英雄たちの選択「激突!三好長慶vs.足利将軍~室町幕府“終わりの始まり”~」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

英雄たちの選択「激突!三好長慶vs.足利将軍~室町幕府“終わりの始まり”~」[字]

室町幕府はなぜ滅びたのか?大きな転機として近年注目されるのが、信長に20年先んじて将軍を都から追放した三好長慶の活躍。時代を揺るがした将軍と長慶の対立に迫る!

詳細情報
番組内容
織田信長が将軍・足利義昭を都から追放し、室町幕府を滅ぼしたことはよく知られるが、実はそれに20年先んじて、時の将軍を都から追放したのが、三好長慶。大名ですらなかった男が、下剋上を果たし、13代将軍・足利義輝と真っ向から衝突!畿内に独自の「三好政権」を打ち立てる。しかし、存在を脅かされた将軍・義輝も黙ってはいない…。室町の社会秩序や価値観を破壊し、戦国乱世への風穴を開けた両者の対立の真相とは?
出演者
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】天理大学准教授…天野忠幸,武蔵大学教授…桃崎有一郎,脳科学者・医学博士…中野信子,【語り】松重豊

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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元亀4年7月
織田信長が 将軍 足利義昭を追放。

室町幕府を
事実上の滅亡へと追い込んだ。

だが 信長より20年も早く

時の将軍を都から追い出した
戦国武将がいた。

その男の名は 三好長慶。

長慶は 畿内を実効支配。

足利将軍に代わって
自らの手で政権を握ろうとした。

治安維持から 中国との外交まで。

将軍が行っていた政務を
滞りなく果たす長慶に

天皇や朝廷も厚い信任を寄せていく。

その名は
遠くヨーロッパにまでとどろいていた。

江戸時代に
オランダで出版された書物には

家康や秀吉など

後の天下人たちに先んじた

日本の統治者として
三好の名が記されている。

だが その存在を脅かされた

将軍 足利義輝も黙ってはいない。

各地の大名たちを糾合し

三好包囲網を形成。

足利将軍の
威信をかけて

徹底抗戦を
続けていく。

スタジオには
さまざまな分野の専門家たちが集結。

三好長慶の天下取りに鋭く切り込む。

戦国乱世の転換点

室町幕府の「終わりの始まり」を
歴史に刻むことになった

三好長慶と 将軍 足利義輝の対決に迫る!

