こころの時代~宗教・人生~ シリーズ 私にとっての3・11「福島からの伝言」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

こころの時代~宗教・人生~ シリーズ 私にとっての3・11「福島からの伝言」[字]

宝鏡寺の住職・早川篤雄さんは、去年3月、寺の境内に「伝言館」と名付けた資料館を作った。福島第一原発事故の前から長年、危険性を指摘してきた早川住職の「伝言」とは?

詳細情報
番組内容
福島県浜通りにある寺の一角に、福島第一原発事故の惨禍と教訓を伝える資料館「伝言館」がオープンした。住職の早川篤雄さん(82)は、戦後の浜通りで、原発の誘致・建設、変わる地域を見つめてきた。地域で福祉施設を運営するなど「自他がともに幸せになる道」を探ってきた。その一方で、長年、原子力発電所の危険性を指摘し、少数者としての道も歩んできた。原発事故で奪われたもの、そして、次の世代への「伝言」をうかがう。
出演者
【出演】宝鏡寺住職…早川篤雄,【語り】礒野佑子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉

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  17. 反省
  18. 避難
  19. 避難先
  20. ハハッ

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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♬~

忘れようっていうより
忘れさせられてんだよ。 うん。

でも どう
伝えたらいいか 分かんないんだよね。

何を
どう伝えたらいいか 分からないでしょ

具体的に。

自分ごととして考えるなんていって

自分ごととして
考えるきっかけがなけりゃ

災害が
自分ごとになってからでは遅いんだけど

しかし 自分ごとに
ならないと気が付かないよな 人は。

♬~

福島 宝鏡寺住職の
早川篤雄さん。

福島原発の地元 浜通りで

長年 原子力発電所の危険性を
訴え続けてきました。

原発事故から10年を迎えた
去年3月。

早川さんは お寺の境内に

事故の教訓を伝える資料館
「伝言館」を開設しました。

そこには どのような思いが
込められているのでしょうか?

♬~

福島県 双葉郡 楢葉町。

阿武隈山地を源流とする
木戸川のほとりに

古くから人々の暮らしが
営まれてきました。

町を見渡す高台に 室町時代から
600年以上続く 宝鏡寺があります。

本尊の阿弥陀如来像が 人々の
悩み 苦しみを 受け止めてきました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏…。

早川篤雄さんは
この寺の30代目の住職です。

(読経)

