ファミリーヒストリー「高島礼子~個性的な先祖 両親の素顔とは~」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

ファミリーヒストリー「高島礼子~個性的な先祖 両親の素顔とは~」[解][字]

涙を流し「生き方が変わる」と話す高島礼子。両親の人生と心の内を初めて知る。祖父は川を泳いで恋人に会いに行く情熱家。教師だった父は思わぬ出来事で人生が激変する。

番組内容
母は若くして亡くなり、父は無口で厳しい人。礼子は「先祖はもちろん、両親のこともほとんど知らない」という。両親はともに茨城の出身。取材の結果、道楽者や勝負師、親分肌など個性の強い先祖たちが次々に明らかになる。父方祖父は、恋人に会うため那珂川を泳いで渡るほどの情熱家。若き日の父は温厚な人気教師だったが、突然退職。その切ない理由とは?母は近所でも評判の少女。当時の写真に礼子も今田耕司も驚きの声を上げる。
出演者
【ゲスト】高島礼子,【司会】今田耕司,浅野里香,【語り】余貴美子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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お俊さん 儀右衛門さん 入られます!
お縫ちゃんも入られます。

今日は この人。

俳優…

おはようございます!

はい本番。 用意… はい!
(カチンコの音)

この日は 小悪党たちからも慕われる
きっぷのいい おかみを演じていました。

善人は残酷だ。

悪人の痛いところを
知らぬが仏で

ズブリと刺しちまう。

A級ライセンスを取り 時速200キロ以上で
カーレースをした度胸の持ち主。

♬~

25歳で俳優デビュー。

しんの強い女性を
数多く演じてきました。

今日という今日は許しません。
分かるまで説教です!

りんとした魅力は
どこから生まれたのか。

高島礼子さんのルーツに
迫ります。

無事 帰ってくるのよ。

今回のゲストは 高島礼子さんです。
どうぞ!

(拍手)

(一同)よろしくお願いします。

どうぞ お掛け下さい。
よろしくお願いいたします。

よろしくお願いします。
はぁ~。

何かこう ご自身のルーツみたいなのは
何かこう お聞きしたりとか…。

全く聞いてないです。
全く聞いてない。 もう全く!

ご先祖様 何してたかどころか
親の職業さえ気にしたことがなかった。

今のお気持ちは いかがでしょう?

楽しみというか 何か
まあ 正直に やっぱドキドキ…。 ハハ!

さっきからテンション高いんですよ
だから。

♬~

高島礼子さん 本名 峯島礼子。

父は 峯島 武。

父方には どんなルーツがあるのか。

よく食べる…
食べる子だったらしいからね。

まずは 代々の戸籍を調べます。

そこに名前があった
一番古い先祖は

礼子の4代前

文政七年に生まれた
兵八です。

兵八が暮らした
茨城県の圷村 下圷

現在の城里町で
取材を始めます。

下圷は 関東随一の清流 那珂川に面した
集落です。

郷土史家に協力してもらい
地元に残る江戸時代の資料を調べます。

え~! え~ こんなところから。

ありました。
(取材者)ありました? あった!

え あった?
ありました。

その中に兵八の名前を発見。

すごい!
すごいな 残ってんだな。

嘉永5年 1852年の村の農家の記録です。

誰かが残してんだ。
すごい!

兵八は 当時28歳。 3つの田んぼと
2つの畑を耕作しています。

この年の収穫は 全部で…

ごく平均的な農家だった兵八。

しかし 破天荒な一面がありました。

失礼いたします。

礼子と 兵八でつながる遠戚…

兵八について伝え聞いています。

兵八は 先祖が代々守ってきた土地を
手放してしまったのです。

そのピンチを救ったのが 兵八の次男で
礼子の曽祖父 竹次でした。

値段の変動を予想し 安く買って
高く売れば もうかる仕組みです。

竹次には
勝負勘と度胸が備わっていたのです。

これは 竹次が所有していた
土地の台帳です。 あ~ ほんとだ。

明治の半ばから 米相場でもうけた金で

兵八が売り払った田んぼや畑を
次々と買い戻しました。 お~!

