100分de名著 金子みすゞ詩集 [新](1)「詩心の原風景」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

100分de名著 金子みすゞ詩集 [新](1)「詩心の原風景」[解][字]

山口県仙崎の漁師町で、死んでいく小さな魚を見て育ったみすゞ。彼女の中には、小さな命を慈しむ優しい心、また命なきものへの温かなまなざしが宿っていく。

番組内容
金子みすゞの少女時代は、大正デモクラシーであり、子どものための自由な教育と表現の気運から、児童の文芸誌「赤い鳥」「童話」等が創刊。そこに載った「童謡詩」は、歌にもなり、大人にも人気を博す。本屋の娘だったみすゞは、こうした童謡詩を愛読して育ち、漁師町の風景のなかで、詩心をはぐくむ。第一回は、初期の作品から私たちが失いがちな見えないものへのまなざし、見えない世界に想いをはせる心の豊かさを考える。
出演者
【講師】作家/翻訳家…松本侑子,石橋静河,【司会】伊集院光,安部みちこ,【語り】加藤有生子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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この詩を作った詩人の名は 金子みすゞ。

26歳で世を去った詩人 金子みすゞ。

死後に評価され 今や
たくさんの詩集が出版されています。

みすゞの詩を育んだのは…

その発表の場は
子ども向けの 最先端の雑誌でした。

第1回は 作品から
みすゞの生い立ちを振り返り

童謡詩が誕生した背景に迫ります。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。

伊集院さん 突然ですけども…。
はい。

「こだまでしょうか、」というフレーズは
聞き覚えがありますか?

