先人たちの底力 知恵泉「古田織部 “数寄”を究めた その先に」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

先人たちの底力 知恵泉「古田織部 “数寄”を究めた その先に」[解][字]

織部焼で知られ、「へうげもの」と呼ばれた戦国武将・古田織部。千利休から茶道を学び、道を究めることで大出世。独特の生き方を貫いた彼が目指した「数寄」の精神とは?

詳細情報
番組内容
戦国の激動から江戸の太平へ。時代が動き、社会が大きく変わる時、新たな文化・芸術が生み出される。「織部焼」で知られる戦国武将・古田織部もそのひとり。千利休から学び、茶道を究めたが、その独特の感性から、「へうげもの」(ひょうきん者)とも呼ばれた。そんな彼が、信長・秀吉・家康に仕えるなかで目指した「数寄」の精神とはいったいどんなものだったのか。戦国の世で独自の生き方を貫いた古田織部の知恵に迫る。
出演者
【出演】片岡鶴太郎,牧瀬里穂,静岡大学名誉教授…小和田哲男,【司会】新井秀和

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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「ふにゃり」と曲がった大胆なフォルム。

やわらかくかすれた緑の釉薬。

そして 現代アートを思わせる自由な絵柄。

桃山時代より続く…

この織部焼を好み
名前の由来ともなったのが…

戦国武将でありながら

「数寄者」としても知られる人物です。

「数寄」とは 「好き」の当て字。

織部は 専ら茶の湯に打ち込み

茶道具の目利きや茶器の収集などに
力を注ぎました。

そして その独特の感性から
「へうげもの」

ひょうきん者とも呼ばれたのです。

武将たちが天下人を目指し
力と力でぶつかり合っていた…

でも そんなことには目もくれず
織部は 大好きな…

師 千 利休のもとで茶の湯の修業。

織部は そこで「数寄の神髄」を学びます。

更に 数寄の道を突き進んだ織部が
たどりついたのは 現代にも通じる…

好きなことを ひたすら突き詰めた織部。

気付けば 天下の数寄者として
後世に名を残すまでになったのです。

そんな古田織部の知恵を読み解くのは…

わ~か~り~ま~せぬ~。

癖の強いキャラクターを演じ
個性派俳優として大活躍。

その一方 ボクシングをはじめ
日本画 書道 ヨーガなど

多彩な活動を行う
趣味人でもあります。

焼き物にも造詣が深く
伊万里焼をはじめ

唐津焼 備前焼などの制作にも
取り組んでいます。

バラエティー番組「オレたち
ひょうきん族」で大ブレークした

現代の「へうげもの」 鶴太郎さん。

戦国時代を数寄の力で生き抜いた
織部の知恵をどう読み解くのでしょうか。

今回は 古田織部の知恵を
味わっていきたいと思うんですけれども。

実は 私も茶道を習っていまして
最初の頃はハマっちゃって

月6回 通ってました。
そうですか。

はい。 すごいですね。
ねえ。 うん。

小和田先生 織部といいますと

茶人 数寄者として
知られてるわけなんですけども

れっきとした戦国武将なんですよね?
そうです。

もともと美濃出身の武将でしてね。

織田信長に従って
美濃攻めなんかもやったり。

だけど 意外とね そんなに…

だから そういった意味では…

もう それこそ…

そういう出世もあるんですね。

好きなことを突き詰めて出世すると?
そうですね。 ちょっと珍しいでしょうね。

なるほどね。
失礼します。

あっ いらっしゃいませ!
これはこれは 片岡鶴太郎さんです。

どうも どうも。
よろしく どうぞ お願いをいたします。

どうぞどうぞ こちらに。 よろしいですか。
ええ お掛け下さい。

お邪魔をいたします。 どうも。
よろしくお願いしま~す。

失礼いたします。
いや~ お待ちしておりました。

お久しぶりだけど
ここで会うのは初めてですね。

本当ですね。 ご無沙汰でございます。
あ~ そうなんですね。

いや 今日はね 古田織部。

好きなことを突き詰めて出世した
織部の知恵ってことなんで

鶴太郎さん ぴったりですよね。
そうなんです。 僕 織部焼が好きで。

織部焼というのは
魯山人 思い出すんですよね。

陶芸家の北大路魯山人。

魯山人の作品の中でも
織部の釉薬を使ったものが結構多くて

丸皿で鉄絵で
カニの絵が描いてありまして

そこにこう 織部が
釉薬がパッと入ってたりとか

その辺が こう味があって
すごい好きなんですよね。

はあ~。
へえ~。

今日は そんな古田織部にちなんで
当店 こんなメニューを

ご用意してみたんですけれども
こちらでございます。

ふるった織部の… 古田織部の。

織部のひょうきん数寄…。 あ~ なるほど。

う~ん うまいもんでございますな。
よかった よかった!

本当ですか?
え~ そうですか?

