歴史探偵「龍馬と綱吉の真実」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

歴史探偵「龍馬と綱吉の真実」[解][字]

今回調査するのは、坂本龍馬と犬将軍とも呼ばれた徳川綱吉。実は2人の見方が昔と大きく変わってきている。船中八策は龍馬のアイデアではなかった?衝撃の最新研究を調査

番組内容
今の学校の歴史教科書は昔と大違い。鎌倉幕府成立は「いい国つくろう」の1192年ではなく1185年!?聖徳太子の呼び方は「厩戸王」!?そんな中、注目するのは、幕末の重要人物、坂本龍馬と犬将軍で知られる徳川綱吉。この2人、昔と大きく評価が変わっているというのだ。綱吉の評判は急上昇し、一方の龍馬は数年前、教科書から消えかけたことがあるという!いったいなぜ?2人の最新研究を番組おなじみの河合先生が特別調査
出演者
【出演】佐藤二朗

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

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  19. 最近
  20. 薩摩

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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中学校 高等学校の生徒が学ぶ
日本史の教科書。

これが 昔と大きく変わっていること
ご存じでしょうか?

例えば 聖徳太子。

日本史を代表する
人物ですが…

最近の教科書を開いてみると

「聖徳太子は いなかったの?」。

どういうこと!?

更に 「いい国つくろう」と
覚えた方も多い

鎌倉幕府の成立は 1192年!

…ではなく

この教科書に書かれていたのは

1185年。

これだと 「いい箱つくろう」鎌倉幕府。

変わりゆく学校の教科書。

その最前線を調査するのは…。

考古学って…。

我が探偵事務所の特別顧問 河合 敦。

実は 河合先生

27年間 高校で
歴史を教えていました。

いわば 歴史教科書の
プロフェッショナルです。

今回 河合先生が調査したのは

教科書での評価が 大きく変わっている

2人の重要人物。

まずは 坂本龍馬。

誰もが知る

幕末の
ヒーローですが

実はですね…

(犬の鳴き声)

江戸幕府将軍
徳川綱吉。

「犬公方」とも呼ばれていましたが…。

最近はですね なかなかの
名将軍だったっていうふうに

評判が上がってきてるんですね。

最新研究から
龍馬と綱吉の真実に迫ります。

「歴史探偵」 特別調査 開始です。

♬~

さあ 所長 今日の調査対象は教科書。

もうね だいぶ
昔と変わってきてるんですよ。

鎌倉幕府
「いい国つくろう」じゃないんですか?

「いい箱」になってましたね。
私 ほんと おとといぐらいに 息子に

「鎌倉幕府は何年?」つって

いい国つくろう 1192年っていうふうに
言ったのに

ちょっと おい 息子
1185年だった。 いい箱つくろうだった。

あの 一つ ちょっと気になってる

さっき出てきた 聖徳太子がいなかった
って書いてありましたけど

これは どういうことですか?

「聖徳太子」という名前で
呼ばれていなかったんで。

ああ~…。
はい。 日本史の教科書では

ですから
「戸王(聖徳太子)」になってて

高校生は
戸王で覚えてる子が多いんですよ。

え!
今日は そういう教科書にまつわる

その新しい謎をですね
河合さんが 解き明かしてくれます。

まさに 河合先生の授業を
受けれるという。

そうなんです 楽しみですよね。
これはね 楽しみだね。

教科書から まず
ミニクイズを出したいと思います。

自分でやるんですね? 誰か こう
助手がいるわけではないんですね。

今日 授業もね 兼ねておりますから。

そうか もう 先生は1人で。
先生がね やって頂きますよ。

はいはい 有名な。
このね 肖像画は ほんとに有名で

どなたか分かりますか?
先生 はい。 はい どうぞ。

これは もう でも自信ありますよ。

はい そういうふうに習いましたよね。
習いました。

ところがですね…。
違うの!?

