先人たちの底力 知恵泉「千年企業~禍(わざわい)を転じて福となせ!~」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

先人たちの底力 知恵泉「千年企業~禍(わざわい)を転じて福となせ!~」[解][字]

伝承千年の宿を襲った江戸の大飢饉。鍛冶師の一族が迎えた武士の時代の終わり。未曽有の危機を乗り越えるためにとった逆転の秘策とは?“千年企業”の知恵に学ぶ。

詳細情報
番組内容
千年の歴史を持つ老舗企業、その長寿の秘密に迫るシリーズ後編。天明の大飢饉で東北の、ある温泉地が全滅の危機に!その時、温泉のとりまとめ役が下した大胆な決断とは?続いては平安時代から続く鍛冶師の一族。明治維新で武士の時代が終わり、迎えた廃業の危機。そこで考案したのが自分たちの歴史に根差す、ある商品。それはいったい何?出演はリゾート運営会社代表・星野佳路、ギタリスト・村治佳織、早大大学院教授・入山章栄
出演者
【出演】リゾート運営会社代表…星野佳路,ギタリスト…村治佳織,早稲田大学大学院ビジネススクール教授…入山章栄,【司会】高井正智

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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本日は ギタリストの村治佳織さんが
歴史居酒屋にご来店。

♬~

虹の彼方に向かって

苦難を乗り越えた
先人たちの知恵をご紹介します。

ご存じですか?

日本各地に 百年以上の歴史を持つ

老舗企業が3万社以上。

千年超えは なんと6社もあるんです。

なぜ そんなにも長く続いてきたのか。

ご長寿の秘密に迫ります。

コロナ禍で 多くの試練を経験する日本。

日々の暮らしが一変しました。

疫病に自然災害。

遡ること 江戸時代にも

天明の大飢饉で あわや村が全滅?

危機に見舞われた
温泉地がとった

逆転の発想とは?

(高橋)すごい戦略だと思いますね。

武田信玄や伊達政宗が愛した甲冑。

つくったのは
平安時代から続く鍛冶師。

伝統の技も…

起死回生の策で 甲冑を

意外な商品へと転換させます。

さて 何だ?

♬~

あのスティービー・ワンダーが絶賛した
新商品。

答えは 番組後半で。

今回 知恵を読み解くのは

100年の歴史を誇る…

コロナ禍で インバウンドが見込めない中
発想を転換し

新たな活路を見いだしています。

星野さんが 1, 000年続く
長寿企業ならではの秘けつを

独自の視点で分析します。

今日はですね ピンチの時に
大胆な発想で生き残ってきた

長寿企業の知恵を
味わっていきたいと思うんですが

ピンチといいますと やはり今は

新型コロナウイルス
というところでしょうね。

村治さん やはり影響ありますか?
もちろんです。

たくさんのコンサートがキャンセル
あるいは 延期になりましたね。

一番楽しみにしてた
イタリアからアンサンブルを呼んで

日本ツアーをやるっていうのも
今 2回キャンセルになっていて

この2022年の秋に 今
実現できればなという感じで動いてます。

星野さん 旅行業界も大変ですね。

100年に1回っていうですね

東日本大震災とか
リーマン・ショックとか

それからバブル経済崩壊とか…

本当ですね。

社員の方も不安じゃないですか?

そうですね。
一番不安だったのが 2020年の4月ですね。

これは 旅行業界における

コロナ禍が一番
需要を下げた時なんですね。

その春の時点では もう私たち本当に

これ乗り越えられるかどうかが
まだ分かんない。

本当に 危機対応が必要っていう時で

いろんな情報発信をしましたし

僕が 大丈夫だ大丈夫だって言い続けても
なかなか信じてくれないんですね。

なので 倒産確率っていうのを出しました。

ええ! 初めて聞きました。
計算して?

計算して数理モデルを一応作って

売り上げが どのくらい維持できるか。
コスト削減できるか。

そして 外部調達の資金調達が
どれくらいできるかっていうのを

確率を それぞれ掛けて
計算したんですけど

38%だったんですね。
38%?

それ 社内の反響は
どうですか?

