こころの時代~宗教・人生~「12年 孤独に自分と向き合って~比叡山 籠山行~」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

こころの時代~宗教・人生~「12年 孤独に自分と向き合って~比叡山 籠山行~」[字]

比叡山では最澄以来、俗世を離れ自己と向き合う行、十二年籠山行が行われている。戦後6人目の満行者である宮本祖豊さんに孤独になりがちな現代、己との向き合い方を聞く。

詳細情報
番組内容
十二年籠山行は1200年前、天台宗の開祖・最澄が比叡山に籠もって悟りを得たことから始まる伝統的な修行。最澄の廟(びょう)がある浄土院に籠もり、外に出ることなく最澄の生ける魂に仕え、ひとり孤独に12年間過ごすという行。しかし宮本さんは12年の間一度も孤独を感じることはなかったと言う。新型コロナウイルスによって顕著に現れた孤独の問題。十二年籠山行の経験を通して、どうすれば孤独から逃れられるのかを聞く。
出演者
【出演】比叡山延暦寺住職…宮本祖豊,【きき手】武田真一

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉

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  19. 年間
  20. 限界

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   ごあんない

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♬~

<新型コロナウイルスによって
より身近に感じるようになった

孤独の問題>

<国の調査によると 全体のおよそ4割が
孤独を感じると答えています>

<社会や他者とのつながりが持てず

こころに不調を来し

生きることに不安を抱く人も

少なくありません>

(読経)

<その一方 自ら つながりを断ち切り
孤独に身を置いてきた人物がいます>

<滋賀と京都にまたがる比叡山に

天台宗の総本山
比叡山延暦寺があります>

<国家の平安を祈るため また

修行や学問を行う道場として

1200年前 最澄によって開かれました>

<数ある修行の中でも
広く知られるのが…>

<山中 およそ30キロメートルを歩き

260か所で礼拝。

それを 1000日間
7年かけて行うことから

「動の荒行」といわれています>

<その千日回峰行と並び
過酷な修行として知られるのが

最澄の時代から受け継がれる…>

<最澄の廟がある浄土院で

12年間 一歩も外に出ず

たった一人で最澄の魂に仕え

途中でやめることも許されません>

<そのことから「静の荒行」といわれ

江戸時代には 志半ばで

命を落とす僧侶もいたといいます>

<宮本さんは 1997年
37歳の時に この行に入りました。

それから12年 およそ4500日の間
一人 最澄の魂に仕え

49歳で 戦後6人目となる
満行者となりました。

長く そして孤独な修行の中

向き合ってきたのは
自分自身の「こころ」>

<人生の大半を修行にささげてきた
宮本さん。

2年前 襲ったのが
ステージ4の がんでした。

それでも…>

<今回の「こころの時代」は
比叡山の僧侶 宮本祖豊さんに

修行にささげた その半生と

こころを見つめることの
大切さについて聞きます>

♬~

<琵琶湖が目の前に広がる…>

<比叡山の麓に位置する この場所に

宮本祖豊さんの自坊
比叡山 戒蔵院があります>

おはようございます。
おはようございます。

NHKのアナウンサーの武田と申します。
宮本祖豊と申します。

どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

ちょっと雨が降ってますけれども。
そうですね。

こういった風景もいいですね
なんか落ち着いた 緑の匂いもして。

このお堂で 今日はお話を。
そうです はい。

<こちらのお堂を舞台に

仏教との出会いから話を聞いていきます>

改めまして NHKの武田と申します。
今日はどうぞよろしくお願いいたします。

はい 比叡山観明院の宮本祖豊と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

よろしくお願いいたします。

宮本さんは
比叡山での長い修行を終えられて

今は こちらで お一人でお住まいになって
らっしゃるんですか? そうです。

どういった日常を
今 お過ごしなんですか?

ここでお勤めをいたしまして そして

すぐ近くから
比叡山に上るケーブルが出ております。

そのケーブルに乗って
比叡山のほうにお勤めに行っております。

今も毎日 比叡山に上られている?
毎日です。 はい。

そうなんですね。
はい。

では これからですね ほんとに長いお話に
なるかと思うんですけれども

仏の道と出会った時から
長い修行について

お伺いしていければと思っております。
はい。

まずは その「仏教との出会い」ですが

仏教とは そんなに関わりがないご家庭の
ご出身だったという…。

そうですね 全く関わらなかったですね。

子供の頃は まあ皆さん方と
あんまり変わらなかったと思います。

ただ 北海道の室蘭の出身です。

北海道というのは 明治からの開拓の
文化でございますので

周りを見ますと こちらとは違って
神社 仏閣よりは

キリスト教の教会のほうが多い
そういった環境の中でもって

ちょうど高校を卒業いたしました時に
大学受験でつまずきます。

そのことがきっかけでもって宗教の道に
入るというふうになっていきました。

もともとは 将来の夢としては
何を目指してらっしゃったんですか?

小学校の頃から 物理学
非常に興味を持っておりまして

特に 受験の近くなった頃には
物理学の中でも

将来 宇宙物理学を研究したい
こういうふうに ずっと思っておりました。

宇宙の真理を解明したい?
そうですね はい。

それが なぜ こう 宗教というふうに
心が向いていったんでしょう?