違う可能性が 極めて高いんですね。

えっ 誰なの?
じゃあ あの Bのおっさんは。

たけだけしい おっさんは。
アハハッ! 「おっさん」とか言わない。

はい あの Aの
源 頼朝と言われていた人なんですが

これ 足利直義という人ではないかと。

えっ!? 源じゃなくて 足利なの?
足利なんです。

足利尊氏の弟に 直義という人がいて

その人ではないかという説が
非常に強くなってるんですよ。

マジか。
今 撮影中の 次の大河で

洋君がやってます 頼朝。
出てきますね はい。

洋君 違うってよ~。
これじゃないって。

それから Bの足利尊氏なんですが

この まあ 肖像 正式な名称がですね
「騎馬武者像」といいまして

実はね よく誰か分からなくて。

ハハハッ!
えっ 誰か分からないんですか?

分からないんですよ。
ただ 一説によれば

足利尊氏の側近であった

高 師直ではないかという説が
出てきてるんです。

なので このAとBのですね 肖像画

実は もう…

あっ そうなの? 今は。

今は消えてます。
あららら ちょっと先生 今日 不安です。

私 あの~ 52歳で
昔 日本史 好きだったもんですから

もう 自我が崩壊するぐらい

歴史が変わってたってなったら
どうしようって思うけど。

もしかしたら
ちょっと 崩壊しちゃうかもしれません。

先生 やめて下さい先生!

生徒の自我を崩壊させるの
やめて下さい 先生。
冷静に。

今日は特に 教科書の中でも
大きく評価を変えている

2人の人物を取り上げたいと思います。

で 最初に取り上げるのは こちら。
所長 ご存じですね?

もちろんです。
というか もう書いてありますし。

ああ そうですね 坂本龍馬でございます。
もちろん書いてなくても あまりに有名。

坂本龍馬ですね。 あれ 先生
龍馬 すごい好きなんじゃなかったっけ?

そうなんです。 もう ものすごく…

あっ! おお。
そうなんですね。

もし 坂本龍馬がいなかったら
今 僕 ここにいないんですよ。

先生 でも そうすると
坂本龍馬の歴史が変わるって

先生の自我が崩壊しませんか? 今日。

ええ ちょっとね あの…。

正直 ほんとに大きく変わってるんで
ショックでしたね。

幕末に活躍した…

土佐藩の下級武士の家に生まれました。

龍馬は 自由な発想で

同志と共に 日本初の商社と言われる
組織を結成します。

その後 龍馬は
歴史を大きく動かす偉業を成し遂げます。

そうねえ。

江戸幕府を倒すことになる
軍事同盟の立て役者でした。

当時 この2つの藩は
幕府に対抗しうる力を持っていました。

(鐘の音)

ところが両者は 犬猿の仲。

きっかけは…

(兵たちのおたけび)

朝廷の主導権を奪おうと

御所に押し寄せた長州は
幕府軍と交戦。

初めは 長州が優勢でした。

しかし 薩摩が幕府側に加勢すると

状況は一変。

長州は惨敗します。

あぁっ!

敵対していた 長州と薩摩。

龍馬は 両者を和解させるのです。

(鐘の音)