38って率直に言うと
結構厳しいじゃないですか。

ただ発表しないと
もう それは10%から90%まで

各自が勝手に思い込むんですよね。

なので本当は 会社の代表の私は

もう倒産するの
分かってんじゃないかみたいな

思っちゃう人もいるしね。
なるほど。

それを ひた隠しにしてるんじゃないか。
そうです そうです。

そのフィードバックは やはり
すごく大きかったですし

そのフィードバックで面白かったのは
数理計算を見てるスタッフがいましてね。

じゃあ こうすれば
確率 減るんですねっていうことを

みんな言いだしたっていうところが
すごく大きかったですね。

減らせるんだということも分かってきた。
減らせるんだ。 どうすれば減らせるのか。

今 聞いてたら
うちのお店 大丈夫ですかね。

倒産確率 何%ぐらい…。

経営学者として
予測するとですね

95%ぐらいなんじゃ
ないかなっていう。

ちょっと… 歴代店主が泣いてる…。
これはね ただ ちゃんと理由があって。

飲食業じゃないですか。
飲食業って難しいんですよ。

3年間で倒産するのが 7割。
え~!

だから この店 奇跡なんですよ 既に。
奇跡が起きてる。

これだけ乗り越えてるから。
五代目 五代目って書いてある。

ほら 五代目まで
いってるってことは
何か秘密がある。

大丈夫 大丈夫。
よし! 頑張る気になってきました!

じゃあ 今日も
オススメ いっちゃいましょうかね。

こちらです じゃん。

手羽元となす 合いますね。
おいしそうでしょう。

分かります?

そう。 て…。
あれ 何か言いました?

今 すごくいいこと言った。
もう一回 言ってもらっていいですか?

てば なす…。
そう 手放す。

これが 長寿の秘けつに

関係しているということで
よろしいですね。

ちょっと だいぶ遠かったですけど。
(笑い声)

