかのお笑い芸人さんたちから

どういうふうに言われてました?

音楽やり始めて ちょっと 音楽も
プロでやんなきゃいけないと思ったんで

本当に半々にすると お笑いの方の仕事も
やっぱ 減ってくるし

そうすると 特にくりぃむの2人とかは
「音楽やめちまえ」っつって

「お前 お笑いだけ
やった方がいいよ」って

「お前の そのしゃべりを生かせよ」って
ずっと言ってて

爆笑さんも 「お前 音楽やめろって」って
ずっと言われて

「PPAP」で バ~ンっていった瞬間に

2組とも
「ごめんね」って言われましたけどね。

スタイルを じゃあ 変えずに…
ちょっと意地になったというか

本当に 俺は これなんだっていう思いが
強かったわけですね。

そうやって言うと すごく 確かに
かっこいいなと思いながら…。

反面 さっきの高校時代のビデオ見ても
分かるとおり

もう これしかできないんですよ 僕。

いわゆる…

邪道しか思いつかないんですよ。

逆に言うと
王道が思いつかないんですよ。

これは 選んで
チョイスしてるんではなく

僕ができないだけなんです。

やろうと思ったら できる。
やればできるんだもん じゃないんですよ。

できないから これをやったっていう…。

テレビに出れないから
インターネットやった。

音楽 著作権…
お金払えないから 自分で作った。

あくまでも しかたがないから
やったんです。

ピコ太郎のプロデュースが
大成功した陰には

音楽へのこだわりを捨てずに

自分のやり方で 道を開いていく
努力がありました。

「PPAP」の大ブレークから5年。

コロナ禍の世界に
明るい話題を届ける存在として

活躍が続いています。

振り返れば その…
津軽弁を使わないんだとか

青森から 最初のお笑いの一番になるんだ
っていう目標から

はるかに遠いところに
今 来ちゃってませんか?

ロケット乗るのは ずるい?

見つかりそうでしょうかね?

古坂大魔王は。

ライバルは あいつですね。

そうなんですね。

来年 デビュー30周年ということで

節目で特にやりたいことっていうのも
おありかと思うんですけど…。

本当 たまたま ピコ太郎が10周年
来年迎えると。

で 僕が 30周年ということで…。

地元の皆さんも 待ってるかと思いますよ。

僕 実は 全国のライブハウスを
インターネットでつなげたいんですよ。

ライブハウスが… きっと Quarterは200…
スタンディングで300人かな。

で 椅子入れて 100人かな。

椅子入れて100人だから 半分で50人でしょ
きっと 今だったらね。

50人クラスのライブハウスが10個あれば
500人なんですよ。

それをつないだフェス
やりたいんですよね。

ご自身が笑いを磨いた
ライブハウスを

ご自身のブレークのきっかけになった
ネットを使って つなげるっていう…。

つなげたいんですよ。 全部を双方向で
歓声が聞こえるようにして

各ライブハウスに
タイムテーブルつないで

順番にね 次 青森 次は北海道 次は名古屋
次は福島 次は九州みたいな感じで

各地域にMCとバンドがいるっていう
それをみんなが 爆音で

ライブハウスで見るっていうイベントを
したいんですよね。
そうなんですね。

僕ね ビジネスにしたくないんですよ
あんまり。

今 お笑いや 音楽や いろんなものを
ビジネスに落とし込んで

うまくやってる人たちも たくさんいます。

それは 僕ね すばらしいな 頭いいなと
思うんですけど

何か それは それで 構築してもらって

僕は あくまでも ウケて
ギャラもらうっていう

そういう感じでね
やっていきたいんですよね。

何か 僕の この人生は
それがいいなと思うんですよね。