英雄たちの選択「家康が夢見た“開国”」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

英雄たちの選択「家康が夢見た“開国”」[字]

国際情勢を的確に把握し、世界との貿易を推し進めた“開国派”、徳川家康。その家康がなぜ禁教令を発したのか?そしてなぜその後日本は“鎖国”に?家康の選択に迫る。

詳細情報
番組内容
徳川家康といえば、江戸時代の“鎖国”の礎を築いた人物というイメージ。だが、当時日本を訪れた外国人が見た家康は、国際情勢を的確に把握し世界との貿易を推し進めた“開国派”だった。この家康の全方位外交は、やがて政権中枢に思わぬ事態を招き寄せてしまう。配下に多くのキリシタンが潜伏していることが発覚したのだ。そして発した禁教令。家康の真意とは?なぜ日本は“鎖国”へと向かったのか?家康晩年の選択に迫る。
出演者
【キャスター】磯田道史,杉浦友紀,【ゲスト】クレインス・フレデリック,真山仁,飯田泰之

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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ここに ある戦国の英雄に
ゆかりのものが展示されている。

日本初の洋式帆船…

その復元模型だ。

およそ400年前 この船を造り

太平洋を行き来する
貿易を夢みた男とは…

ヨーロッパの国々がアジアに押し寄せた
大航海時代

家康は 世界を股にかけた
国際外交を推し進めた。

それは 開いたばかりの江戸幕府を
盤石なものにするための

一大事業でもあった。

当時国内には 外国人商人と共に

キリスト教の宣教師たちも数多くいた。

家康は
彼らが各地で布教することを許し

キリスト教が広がることも黙認していた。

更にイギリス人の ウィリアム・アダムスを
外交顧問に抜てき。

そのネットワークを通じて
最新の世界情勢まで手に入れていた。

ところが…。

教会を潰すんじゃ!

家康は 突如として禁教令を発し
キリスト教の教会を破壊。

日本で布教を進めていた宣教師たちを
国外追放にした。

世界に開かれた国を
目指していたはずだった家康。

一体 何が起きたのか?

スタジオでは
さまざまな分野の専門家が

家康の外交政策を徹底解剖。

家康は ヨーロッパの争いの中から

自分の利益を引き出すには
一番いい態度は何か。

…っていうふうに
持っていくってなると

向こうに競争してもらう方が
いいわけですよね。

200年以上もの間 いわゆる鎖国の状態に
あったとされる江戸時代。

当初 家康は 一体どのような
国の形を思い描いていたのか。

知られざる家康外交の真相に迫る。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回は江戸幕府を開いた
徳川家康が主人公です。