学校の国語教師をしながら
檀家100軒の寺の住職として

どうすれば自分と地域の人々が
共に幸せになれるか 考えてきました。

原発事故の前 早川さんは

子ども会や伝統行事の復活
福祉施設の運営など

お寺を中心に
さまざまな取り組みを行っていました。

僕は あの~ え~ 本当は あの…
どっちが 本業だか分からんけど

僕は 百姓がね 生まれつき
あの~ まあ 好きなんですよね。

百姓っていうのはね あの
ほんとにね 肉体労働なんだけども

あの~ え~… 僕の性に合ってんだな。

だから お寺としての田んぼは
7反歩ほどあったんだけど

同時に 休耕地を借りて で 自分の
寺の田んぼと合わせて 1町4反。

これを作ってね 耕作して 毎年
100俵の米とってね その100俵の米をね

自分らが お世話している障害者の施設に
それを持ち込んでね。

そうすると その障害者の施設では それを
お弁当にしてね 販売するわけですよ。

障害者も いろいろ

肢体の不自由な人から 精神障害者から
知的障害者から いるんですね。

精神障害者も 知的障害者も ちょっとね
必要に応じて支えられることでね

あの~ 幸せに生きることが
できるんだよね。 うん。

支えられて
で 生きることができる。

だから僕は 一挙両得っていうか 自分も
米とって 百姓して 収穫して喜んで

そして それも更に あの~ まあ
障害者の人々にも喜んでもらえるかなと。

そういうことが僕の… 好きなっていうか
それが生きがいだったですよ。

まあ 寺の住職の かたわらな
かたわらで やってた…。

東京電力
福島第一原子力発電所の事故は

早川さんたちの暮らしの全てを
奪いました。

福島第一原発から
半径20キロ圏内にあった楢葉町は

全町が強制避難区域となり

早川さんも お寺を離れることを
余儀なくされました。

事故から3年。 一時帰宅が
許されたころの宝鏡寺です。

う~ 廃屋 廃寺っていう感じだ。
う~ん 情けない。

早川さんは 一時帰宅の度に

妻 千枝子さんと共に
寺の手入れをし

ちりぢりになっていた人々の
よりどころと なろうと していました。

本尊の阿弥陀如来像は
早川さんと共に いわき市に避難。

しかし 震災関連死で
亡くなる人が相次ぎ

寺には供養を求めて
人々が訪れました。

(読経)

このころ 本堂には

行き場が決まらない お骨が
積み上がっていました。

おかえりなさい。 大丈夫でした?
大丈夫だった。

まあまあ どうにか もった?
はい。

原発事故の前 早川さん夫妻は
地域に それまでなかった

精神障害者と知的障害者のための
グループホームや作業所を開設し

運営していました。

事故で避難を余儀なくされたあと

彼らの居場所をつくること ひとつにも
大変な苦労がありました。

事故の前 およそ100名近くいた
施設の利用者。

それぞれが人間らしく暮らせるよう
手助けし 共に働き 共に笑う。

それが 早川さんたちの理想でした。

原発事故の当時 精神障害者 知的障害者
全部で 96人いたんですよ 96人。

男女合わせてね。 それが
ちりぢりバラバラに避難してね

僕らと一緒に いわき市に避難した
障害者… 14~15人かな。

で あとは ちりぢりバラバラで

家族と一緒に きょうだいと一緒に
全国に散らばっていったね。

このね あの~ 障害者のことを考えるとね
その… 涙 流れちゃうんだよな。

結局 あの~ 精神障害者の中にも
知的障害者の中にも

程度が いろいろな程度があってね

そううつ… 双極性っていうの

あの~ 非常に感情の起伏が激しい
女性なんかがいてね

この子は この障害者は

避難先で やっぱり 精神障害… あの 状態
うまくいかなくてね

結局は あの 入水… 海に飛び込んで
自殺してしまう。 いやぁ~…。

それからね 非常に健康だった
朗らかな女性だったんだけど

あの 着のみ着のままで あの 何種類もの
精神の障害の薬 何種類も持っとったの。

それね あれだけの薬だけで
何にも持たないで行っちゃったから

その精神障害者っていうのは
その状況に応じて 専門のお医者さんが

しょっちゅう その薬をかえてね
安定させんですよ。

その あの あれが 処方箋がないから

いわき市のお医者さんに
行ったんだけども

精神障害者のお医者さん やっぱり
いわき市から 全部いなくなっちゃって

で しかたないから 一般の病院に行って

その~ そっから
精神障害専門でない お医者さんから

いろいろ いろいろ
薬を あれこれ研究してもらって

結局は そのね その薬が合わなくてね
で 死んでしまうんですよ。

お医者さんが
「申し訳ないけど 薬害です」って言う。

(聞き手)あ お医者さん自身が。

これ お医者さん 責めるわけに
いかないですよ。 専門医でないんだもの。

一所懸命ね。 だから お医者さんが
「申し訳ないけど 薬害です」っつっう…。

いやね
ほんとに朗らかな女の子だったんですよ。

そうかと思うとね
首つり自殺してしまうのがいる。 うん。

それからね 嚥下障害っつってね あの~
おかゆのようにして さじで与えないと

飲み込めない障害者もいたんですよ。

だから最初は みんなと同じ
形のある おかずなんか

目の前に出して 喜ぶんだけど

全部それを ミキサーにかけて砕いて
そして流動食にして飲ませる。

そんなこと お世話できないでしょ
行った先で。

これも嚥下障害で亡くなっちゃうんです。

ほんとに 楢葉に帰りたい 帰りたい と。

帰れないで死んじゃうんです。

まあ… 心を奪われて
命まで奪われてんだ。 ああ…。

いやぁ 一般の方々でも
ほんとに あの え~

全力の人生 結果がこれ
なんていうことで 訴える人もいるし

いやぁ~ この原発事故っていうのはね

人々の心を奪い
暮らしや命まで奪うんだわ。 罪深いよ。

(聞き手)檀家の方も
避難先で亡くなられた檀家の方も?