(笑い声)
いや 実はですね

今日 皆さん いらっしゃるということで
ご用意してるんです。

あっ そうですか。
準備しますね。 わあ すごい。 ごちそう。

ちょっとさっきから いい香りがして…。
あっ そうですか。 ちょっとね。

うれしいな。
はい こちらなんですね。

どうですか! いい香りがします。
あ~ いいですね。

いっぱい いろいろ具材もあって。
いかがですか こちらがね

「ひょうきん数寄焼き」! ひょうきん?
ちょっと待って下さい 店長。

肉。 大事なお肉が入ってません。

そうですよ。
ウチの「ひょうきん数寄焼き」は。

これは すき焼きとは違います。
いやいや 牧瀬さん それね とらわれすぎ。

すき焼きには肉が入ってるのが
普通だと思うでしょ? はい。

実は…

ちょっと このあと見ていく知恵に
関わってくるんですけれども

古田織部の
好きなことを突き詰めて生きる知恵。

まず そこから見ていこうと思います。

現在の岐阜県南部 美濃国。

時は戦国 天文13年ごろ。

永禄9年 織田信長が美濃を平定すると…

とはいえ その役職は
戦場での伝令などを担う使番

いわゆる「伝言係」。

…と 微々たるもの。

とても武将として天下を目指せるような
立場ではありません。

そんな織部にも 一つだけ
人に褒められることがありました。

それが…

初めは
いやいや 茶の湯を始めた織部でしたが

「周囲の者に褒められ
立派な数寄者になった」。

戦国時代 武将たちにとって
茶道具は 実用品としてだけでなく

権力の象徴として
愛されるようになっていました。

織部が仕えた信長も高価な茶器を
家臣に褒美として与えることで

その優位性を誇示し
政治の道具として利用。

多くの武将たちが
そうした数寄の道にハマっていたのです。

そんな武将にとって大きな意味を持つ
数寄を褒められて

その道にのめり込んでいった織部。

そして織部は ある人物と出会います。

堺の商人から 信長 秀吉ら
天下人のもとで茶事をつかさどる

「茶頭」となり
「わび茶」を大成させた人物です。

多くの武将たちを弟子にとり
数寄の道を説いていました。

この利休との出会いが
織部の人生を決定づけたと

織部の研究者は言います。

利休の時代は まだ戦国時代が
終わりきっていない時代ですので…

利休の存在を通じて見えてきたのは
一生をかけて追い求めるに値するほどの

その世界の奥深さでした。
そして 織部は…

出世を目指すより 数寄の道を究めよう。

こう思ったのかもしれません。

利休と共に真摯に茶の湯に向き合う中で

織部は 道を究める
ある知恵にたどりつきます。

織部の知恵を表す
こんな逸話が残されています。

ある日 利休を茶室に招いた織部。

利休は
床の間に飾られた花を見て驚きます。

本来 薄板の上に花を入れた籠を置くのが
決まりでしたが

織部は 薄板を置かずに
花籠をそのまま置いていたのです。

実は それは利休の教えでもありました。

利休の数寄の神髄が記された史料が
残されています。

「人と違うことをすることこそが
数寄である」。

それが 利休の信念だったのです。

美術史が専門の矢部さんは

織部は その利休の思いを
受け継いでいたと考えています。

織部の花籠を見た利休は
こう言ったと伝わります。

数寄の神髄を理解した織部は

利休の強い信頼を得ることになります。

更に 織部の数寄にかける情熱は

茶の湯の道具
茶器そのものにも及んでいました。

織部の生まれ故郷 美濃国
現在の岐阜県土岐市。

ここで 17世紀初頭に作られた茶碗です。

底に記されているのは
織部のサインである花押。

その上から釉薬をかけていることから

織部自身が窯場に赴いて
サインした可能性が指摘されています。

織部は 従来の茶器に飽き足らず

陶工に自分の好みにあった茶器を作らせ
それをプロデュースしていくのです。

そして ここにも…

…という織部の知恵がありました。

古田織部は 陶工にオーダーします。
それは…

これも画期的でしたね。

「違うこと」に価値を見いだした織部は

一つ一つの焼き物に個性を持たせるよう
陶工に指示します。

そして生み出されたのが あえて…

唯一無二のユニークなデザインです。

更に個性を際立たせたのが…

まるで現代アートのような
自由な絵を描くことで

独創的な焼き物を生み出したのです。

こうした器は 「織部好み」と呼ばれ
こう評されます。

「へうげもの」とは
ひょうきんの意味。

つい笑みがこぼれてしまいそうな
大胆なデザインです。

しかし この「織部好み」 師である…

無駄な要素を極限まで省き
渋くシンプルな「わびさび」を好んだ利休。

自由で豪快な織部の好みとは
まさに正反対。

そこにも 「人と違うことをすることこそが
数寄である」という

数寄の本質が表れていたのです。

そんな織部と 同じ利休の弟子
細川忠興を比較して評した

史料が残されています。

「織部はよかったが
細川忠興は 利休と違うことをせず

名を残すことは
できなかった」。

ただ利休のまねをするのではなく
その本質を理解し

自由に個性を発揮する。

こうした…

しかし 時は乱世の戦国。

な… 何!? 利休様が!