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

今回は ある2人の人物の対立が

歴史に与えた大転換を
読み解きたいと思います。

戦国武将 三好長慶と

室町幕府13代将軍 足利義輝です。

磯田さん この2人については

ちょっと
なじみが薄い方も多いかもしれませんね。

初めてっていう人も多いでしょうね。

でもね プロの専門家からしたらですね

何で これまでやってなかったんだと

ついに来たという こういう人物ですね。

それほどですか。
それが三好長慶ですね。

それで
長慶としれつな争いを繰り広げたのが

将軍の足利義輝ですけど
この人もね なかなか興味深い。

外交将軍と言った方が
僕はいいと思ってるんですけど。

磯田さんが 特に注目するのは
どういうところでしょうか。

信長や秀吉だけで語られる
戦国時代ですけど

実は その活躍の舞台を作り上げた
登場の前提を作ったのが

長慶と義輝と
言っていいと思うんですよね。

2人のシーソーゲームのような衝突が

当時の社会秩序だとかを
確実に壊し 風穴を開けて

それで 戦国時代
天下人の登場っていう段階に行くわけで。

では その三好長慶と足利義輝

なぜ衝突することになったのか
こちらをご覧ください。

室町時代末期
畿内と呼ばれた京の都周辺では

応仁の乱の余波ともいうべき争いが
続いていた。

足利将軍家 更には
将軍の補佐役である

管領の細川家
畠山家が

家督継承を巡って
分裂。

三好家は細川家の家臣として

この骨肉の争いに巻き込まれていく。

大永2年 この争乱の時代に

三好家の嫡男として生まれたのが
長慶だった。

ところが 長慶11歳の時 父 元長が

主君 細川晴元に謀反の疑いをかけられ

自害に追い込まれてしまう。

若くして
家督を継ぐことになった長慶には

父の敵である晴元に従い続ける以外に
道はなかった。

転機が訪れたのは 18歳の時。

長慶は
現在の兵庫県西宮市にあった

越水城の主となった。

この地で長慶は
三好家の立て直しと

父の敵討ちに向け
改革に乗り出していく。

父の死の際に
三好家は 多くの家臣たちも失っていた。

そこで長慶は
大胆な人材登用を行っていく。

身分や家柄にとらわれず

幅広い階層から
積極的に優秀な人材を取り立てていった。

この時に召し抱えられた者たちは
長慶の家臣団の中核として活躍していく。

その中には 土豪身分の出身ともいわれる
松永久秀もいた。

長慶は
統治者としての才能を開花していく。

兵庫県尼崎市にある
法華宗の寺院 本興寺。

これは
長慶と寺が交わした

「禁制」と呼ばれる
取り決めを記した文書。

禁制には 三好の軍勢が
本興寺に対して

狼藉を働かないことや

本興寺の断りなしに
家を建てないこと

などが
記されている。

本興寺の自治を認め
積極的に保護した長慶。

そこには 彼ならではの
大きなねらいがあった。

本興寺には 影響下にある
末寺とよばれる寺が多く

そのネットワークは 堺を起点に

畿内や瀬戸内海沿岸
更には 種子島にまで及んでいた。

法華宗の信者たちには商人が多く
彼らは このネットワークを活用して

東アジアを結ぶ貿易ルートを築いていた。

三好一族の研究を進める
天野忠幸さんは

彼らの活発な貿易活動に

長慶が目を付けていたと指摘する。

長慶にするとですね 自分も…

長慶が手に入れていた
交易品の一つとされるもの

それこそが 最新鋭の武器…

当時 三好勢と戦をした
相手方の記録には

城の壁を二重にし

間に石を詰めて
鉄砲の備えとしたとあり

既に長慶が大量の鉄砲を

実戦投入していたことがうかがえる。

実力本位の人材登用

そして 南蛮貿易へとつながる
経済活動によって

着々と力を蓄える長慶。

父の敵 細川晴元打倒へ向けて
機は熟していった。

そして 天文18年 長慶は
主君である細川晴元に決戦を挑む。

細川勢の重要拠点である

淀川と その支流に囲まれた
江口に攻め込んだ。

長慶の軍勢は川を封鎖。

細川勢の逃げ道を塞ぎ

800人余りを討ち取る
大勝利を収めた。

劣勢となった晴元は京を脱出。

ところが この時 思わぬ事態が起こる。

晴元が 14歳の将軍 足利義輝を連れて
逃亡したのだった。

当時 将軍家は
細川晴元と連携関係にあり

晴元が都を離れるならば

義輝も
ついていかざるをえなかったのである。

長慶は思わぬ形で 将軍 義輝にも
刃を向ける結果となってしまった。

父の無念を晴らすために
