歴史探偵「鉄道開業150年」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

歴史探偵「鉄道開業150年」[解][字]

今回は鉄道の歴史!150年前の日本最初の鉄道遺構が発掘された。調査すると日本の伝統技術が大きな役割を果たしていた事が。最新研究から当時の鉄道のCG再現に挑む!

番組内容
ことしは日本に鉄道が開業して150年。今回は鉄道の歴史を徹底調査!向かったのは東京・高輪で見つかった日本初の鉄道の遺構。現れたのは城の石垣のような石積み。海の上に鉄道を走らせるため作られた堤だという。なぜ海の上を走らせる必要があったのか?そこには明治日本を豊かな国にしようと奮闘した男たちのドラマがあった。さらに最新研究から開業時の鉄道をCG再現!日本の近代化に大きな役割を果たした鉄道の歴史に迫る。
出演者
【司会】佐藤二朗,渡邊佐和子,【出演】多摩大学客員教授・歴史研究家…河合敦,【リポーター】近田雄一

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

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  18. 結構
  19. 今回
  20. 史料

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(警笛)

「歴史探偵」。
今回は 「鉄道」です。

今年は 日本で
鉄道が開業して 150年。

調査すると…。

開業当時の 鉄道の遺構が見つかりました。

謎に包まれていた
当時の客車も明らかに!

150年前の鉄道の姿とは?

CG再現に挑みます。

文明開化は 鉄道から始まった。

「歴史探偵」 調査開始です。

♬~

♬~

いや~ 副所長 この…

我が歴史探偵事務所にですね

電車が動いておりますけど

これ 誰が用意したの?
結構な勢いでね 走ってますけれども

今回の調査対象は 「鉄道」。
誰が置いたのか。

わたくし
ちょっと 想像がついております。

え~と うちの探偵にはですね…

そうなんですよ。
おあつらえ向きの探偵ですよね。

近田探偵です
よろしくお願いいたします。

どうです 所長。 私の鉄道模型は。

あなたのなの!?
走ってるのは 私のです。

ていうか あなた
もう 仕事にならないんじゃないですか?

大丈夫ですか? 好きすぎて。
誰が公私混同ですって?

アハハハッ 誰も言ってねえ。
自分で言いました?

誰も言ってないですよ
今 「公私混同」とは。

実は今年 2022年…

で 当時は 明治の初期 文明開化に

この鉄道が 大きな役割を果たしたと
言われているんですよ。

ほう なるほど 明治の文明開化に。
そうなんですよ。

今回は調べて 更にですね

そのデータから 当時の鉄道を
CGで再現しようと思ってます。

おお! それ だって 当時150年前の。
はい。

それは でも 見てみたいし
貴重ですよね。

そうですよね はい。 で まずは

当時のことから
押さえていきたいと思います。

はい こちらですね。
1872年 明治5年。

日本で 初めて 鉄道が
本格開業した時の路線図です。

東京の新橋から始まって
これ 白いのが これまでの街道で

黒が 鉄道の線です。

新橋をスタートして 品川 川崎
そして 横浜を結びました。

今の東海道線ですよね。

大体 29kmで
当時は 53分で結んでいました。

今の 大体 倍ぐらい
かかっているんですけれども

当時としては… はい。
うん 当時としては… で?

徒歩で 10時間とか。
うわ!