天正19年 師である利休が
秀吉との確執により

堺での蟄居を命じられてしまうのです。

多くの弟子たちが秀吉を恐れる中

織部は 兄弟弟子の細川忠興と共に
たった2人で堺へ行く利休を見送ります。

そこには 数寄の本質を教えてくれた
師に対する強い思いがありました。

そして その年の2月28日。

利休は 秀吉に命じられ 切腹。

その後 織部は 利休のあとを継ぐように
天下人 秀吉のもとで

茶事をつかさどる
茶頭に任命されることになるのです。

ということで 好きなことを究めていたら
天下の茶人になってしまったというね。

やっぱり 好きという気持ちが
もう そこに火がついちゃうと

止まらないんでしょうね。
いろんな考えを巡らせたり

その情熱っていうのは やっぱり
すごいなあというふうに思いました。

やっぱり この方は
武将であって武将じゃないですね。

性根はね。 普通 もし武将だったらば
やっぱり 秀吉の顔色を見るから

利休先生のところには
見送りには行かないですよね。

時代的にはね。
ですから 何て言うんでしょうかね。

命のかけ方が
全部そっちに行ってますもんね。

確かにそうですね。 う~ん。
小和田先生 織部がのめり込んだ

数寄というものですけれども
これ 当時の武将たちの間では

どういうものだったんでしょうか?
そうですね。

やっぱり当時 戦国乱世ですから
もう戦いで いつ死ぬか分からない。

本当に 合戦合戦の連続で
心が やっぱちょっと 何て言うのかな

痛むというか そういう状況の中で…

その中に…

ですから やっぱ…

そういう瞬間が
当時の武将たちも求めていた。

しかも当時…

濃茶ですね。
うん。 だから…

そっか そっか そっか。

まさに こういう場だったのかも
しれないですよね。 そうそう。

そうですね。
ねえ。

まあ 武士たちにとって 茶器というのは
非常に重要な意味を持っていた

ということなんですけど
特に織部が好んだのが…

先ほどから出てるものなんですが
実は 当店も

大切なお客様が来た時に
出そうと思ってね。

あるんですか。
あるんですよ。 こちらなんですね。

本当だ。
ねえ。

ぐい飲みもありますからね。 おお~。
あ~ ありがとうございます。

へえ~。
どうぞ どうぞ どうぞ どうぞ どうぞ。

失礼をいたします。

この織部の この釉薬のグリーンですよね。
深グリーン 深緑ね。

これ やっぱりいいですよね。
モダンでもあるし

何か 縄文土器の
ああいう模様にも見えるし。

もし自分がお客で ほかにお客様もいれば
「この模様は何でしょうね」なんて

お話ししながら
それで盛り上がるっていうのも

楽しい ひとときなんだろうなって
思います。 なるほどね。

でもね 「織部好み」の焼き物が 当時は
大ヒットしたということなんですけど

小和田先生 改めて
そのヒットの理由っていうのは

何だと?
まあ これやっぱり…

織部焼っていうのは。

つまり 一種の…

かぶいてるんだなあ。

ということで ここの知恵が…

…ということだったんですけど。
もしかしたらばですね

茶の湯だけじゃなく どんな仕事にも
言えるのかと思うんですけど

やっぱりオリジナリティーっていうのが

問われてくるんじゃないかと
思うんですよね。

どんなに 先生 師匠がいても
やっぱり 先生の…

私が習ってる茶道に関しては
おてまえというのは

先生から教えて頂けるんですけど
例えば 歩き方だったり

茶しゃくの位置はこう 位置がとか