当時 当然 浪人生活でございますので
時間がたくさんある。

それと もう一つは
苦手な教科 そういったものを含めて

克服していくためには
やっぱり自分自身を知ることが大切だ。

こういうことでもって
自分自身を振り返ってみる。

そういった時に 決して
東大入れるような賢い頭でもなかったし

また 家の環境も決して裕福ではなくて
中流家庭のちょっと下ぐらい

そういった家庭でございまして。

そういった内なる自分の能力
あるいは外の環境

こういったものを見ました時に

自分が非常に徳の少ない人間だなと
こう感じたんですね。

私の場合は大学受験ということで
つまずきましたけども

やっぱり そういった部分の
自分のいろんな環境とか能力というのが

やっぱり非常に つまずいた時ほど
やっぱり考えさせられる。

自分自身に対しての
懐疑っていいますか疑問といいますか。

自分の人生がこれでいいのか?
自分とは何なんなんだろうか?

生まれてきたのは何なんなのか?

私としては恐らく
将来のことも含めまして

一番 人生で毎日毎日で考えた
悩んだ時期かなと思います。

若い人っていうのは
例えば いい仕事に就きたいとか

あるいは 社会の中で活躍したいとか
幸せな家庭を築きたい

いろんな志を 皆さんお持ちですよね?

そうですね 日本の経済が成長している
良い時でございましたので

まあ1~2年すれば
どっかの大学にも入っただろうし

また就職にも困らなかった
そういった時代で

自分自身が将来 サラリーマンのような
生活を望んでいるんだろうか?

こう考えました時に
もっと違う人生を歩みたい。

それは 自分が徳が少ないことから
徳を積む人生 それに時間を費やしたい。

こういうふうに思った時に
直感的にひらめいたのが宗教。

こうだったんですね。

最初のうちは 先ほど言いましたように
北海道の文化でございますので

周りはキリスト教の教会が多い。

私の家は 代々クリスチャンでもないし

自分自身も
洗礼を受けているわけでもない。

じゃあ キリスト教よりも
もっと広い もっと入りやすい

そういったものはないのかと
こういうふうに思いました時に

仏教があったんですね。

で その仏教の
いろんな本を読みまして

どんどん どんどん ひかれていった。
こういったことでございます。

そうして その仏教と
徐々にこう 距離を縮めていかれて。

で 天台宗を その中から選ばれる。

はい。
それは何がきっかけだったんですか?

当時 仏教書 読んでいる中でもって

日本の天台宗 その開祖であります
最澄上人が19歳の時に

比叡山で修行していく時に書かれた
誓いの文書

「願文」というのがございます。
「願う」 文書の「文」と書きますけども。

これを読みました時に
非常に感銘いたしまして。

1200年前に こんな
心の澄んだ方がいたんだなって

そういう印象を受けました。

是非 こういった精神が
生きている場所でもって

自分自身も徳を積んでいきたい。
こういうふうに思ったわけなんです。

<宮本さんが仏教を志すきっかけとなった
「願文」。

書かれたのは
今から およそ1200年前。

最澄が まだ19歳の頃でした>

<奈良の仏教界で勉学に努めていた
最澄でしたが

個人の救済ではなく
国家鎮護に重きを置いた当時の仏教に

不満を抱くようになります>

<そして ついには奈良を離れ

ふるさとの近江国 今の滋賀県に戻り

修行することを決断。

選んだのが 比叡山です>

<俗世から離れ
山の中で修行を行い

悟りを得ようと
考えました>

<修行を始めて間もない頃に
書かれたのが「願文」です>

<「悠々たる三界は 純ら
苦にして安きことなく

擾々たる四生は

唯 患にして
楽しからざるなり」>

<こうした
無常観をうたう文章から始まります>

<中には 「愚が中の極愚

底下の最澄」という言葉も…>

<そして 仏の真理を悟るまで
山を下りないこと

悟り・功徳を得ても 我がものにせず

あらゆる人々に伝えていく など

最後に
自分自身への誓いが書かれています>

<最澄は この「願文」を書いた後
比叡山に12年間籠もり

悟りの境地を得たといわれています>

<宮本さんは 浪人生だった20歳の時に
「願文」と出会い

最澄が行った十二年籠山行に
強く こころをひかれていきました>

19歳の時に最澄が書いた「願文」。
はい。

まさに同じぐらいの年代だったわけですね
宮本さんも。 そうですね はい。

まあ 同じ年代ということもありまして
恐らく

深くひかれた部分も
たくさんあったかと思います。

最初の出だしは やはり仏教の無常観
こういったものが書かれておりまして

当時 やはり私の精神状態が

大学受験につまずいて
浪人ということもございまして

その 人の移り変わりというものに
非常に自分が敏感に感じた。

そういった感じなんですね。

人の心の移り変わりに
敏感に感じた…。 はい。

具体的には
どんなことだったんですか?