ああ います います います。

いやぁ~ あの これね… いや あの~
次々 亡くなるよ 避難先で。

あの~ この おばあさんも
朗らかな おばあさんだったんだけど

結局 避難先で…
あの~ 避難先で 何日も たたないで

あの~ 東京でなんだけど 死んじゃって。

で 僕は 一時帰宅の時に お骨を預かって
避難先に火葬したけども

狭くて置くところがないから
お寺で 本堂に納めてくんねぇかって。

分かったっていうんで 僕は その
お骨を預かって で お寺に納めに…。

そうかと思うとね 80こえて
90近い おじいさんと おばあさんが

おじいさんが トラクターに乗って
しゃんしゃんとして

あの~… 畑をトラクターで起こして

そのあとをついて おばあさんが
しゃんしゃんとして 種まきをやってる。

その おばあさんがね
え~ 3月に避難して 7月だか8月に

数か月で亡くなっちゃうんだよ。 うん。
ぼけて。 うん。 そういう方もいたよ。

(聞き手)やっぱり生活の環境が?
そう そう そう そう。

もう…
すっかり変わっちゃったわけでしょ。

結局 そうやって狭いところにいてね
仕事を失っちゃう。 で 動かないでしょ。

だから ぼけが急に進んで
食欲も進まなくなって

ほんとにね その春まで
3月の春までね 11年の春まで

しゃんしゃんとしていた おばあさんが
亡くなっちゃうんです。 うん いやぁ~。

それぞれの人が きちっと語ることは
できないけど みんな 誰もが

元のとおりに… 家に戻って 元のとおりの
生活ができるなんて 誰も思わねぇから

だからもう 先の あの 希望っていうのか
生きる 生きがいっていうのか

さきざきに生きる希望
気力が なくなってしまうわけだ。

大体 自分も そうだけど。 あの~

百姓やってたのが パタッとやんねぇし
体力が なくなっちゃうんですよ。

体力が なくなって
気力が なくなるんですよ。 うん…。

だから あの~ それを紛らわすために
お酒の好きな人は お酒やっちゃうわけ。

やることない人は
ギャンブルやっちゃうわけだ。

賠償金なんかが
ちょっと出たりしたもんだから。

で それを更にさ 「おめえらいいな。
遊んで食ってらぁ」って…。

こういう…。 だけどね あの~
「お前さんら 賠償金もらっていいな」と。

「遊んで食ってらっていいな」っていう。
案外 心ない言葉で…。

ところがね よく考えてみっとね

その 「賠償金もらって ごろごろして
生活してんのいいな」って

そういうことを言う人はね
結局 自分の生活も 苦しいんだよ。

普通だったら
そんな心ない言葉は言わないんだよ。

何で そういう心ない言葉を言うかって。

だから僕は そういう心ない人を…
ことを言う人も 僕はね

「ああ その人も かわいそうだな」と。
「心を奪われている人だな」と。

心ある人なら そんなこと言わないです。

「大変だね」 言うのが普通でしょ。

それが人でしょ。

何で そんなこと言わなくちゃいけない。
その人も奪われている。

(聞き手)ほんとですね。
それぐらい やっぱり

それぞれに
奪われたものが…。
そうです。 うん。

自分が 心を奪われてない
幸せな 幸福な生活できていれば

人の痛みは 己の 自分の痛みとして うん
分かるから

困っている人を見たら 避難者を見たら
そんな心ない言葉は発しない。

心ない言葉っていうのは
心をなくしている

心をなくさせられている
奪われているということ。

楢葉町では 2015年に避難指示が解除。

現在 町に暮らすのは
事故前のおよそ半数です。

早川さんは 去年 82歳になりました。

(聞き手)え?
アライグマに ここ取られちゃった。 あ~。

アライグマの仕業だよ これ。

(聞き手)食べられちゃったんですか?
食われちゃった。 持ってかれちゃった。

2羽だけ残ったんだ。
で これをつけて

取らんようにすっぺと。

ハハッ。 こういうことなんだよ。

とーととととととと!
とーととととととと!

