ファミリーヒストリー「いとうあさこ~チャレンジ精神は先祖譲り!?~」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

ファミリーヒストリー「いとうあさこ~チャレンジ精神は先祖譲り!?~」[解][字]

19歳で家出したのちに、お笑い芸人へ。母方は発明魂を受け継ぐ一族だった。こんにゃく使って船を製造。祖父はスチール家具販売で大成功する。先祖には渋沢栄一との縁も。

番組内容
19歳で家出。その後、お笑いの世界で人生を切り開いたあさこ。意志の強さは先祖譲り!?父方祖父は、明治期、東京駅などの煉瓦建築を支えた大人物と出会い、後に養子に。その背中を追って努力し、東大卒業、大手銀行で活躍する。父も大手銀行で取締役を務めた。母方曽祖父は貧乏暮らしの中で発明に没頭。こんにゃくを使って船を造る。祖父はスチール家具の製造販売で、自宅にプールを作るほど大成功。あさこの下積み時代秘話も。
出演者
【ゲスト】いとうあさこ,【司会】今田耕司,浅野里香,【語り】余貴美子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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考えなくてはいけないと思います。

今日のゲスト
実家は 東京都内の超一等地。

800坪ある祖父の家には
プライベートプール。

小学校からは 名門 雙葉学園へ。

そんな お嬢様暮らしを捨てて
飛び込んだ世界は…。

(拍手)

皆さん こんばんは 浅倉 南 37歳です。

(笑いと拍手)

人生のピークは 幼稚園。

今日のゲストは いとうあさこさんです。
どうぞ。

恐れ入りやす。
よろしくお願いいたします。

すいません よろしくお願いします。

いとうあさこさんといえば
我々 ものすごい お嬢様やと聞いてて。

まあ 普通… ほんとに普通の
サラリーマンちの子です。

いや そんな反応じゃなかったな
スタッフさんも。 8ミリ回してたやんか。

我々の時代 8ミリで撮れるのは
金持ちだけやからね。

8ミリが まずないから。
映写機とか。

そう言われたら そうか。
ああ じゃあ うち金持ちかもしれません。

いや~ 今の心境いかがですか?

この間 予告が 15秒 流れたのを

劇的なスローモーションで
何回も見ましたよ。

何か分かんないかと思って。

♬~

「伊藤麻子」のルーツをたどるため
まずは 実家を訪ねます。

母 美惠さんです。

母です。

そして もう一人
父 伊藤新造さん 85歳。

長年 大手銀行の取締役を務めてきました。

結婚して 57年
変わらぬ楽しみがあるといいます。

毎日 飲むんですか?
毎日 飲んでます。

芸人の中では 酒豪でならす麻子。

両親いわく 遺伝だそうです。

結婚以来 麻子の両親は

父方の祖父母と同じ敷地で

暮らしてきました。

祖父 啓介の生い立ちは
複雑だといいます。

18歳で 伊藤家の養子になったという啓介。

生前 自身のルーツを調べていました。

啓介が 実の兄の家で
書き写したという 家系図。

「吉田」だけでなく
「幾瀬」の姓も 散見されます。

両家は どんな関係だったのか?

番組では 埼玉県寄居町で代々暮らす
幾瀬家を捜し出しました。

大島勝子さん 幾瀬千晶さんです。

麻子のはとこに あたります。

えっ? はとこ初!