すご~い!
すごい! すご~い!

その竹次の長男として
生まれたのが 後の礼子の祖父 一。

勉強が好きな少年でした。

茨城の伝統校 水戸商業学校に進学。

(棚谷)これはですね
本校の卒業生名簿になっております。

あ… はい。 こちらがですね

大正十年三月二十日の
卒業生の名簿になっております。

一は どのような学生生活を送ったのか。

卒業の時に作った文集に
一の文章が掲載されていました。

一は 試験の度に
感じる緊張感と

友情を大切に
することで

堅い道徳心を
持つことができた

と書いています。

真面目や…。

しかし その真面目さとは裏腹に
一には大胆な一面もありました。

(取材者)
こんにちは~。 失礼いたします。

一の孫で…

一から 若い頃の話を
聞いています。

かわいい!
情熱的! 情熱的ですね。

那珂川は 関東有数の大きな川。

一は 日が暮れるのを待ち
頭に服をのせて 泳いで渡りました。

それほど会いたかった相手は

1歳年下の杉山トク。

後の礼子の祖母です。

そのトクの父
杉山喜代太郎は…。

こちらが 初代校長の
杉山喜代太郎先生です。

地元の小学校で
校長を務めていた名士。

厳格な性格で 2人の交際には
大反対したといいます。

ふ~ん。

大正10年 水戸商業学校を卒業した一は
京都に移り住みます。

住友銀行に就職し
京都支店で働くことになったのです。

すると よくとし
なんとトクを呼び寄せて

半ば駆け落ちのように結婚。

一 23歳
トク 22歳の時でした。

2人の娘に続いて 大正15年
長男 武が誕生します。

後の礼子の父です。

それから間もなく
一は 大胆な決断をします。

住友銀行を 僅か5年で辞めて上京。

東洋大学の学生になったのです。

こちらに
峯島 一さんの名前が載っています。

大学に入った目的は
教員免許を取ることでした。

熱いね!
熱いですね~。

大学を卒業すると 一は家族を連れて
ふるさと茨城の圷村に戻りました。

圷村にあった 圷小学校の
「学校沿革誌」が残っております。

こちらに
峯島 一さんのお名前があります。

昭和4年
圷尋常高等小学校
代用教員に

採用されたことが
書かれています。

大手の住友銀行を
辞め

30歳で田舎の
代用教員になった 一。

人生をかけて 恋女房のトクを

幸せにしようとしたのです。
へぇ~!

さあ 高島さん いかがでしたか?

いや~ もう全然… 全然知らなかった。

あの おじいちゃんと おばあちゃんは
覚えてます。 「一」と「トク」で。

どういう おじいちゃんでした?
いや でも 確かに… え やっぱり

孫の私たちにも 結構 厳しくて
礼儀とか。

はいはいはいはい。
それだけは覚えて…。

もう嫌になるぐらい。
教育者やったんですね。 はい そうですね。

でも 情熱。 情熱的ですよね。 ちょっと
そういう お話も全く…。

那珂川を渡ったって。
渡った。

なかなかの川ですよ。

命懸けで会いに行ってますよ。
命懸けだったと思いますね。

しかも頭に服のしてですから
頭の上の服 流されたら全裸ですからね。

渡るほど好きじゃなければ 高島さんが
まず そこでね 存在していないという

この不思議さ。 いないですね。 ほんとに
よく渡って下さいました。

いやぁ でも かわいい! ちょっと
こんな かわいい人だったなんて!