今日は その外交政策に
スポットを当てていきます。

磯田さん
この徳川幕府の代表的な政策として

いわゆる鎖国が思い浮かびますが
幕府を開いた家康は

むしろ積極的に
自由貿易をしようとしていた。

これちょっと
私は意外だなと思ったんですけれど。

そうでしょう? 江戸時代 ね。
鎖国といわれますけど

実際 研究者は海禁
海を禁じるといいますね。

ただ 後の時代になると 鎖国が
祖法であるといわれるようになります。

ところが 開祖家康はですね
開国主義者 国を開く。

それどころじゃなくてですね。

この大航海時代 戦国時代の終わりごろ
家康は もう本当に 積極的でして。

海のグローバル化が
進んでいく中でですね

ヨーロッパが来た時に
重要なポイントですけど

火縄銃とキリスト教という
日本を大きく変化させるものを

この国の形を大きく変えるものを
持ってきたわけです。

その時代…

それでは まずその 当時の世界情勢と
家康の外交をご覧ください。

16世紀 世界は
大きな うねりの中にあった。

大航海時代の到来である。

ヨーロッパ人たちは
ばく大な富と市場を求めて

海外に進出した。

それはまず
スペインとポルトガルという

2大強国の
世界侵略から始まった。

両国は競うように
勢力範囲を広げていき

ヨーロッパから遠く離れた
アジアでぶつかり合う。

そこで 1529年 争いを避けるために
ある取り決めをした。

アジアに線を引き
世界を二分したのである。

線から東はスペイン
西はポルトガルの勢力範囲となった。

戦国から江戸時代にかけての
日本の外交政策を研究する

平川 新さん。

かつて マルコ・ポーロが

財宝にあふれた 黄金の国
ジパングとして紹介した日本。

ヨーロッパ人たちが当時
特に目をつけたのは

銀だった。

中国地方の石見銀山など

世界有数の銀鉱山があったからだ。

銀は当時 世界貿易における
国際通貨のような役割を果たしていた。

しかも 日本の銀は良質で
産出量は一時

世界の3分の1にも達したと
いわれている。

世界史の激動が
まさに 日本を飲み込もうとしていた。

そのころ日本では
戦国大名たちが覇を競い

各地で
しれつな戦いを繰り広げていた。

そこに登場したのが
ヨーロッパからもたらされた

鉄砲だった。

鉄砲は 日本の戦に
革命をもたらしていく。

戦国大名たちは先を争って
鉄砲を手に入れた。

その鉄砲を持ち込んだのが
ポルトガル人だった。

そしてもう一つ 日本に大きな影響を
与えたものがもたらされた。

キリスト教だ。

バテレンと呼ばれた
宣教師たちによる布教が

各地で進められていった。

その中心となったのが
イエズス会である。

キリスト教カトリック教会の
男子修道会。

教皇の精鋭部隊とも呼ばれた一団で

彼らの使命は 全世界に
キリスト教を広めること。

そのための手段は選ばなかった。

イエズス会の宣教師は
スペイン ポルトガルの

いわば先兵として
世界各地に送り込まれた。

そして 先住民にキリスト教を布教し
時に侵略の手助けをしていった。

しかし 16世紀後半

この両国の覇権を脅かす
新しい国々が現れる。

オランダとイギリスだ。

新旧2つの勢力は
宗教的にも対立していた。

スペイン ポルトガルは
カトリック。

対するオランダ イギリスは
プロテスタント。

当時 ヨーロッパのキリスト教国は

カトリックとプロテスタントに分かれ

戦争が繰り返されていた。

1568年 長くスペインの支配を
受けていた

オランダが 独立戦争を開始。

更に1588年 無敵といわれた
スペイン艦隊を

イギリスが撃破した。

世界は新たな時代を
迎えようとしていた。

そのころ 日本でも 長かった戦国時代が
終わろうとしていた。

天下人として君臨した 豊臣秀吉の死。

そして その後を継ぎ
天下の実権を握ったのが…

家康は 激動する世界を相手に

独自の外交政策を打ち出していく。

東アジアでは 文禄・慶長の役の
後始末が大きな課題だった。

文禄元年から
慶長3年にかけて

豊臣秀吉は
中国 明の征服を目指し

朝鮮への侵略戦争を行った。

その結果 明国や朝鮮との国交が
断絶してしまっていた。

家康は 両国との貿易を復活させるため
関係修復に努めた。

その一方

スペインやポルトガルとの
南蛮貿易にも

積極的に関わろうとした。

当時
松浦 大村 鍋島 有馬 島津など

主に
西国大名が 南蛮貿易を独占していた。

