100分de名著 マルクス“資本論”(3)▽“クソどうでもいい仕事”を生む?[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

100分de名著 マルクス“資本論”(3)▽“クソどうでもいい仕事”を生む?[解][字]

人々の暮らしを楽にするはずの「イノベーション」。しかし現実は「ブルシット・ジョブ(クソどうもいい仕事)」が増え続ける。労働者の負担が減らないのはなぜなのか?

番組内容
人々の暮らしを楽にするはずの「イノベーション」。しかし現実は「ブルシット・ジョブ(クソどうもいい仕事)」といわれる労働だけが増え続け、逆に労働者の負担は減るどころかますます増えるばかり。資本主義下、企業間の競争が激化する中でのイノベーションは、本来豊かな労働を「構想」と「実行」に分離、創造的な「構想」のみを資本家が奪い単純労働のみを労働者に押し付けるといった過酷な状況が構造的に生じてしまう。
出演者
【講師】大阪市立大学准教授…斎藤幸平,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】岡山天音,【語り】目黒泉

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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産業革命以降 私たちの暮らしを
激変させてきた技術革新。

つらい労働は 機械に任せて

人間は 快適で充実した人生を
送れるように…

なりませんでした。

豊かな仕事とは何か。

イノベーションがもたらす意外な問題点と
打開策を 「資本論」に見いだします。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。