そういうのは教えて頂けるんですけど

やっている時 また お茶会の時に起きた…

…っていうのがあるんですね。

ただ順番どおりに
きれいにやるんじゃなくて

まだお客様が
お菓子を召し上がっているんであれば

ちょっと一呼吸置いてから じゃあ
たてましょうみたいな感じにするとか

そういう…

…というふうに教えて下さって。

それは人生… 自分の中の人生でも

そういうことって
いっぱいあるだろうなあと思って

それは すごく感動した記憶があります。
はあ~。

はい そうですね。

織部といえば 「へうげもの」と

ひょうきん者っていうふうに
いわれてたわけなんですけど

鶴太郎さんといえば
「オレたちひょうきん族」ということで

そのひょうきん者に通じるところも
あるのかなと思うんですけど。

今 ちょっと これ見ててね

古田織部と 師匠である利休って比べると
私たちにとって…

もう要するに 怪物番組なわけですよね。
大師匠で。

裏番組に 3か月だけ ワンクールだけ
ちょっと ひっかき傷つけて

ゲリラ的にやって終わろうっていうことで
「ひょうきん族」始まるんですね。

で やっぱり
師匠と おんなじことやってても

利休さんと同じことやってても
しょうがない。

だったら…

あちらは生放送。 こちらは収録。

で 向こうは きちっと台本を作って
生放送ですからね

きちっと台本を作ってやる。
リハーサルも何度も重ねてやる。

こちらは ほとんどアドリブでいこうと。

台本なんかは
本当 薄っぺらいんですよね。

リハーサルも
本当 1回しかやんないんですよね。

ドライリハーサルをやって
あとは もう本番。

何言うか分かんないんですよ みんなね。
はあ~。

ですから本当に そういった意味では
利休と織部 対比の感じでしょうかね。

そうですよね。

いや でもね こうして利休の志を継いだ
織部なんですけれども

このあと 時代は大きく動くということで
そんな激動の時代を生き抜く上で

織部は今度 どんな知恵を発揮するのか
その辺りを見ていこうと思います。

利休のあとを継ぎ 茶頭となった織部。

しかし 彼を取り巻く世界が
大きく変わります。

秀吉の不在により空いた天下人の座を巡り
武将たちの動きが激しくなります。

秀吉の子 秀頼を擁し
豊臣家の世を守ろうとする石田三成。

そして その三成に真っ向から対立する
徳川家康。

この2人のもとに

それぞれの思惑を持った
武将たちが集まり始め

天下を決める大戦の気配が…。

秀吉のもと茶頭を務めた その存在は
大きなものでした。

家康は その影響力を利用し…

そして 織部は
この激動の世を生き抜くため

ある知恵を発揮するのです。

天下を決する大戦を前に…

佐竹氏は かつて三成に
お家存続の危機を救われた恩があり…

…と言ったほどの石田派の武将。

水戸に大勢力を持ち

西に攻め込もうとすれば
背後を突かれてしまうと

家康が恐れた存在でした。

この佐竹を味方に引き入れるように
織部は命じられます。

実は この義宣も
数寄の道をたしなむ数寄者。

天下分け目の戦を前に
織部は 義宣を招きます。

しかし この席で織部は

家康の命に そのまま従ったわけでは
ありませんでした。

そこには 織部ならではの
ある思いがあったのです。

(丸山)佐竹義宣を家康の命をもって

味方につけるように行きました時に…

誰もが共に生きる
「平和」な世界を目指した織部。

実は その「共生」の哲学は

織部の茶器の好みにも