そこで家康は 独自の貿易を求め

慶長3年 フィリピン・マニラに
使者を送っている。

当時
スペイン領だった フィリピン・マニラと

江戸湾の入り口 浦賀

更に スペイン領メキシコを結ぶ

壮大な貿易ルートを開拓するためだった。

家康が宣教師を通じて

フィリピンの
スペイン総督に送った親書には

こう記されている。

関ヶ原の戦いに勝利し
敵対する勢力の一掃に成功した家康。

その10日後 家康は敗れた毛利氏から

日本最大の銀山 石見銀山を取り上げた。

その豊富な銀を背景に
更に積極的な外交を推し進めていく。

慶長8年 家康は江戸幕府を開くと
東南アジアにも目を向けた。

タイ カンボジア ベトナムなどと

朱印船貿易を開始したのである。

まさに 家康の全方位外交だった。

磯田さん
家康は かなり積極的に 自分から

外国航路を開こうとしていたんですね。

そうです。 もう こうなるとね

開国主義者というより
そんな受け身な話じゃなくてね。

もう 海外開拓主義者でね これは。
はあ~。

こっちから
積極的に関わろうとする

海外開拓主義者 家康っていう方が
いいかもと思うぐらいですよね。

今回も さまざまなゲストの皆さんを
お迎えしています。

よろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いします。

まずは 戦国から江戸時代における
日本とヨーロッパの

交渉の歴史を研究されている
フレデリック・クレインスさんです。

よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

クレインスさん
この戦国時代 世界に目を向けると

スペインと
ポルトガルの この関係性って

まあ ちょっと複雑に感じたんですが

教えていただけますか。

まあ かなり複雑ですね。

当時は スペインが
南アメリカ

そして ポルトガルがアジアっていう
そういう住み分けをしていたんですが。

そして 更に…

ほう。
それで もう この2つの国の間に

かなり激しい競争があって。

ポルトガル人は もう50年間ぐらい
日本で その 独占

貿易の独占を持っていて
そして もう一つは

このイエズス会士が
たくさん日本に入って

もう キリスト教布教が
かなり成功していたんです。

そして スペイン人も貿易だけじゃなくて
どんどん布教に力を入れています。

これ まさに もう…

そこで まあ 全方位外交を行っていた
家康と出会うわけですが

作家の真山さんは この家康の政策は
どのように感じましたか。

まず 先入観で
私は完全に

家康 まあ 鎖国を
積極的にやっていたと思ったので

今日は非常に楽しみに
今も映像を見てたんですが。

ただ 一つ考えると
国家を新しくつくる時にですね

まず最初 武力で統治する。

つまり
自分たちの言うことを聞かない者は

ねじ伏せて国家をつくっていく。

まあ それができる
その政治のシステムを作ってですね

国家経営をしていかなきゃいけない。

今度は こう まあ…

まあ そうなってくると…

…のかなという気はしますね。

飯田さん 日本は
そんなに大量に銀を輸出してしまって

大丈夫なんでしょうか?
はい。 確かに 銀の産出量が

多かったということもあるんですが
もう一つ

ヨーロッパにとっては
銀は貨幣だったんですが

日本国内における
貨幣というのは

基本的には銭です。
つまりはですね

日本も高額取引には
金銀使ってるんですけれども

やっぱり
価値の単位 価値尺度っていうのは

全部 1貫2貫っていう
銭の単位で出来てるので…

そうすると
その一つの商品で鉄砲だったり

あとは 中国産の絹であったり
生糸であったりという

有用なものが買えるわけですから。

特に戦国時代であれば
戦争をしてますから

きれいな貴金属よりは
それは鉄砲の方が欲しいですよね。

家康の時代っていうのは まだ

国内で作れないもの 生産できないものが
いっぱいあるんですよ。

例えば戦略物資である
こう 火縄銃の火薬とかでも

全てを国内で作ろうと思うと
難しいわけです。

…で はっきり言って
いいものは まだ海外にあるんです。

ですから もう 日本にとって
大事な金銀を外へ出してでも貿易を行う。

こういう意図が
すごく 強く働く社会だったと。

スペインや ポルトガルっていうのも

日本の その状況を
分かっていたんですかね?