マルクスの「資本論」を読んでいます。

今回は Eテレらしくない
刺激的なサブタイトルですね。

いや 何かね 「クソどうでもいい」。
すごい… すごいですよ。

このあと ちょっと
びっくりしないで見てて下さい。 はい。

教えて下さるのは
経済思想家の斎藤幸平さんです。

よろしくお願いします。
お願いいたします。

よろしくお願いします。

斎藤さん 前回は私たちが働きすぎる
仕組みというのがあると

教えて頂いたんですが。

今回もですね 働き方について
見ていきたいんですけれども

特に そのイノベーション
技術革新といわれるものが

私たちの労働に
どんな変化をもたらしているか。

まあ タイトルにもあるように
何で つまんない クソみたいな仕事が

たくさん増えてしまうのかという問題を

ちょっと考えていきたいな
というふうに思います。

このキーワードは 恐らく
連呼されることになるんでしょうね。

そうですね。 いいんですかね。
まあ タイトルですしね。

頑張っていきましょう。
はい。

まずは ちょっと見て頂きたい
グラフがあるんですけれども。

これなんですよね。

「過去2000年間の世界のGDP」の
推移を表しているんですが

ものすごい
急上昇なんですよね。

こんなグラフって 他にあります?
すごいですね。

この起点と
なってるのはですね

まあ 一般に よく言われる
産業革命になるわけですけれども

やっぱり
資本主義というのは 利潤を求めて

どんどんどんどん 競争もするので

新しい技術も生まれて
生産性も高まっていく中でですね

経済成長が どんどんどんどん
進んでいったというのが

この 200~300年になるわけですね。

そういう現実を前にして

20世紀の ケインズという
すごい有名な経済学者の人が

2030年になる頃には もう 我々の生産力は
もう 上がりに上がってるから

もう 週に15時間だけ働けば
1日3時間 働きさえすればいいような

社会になってるはずだと。
ほう。

そうなると 21世紀の私たちが
考えなきゃいけない問題は

労働じゃなくて むしろ暇になって

この余暇の時間を
どう過ごすべきかっていうのが

経済学の問題になるって
予言したんですよ。
うん。 うん。

でも 我々って 15時間ですかね?
いやいやいや… いや。

そうだよね。 下手すりゃ そういう環境に
いる人だって いっぱいいるよね。 ええ。

もう
こんだけ豊かになってるんだったら

ちょっとカーブさせても
いいんじゃないのっていうふうに

でも なってないわけですよね。
そこに何かあるわけですね。

むしろ つらい仕事が増えているし

むしろ ロボットとかAIが
発展してくると

仕事 失っちゃうんじゃないか
というような恐怖に駆られて

かつてないほどに
働くようになってしまっている。

この謎を ちょっと考えていきたい。

今日 見ていきたいのは 「疎外」っていう
一つ キーワードがあるんですけれども

さっき クソくだらない仕事という言葉を
言いましたけれども

要するに 私たちの仕事ってのは
全然 楽しくない。

もう月曜日 憂鬱。
もう会社行きたくない。 何なら辞めたい。

宝くじ 当たらないかな
みたいな。
うんうん。

まあ そういう 仕事が何か嫌なものとして
感じてしまうことを

マルクスは
「疎外」というふうに呼んだんですね。

そして 疎外されてないような
もっと豊かで楽しい

仕事も楽しいし 余暇も楽しい
っていうような

社会のあり方は ないのかな
というのを考えたのが

マルクスの「資本論」なんですね。

でも イノベーションで改革が進む
ということは

生産力 実際 上がってますし
労働者の負担は減るのが

普通の流れだと思うんですけど
何で そうなってないんですか?