今回 私 調査に行ってまいりました。

やって来たのは
仙台駅から 車でおよそ30分。

自然豊かな 景勝地です。

いや~… 最高ですね。

ここはですね…

名取川のほとりに
お目当ての長寿企業があります。

伝承千年の宿です。

いらっしゃいませ。
今日は お世話になります。

よろしくお願いいたします。
お世話になります。

創業は 11世紀とも 12世紀とも。

あるじは 代々
佐藤勘三郎の名を襲名してきました。

宿の誇りは…

6世紀 欽明天皇が

この湯に手を浸し
傷を癒やしたのが

その名の由来。

御湯の称号を
授かったといいます。

長い歴史の中には
村の存続に関わる危機もありました。

江戸時代最大の災害…

東北地方だけで

およそ30万人の餓死者を出しました。

悪天候による冷害が続く中

岩木山 浅間山が 相次ぎ大噴火。

深刻な凶作で

秋保温泉でも 多くの村人が
亡くなりました。

困り果てた村人たちが頼ったのが

佐藤勘三郎。

大胆な発想で 危機に立ち向かいます。

村人が頼った 勘三郎。

実は ただの宿の主人では
ありませんでした。

趣がありますね。

一体 何者なのか。

探ってみると 興味深いものが…。

あ~… 伊達政宗公とのつながり。

こちらは 400年前 当時の当主が

独眼竜 伊達政宗から
下賜されたという衣です。

胸元には
伊達家家紋

九曜紋が
あしらわれています。

なんと 勘三郎は
政宗と共に大坂夏の陣に参戦。

衣は その褒美だといいます。

そのほかにも 宿には
興味深い史料がありました。

記されていたのは

仙台藩から特別に任命された ある役職。

どんな役目だったのでしょうか。

高井さん こんにちは。

秋保温泉の
歴史に詳しい 高橋陽一さんに

湯守の役割について伺いました。

具体的には
温泉の入浴施設の維持管理と

湯銭という
入湯料を取ることと

温泉税を
領主の仙台藩に納める。

こういう仕事をしていました。

ある種 この周辺の取りまとめ役のような。

(高橋)そうですね…

勘三郎は湯守として
温泉の権利を独占。

村の名士だったのです。

伊達政宗も訪れ
歴代の藩主が湯につかるなど

結び付きも強かったといいます。

だからこそ あの天明の大飢饉の時

村人は 勘三郎を頼りました。

村の状況は 壊滅的でした。

飢饉で 家は半分以下に減少。

その後 10年たっても
回復の兆しは見えませんでした。

当時の年貢制度も
村人を苦しめていました。

飢饉前の徴収は 村単位。

飢饉後 家が減ってもルールは変わらず。

このままでは 村がもたない。

勘三郎は この時
村人と驚きの取り決めをして

事態を打開しようとします。

それが この温泉約定です。

約定は当時 佐藤家が独占していた

温泉からの収益の
3分の1を村に供出し

危機を
乗り越えようというものでした。

つまり 寄付みたいな形ですか?
そういうことですね。

この約定 単なる
一時しのぎではありませんでした。

この規約っていうのは
期間限定のものなんですか?

いや そこがポイントで

これは 期間が定められてないんです。

期間なしで。
なしです。 3分の1を毎年…。

長期的な視野に立って 立案した…

なぜ勘三郎は
損を承知で 村に供出したのか。

現当主の34代 勘三郎さんは

ご先祖の思いを こう読み解きます。

当時は はるかに強い
地域のコミュニティーがあって

将来10年とか20年とか
もっと長いスパンで考えた時に

多分…

村の将来のため

湯守の勘三郎が手放した 温泉の収益。

この資金が 後の村の命運を

切り開いていきました。

それは この宿の建物の前にありました。

ということで
早速 調査開始!

全く見当がつきませんね これ。

う~ん…。
ちょっと周りで聞いてみますかね。

向かいにある宿に聞き込み。

この地で長く旅館を営む
佐藤 仁さんです。

ちょっと伺いたいことがありまして…。

天明の飢饉後

みんなで
つくったものって何ですか?

そんなに前のことは分かりませんけど

昔は 今のバス停の…。
あそこに ちょうどバス停が見えてますね。

辺りにですね
共同浴場がありました。

共同浴場?

お湯は 佐勘さんから引いてきたと。

はあ~ 共同浴場。

今は 共同浴場はありませんが

周辺の宿は 勘三郎家と同じ源泉から
お湯を引いているそうです。

調査に行ってまいりましたけれども
共同浴場があったと。

まず こちらの図面を
ご覧頂きたいんですけども…

こちらは 天明の飢饉後
当時の村の地図です。

宿の前に湯船が 新たに3つ。

湯守の勘三郎が手放した資金で

新湯瀧という共同浴場を
つくったとみられています。

源泉の独占権までも手放した
勘三郎。

潔い決断が思わぬ展開につながります。

実は この時 一足早く復興した江戸では

旅ブームが巻き起こっていたのです。

お伊勢参りを発端に

名所旧跡 旅グルメ。
もちろん温泉も。

当時の入浴方法は
蒸し風呂が一般的でしたが

体の療養のため 湯船につかる温泉地は

人気の癒やしスポットに
なっていたのです。

約定の締結から 僅か6年後

秋保温泉を訪れる客は
4割以上増えています。

客が増えれば 宿も必要と

村に1軒しかなかった宿屋が

新たに4軒増加。

温泉地の収益も増え 湯守の勘三郎は

手放した3分の1を超える収入を得て
栄えていきます。

村人も農業以外の収入が得られ

飢饉前よりも 暮らし向きは
大きく発展したといいます。

(高橋)湯治といって 自炊をして

1週間2週間 温泉に滞在しますんで

自分で必要なものっていうのは
現地調達なんですね。

そうしますと温泉の周りって
結構いろんな お店が出ていて

それで入浴に来た人は そこで
たくさん お金を消費すると思うんです。

なるほど。
ただ お湯に入れるだけじゃなくて

そこで いろいろな商売が成立していた。
成立しています。

手放して
村に納入するというところから

秋保の観光地化がスタートしていると。

天明の大飢饉からの知恵は

その後も秋保に息づいています。

2011年の東日本大震災。

岐阜の温泉地から専用車を借り

被災した避難所に お湯を届けました。

更に…

さあ 調査も終わったということで…。

到着したのが こちら。

温泉ですね。

先人たちの知恵を受け継ぐ名湯で
私も ひとっぷろ!

