こころの時代~宗教・人生~「私のガリラヤを生きる」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

こころの時代~宗教・人生~「私のガリラヤを生きる」[字]

イエスが苦境にある人々を救おうと赴いた辺境の地、ガリラヤ。日本の入管行政の狭間などで人として存在を軽んじられた外国人困窮者のために奔走する聖職者、半世紀の歩み

詳細情報
番組内容
40年にわたり、日本に暮らす外国人困窮者のいのちを守る活動を続けてきた長澤正隆さん。難民申請が認められず心を病んだ人、労働現場で深刻な病や大けがを負った人など、日本の入管行政や産業構造の狭間で存在を軽んじられた人のために奔走してきた。その歩みを支えたのは、「ガリラヤ」という辺境の地で虐げられた人のために生きたイエスの姿。北海道の炭鉱町に生まれ、幼少期から貧しき人々のいのちを見つめてきた半生を聞く。
出演者
【出演】外国人困窮者支援・カトリック終身助祭…長澤正隆,【語り】中條誠子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉

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♬~

今 立ってられる?

ミサに集うのは
日本に暮らす外国人たちです。

ここに毎週やって来る日本人がいます。

その時 イエスは 弟子たちに言われた。

外国からやって来た人たちのために
設立された教会で

司祭を補佐する「助祭」を務めています。

(英語の説教)

集まる人の国籍は フィリピンや
ベトナム 南米など さまざま。

その多くは 茨城 栃木 群馬などで
製造業や農業に携わっています。

もともとサラリーマンだった長澤さんは
聖職者になる以前から

生活に困窮する外国人の支援を
40年にわたって続けてきました。

長澤さんは 聖書に登場する
「ガリラヤ」という名の地で

虐げられた人たちのために生きた
イエスの姿を道しるべにしています。

貧困と病気と まあ悩ましい
いろんな問題を抱えてる人たちが

聖書の中には多かったと言われている。

そういった人たちのところに
イエスは こう 回って歩いて…

私たちは その地域の中で
困っている人たちを支えている。

それを… 私たちは行って
一年中 あっち行って こっち行って

健康診断やって 病気の人を癒やす
もしくは治す。 そういう作業をしている。

これが一つの…

戦後の日本が
高度経済成長を遂げるとともに

工業地帯が広がった北関東。

大企業の下請け工場などが集まり

多くの外国人が 労働者として
やって来ました。

この地域を中心に 長澤さんが
四半世紀にわたり続けてきた

外国人のための「医療相談会」があります。

おはようございます。
(スタッフたち)おはようございます。

北関東医療相談会 長澤といいます。

長澤さんは NPO「北関東医療相談会」の
事務局長を務めています。

ボランティアの通訳や
医師 看護師 弁護士たちの力を借り

毎年3~4回ほどのペースで
開催しています。

この日 群馬県太田市の会場には

関東一円から
およそ70人の外国人が訪れました。

多くは 在留資格のない
「非正規滞在者」と呼ばれる人たち。

国民健康保険に入れないため

病気やけがの時でも
病院を受診することが困難です。

(通訳)

働くことや 病院にかかることが
できない人たちのために

長澤さんたちが奔走して集めた
寄付や助成金から

生活費と交通費の支給も行われました。

(スタッフ)じゃ これ大事なんでね。

はい ありがとうございま~す。
気をつけて行かれて下さい。

相談会には 直ちに治療が必要な症状を
訴える人も やって来ます。

(男性)そう 病気になって。

え~ これはあれだ…。

(通訳)

(男性)どうぞ。

長澤さんたちは
治療費を肩代わりしたり

無料で診察してくれる病院を探して
同行したりする活動を続けています。

(医師)もしもし。

(医師)はい 分かりました。

(病院)よろしいですか? お待ち下さい。
(医師)はい。

病気の他に 経済的にもままならない
お金のないのも ままならない。

おまけに住む所もままならない。

まあ いわゆる人生の中の
三重苦みたいな状態になる人の痛み。

何か1つだけでも きちっと取ってあげる
ことができればいいなと思った時には

一番重要なのは やっぱり
健康じゃないかなと 改めて思って。

やっぱり こだわるのは

やっぱり 病気で命は… なくすのは
ちょっと気の毒じゃない? って。

保険がなければ
自分たちが担保するような形を作って

命を長らえさせるというのが
やっぱり一つの使命かな

というふうに思うわけですね。

長澤さんは 日頃
埼玉を拠点に支援活動を続けています。

おはようございます。
(取材者)よろしくお願いします。

関東全域にアクセスしやすい
この場所に 事務所を構えました。

団体の通称は 「友達」を意味する「AMIGOS」。

「同じ地で ともに生きる仲間」
という思いを込めました。

あっ ここ トマトは
入ってない?