はい。 これ単純に言ってしまえば

資本主義のもとで
イノベーションが起きたとしても

それは 労働者たちの労働を
楽なものにするためではないからですね。

むしろ 労働者たちを
より効率的に働かせることで

今までよりも
安く 物を作ろうじゃないか。

むしろ 労働者たちは
その駒になってしまうわけですね。

何か イノベーションっていう言葉を

悪い意味で捉えたことが
一度もない気がする。

スピード感もあるし お手頃価格で
出来上がるためのものだと思ってたけど

あれ どうも ちょっと何か。

何か 駒にされてる感じが
今 ありましたね。 進化なのに。

俺の言ってる このスピードと
よりお手頃な お値段あたりに

何か隠れてる気が
ちょっとだけ もうしてきた。

もう怪しいですね。
はい。

その裏に何があるか。
何があるのかってことですね。 ええ。

なぜ 生産力が上がっても
労働者は働かされ続けるのか。

例えば シャツ作りの場合。

資本家Aの工場では
1着のシャツを 手縫いで作り

1万円で売っていたとします。

一方 資本家Bの工場では ミシンを導入。

大量に安く作れるので 1着1, 000円で
売ることができるようになりました。

安い商品は 当然
市場で シェアを伸ばすことができます。

更に 資本家Aが
1万円で売っているので

5, 000円で売っても
優位に立つことができます。

この時 4, 000円の上乗せ分は

まるまる 資本家Bの儲けになるのです。

となれば 当然
他のシャツ屋も黙ってはいません。

みんな ミシンを導入し
更に安い値をつけ

資本家Bから
シェアを奪おうとするでしょう。

そこでは 賃金をも値下げされると
マルクスは言います。

価格競争の波に乗り遅れると
淘汰されてしまう資本家は

儲けを拡大しようと必死になり
労働者は酷使されるのです。

でも ぱっと考えると

商品が安くなることは
やっぱり いいことなんじゃないかと

消費者は思ってしまうんですよね。
やっぱ 安く買えるので。

でも そうじゃないわけですよね。

私たちは 同時に労働者でもあるわけで

その観点から
考えなきゃいけないんですけれど

マルクスは 労働者がもらえる
賃金というのは

生活費で決まるというふうに
考えてたわけですね。
ほう。

だから 食費とか家賃とか

まあ 今日であれば
インターネットとか 携帯の料金とか

まあ そういうのを足した価格が
賃金になるというふうに

マルクスは考えたわけですよ。

でも今 じゃあ どうなってるかっていうと
非正規の労働者たち バンバン雇って

その人たちに 手取りが15万円とかの
給料だけ 与えたとしても

もう その人たちは じゃあ もう

ファストフード ファストファッションで
やってくれっていうふうに

資本家が パワーバランス次第では
言えちゃうわけですよね。

そうなってくると 社会全体に
貧しい賃金しか もらえない

労働者たちの一群が
形成されるようになっていくわけですね。

僕ね つい この間ね
イノベーションについての番組で

大きな倉庫の中で
たくさん 物を運ぶ仕事で

今までは 10人掛かりで運んでました。
台車を押してたんだけど

これからは 先頭の1人だけは
人が台車を押すんだけど

残りの9台は
その台車に ついてくるっていう

プログラムをされている台車が
導入されるから

これ すごい コストカットになります
みたいなことをやってたんですけど

残りの9人は失業じゃないですか。
そうですね。 要らなくなっちゃった。

でいて この1人の人って
まあ まあ いろんな側面あるんだけど

まず 意見を言う集団に
ならないじゃないですか。

1人ですもんね。
絶対。 ねえ。

お前も クビでいいの? って

9人いるよ まだ 仕事やりたいっていう人
っていうことじゃないですか。

その機械が悪いんじゃないんですよ。

悪いんじゃないんだけど
イノベーションの側面っていうのが

何か 今
すごい むき出しにされた気がします。

だから 資本家にとっては
夢の技術革新なんだけれども

実は
イノベーションを進めていく際には

労働の効率を できるだけ
上げていかなきゃいけないわけですよね。

生産力を上げなきゃいけない。

そのためには 資本の命令を聞くような
労働者たちを

どんどん 作り出していかなきゃいけない。

そんな都合のいいような この生産過程を
作り出していくっていうのが

マルクスが最も問題視していた いわば
「働かせ方」改革の本質になるわけです。

で しかもね
それ すごいなと思ったのは

先頭の人に こういう
何か ゴーグルみたいの ついてて

遠隔から 彼の見てるものが
分かるんですよ。 監視されてる。

それで 遠隔から
その暗い倉庫の通路 3本目を

右に曲がっていってくれ みたいなことは
更に外から できるんですよ。 え~!

そうなってくると この人は もはや
えっ 人なの? みたいなことが。

ほんとですね。

だから
もう ほんとに ただ労働者たちが…

もう 誰でもできるような仕事ばかりに
なっていくっていう

そういう現状があるわけです。

で その技能が奪われていくことについて
なんですけれども

このように 「労働」が

「構想」と「実行」に分かれると

2つに分けられると
考えていたんですよね。 はい。

例えば 土鍋を作ることを
考えてほしいんですけれども

耐熱性とか 耐久性とか考えて

計画を練るわけですね。
これが 構想の場合。

その構想に沿って 実際に鍋を作る
これが 実行になるわけです。

本来の 労働のあり方というのは

マルクスによれば この構想と実行が
統一されているのが

まあ 人間らしい姿だっていうふうに
考えていたと。

ところが 資本主義のもとで
どんどんどんどん 技術革新が起きて…

労働者を追い詰める 「構想と実行の分離」。

一体 何が起こるのか。

構想と実行が統一されていた仕事は
昔の職人仕事などです。

職人が作れる数には 限界があるので

たくさん作ってほしいと依頼しても
断られてしまいます。

安く 大量に生産したいと思っている
資本家にとっては とても不都合です。

そこで資本家は 職人が
経験や勘を頼りに行っていた技術を

つぶさに観察 分析し
切り分けていきました。

分業させることで
素人でも 少し トレーニングすれば

道具を用いて
作業できるようになります。

作業を マニュアル化し

職人のように口答えしない
素人集団を集めれば

生産性も
コントロールしやすくなります。

構想と実行の分離は
機械化によって 一層 深まります。

無駄を徹底的に省くため
用途に合わせた専用の機器を導入。

すると 機械のペースに合わせて
作業を行うことになります。

労働者は 主体性をなくし
単純作業に専念させられる。

マルクスは この状態を

人が 機械の歯車として使われていると
非難しました。

構想と実行が分離することで

労働者は 何年 仕事をしても
何の技能も身につかず

機械の一部と化して
働き続けるしかないのです。

例えば 板前さんとかって
あるじゃない。 ああ。

板前さんの現場って 効率よくするために
皿洗いだけする人は必要なんですよ。

だけども これは 下っ端は
まず皿洗いからってことで

一生 皿洗いをするわけじゃないんです。

そろそろ お前は
焼くもんをやってみるか みたいな

その工程の中で
やってるだけじゃないですか。

だけど もう一生 皿洗いなんです
ってことになった時に

これは 何か
ちょっと おかしなことになる。

難しいですよね。

でも このバランスが すごく難しいのは…

俺は もう それでいいんだもん
っていう人だって いっぱい いそうで

その辺だよね。
そうですねぇ。

で 分かったうえで それがいいんなら

まあ それでいいでしょうと
思うんだけども

僕らは あんま 考えたこともなく

そういう社会にいるのは
ちょっと どうかなと思いますね。

そんなもんだと思ってますもんね。
斎藤さん 今のは いかがですか?