最高。 あっ! 一句浮かびましたよ。

いかがでしょうか?

おお~ 最高ですね。

ちょっと しっかり
満喫してるじゃないですか。

いや もうね 最高でした。
これも いい知恵を

仕入れるためなんですよ。
そうなんですね。

星野さん
今 本当にピンチをはねのけて

温泉地として復興したと。

このころから 農業だけではなくて

観光が地域の新しい収入源になる。

今と全く似たような
理由だなというふうに感じました。

さあ ここでの知恵なんですが…

困った時って
どっちかというと 蓄えたくなって

手放すって難しいのかな
なんていうふうに思うんですけど。

今回のコロナ禍も
そうだったと思うんですけども。

出さなければ 動き出さないですから。

動き出さなければ
結局 乗り越えられない。

…っていうことだったんじゃないかなと
思いますね。

入山さん 大きく
うなずいてらっしゃいますが。

手放すってね 投資なんですよ。

何かを付け加えることよりも
やっぱり捨てることが難しいんですよね。

でも捨てるって 手放すからこそ
その余力で投資ができるわけですね。

家業だから 10年後 20年後 30年後
もしかしたら 100年後まで

この家族や家業が幸せで豊かであることが
すごい重要になりますよね。

今 自分のいる地域が
発展してなかったら

そもそも 自分の家業も
なくなるんですよね。

やっぱり その… もう この土地で

代々 生きていくんだぞっていう決意が
すごいんですよね きっと。

先の先まで考えられてるからこそ

手放せるものがあるんじゃないかな。

土地とのつながりとか
先祖代々とのつながりっていうのが

すごく強かったんだろうなって思って
見てました。

私 まさに
行ってきた時に感じたんですけど

この宿と 村の関係っていうのは

一緒になって
その地域を持続可能な形で

残していくっていうことを
目指してたのかなというふうに。

ですから 私 企業ができる
貢献っていうのは やはり

本業を通して 貢献するっていう形が
すごく大事だと思ってるんですよ。

私たちの企業の
一番得意な分野っていうのは やはり

利益を追求する
飽くなき力っていうんですか。

そこが一番 得意なんですね。

本業以外のことで 費用を負担して
海外のどこどこで 植林しましたとか。

そういう社会貢献をアピールする時代
っていうのはあったんですね。

ちょっと はやりだったんです。
ただ それを経てきて

じゃあ環境問題 解決されたかというと
あまり解決できてないですよね。

ですから その…

もう少し具体的にいうと
どういうことですか?

地域らしさとか その場所ならではの
魅力っていうことを演出するためには

地域にいらっしゃるアーティストとか
ミュージシャンとか

それから工芸を作ってらっしゃる
伝統的な産業と

一緒に組んでいくってことは
我々にとって プラスなんですね。

例えば オリジナル品を作ってホテルで
展開するとか…?
具体的に言うとね

日光には 日光下駄っていうのが
あるんですよ。

箱根には
寄木細工さんの
職人がいるんですね。

観光が逆に その仕事を
提供できるんですよね。

我々は 逆に そういうことを魅力にして

いらして頂く理由を作るっていう。

…いうような形を
見いだすっていうことが

これからの時代の社会貢献では
大事だと思いますね。

僕 実際 星野さんの経営… やってる

山梨県の小淵沢の
ホテルがあるんですけど

そこに実は 1週間ぐらい
泊まり込んだことがあるんですね。

あそこね 山梨の地元のワインの
試飲会やってるんですよ。

執筆のために行ったから 誘惑がすごくて。
(笑い声)