戦っていたはずの長慶。

だが この戦いが 将軍との
長い対立の発端となってしまうのだった。

はい。 今回も多彩なゲストの皆さんに
お越しいただいています。

皆さん よろしくお願いいたします。

まずは 三好一族を研究されている
天野忠幸さんです。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

天野さん 三好長慶については
どのような人物と捉えていますか。

三好長慶はですね
まあ昔は こう 伝統を守る

保守的な人物だというふうに
理解されていたんですね。

ところがですね
まあ最近ではですね

リーダーシップがあって
非常に革新的な

考え方をする人物
じゃないかというふうに

評価が変わってき始めたんですね。

それはですね 例えばまあ
いろんな人材を登用するのは

いろんな大名家でも
やっているんですけども…

それを取り立てる時に…

その中で 三好長慶は
松永久秀なんていうですね

非常に有名な家臣がいるんですけども

彼は松永という姓のまま
どんどん出世していくんですね。

まあ そういう…

家柄とか権威を重視しないっていうのは

家柄や権威というのは
その 俗人的なものだと

多くの人は感じると
思うんですけども

実は その時代の

世界の枠組みを
反映したものですよね。

こういうものを
長慶は そんなに
大事なものだと

思っていなかったというのが
図らずも もう

ここから分かるというか。

ITボーイズ。 はい。

あの もちろん合理的に
物事を進めるんだけど

どちらかといえば こう
まあ 家柄とか階級よりも

何か つながりであったりとか。

この人はこういう人物だからという
その 割と有機的なつながりで

登用していくっていうような
印象がありますけれども。

続いてですね 室町幕府を研究されてる
桃崎有一郎さんです。

よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

桃崎さんは 三好長慶については
どのように考えていますか。

長慶の下克上というのは
室町幕府の歴史を見てると

もう来るべきものがついに来たな
という感じですね。

室町幕府は
もう 仕組み上

下の階級が
上の階級を支える
ということが

根本にありますので
大名が

その仕組みを利用して
将軍を苦しめてきた。

でも また大名にも
また それを支える下の階級がいて

これが同じように大名を苦しめたって
いいじゃないかという

この同じような構造が
連鎖していくわけですね。

ちょうど この下の連中が
自分たちの力に気付き始めて。

で 大名って もう中間管理職で
実は 社会に 要らないんじゃないって

ぼちぼち気付き始めていたんじゃないか。

そのことを まあ 象徴しているのが
三好長慶の人生なのかなと感じています。

これ でも そもそも 先ほどから出てます
家柄にとらわれない人材登用とか

まあ
鉄砲を 既に取り入れていたことなど

結構 先進的なことを やっている
印象があるんですけれど。

これ 何で 三好長慶は できるんですか。

これね 信長がやったとされるものって
実は もう実証済みで

長慶が やっちゃってるわけですよね。

なぜなんだろうって 僕も考え…。

やっぱりね 僕はね 堺の影響が
大きいかもなと思うんですよね。 大坂の。

あそこはね 当時の堺はね あらゆる…
中国と西洋との文明の交差点。

合理主義の芽は芽生えるし そもそも
地球儀も持ち込まれる あそこで。

確かにね まあ
信長の先生になったかもしれないな

と思うのはですね…

まあ そういう特徴は…

そういうところを見ると
こう ある程度ですね 信長なんかも…

共通点は ありますね。
そう。 三好長慶を語らずして

信長 語ってるってのは
ちゃんちゃら おかしい話です。

ハハハ… 結構 大きく言いましたね!
ええ…。

ハハハハハ… そうですか。

その長慶と対立することになる
足利義輝とは

一体 どんな将軍なのか
ご覧いただきましょう。

室町幕府13代将軍 足利義輝。

三好長慶に 都を追われた当時
まだ14歳だった。

母は 公家社会の頂点に立つ
近衛家の出身。

それまでの足利将軍の中で
最も高貴な血を引き

幕府再建へ向けて
周囲の期待も大きかった。

だが 都を追われた翌年
父 足利義晴が病死。

都に帰れぬ失意の中
病の床で自害したともいわれている。

葬儀の際 義輝は 三好への徹底抗戦を
誓う言葉を残している。

たとえ我が命を