非常に日本が経済的に豊かでもって

どんどん どんどん
豊かになっている時代でございました。

逆に その中でもって

精神的なもの これは日本人のとこから
どっか離れてしまって

それを置き去りにして
もの あるいは そういった経済

この繁栄だけを願っている。

こういったものを捨てて
やっぱり自分自身を見つめて

そして その精神レベルのほうを
上げていく。 そっち側のほうに

目を向けなきゃいけないんじゃないか?
やっぱり こういうふうに思いました。

この「願文」の中には
非常に印象的な文章がありまして

私も ここは どういうことだろうと
思ったんですけれども

その最澄さんがですね 自分のことを

「我が身は 愚かな人間の中でも
最も愚かな人間である」と。

ここは どう受け止められましたか?
私も やはり時間があったので

自分自身を見つめた時に
徳が少ない こう感じましたけども

更に最澄さんは
自分自身をもっと
徹底的に見て

自分の内証ですね
反省でもって

出てきた言葉かな
というふうに
思います。

実際には 非常に
能力が豊かな方で
ございましたので

決して
愚かということは
ございませんけども

やっぱり 深い
自分自身の反省
というものを

非常に
感じますね。

なかなか やっぱり
これだけ自分自身を見つめる

厳しく見つめるということは
普通の人では なかなかできない。

かつて 1200年前に
自分自身を深く見つめた人がいる。

また それだけまた純粋に追い求めた
そういった人がいたんだな

そういった人に半歩でも一歩でも近づく。

是非 自分も
最澄さんが歩んだとおり

自分も この十二年籠山行に入って
自分自身を見つめてみたい。

こういうふうに思いました。

自分を見つめたいっていう
その少年の心に

ぴったりマッチしたわけですね。
はい。

まさに じゃあ出発点ですね。
そうですね。

ただ あの… お話にもありましたように
ご実家は お寺でもなければ

もともと熱心な仏教徒
というわけでもない。 はい。

縁遠かったわけですよね。

いざ その 出家しよう
仏門を志そうと思われても

これ 大変だったんじゃないですか?
そうですね。

両親としては まあ 宗教に対しても
あまりいい感じを持っていなかったし

それで どうやって生活はしていくんだ?
ということをやはり聞かれました時に

経済的な部分の生活が
成り立つか成り立たないかまで

私のほうは調べてなかったもんですから
うまく答えられない。

この天台宗におきましては
まさに自分が師匠を見つけて

その師匠のお導きでもって
お坊さんの道に入れる。

こういったことでございましたので
まずは自分を導いてくれる

師匠になってくれる人を
見つけなきゃいけない。

そういった中でもって結局 両親の
なかなか許可が得られないうちに

半年 1年というふうにたっていく。

そこで 書き置きをしまして

「修行に出て参ります」と
こういうふうに一筆書きまして

故郷を家出してきました。
家出…。 はい。

びっくりされたでしょうね。
そうでしょうね はい。

それから まっすぐ比叡山に…。

そうですね。 片道切符だけを持って

飛行機でもって
比叡山のほうに行きました。

で すぐ次の日に上がりまして
総本堂の根本中堂というお堂で

まあ お坊さんになれますように
という祈願をしまして

そして すぐに
延暦寺事務所のほうに行きまして

お坊さんになりたいんですけど
というふうにお伺いしましたところ

普通は門前払いなんですけれども

たまたま運が良かったのか
延暦寺のお坊さんの一人が

ちょっと話聞いてあげようかって言って
出てきてくれまして。

当時 そうやって
門をたたく人っていうのは

どうだったんですか
珍しかったんじゃないですか?

もう 当時としては珍しかったです。

自分が 座禅に興味を持っている
お坊さんになりたい 修行したい。

こういったことを申しましたところ

当時一番この比叡山でもって
座禅に詳しい人 修行した方

これを紹介してあげましょうって

こういうふうに言って
連れて行かれましたのが

今の私の師匠に
なっております

堀澤祖門という方で
ございました。

そういった異例の中で

なぜ お話を
聞いてもらえた…。

今 どういうふうに
お感じになってますか?

そうですね 堀澤祖門師自身が
高校の時に悩みがございまして

そのまま抱えたまま
京都大学に入学して

それでも解決せずに
比叡山に上がってきて

自分も お坊さんになって
一つの道に進んでいく。

自分が かつて若い時に志した
そういった思いというのが

恐らく 自分の脳裏にも浮かんできて

ああ こういうのが時々来るんだよな
というようなのが

あったんだろうと思いますね。

それから 師匠のところで
しばらく様子を見るということで

ひとつきほど たったんですけども

あることを きっかけに
ここから出て行けって追い出されまして。

どういうことが きっかけで
出て行けとなったんですか?

その時は ぴんとこなかったんですけども
後ほど やっぱり聞くと

お坊さんとしての修行
これから修行をしていきたい

お坊さんになりたいという
あまりに強い思いが

何ていうんですかね 避けられた。

まだ 早いという段階だというふうに
感じたみたいで。

欲が勝っているというふうに
見られたんでしょうかね?

出て行けと言われて。

でも その時 あれですよね
ショックですよね? やはり。

そうですね。 あの まあまあ あの…。

どこの人間の… 分からないような
そういった人間が ぽんと来て

比叡山の伝統的な行に入りたい
というんですから。

なかなか許可が出ないのは
まあ 当たり前かなというのは

私自身も分かっておりましたので
1回や2回 断られたぐらいで

まあ ごくごく当たり前かなという
考え方はありました。

出て行けといったところで
帰るお金もないですし

僅かなお金でもって奈良の吉野のほうから
大峰山のほうに行って

ひとつきほど山に籠もって
考えましたけども

やっぱり なんぼ考えたところで

お坊さんの世界というのは
特殊な世界でございますので

そういった道の人に

やっぱり導いてもらわなかったら
世界に入っていけない。

こういうことから一回で諦めずに

もう一回
この堀澤祖門師のほうに連絡しまして

もう一回 チャンスを頂きたい。

こういうふうに申しましたところ
じゃあ もう一回来てみなさいって。

こういうことでもって
もう一回来ることになりまして。

ほんとに その熱いパッションを持って
門を ある一つの門をたたく。

そのことの意味というか
それを今 振り返ってみられて どう…。

非常に大切なことであると思いますね。

多分 恐らく
他の道も一緒だと思うんですけれども

例えば スポーツの世界で
日本一であったり 世界一であったり

こういった部分を含めまして 簡単に
1年や2年でなれるというわけではない。

で このお坊さんの世界におきましても
実際 自分が12年の修行に入れるまで

お坊さんになってから
約10年ぐらいかかるんですね。

その10年の間 その行をしたり
12年の修行をしたいという その気持ち。

この気持ち 熱意が消えてしまったら
もう当然 終わりでございます。

それだけの熱量を持っていたという
部分では よかったなと思ってます。

<最澄がたどった道を歩みたい。

その一心で仏教の道へと飛び込んだ
宮本祖豊さん>

<2年の小僧見習いを経て
比叡学院で仏教を学び

卒業後 更に6年の修行を重ね…>

<しかし 念願の十二年籠山行に入る前に
通らなければいけない修行があります>

<この修行を通し
身も心も清らかになることで

仏の姿が現れるといわれ

その体験を経て 初めて

最澄の魂に仕える
十二年籠山行に入れるのです>

<実際に どんなことを行うのか?