吉田家 幾瀬家 双方に伝わる家系図です。

もともとは 武家だった吉田家。

3代目 一郎兵衛忠茂は
江戸に出て

幾瀬意悦という
名医に師事しました。

意悦の死後
17世紀半ばに 医師となった忠茂が

「幾瀬」の姓を継ぐようになったと
書かれています。

以来 一族は
医者になった者は 「幾瀬」を

それ以外の者は
「吉田」を名乗る しきたりになりました。

そんな一族の末えいが
明治を生きた麻子の曽祖父 吉田正治。

役所勤めでした。

49歳の時…。

6人いた正治の子どものうち

5番目が 啓介
当時10歳でした。

きょうだいたちは 同じ一族で
姉の夫 幾瀬 量を頼ります。

犬に 自転車を引かせて

いつでも どこまでも
往診へ向かう 名物医師でした。

幾瀬家の近所に暮らす
山崎節子さんです。

町の一角には 町民の寄付で建った
量の銅像がありました。

地域を支えていた 量。

5人の実子に加え
吉田家の子どもたちにも教育を受けさせ

生活は 楽ではありませんでした。

熊谷中学に通った祖父 啓介は

量に憧れながらも
悩みを抱えていました。

そのころ 啓介に大きな転機が訪れます。

当時 姉の辨は 量の先輩の家で
花嫁修業をしていました。

埼玉・熊谷にあった 伊藤家です。

そこへ啓介も 度々
顔を出すようになります。

あるじ 伊藤新作との出会いでした。

新作の情報を
大学の図書館で発見しました。

こちらに
伊藤新作さんが載っていらっしゃいます。

日本の工業界の発展に
尽力した人物を載せた

日本工業倶樂部の「会員追悼録」。

新作は ここに名を連ねていました。

すごい 1ページ。

まるまる。
ねえ。

エリート教育で名高い アメリカの
フィリップスアカデミーを卒業。

現地で 雑貨店を営んだ後
明治28年に帰国します。

その異色の経歴に目を付けたのが
渋沢栄一。

「日本資本主義の父」と呼ばれる
実業家です。

近代化が進む 明治半ば。

渋沢は 発起人の一人となり

日本煉瓦製造株式会社を
設立していました。

そこに 新作を招き入れたのです。

平成18年まで存続した
日本煉瓦製造の元社長 金子祐正さんです。

新作のエピソードは 金子さんの世代にも
語り継がれていました。

新作は 高品質に こだわり

東京駅 赤坂離宮 丸の内ビル街などの
建設に 煉瓦を供給します。

新作 すごいっすね。

西洋風建築が建ち並ぶ様子は
ロンドンを彷彿させ

「一丁倫敦」と呼ばれました。

そんな新作の活躍に
尊敬の念を抱いた

麻子の祖父 啓介。

新作もまた 勤勉で自立心の強い啓介を
見込んでいました。

ところが 大正8年
新作は 脳いっ血で急死。

子どもがいなかったため

生前
妻の乃ふに ある相談をしていました。

それはですね…

大正12年 伊藤家の養子となった啓介は
新作の名誉を汚さぬよう勉強し

東京帝国大学経済学部へ進学します。

昭和3年 三井銀行へ入行。

伊藤新作や 幾瀬 量のようになりたいと
努力し 秘書課長になりました。

志半ばで 体をこわした啓介。

その思いは
一人息子の新造に託されました。

後の麻子の父です。

新作よりも 更にスケールの大きな
男になってほしいと

啓介が 「造」の字を付けました。

新造も また 父と同じ
銀行員の道を歩むことになります。

う~ん
さあ いかがでしょう? ここまでは。

東京駅のレンガを見る目が
変わると思います。 これから。

いや~ 確かにね
その人に憧れてたっていうかね

おじいちゃんは 伊藤新作さんに。

ほんとに 家に居る
穏やかな祖父しか 見てなかったので

まず ああやって 銀行か どっかの
ああいう椅子に座ってる

祖父を見るのが 初めてです。

バリバリ仕事してたというか。
はい はい。

そういうところが想像つかなかった。
結核だったのも 知らなかったです。

お写真からも
すごく勤勉さが伝わってくる こうね。

もう何か 勉強たくさんして

何か 成果を出したいっていう
感じじゃないですかね。 そうですね。

そういう出会いっていうのも 人生って
変わってくなって すごく思いました。

そこでね 会わなかったら