人力車で
半日とか かかっていましたから。

まあ ほぼ1日作業だよね。
そうです はい。

それに比べると…。
1時間以内に行っちゃう。

はい。
これは…。

まさに 革新だね。
そうです。

で 所長に 注目して頂きたいのは…。
何だい。

ここ 新橋・品川間。
そうなの そうなの。

俺も ちょっと気になってたのよ。

気になりますよね?
気になりますね 当然。

今日は まずは
そこからなんですよ。

で ここでは 実は2年前から
大規模な発掘調査が行われて

どうやって この海の上を走らせたのか
分かってきたんです。

あ~。
おっと。

まずは 新幹線N700Aに乗って
東京の発掘現場へ。

こんにちは。
どうも。

「歴史探偵」の
近田と申します。

港区の
斉藤と申します。

よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

今回の発掘の担当者です。

案内されたのは 山手線で 最も新しい

高輪ゲートウェイ駅近くの
工事現場です。

ここは もともと
線路や車両基地があった場所。

新たな駅をつくるため

線路を撤去したあとに
見つかりました。

おお~! えっ…

ほんとだね まさに石垣だね。

現れたのは 高さ4mの石垣。

これほど大規模に
当時の遺構が見つかったのは 初めてです。

えらいもんが見つかったね。

実は 私たちが立っている…

当時の錦絵を見ると

確かに 海の上を走っています。

ほんとだ
石垣があって 堤が…。

更に こんな発見も。

そちら 見て頂くと 何か あの…

あっ あの くい。

このくいには 重要な役目がありました。

石垣が崩れるのを
防いだり

海底の地盤を
固めたりするものだったと

考えられています。

そして 鉄道には欠かせない
こんなものも…。

おっ これ…

当時 最先端の鉄道技術を持っていた
イギリス。

日本は 機関車や線路といった大部分を
イギリスに頼っていました。

しかし 今回の発掘で

日本の技術も
大きな役割を果たしていたことが

分かったのです。

一体 それは何か。
向かった先は 東京湾。

(2人)ハハハッ。

ちょっと下?

案内されたのは 台場。

幕末 黒船を迎え撃つために
造られた

人工の島です。

(冨川)そうです 石垣です。
おお~!

幕末の石垣。

当時のままの石垣です。 あれがですね…

なるほど。

台場と 鉄道の石垣を比べてみると
確かに同じ積み方です。

台場の技術が使われていたことが
分かります。

人間の知恵ってね すごいね。

へえ~!

更に 調査を進めると…。

これは 台場の
設計図です。

石垣を囲むように 設置されていたのは

そう 発掘でも見つかった くいです。

日本最初の鉄道。

そこには これまで
培ってきた

日本の技術が生かされていました。

う~ん まあ この番組でも
やりましたけどね 前に 台場のね。

外国と戦うための
台場の技術がね

明治になると イギリスと協力した
鉄道建設に使われるっていうのは

何かこう 時代が すごく変わったんだな
って感じますね。

ほんとに 平和利用されていくって
ことですもんね。

そうだね。

ほんとに こう
西洋とね 日本の技術が

うまく融合した
っていうことなんですけど

この築堤はですね お台場を造った
人たちが 結構 参加していてですね。

あ 人も重なってるんだ
その 技術はもちろん。

お台場なんかの石垣も 持ってきたりとか。
あっ! おお~!

すごいですね そう考えると。
すごいね。

更に 日本の技術が使われてるものが
ありまして

ちょっと こちらのお写真を
ご覧頂きましょう。

真ん中の通路みたいなところ
当時は海で

ここを 漁のための船が
行き来してたんです。

鉄道は この上を 橋を渡すようにして
通っていたんですが

ここ 空洞になるので 強度が必要。

で ここの石垣 よ~く見て頂くと

少し きれいになってるの
分かりますか?

石垣が ゴツゴツではなくて。

ああ そうだね。
何か 平らといいますか。

そうです はい はい。 で 注目は

石と石の間 何かが詰まってます。

ほう 隙間が詰まってるね。
そう。 これ イギリスでは

セメントを使うんですね
接着のために。

でも 当時
日本には セメントはない。

しっくいを使ったんです。
はあ!

しっくいって
お城とか あと蔵の壁に使うやつ。

塗ったりする そのしっくいを
生かされてる。

そうなんですよ はい。

(河合)
まさに 日本の技術が生かされてて

しっくいっていうと やっぱりね

屋根との隙間をね
あの 瓦の隙間を埋めたりとか

ほんとに 古代から
ずっと使われていたものなんですけど

すごい…

ですから 海の上に 石垣 造るので…

うわ~ そうか。

で セメントだと
結構 その 風雨にさらされて

酸化して
ボロボロになるじゃないですか。

そうなんです。

海の上をね その 走らせるために
イギリスの協力も得ながら

日本の さまざまな昔の技術が

使われていたのは
分かったんですけども…

そこですよね。
そこですよね。

あなた ほんとドヤ顔
うれしそうだね。

いやいや そこも調べますと

日本の未来のために…

おお そう。

(馬のいななき)

西洋文明を いち早く取り入れ
日本の近代化を目指す若者がいました。

後に 早稲田大学を創立する
大隈重信と

初代総理大臣になる

伊藤博文です。

当時…

ある日 大隈と伊藤は

日本の将来について語り合います。

話題は 当時 人々の関心を集めていた…

こう 鉄道を 日の本全部に敷けば

速く しきりに いかに遠かろうとも
往来できる。

さすれば 国中の人や物が
盛んに行き来できる。

(大隈)そうじゃ!

