SWITCHインタビュー 達人達「UA×中島岳志 EP1」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

SWITCHインタビュー 達人達「UA×中島岳志 EP1」[字]

個性的な歌声と芸術的な世界観で存在感を放ち続ける歌手・UAが会いたいと願ったのは意外にも?政治学者・中島岳志。中島の「永遠の微調整」という言葉にひかれたという。

番組内容
1996年『情熱』で空前のヒットを飛ばし、以降人生の変化とともにその楽曲も進化させてきたUAは、この春6年ぶりに新作を発表した。これまでの土着的なテイストとは一転して現代的かつポップな仕上がりでファンを驚かせている。その背景には、カナダの島での農的な暮らしの影響があるという。EP1は、まずは学生時代からUAの曲を聴いていた同世代の中島が時代を振り返りながら、UAの曲作りや世界観にせまっていく。
出演者
【出演】歌手…UA,政治学者…中島岳志,【語り】満島ひかり,岡田将生

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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今夜の「SWITCHインタビュー」は

歌手 UA。

1995年にデビュー。

♬「きっと涙は」

翌年発表したシングルは

その個性的な歌声で大ヒット。

一世を風靡した。

ビジュアルもインパクト抜群。

芸術的な世界観があふれる
ミュージックビデオや…。

自然や命を感じさせる
野生的な楽曲で

四半世紀にわたり
独特な存在感を放ち続けている。

おっはようさん! ううあだよ。

♬「てのひらをたいように」

2003年 テレビ番組に
うたのおねえさんとして出演。

子どもたちにも強い印象を残したUA。

私生活では 7年前に カナダの島に移住。

夫と 3人の幼子とともに畑を耕し

家畜を育てる生活を送っている。

2022年の今年 6年ぶりに新作をリリース。

近年の土着的なテーストから一転。

現代的 かつポップな仕上がりで
ファンを驚かせている。

進化し続けるUAが
会いたいと願った人とは…。

こちらの男性…

南アジアや近現代日本の政治思想を
専門とし

数多くの著書を発表している。

その立ち位置を

「リベラル保守」と
自認する。

伝統や慣習に
固執するのではなく

大切なものを守るために
変わるという思想だ。

一般的に言えば
この「保守 対 リベラル」っていうふうに

対立するというふうに 特に日本では
思われがちなんですけれども

むしろ…

中島の もう一つの特徴は

身近でユニークな言葉を選び
分かりやすく伝えること。

KYみたいな圧力が
強くなってる社会を…

それぞれの役割を果たし合ってる。

あそこは 非常に…

著書で引用するのも
ポップソングや

落語など。

コロナ禍の2020年には
料理研究家と共著を発表した。

ジャンルを問わない
引き出しの多さで

さまざまな分野から
注目される

異色の政治学者だ。

実は UAも 中島の考えに
感銘を受けた一人。

自身の歌詞に 中島の言葉を
取り入れているほど。

中島先生の著書である
「中村屋のボース」という作品について

インタビューを受けてらっしゃる番組を
偶然 見たんですね。

…っておっしゃり始めて。 でも…

…っていうふうにおっしゃられたときに

すごく どきりとするものがあって。

で 私は 実は…

今回 UAからのオファーに対し
中島は…。

どういうことに…
私の書いたりとか発言したことに…

本当に 僕は 断片的なことしか
存じ上げてないんですけれども

今 日本を離れたりとか
あるいは いろいろと…

そういう人という印象があります。

ともに
1970年代生まれという同世代の2人。

まずは 歌手生活
28年目を迎えるUAの

曲作りと人生観の変化に

中島が迫る!

♬~

対談は UA行きつけの
自然あふれるレストランで。

あっ こんにちは。
こんにちは 中島先生。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

アルバムを 僕 聴かせていただいて
ちょっと… 僕自身は

UAさんが こういうことを 今
考えてらっしゃるんだと思いながら

とっても楽しい気持ちで

聴かせていただいたんですけれども。
ありがとうございます。

UAさん 昔から 曲を作るときに…

…っていうことが多いと
思うんですけれども。 そうですね。

何か こう 歌の中に ほかの人が
入り込んでるっていうんですかね

自分一人で完結していない
っていう感じが

僕 いつも 聴いていて
あるんですけれども

その辺りって
どういう感じなんですか?