震災の時に 民放から
テレビCMが割と消えて

その間に よく流れてた気がする。

震災のあと 耳にしたという方
多いんですよね。
はい。

ということで 今回の名著は こちらです。
「金子みすゞ詩集」。

教科書で学んだという方もいると
思いますけれども

改めて 文学としての魅力に
迫ってまいります。

先生をお呼びいたします。

作家で翻訳家の松本侑子さんです。
よろしくお願いします。

「赤毛のアン」シリーズの翻訳や

太宰 治の評伝小説でも知られる
松本侑子さん。

弟の日記をもとにした伝記小説で

新たな みすゞ像を
描いた松本さん。

その詩の魅力を
読み解きます。

松本さんは 小説を書くために
関係者の方 取材されて

資料も読み込んだと
お聞きしているんですけれども

今回は 今までと違う金子みすゞ像を
伝えたいと おっしゃってるんですよね。

そうですね
やっぱり みすゞさんというと

童謡の詩ということで作品のイメージから
どうしても ご本人も

かわいらしい女の子というイメージで
捉えがちなんですけど

彼女 たくさんの詩を
書いてるんですね。 500以上。

いろんなテーマで書いてますし

今回はですね
大人の女性の文学者としての

みすゞさん像を
ご紹介したいと思ってます。

では まず
家族関係から見ていきましょうか。

金子みすゞの まず本名は テル。

明治36年に 山口県の漁師町
仙崎に生まれました。

みすゞのお父さん 庄之助は
海運業を営んでいたんですけれども

みすゞが 3歳の時に
亡くなってるんですよね。

ちょうど満州の入り口にあたる 港町の
営口というところがありまして

そこに 日本軍が駐屯して
日本人街も できてましたので

日本人向けの本屋さんを
この庄之助さんは営むために

大陸に渡るんですが
あいにくね 病気で亡くなってしまって

31歳の若さで亡くなります。

ということで 残されてしまったのが
お母さんのミチさん

そして 3人の子どもですね。

みすゞは このあと
弟とも別れることになるんですよね。

はい。 お父さんが亡くなってしまうと
一番上の おばあちゃんのウメさんと

お母さんのミチさん
まあ 大人は この2人なんですね。

まあ やっぱり 明治の地方の街で

女の人が2人で
3人の子どもを育てていくのは

大変だということで 末っ子の雅輔さんを
養子に出すんですね。

養子の先の
上山家というのが

下関の 大変大きな書店で
裕福な家庭でした。

でも みすゞさんにとってみたら
かわいいね 赤ちゃんの弟が

ある日 急にいなくなって お父さんも
物心付く前に もう別れてますからね。

…ものも いくつか ございますよ。

そしてですね みすゞの詩の世界に
欠かせないのが ふるさとなんですね。

日本海側屈指の漁港として
知られる漁師町なのですが

ふるさとの この仙崎には
二十歳まで暮らしました。

「みすゞと雅輔」という小説を書く時に
仙崎 何回か行きまして

これ ご覧のとおり
これ 私が撮った写真なんですが

仙崎って 小さな半島のね 形をしてまして
昔はね 大変栄えた漁師町で

みすゞさんの詩にはね この街並みとか

人々の暮らしを書いたものが
たくさんあるんです。

さあ では 金子みすゞの人生を
振り返りながら 詩を読んでいきましょう。

朗読は 俳優の石橋静河さんです。

幼くして父や弟と別れた みすゞは
漁師町 仙崎で育ちます。

母のミチは 一家の生計を立てるため
親類の支援を受け 書店を開きます。

間口は狭くても
都会で話題の雑誌や 本が並ぶ店でした。

テレビもラジオもない時代

書店は 東京からの文化や情報が届く
窓口です。

みすゞは 子どもの頃から
活字に親しんで 育ちました。

そして大正8年 みすゞは
またもや 家族との別れを経験します。

当時 みすゞは
女学校に通う 16歳。

仲のいい兄と祖母がいても
思春期の少女には

母にしか話せない気持ちも
あったでしょう。

みすゞの詩には
生き別れた親子の哀れ

母のいない孤独をうたったものが
いくつもあります。

こちらに用意したのは
今見てきた 「お乳の川」の方ですね。

みすゞさんの詩
大体 特徴3つありまして

「視点の移動・逆転」
また 「対比」

そして
「比喩のすばらしさ」。

地上の小さな仔犬

そして 天空の
大きな空ということで

地上から 空へと
視点が変わるんですね。

で 2番目にですね
「対比」があります。

地面で
ちっちゃな ちっちゃな仔犬がね

お乳が欲しいような仔犬がいて

今度は 大空の天の川なんです。

この大小の対比。

そして 3つ目が
「比喩のすばらしさ」。

この天の川が
お乳の川のように

見えるんじゃないか
というね

みすゞさんの詩はですね…

何かこう
最新のカメラワークを見るみたいな。

今 あの 何秒かに1回
シャッター 切ることで