その会談が行われたのは
京都。

薩摩藩 家老
小松帯刀の屋敷でした。

出席者は 薩摩側が
西郷隆盛と小松。

長州側が木戸孝允。

藩を代表する
重鎮です。

龍馬には
取って置きの秘策がありました。

それは
商売上手な龍馬ならではの

「利」を生かしたアイデア。

当時 長州に足りなかったのは 武器。

幕府に監視されていたため
入手が困難でした。

そこで薩摩は イギリスの武器を。

一方 兵糧不足の薩摩には

長州の豊富な米を
支援するというものです。

お互いの足りないところをね…。
そうですね。

同盟を結んだ薩摩と長州は
その後 幕府軍を撃破。

♬~

新しい時代の扉を
龍馬が開いたのです。

もう一つの偉業が
「大政奉還」の実現。

もう まさに偉業ですよね。
そうですね。

260年 幕府が担ってきた
政権を

朝廷に返上する 大変革です。

最後の将軍 徳川慶喜に

大政奉還を決断させたのは

土佐藩からの
ある画期的な提案でした。

実はそれ 龍馬が
考えたものだったのです。

大政奉還の4か月前。

長崎から神戸に向かう
船の上でのことです。

土佐藩重役の後藤象二郎に

龍馬は
一枚のメモを渡しました。

これが 「船中八策」です。

そこには 大政奉還後の

新しい政治体制が記されていました。

将軍だった徳川家は
政権を返上しても存続。

しかも 最大の発言力を
持つとしたのです。

将軍・慶喜を動かしたのは 龍馬でした。

しかし…。

(犬の吠え声)

次々と偉業を成し遂げる龍馬には
多くの敵がいました。

その結果…。

うぅっ…!

ヤッ!
ヤァッ!

坂本龍馬 この時 33歳。

それは 龍馬が命を懸けた業績でした。

いや~ もう…
まあ 非常に有名なというか ねえ?

新しい あの~ 時代の扉を…。
はい。

だから もう
この龍馬が 何だっていうんですか。

そうですよね。 ほんとに
すごい人物だと思うんですが

ただ…

何で!? 待って下さい。

2017年て もう つい最近じゃないですか。
そうなんですね。

思い切って減らすべきだ
っていうふうに
提言したんですね。

それ マスコミにも
大きく取り上げられたんですが

その削減案の中に

坂本龍馬の名前が
あったんですね。
何で!

坂本龍馬…
正直 その坂本龍馬を削減するなら

他に 削減しても
いいような…

まあまあ そんなね
どの歴史も あれですけど。

それぐらい有名ですよね やっぱり。
有名だからさあ。

まあ なぜ こういうことになったか
っていうことなんですけど…

あらま?

では まず
薩長同盟から見ていきましょうか。

えっと こちらにですね 出ている
この文書。

「薩長同盟盟約覚書」
というふうに言います。

崩し字で ちょっと
分かりづらいと思うんですが

薩摩と長州が同盟を結んだ
証拠の史料と言われてるんですね。

ちょっと これ 表面なので
裏に ひっくり返してみますね。

裏もあるんですか?
裏があるんですよ。 よいしょ。

全部…。
アクロバチックな感じで 裏面に。

そうですか?
全て 手作業。

このくらいで大丈夫かなあ… はい…

おおっ。
アハハ 先生! 大丈夫ですか? 先生!

大丈夫です!

さて 真ん中にですね
赤い文字が 崩し字が見えますよね。

これですね 坂本龍馬の直筆なんですよ。

おお~。
はい。 分かりますかね ここ…。

最後のところ。

あ~! でも 何か え~と 一番下が…

あっ 龍馬の
「龍」に見えますね。

坂本に
見えますね。

あ~ なるほど ほうほう ほうほう。

問題ないじゃないですか。
問題ないと思いますよね?

ところが この薩長同盟の条文と
呼ばれるものを よく読んでみると…

どういう… どういう内容なんですか?
そうなんですよ。

薩長同盟の証拠と言われる この史料。

その中身は 長州からの
一方的な要望とも読めるものでした。

この表現は 2回登場します。

更には…。

「同盟」とは 互いに果たすべきことを
約束するもの。

つまり この史料は

同盟とは言えないというのです。

しかも これをまとめたのは
龍馬ではなく

別の人物との指摘も…。

一体 誰?

この条文をまとめたのは
龍馬ではなくて

木戸孝允という長州藩の人が

薩摩藩の人たちに
一生懸命 交渉して

まとめたものだというふうに
最近 言われているんです。

じゃあ その薩長同盟は
もう はっきり言えば

木戸孝允が結んだ
ってことですか?