礼子の父
峯島 武。

家では寡黙で
自分のことは

ほとんど
語りませんでした。

うちの父が何してきたんだか
よく分かんなくて 正直。

やっぱり まずは
「お父さん 何やってたの?」みたいな。

昭和14年
武は茨城県圷村の尋常高等小学校を卒業。

その後 どんな人生を歩んだのか。

水戸市の
旧制 茨城中学に進学したことが分かり

その足跡をたどることにしました。

わあ すご~…。

(梶)本校の卒業生の学籍簿が
残っております。

こちらにですね 峯島 武さんの学籍簿が
残っていますね。

在籍したのは 13歳からの5年間。

人柄についても書かれていました。

(梶)性格の方に
温和と書かれております。

穏やかな性格 お人柄ではなかったのかな
というふうに思います。

行動については 「沈着」 「勤勉」。

柔道は 「初段」の腕前でした。

得意な科目は英語。

講読や文法などで
毎年 好成績を収めていました。

成績 めちゃええやん。
いいですねえ。

昭和16年 太平洋戦争が勃発。

その4年後。

中学を卒業していた武は
志願して 海軍に入ります。

志願したの?
当時 19歳でした。

厚生労働省に残っていた
武の軍歴証明です。

すごっ。 すごい…。

昭和20年5月 武は
横須賀にあった 武山海兵団に入団。

2等兵や 1等兵ではなく

最初から
海軍水兵長を命じられていました。

すごい。
知らなかった。

<皇国必勝を誓う 横須賀海軍観兵式は…>

入隊した武は 厳しい基礎訓練に臨みます。

幹部候補生でも
優遇されることはありませんでした。

武と同じ…

すごい…。

昭和20年8月15日 終戦。

武の海軍生活は 3か月でしたが

後の人生に
大きな影響を与えることになります。

よくとしの春。

武は 明治学院専門学校
現在の明治学院大学に入学します。

専攻は 英文科。

こちらが 峯島 武さんの学籍簿です。

英語の教師を目指していた 武。

生活費が苦しい中 先祖たちに負けない
大胆さを発揮します。

キャンパスの中にあった建物に入り込み
勝手に住み始めたのです。

えええっ!?
え~?

(取材者)失礼します。

当時 同じ行動をとった…

住む…?

あっ そうか
終戦直後やし。

アハハ…。
ハハッ。

ハハハ。

元気ですね。 ねえ。
お元気。

戦前は
宣教師たちが住んでいたという建物。

その屋根裏部屋で
食料を分け合いながら 暮らしました。

へ~。

ハハハハ…。

ワイワイやってたら 楽しいやろうな。

昭和27年 武は 福島県いわき市に
やって来ます。

福島県立 平商業高校です。

峯島先生が 本校に在籍しておりました
記録が残っておりました。

夢をかなえた武は
福島県公立学校の教員となり

平商業高校に
着任しました。

当時 26歳。

一体 どんな教師だったのでしょうか。

(取材者)こんにちは。

武は 早川さんのクラスの
副担任を務めていました。

同じく 教え子の…

当時の学校で
武は 珍しい存在だったといいます。

海軍時代 上官の暴力に苦しんだ武。

抑圧するような教育は
したくなかったのです。

生徒たちの信頼を集めました。

しかし 昭和32年。

「願に依り
本職を免ずる」。

武は 自ら 教員を
辞めてしまいました。

教壇に立って 5年。

武の身に 何が起きていたのか。

その いきさつを知る人が見つかりました。

(取材者)あ こんにちは。

ありました。

峯島先生。
これが鈴木義白です 私です。

柔道部の
顧問だった 武。

部員だった鈴木さんが
卒業する年

送別会に呼ばれます。

いや 送別会は あの~…

これが その時の写真。

武が
先に帰宅したことで 騒動が起こります。

生徒をかばったために
他の教師との関係が悪化。

学校に居場所がなくなり
退職を決意したのです。

昭和34年 武は上京し
母校 明治学院大学で働き始めます。

教師への未練を残したまま
大学の事務職員として 再スタート。

そんな失意の中
武は 知人の紹介で見合いをします。

相手は 小森百代。
あ~ 美人。

初めて見た。
後に 礼子の母となる女性でした。

う~ん… いかがでしょうか?