そうですね。 あの~ もちろん
当時は 西洋の記述を見ますと

もう日本には 銀と漆器以外は
何も商品がないっていうことが

出てるんですね。 まあ…

だから かなり強めに

キリスト教を普及させなさいという要求も
突きつけることができてたんですね。

さあ そんな家康の外交に
なくてはならない

重要な人物が現れます。

豊後 臼杵領内に浮かぶ黒島。

その沖合に 一隻の西洋帆船が漂着した。

オランダ船籍のリーフデ号。

そこに 一人の男が乗船していた。

名は ウィリアム・アダムス。

世界一周航路の探索の途上
日本に漂着した

イギリス人航海士だった。

すぐに 家康は
アダムスを大坂城に呼び出した。

じきじきに尋問するためである。

その時の様子が アダムスが妻に宛てた
手紙の中に記されていた。

家康はアダムスに尋ねた。

家康は アダムスから

イギリスが ポルトガル スペインと
敵対関係にあることや

アダムスたちの宗教
更には リーフデ号の航海など

さまざまなことを聞き出した。

尋問は深夜にまで及んだという。

クレインスさんは
家康にとってアダムスは

自分の思惑に
合致する人物だったと指摘する。

スペインとの文通の中でも…

アダムスが家康に訴えたんです。

これは やはり…

静岡県伊東市。

ここに 家康とアダムスに
ゆかりのあるものが展示されている。

サン・ブエナ・ヴェントゥーラ号と
名付けられた帆船の復元模型。

実物の全長は35m。

乗組員は 80人から90人。

日本初の洋式帆船と伝えられている。

慶長10年 家康の命を受けたアダムスが
伊東で造船した船だった。

アダムスは
この船で畿内から江戸までを航海。

沿岸に沿って測量も行った。

この船を造った功績により アダムスは
家康から三浦半島に領地を与えられた。

更に 旗本に取り立てられ

領地に ちなんで
三浦按針と名乗るようになる。

一方 ちょうど そのころ 家康は
新たな貿易パートナーを探していた。

当時の南蛮貿易で
鉄砲などの武器や銃弾のほかに

輸入品の中で大きな割合を占めていたのが
中国産の生糸だった。

高級絹織物の原料として
珍重されていたからである。

ところが その貿易は
ポルトガルとイエズス会に

ほぼ独占されていた。

そのため 価格が高騰することもあった。

新しい貿易相手が加われば
彼らの間で自由競争となり

生糸の価格が低く抑えられる。

そうなれば日本が潤うことになると
家康は考えていた。

そこで目をつけたのが
ポルトガルと敵対するオランダだった。

オランダは 1602年に東インド会社を設立。

貿易で世界を席巻しようと
各地へ船団を送っていた。

アジアでは タイ南部に拠点を作り

そこを足掛かりに
それまでのポルトガルに代わって

アジア貿易への影響力を
拡大しつつあった。

家康は オランダ人と同じ
プロテスタントだったアダムスを

仲介役に起用。
オランダとの交渉に当たらせた。

その結果 慶長14年7月

家康は オランダ使節団を
駿府城に招くことになった。

ところが そこに妨害が入った。

イエズス会である。

イエズス会の宣教師は
家康に こう 進言した。

しかし
家康は イエズス会の訴えを退けた。

家康は オランダに朱印状を授けた。

早速 オランダは
平戸に商館を設立した。

倉庫には 中国産生糸をはじめ

鉛 コショウ 象牙などが
保管されていたという。

家康は 日本を世界に開いていった。

クレインスさん あの~
オランダのアプローチは

布教許可を求めるカトリック勢力とは
ちょっと違ったんですね。

完全に その構造が違います。

スペイン国王が貿易を後押しして

そこに布教も一緒に
セットに来ているんですが…

株式会社っていうと 投資家がいます。

そして オランダは
スペインと戦争中です。

海上では
オランダ人は 割と有利だったので

スペインの船を
どんどん拿捕していきます。

スペインの軍事の資金源を
断つこともできます。

そういうふうに…

飯田さん ある意味 家康は
これをうまく利用していたとも

考えられますよね。
そうですね。

もちろん スペインにとっては
オランダは敵なんだろうなと。

ポルトガルにとっては敵なんだろうなと。
だけれども

自分… 日本であったり 徳川家にとって
敵か味方かっていうのは

別に スペインがどう思ってるかとは
関係ないじゃないか。

そういう ドライな感覚は

さすが この戦国時代を
生き抜いてきたわけですから

何か 敵のことを
あしざまに言うけれども

その敵側には敵側の正義がある
っていう状況を

ごまんと見てきたと思うんですよね。

あの まあ ビジネスでも外交でも
交渉をする時にですね

前のめりになると
大体 不利になるんですよね。

足元を見られるんで。

向こうに競争してもらう方が
いいわけですよね。

常に常に フェアな状態で…

だから今だと そのゲーム理論みたいに
言うんですけど

それを この時代に
既に持っていたんだと思いますね。

僕 彼がね 国内でやってたことを

そのまま世界に
当てはめたと思うんですよ。

国内でも
いろんな人が争ってるわけですよね。

他人の争いから
自分の利益を引き出すっていうことの

名人なわけですよ。 ええ。
だから 家康がすごいのはね

ヨーロッパ怖いって
普通の人なら思考停止します。

だけど 家康は…

それをやるためにはね
他人の争いの観察力。

あと もう一つ 他人の その…

これがやっぱりあると思うんですよね。

さあ そんな家康の前に
ウィリアム・アダムスが現れましたが

どうして家康に
これだけ重用されたと考えますか?