父祖のために亡くし

屍を三好の軍門に
さらすことになろうとも

一歩たりとも
退くことはせぬ。

足利将軍家を研究する 木下昌規さんは

当時の義輝の思いを このように推察する。

特に その… 大名なら ともかくも…

だが 三好軍に対抗する
軍勢を持たない義輝は

なりふり構わない手段に出る。

なんと長慶暗殺を幾度も企てたのだ。

1度目は 長慶の滞在する屋敷に
火を放とうとするものの

事前に発覚し 失敗。

2度目は 宴会中の長慶を刺客に襲わせた。

しかし 手傷を負わせただけで
またも失敗に終わる。

義輝は
長慶の周囲にも刺客を放っていた。

そして 有力な武将だった
長慶の 義理の父の暗殺に成功する。

血生臭い緊張状態に陥っていく
義輝と長慶。

すると この状況を憂いた
幕府の重臣 六角氏が

和睦の仲介に動き出した。

これを受けて
長慶は 将軍 義輝との和睦を決断する。

これがですね 三好長慶の
当初 考えていたことなんですね。

和睦に際し 長慶は条件を出した。

将軍 義輝の帰京は認める。

そのかわり 細川晴元を
幕政から排除してほしい。

混乱の火種だった細川家の分裂争いを

解消するという ねらいがあった。

更に
長慶は 将軍の直臣となることを要求。

義輝の政務を直接補佐し
幕府の再建を目指そうとした。

長慶との和睦が成立し
再び都に戻った将軍 義輝。

ここで 義輝も行動に出る。

長尾景虎
尼子晴久
朝倉義景など

地方で頭角を現した大名たちへ

幕府の役職などの栄典を
授与した。

従来のように
家格や身分を重視するのではなく

実力で評価。

新興勢力の取り込みを図ったのだ。

だが 彼らは 下克上によって
主家に代わって台頭した武将たち。

これは 将軍自ら下克上に
お墨付きを与えるような行動とも言えた。

幕府再建に向けて歩みだした
三好長慶と将軍 義輝。

だが 両者の平穏は
一時的なものにすぎなかった…。

ちょっと まだ 不穏な空気を残しながら
終わりましたけれど

この足利義輝というのは
桃崎さんから見て

どういう人物だと考えますか。

この足利義輝は まだ幕府を立て直そう
という意欲が あふれてる人で

まあ 古き良き秩序というものを
みんなの前に もう一回 示そうと。

それは 恐らく
自分のためだけではなくて

社会が まだ それを望んでるだろうという
確信は あったんだと思うんですね。

このころ もう…

この中でですね…

で 名門を高く評価しようとすると
実力で頑張ってる人間が報われなくて

文句を言うと。 何かを立てれば
必ず何をやってもケチがつくという

そういう難しい矛盾に ジレンマに
将軍は 悩んでいたはずで

その中で 栄典を授与して 新しいこと…

栄典授与って
結構 新しいことなんですが…

そういう印象を受けますね。
う~ん 確かに。

でも 今のお話 聞いていると
将軍 義輝にしても そして長慶にしても

室町幕府を立て直すという目的は
一緒のように見えますけれど

この点 どうでしょう? 天野さん。
そうですね。

長慶も この段階では
かなり こう 真面目にですね

幕府の再建を図っていると思うんですね。

というのはですね
将軍からするとですね

かわいい側近たちと一緒に
政治をやってるのに

もう 三好は 何言ってきてるんだ
ということですね。

ですから将軍の側近とすると
まあ 反三好になってしまって

より一層 こう
対立が深まってしまうという

そういう側面があるわけですね。

何か 中野さん
同じ目標を目指しているんだけれど

何となく この2人は
うまくやれなさそうな気がしますね。

もうね この500年 あとから見ても
そう思いますよね。 そうですね。

最初 手を組むところだけは
お互いの力を利用したいけれども

だけれども だんだん形になってくると
もう いさかいが始まるって

もう典型例のように思うんですが

条件つきで協力する
という形でしょうかね。

義輝は 個人的には
すごく頑張ってる将軍なんですね。

ものすごく精力的に頑張ってますね。

ところがですね やっぱり…

例えば 今出てきたですね 長尾景虎。

これは 非常に彼はですね
まあ 忠実で真面目な男なんですね。

その景虎を
非常に 取り立てて 重要視しながら

その敵対している武田家とか

北条家が こう推しているですね
関東公方の足利とかですね

こっちにも いい顔をしようと
するんですね。

そうすると…

そこが 非常に こう
残念なところであったんですね。

う~ん。 磯田さん いかがですか?