早川さんが大事にしてきたという
百姓仕事。

それは 決して裕福ではない地域の
寺の跡取りとして

幼い頃から続けてきたものでした。

おふくろが。

その乳牛が
草食うから

草 こんな狭い畑では とれないから

おら 学校帰ってくっと

必ず 雨降っても 風吹いても 雪降っても
必ず 草刈りに行かなくちゃいけないの。

だから
受験勉強なんか 課外以外はできなかった。

勉強する時間が
なかった。

終わり。
あ 危ないよ。

僕は 1939年の生まれでさ

だから 戦前 太平洋戦争が始まる前かね
生まれるんだよね。

だから おやじは 僕が 5~6歳のころに
兵隊に とられていってんだよね。

(聞き手)あ 戦争…。
うん。
で まあ 命あって帰ってきたけども

う~… 山寺で あの~ え~ 貧乏な生活。

で 小学校のころは 弁当も持たないで
学校 行ったこともあるよね。

え~ まさに 衣食住
貧しいきわみの生活だったけど

でもね そのころ…

(聞き手)あ このお寺の檀家の方?
はい。 そうそう。 で…

あの 脇にあれ あの ある 花瓶とか仏器が
ガラス製なんだよ。 あの~…

ねっ。
その 金属製のろうそく…

しょく台 ろうそく立てとか 仏器を
持っていった代わりに ガラスの…

しょく台とか花瓶とか 置いてったんだよ。

それ 取って置いたんだよ。

だから それも 結局 お寺の仏具
金属製の仏具は みんな供出させ…。

調べたらね…

はぁ~!