そうですね 何か 思考が
やっぱり停止しちゃって

この現状を そのままに
受け入れてしまうというのは

本来 マルクスが思い描いてた
ビジョンとは違うわけですね。

人間っていうのは
もっと いろんな可能性もあるし

そういう労働者の人たちも 自分の能力を
発展させる可能性があったかもしれない。

もともと そういう人たちだった
っていうよりかは

こういう 機械化が進んでいって
構想を奪われてですね

機械の部品として 働き続けることに

いわば もう慣れてしまって
諦めてしまった

現代の労働者たちの姿とも
言えるんじゃないですかね。

で 更に
あの機械化のところで ぞっとするのは

どこの工場にも入ってる機械に
人間を合わせるのには

人間を規格化して これ以上 能力が
高くないっていう人とかをやっておけば

この人は 自分の能力は高いんだから
いくら欲しい みたいなことも

言わなくなるってことですよね。

まさに イノベーションが進むと
型に はめられるということはありますね。

資本主義のもとでは
構想を独占した資本家が 優位に立ち

労働者は 働けば働くほどに
貧しくなってしまう 負の連鎖へ。

イノベーションが進むほどに

本来の労働の豊かさは
失われてきたのです。

「資本論」が書かれてから 150年余り。

現代では マルクスが指摘した
「構想と実行の分離」が先鋭化し

新たな事態に直面しています。

で 新しい仕事の概念が
注目されていますけれども

こちらなんですね それが。

これ どういうことなんですか?
はい。

これ 文化人類学者のデヴィッド・グレーバー
という人がですね 名付けて

これ今 世界的なブームになっている
言葉なんですけれども

やっている本人さえも
この仕事が なくなったとしても

全く 社会にとっては影響ない。

むしろ なくなった方が 社会にとって
有益なんじゃないかっていうふうに

感じている仕事のことを
「ブルシット・ジョブ」。

えっ 何で これが生まれるんですか?