いや もう これね…

要するに 室町幕府

義輝に向かって 絶対 忠誠尽くす軍団を
地方にもつくるっていう

一貫方針で やればね
部材交換を いいんですけど…

みんな 少々のお金 持ってきて

義輝さん はい どうぞ お礼です
っていうのは

それで 何かね…

ほったら やればやるほど
部材が どんどん かわってって…

だって そもそも 室町幕府って 家柄…

要するに 尊氏たちの子孫だ
っていうことで やってるのに

それ 否定しちゃったら…

よいことだと思って やってたことが

結果 自分のことを
苦しめることになってしまったんですね。

そっかあ…。

和睦したはずの長慶と義輝でしたが
再び衝突の時が訪れます。

そして
長慶は 選択を迫られることになります。

将軍直臣となった長慶。

徐々に 幕府内での影響力を強めていく。

だが 成り上がり者の長慶を
よく思わない反三好派が

将軍 義輝に接近していった。

その一人が あの細川晴元だった。

長慶によって排除されていた
細川晴元だったが

幕府への返り咲きを
ひそかに ねらっていたのだ。

義輝は かなり難しい対応を
迫られることになったんだろうと。

そして 事件は起こる。

天文22年3月
義輝は 長慶との和睦を 一方的に破棄。

細川晴元と共に挙兵し
京の霊山城に立て籠もった。

更に 義輝は 長慶を

将軍に 刃を向ける賊軍
御敵であるとし

各勢力に長慶攻撃を呼びかけた。

2人の協調関係は
僅か1年余りで破綻してしまったのだ。

天文22年8月
長慶も ついに義輝に対して 挙兵。

2万5, 000の大軍で
義輝の籠城する霊山城を包囲した。

この時 義輝の期待に反し

畿内諸国や
義輝が栄典を授与した地方の大名たちが

援軍を送ることはなかった。

更に 義輝にとって
まさかの事態が起きる。

長慶方の大軍に動揺した細川晴元が
一戦も交えずに逃亡してしまう。

一気に 孤立無援の状態に陥った義輝。

再び 近江へと落ち延びざるをえなかった。

こうして 京の都は
またも 将軍不在となった。

この時の長慶の心の内に
分け入ってみよう。

戦には勝ったものの
この先 どうすべきか…。

もはや 義輝様に私の思いは届かない。

となれば 義輝様に代わる新たな公方様に
立っていただくほかないのではないか。

義輝様の叔父 義維様であれば
我が父の代より

三好家とのつながりがある。

義維様を新しい公方様として
三好の力でお支えし

幕府を再び強くすることが
天下のために よいのではないだろうか。

足利義維は 義輝の父 義晴の弟。

足利家の血を引く
有力な将軍候補だった。

だが 畿内周辺には
義維を敵視する勢力も多く

長慶が義維を擁立すると 多くの敵を
抱えてしまうことが予想された。

いや待て…
それでは これまでの繰り返しだ。

足利の家督の座を巡って
諸大名を巻き込んだ戦乱が起き

世の中が乱れる…。

そんなのは もうたくさんだ。

ならば いっそのこと
私自身が 公方様に代わって

政を行う手はないだろうか。

天下の全てを取りしきるのは この三好。

あまりに大それたことではあるが
今の私の力ならば できるのではないか…。

長慶に 選択の時が迫っていた。

それでは
選択にまいりましょう。

選択1は 「義輝に代わる
新たな将軍を擁立する」。

選択2は 「将軍を追放して
自ら政権を握る」。

もし皆さんが
長慶の立場だったら

どちらを選択しますか。

まず桃崎さん どちらを選択しますか。

はい 私は2 将軍を追放し
自ら政権を握るを選択します。

三好が 権力を握るとなった時に
じゃあ どういう形で握ろうか

という選択だと思うんですね。

室町幕府の仕組みから考えますと この…