お寺の… ハハッ
あの~ 仏像が金属製なら

ご本尊が出征するものと考えて
供出しろっていう。

それでね 私んところの仏像は金属製で
なかったから 持ってかれなかったけど

それがさ お寺の金仏まで
鉄砲の弾になってさ

太平洋戦争 人々を殺すための
爆弾やなんかに置き換えられて

ほんで また あそこに 刀があるわけ。

兵隊さんが あれ あそこに持ってる あの
あの 兵隊さんが こう持ってるわ。 軍刀。

(聞き手)軍刀。
軍刀になってさ 人を殺したわけだよ。

ねっ。 うん。 それね…
仏教国という日本が その仏教界がさ

戦争に協力するんだよね 率先して。

その記録が
残ってんだよね。

もしね 日本の仏教界が
宗派を問わず

お寺の住職方がね
一丸となってね 反対したら

多分 あの侵略戦争は 太平洋戦争は
防げたんでないかっていう。

やっぱり これは 僕は 山寺なんだけども
山寺なりに その~…

記録に残して語り継がなくちゃいけないと
いう思いでやったわけ。

こんな小さな お寺にも
その歴史が れっきと残ってるわけだ。

寺の長男として生まれ あとを継ぐことを
期待され育った早川さんでしたが

仏教の教えには
当初 興味を持てませんでした。

転機となったのは 僧侶となるために
進学した 東京の大学での出来事。

偶然に受講した
宗教学の授業との出会いでした。

感動したのはね 大学2年生の時か

増谷文雄という宗教学者の
「宗教概論」っていう 講義を受けたんだよ。

宗教概論っていう。 その宗教概論でね

あの~ とっても 大学2年生ぐらいで
え~ 仏教なんか ちんぷんかんぷん

宗教なんか
ちんぷんかんぷんなんだけど

その 増谷文雄先生の宗教概論でね

「人々が 宗教において求めるところの
ねがうところのものは 幸福である」と。

「人々が宗教において ねがうところの
ものは 幸福である」という。

そしてね
宗教において
求め…

「宗教に
求めなくても

人々が 結局
求めるものは
幸福である」という。

ああ これがね ものすごく あの~ なんだ
記憶に残るんだよ。

で この すごく感動してさ。
俺 あの~ さっき言ったように

勉強する暇もねえし 頭も悪いから
分かんねぇんだけど

あの~ え~ え~ その そのことが
ず~っと記憶に残っていてさ。 うん。

だから あの~ 念仏は ありがたいとか
専ら 法然上人のな。

それは そうなんだけど

だけど そういう
いろんな お坊さんや 学者の話の中でも

なんか いまひとつ すとんと
落ちないものが あったんだけど

うん うん…。
増谷先生の その 宗教概論の

人は 人間 人々は
宗教において求めるものは幸福であると。

宗教によらずとも人が人間が求めるものは
人生において求めるものは幸福である。

だから
極端に言うと 悪いことをしている人も

何で それをやるんだ? 幸福を求める。

結局それは 幸福を求めるんだけども

人の利益は無視して己の自己の利益だけを
追求すんのが 「自利」と言う。

(聞き手)自分…。
自利。 自分の利益。 でしょ?