僧侶の小寺照哉さんに
教えてもらいました>

ご自身が…

<五体投地とは

直立した状態で
合掌を行い

その後 両ひじ 両ひざ
額を地面につけ

再び立ち上がり
合掌するという

仏教徒が行う
最高の礼拝方法のこと>

<好相行は 一仏一仏
仏の名前を唱えながら

1日に3000回 五体投地で礼拝。

これを 仏の姿が見えるまで行います>

<好相行に入った僧侶には

3か月ほどで 仏の姿が現れ
満行するといわれています>

<しかし 宮本さんは
この過酷な修行に

3年もの年月を
要することになりました>

修行を積み重ねてこられて いよいよ
念願の十二年籠山行に入る前に

その資格を得るための「好相行」という
修行があるということですけれども

どういうふうに こう
行に入られたんですか?

まず初日といいますか。

最初のうちは元気ですから 3000を超えて
4000ぐらい できるんですけども

だんだん だんだん
疲れが出てきますから

4000から3500 そして3000と
こういうふうになっていきます。

で 1週間ぐらいたちますと
やっぱり人間

眠らないのが限度になっていきますので

これを過ぎると だんだん
幻覚を見るようになってくるんですね。

それでも 途中やめてはいけない。

ですから トイレに行く
あるいは

水をかぶって沐浴して身を清める
あるいは食事をとる。

これ以外は ず~っと お堂の中に籠もって
そして朝から晩まで寝ないで

「南無何々仏」と言って
この五体投地をやります。

大変な難行じゃないですか?
そうですね。

先輩方を見ると 大体3か月 100日ぐらい。

私もやっていって ひとつき
ふたつき みつき たっていきます。

あ そろそろ見えてくるのかな?
って こう思うんですけれども

4か月たっても見えてこない。

比叡山の行というのは

暗黙の了解でもって
「行不退」という言葉を言います。

行不退?
はい。 いっぺん 行をしだしたら

不退 決して退いてはいけない
というんですね。

どんなことあっても退いてはいけない。

ですから 3か月 4か月たっても

見えないからといって
中止にはなりません。

4か月たって 5か月たつ。
6か月たつ。 7か月たつ。

8か月たつ。 9か月たってきます。

こうなると 三食ごはん食べますけれども
もう体力的に限界がきますので

だんだん だんだん
体が痩せていくんですね。

で 結局 9か月たったところでもって
もう ふらふらでもって

周りから見ても どうも このままいっても
もう満行は おぼつかないだろうって。

こう 指導のお坊さんが判断いたしまして。

で ふだん
ありえないことですけれども

一旦 もう これは中心にして ちょっと
体力を回復するのを待ちましょう。

こういうふうに言われて

9か月たったとこで
ドクターストップがかかりました。

やめるわけではなく
一旦中断ということになった?

中断の間も
やめてはいけないという部分で

三千仏はいたしませんけれども

一日 1000回ぐらいを
必ずやってるようにということで

ちょっと緩めて体力の回復を待ちます。

ある程度 体力が戻ったというふうに
周りが判断した時期でもって

2回目の再開。

こういった形で また一からやり直しで
また同じ行をやっていきます。

今度こそ見えるんだろうって こう
思うんですけども やっぱり見えてこない。

で 最初のうちは
師匠なんかが来て 頑張れって言って

時々 声をかけに来るんですけども
これが もう見えなくなってくると

師匠のほうでも
かける言葉がなくなってくる。

で 顔を見ても
真っ白な姿でもって蝋人形。

声かけても 表情に何の表情もない。

とうとう そんな状況の中でもって
冬の時期に2回目…

9か月 終わったとこで
2回目のドクターストップがきまして。

それでも見えない?
そうですね。

で 今度は やっぱり
相当きつかったみたいで

すぐ 延暦寺のかかりつけのお医者さんを
麓にありますので

そこから呼びまして
で 診察して血液を採る。

「もうちょっと もつと思う」って
こういう判断でございまして

で そういった中でもって 真冬に
今度は3度目の再開が また始まりまして。

それから ひとつきちょっと たちまして

条件が整いまして
目の前に仏様が立ちました。

その宮本さんが見たもの

仏様 どんな姿でしたか?

私の場合は直感的に
阿弥陀様だというふうに感じました。

これは 見た歴代のお坊さん全員
同じものではなくて

それぞれ自分にご縁のある仏様が
出るといいます。

当然 疲れが出て幻覚を見たんだろう
仏さんの幻覚だろう あるいは

見たい見たいと思ってるから
思い込みだろう

こういうことでございますので

昔から その先輩の指導のお坊さんに

見た仏様の姿 状況
これを全部報告いたしまして。

で その先輩のお坊さんが
間違いない 本物である

こういうふうに認定いたしますと
天台座主に報告いたしまして。

で 天台座主が吟味いたしまして
間違いないと こう言ったら

満行という形になるんです。

少し遡りますけれども
見えない時の思いって どうでしたか?