うわ~! 試飲会 行きたいなって
思いながら。

観光を通じて

単に 宿に泊まってもらって
お金を落としてもらうだけじゃなくて

その地域の魅力の中に

そこの農産物もあれば 工芸品もあれば
音楽もあるんですよね。

そういったものを
知って頂くっていうことは

観光のできる地域の役割であり
貢献であるっていうふうに思ってます。

あの 勘三郎さんって
おっしゃいましたけれども

あれ 計算なんですかね? 入山さん。

私は 両方だと思いますよ。
計算 経営者ですから。

ここの共同浴場があったら
やがて 人が来るだろうと。

そうしたら 観光が盛り上がるから
うちの結局 温泉旅館も

長い目で見れば もうかるはずだっていう
計算は 絶対どこかにあるはずなんですよ。

勘三郎さんは そういう人だったのかなと
思うんですけど

星野さん いかがですか?
僕は もう

どっちかというと…

村治さんはいかがですか?
今 6割が計算って おっしゃいましたね。

じゃあ その4割 何だろうと思った時に

私も 例えば演奏で
この1音が いくらになるかなって

考えたことないわけじゃないですか。
(笑い声)

そこ計算してたら大変ですね。
それ嫌じゃないですか?

もう本当に 弾く時は
全くお金のことは…。

心のことだけ考えて
演奏するようにしていますが。

相手の人が喜んでくれるっていうことが
自分の原動力にも。

やっぱり 人間じゃないですか
勘三郎さんも。

その共同浴場に入って
「ああ~ いい湯だな」って

こう 人が喜んでくれる笑顔を
見るのは

もう 計算ではない
ソフトな面で

あ~ よかったって。
今日 もう勇気を…。

まだ 最後じゃないですけどね。
(笑い声)

もうちょっと ありますけどね。
番組終わりじゃないですけど。

さあ 続いての
長寿企業を見ていくんですが

まず こちらをちょっと
ご覧頂きたいと思うんですね。

武田信玄なんですが

愛用した甲冑をつくった鍛冶師。

実は 驚きの発想で この甲冑に代わる

あるヒット商品を生み出すんです。

一体 何を生み出したと思いますか?

何だろう?
全然 分かんないですね。

分かんない?
全然。 何でしょう?

鉄を鍛える音が響き渡ります。

(鉄をたたく音)

明珍宗敬さんは

平安時代から続く鍛冶師の53代目です。

金づちの振る量でしたら
1万回以上は。

右がずっと 全体的に

バランスが悪くなって腰も肘も…。

それもう職業病ですけど。

こちらは 武田信玄愛用の兜。

明珍さんのご先祖がつくりました。

甲斐の虎と畏れられた戦国武将を
今に伝える

勇壮な甲冑です。

創業は武士が台頭した12世紀。

源平合戦の頃。

甲冑の需要が 急激に増えた時代でした。

伊達政宗も

明珍一族の甲冑を身につけ
合戦に。

700年以上にわたり

武士に愛され続けました。

しかし…。

1867年 大政奉還。

武士の時代が 終わりを告げます。

甲冑の注文も一転して なくなりました。

明治維新で 代々続く家業も廃業か?

この危機を前に 一体どうする?

存続の危機に直面したのは

明治初頭の当主 明珍宗之。

大胆な発想で甲冑に代わる

ある商品を生み出し

乗り越えようとします。

火箸?