で 結局 自分が 本当に幸福になりたい
利益を得たいと思ったら

まずは 「他利」と 自利利他という
利他 他を利することだ。

そんなことが あとから
だんだん結び付いてくるんです。

うん。 だんだん
分かってきたっていうことだ。

実行してっかっていうと…
実行できない。

思いは あります。 少しは やってますと。

1962年 大学を卒業した早川さんは
地元に戻り 教師として就職。

宝鏡寺の副住職を務めるようになります。

地元 双葉郡に 原子力発電所の計画が
持ち上がったのは そのころのことでした。

この日 早川さんを訪ねてきたのは
50年来の つきあいとなる

科学者の 安斎育郎さん。

(一同)おはようございます。

共に原発と向き合ってきた2人は

3年前 原発事故の教訓を伝える資料館を
つくることを思い立ちました。

伝言館と名付けられた この資料館には

原発の誘致から
2011年の事故に至るまで

地域が どのように原子力発電所と
関わってきたのかをたどる資料が

収められています。

♬~

こういう 原子力のピカちゃんっていう
ピカドンっていうのをね…。

(安斎)ピカだけ取って。
ピカだけ取って ピカちゃんって…。

早川さんが
原発への疑問を投げかけた 住民運動。

その中で集めてきた膨大な資料を
安斎さんが整理し

展示する作業を進めてきました。

その向こうの あれもそうだよ。
原子力アレルギーっちゅうの。

こんなことをやってたらって思っててね。

この部落の掲示板に貼ったやつ
取っといて。

まあ 事故が起こるかなんては
そんなこと 分かんないよ。

でも 僕はね 取って置いたんだよ。

1971年 双葉郡で建設が進められていた
福島第一原発が 運転を開始。

早川さんの地元
楢葉町でも

第二原発
建設の準備が
進められます。

ところが
第一原発では

廃液漏れなどのトラブルが 相次いでいました。

早川さんは 原発が本当に安全なのか
疑問を感じるように なりました。

「あ なんだ 第一原発だけでなくて
第二原発もできるのか」となって

第一原発にも それぞれ 興味 関心 不安を
持っていた町民もいたわけで

それが第二原発もできるっちゅうことで
我が町の問題になってきたと。

と同時に あの~ 双葉原子力地の
地区の開発ビジョンっちゅうのを

国と東京電力 県が 一緒になってつくった
開発ビジョンがあって。

そのビジョンの 第1章の第1番に
原発の立地条件っていうのが書いてある。

現状における
原子力発電の立地というものは

送電原価を含め 発電原価の許す範囲で
近くに大都市がなく 産業水準が低く

人口密度の低いところであること。
こう書いてある。

ハハッ! うん…。
それで それは そんな都合の悪い

正直なんだけども あ やっぱりさ
何で近くに大都市があって 低人口地帯

大都市がなくて 低人口地域であること
何で 産業水準の低いところなんだ。

なんのことはないと 危険だからだと。
もう絶対自信があったから。

だけどもさ その危険性については
具体的に分からんから

学者先生方の
教えを頂かなくちゃいけないという。

で… あの安斎先生だということで
派遣されてくる。 そっから始まるわけ。

早川さんたちが
学習会の講師として招いたのが

東京大学で
原子力工学を学んだ 安斎育郎さんでした。

安斎さんたち専門家と勉強を重ねるうち

早川さんは 「科学技術に
絶対の安全はない」と知るようになります。

「豊かな環境を
次の世代に引き継げるのか」。

早川さんたちは 住民の署名を集め
国に説明会の開催を求めました。

1973年 国の主催で 日本初の
住民公聴会が開催されました。

しかし 会場には
原発に賛成する住民が数多く参加。

反対意見を述べる機会は限られ

早川さんたちが求めた質疑応答も
行われませんでした。

仏教にせよ
キリスト教にせよ

案外 社会問題と
関わって

それぞれの
地域で

活躍してる人って
いうのが

いるんですよね
確かにね。 私が知っている範囲でも

宗教者が そういう問題と 深く関わって

重要な役割を果たしてるっていう例は
あるんですけども

早川さんも そういう方の一人で

意志を曲げずに
徹底的に その道を歩んでいくっていうね。

時に そういう対政府交渉なんかでは

声を荒げて
けんかのできる和尚なんですね。 うん。

それはね かなり重要なことでね

正論を 物静かに説いてるだけでは

それは筋ではあるけども

やっぱり
時として 自分が 今 何を感じてるのか

相手に対して どういう 意見を
持ってるのかっていうことを

信念に基づいて
声を荒げても主張するっていうのは

けんかができるっていうのは
とても大事なことだと 常々 思ってて。

国や電力会社のやり方に疑問を感じた
早川さんたちは

国を相手取って裁判を起こします。

住民に対する安全性の説明が
不十分として

国が 電力会社に出した設置許可を
取り消すよう 求めたのです。

早川さんは
原告団の事務局長を務めました。

この行政手続は 安全審査機関たる
原子力委員会の存在や

公聴会の精神をも
踏みにじるばかりでなく

原発 火発の巨大集中化に伴う
各種の環境破壊に対する

住民の疑念や不安を逆なでする
挑戦的行為であります。

私たちは 住民の安全性を無視した

かかる反民主的な強権的行政を
断じて許すわけにはいきません。

(拍手)