ですが まあ これ ちょっと
同盟ではないじゃないですか。

ああ まあ そうだね。
ああ そうか そうか そうか。

はぁ~。

ですから まあ ただ…

ああ~ なるほどね。

さあ 所長 続いては

龍馬の もう一つの偉業である
「大政奉還」について見てまいりましょう。

で きっかけとなったのが
この 「船中八策」というアイデアですね。

大政奉還を実現させたという
龍馬の船中八策。

最初に書かれているのは
大政奉還を行うということ。

そして…。

「上下議政局」 つまり議会の設置。

更には 憲法の制定など

新しい国家の形が
詳細に記されています。

ただ この史料には
昔から ある謎がありました。

これまでに見つかっている
船中八策の 一番古い史料は

大正時代の本。

龍馬の時代からは

見つかって
いないのです。

なぜ 研究者は
船中八策を 龍馬のものとしたのか。

それは 龍馬直筆の
ある史料があったからです。

内容を見てみると…。

憲法の制定。

上下議会の設置と

船中八策に
かなり似た内容です。

ただ この史料からは

龍馬が 大政奉還を実現させたとは
言えません。

これが書かれたのは
大政奉還の後だったのです。

すると最近 こんな新説が…。

一体 どういうこと?

ちょっと待って 船中… おい ちょっと!

世の中高生 おじさんの時
船中八策 むちゃくちゃ有名で

テストに 必ず出てきたけど。
はい そうですね。

フィクションの可能性があるってよ~!
よく覚えておいて下さい!

で このね…

ほう。 どういうことですか? ほうほう。

さあ 今から 船中八策フィクション説を
徹底解明していきます。

まずは この人物から見ていきましょう。

こちら 坂崎紫瀾といいます。

明治時代の…

この坂崎が 船中八策を
作ったんではないかって

言われてるんですよ。
あら また えらい。

だって… えっ?
新聞記者であり小説家でしょ?

はい。 ちょっと謎解き風なんですけど。
謎解き風ですか。

まずね 彼は
明治16年に このような本を書きました。

ほう 何ですか? それ。
「汗血千里駒」という

龍馬が主人公の
伝記小説なんですね。

まあ 坂崎が 著者として小説を書いて

龍馬を
主人公にしたわけですね。 はい。

で この坂崎と 龍馬は

同じですね
土佐の人たちなんです。

へえ~ なるほど なるほど。

非常に ここまで分かりますよ。

次に登場するのが こちらの女性です。

ほう。
昭憲皇太后。

明治天皇の皇后ですね はい。

この皇后さま
明治37年に ある夢を見たんですね。

坂本龍馬がですね
夢枕に立ったんですよ。

それが
新聞の記事になってですね 一気に…。

ああ そうか その当時の時代背景とか
いろいろ ありますけど

明治天皇の皇后が

夢で 夢枕に
坂本龍馬が出てきて

で 海軍は
日本の海軍は
私が守ると言ったことが

新聞記事になるわけ?
新聞記事になったんですね。

そうか! ほうほうほう。

そういうことがあって…

はぁ~ だけど

明治天皇の皇后は
別に 土佐と関係ないじゃないですか。

それがね 関係が出てくるんですね。

なぬ!?
そうなんですよ。

もう一人のキーパーソンがこちら
田中光顕。

宮内大臣で 明治天皇と皇后に
仕えていた人物がいたんですよ。

もしや? おう。
このですね 田中さん…。

宮内大臣。
宮内大臣も…。

あや!
はい 土佐の人なんですね。

あやや~!
しかも…

あっ そうなんだ。

これ でも ごめんなさいね
あの 先生 皇后の夢ですからね?