この国は いまだバラバラじゃ。

それを 一つにできるのが…

この鉄道じゃ!

2人は 鉄道が 日本の近代化に
欠かせないと考えていた

数少ない人物でした。

大隈重信は 九州 佐賀藩の出身。

佐賀藩は 鉄道と
深いつながりがありました。

幕末 西洋技術を
積極的に導入。

その中で 日本初となる

動く蒸気機関車の模型を

作っていたのです。

一方 伊藤博文は

イギリスへの留学経験が
ありました。

そこで 多くの人や荷物を
遠くまで運ぶ鉄道の姿を

目にしていたのです。

2人は意気投合。

政府の会議で
鉄道建設の必要性を主張します。

我が国が 西洋各国と並ぶに
今 最も必要なものは何か。

それは 東京と
主要な港を結ぶ

鉄道なのであります!

計画は壮大なものでした。

東京 横浜 神戸など

主要な港がある場所を

全て結ぼうとしたのです。

どうしたものかのう…。
なんせ 初めてじゃしなあ。

まことに できるかのう。

ただいま 建議いたしましたる
鉄道のこと

一日でも早く
ご決定 賜りますよう

この大隈重信

心より
願い上げるしだいであります!

一日も早く。

大隈が
鉄道建設を
急ぐのには

理由が
ありました。

明治2年11月 国は…

2人は 責任者として
全権を委任されました。

順調に思えた 日本初の鉄道建設。

しかし 大きな壁が立ちはだかります。

西郷隆盛から 反対意見が出たのです。

おやおや。
なぜ?

なぜ
反対した?

なるほど~
そうか…。

西郷は 世界の強国と肩を並べるために
必要なのは

鉄道ではなく 軍備であると主張します。

更に 大きな問題が起こります。

建設にかかる費用は

現代の金額に換算すると…

当時の国家予算の 半分にあたる金額です。

いやいや いやいや…。

大隈たちは国債を発行し
予算の確保を図りますが

資金は集まりませんでした。

しかし 大隈は諦めません。

最新の鉄道技術を持つ イギリスに

多額の借金をすることを決断します。

計画も大幅に縮小。

新橋・横浜間だけにし

とにかく
鉄道建設の実現を目指します。

しかし 更なる壁が…。

西郷隆盛の影響下にある兵部省
軍に関する史料です。

「鉄道の
予定地である
築地付近は

軍事の
拠点であり

もし 駅を
設置するならば

国を守ることが
できない」。

新橋・品川間の
鉄道建設予定地には

軍の土地があり

これを譲らないというのです。

万事休すと思いきや…。

わしに 妙案がある。

ここに鉄道をひく。

(伊藤)おい そこは海じゃ!

(大隈)さよう。 陸が駄目なら海に敷く!

(伊藤)海!?

かつて旧幕府は 海に台場を築いた。

我らも 蒸気車が走るための
台場を築けばよい!

(汽笛)

海の上の鉄道。

それは 一刻も早く
鉄道で経済を発展させようとした

大隈の大英断だったのです。

海に 台場を造って
そこに通らすっていう そのね 判断が

やっぱり 大きなことを成す人は
違うなと思いながら 見てましたけどね。

まさに 何で そのアイデアを
思いつけたのかっていうことですよね。

そうですね。
ねえ? うん。

実は佐賀藩って 長崎という
国際的な港があるじゃないですか。

だから そこを警備するっていう
役目があってですね

結構 その 幕末に
台場を造ってるんです 実は。

あ~ そうか。 海に…。
海に。 石垣を造ってですね。

その技術があって また あの…

なるほど。 そこで 多分できると
やれるというふうに

判断したんじゃないですかね。
なるほど そういう…

あっ そうか 大隈重信の経験というか
そういうものに それがあったんですね。

だから やりたいという熱い思いで
いろいろ思いついて

実現に至ったのかなと思うんですね。
なるほどね。

反対していた西郷隆盛さんとかは
そのあと どうなったんですかね。

そうなんですよ。 その関係性がうかがえる
史料を見つけました。

はい こちらです。

明治の5年に 「鉄道開業式」というので
汽車を走らせたんですが

その時の
座席表なんですね。

こう 縦に
ず~っとありますが

どんな人が乗っていたのか。

例えば 3号車
これ ひと文字ありますけれど

これ 実は 明治天皇を表しています。

で 3号車の次 4号車。

こちらには… 名前 ご覧下さい!