私は 本当に 音楽を作るということは
ちゃんと学んではいない人間で

本当…

なので やはり メロディに乗るもの。

そこに
自分を 本当に はめていって…

…っていう形で歌詞は書くんです。

♬「重ね合う」

音楽が先に出来てから

妄想を
言葉に落とし込むことで

独創的な歌詞が生まれる。

詞を書くときは
参考になる本を何冊も並べるのだそう。

1972年 大阪府で
一人っ子として生まれたUA。

想像力は 幼いときから豊かだったという。

ぜひ お伺いをしたいのは

お子さんのころからの…
なんですけれども。

どっかでですね…

空想 はい。
空想 イマジンのほうですよね。

それが
非常に強くあったっていうふうに

インタビューで
答えてらっしゃったんですけど。

どんなお子さんで
いらっしゃったんですか?

なぜかというと 私…

がんで。 それで 父親の存在を もう…
知らないものなんですけれども。

それで 母と…
まあ 母子家庭で育っていて。

なので 母が働いてくれていたので
鍵っ子であって。

だから 本当に 時間的に…

話し相手がないのでね。

そういう環境がありました。
なるほど。

小学生のころから エレクトーンを習い
音楽は身近だったUA。

歌謡曲を聴くことも大好きだったが

歌手になるとは想像していなかった。

自分の本名が
「歌」という文字が入っていて。

「歌織」というんですけれども。

そのころ「かおり」っていうお名前って
わりと クラスに

3人ぐらいいた…。
ちょっと はやっていたのかしらね。

ただ その同じ漢字の方はいなくて

ちょっと 自分は
変わってるんだなとは思ってたんですね。

なので やっぱり
ず~っと 「歌」っていうものは

どうでしょう… 名前だったので

もちろん 書きますし 呼ばれますし

意識は あったんだと思うんです。

ただ 性格的に… 何でしょう…

そちらの方面にいくというキャラだと
思っていなくて。

大学ではデザインを専攻。

映画に はまり

単館で上映される作品を
毎週 見に行った。

映像制作の道に進むことを考えていたが

先輩から借りて聴いたレコードが
UAの運命を変える。

アメリカ出身の…

…というパワフルな歌姫たちとの
出会いだった。

この とんでもない伝説的な女性の歌を
耳にして 姿を見たときに

何か…

ただ それを 職業にっていうふうには
すぐにならないので

何か ボーカルスクールに
行ってみたりとか 試行錯誤していて。

自分は…

ああ なるほど…!
はい。

それぐらいの
動機だったんですけれども。

最初に歌ってみたときって
どんな感じだったんですか?

最初に歌ったのは
大阪のジャズのクラブで

正直 歌えなくて。

もう 何か…

…っていうのが 最初の
ステージといいますか 人前での…。

歌唱はできなかったという…。
へえ~…!

でも 1週間後には
選曲を間違えたと思って

出直して 見事 歌うことができて。

そのとき
どういう反応だったんですか?

ジャズの店だったので
自分が選んだ…

…という曲だったんですけど
それも ちょっと

皆さん 耳慣れなかったのか
すごく こう…

不思議な空気が
流れていたんですけれども。

その後 働いていたジャズクラブで

客として来ていた音楽関係者に
スカウトされ

1995年 デビューを果たす。

翌年発売された「情熱」が
爆発的にヒット。

瞬く間に 音楽ファンの間で
名前が知られるようになった。

当時 インドの言語や地域を学ぶ
学生だった中島も

アルバムを買った一人。

特に覚えている曲があるという。

僕が UAさんのCDを
一番最初に買ったの…

「11」っていう
アルバムなんですね。

それを買って
聴いていたんですけれども。

インドと日本を
往復しているときとかに

ある人に…

…って言われたことがあるんですよ。
ええ~!

本当ですか?
で 僕 ええ~? と思いながら。

デビュー翌年に発表したアルバムの
収録曲「水色」。

おおらかな歌詞と 民謡のような
ノスタルジックなメロディが印象的だ。

もう一回 聴き直したんですね それを。

たぶん それは 僕が たぶん
海外と日本を

ぴょんぴょん 飛び回っていたので
「翼」とか そういう単語に

その方は反応されたんだろうな
というふうに思ったんですけども。

あの曲は すっごく不思議な曲で

すごく豊かに 大きな鳥が

飛んでいるようなイメージが
あるんですけども…

…だと僕は思ったんですよ。

何か こう…

僕は それから 何度も何度も
聴いた曲なんですね。

ありがとうございます。
あの「水色」っていう曲は

どんな感じで
生まれた曲だったんですか?