皇后の夢 だって田中さん
いくら宮内大臣でも…。

はい。 もしかしたら 誘導が行われてる
可能性があるんですよ。

そういう夢を見たというですね
話を聞いた

まあ やっぱり この宮中の方
香川敬三と言ったと思うんですけど。

出た! ほう。
水戸藩の方なんですが

土佐藩と一緒に
活躍してるんですよ。

で その人が
お写真を… 龍馬の写真を

皇后のお部屋に
置いておいたらですね

「あっ この人だ」と言ったと。

私の夢に出てきたのは
この人だという

そういうことで…。
おい すごいぞ!

先生 やっぱり この先生は

スラスラ スラスラ答えたぞ おい。
そんなエピソードがあったんですね。

そうなんです ええ。
そう! それは でも チーム土佐が

まあ 暗躍と言うと
ちょっと言葉は悪いかもしんないけど

…の可能性はね ありますね。
今 その 先生の授業 聞いてると。

先ほど言った その船中八策も

一番最初に出てくる
きちっとした史料としては

やっぱり 坂崎紫瀾が
作ったものなんですね。

あら~
えらいことじゃないですか。

じゃあ もう 私ら
もう 船中八策って 有名なね

大政奉還の 非常に
きっかけになったものっていうのは

もう 完全に坂本龍馬っていう

…が作ったっていう
イメージがあったけども あらまあ。

まあ 確かにね 船中八策は
作っていないかもしれないんですが

ただ その数か月後に
きちっとですね

龍馬の 直筆の史料が
残ってましたよね。

そうだそうだ。
新しい国家のね。

恐らく きちっと
後藤象二郎に

彼は 新しい国家の構想をですね
伝えて

だから 土佐が動いた
っていうふうに言えると思うんですね。

そういった意味では
本当に 龍馬の価値はですね

この新説によって下がることは

決して ないんですね。
なは~。 力説しますね。

で 実際 龍馬の手紙
最近 発見された手紙では

やっぱり 「新国家」って
龍馬が書いた手紙が残っていて

やっぱり
新しい国

本当に 当時って 列強諸国から
侵略されそうな状況になっていて

もう いかに
その日本の国を守るかっていうことに

ほんとに 龍馬は…。
心血を注いでいたことは…。

やっぱり…

…っていうことは
ほんと すごいと思うんですね はい。

ちょっと熱くなりました。
ハハハハッ!

いいですよ 先生。 先生 いいですよ。

さあ 続いては

教科書での評価を ぐんぐん上げている
人物をご紹介します。

それが こちらです。

ほう 綱吉。
はい 第5代将軍 徳川綱吉。

ご存じですか?
もちろんです。

でも まあ その徳川綱吉
僕が習ってた時には

やっぱり 「犬将軍」と呼ばれて
「生類 憐みの令」ですよね?

で 犬を 何か 懲らしめた人を
処刑しちゃったりとか。

そうそう そうそう。
そういうことで

どっちかというとですね
何か 評判が悪いイメージが

僕の世代の教科書では
そういうふうに習ったんですけど…。

じゃあ まず 生類憐みの令が

どんな令だったのか ご覧下さい。

江戸の町に
不思議な お触れが出されました。

「将軍 御成の道筋に…」。

まあ これぐらいなら
別にね いいんですけどね。

将軍の行列を
飼い犬や飼い猫が横切っては 一大事。

町人たちは あらかじめ
捕まえておかなければなりませんでした。

前はね その前はね。

これが いつも大変な手間。

そうか そうか。

いやあ ありがてえ!
お上も
案外 話が分かるじゃねえか!

うれしい情報だよね 今のはね。
そうですね 市民にとっては。

…と喜んでいると 次なる お触れが…。

おや?

何だい? こりゃ。

わざわざ こんなことまで言ってさ
大きなお世話だよ!

更に…。

おいおい おいお~い!

ちょいと おかしなことに
なってやしねえかい?

何で 犬にまで おまんま
やんなきゃいけねえってんだよ~!