表れているといいます。

「織部好み」の茶碗…

その特徴は 大きな傷。

なんと これ わざと割った器を
つぎ直したもの。

この傷が面白いと 織部は考えたのです。

(丸山)立派な茶碗を四つ割りにして
そして繕って 茶会に出すと

それでも機能すると。

そんな思いを
織部は強く持っていたのです。

そして 慶長5年
天下分け目の関ヶ原の戦い。

佐竹は結局 織部の言葉に従って
中立を守り

目立った動きをしませんでした。

大勢力である佐竹が動かなかったことは
家康ら東軍に有利に働き

戦いは 東軍の勝利に終わります。

織部は この働きを認められ
家康から大和に7, 000石を与えられ

合わせて1万石を有する大名となります。

そして佐竹は この戦で
家康に刃向かわなかったことにより

お家断絶の危機を免れ
後の世を生き延びることになるのです。

互いを認めて 皆が共に生きる世界を作る。

織部が こうした
人と人とをつなぐ動きを

徳川の世になっても行っていたという
史料が近年見つかりました。

島津の治める薩摩で作られる茶器を
織部が褒めたという知らせ。

実は このことが織部の目指す

共生の世界を生み出すことに
つながるのです。

そのころ島津家は
関ヶ原の戦いで西軍についたことで

徳川家との関係を悪化させていました。

そして その当主
義弘も 数寄の道を進む武将でした。

織部は
数寄仲間の義弘の薩摩茶器を褒め

二代将軍 徳川秀忠に献上。

そのことにより 薩摩焼の評判が広がり

島津氏の政治的地位が
上がることにつながったのです。

そして 数寄を究めることで

政権内でも圧倒的な存在感を
持つようになった織部は

二代将軍 徳川秀忠の茶の指南役にまで
上り詰めます。

好きなことを追い求めていたら

いつの間にか
権力の中枢にまで近づいていた織部。

しかし そのことが
彼を危機に陥れることになるのです。

そして その時 事件が起こるのです。

大仏殿の釣り鐘に記した

「国家安康」の文字。

それは 「家康」の名を分断させ
滅ぼすことを意味するとして

家康が激怒。

更に「豊臣が豊かになるように」とも
書かれていると難癖をつけ

供養を中止させたのです。

家康は このことをきっかけに
豊臣家に大坂城からの退去を求め

兵を挙げたのです。 世に言う…

徳川家による
全国的な支配を目指す家康は

こうして政治の世界から豊臣家の影響を
一切排除しようと もくろんだのでした。

しかし こうした徳川の動きは

数寄の力で人々をつなぎ共に生きる世界を
目指してきた織部にとって

許せるものではありませんでした。

事件の直後 8月28日。

織部は 茶席を設けます。

客として招いたのは なんと…

あの問題の銘文を起案した人物でした。

この席で織部は 事件について
文英を慰めたといいます。

徳川一色の世の中なんて
面白くも何ともありゃせんよ。

多様な美をよしとする織部には

画一的な世界に対してあらがう気持ちが

あったのかもしれません。

しかし そうした織部の「共生の美学」は
徳川と激しくぶつかることになります。

淀殿 秀頼が自決。

それを受け 織部は捕らえられます。
罪状は…

そして 息子の重広と共に
切腹を命じられます。

それは お家断絶を意味する
厳しい処置でした。

それでも織部は
何一つ 口答えすることなく

切腹に応じたといいます。

「数寄は世界をつなぐ」という
かなわぬ夢が そこにはありました。

ということでね。 数寄による