そうですね。 アダムスについては
結構 著述が あちこち残ってるんです。

まあ オランダ側資料 イギリス側資料
スペイン側資料などがあります。

その中で 彼は非常に誠実な人として
打ち出されてるんですね。

あと もう一つは
彼は すごい知識人でもあったんです。

一般の船乗りとかは

まあ そんなに読み書きも
できない人たちが多かったんですね。

その中で アダムスは
どうも複数の言語を話せて

そして 数学とか いろいろ天文学とか
いろいろな知識を持っていました。

ある手紙の中で アダムスは…

…と言っているぐらいなんですね。

磯田さん どうして 家康は

これほど その アダムスのことを
気に入ったんでしょうね。

もう大好きになったと思いますよ。
大好きになった。

家康は…

あんまり口数が多くなくてね

それで聞いたら
きちっと合理的に ものを考えて

テクニカルに
技術屋として答えてくれる人。

私 あの
妻への ウィリアム・アダムスの手紙で

読んでてね
鳥肌が立った一節があるんですよ。

「初めて会った時に
家康は自分をじっと見つめた」って。

こういう老かいな政治家っていうのはね
僕は聞いてみたことあるんですよ。

あの人に 何かもの任せようとする時は

どこで あなた決めるんですかって
言ったら

多かったのが
目つき 顔つきだよって言うんですよ。

ものすごい原始的だと思ったんですけど
この男が信用できるか

どういう人間かを 目つき顔つきで
じ~っと やっぱり見るみたいですね。

で 割と その直感は正しいという方が
多いんですよね。

この辺は 真山さんに聞いてみたい
とこなんだけど。

あの~
大物に取材する時あるじゃないですか。

大体 名刺交換した時にしばらく
じっと目をやっぱり見つめられますね。

そうですか。
で あとは経営者で優れた人に

何で こんな判断早いのかって聞くと

いや 3分で判断できない時は
やっぱり駄目なんだと。

だから これはもちろん
失敗もあるんですけど

それぐらい だからこそ
まあ ある意味 経営者って

今で言うと
戦国武将みたいなもんですから

生き残ってきた理由というのは
やっぱり…

何か 私 この番組やってると

どんどん どんどん
徳川家康という存在が

立体的に見えてくるなっていう感じが
よくしてるんですけれど

家康にとって 幼少期に人質になっていた
時代が長いじゃないですか。

そうそう。
幼少期の苦労があると思う。

それでね 自分中心のね

天動説の外交をやろうとする人が
いっぱいいるんですよ 世間には。

だけど 家康は もう今川とか織田とか
巨大な力で もう流されまくってる。

だから その中で…

…ことでしか いかに天下人になっても

無理だっていうことが…

家康は 将軍職を秀忠に譲った後

慶長12年以降 駿府を拠点に
さまざまな外交政策を打ち出していった。

家康は 念願のスペイン領メキシコとの
貿易のために行動を起こす。

サン・ブエナ・ヴェントゥーラ号を
メキシコに向けて出港させ

スペイン国王へ親書を送ったのである。

そして 翌慶長16年5月。

親書の返事を携えたスペイン王国の大使
ビスカイノが