夕暮れから 真っ暗になる
星空になるまで

パーッて 写したりするじゃないですか。

ほんとだ。
今でいう タイムラプスみたいな。

で しかも その宇宙の
天の川の画まで いくわけでしょ。

そうすると 何種類のカメラが 彼女の
頭の中にあるんですかというぐらい…。

まあ でも このみすゞの詩ですけれども
雑誌への投稿が主だったんですよね。

で 詩人 金子みすゞが誕生した
背景にあったのが

大正時代に花開いてきた
雑誌文化ということなんですよね。

そうですね。 もちろん雑誌というのは
明治時代からありますけれども

大正時代はですね
サラリーマンが生まれて

新しい 中間層という人たちが
生まれるんですね。

そういう人たちを対象に
たくさんの雑誌が出ます。

また 女性雑誌も
ものすごく 大正時代に作られまして。

というのは 大正時代に女学校が
全国にできるんです。

そうすると…

主婦向けの雑誌も
たくさん出るということで…

だから 今でいう ちょっと
インターネットと YouTubeみたいな

何か そういう関係かな。
そのとおりです。

雑誌に投稿して 出ていくということは

今で言うなら YouTubeに
自作の詩とか歌を投稿して

若い人の人気を集める
アーティストみたいな

そういう みすゞさんは存在ですね。

雑誌は 数々 出てきたようですけれども

その中でも 大正時代に花開いた
ジャンルというのがあるんですよね。

そうなんです。 大正デモクラシー
という時代でございまして

子どもたちのための新しい童話とか童謡の
雑誌が次々と生まれていきます。

みすゞさんの詩は まさにその
童話・童謡雑誌から誕生していきます。

みすゞが 多感な10代だった頃
大衆が自由を求め

さまざまな政治運動や
社会運動が起きました。

いわゆる 大正デモクラシーです。

子どもの教育への意識も変わりました。

一人一人に 固有の人権と個性がある
という考えから

自由な心と感性を尊重することに
関心が高まります。

子ども向けの読みものにも
新しい動きが起きました。

当時の児童書は
戦記ものや 暴力的な物語ばかり。

それを憂いた
夏目漱石門下の作家

鈴木三重吉が
「赤い鳥」を創刊。

芥川龍之介や泉 鏡花などの文学者が
原稿を寄せました。

童謡詩は この雑誌から誕生します。

人気詩人 北原白秋は
創刊の年に 「赤い鳥小鳥」を

みすゞ憧れの詩人 西條八十は
「かなりあ」を発表します。

♬~

今出た 朗読の「かなりあ」は
歌が有名だと思ったんですけど

最初は あの詩だけだったんですね。

もともと 童謡は活字で読む
文学の詩歌文芸だったんですね。

ですから 大正7年の「赤い鳥」に
この「かなりあ」が載るんですけれども

なんとね 全国のお子さんたちは

勝手に節をつけて
みんな 歌ってたそうなんです。

はあ~。 いろんな童謡を。
自作で。

そうするうちに 楽譜を載せてほしい
という要望が編集部に届くようになって

そこで 翌大正8年に楽譜を載せたら
大評判になりまして

そして 「かなりあ」は
日本の童謡の音楽の 第1号として

レコードも発売になり
大人気になるんですね。

へ~。
いや 何か ちょっと
メディアとして面白いですね。

とても面白い。 だから
マルチメディアのはしりなんでしょうね。

そのとおりです。
メディアミックスですね。
ね 目で見て。

雑誌と 音楽と レコード。

雑誌の「赤い鳥」が好調だったので
このあと 次々と…。

あ 出るね。 雨後の筍は。

童話・童謡雑誌 出るんですね。
へ~。

大正7年の この「赤い鳥」が
大人気になりましたので

翌年8年に 「金の船」という雑誌が出ます。

そして 大正9年に
「童話」という雑誌が出ます。

これ ご覧のとおり
きれいな表紙ですよね。
表紙が。

大正モダンデザインと言いましょうかね
ほんとに すばらしい。

で こうした雑誌はですね
プロの書き手が詩を載せるだけではなく

各誌 童謡詩の投稿欄がありまして
有名な詩人が選者をしていたわけです。

で みすゞさんが 一番 詩を送ったのが
「童話」という雑誌でございまして

この看板詩人 かつ 投稿欄の選者を
西條八十さんがなさっていて

みすゞさんは
八十先生が 一番好きでしたので

「童話」に 一番たくさん

ほとんど毎月のように
詩を送っていました。

私 今日 みすゞさんの詩が
初めて載った「童話」

これ 大正12年の9月号の
「童話」ですけれども

これがね 最初の詩。

「お魚」とか 挿絵付きでね 載ってますね。

いや 何か こういう「漫画少年」の投稿欄に
後の石森章太郎とか

その 藤子不二雄が投稿して

それを 手塚治虫が見てっていうことが
繰り返されるのと一緒で

ここで 一つ 天才が爆発するステージが
あったんだなと思って ワクワクして。