…と 私 考えます。

選択2ということですね。
中野さん どちらを選択しますか。

選択2ですかね。

将軍を追放して
自ら政権を握ると。 はい。

新しい将軍を立てても また
細川家のような存在が出てきて

戦わなきゃいけないという
リスクを取るぐらいだったら

一度リセットして 自分で
政権を立てようとすると

思いますけれども でも この場合は…

そうですよね。
天野さん どちらを選択しますか。

私も ちょっと
非常に難しいんですけども

まあ 選択2ですね。

将軍を追放して
自ら政権を握ると。

今までですね
2回 暗殺未遂事件が起こって

更に 3回目のですね
暗殺計画があるといううわさが

もう まことしやかに
広がっていますので

自分の家臣を抑えるためには もう
義輝と組むっていうのは

もう まず無理だろうと。
なら どうするか。

代わりの足利将軍を立てるか
ということになりますと

義輝にとっては 叔父になる
足利義維という人物なんですけども

これは 三好と同盟する畠山とかですね

義輝を 実際に支えている六角がですね
非常に嫌っているので

この義維を連れてくると
畠山 六角と全面戦争になると。

これも避けないといけないと。

皆さん 選択2で一致しました。
はい。

磯田さんはどうでしょう。
僕は 一人だけ

選択1にしたいと思います。
将軍を立てる。

1ですか。 はい。
ええ。

いや まだ将軍を全くなくすには
時代が早いかもしれない。

お~ そうなんですか。
それとね…

つまり メイド イン 三好の幕府は
管領 細川がいなくても

将軍がいて なんちゃって将軍命令書
御内書みたいなのが

ボンボン出て それを1回見せて
細川なしでも いいんですよと。

室町幕府が動かすんですよって
見せといて

それを移行期間として
しばらくやっといて

どうせ操り人形の将軍ですから
自分でもいけるってなったら

サッて取るみたいな。
あ~。

まずは ひとまず
その 足利が持っている権威とか

そういうものを うまく使っておいて
最終的には かすめ取るというか。

はい なるほど。

桃崎さん
磯田さんの意見 いかがでしょう。

え~ 専門的なことで言うとですね

その なんちゃって御内書 これ…

字体から何から…

そうすると
三好から 何でこんな様式のものを

受け取らなきゃいけないんだと
毛利とか島津とかが怒り始めて

細川が そう言うならいいよ
細川が 将軍の命令を承って

はい 島津に これこれこう
っていうなら分かるんですけど

三好に そういう言われ方を
されたくないってなった時に

恐らく 実態では ありでも
形式の壁を越えるのが

すごく難しいだろうと思うんですね。

まず真正かどうか疑うでしょうね。
「何だ これは?」っていう。

さあ では
その長慶の選択をご覧ください。

将軍を都から追いやった
三好長慶の選択。

それは
新たな将軍を立てることもなく

自ら政務を執るというものだった。

将軍や その後ろ盾すら持たない

後に三好政権と呼ばれる
長慶の政権が

ここに誕生した。

三好政権とは
一体 どのようなものだったのか。

それを知る手がかりが
大阪府高槻市にある。

将軍 義輝を追放したあと

長慶は 高槻市北部の芥川城に
本拠地を移している。

高槻市の歴史館には
長慶の政治の特徴を伝える史料が

今も大切に保管されている。

これは 城下の2つの集落が

川から引く水を巡って
起こした水争いに

長慶自身が
裁決を下した文書。

この文書からも
見えるんですけども…

長慶が実際に 現地に
検使を派遣して

実況見分を行って

裁判の結果を出した
ということが

分かる
史料になります。

それまで 幕府では