家康に謁見するため
駿府にやって来た。

クレインスさんが見せてくれたのは

1646年に
オランダで刊行された貴重な資料。

この記録をもとに
駿府城での出来事を見てみよう。

まず 登城の様子。

この時 ビスカイノは 日本の習慣を無視し
スペインの流儀で城へ向かった。

アダムスも控える中 謁見が始まった。

ビスカイノにとって 交易の条件として

日本でのキリスト教布教の許可は
欠かせないものだった。

その上で 更なる交換条件を突きつけた。

それまで黙っていた家康は
この時 あざ笑うようにして答えた。

最後に ビスカイノは
家康にあることを願い出た。

すると家康は 理由も聞かずに
それを許してしまった。

これに アダムスは黙っていなかった。

全ては スペインの策略であると
家康に詰め寄ったという。

スペイン側に残された資料によれば
アダムスは こう進言した。

その8か月後 ある事件が起きた。

西国大名の有馬晴信が

かつての領地を取り戻すべく
家康側近の家臣 岡本大八に

およそ6千両も
賄賂を送ったことが発覚した。

初めは 岡本の処刑と有馬の切腹で
一件落着のはずだった…。

しかし 思わぬ事実が浮かび上がる。

実は 両者は キリシタンだった。

更に周囲を調べていくと

なんと駿府城の中にまで
キリシタンが数多くいたことが判明した。

アダムスの言葉が現実となって
家康の足元にまで迫っていた。

このまま
キリシタンを放っておいていいのか…。

選択を迫られた家康。

その心の中に分け入ってみよう…。

徳川幕府を開いたといっても僅か数年。

しかも… いまだ
豊臣秀頼を慕う大名も少なくない…。

盤石な徳川の世をつくるには
まずは 幕府に力をつけることだ。

だからこそ
さまざまな国との交易を行い

西国大名に負けない富を

この手に収めようと
励んできたではないか!

ならば これまでと同様
キリスト教を黙認するか…。

さすれば交易は 思いのまま。

異国の商人たちが競争し
唐物の値は安くなる。

国は富み 我が徳川は
大きな利を手にすることができる。

だが アダムスの言うことが確かなら

スペイン ポルトガルは
キリスト教を広め

日本を乗っ取ろうとしている
ということになる。

いずれ きゃつらが なだれ込み

再び乱世に舞い戻る引き金に
なりはせぬか…。

やはり ここは キリスト教を排除した方が
よいのではないか?

わしの気付かぬうちに

身近な駿府の者たちまでが
キリシタンになっていた!

しかも岡本大八を裏で操ったのが
イエズス会とは!

キリスト教を排除すれば
かような勝手な振る舞いを封じ

忍び寄るバテレンの脅威から
逃れることもできよう。

スペインは怒り
メキシコとの交易は望めなくなるが

南蛮貿易で
利を得ていた西国大名たちの力を

いずれ そぐことにもつながるであろう。

徳川の力は おのずと強くなっていく。

やはり選ぶべきは この道か…。

キリスト教の黙認か それとも排除か?

家康の選択とは?

家康は キリスト教への対応を
迫られることになりました。

皆さんが家康なら
どちらを選ばれるでしょうか。

まずは飯田さん どちらを選びますか?