いや~ びっくりですね~。

今のVTRにあった 先生時代のストーリー
というのは 全然 ご存じなかった?

全く分かんないですね。

ほんと 知られざるお父さんすぎて
ちょっと びっくりしました。
ねえ。

ず~っと 「先生 先生」って言われてて
何の先生だか分からなかったんです。

そんなに こう
話 しなかったんですか じゃあ。

それだけ 話されなかったんですね。
ねえ。

そうですね。

いや でも やっぱり あの送別会は…。
お父さんは まともに信じて

「いや 飲んでないって言うてますから」
っていうので。 はい。

でも よかったです そういう父で。
ああ…。

ほんとですね。
ねえ。

生徒と うまくいかなくてといったら
私も ちょっと悲しいなと思うんですけど。

でも やっぱり生徒さんからは
ものすごい慕われる先生でしたね。

ほんとに 何か まあ 愛された先生
だったんだなっていう感じはしますね。

礼子の母 旧姓 小森百代。

母方には
どんなルーツがあるのか。

いや~ もう母方は全く分かんないです。

母は あまり
そういう話をした記憶がないですね。

本籍地は 代々
茨城県大場村の

三美という集落に
ありました。

三美は 父方 峯島家があった
城里町と

那珂川を挟んだ
対岸にあります。

ここで 小森家の先祖は
どんな暮らしをしていたのか。

古い写真を見せてくれました。

(小森)ここに 帽子かぶった…。
ここですね 多分。

(取材者)あ その方。

この方が留蔵さんですか。
(小森)はい。

明治11年生まれの小森留蔵。

留蔵は 大変な甲斐性があり
子どもも 15人いました。 え~!

その長男が 源之丞。

後の礼子の祖父です。
(今田 高島)15人!?

源之丞は 農業のかたわら
村の役場に勤め

葉たばこの栽培を指導していました。

手前に 妻で 礼子の祖母 すゑのがいます。

(取材者)こんにちは。

源之丞の妹を訪ねました。

(取材者)
源之丞さんは どんな人だったですかね?

穏やかなんやなぁ。

源之丞も親分肌で 面倒見がよく

田んぼや畑で 大勢を仕切りました。

いねさんも
子どもの頃から よく手伝ったといいます。

昭和13年
村のリーダー格だった小森家に

百代 後の礼子の母が
誕生します。

百代は とても目立つ少女に育ちました。

地元の大場中学に通った 百代。
背 高い。

同級生の遠藤順子さんに
電話で話を聞くことができました。

百代は ある運動部で活躍したといいます。

(取材者)え 百代さんは
アタック打つのが専門? (遠藤)そうです。

(取材者)ふだん
どんな感じでしたか? 百代さんって。

中学を卒業すると
片道2時間近くかけて

太田第二高校に通います。

家から駅まで
およそ5キロを自転車で走り

汽車を 2本 乗り継ぎました。
え~!