童謡詩の世界で 「三大詩人」と呼ばれた…

みすゞの詩には 彼らの詩への
オマージュが散見されます。

例えば 野口雨情の詩 「鶏さん」を
元歌にしているのが次の詩です。

みすゞが 詩を作り始めたのは

実家を出て 山口県で最も大きな街
下関で働き始めた二十歳の頃。

都会をテーマにした詩もありますが
彼女の詩の原風景は ふるさと仙崎です。

小さな半島形の町で
少し歩けば すぐ浜へ出る仙崎。

みすゞは 海の情景をよく詩に書きました。

初めて雑誌に掲載された作品 「お魚」は

罪もないのに 人に食べられる
魚の哀れを

女の子のつぶやきのような言葉で
つづっています。

猛烈な詩だね。
「海の魚はかわいそう。」。

彼女は 恐らく 自分に罪もないのに

悲しい思いを いっぱいしてるっていう
意識は多分あると思うんです。

で だから 自分が魚の立場で
ものを考えることができる

というところまでは 分かるんです。

でも そのあとに 食べてる主人公を
自分にするっていうことで

自分も そういうことをしてる
立場なんだっていうことも

分かっちゃってるのが
俺 ゾクッとするんだよね そこに。

あと この やっぱり
小気味よさ ありますよね。
ある。

テンポが いいですよねぇ。

実は みすゞさんの詩は 全部ね
七音五音で書かれてるんです。

「海の魚は」で 七つ。
なるほど。

「かわいそう」。

「お米は人に」 七音
「つくられる」。

で 実は みすゞさんの詩だけではなく

この当時の童謡詩は
ほとんど 七・五です。

もっと言うとですね
歌謡曲とか 学校の校歌とか

大体 みんな
七・五で書かれてるんです。

伊集院さんのご卒業なさった
小学 中学の校歌とかも

多分 七音五音になってませんか?
あ~ ほんとだ。

今の 小学校のやつ。
へ~。

よく覚えてらっしゃいますねぇ!
覚えてます 覚えてます。

でね 日本の その歌は
七・五が多いんですけど

何ともね リズムが良くて
口ずさみやすくて

それでいて 非常に柔らかで優美で
流麗な感じがするんです。

で 一方ですね 詩歌には
五七調というのもありまして

非常に重々しくて
荘厳な感じがします。

例えば 日本の国歌の「君が代」。

「君が代は 千代に八千代に」と
五・七ですね。

ですから みすゞさんね いろんな語彙の
ボキャブラリーの引き出しがあって

毎日ね こうやって 俳句作る人のように

数えながら
詩をね 書いていたと思いますよ。

で むしろ その決まりと そのリズムが
頭の中にあるからこそ

ありとあらゆる言葉を
隅々まで探しに行けるっていうか。

逆かなって思うんだけど
いや 僕 ちょっと分かるんですよね。

みすゞは ふるさとの冬景色の中にある
見えない寂しさも 詩によみました。

仙崎の海では 明治の終わり頃まで
捕鯨漁が行われていました。

今でも 毎年春には 鯨への感謝と
慰霊の法要が行われます。

みすゞさんが子どもの頃は
もう鯨漁は なかったようですけれども

女学校だった大正8年に
仙崎湾に 2頭 鯨がやって来まして

女学校 皆さん全員でね 見学に出かけた
ということがあるそうです。

僕は カメラみたいなものに
ずっと注目してて。

今日の最後に これが出てきた時に
うわ ついに音波を言語化したと思って。

その 浜のお寺の鐘が鳴ったら

その音波が ず~っと こうやって

水面の上を
ず~っと いってますっていう

その先の 鯨の子がいる方にも

ず~っと近づいていきます
みたいなことが入ってきて。

その空気の振動が ず~っと こう
移動していったっていうことを…。

そうですね。 最後 「海のおもてを、
鐘の音は、海のどこまで、ひびくやら。」

ということで 見えない音の世界
波の上をわたっていく

その余韻の世界まで書くというところが
やっぱり 詩ですね。

この鐘が 海のおもてを伝わっていく時に
みすゞさんもですね

大陸で死んだ父様 恋しいなと

遠い下関にね 結婚して いってしまった
お母様 恋しいなという

個人的な さみしさをですね このふるさと
仙崎の この伝統行事と合わせて

一篇の詩にするというところが
やはり すごい。

悲しみが この文学へと昇華する

悲しみが 詩を書くことで
癒やされていったと思うんです。

生涯 彼女にとっては 詩を書くことが
心の救済であった。

いや~ 何だか すごかったです
1回目から。

伊集院さんは いかがでしたか?
このテレビ 見ます。

(笑い)
今日の話はメディア論みたいなこととか

新しい 何か文化が生まれる時に
何が起こるのかっていうことから

本当に純粋に その金子みすゞの才能まで
ちょっと 一気に いっぱい入ってた。

いや~ 先生 ありがとうございました。
はい ありがとうございました。

ありがとうございました。

♬~

頼みました~。
(白石)イエーイ。