こうした訴訟が持ち込まれても

幕臣らが 実際に
現地で調べるようなことはなかった。

だが長慶は 家臣を派遣し
調査をさせた上で 裁決を下している。

この絵図には
実際に 現地の集落を検分した

3人の家臣の花押が残されている。

当時 このような水争いで
集落同士が対立すると

大きな衝突に発展することが度々あった。

長慶は 公平な調停者として
争いをなくそうと努めたのだ。

寺や神社の争いにも
長慶は 公平な裁決を下した。

時には 義輝や幕府が
過去に下した裁決を

無効にしてしまうことすらあった。

三好政権での長慶の活躍は
外交にも及んだ。

中国の明の使節が
倭寇の取締り強化を求めて

来日した時のこと。

本来 こうした外国使節への応対は
将軍の専権事項とされてきた。

しかし この時
武家の代表として

長慶が
後奈良天皇らと共に

明の使節と
対面している。

長慶は 明の使節からも高く評価され

中国の歴史上の偉人になぞらえて
記録されるほどだった。

優れた統治者として
畿内を治める長慶は

将軍に代わる 天下人とも呼べる
存在となっていく。

一方 長慶によって
都を追放された将軍 足利義輝。

滋賀県高島市。

かつては 朽木谷と呼ばれた
この山あいの地に 身を寄せていた。

ここは 当時
義輝が滞在した館のあった場所。

この庭は
室町時代に 12代将軍 足利義晴が

公方館を設けまして
その時に 庭園を作庭し

心を癒やしていただいた
という所でございます。

父 義晴のために
京の銀閣の庭園を模してつくられた

この庭を眺めながら
義輝は 都への返り咲きを

虎視眈々と狙っていた。

このころ 義輝が積極的に行ったのが
全国各地の大名間の和睦調停だ。

将軍の名で 和睦を仲立ちすることで
地方勢力と関係を築こうとしていた。

やがて それが実を結ぶ。

巨大宗教勢力 本願寺を味方につけ

長慶に対抗できる態勢が整っていく。

こうした中 起きたのが 改元問題だった。

弘治4年2月

新たに即位した正親町天皇が
長慶と組んで 永禄への改元を行った。

本来 武家の代表である将軍が
儀式の費用などを負担しつつ

天皇と改元を行うのが通例であった。

しかし 正親町天皇が
改元にあたって選んだのは

義輝ではなく長慶だった。

現職の室町将軍である
自分を ないがしろにした改元。

義輝には
到底 受け入れることができなかった。

義輝は
前の元号である弘治の使用を続け

長慶への抵抗を表明。

この改元問題を機に
両者の緊張関係が高まってゆく。

そして 義輝は
京の都を奪い返すべく挙兵。

三好勢との戦闘を開始した。

この動きに対して 毛利家は
改元後も 弘治の年号を使い続け

義輝支持を打ち出した。

更に全国でも 毛利家同様に

義輝を支持する反三好勢力の存在が
浮き彫りになっていく。

図らずも改元によって 三好政権の
基盤の弱さを突きつけられた長慶は

苦渋の決断を下す。

永禄元年11月
義輝と二度目の和睦を行い

再び都に迎え入れたのだ。

すると 越後の長尾景虎
美濃の斎藤高政

そして 尾張の織田信長などが次々と上洛。

義輝の帰京を祝した。

長尾景虎は
将軍 義輝に謁見すると

越後の国を捨てても

御前をお守りする覚悟だ
とまで発言したという。

こうして 三好政権は
およそ5年で その幕を閉じた。

将軍なくしては
全国の大名を従えることはできないと

長慶は思い知らされたのだった。

あの長慶の三好政権は
ちょっと こう 一見すると

うまくいってるようにも見えましたし
そこに住んでる人たちにとっては

幸せな政権なんじゃないかなと
私なんかは思いましたけれど。

天野さん この三好政権については
どのように評価されていますか?