この左。
はい! 西郷さん。

その下が
大隈さんになってるじゃないですか。

まさに そうなんですよ。
2人 並んで
座ってるんです。

え~!

鉄道を とにかく反対していた
西郷さん。 その後ろに

もう ものすごく鉄道をやろうと
熱い思いをしてた 大隈さん。

けんかにならないか? これ。
(笑い)

どんな気持ちで
乗ってた…。

ねえ どんな気持ちだったのか。
それが分かったら 面白いんですけど

残念ながら この時の西郷さんの気持ちを
語った記録は ないんですね。

ただ その 西郷の盟友である
大久保利通 彼がですね

やっぱり 鉄道について
語ってるんですね。

彼も反対派だったんですけど
やっぱり 実際 乗ってみて

こう 意識が
一気に変わってるんですね。

まだ 開業式の前に
試乗運転をした時に

大久保が
こう 乗ったところですね

「百聞は一見に如ずだ」
というふうに

非常に驚いて
感激してると。

新橋・横浜 随分 最初の予定よりは
短くなっちゃったけど

それが大きかったね。
そうですね。

それで やっぱ反対派もさ

「こんな すげえんか!?」って
思うじゃないですか やっぱり。

そうですよね。 乗ったら分かる。
そうしたら やっぱり

経済 すごい
飛躍的に 良くなるっていうことはね

余計 実物 見ると感じられるもんね。

あれが明治5年で
明治の終わりには

あの短い路線だったのが
ほぼ 全国の幹線路線が出来るぐらい

やっぱり スピードを上げて
どんどん開業していったんですよね。

ということは やっぱりその
いわゆる 俺らも小学校で必ず習う

明治の近代化っていうのに …の
その最初に

あの短い距離が
すごく いい作用を及ぼしたというか

あそこから始まったと言っても
ちょっと過言じゃないぐらい

なのかもしれないね。
まさに そうですよね 原点ですよね。

所長のひと言
すてきな ひと言 頂きましたけれども…

ハハハハハッ!
そこですか?

いや 近田探偵 あの~ そうですね

我々と近田探偵 見てるところ
少し違いますから。
そうですね はい。

やっぱり 列車を見たいんでしょ。
でも それもあります はい。

それも大事です はい。
それも見たい。

ということで 調べてきて
CG再現 挑んでみました。

(アナウンス)「この列車の途中停車駅は…」。

すいません ついつい
乗り心地が良くて。

今日はですね
さいたま市の

鉄道博物館に
やって来ました。

所長 小芝居なんてして すみません。
ちょっと興奮しすぎました。

では 気を取り直して。

こちらで まず調査するのは 機関車です。

あっ こんにちは。

どうも よろしくお願いいたします。
お願いします。

近田と申します。
よろしくお願いいたします。

日本鉄道史の専門家です。

これがですね…

日本の SLのイメージと違って
ちょっとね 何ていうんでしょう

「ハリー・ポッター」に出てきそうな。
そうですね はい。 これ…

調査は 順調… と思いきや…

怖い やめて ここにきて?

(奥原)そうなんです。 実はですね…

ほう…。

残念ながら
1号機関車は改良が加えられ

開業時の姿とは 変わっていました。

当時の機関車の形が分かる
史料はないのか。

文献を調べてみると…。

開業当初の姿が分かる
機関車の写真をゲット。

これで
CG再現することにします。

続いての調査は 客車。

当時の錦絵を見ると
いろいろな姿が描かれています。

形も色も さまざま。

中には 赤い格子がついた
客車とは思えないものも。

実は 客車は
史料が乏しく

その姿は
あまり よく分かっていませんでした。

そこで 手がかりを求めて
専門家がいる京都へ!

あ~! こんにちは。
近田と申します。

よろしくお願いします。
こちらこそ よろしくお願いいたします。

お願いします。
どうぞ 入って下さい。 中 失礼します。

すご~い!

60年以上 鉄道を研究してきました。

これ 写真?

え~!

これは 2012年に
オーストリアで発見された写真です。

明治5年の
横浜駅のものと考えられています。

写真を拡大すると

客車が はっきり写っていました!

ほんとだ ほんとだ!

1 2 3 4 5 6 7 8 9。

あれ? この形 見覚えが…。

そう 絵に描かれたものと同じです!