きっと違う人生だったでしょうし。

続いては 母方 田嶋家の物語です。

麻子の母 美惠は
5人きょうだいの末っ子。

今回 美惠の姉 佳惠が
生前 書き残したものが

重要な手がかりとなりました。

わあ まあちゃんだ。

佳惠の長男 植竹雅弘さんです。

若い時は
リーゼントなんかしちゃってね

大好きだった。

田嶋家の長女として
佳惠が 昭和45年にまとめた家族史。

冒頭は 麻子の曽祖父にあたる
勝次郎が書いた一文から始まっています。

「先祖 加賀国 宝永年間
田島庄左衛門 江戸に下り

東本願寺 侍臣にして
それより 代々 東本願寺に仕え」。

田嶋家は 江戸中期から
8代にわたって

浅草の東本願寺に仕えた
侍だったというのです。

1591年 創建
浄土真宗 東本願寺派の本山です。

「田島家の人々」には 一家が暮らした
長屋の場所も記されていました。

宗教学が 専門の…

寺侍として
安定した生活を続けていた 田嶋家。

ところが 幕末 麻子の4代前
宇太郎の代に事件が起こります。

25歳の春 若侍たちと花見酒。

酔った帰り道 悪ふざけをして
道端の地蔵を飛び越えようとしたのです。

宇太郎は 足が不自由になり
寝たきりに。

え~!?
寺侍は お役御免になります。

妻 つねが 裁縫の内職をして
何とか食いつなぎました。

明治28年 宇太郎が死去。

長男だった麻子の曽祖父
勝次郎が 家族を支えます。

長屋の縁側で 時計修理を請け負い

家族総出で働きました。

このころ 後の麻子の祖父
四男の恩も誕生し

時計修理だけでは
生活が苦しくなる一方。

そこで 勝次郎は…?

孫たちが
僅かに伝え聞いていました。

安い船を たくさん売って
ひともうけしたい。

木材を惜しんで 船をつくり
隙間には 和紙を貼り付けました。

ポイントは こんにゃく。

紙に こんにゃくを塗れば
水を通さないだろうと考えたのです。

アイデアマン。
アイデア すごい。

その成果は いかにだよ。

そして いざ実験。

こんにゃく 駄目か~!

大失敗でした!

愉快だなぁ 田嶋家。

続いては…。

ベニヤ板を朱色に塗り

はけで特殊な紫色の筋を付けて
一日 乾かします。

高級なマホガニー調に見える板を開発。

何に使うかは 二の次でした。

更には 片手でハンドルを回して
針を動かす小型ミシン。

腕の力だけで進む馬の形の運動器具で
特許を取得。 ええ~!?

しかし
どれも 商品化には及びませんでした。

家族は…。

すると 今度は 勝次郎の長男
壹号の発明魂に火が付きます!

何で付くねん。
すごい名前ですね。

日本サッシ協会の
書籍によると

大正3年 田嶋壹号が

スチールサッシを 日本で
最初に製造したと紹介されています。

ええ~!

当時は 煉瓦建築が普及し始め

外国産のスチールサッシが
登場していました。

家族で工場を立ち上げ 足かけ4年。

父譲りの粘り強さで
壹号は ついに商品化に成功。

すごい!
すげぇ!

田島式スチールサッシは
飛ぶように売れます。

しかし 大正12年9月1日
マグニチュード7.9の大地震が発生。

地震による死者・行方不明者は
少なくとも 10万人。

そのうち7割が 火災に巻き込まれました。

すごい状況…。

壹号の会社も被害を受け
家族は悲嘆に暮れました。

ただ一人 22歳だった麻子の祖父 恩は

明日を見据えていました。

恩の次男 田嶋譲二さん。

孫の譲太郎さんです。

後に 恩が立ち上げた会社を
受け継ぎました。

創業当時の思いを 直接聞いています。

震災の翌年 恩は 兄 壹号の援助を受けて
家具製作所を設立。

本棚 椅子 ロッカーなど
全て スチール製に こだわりました。

ところが 恩の家具は ほとんど売れず。

ああ そうなんだ。

なるほど!

そう。

悩みに悩んだ ある日 恩の脳裏に

幼い頃に見た
あの光景が よみがえります。

それは 父 勝次郎が
発明に打ち込む姿。

べニヤ板を マホガニーの木目調に
塗り替えていた光景でした。

まさか…。
アハハハハ。

当時 恩が作った 会社のパンフレットが
残っていました。

(取材者)これは 貴重な…。

はあ~!