どんどん効率的になってった
感じがするのに。 そうですよね。

そう 実は我々ね
効率化を求めてきましたよ という話を

今日 していたんですけど。
はい。

資本主義社会なので やっぱり
できるだけ 資本家たちは働かせたい。

どんどん どんどん
働かせようとすることで

ついには 意味のない仕事を
でっちあげてまで

労働者たちを束縛して 働かせないと
いけないようなところにまで

きちゃってるんだっていうのが
グレーバーの主張。
はあ~…。

どういう仕事が これにあたるのかな?
まあ グレーバーが挙げてるのはですね

広告業とか まあ
コンサルタントとか 投資銀行とか。

例えば 広告が 一番
分かりやすいと思うんですけれども

歯ブラシの宣伝 あるいは歯磨きの宣伝で
モデルの歯を白くする作業っていうのを

延々と やってる人たちが
いるわけですよね。

でも それ やってる人たちっていうのは
気がついてるわけですよ。

これ いくら モデルの歯を白くしたって

歯磨き あるいは 歯ブラシの性能
全く変わらないよねとか

まあ 口紅にしたって
パッケージングとかに

私たち すごい お金とかエネルギーを
割いてるけど

口紅の品質は
1ミリも変わらないわけですよね。

で むしろ宣伝で 「この口紅をつけないと
あなたはブスですよ」みたいな

そういう あおりをしてるというのに

それに加担してるということを
やってる労働者たちは 感じてると。

それが実は 世界中の労働者たちから
俺の仕事も ブルシット・ジョブだった

俺も ブルシット・ジョブだったという声が
もう すごい届いて

キーワードになってるんですよね。

これって まさにマルクスが言ってる
労働の疎外なわけですよね。

これは しかも
更に言えば 今日見てきた

構想と実行が分離されてしまった
その極致と言ってもいいと思うんですね。

だって もし自分が構想して
実行できるんだったら

もっと こういうことをしたら
楽しくなるなって判断できるわけですよ。

でも 今の社会では 構想と実行が
もう分離されちゃってるので

多くの労働者たちは
意味のない仕事に 毎週40時間

人生で言ったら
ものすごい時間を割かなきゃいけない。

そしたら もう本当に
ああ 俺の人生って

結局 何も残せなかったなというふうに
なってしまうわけですよね。

う~ん…。 会社員でも
あるかもしれません。

上司が かわったから
今度は こういう報告書が要るよとか

今までは だって 同じ仕事しても
口頭でよかったのに

人が かわったから
この書式で作ってねって言われたら

1週間ぐらい かかるんですよ
その 口頭で済むことが。

割と巧妙に隠されてるじゃないですか。

必要に見えるように
なってたりとかするから なかなか…。

ただ 自覚した人は きついだろうなぁ。

マルクスは 労働の疎外を克服するには
どうしたらいいと言ってるんですか?

構想と実行の この分離を乗り越えて
もう一回 仕事をやりがいのあるもの

そして 社会に役立つものに変えていこう
っていうのが 基本線になります。

今日はですね 一例として 学校給食の例を
挙げたいなというふうに思います。

はい。 学校給食の実施方法というのは
主に 2つあります。

「自校方式」というのは 各学校の給食室で
調理して 食べてもらう。

もう一つ 「センター方式」
こちらは給食センターで 数十校分

まとめて作って 配るという
方式なんですね。

はい。 当然 センター方式の方が
まとめて作るので

効率化を進めることができるし
コストカットもできるわけですよね。

ところが
そこで機械導入したりして

野菜 自動的に
カットしたりするんですけれども

まあ どうしても
画一的な切り方になってくると

作れるメニューとかも限定されちゃうし

加工食品とかですね そういうものが
増えてくると 添加物の心配だとか

栄養価の難があったり まあ そういう
欠点が どうしてもあるわけです。

だから いわば
味が犠牲になってしまうのが

センター方式の
デメリットだったわけですね。

これは 今日 見てきた話でいうと

構想と実行が分離されていく

学校では ただ配るだけ
みんなは食べるだけになる。

そういう状況に
まあ 抗するような形で

自校方式というのが
まあ ず~っと維持されたり

あるいは センター方式
やってみたんだけど

やっぱり 自校方式の方がいいよね
っていうような学校っていうのが

結構 あるんですね。

で 自校方式においては
調理の人たちを

いっぱい雇わなきゃいけないし
栄養士の人たちを雇ったりする。

そうすると 自分たちで
メニューを決めることができるし

場合によっては地元の農家の人たちが作る
野菜を使ったり

郷土料理を作ったりとか
そういう 自分たちでメニューを考えて

料理を出すということが
できるようになってくるわけです。

ここで まさに自校方式によって
構想と実行が 再統一されてることで

実現されてることじゃないかな
というふうに 僕は思うんですよね。

で 僕なんかが期待するのは

そこに ハイブリッドのものが
生まれてくれるといいと思うんですよ。

ちゃんと その自校方式とセンター方式が
上手に戦えて

でいて いい方の工夫は
するんだけれども

何か そこの ひずみが なるべくない
ルールを作るとかが いいと思うし

別に これを
ずっと 「資本論」の話を聞いてて

資本主義 やめます
というわけにはいかないのは

すごい よく分かるんですよ。

でも 弱点克服の 何か やり方は
やっぱ 考えた方がよさそうですね。

本当は もっともっと
いろんな仕事の中で

この構想と実行というのが
分離されてしまったのを乗り越えて

もう一回 労働を魅力的なものに
していこうじゃないかというのが

マルクスの考えたことで
だから これから 若い人たちが

何か 仕事を選んだりする時には

単に お金が高いから
ブルシット・ジョブでもいいや

何か 有名な企業だったら
何でもいいやっていうんではなくて

豊かな仕事 社会を豊かにしていくような
仕事っていうのは

何なんだろうかって考えながら

何か そういう きっかけにしてくれたら
いいなというふうに思いますね。

斎藤さん ありがとうございました。

ありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~

なれそめの数だけ
いろんな人生の楽しみ方が見えてくる。