私は 2の「キリスト教を排除する」を
選びたいと思います。

で アダムスが示唆したような

いわゆるスペインの大艦隊が
日本に来るというのは

私自身は
そこまで現実的な話だとは思わない。

しかしですね…

家康が当主となった初めですね
何と言っても…

…っていうのは ストレートな感想
なんじゃないかと思います。

私も2番の「キリスト教を排除する」を。

例えば
20世紀になってもそうなんですが…

それは もう まさに
民衆の心は 神にすがりたいからで。

ある意味 将軍っていうのは

封建国家ですから
独裁者であるわけですよね。

その時に 独裁者の言うことを聞かない

しかも それが大名レベルにまで広がる
可能性もあるってなった時には

もう これは せっかく苦労して

たどりついてきた幕府が
崩壊するかもしれないと。

そういう意味では 安全が絶対なので

ここは 「キリスト教を排除する」を
選ぶと思います。

さあ クレインスさんが家康なら
どちらを選びますか?

私も2の「キリスト教を排除する」を
選ぶと思います。

で かなり考えたんです。

黙認する まあ 利点はないのかと。

ポルトガル スペイン イギリス オランダ
もう全ての国を日本に来させて

そこで…

だから まあ当時は そのアダムスも
そういう進言はしてますが…

家康として 2番の排除するという
選択肢しかありません。

そして 実は…

これは 2番目を強化する形で…

日本国内で
キリスト教を禁止するだけじゃなくて

マニラとかマカオを襲撃していって
そこから…

そういう選択肢もあったと思います。
う~ん。

私も「2 キリスト教を排除する」
ならざるをえないでしょうね。

家康が作ろうとしているのっていうのは
信長 秀吉 家康と ずっとやってきた

一主君教なんですよね。

天下人教って…
まあ わざと宗教といいますけど

それは何なんだというと あの

本当の心の中の忠誠の糸は
一人の主君に向けるものだと。

一向一揆みたいに
阿弥陀様に本当の心の忠義 向けると

まあ 本当 懲りちゃったんですよ。
家康にしてみれば

阿弥陀様トラウマがあるわけですよね
一向宗の人たちの。

クレインスさんが おっしゃるように
強い海軍を作ってね…

そうですか。
いや というのが 日本には

五島列島から長崎の半島 それで
瀬戸内にかけて すごい海賊たちがいて

もう ずっと 中世来
倭寇をやってるわけですよね。

この人たちが西洋式の海賊になると。

これは もう 幕末に咸臨丸
すぐ操縦したのを見れば分かるとおり

簡単です。 だけど
やらないでしょう 家康は なぜか。

さあ それでは
家康の選択をご覧ください。

岡本大八は
駿府市中引き回しの上

安倍川の河原で
火あぶりの刑に処せられた。

同じ日 家康は 江戸 京都 駿府を
はじめとする幕府直轄地に対して

教会の破壊と布教の禁止を命じた。

キリシタン禁教令である。

その2年後 禁教令は全国に広げられた。

宣教師や改宗しないキリシタンは

マカオやマニラへと
次々に追放されていった。

家康は
キリスト教の排除を選択したのである。

それは
布教と貿易を一体と見なしていた

カトリック諸国の排除に
ほかならなかった。

スペインは その後
日本との新たな貿易は実現せず

ポルトガルは 商人だけが
日本との行き来を許された。

一方
オランダ イギリス 東南アジアなど

キリスト教布教とは関係のない国々とは
それまでどおり貿易が続けられた。

享年75だった。

それから程なくして 幕府の外交方針を
大きく変える出来事が起きる。

8月 二代将軍 秀忠が

それまで 日本中
どの港にも入れた外国船を

中国船以外は
平戸 長崎だけに限定する

二港制限令を打ち出したのだ。

…ということになると思います。

幕府は 海外貿易の統制を緩めなかった。

秀忠以降 三代 家光へと
更に その厳しさは増していった。

キリスト教に対する弾圧も強化された。

凄惨な事件が起きた。

幕府は 宣教師と信徒
そして 彼らを匿っていた者たち55人を

長崎・西坂で処刑した。

こうして 寛永18年

ヨーロッパとの貿易を
長崎 出島のオランダ商館だけに制限する

いわゆる鎖国体制が完成した。