先輩方のように やっぱり
3か月たっても見えないと

やっぱり仏様がいるとか
神様がいるというのは

うそでないかって
こういった疑問が出てくるんですね。

疑問が出たからといって
途中でやめるわけにいかないですから。

更に その疑問を抱きながら
更に頑張っていく。

やっぱり体力の限界もありますし

当然 精神の限界というのもやってきて
もう立ち上がれないんだ

もう これ以上やりたくないんだって
もう何回も やっぱりきます。

それでも続けなきゃいけない
わけですよね? そうですね。

どうやって その もう一回 立ち上がろう
という気持ちをこう…

わき起こすんですか?
そうですね

だから もう限界が
一番の限界がきた時に

いま一回 全身の力を込めて礼拝をしよう。

もし できなかったら死のう。
こう思うんですね。

そうすると 最後の一回だと思ったら人間
一回ぐらいは できるもんなんですね。

こうして立ち上がって礼拝をする。
そして もう一回やろう。

もう一回やって
また立ち上がれなかったら

もう今度こそ死のう。

こういうふうに思うと やっぱり
できるんですね 渾身の力を込めると。

これが3回続いた時に

もう限界だ 限界だと言いながら
3回もできたではないか。

その時に初めて 自分が体力の限界だ
気持ちの 意識の限界だというふうに

思ったのが 何となく気持ちが崩れる。
そういった部分がございまして

また普通に
礼拝ができるようになるんですね。

こういうのが やっぱり続いて ようやく

足かけ3年というのが続いた
という感じなんですね。

次の一回 またその次の一回と
重ねていく。

それ なんかこう 人生 一日一日
生きていくということにも通じますね。

そうですね。 結局は だから
人間というのは遠くを見すぎる

あるいは いろんなことを考えすぎる。

ですから
自分自身が落ち込んでしまったりとか

あるいは絶望感とか
こういった部分に襲われます。

けれども これが
今日一日だけ あるいは今一瞬だけ

僅か30分 僅か10分 僅か5分
こういった部分でもって

全身でもって生きよう
こういうふうに思うと

人間というのは
何とか頑張れるものなんですね。

宮本さんの場合は なぜ その
3年間も見えなかったんでしょうか?

先輩方の話を聞きますと言われるのは

日頃 頭を使う訓練 これをしてる人ほど

やっぱり
なかなか頭が真っ白にならなくて

いわゆる無我の状態になっていかない。

だから長いんだ
かかるんだって言うんですね。

私は もちろん
戦後の生まれでございます。

けれども その中でもって 若い頃は
「受験戦争」という言葉も出てきました。

そんなんで 頭を使う訓練というのは

随分 学校においても他においても
教えてもらってきた。

ところが いまだかつて
宗教の世界に入るまで

頭の思考を止めるという
やり方 訓練というのは

教えてもらったことも したことも
一度もない。

瞑想でもって思考を止めるという

こういったのが
ヨーガでもありますけれども

なかなか じっとして自分の雑念を払う
頭を真っ白にする

これは非常に無理なんですね。
難しいんですね。

それを やっぱり具体的にできる条件に
作り上げた修行法というのが

この好相行なんですね。

実際に 24時間寝ないで しかも体も動かす
こういったことをすることでもって

必然的に思考が止まってくる。
このやり方をすれば

どんな人でも 期間はそれぞれですけども
頭が真っ白になって

あるいは心が最終的に真っ白になって
無我に近い 我のない状態になるんですね。

そういった状態の時に
目の前に仏さんが出るんですね。

ところが まだ見えないんだろうかって

こうやって頭で考えられる時は
仏さんって出てこないんですね。

宮本さんの場合は 3年間かかって
それで仏様が見えたという その

それだけの苦行をして

仏様を見るということの意味ですね。

そこは どういうふうに
お考えになってるんですか?