まずは あのときは…

で 本当に…
つらい時期だったんです 肉体的に。

いわゆる つわりっていうのが起きて。

もう それも初めてですよね 人生で。

もう メロディに身を任せて
書いてたんです。

自分でも 何か 何を書いてるのか
ちょっと 分からない状態で書いて。

本当に感動して ずっと泣いていて。

でも…

そういったものは
ずっと 長く歌っていけるんですね。

なので やはり 子宮に命が宿る
その未来への思い。

で それが イコール地球っていうか…

…っていうのを
初めて頂いたような感じで。

なので…

なるほど。

UAはデビューの翌年
25歳で第一子を出産。

子どもの存在は
その後の曲作りに

大きな影響を
与えていったという。

もう一つ 僕… そのあとに 97年に

「悲しみジョニー」っていう曲を
出していらっしゃって

この曲は ある種
少し 一転してというか…

歌詞でも…

…とかですね 結構 こう
言葉として強い…。

ちょっとアグレッシブな。
…感じがあると思うんですけど これが

おおよそ 同じ時期というか…。

この曲が生まれた1997年は

自然破壊を訴える映画
「もののけ姫」がヒット。

さらに 神戸連続児童殺傷事件が発生。

社会に 不穏な空気が蔓延した。

曲は 当時 ドラマの主題歌にもなり

UAの名を
一躍 全国に広げることになった。

「悲しみジョニー」は…

産後3か月ぐらい
たったころですかね。

渋谷まで もう…
母に「ちょっとだけ見てて」って…。

おっぱいあげて「ちょっと 映画
見てくるから」っつって見たのが

「もののけ姫」で。
どうしても 映画館で見たくて。

で また 神戸の… ひどい
酒鬼薔薇事件というのが起きたりもして。

そういったものが
やはり

出産という体験をする
前と あとでは…

本当に この…

なので「悲しみジョニー」というのは
本当に 自分の新しいチャレンジで

何か 自分が…

…と思って
意識的に取り組んだ曲ですね。

「UA」さんという名前は
スワヒリ語で

一つは「花」という意味だけども

もう一つは「殺す」という意味。
そうなんです。

デビュー当時は…

…とか 相反する事柄っていうのが
すごく 何か

自分の中の大きなテーマだった。
そういうのがあって

「ウー」と「ア」っていう不思議な…。

「ウー…」ですよね。
あと「ア~…!」って真反対の音。

それが ダブルミーニングがある
っていうことの不思議さにひかれて

付けたんですが でも…

なるほど。 だから この時期とかも
僕は思ったのは

「水色」の世界が
ある種の花の世界であるならば

もう一つの世界が やっぱり あると。

そこに 子どもが産み落とされた。

それを 自分自身が
どういうふうに受け止めたらいいのか…。

僕も 97年って すごく大きくて
やっぱり 酒鬼薔薇事件のような

キレる14歳っていう問題が
大きく問題になり…

…っていうふうに
もがいていた時期なんですけれども

その…

生まれてきた命と
世の中の不穏な空気。

社会のゆがみを感じ始めたUAは

みずからの内面を掘り下げるような
ファンタジックな世界に入り込んでいく。

自分の体験をもとにする歌が
多かったんですけど

だんだん なくなっていきますもんね
そういうのもね。

そうすると そういった自分の…

いろんなものを開き始めた時期
っていうのが確実にありました。

やはり…

次第に みずからが求める理想郷を
歌で表現するようになっていく。

旅先のモロッコで見た美しい景色や

里山で出会った豊かな畑などに
インスピレーションを受けたUA。

自然や土着性を取り戻すことで
理想郷に たどりつけると考えた。

そして 東日本大震災をきっかけに

家族で沖縄に移住。

その自然に
ついに 求めていた世界を見つけたが…。

子どもたちは真っ裸で川で遊んで
暑いから お風呂代わり。

ハブとか いるわけですよ もちろん。
もう 蚊もすごい。

へっちゃらで遊んでて。

かつ 雪が降るみたいに
ホタルが光り始めて。

「何だ? ここ」って…。

「これ 日本なんだ!」っていう。