ああ どんどん どんどん
不評になっていく。

次々と出される 驚きのお触れ。

24年間で
その数 実に130以上。

すごい数ですよね。
ねえ?

これが世に言う 生類憐みの令です。

このお触れ どれだけ
町の混乱を引き起こしたのか

分かる史料がありました。

お触れを守るには
どうすればいいのか

役人が書いたメモ帳です。

はぁ~ そんなのが残ってんだねえ。

いわば 生類憐みの令 対策マニュアル。

細かい字で びっしり書かれた
その内容は…。

どういうことが書いてある?

(犬の吠え声)

待たれい 待たれい!
おっ 駄目でございます!

「犬がケガでもしたら 一大事。
間に入るべし」。

あらららら… ちょっと過保護。

(犬の吠え声)

「それでも 収まらなければ
犬の周りに 水をまくべし」。

フハハハ ほんとに
こんなの残ってんだ。

(犬の吠え声)

「まだ 駄目なら

犬の背に水をかけて 正気に戻すべし」。

目は大丈夫でございますか?

「その時 犬の目や耳に
水が入らないよう

気を配るべし」。

(前田)これ あの…

生類憐みの令を出したのは
5代将軍 徳川綱吉です。

綱吉が このお触れに
どれだけ本気で取り組んだのか分かる

エピソードがあります。

ある時 こんなお触れが追加されました。

「町内にいる犬 馬などの
動物と

飼い主のリストを作れ」
というもの。

はあ~…。

この時 老中たちは
町人たちを気遣って

一文 付け加えました。

ハハハハッ!

ああ そう。 まあ ちょっと
フォローというか…。

しかし これを知った綱吉は…。

怒るの? 怒るの?

うわあ! 厳しいなあ…。

え~!

いやあ 厳しいですねえ!
その本気度が分かるね これ。

妥協は 一切なし。

綱吉は お触れを
徹底的に守らせました。

はあ… すごい 本気だったんですね。

お触れは 年々 厳しさを増していきます。

あららら
エスカレートしてったの?

ついには

鳥 うなぎ
どじょうの販売を禁止。

町人の食生活にまで
口を出してきたのです。

関わってくるねえ。

もう 我慢なんねえ!
やっちめえ やっちめえ!

(鼻を鳴らす音)

お上への当てつけに
犬を殺して 河原にさらすという

残忍な事件が続きました。

そこで 綱吉がとった行動は…。

(綱吉)もはや 他に手はあるまい!

江戸の犬という犬を集めるのじゃ!

(役人)お犬様~!
(役人)お待ち下され~!

なんと 野犬から飼い犬まで
江戸中の犬を集め 全て保護したのです。

うわあ すごいねえ…。

名付けて…

生類憐みの令 究極の形でした。

はぁ~!

つくられた場所は
現在の東京・中野区。

その広さ なんと…

すごい面積だね。

中では 10万匹の犬が走り回る
いわば 巨大ドッグラン状態。

いやいや ドッグランって言うには
大きすぎるだろ!

走り疲れたら
ゆったり休める 専用のおうちも。

その数 290棟。

更に 子育て中の
母犬のケアも万全。

専用の施設がありました。

ええ?
その数 459か所。

た~んと 食べて下され!
さあ どうぞ。

メニューも 贅沢。

魚に 白い御飯と
町人の食事と ほぼ同じ。

かかった お金は

犬の飼育費だけで…

およそ100億円でした。

300年前 江戸の郊外には

世界に 類を見ない光景が
広がっていたのです。

これは でも ちょっと まあ

政治をつかさどる人としては
ちょっと 極端すぎるというか

ちょっと やりすぎといいますか
これ やっぱり ちょっと…

これは やっぱり
低評価でいいんじゃないですか?