実際のところ
仏さんが見えるということでもって

好相行満行のしるしと しますけれども

仏様を見るということが
目的ではないんですね。

好相行というのは
自分の心を清めていく

その清まったしるしとして
見えるというだけで

その心を清めていくということのほうが
大切なんですね。

それは好相行という体験でもって

本来 人間が持っている
今失った部分の感覚

もっと敏感でもって見える
目に見える 目に見えない

そういった感情であるとか
そういった心の部分 もっと…

感覚が研ぎ澄まされて感じる。

見えている今の世界よりも
他の世界は何にもないんだ。

こういうふうに思ってる間は
仏教が一歩も入らない 進まないんですね。

見えていない世界も もっとあるんだ。
感じていない世界もあるんだ。

自分自身が固定観念で持っている
この世界で当たり前に見えてるとか

そういった部分の常識が
それでもって壊され

更に自分自身が広がった
そういった見地も持つことができる。

体験することでもって
仏教を もっともっと こう…

深遠な
そして広大な そういった世界ですので。

それを 入ることが
初めて それからできるのであって

好相行が終わって
これから第一歩なんですね。

それが つまり
心を清めるということなんですね。 はい。

それができて初めて
伝教大師に仕えることができる。 はい。

ですから 十二年籠山行に入るための
テストなんですね。

大変なテストでしたね。
そうですね はい。

<好相行を経て 初めて
取り組むことが許される

十二年籠山行>

<弟子のため
最澄自らの修行体験を制度化し

受け継がれてきた修行方法です>

<十二年籠山行について 最澄の思いが
つづられたものが残っています>

こちらがですね 「天台法華宗年分学生式」
という中にあります

「山家学生式」の部分になります。

この2つ目のところに
比叡山で修行される方は

12年間 この比叡山を出てはいけないと

そして修行をするということが
書かれております。

自分自身を見つめ直して
更に仏教と真剣に向き合うことによって

人のためになれる そういう僧侶を
目指しなさいというようなことが

書かれております。

<織田信長による比叡山焼き討ちによって
中断されていましたが…>

<その際 より厳しいものにしようと
本堂がある中心部を離れ

山あいに ひっそりとたたずむ
浄土院の中で行う修行へと

変更されました>

<最澄の魂に仕える役職
侍真職として

ここで 12年もの間 一歩も外に出ず

ひとり 孤独に過ごすのです>

<いかなる場合でも
やめることは許されず

江戸時代には 行の途中で
命を落とす僧侶も数多くいました>

<3年の年月をかけ 好相行を終えた
宮本祖豊さんは

37歳の時 決死の覚悟で
十二年籠山行に入ります>

3年間に及んだ好相行を終えられまして

十二年籠山行に いよいよ
入っていかれるわけですね。

どうでしたか?

浄土院のスケジュールというのは 非常に
細かい部分まで決められております。

朝3時半に起きて
4時から1時間のお勤め。

1時間のお勤めが終わりますと

生きた最澄さんに
お仕えしてるということから

生きた最澄さんに
今度は朝ごはんを差し上げます。

これが終わりますと 6時半から

最澄さんが自ら刻んで安置した
阿弥陀如来様の供養

これを密教の手法でやる 行います。

その後に 比叡山は 1200年前から

日本の国家の安泰 天皇陛下の安泰を願う
祈祷の道場ですので

国を守るためのお経
こういうものを読んでいって

国のため そして世界平和のための
祈願をいたします。

このお勤めが終わりますと
今度は10時に

今度 お昼の食事を最澄様に差し上げます。

それが終わりますと今度は
境内の掃除になります。

浄土院というところは
生きた最澄様がおられる

こういうことですので

境内の枯れ葉一枚 草一本
生えてないように掃除したり

あるいは建物の中も ちりがないように

きれいに掃除いたします。

これが終わりますと 今度は夕方
もう一回 お勤めが4時からありまして

5時になりますと 門を全部閉めます。

それから仏教の勉強 あるいは

足りない部分の座禅であったり
写経であったり

こういったお勤めをいたしまして
大体9時10時に休みます。

これを365日
毎日同じ時間に起きて 同じことをする。

更に
祭日とか祝日は1日もありませんので

それを更に 12年間続ける。

そういう判で押したような日々を

淡々と積み重ねていく。
そうですね はい。

それが修行になるんですか?

淡々と12年間 毎日同じことを続けていく。

こういったことでもって
見える世界があるんですね。

見える世界が?
はい。 感じる世界 これがあるんですね。

それは ふだん
やっぱり いろんなことで

社会の人たちが仕事であったり
家庭であったり

いろんなことで追われている。

それから見ると非常に 時間が止まった
ゆったりとした そういった流れです。

淡々としてるために その1日の
変化というのは あまり感じない。

そういった
時間を感じない世界で生きている。

そういった特別な部分を
やっぱり味わうことができるんですね。

それを味わうことで やっぱり
考え方も変わってくる。

この そこの部分に 12年のねらいが
あるんだろうというふうに思います。

浄土院というところは ほんと
山の中 ちょっとこうね

根本中堂などからも
少し離れたところにあります。 はい。

非常に静かなところですよね。
そうですね。

動物の声しか聞こえなかったり

あるいは 冬場の日中であっても
雪がしんしんとして

観光客も ほとんど入ってこない。
そうすると ほんとに

世界が自分一人だけでいるような
感じもしますし

自然の中そのままに 自分自身が

ほんとに音もない静けさの中でもって
じっとしてるんだ。

そういった部分が非常に感じられて
自然に溶け込んでいくっていうのは

実際 そこにいることを感じますね。

ですから ほぼ12年間 自分一人だけでいる
という感覚なんですね。

12年間 これも満行するまでは

途中でやめることはできない…。
そうですね はい。

一番の問題は やはり
単調としている中でも

やっぱり自然と体力が落ちてくる。

そういった部分の中で
体調が悪くなってくる。

そういった部分もございます。

それを更に乗り越えて
同じように続けていく。

違った意味の苦しさがありますし。

その間
たとえ病気になったからといって

下に下りて治療してもらうというわけには
いかないですので

体調が悪くなってしまえばなるほど

自分にとって 死というものが
非常に近く また感じてくる。

こういった部分の感じも
やっぱり あります。

そういう意味では 単調だけれども
やはりこう

自らの命や 時には死というものも…。
そうですね。

身近に感じながらということですね。
はい。

あの お掃除が大変な作業だったと
伺ってますけれども。 はい。

私も先日伺ったんですが 文字どおり
ちり一つ落ちていない境内。

その美しさもさることながら
そこをお守りされている

皆様の祈りといいますか 思いに
深く感銘を受けました。

掃き清める ということには
どんな意味があるんでしょうか?

結局は修行の一つなんですね。

それは お釈迦さんの時代にも
周利槃特という方がおられまして

非常に記憶力が悪くて

自分の名前さえ
忘れたっていうんですね。
はい。

それではもう修行にならないので
お前 坊さんをやめなさいって

こう言われるんですけども
お釈迦さんに相談したら

じゃあ
このちり取りと ほうきを与えるから

汚いとこは どこでもいいから
掃除をして回りなさいって。

で こうやって掃除をしていく。

毎日毎日 やっぱり汚いって
自分に思ったところを掃除していく。

それを ず~っと続けてる時に
ある時にふと気が付くことがありまして。

これがきれいで これが汚い。

そう思って分別してる私の心が
一番汚いんではないか?