家康の開国への夢は
ここに幕を閉じたのである。

一方 ウィリアム・アダムスは

幕府の外交方針の変化に翻弄され
その運命に陰りが訪れていた。

二港制限令の撤回を求めて奔走したが
秀忠に会うことも かなわなかった。

アダムスは こう書き残している。

やがて アダムスは 平戸で
波乱に満ちた55年の生涯を閉じた。

家康は
キリスト教の排除を選択しました。

真山さん この時
家康は どんな思いだったんでしょうね。

これが もし あとに任すねっていうと
こんなに残りの2人がですね

より厳しくできたかどうかも
疑問だったと思うんですよ。

本人としては
断腸の思いだと思いますけど。 はい。

オランダが来てるから

ある程度 その海外からの貿易品が
入ってくる保証ができてるんですね。

1613年に
イギリスも 平戸で商館を作りますので

より まあ 自由度が高くなって

もうキリスト教は 十分 排除できると
家康は考えてたと思います。

う~ん そうなんですね。

しかし 家康が亡くなって
秀忠以降 キリスト教への弾圧や

貿易の統制が強化されていって
いわゆる鎖国となりますけれど

飯田さん なぜ このような政策に
徳川幕府は向かっていったんでしょうか?

まあ 家康の禁教令は
ある意味 カトリック武闘派を

排除したいという
考えだったわけなんですけれども。

それが 2代目以降
まあ 秀忠以降になると

神君 家康公がやったことを
踏襲するという

ちょっと目的が変わってくるんですよね。

結構 この鎖国っていうのも
ず~っと時代が くだっていくに従って

ルールだからルールであるっていう
謎の循環論法っていうのが

働いていったんじゃないかなと
思うんですよね。

大組織に ありがちなやつですね。

真山さん どう考えますか?

ただ 鎖国は
私は悪いことではなかったと思っていて。

まあ 私 一応 小説家なので

平安時代と江戸時代だけ いい小説が
日本にはあるんですよね。

はあ~。
結局 やっぱり 日本って どっかで…

歌舞伎もそうですけど。
ええ ええ。

日本人の気質とすると
時々鎖国っていうのは

いいのかなっていう気はしました。

さあ 今日は 全方位外交を目指した
家康を見てきましたが

もしも 家康後も 全方位外交の方針を
続けていたとしたら

日本は どうなっていたのか
ちょっと考えたいんですけれど。

クレインスさん。
私は まず…

いろいろな東南アジアの街に
日本の船が行って

そこで 日本人街が つくられていました。

これは ものすごいパワーだったんです。
ええ。

これを続けると
どんどん どんどん 日本人が外に出て

アジアの各貿易都市に定住していくと
そこで…

喜望峰を越えてですね…

私は思います。 まあ かなり 歴史が
違う方向に行ってたと考えられます。

その一方で 一つ懸念としては…

そういうところも
興味深いなと思いますね。

さあ 最後に磯田さん 今日は
家康の外交を見てきましたけれど

どんなことを感じましたか?

私 あの 家康が持ってた珍奇なもの…
新しいものを開拓したい

新しいものを見たら
歓喜して喜んじゃうっていう。

もう一つは
慎重な守りに入ろうと思うと

日本の周りの海を壁として 島国で
守りに入ることもできるわけですね。

で まあ 揺れながら
日本史っていうのは動いてくると。

それで 江戸時代 やっぱりね
ずっと鎖国といわれる

後世 政策で抑えられてるもんですから…

みんな 本当 庶民まで 行けるもんなら
洋行して ヨーロッパ留学したいと。

勉強したいというふうに
思うわけですよね。

まあ ある種の 渇望のバネですわ。 この。

で 我々も やっぱり

どっちがいいっていうことは
ないんですよね。

ずっと開拓して
家康みたいにやるのがいいのか

秀忠みたいに慎重にやった方がいいのか
分かりませんけど。

やっぱり 時代とか場合によって
うまく組み合わせてね

やっていくっていうことなんだろうなと。
だけど やっぱ 今 もうちょっと

ちょっと家康の方に振った方が
よさそうなものが多い気がしますね。

ええ。
う~ん。

皆さん 今日は ありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。