ほんとに 庶民も
迷惑を被っていたのは

もう ほんと確かなんですね。

ただ まあ 綱吉がね
こういう法律を出すのには

やっぱり ある理想があったんですね。

ほうほうほう。 何ですか?
それが 何かっていうことなんですが

「仁の心」というものを
まあ 武士たちにですね

きちっと
身につけさせようとしたんですね。

「じん」というと あの「」に「二」を。
はい そうです。

仁の心というのはですね
今風に言いますとですね…。

はい 「命を…」。
はい。

…ということなんですね。

まあ これは もう何というか

現在においては もう 何というか

当たり前中の
当たり前のことではありますね。

ほんと やっぱり
命の教育ってなされてますし

とても大切なものですよね。
ただ 当時は

ほんとに命っていうのは
とても軽いものでして

例えば まあ 江戸なんかは
夜になるとですね

もう 人を斬りたくて
うずうずしてるような武士が

いっぱい いて

うかつに 夜 外に出ちゃうと
斬られてしまうんですね。

そうだ。 何か「切捨御免」とか
という言葉もね 何かありましたもんね。

あと 「傾奇者」と言われる
荒くれ者たちがですね

もう ほんとに殺し合うような
けんかを

集団でしていたりとか

ほんとに…

なるほど。
そういう まあ…

で そういう考え方を
「文治主義」って言うんですね。

文武の「武」ではなくて 「文」の方ですね。

「文治」ですね。
治める 文で治める。

なるほど。

そのために 綱吉がやったこと。

それは…

こちら 武士の憲法とも言える
「武家諸法度」。

2代将軍 秀忠が作りました。

最初の条文は…

これを 綱吉は変えてしまいます。

秀忠の時の
「弓馬」が

「忠孝」に
変わっています。

更に 綱吉は
文治主義を広めるために

「出前○○」を
始めたというんです。

皆さん 何が入るか
分かりますか?

まあ 今までの話に関係ありますよね?
もちろんですね。

俺 マジで当てにいくよ これ。
はい。

ああ 正解ですね。
すご~い!

正解です 所長。
すばらしい。

そう。
はい。

「出前授業」なんですね。

で あの 綱吉は なんとですね…

はい。 その数 なんとね…

ええ~!?

それくらい やっぱり 彼は本気で

この武士の認識を
大きく変えようと思ったんですね。

これは でも
ほんとに あの… 本気度が伝わりますね。

自ら出向いて 400回? 生涯に。

400回ですね。

こうした改革の一環として
生類憐みの令があったんですね。

それが分かる
証拠があります。

こちら 老中が

江戸城に
役人を集めた時に言った言葉です。

「上様」 綱吉の…

もう まさに そう言っているわけだ。

はい。
ほう。

例えばですね 子供を捨ててはいけない
という法律を出してます。

当時は そういうことが
行われてたんだ。
そうなんです。

やっぱり 結構ね
子供が産まれても

普通に捨ててしまうような
親がいたんですね。

あとは…

行き倒れてる人を
そのまま無視するような

そういう社会でも
あったんですね。

そういう殺伐とした世の中を
本気で こう 変えようと。

なるほどねえ。

今だと当たり前だけどね

当時は そういう殺伐とした中を
真剣に変えたっていう。

ちなみに
蚊が うるさいので潰したところ…。

(波音)

罪に問われて 島流しにされたとか…。

犬を殺した たくさんの人々が
死罪になったとか…。

これらは 皆
後世の作り話だったと

最新の研究では 考えられています。

どうして その 悪い面が
こう 伝わるという印象ありますよね。

まあ 確かに 一つは

やっぱり 生類憐みの令が
あんまりにも ひどい

ちょっと 極端だっていうことが
あるんですが

もう一つ やっぱり 運が悪かった
ということがあると思うんですね。

徳川綱吉の治世の後半。
天災が相次ぎました。

(地鳴り)
(ものが割れる音)

(地割れの音)

(悲鳴)

大地震と
それに伴う火災で

20万人の命が失われました。

その4年後には…。

紀伊半島沖を震源とする
超巨大地震が発生。

更に同じ年。

(噴火音)