こう思った時に
悟りが開けたっていうんですね。
はい。

ですから その考え方が
やはり浄土院にもありまして

汚い きれいだ
こういうふうに思っていますけども

結局は何の掃除かといったら
自分の心を見つめる修行なんですね。

青い苔の上に きれいな紅葉が
真っ赤な紅葉が落ちてきます。

ですから 掃除ですから
それを取って捨てます。

でも 落ちてすぐの頃には特に
真っ赤な紅葉が

緑の苔の上に落ちるんですから
非常にきれい。

じゃあ この紅葉
本当にゴミだろうかって。

私らの固定観念が
ゴミにしてるんですね 単に。

これは いらないもの。
こういうふうに思ってるんですね。

そういった部分の自分の心をですね

あるいは固定概念 こういったものを
やっぱり見つめていくこと。

これが非常に大切なんですね。

他の行でも全部同じですね。

例えば 浄土院に行って食事を作る。

で 食事を作るのは
仕事なのか 修行なのか。

で これが修行になるんだったら

プロの食事を作っている方は

一番悟りが開けるはずですよね。
そうですね。

毎日毎日
それで仕事でやってるんですから。

ところが それで悟り開けるかといったら
多くの人が悟りは開けない。

じゃあ 自分らがやっている
その料理を作るというのは

じゃあ 一体何なんだ。
こういうことですね。

結局は食事を作ることを通して
自分の心を見る。

その心を見ること 自分の心を知ることが
まさに修行なのであって

料理を作ったからといって
悟りが開けるわけではないんだ。

同じことが掃除でも言えるし
そして他の部分でも言えるんですね。

ということは 12年間
一日一日を重ねていっても

それだけじゃ駄目だっていうことですか?
そうですね。

全ての部分は
だから自分の心を見つめるため。

その自分の心を見つめるのを
やめてしまって

ただ作業として食事を作る
作業として お勤めをする

作業として掃除をする。
これでは一歩も前に進まないんですね。

そういう意味では やっぱり
自分を見つめるっていう作業なんですね。

ただ その 外界とは
遮断された空間の中で…。

孤独ですよね。
そうですね。

孤独は お感じになってましたか?

あの… ないですね 特に。

ない? 孤独ではなかった?
そうですね。

恐らく一般の方が そのまま
ただ12年間 山の中に籠もったら

恐らく耐えられないと思う。

体験としては 12年の籠山というのは

決して孤独に耐えてる時間でもないし
また期間でもなかった。

十二年籠山の行を入っていく中で
まずテストとして 好相行を行いました。

で これが実は非常に私にとって
人生にプラスになりまして

この好相行でもって やる
毎日毎日 礼拝をする。

このことでもって
自分の固定の考え方であったり

あるいは我であったり
こういったものがなくなって

僅か一瞬の時間ではあったとは
思うんですけれども

完全な真っ白な
無我に近い状態になった時に

自分自身の我というものが壊れた時に
非常に安楽に感じたんですね。

非常にまた楽しく感じた。

かつて味わったことない喜びというのが
こんこんと湧き出てくるぐらい。

そういった強烈な喜びだったんです。

自分自身という感覚がなくなれば
自然に溶け込んでしまえば

自分の比叡山の他の動物とか
あるいは自然とか

比叡山の山そのものとか
それと一体になるという部分が出てきて

それゆえに自分自身の孤独さっていうのを
感じなかったんだと思います。

そのぐらい もう 自分と他の人というか

外界との垣根が もうなくなってる状態。
そうですね。

結局 自我が少なくなってきますと

私という その境界線が
大きくなるんですね。

自分の姿というのは
私自身が今ここ ありますけども

ここに限定されるのではなくて

いわゆる地球いっぱい
宇宙いっぱいまで意識がのびている。

そういった中での え~…
境地でございますので

自分自身が 一人ぽつんといる中に
ただ残されているのではなくて

自分の中に 他者も含めて

世界の全ての存在がある。

そのことが 孤独にさせない

多分一番の理由だったんでないかな
というふうに思ってます。

自分の中に世界があるんだという
感覚をつかまれた?