随分 シンプルになりましたが

決して思いつきではありません。

実は 老舗ならではの
ある歴史に着目した結果でした。

そういう故事に倣って

それにヒントを得て
火箸づくりを始めたと

口伝で伝わってます。

戦国時代 茶道を大成させた千 利休。

なんと400年以上も前の記憶が

生き残りのヒントになっていたのです。

茶の湯に火箸は欠かせません。

湯を沸かすため 炭を扱うからです。

宗之は この火箸に商機を見いだします。

というのも 明治時代
どの家も炭を使うようになっていて

火箸は 生活必需品だったのです。

先読みは 見事的中。

品質のよさで 火箸はヒットし
姫路の名産となりました。

宗之は 明珍家の歴史を見つめ直し

鉄を打つように過去の記憶をたたき

甲冑から火箸へと
大転換を果たしたのです。

その当時は もう必死だったと思いますね。

手仕事っていう長い歴史の技が

ここで消えてしまうっていう危機が

もう目の前に すぐそばに
感じられてたと思いますよね。

次に この技術を
伝えるっていう使命ですよね。

それは もう
すばらしい発想力だったと思いますね。

火箸は明治 大正 昭和と需要を伸ばし

志賀直哉の
「暗夜行路」に登場するほど

暮らしの中に
溶け込んでいきました。

しかし 一難去って また一難。

太平洋戦争が勃発すると

金属類回収令が発せられ
原料の鉄が入手困難に。

更に 戦後日本の家庭環境は一変。

炭を使う火鉢の生活からガスや石油へと

エネルギー革命が起きました。

当然 火箸は お役御免。

家業も傾きかけます。

当時 20代の宗理は考えます。

何か打開策はないか。

苦悩の末 火箸の ある特徴に

ある光明を見いだします。

もともと火箸は

きれいな音がするっていう

明珍火箸は有名だったので

この音を何か 現代に
利用できないかっていうことを

ずっと考えていたと。

鍛えた鉄が奏でる 澄んだ音。

明珍家には その音が
古くから称賛されていたことを示す

史料が残されていました。

それは 近衛天皇に鎧を献上した時のこと。

甲冑の触れ合う音を聞いた天皇は…

…と称賛。

「明珍」の姓を賜ったといいます。

明珍家のルーツである 音に着目した宗理。

5年以上 試行錯誤を繰り返した宗理。

こうして完成したのが…。

(風鈴の音)

こちらの風鈴です。

火箸を そのまま使う
斬新なデザインには

宗理の ある思いが秘められています。

これは
火箸が4本ぶら下がって

中に振り子がついて

下に短冊… 風を受けた短冊が

振り子を動かして
鳴る仕組みですね。

東西南北 とにかく
どっかから風が吹いて

1つでも鳴ってほしいっていう思いで
4本になったと。

(鉄をたたく音)

(風鈴の音)

(宗敬)甲冑づくり 鋼鍛えて
それが今の現代に残っていれば

一番いいと思うんですけど。

ただ我々は 時代の中で
必要とされなくなって

その時ですよね ふんばって

少しでも手を動かしつつ やり続ける。

それを伝えるために 最小限の技術が

今の風鈴に伝わってると思うんですね。

一代ではなくて 代々続いてる

気持ちの 魂のつながりみたいなところの
音ですよね。

その神秘的な音色に魅了された

音楽家がいます。

シンセサイザー・アーティストの
冨田 勲です。

♬~

冨田は テレビ番組
「街道をゆく」のテーマ曲に

風鈴の音色を使用しました。

♬~

冨田の心を捉えた鉄の音色は 更に…。

♬~

スティービー・ワンダーは…

…だと驚嘆。

繰り返し たたき 鍛える中で

柔軟に変貌を遂げてきた 匠の仕事。

代々のつながりが支えてきた
長寿企業の知恵です。

53代目当主の目が
きれいだなと思って

お話を今 伺ってたんですけど

そしたら 冨田 勲さんが
火箸を見つけた瞬間の笑顔も

また いい目をされてたから
音というか

物と音で こうして人と人が

つながっていくんだなと思ってました。

私も 全然知らなかったですけど

甲冑が 最後 風鈴になるっていうのは
すごいですよね。

逆に その危機がなければ 恐らく
発想しなかったことかもしれないですね。

村治さん こちらが

先ほどの
風鈴なんですけれども

この隣にある これ
とても貴重なものなんです。

特別に今回 お借りしました。

日本古来の製鉄
玉鋼でつくられた

希少な
火箸ということで

およそ850年前に
当時の天皇が

称賛した響きに近いかと思われます。

いいですか? 鳴らしますよ。

(玉鋼がぶつかる音)

確かに すごいですね。
すごい。

思った以上に響きますね。
響くんですね。

あとその余韻が… 余韻がきれいですよね。

(玉鋼がぶつかる音)

最後の最後の最後まで
消え入るところまでを聞きたいですね。

850年前の人と同じ音色を
聞けてるというね。

さて ここでの知恵は…

星野さん ピンチの時に

過去の記憶って
やっぱり役立つものなんですか?