あ~ さっきの…。

絵を見ても 人が乗っていることから

これは 客車で間違いなさそうです。

ほんとだ ほんとだ。

更に この写真から
新たな事実が明らかになりました。

注目は 車輪の上にある

「板バネ」という部分。

揺れを吸収する役割があります。

よく見ると この板バネの長さが

客車によって違っていました。

このバネが長いほど
揺れが少なくなります。

つまり 長い方が
上等な客車ということに。

これで 準備万端です。

それでは 皆様を 明治の鉄道の旅へと
ご案内いたしましょう。

スタートは…

アメリカ人の建築家が設計した

2階建て 石造りの建物です。

立派ですねえ。

すてきな建物だねえ。

すてきですねえ。

中に入ると
大きな空間が。

洋装 和装

たくさんの人で
にぎわっています。

それでは 切符を買いましょうか。

実は 当時の切符も見つかっています。

裏面には 英語・フランス語・ドイツ語で

「鉄道の規則を守ること」と

書かれています。

多くの外国人も

利用していたんですね。

(汽笛)

さあ いよいよプラットホームへ。

見えてきたのは
開業当時 走っていた列車です。

鉄道博物館で見つけた
写真をもとに

忠実に再現。

格子扉のついた客車も…

このとおり。

あっ 色もね ちょっと
参考にしてますかね 絵をね 錦絵を。

(太鼓)

発車5分前を知らせる合図は
太鼓の音でした。

太鼓だったんですね。
ベルがないですからね まだ。

ああ そうか。
(汽笛)

ゆっくりと 動き始めました。

だって それまで
今まで 見たことがない人にとっては

もう すごいものだと思うよね。

時速は およそ30km。

出発して間もなく
目に飛び込んでくるのは 海です。

海の上を
走ってますねえ。

驚きますよね
こんな光景 見たら。

驚くよね そうだよねえ。

(走行音)
(鳥の鳴き声)

♬~

遠くには 台場が見えます。

停泊している外国の船も。

(汽笛)

♬~

(走行音)

♬~

終点の横浜停車場に到着。

いや~ 本当に鉄道って
いいものですねえ。

そりゃ やっぱり 当時の人からしたら

「いや もう これ いいじゃん
これ もう賛成!」ってなるぐらいの

ものすごい
インパクトがあったでしょうね。

あれほど 陸上を
大きなものが動くっていうのは…。

そうだよね。
なかったわけですからね。

なかったわけだから。
まあ よくね 明治の近代化って

蒸気機関車って
よくね 象徴として語られますけどね

こう 夢が
こう 何か つまってる感じがしますね

当時のみんなのね 近代化の うん。

もう ほんとに
当時から大人気だったんですけれども

じゃ 一体 いくらだったのか
切符も出てきましたが

そのね 料金表があったんですよ。

これ 「汽車出発時刻及賃金表」と
あります。

先ほど ご紹介した
東京 これ新橋ですね から

横浜まで見てまいります。

こちら。 上 中 下と
ありますが

1等 2等 3等
ということですね。

で 1等が
「金一両二朱」と
ありますが

これが
今のお金で
換算すると

およそ1万5千円。
高いね。

高いですね。

それでも 乗る人が絶えなかった。

大人気の的だったんだね。

で あの 客車の外観
ご覧頂きましたけども

じゃ 中は どうなっていたのか。

あ 中もね 大事だね。
1等車 見てみましょう。

貴重な史料を見つけました。

おやおや 靴 脱いでる!
そうなんです。

これ 明治の後期の
イギリスの新聞に
掲載された

絵なんですが

靴 脱いでて
上がってる先が

革張りの椅子。
うわ ほんとだ 革張りだ。

正座もしてるんですよ。

まあ 下駄をね
やっぱり 脱いで座るっていうんで

客車に入る前に脱いじゃった人が
結構 いて。

不思議なのは…

そうなんだよね それも。

トランクが
ちょっと挟まっているという。

ほんとに こう 何か
時代の変化が いろいろ見られる。

目まぐるしくね。

僕は 何か 一番 こう 心に残ったのは

最近 発見された
明治5年の横浜港の写真で

列車が ちゃんとね
あの これなんですけど

もっと奥を見ると
海があるじゃないですか。

ありますよね。
うわ~!