木目調や。
う~ん!

「スチールを木目調に塗り替える」という
発想で 恩の家具が売れ始めます。

え~! 知らんかった。

次第に 「軽くて丈夫」 「火災に強い」
という長所も注目され

木目調以外のスチール家具も
全国で売れるようになったのです。

呉服店で?

東京大学と。
ねえ。

実は 今回の取材で 当時 恩が作った
書棚の現物が見つかりました。

場所は…

実業家 渋沢栄一の
80歳の記念に建てられました。

麻子の母方も 栄一と縁があったのです。

すごいな。
ほんまに縁があるねんな。

ふだんは非公開の書庫を
特別に撮影することができました。

うわ~
ありがとうございます。

丈夫だね~!

しかも ホーロー加工って おしゃれだね。

栄一の貴重な書籍を保管するのに
一役買った書棚です。

浅草の寺侍から
時代をリードする 家具メーカーへ。

田嶋家に受け継がれる
発明魂が実を結びました。

う~ん いかがでしたか。
時間かかったねぇ 売れるまで。

ハハハハ ほんとに。
あんな椅子とか ほんとに

家具を作っていたのも
知らなかったですよ。

あと いくつか こう
発明されてたじゃないですか 勝次郎さん。

元はね ベニヤを
高い家具 木目にするという

詐欺まがいですよ こんなもんは。
ほんとですよね。

こんなもんはね。
そうですよね。

でも 正直 多分 ベニヤですけど
いいように見えるでしょという。

安くで いいものということは
庶民の味方です。

まあ そもそも こんにゃく船が
どうだという話ですけどね。

そもそもですけど。
木 もったいないからね乗ってみるという。

だいぶ 危険なことしたと思いますよ。
危うく 死にそう…。

ガッツリ作って 命が…
命からがら みたいなことですから。

ほんとですね。

いや でも やっぱ貧乏からの
そのエネルギーっていうんですか。 はい。

そのバイタリティー アイデア。

やっぱ 諦めてないっていうのが
すごいです やっぱ。

でも やっぱ 前向きだったり
真面目だったり 冒険家の部分だったり。

これをもう ねえ。

ちゃんと頭で生きてる感じが すてき。

しかも父方母方が両方 渋沢栄一さんと。
つながってましたね。

ねえ。
遠からずだったのが面白かったです。

国産スチール家具の
第一人者となり

ばく大な富を手にした
田嶋 恩。

大成功じゃん。

結婚後 5人の子どもを授かりました。

その末っ子が 後の麻子の母 美惠です。

生っ粋の箱入り娘たちに
恩が願ったことは ただ一つ。

「不自由なく暮らせる相手と
結ばれてほしい」。

なるほどな。
苦労したもんね。 うん。

美惠は早稲田大学を卒業後 すぐに見合い。

その相手が 4歳上の伊藤新造でした。

父 啓介と同じ
銀行員となり

将来を期待されていました。

昔の写真な感じ。
昔やね。

昭和40年 2人は結婚。
うわ~!

5年後
長男に続いて 女の子が誕生します。

名前は 麻子。

実家の庭ですね これね。

ちゃんと映像あるの
すごいよ この時代に。

その翌年 次女 子も生まれました。

母方の祖父 恩は 孫たちが遊べるように

邸宅を大胆に改装しました。

幼少期の8ミリフィルムには

年子の妹に ちょっかいを出す
麻子の様子が映っています。

どっちだったか 忘れたけど。

両親から
大事に育てられた子どもたち。

母 美惠は 幼い頃から
教育のことを考えていました。

受かってくれたんだね。

入りませんよ
それは。

兄の杉男は 私立麻布中学へ。

麻子は 小学校から雙葉学園

妹の子は
お茶の水女子大学附属小学校へと

名門に進学します。

母 美惠には
相当な プレッシャーがありました。

実の父は 有名な実業家。

そして 嫁いだ伊藤家は
親子2代で 東京大学卒の大手銀行員。

ええ~!?