仲間なかったらできないよ
そりゃあ。 うん うん。

だから あの~ 第二原発の 原告は
最終的に 僕も含めて 404人だけど

あの~ 本当は 411人いたんです。
そのうち その411人から 404人になった。

学校の教員とか あの~ え~ あの
それなりの職場から圧力を受けて

「いやぁ 申し訳ないけど おら
こんなことだから 降ろしてくんねぇか」。

「ああ いいよ」と 「いいよ」と。
で 411人のうちから 404人になったわけ。

それは あの 「抜かしてくんねぇか」って。
「分かりました。 いいです。

陰から 応援してね」と。 「はい
分かりました」。 こういうことです。 うん。

程なく 宝鏡寺の住職となった早川さん。

原発によって
地域に経済的な利益がもたらされる中

反対を唱える早川さんたちは
少数派となっていました。

住職は その そういう権力に盾つくとか

アカと一緒の運動をするようでは困る
という いうふうに言われました それは。

そういう う~ あの~ え~ ことを言う
う~ お檀家さん あるいは町民

檀家に限らず町民にもいるわけだ。

何で その人は
そういうことを言うのかと。

なに その 敵ではないわけだ。

それは その人のね
その時点での思いであって

「何 言ってんだ」なんて
反論したって始まんないわけだ。

理解してあげなくちゃいけないんだよ。

だから あえて あの~ そうでないなんて
僕は説明もしなかった。 うん。

だから 事故が起こった 起こって
避難して しばらくの間

「お前さんら言ってたとおりに
なったな」って こう…。

そう言われたってさ
「それ見たことか」なんては言わない。

そんなこと言ったら
その人の立場がないわけだよ。

こういう詩があるんだよ。
「薄明地帯からのメッセージ」っちゅうの。

この吉田 信先生っていうのは

福島地裁 仙台高裁 私と一緒に
欠かしたことがないんですよ。

一緒に 毎回
傍聴しておったんだ。

吉田 信さんは

早川さんの
心の支えとなった

仲間の一人でした。

高校の教師だった吉田さんは

原発と向き合う自分たちの存在を

詩で表現していました。

福島地裁の判決終わって
彼は 急性悪性がんになるんだよ。

もう助からないっていうんで
モルヒネで もつわけだよ。

で 僕は 毎日 行ったんだよ。

で 死を予見してたから 彼は
もう駄目だっていう…。

で 俺 励ますつもりでさ
先生 そんな弱音吐いちゃ駄目だと。

まずは 気を確かに持つことだと
いうんでね え~ 詩を書いて下さいと。

「巨大原発施設に怒れる バルカン<火山の神>の
鉄槌が一撃を加える日」。

「84年
4月23日」って。

こういうことなんだ。 全く ピタッと。

そして 「薄明地帯から」の この87年だから
85年 6年 7年

3年後に死んじゃうんだよ 彼は。
がんでね。 うん。

設置許可の取り消しを求める
早川さんたちの訴えは

高裁 最高裁と 棄却が続きました。

その後も 早川さんたちは
原発でトラブルが起こる度に

国や電力会社に
原因の究明や対策を求めてきました。

早川さんたちが
原発の危険性を指摘し続けたのには

ひとつの思いがありました。

原発問題は なかなか難しい。
だから その 声をあげなくちゃいけない。

しかし 裁判しか方法がないという
手だてがないということで

始まんだけども

弁護士の先生方に お支払いする
交通費さえもないんだよ。

「先生 すいません。

交通費すらも払えないで
裁判を たたかってもらうなんて

非常に心苦しく思います」って
こう言ったら

「いやいや」。 にこにこ笑ってね

「裁判なんて 『子孫へのメッセージ』だと
思えばいいんだよ」って。

はぁ~ また感動してね。

それは…
「子孫へのメッセージ」。

そうだよな。
結局 行動するしかないと。

「子孫へのメッセージ」。
「子孫へのメッセージ」。

やっぱり 声をあげて行動するしかないと。

もし それをやんなかったら
その吉田さんの詩でないけども

やせ細った人生のままね
終わることになるだろうと。

そんな思いが無意識の中に 意識して

そんなことを
やってるつもりは ないんだけど

時々 思い出すと
「ああ そうだな」ということで いますと。

ついに原発事故を止められなかった
「悔恨の思い」。

そして 原発事故後に直面した現実。

(一同)おはようございます。

早川さんは 毎朝のおつとめの時

自分を含めた人間が持つ根源的な愚かさを
阿弥陀仏の前で懺悔するといいます。

(読経)

とにかく 仏さんの前で お経をあげる時

一番最初に唱えんのが
その 懺悔 懺悔なんだよね。

その懺悔 反省なんだけど

反省っていうのは
何かっていうと

結局は お釈迦さんが言った 「貪 瞋 痴」。

むさぼりと いかりと 無知と。

「貪」は え~ むさぼりだし。
「瞋」は いかりだし。

「貪 瞋 痴」
「痴」っていうのは 「無知」。

「無知」の「ち」っていうのは
あの いろいろ

単なる「知」と
やまいだれの「痴」と入る。

この やまいだれの
「痴」なんだよ。

やまいだれの「痴」なんだよ。
うん。

この三毒を まず反省すると。

だから フッ 昨日の朝も拝んで…

お経あげるたんびに
一番最初に唱えるのが

その 仏さんをお迎えして
仏さんに対して一番最初に発する言葉が

その反省の言葉だ。 懺悔の言葉。
それが 「貪 瞋 痴」の 思いと 行いと 罪。

それを 反省して 始まると。

だから 「貪 瞋 痴」なんていうのは

行動では
むさぼり おこり いかりは やるけども

形としては見えないわけだ。
そうでしょ?