これに ちょっと
「え~!」って思いますね。

すごい船が…。

まあ こういう外国に
どういうふうに日本が対処すべきか。

…ということもあると
思うんですね。
なるほど なるほど。

そういった意味では
ほんとに これを見ると

やっぱり…

まあ 大隈重信さんは
経済を優先する。

西郷隆盛さんは 軍備だったけども

日本を近代化して
守ろうとしてたっていう意味では

2人 一緒なんですね。
その後 日本の鉄道っていうのは

ほんとに
近代化の推進力になっていって

例えば 富岡製糸場というね
もう 世界遺産になった ありますよね。

日本では ほんとに
生糸を どんどん輸出するんですけど

その生糸なんかも
やっぱり 鉄道を通じて 港に行って

海外に輸出していきますし。

物流ね
鉄道ね 関係ありますよね 当然ね。

更に 鉄道はですね

私たちの身近な暮らしも
大きく変えていきました。

おお 何だい?

(汽笛)

新橋・横浜間に 鉄道が開通すると
ある駅に人気が集まりました。

川崎駅です。

一体 どうしてなのでしょうか?

専門家を訪ねました。

鉄道の文化史を研究している…

(平山)「昨日の…」。

川崎大師ね。

川崎駅が人気となった理由。

それは 川崎大師に初詣に行く人が
詰めかけたからでした。

今では当たり前の「初詣」は

鉄道によって生まれた風習だったのです。

もっと 全然 前からあると思ってた。
そうですよねえ。

江戸時代
新年のお参りは

正月の三が日に
したわけではありません。

その年の縁起の良い方向にある
寺社の縁日に合わせて

参拝していたのです。

ところが 鉄道が開業すると
状況は一変。

ちょっとした贅沢気分も味わえると
鉄道で お参りに出かけます。

更に 明治になって
正月の三が日が休日になったことも

人気を加速させました。

いや~ 初詣まで
電車のね あれで できたと。

初詣なんて もっと全然前の
風習だと思ってた。

知らなかったですね。
ねえ。

元旦に その 神社に行くっていうのは。

まあ あの ほんとに こう その年に
縁起のいいところに行くみたいなね

そんな感じだった。
あと 「縁日」といって 特別な日に

こう お参りに行くっていうことは
あったんですけど

それ以外にもね もう一つ
その 大きく変えたものとして

時間の観念を。

江戸時代の時間っていうのは
どういうことかっていうと

昼と夜で 2つに分けて
更に 昼間は6等分してたんですね。

何か ちょっと大ざっぱですね。
アバウトですね。

だから 時間が 昼間と夜
こう 伸びたり縮んだりするんですね。

そうですよね。
例えば 日の長い6月だと

暮れ六つは 7時過ぎぐらいから
スタートしますし

冬の12月だと もう5時ぐらいには
暮れ六つになっちゃって

それで 鉄道をこうね

何時出発とか 暮れ六つ出発っていっても
2時間 違っちゃうじゃないですか。

そうか。 鉄道は やっぱり
発車の時刻とか 時刻表とかで

そんなに 2時間 違っちゃ ちょっとね。
困りますよね。

そこで 24時間制を
西洋の24時間制を導入したんですね。

何 時間の24時間制も
鉄道の影響というか。 そうなんです。

鉄道が その 近代化の推進力というか
その イノベーションになったし

それは まあ ちょっと
思わぬ 副次的な効果かもしれないけど

初詣っていう風習も出来

そして 日本人の時間の概念まで
変えるっていう。

あの短い距離で なしえたっていうのは
また すごい話だねえ。

そうですね。

(笑い)

そうだね。 いや~ね 好きなものがある
というのは すばらしいし

いや でも ほんとに
大隈重信さんに感謝だね これね。

最後にですね
川崎大師の話が出ましたので

沿線を走る京急の車両 用意しました。

で これさ ほんで ここで これで
俺 動かしていいの? これ。 はい。

これを ひねるのか。 いい?
どうぞ。

これは いいの? お~!
バックするんですね。

おお 前。 おおっ。

あ~ら。

これ 気持ちいいね。
初めての。

初めてです。 え~。

これ スピードも調整できるんですか?
はい。

あっ なかなか
速いですね。

何とか… ごめん
車内放送 言おうと思ったけど

全然 思いつかない。
「つり革に お持ち下さい。

この列車は 今 左手に…」。

ごめんなさい 何も思いつきません。

それは 今 バスガイドですね。
「左手に」っていうのは。

ハッハッハッ!

(マサ)公園デビューだ カナ。