こんな所が パスポートもなく
来れるっていうことの現実に

衝撃を受けて。

強く。

そうなんです。 そのホタル…

桃源郷を見た翌日ですね。

…っていって
連れて行かれた場所が…

「ああ~…」って。
どうして こんな美しい所を

平気で壊そうとすることがあって…。

住んでる人たちの声を
聞かないっていう…

沖縄の抱える もう一つの現実を
目の当たりにしたUA。

歌よりも行動が重要と
抗議活動などに参加。

しばらく 歌作りから遠ざかってしまう。

何でしょうね… もしかしたら
疲れてたとも言えますね はっきり言って。

最後 歌が作れない自分というのに

本当に耐えられなくなって

出るわけなんですけれども しかし

その3年半っていうのは
もう本当に凝縮されて

自分も本気でトライしていた時間で
もう これが私のそのあとの人生を

がらりと価値観とかを変えてくれた
3年半だったので…。

その後 沖縄を離れ
2015年 夫の母国であるカナダに移住。

翌年 7年ぶりに
オリジナルアルバムをリリース。

太古の言葉や
母の故郷 奄美の言葉を使い

沖縄で抱いてきた思いを歌った。

伝えたかったのは
「愛」と「祈り」。

感情を
作品に昇華できたことで

UAは
次のステージへと向かう。

幸いなことに
場を移したことによって

すごく整理がついたようで。

「JaPo」という前作は
沖縄で思った 感じた思いを

全部 つづることができた作品には
なったんですね。

だから…

…っていうのは
よく起きてるかなとは思います。

なるほど。

やはり 何でしょうね…
内省するというよりは

新しいものに 自分…
旅の延長ですよね。

…日々が 3~4年は続くわけです。

森から枝を集めてきて
埋めてっていうようなことを

ず~っと やっていたので。

カナダでの暮らしは新しいことだらけ。

自分たちで小屋を建てたり
家畜の世話をしたり。

4人目の子どもが生まれてからは
毎日の暮らしで精いっぱい。

音楽で自己表現を追求する余裕は
なかった。

そんな中 響いてきたのは
ラジオから流れるポップソング。

子どもたちが楽しそうに口ずさむ様子に
つい 自分もつられている。

苦手だったポップスの力を
感じ始めたという。

そこで生まれたのが
今回の最新作。

テーマは
「UA流ポップミュージック」。

前作の 祈りを感じるような
ムードから一転

ふと口ずさみたくなる
キャッチーな曲ばかりだ。

沖縄から離れて「JaPo」が出来
そして 何か こう

カナダでの定着があったがゆえに

何か こう
日本のポップスっていうんですかね

そういうような
距離の取り方というか 受け入れが

次のステップになっていったという
感じなんですか? そうなんです。

そういった… 何でしょうね…

何か こう 神聖とか…

でも 「JaPo」という作品…

沖縄での そういった
耐えた時間とかトライした時間 あって。

それで カナダに行って ようやく

いろんな 自分の理想の形っていうのが
形づいてきたところで。

本当 何か… 何でしょうね…

そのときに やっぱり…

もう いいか! っていうね…

今回のUAさんのアルバムは…

止まってみようよ
っていうんですかね。

そして 少しずつ 少しずつ
歩みを進めていこう。

何か こういう グラジュアルな世界
っていうんですかね。

そこに こう 今…

UAさんは立っていらっしゃるのかな
と思ったんですが。

すごく面白いなと思ったのは…

今回のUAさんの楽曲って

宮崎 駿の中でも 何かね…

結局のところ…

そういう感じで
いらっしゃるのかなと…。

実を言うと 本当 最近に
3巻ぐらいまで

子どもたちに読み聞かせをしてたのが
「魔女の宅急便」で

あの映画の先にも お話が ずっと
続くんですよね 彼女が成長するまでの。

本当 面白いですよね。

空想的であって
もう 本当 頑張り屋さんでね。

地に足つけて 魔女なのに。
そうそう… そうなんですよね。

だから…

…っていうのが
僕 あの物語が すごく好きで。

何か UAさんも あの「魔女の宅急便」の
感じなのかなと思ったりしました。