それを 完全に脱したのが
お釈迦さんであり 仏さん。

その姿を 理想的な姿なんだよ
…としてあるわけで

そういう意味で あの~ 拝む。

貪瞋痴を脱した お姿と
完全に解脱した お姿と

悩み苦しみのないお姿と。

(聞き手)
でも我々の世界は ほんとに悩みが…。

あ~ もちろん もう尽きないです。

悩み 苦しみ いかり むさぼり。
これは消えないですよ なかなか。 ああ。

僕は あの~ よい心掛けばかりでもない
よい行いばかりでも ないですよね。

え~ 仏さんのような行いなんか
とてもじゃないが

菩薩行なんかは え~ 比べたら ほんとに
罪深い方だよ。 うん うん いや ほんと。

だから 人は いい心と悪い心はね

辛うじて よい心の方を
少~し フフ 保ちえているだけの話で

罪を いっぱい つくってるよ 僕も。
罪だらけだよ 正直言って。

きれい事でなくて。 よく自分を
反省するとさ。 欲は深いし 怒るし。

むさぼりの心も いっぱいあるし。 ハハッ。
実際に むさぼってるし。

いい行いよりも悪い行いの方が多いよ
結局は。 よく考えてみっと。 うん。

だけど それは少しは 同じ過ちをして
同じことの繰り返しなんだけど

少しは あの~ え~ いい心の方が
少しは残ってて 残って…

少しは あの~ やらんけばならぬ

自分にできることは やらんくちゃならん
という心掛けで いたっていると。

はじめから
そう思ってたわけで… だんだん

そんなふうに思ってきたと 思えていると。

ならば 思ってることは
少しでもいいから

実行をしようと思ってるだけの話です。

今 自分にできることは何か。
それを 一つ一つ 実行してきました。

去年 境内に設置された 「非核の火」です。

もともと
広島 長崎の惨禍を忘れぬようにと

東京で
ともされてきた炎が

行き場を
なくしていました。

早川さんは その火を引き受け…

…と名付けました。

無数の市民の命を奪い
放射線障害を残した

広島 長崎の
「原爆」。

戦後も開発が続けられた
「水爆」。

ビキニ水爆実験では

第五福竜丸の 久保山愛吉さんをはじめ
多くの船員が被ばく。

久保山さんは 半年後に亡くなりました。

あの~ フクシマということになると
この ヒロシマ ナガサキ ビキニの

ビキニの久保山愛吉さんは

「原水爆の被害者は
わたしを最後にしてほしい」というのが

最期の言葉だったんです。

そうすると 広島の原爆犠牲者の叫びと
長崎の被災者の思いと重なって

そして
久保山愛吉さんの思いと重なって

福島の危険な原発を安全だと言った結果
福島原発事故が起きて

あの~ え~ それが福島に来ると。

福島の被災者 被災地
被災者の思いと

何ていうかな

私にしてみれば
あの~

ヒロシマ ナガサキ ビキニの
人たちの思いが

福島で また
受け継がれて

被災者たちの
思いが あの~

福島で
ともし続けられる
という。

その思いが
ずっと

福島に
受け継がれる
という。

必然的で
なかったかと。
むしろね。

(聞き手)
被害を受けた
人たちは…。

思いが あの
そのまま なんだ

福島に
受け継がれて…。

♬~

この日 伝言館に ビキニ水爆実験の被害者
久保山愛吉さんの思いを伝えるものが

届いていました。

♬~

この… 「原水爆の被害者は
わたしを最後にしてほしい」と

久保山愛吉さんが 漁師でありながら

家にいる時は
こよなく愛したバラだという。

愛吉さんは まさか自分の愛した花が

福島まで
行って…

行くとは
思ってなかったべ。

でも 愛吉さんの願いが
私のとこまで届いて

私のとこで
終わんない。

「この苦しみは 自分で最後にしてほしい」。

核による悲劇が起こり 人々が
犠牲になる度に 繰り返されてきた願い。

それが いつの日か かなうことを

早川さんは このバラの花に託します。

こういう花
美しい花 見たらば

もし ここで見事に咲いたら

僕は それを説明すれば
いいわけだ。 うん。

久保山さんの 愛吉さんの 願いが

こんな美しい形になって
咲いてくれたっていうこと。

これを更に
広げたいと。 ハハッ。

美しい花見ただけでも みんな
感動すっぺや。 もし美しく咲けばな。

ハハハッ!

咲かせることが できっかどうかだ。
俺の責任だ。

多分 大丈夫だと思うんだけど。

♬~