そうですね まあ…

その長慶が 本来
将軍しか行えないようなことをですね

やってのけたと。 そのせいで まあ…

そこで地方から上洛した大名の特徴を
少し考えてみますと

やはり…

その場合にですね より…

その地方の人たちにとっては
こう メリットを

やはり 三好に対しては
感じられなくなってしまうんですね。

幕府と将軍って
実力がなくても なぜ もつかというと

社会の物差し…

だから 将軍から例えば
その きれいな傘の袋をもらったとか

こういう敷物をもらった。
これって全部 格付けされていくわけで

それは その
将軍が偉いかどうかじゃなく…

その意味では…

そこで やっぱり トリックというか
魔法 ブランド力という

積み重ねてきたブランド力があるなと
思うんですね。

将軍家って キラキラ すごく見えて
その魔法が 大名が地方を統治する

一つの武器になっている
ということですよね。

そういうような
トリッキーな仕組みも含めて

そういうものが 三好は持ってない。

さっき
その物差しというお話をされたので

非常に興味深いと思って
聞いたんですけど…

例えば ここから ここまでの長さは
何センチでしょう。

皆さんの目はレーザーでも何でもないので
分かんないですよね。

それぐらい価値が…。

実力主義…

そうすると 実力測るのは
時間かけなきゃ分かんないことで

それをスキップするためのものが
官位であったり

官職 家柄であったりしたんですけれども
それが揺らいできてしまって

どうすりゃいいか分かんない
という時代にあり

三好長慶は 測量とかも
ちゃんとやった人みたいだけれども

だけども 人の心までは測れなかった。

さあ 三好政権は長続きすることなく
終わりを迎えます。

しかし 長慶は諦めてはいませんでした。

義輝との二度目の和睦のあとに

長慶が移った山城の跡が
残されている。

標高300メートルほどの
山の頂上に築かれた飯盛城。

東西およそ400メートル
南北およそ650メートルの規模を誇る

近畿地方最大級の山城だ。

城郭考古学者の 中井 均さんは

この城から 当時の長慶の思惑が
読み取れると考えている。

ああ 見えないかなあ。

ここに1段あるという。

発掘調査で 城の敷地の50か所以上で
石垣が発見された。

長慶が織田信長に先駆けて 本格的な
石垣造りの城を築いていたとして

近年 注目が集まっている。

中井さんによると

かつては城の全域に石垣が構えられていた
可能性が高いという。

その姿は
まさしく難攻不落の要塞だ。

今まで見たことのないような
石造りの城を造ることによってですね

より長慶の権威を見せよう
ということだと思っています。

更に発掘調査からは この山城に

長慶が 一風変わった宗教施設を
築いていたことが判明している。

記録によれば 長慶は
源氏の氏神を勧請しようとしていた。

城の北側の郭にある
この御体塚の付近が

その場所ではないかと考えられている。

源氏の氏神を城に祭ることで

三好一族は
足利家にも対抗しうる正統な家柄である

そう喧伝するねらいがあったのではと
中井さんは言う。

居館が上にある それから石垣を多用する。

そして 御体塚丸の存在。

この辺りは やはり…

そして 長慶は この飯盛城を拠点に

急速に領土拡大戦争を始めたのだ。

若狭や丹後にまで進出。

その支配領域は 13か国にも及んだ。

ところが
ここから次々と悲劇が長慶を襲う。

三好家を支えてきた2人の弟が
相次いで死去。

更に 永禄6年には
嫡男が 22歳の若さで急死。

立て直しを図る間もなく
長慶自身までも病に倒れ

あえなく この世を去る。 享年43。

一方 長慶の死の翌年
将軍 義輝の身にも突然の悲劇が襲う。

三好家の軍勢が
突如 京の将軍御所を襲撃。

なんと
義輝は その場で討ち取られてしまう。

16年に及んだ
三好長慶と 将軍 義輝の対立は

2人の死で幕を閉じることとなる。

そして 義輝殺害から3年。

最後の将軍となる
足利義昭と共に上洛してきたのが

あの織田信長だったのだ。

長慶が再起をかけて築いた山城 飯盛城。

天野さん ご覧になって この長慶の
どんな思いを そこから感じましたか。

まあ 飯盛城の整備を
行っていってですね…

それに対して
自分は義家の系統ではなくて

新羅三郎義光の嫡流だっていうふうに
アピールしだすんですね。

俺の祖先は すごいんだぞと。

更にですね
家紋が かわっているんですね。

これ もともと
天皇家に由来する桐の家紋なんですね。

後醍醐天皇がですね
鎌倉幕府を倒した足利尊氏ですね

これを信頼して 桐の家紋を使っていいよ
というふうに許可したんですね。

長慶は そこを ある種 ねらっていって

桐の家紋を自分も使えるようにするという
戦略に出るんですね。

でも どうしても 欲しかったんですね

権威とか その キラキラしたもの。
みんなが憧れる。

そういうものを 本人は もしかしたら
嫌いだったかもしれない。

だから そこにタイムラグが
出来たんでしょうけれども

それを否定して
俺は否定してきたじゃないか

それを またやるのかということに

ためらいがあったんじゃないでしょうかね
ひょっとしたら。

ここは推測ですけれども。
だけども やらないと

国が回らないということに気が付いて

まあ 気が付くのが やっぱり
優秀な人なんでしょうね。

だけども
ちょっと もう一声だったという。

あの 室町的な 何だろう 魅力ある秩序
この力 まだ…

今回はですね
三好長慶と足利義輝の衝突を通して

室町時代から戦国時代への
転換に迫ってきましたけど

天野さん
どんなことを感じましたか。

そうですね まあ 長慶 まあ ある種
英雄なんだろうと思うんですね。

それは何かというと…

それは 多分 日本人が
初めてやらなきゃいけないことで

どんなやり方をしたらいいのか
全く みんな分かってない。

その中の…

やっぱり 今回 思ったのは

忘れられた西からの一波ということを
ちょっと やっぱり言いたいんですよ。

室町幕府って
もう砂の山になってるんですよ。

この砂の山っていうのは
実は 2つの波で崩されていて

僕らが これまで見てきたのは
信長が入ってくる東側から

東から あれは第2波なんですよ。

やっぱり あの 三好長慶の西から起きた
第1波が まず壊してる ある程度。

これをね これまで ちゃんと僕らが
取り上げて認識してないのは問題ですね。

いや~ なぜ幕府は滅んだのか

どのように滅んだのか
なぜ信長が登場してくるのか

まあ 今回の三好長慶と
足利義輝の対立からは

もう いくつもの「なぜ」

我々が とらわれている権力や
その脳内の在り方なんかっていうのも

しっかり見えたんじゃないですかね。

まだまだ何か掘ったら
面白そうな時代ですね 本当に。

ねえ。 面白いと思うんですよ~ 本当。
是非 またお越しください。

皆さん 今日は ありがとうございました。
ありがとうございました。