コロナ禍なんかも 僕らの 本当に

生き残りをかけた危機だったんですけど。

そこで 僕らが思い出したのは

やはり90年代の
まだまだ駆け出しの頃といいますかね

繁忙期があったり また
暇な時期があったりっていう

暇な時期を
僕 どうしようかなって思っていて

旅館から2時間圏内を

車で簡単に来れる
マイクロツーリズムっていうね

もう ちょっとした旅行ですよね。

近場の方々に いらして頂く工夫を
あれこれやってたんですよね。

それから もう随分たって
だいぶ会社も競争力がついてきて

あまり そういうことを
考えなくてもいい時代になって

逆にインバウンドなんていって
海外から

どうやって来てもらおうかなんてね。
一番遠いところの人たちを

ターゲットにしたり
し始めてたんですけど。

コロナ禍になった途端に思い出したのが
マイクロツーリズムで。

もう ちょっと地元で
久しく行ってないところに行って

楽しもうかっていうふうに
思って頂けたのも

大きかったと思いますね。
すてき。

入山さん 過去の記憶
いっぱいあると思うんですけど

これを その危機の時に役立てるために
何が必要ですか?

とにかく変化っていうことだと
思うんですよね。

こういう千年企業とか百年企業でも

実は 常態的に きっとね
少しずつ変化してるんですよ。

だからね 変化のクセが
ついてるはずなんです。

だから きっと この明珍さんとかも

多分 五十何代の中で いろんな
細かい工夫かもしれないけど

いろんな工夫をして 変化してなきゃ

いくら戦国時代が長かったっていったって
生き残れないんですよ。

これは同じで ここが変わってくる。

いいですね。 ロマンがありますよね。

今日のテーマの「てばなす」に
戻ってきたわけですけれども。

逆に手放さないものも
我々 もう決めたんですよね。

それは 私たちの場合は
育ててきた観光人材なんですけどね。

入社してきてくれた人に 長く
仕事をしてもらうっていうことの大変さ。

あれだけはもう 手放したくなかったので。

コロナ禍においても
私たちが生き延びるために

もう ほか大事にしてきたこと
たくさんあるんですけど

それはもう 一旦
全て忘れてもいいから

とにかく全員で
なんとか乗り越えようっていうのが

私たちが大事にしてきたことです。
まさに手放さないものを

決めたからこそ 手放せるんですよね。

結構 今回のVTRで
僕 すごい印象的だったのが

ずっと たたくって
おっしゃってるじゃないですか。

ずっと鉄をたたくっていうことを
我々 やってるんだよ。

53代 やられてるわけですよ。

変化が激しい時ほど

やっぱり自分たちの決まり事は
シンプルな方がいい。

まさに この明珍の強みは

鉄をたたくことだと思うんですよね。

鉄をたたく技術は手放さないから

甲冑は捨ててもいいやっていう話だし

温泉のところは 地域の発展は
絶対 手放さないわけですね。

そのためなら自分たちの私財を

ある程度 手放してもかまわないっていう。

今は 僕も経営学者なんで
いろんな日本の会社を見てるんですけど…

自分の人生にも何か
ヒントがあるような

知恵だったな なんていうふうに
思うんですけれど。

自分の得意分野を生かすことが

やはり 一番の貢献につながるし
どっちかっていうと だから

やりたいことよりも
できることっていうのはね

ちょっと違うことって
結構 多いんですよね。

僕はね できることを重視する。

自分の能力で
一番強い能力って何だろうか。

社会に通用する能力って何だろうか。
それを伸ばそうっていうのが

僕は経営者として やってきたことだし

これからも これだけ競争が激しい
いろんな多様化する社会の中では

私は大事なんじゃないかなと思いますね。

私に置き換えるならば

クラシックは何がいいかって
やっぱり技術。

やっぱり 2歳 3歳 4歳
ちっちゃな頃から始めるので

もう 体にしみこむんですよ。 だから
それが たたくっていうことだなと。

そこは ぶらさないわけですよね。
そこは多分 私も。

そのクラシックから得た技術的なものを

私は今 ぶれないようにいこうと
改めて思って。

お皿は柔軟に
受け皿はしておきたいなって

ヒントを頂きました。
ありがとうございます。

村治さんの音もね
このあと どうなっていくのかっていう…。

何か 弾きたくなっちゃいますけどね。
おっ!

来る前にちょっと お仕事あったので

ギター持ってきてるんですけど。
すばらしい。

いいですか?
じゃあ ちょっと準備しますね。

お願いします。

♬~

(拍手)

美術館って すてきだけど