平和な世界を目指したという

織部だったわけですけど。
やっぱ 戦の時代ですからね。

でも その時代にあって
やっぱり 武将であって武将でなく

美をめでて そして 美でもって

何かこう 人の生き方を
説いてたような気がするんですよね。

そして ここの知恵が…

…という 共生の哲学なんですが。

先ほども出てきましたけど こちらですね。

はい
この「十文字」というね。

これ 割った茶碗を またつぎ直して作る
というものですけれども。

大好きな器なんですけどね。
大好き。

何の変哲もない 普通に
きれいな茶碗だったかも分かんない…。

言ってみれば 面白みもない。

だったら一回 それを
負の状態に持っていくというか

普通にあるものよりも そういう…

この ちょうど十文字になってる
この傷がついてるのが

魅力 面白さになる。
見どころになってくるじゃないですか。

「あ~ 面白いな これなあ」なんつってね。

確かに これあったら
みんな こう見ますよね。 見ますよね。

早く飲みたい。
飲んでから気付くわけじゃないですか。

「あ~ 十字になってる!」っていう。

ですから…

清濁併せ持つというか。 何かこう…

話せる男… なるほど。 う~ん。

牧瀬さんなんか いかがですか?
この共生っていうところ。

人としても 何て言うんでしょうね…

本当に それは…

今の時代でも 共生の大切さっていうのが
言われる中で

この時代から やっぱり そういうことを
やっていたっていうのがね。 すごい。

家康に切腹を命じられる原因にもなった
平和な世界を目指すというね

共生の哲学なんですが 家康とは
どういう関係だったと言えるんですかね?

家康自身は そんなに茶の湯に
のめり込んだ人ではないんですけど

でも 先ほどのVTRにあったように…

なるほどね。
ちょっと
難癖っぽいところありますもんね。

ありますね。

いや 今日はね 古田織部の
好きなことを突き詰めて生きる人生を

見てきたわけなんですけれども
鶴太郎さん いかがですか?

自分の生命 命をかけて
好きなことをやり通す

そういうものを持ってることの幸せさを
やっぱり つくづく感じますし…

今日…

…っていうのもあるのではないかなって。

人が「あ…」 ちょっと考えてしまう
思いを巡らせてしまう そういう隙を

何か 言葉だったり 物だったりに
与えて下さる人なのかなあって

ちょっと思ったりしました。

何か 心のゆとりみたいなものを こうね。
そうですね はい。

生み出してくれるところが
あるのかもしれませんよね。

でも 何か 数寄っていうのが
好きなことばかりの好きじゃなくて

何か 信念っていうかね。

…というふうにも ちょっと思って

何か それだったら それぞれの道で
信念を貫くっていうことが

ちょっとできるかなあ なんていうふうに
思いましたよね。

いや~ 何か
ずっと出してなかった この織部焼

気に入っちゃいましたね 私も。
いや すてきですよ。

もう お店改装して
器専門店にしようかな。

えっ あれ? だって ここは
「歴史居酒屋」ですよね? ダメですよ。

何か 「歴史器居酒屋」とか
器だけ出すとか。

何か違うことをやっても
いいんじゃないですか。

本当ですか?
いいんですか? 先生。

でも 先ほど言ってたけど
要するに 信念を通すという意味では

信念が全然通ってない
ブレブレっていうことですよね。

私 ブレてます!? ブレてますね。
あら! ですよね。