そうですね。

孤独や孤立というのは 時には

命を奪いかねない
大変深刻な問題だと思うんですね。

そういった まさに危機にある皆さんが
その危機を乗り切るためにですね

是非 12年間お一人で修行を
続けてこられた宮本さんにですね

何かヒントを お伺いしたいんです。

私も幼少の頃は 非常に孤立とか
孤独を感じておりました。

それは恐らく 自分の我というものを

やっぱり かたくなに守ってきて
大きくしようとしなかった。

その自分自身を やっぱり壊していくこと。

私がなくなってしまえば
なくなってしまうほど

この世に孤独というものはなくなる。

自分の部分でもって一番捨てやすい部分
というのは何かといったら

他人のために何かをすること。

他人のことを考えて
他人のために何かをするということは

自分を捨てるために 非常に…

いい手段っていうふうには思います。

まさに利他の心ですね。
そうですね。

自分の意識の中で座って瞑想して

自分のことを考えないってことが
やはり一番難しいですので。

それだったら 自分の行動を通して

何か他人のために
いわゆる自分のことを考えないで

他人のためにすることのほうが
より現実的に 自分のことを考えない。

ボランティアであったり あるいは

隣の人のために
何かをすることであったり

それが別に お金のかからないことでも
何でもいい 親切にすることでも。

でも そのことでもって やっぱり自分が
ちょっと楽になるんですね。

それを やっぱり気付いてほしい。

だから天台宗では
最澄さんのお言葉として

「一隅を照らす」という言葉が
ありますけれども

これは やはり そのことなんですね。

自分のことをやることでもって
周りを ちょっと照らす。

そうすると どんどん どんどん
周りが明るくなってくる。

周りが明るくなってくれば やっぱり
日本中 世界中が明るくなる。

まずは基本は何かといったら
その一人一人ですよね。

私 実は高校生の時に修学旅行で
延暦寺を訪れたことがありまして

その「一隅を照らす」という言葉に
深い感銘を受けたのを

今でも覚えているんですね。

それ以来 会社… 就職して仕事をして

「一隅を照らす」っていう言葉を
折に触れて思い起こして

精いっぱいベストを尽くそうと。

で できれば
自分が照らせる範囲を広げていきたい。

自分だけじゃなくて
周りとかチームとか

あるいは 大きな仕事を
任されるようになったら

やはりこう
大きな範囲を照らせるようにしたい。

一生懸命 願ってきたんですけれども

人生 もうそろそろ
私も定年が近くなりまして

だんだん こう役割も
小さくなっていきますよね。

そういうことには
おびえてる状況なんですけれども…。

どうしたらいいんでしょうか。

自分の仕事 自分の責任
自分の地位 自分の立場

こうやって自分自身を
意識してることであって

実に 実際に
自分の我をなくす方向ではないんですね。

やっぱり私自身も決して
なくなってないですので。

これをやったら
人から何て思われるだろう。
はい。

あるいは 失敗したらどうしようって
やっぱり思うことは たくさんあります。

それを どう思われてもいい
っていうふうに思って

それ自身が自分の姿なんだって
こういうふうに受け入れて

どんな姿でも見られてかまわない
というふうに思ってくると

わりと気楽に 行える。

自分がこう… こうありたいとか
こうあるべきだ。

そういったものを追い求める
ということではなく

今の自分を受け入れる
ってことなんですか? そうですね。

そうしたら 自分が今
この場でもって できること

しなければいけないこと
そこでもって十分ベストを尽くすこと。

仏教では お釈迦さんも亡くなる時に

何を頼りにしたらいいかといった時に

「自灯明」という
自らを灯明としなさい。

先ほど言ったように やっぱり
自分自身を見つめることで

見つめることでもって
自分の中の光を感じます。

それでもって 自分が自身を照らせば
当然 周りの人も照らしていく。

その周りの人も
自分自身を照らしていけば

全部が周りが明るくなってきます。

その部分が そして自分と他人が
違うものではなくて

明らかに自分が広げることでもって

自分の家族 そして自分の愛する国
こういって広がっていくんですね。

「一隅」という意味は 私は
自分の周りだと思ってましたけれども

まずは自分ということなんですね。
そうなんです。

一般の方に対して

一番伝えていきたいことっていうのは
どういうことですか?

時間に追われる 仕事に追われる。

自分自身を振り返る時間さえなくて
自分自身の今日やったことも

それから
自分自身が何かという部分も含めて

見直す部分というのは 非常になかった。

1日1回 寝る前の5分でも10分でも

自分自身を振り返る時間
これを持って頂きたい。

で その時間は決して無理して
座禅の格好しなくてもいいし

正座をしなくても結構ですけど
ゆったりとした形で

布団でもベッドでも
かまわないですから

そういった時間を持つことでもって
自分自身の新しい発見 気付き

これがあって
やっぱり変わっていきますので

それを お伝えしたいですね。

<大学受験の失敗を機に
自分自身を見つめ

仏教の道を ただひたすら歩んできた
宮本祖豊さん>

<念願だった十二年籠山行を終え

2009年 およそ20年ぶりに比叡山を下り

麓での生活を始めました>

多くの人たちに向け

自分を見つめることの大切さを
伝えていく中

2年前 発覚したのが ステージ4のがん>

<命を より身近に感じながら
これから歩む道のりとは…>

長い修行を終えられて

そして 多くの人に 修行で得たことを

今こう伝えてらっしゃる さなかに

突然 がんになられたと。
ああ はい。

そのことは どういうふうに
受け止めてらっしゃいますか?

そうですね あの… もう

人皆 死というのは
逃れることができなくて

誰もが必ず来る。

そういった中でもって 若い時から

死というものに向かい合いながらの
修行でございましたので

特にその病気で
がんになったからといって

生活が変わったりとか
気持ちが変わったりというのはないです。

人間ですから
いろんな部分でもって病も出る。

最終的には死もある。

けど それは一つの単なる現象ですので
その現象でもって 死に至るまで

自分の心を含めて見つめて

そのことがあったから
自分がどうだったのか

それが非常に 自分の中で
また楽しみでありますし

そういった部分では
がんになったことも

決して悪かったわけではない という。

その もちろんね 闘病されて

これから回復されることを
願ってはいるんですけれども

これからの日々っていうのは
どういうふうに…。

何も変わらなく え~…。

最後まで自分自身を見つめて

半歩一歩でも 自分自身を高めていく。

その時間に
費やしていくっていうだけですね。

で 多くの人にまた
コロナの環境であってもなくても

自分自身を見つめる そういった部分の

自分が修行で得て 見てきた部分
この良さというのを広めたい。

こういうふうに思ってます。

じゃあ これからも そういった日々を
送られる。 そうですね はい。

死の直前まで はい 歩みたいと思います。

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