すごいプレッシャー。
そうだったんだ。

すごいですね。

昭和62年 長男 杉男は期待に応え
東大法学部へ合格。 すげぇ!

次の心配は 娘たちの進路でした。

いや~ 申し訳ない。
とんでもないことになるよ お母さん。

宇宙物理…。

おっきい。

両親に打ち明けると…。

え~!

高校時代は
美術大学への進学を考えていました。

そういう感じだったのかと思います。

将来をめぐって すれ違う 両親と娘たち。

互いに歩み寄れず 亀裂が生じます。

へえ~。

平成2年3月
姉妹は 両親に黙って 家出。

麻子は19歳で 大学受験の浪人中。

子は 高校卒業の間際でした。

これは 当時 姉妹が暮らした
三畳一間のアパート。

お嬢様暮らしと決別し
アルバイトを始めます。

(取材者)
いやいやいや… そんなことはない。

そうだよねぇ。

家出した麻子を
サポートしていた人物がいました。

(取材者)失礼いたします。
あっ はじめまして。

雙葉学園の同級生
親友の岡野まさ子さんです。

麻子を思い
アパートの場所は 口外しませんでした。

岡野さんには
今も 大切に持っている写真があります。

家出から1年後 麻子の振り袖姿です。

アルバイトに明け暮れ
成人式に出られなかった麻子。

不憫に思った岡野さんが
自分の着物を着せて

岡野さんの母親が 写真館を予約しました。

更に 岡野さんの母親が運転する車で
着物姿の麻子が帰る途中…。

見てたんだ。

見たかったんだ 着物姿。
一目。

これは 家出から
2年後の

食事会の写真。

両親と娘たちは
初めて距離を置いたことで

互いの思いを
理解するようになったのです。

え~ いかがですか?

でも あの着物の話は
もう20年ぐらい 私は。

40歳ぐらいで知ったの?
もう 涙が止まんなかったです。

そりゃそうだ 親不孝な。 ほんとに。
ねえ。

今 思えば 何か自分に強い意志とか
あの~ 夢とか希望があるなら

話し合えばいいんですよね。

説得をすればいいんですけど
要は逃げちゃったというか。

もう 話すよりっていう。
う~ん そうですね。

さあ 改めて
ご自身の「ファミリーヒストリー」

ご覧になって いかがでしょう?

何か ルーツというか 自分の根底の

まあ結果 例えば 若い時の家出も
そうかもしれませんけど

決めたら行くというか 自分の考えが
こうなったら行くというのは

もしかして 祖先からの感覚…。
つながりが。

うん 気が強い 我が強いなって
自分で嫌になる時も多いんですけど

きっと何か そういう ふんばる感じとか。

確かにね。
はい。

家出から 7年。

27歳の麻子は
喜劇俳優を目指し 二人芝居を始めます。

小さな劇場の席は埋まらず
苦しい生活が続きました。

それでも 実家には戻らず

アルバイトをしながら
お笑いの世界へ挑戦します。

♬~

みんな こんにちは。
倖田來未 36歳です。

(笑い)

皆さん こんばんは。
浅倉 南 37歳です。

(笑い)

その後 麻子は
コメンテーターや俳優としても活躍。

たくさんの人を笑顔にしています。

大手証券会社に勤める 兄の杉男さんです。

親に頼らず 自分の道に進んだ麻子を
応援し続けています。

何でよ!
やるよ。 タダでやるよ 兄ちゃん。

麻子の頑張りは
両親にも変化をもたらしました。

ここに…。

うわ~!

父がプリントした出演情報には
母の ひと言メモが添えられていました。

「瞬間視聴率 39%」。

ありがとうございます。

「あさこの振袖姿が美しい」。

両親は 自分の足で歩く娘を
誇りに感じています。

そのくらいですね。

お笑い芸人 いとうあさこさんの
「ファミリーヒストリー」。

困難に直面しても
自力で人生を切り開いてきた

家族の物語でした。

今 ここに自分が生きてる。

歴史とか DNAとか
何か すごく感謝ですね。 うん。