あ 汽車。

3年間 高校で同じクラスだった…

穏やか。

高校を卒業して 数年後
百代は見合いをします。

その相手こそ 大学の事務職員だった…

武 36歳
百代 24歳の時のことです。

貫禄あるな 36歳。
すごいな。

その2年後
長女に続いて

次女の礼子が
誕生します。

(取材者)こんにちは~。

礼子のいとこ 久田恵子さんは

当時の武の様子を覚えています。

しかし 一家の生活を変える
予想外の出来事が起こります。

母の百代が 若くして
病気を繰り返すようになったのです。

一方 父の武も 家庭では
厳しい表情を見せるようになります。

生徒から慕われ
天職と思えた教師を辞めて およそ10年。

気付かぬうちに 不満が膨らみ

葛藤を繰り返していたのかもしれません。

一回り年下の妻 百代を

家事や家計のことで
きつく叱ることもありました。

(取材者)百代さんは?
うん。

礼子たちが物心がついた頃には

無口で 厳しい父だったといいます。

そんな中 武は ある副業を始めます。

当時 大学の事務職員として
武と一緒に働いていた…

それで やっぱり その…

同じく同僚だった 松岡良樹さんは
当時の武の思いを感じ取っていました。

家庭教師は
武にとって 教える喜びを取り戻し

本来の自分に立ち返る
きっかけとなりました。

そんなある日 妻の百代が
40代で悪性リンパ腫を患います。

武は 何か月も 献身的に看病しました。

母が入院した時には 毎日…。

勤めが終わってから
もう毎日 病院に通ってきて 欠かさず。

お母さんから
「来るな 来るな」って言われても

必ず 行くんですよ。

いっつも お父さんの方がね
お母さんのことを怒ってたのに

何か その逆転 初めて逆転した。

しかし 昭和60年
百代は 46歳という若さで亡くなります。

妻を亡くした武は 何を思っていたのか。

職場の同僚だった松岡さんは
当時の様子を覚えています。

武は 周囲が心配するほど
憔悴していたのです。

アハハハ… そうですね。

まあ 父の あの怒りが 私は
ただ厳しいだけだと思ってたんですよ。

自分のストレスがあったということを
ちょっと今日 初めて知った。

ねえ。 何かこう お母さんがね
亡くなったあとの。

もう 何か 父が ちょっと
落ち込みすぎてしまったというか。

やっぱり 自分の中でも
ものすごい お父さんも後悔が。

ショックだったと思いますね~。
あったのかなっていう。

母には 特に厳しかったんで。
ねえ。

やっぱり
気遣ってあげられなかったってことと

う~ん… 何だろう やっぱり

後悔は たくさんあったような
気がしますよね 母に対してですよね。

まあ でも私自身も 母が亡くなってから
もう ものすごい変わりました。

今まで 母にしてこれなかったことを
もう 逆に父にするようになったというか。

もう後悔したくない。
やっぱり したくないっていう。

家族を大事にしたいっていう。

変わりましたねぇ。 うん。

ご自身の「ファミリーヒストリー」
いかがでしょうか 今日ご覧になってみて。

今回 こうやって
父と母の そのストーリーというか

ご先祖様の生きざまみたいなものを
あの~…。

ほんと 生き方 変わりますね。
ハハハ…。

何か 恥じないように
生きていきたいなと思う こうやって。

何か 知った以上はね 何か…。
はい。

そうですね。
はい。

彼らを失望させないように しっかりと
生きていきたいなと思いますね。

武さんの教員時代の教え子…

同窓会の話が持ち上がると

真っ先に 武さんに声をかけました。

教え子たちとの交流は 妻を亡くした
武さんにとって 大きな支えとなりました。

もう一つ
武さんの老後を支えたものがあります。

ドラマや映画で活躍する
礼子さんの姿でした。

お父様 お母様。

末永く お元気で
お暮らし下さいませ…。

武さんは 70代でパーキンソン病を患い

思うように
体を動かせなくなっていきます。

教え子の早川理枝さんが
心配して見舞いに行くと…。

令和元年 武さんは
人生の幕を閉じます。

93歳でした。

一方 46歳という若さで
無念の死を遂げた 母の百代さん。

その面影は 俳優として活躍する娘に
しっかりと受け継がれています。

礼子さんのことを テレビで…。

「あっ あの方だ。
百ちゃんに似てる」って こうね。

笑ったところとか
ちょっとしたね 顔の表情が

お母さんに そっくりだなぁ。

百ちゃんも
きれいだったから ああ やっぱり

お嬢さんも そんな きれいな
お嬢さんだったんだなぁって。

お母さんが 今の姿 見たらね

お互いにね
いろんな喜びがあったでしょうにね。

高島礼子さんの「ファミリーヒストリー」。

困難に ぶつかりながらも
必死に前に進んだ

家族の姿がありました。

まあ これからも やっぱり忘れずに

父と母を こう何か 思っていけたらなと
思いますね。
そうですね。