当時 こうした災害は

政治が悪いために起こると
信じられていました。

全て 綱吉のせいにされたのです。

更に 綱吉の評判を下げたのが…

綱吉の次の
6代将軍 家宣の側近です。

白石は 綱吉の死の直後

中野にあった 広大なドッグラン
犬小屋御囲場を廃止。

更に 綱吉時代の貨幣も廃止。

政策を 次々と否定しました。

綱吉の評判は ガタ落ち。

悪いうわさだけが
後世に伝えられたのです。

逆に まあ…

誰ですか?
はい。

ちょっと難しいですよね。
難しい… 誰だ?

じゃ ちょっと ヒントをあげますね。
ヒントなんですが…。

何ですか? これですね。
何?

「この印籠が目に入らぬか」。

先生 やめて下さい。
そんな お芝居はやめて下さい。

すいません。

はい もう 分かりますよね?
水戸光圀?

水戸光圀 徳川光圀
第2代の水戸藩主が

実はですね
イメージアップしてるんですね。

ペットの鶴がいたんですが…。

ペットの鶴?
ペットとして 鶴を飼ってるって

ちょっと すごいですけど。
ハハハハッ そうですね。

その黄門様が飼っている
鶴がですね

ある農民が 殺しちゃったんですね。

そしたら もう
黄門様が怒ってですね

その農民を捕まえて

処刑しようとしたんですが

もう その
ほんとに直前にですね 待てと。

よく考えてみたら
やっぱり 人の命の方が大事だと。

自分さえ我慢すれば
かまわないんだからっていうことで

その農民を許してやったんですね。

もう これは…

そういった意味で やっぱり
かなり反発したみたいなんですね。

そうですよね。

所長 今日は 龍馬と綱吉という
2人の人物 見てまいりましたけれども。

ほんとに今日 河合先生の語り口が…
語り口って言うとあれですけど

ほんとに滑らかで どんどん こう…。

体に入ってきてですね。
ありがとうございます。

いや 私 ほんとに高校の時にね

まさに 先生が27年やった
高校の教師

私の 高校の時の恩師が
日本史の先生でね

今でも おつきあいがある先生で。
ああ そうなんですね。

その人のね 語り口を
ちょっと思い出しました。

ああ ありがとうございます。
すごく楽しかったです。

最後に 金八先生に憧れて先生になった
河合さんから 締めのお言葉を。

まあ 歴史はね こう 変わらないっていう
イメージがあるんですけど

やっぱり 日々 こう
大きく変化していくっていうのを

分かって頂いたと思うんですが

ただ まあ あの 27年間 教員していて
よく生徒にね

何で そんな歴史が
ころころ変わるのに

僕たちは覚えなくちゃいけないんだ

歴史には 一体 何の意味があるんだ
っていうふうに

聞かれることがあってですね

ただ そういった時に
よく答えていたのは

全く同じことは起こらないですけど

「同じようなこと」っていうのは
何回もですね 繰り返して 起こってると。

だから 過去に学ぶこと
歴史に学ぶことには 価値があるんだと。

歴史に学んで それを

自分の将来とか 社会に役立てることが
できるんだよっていうふうに

話していました。

是非ですね 皆さんも歴史に学んで

自分の人生に役立ててほしいなと
思うとともにですね

当歴史探偵社では…。
ハハハハハッ!

是非 新説を 次々ですね 取り上げて

皆さんに ご紹介したいなと
考えていますので

これからも よろしくお願いいたします。

すばらしい!
所長の役割 どこ!? 私ね

正直 今 聞いててね
ちょっと 正座したくなるぐらい

今 なるほどと思いながら
聞きましたけども

よく考えたら あれ
今 所長の言葉だよなと思いながら。

そうでした。
いやいや でも ほんとに
今日は 楽しい時間でした。

ありがとうございます。
先生 ありがとうございました。