長澤さんたちは 医療だけでなく
食料の支援も行っています。

食費や交通費もままならない
外国人困窮者 およそ100世帯に

月に1回 食料や生活必需品を
発送しています。

かしこまりました。

発送の指揮を執るのは 妻の和子さん。

看護師として働きながら
長澤さんの活動を支えてきました。

いや… 私なんて
定年退職したあとは もう少し

なんか 気が楽かなっていう
思いもあったんですけど

なんか きちんと働いていた
常勤で生活をしていた時とは

はるかに なんか

ブラック企業みたい…。
ハハハハハ…。

でも やっぱり
生活困窮されている人っていうのは…

(チャイム)
失礼しま~す。

こんにちは。
こんにちは~。

いつもお世話になってます。
いいえ。 どうぞどうぞ。

今日よろしくお願いします。
はい。 失礼します。

長澤さんたちが
休みなく働かざるをえない背景には

外国人が置かれている
日本社会の厳しさがあります。

ああ…。
やっぱり その…

えっ そうなの?
たまに うん。

この日 相談に訪れたのは
イラン出身のサファリさん。

重いうつ病を患ったため 弁護士を通じて
長澤さんのもとに やって来ました。

うつのほうは もう大体 落ち着いた?

うつは この前 まだ
先月 先生のところ行ったら

やっぱり今の状態が
はっきりしないと

多分 その… 改善しないとか
話 してたので。

今の状態っていうのは?

よくなる可能性はないので… って。
そっか。

サファリさんは 53歳。

30年前 イランを離れ
日本にやって来ました。

母国での自由を奪われる つらい体験が
その理由だったと語ります。

まあ 昔は やっぱり… その…。

拷問に遭ったり… まあ いろいろ
あるんですけど やっぱりね

ちょっと言えない部分もありますので
申し訳ないですけど。

まあ帰れない。 もちろん。

帰ったら ちょっとね… よくないから。
よくないこと 起きるので。 はい。

サファリさんは 1991年 観光ビザで来日。

当時の日本は 労働力が不足し
多くの外国人が押し寄せていました。

サファリさんも また
建設現場で働きました。

空前のバブル景気に沸いた1980年代後半。

日本では 労働力を確保しようと

就業資格のない外国人を
雇う現場もありました。

ビザが切れたあとも
サファリさんは 働き続けました。

しかし1990年代に入り バブル経済は崩壊。

非正規滞在者の雇用を厳罰化する
入管法の改定を受けて

不法就労に対する取締りが
厳しくなります。

来日してから19年間
建設現場で働いていたサファリさんは

2010年に逮捕されました。

そして 東京・品川にある入管

出入国在留管理局の施設に収容。

母国に帰れないとして帰国を拒むと
茨城県牛久市の収容所に移されるなど

収容期間は
延べ4年半に及びました。

…はっきり言って。

収容中に重いうつ病を患った
サファリさんは

「仮放免」という制度によって
一時的に拘束を解かれました。

しかし「仮放免」で外に出られたとしても

就労が
禁止されているため

収入は得られません。

更に健康保険にも
入れないため

医療費は
10割負担になります。

母国に帰れば 命の危険があるとして
難民申請をしています。

しかし 日本の難民認定率は1%未満。

申請から10年が過ぎてもなお
認められていません。

いつ入管に再収容されるか分からない
「仮放免」の状態が続き

先が見えない不安を抱えています。

まあ1つあれば…。

日本人以外の永住資格などのある外国人に
準用される生活保護は

サファリさんのような外国人は
対象外とされています。

このような制度の在り方によって
苦しむ外国人の相談が 後を絶ちません。

すいません 助かりました。
また送りますよ。

よろしくお願いします。
ありがとうございました 今日は本当に。

一人一人を
ともに生きる者として助ける。

私が癒やしてあげようではなくて

ともに生きる者として 生きていこうと
励ますということになると思います。

それが 北関東医療相談会の
今まで やってきたことです。

長澤さんが 外国人を支援するように
なったのは 28歳の時でした。

社会の隅に追いやられる小さき人々と
関わり続ける人生。

その原点となったのは 少年時代でした。

長澤さんは 1954年 炭鉱産業でにぎわった
北海道美唄に生まれました。

♬~

炭鉱の町で ささやかに暮らす
家族を支えたのは

キリスト教の信仰でした。

父親のルーツは 山形県。
明治時代に北海道に移り住みました。

しかし 事業に失敗。
貧しさに あえいでいた時

農場の仕事を紹介し 救ってくれたのが
カトリックの修道院でした。

一家は キリスト教を
信仰するようになります。

長澤さんは 敬けんなクリスチャンだった
両親のもとで育ちました。

一人で歩いて 教会まで10キロぐらい

片道10キロの道を
一人で歩いて 行ったり来たりしてた。

そういう少年でした。

ちょっと変わっているかなって…
思っています。

そういう こう 階層の…

もともとの しっかり
構造的な差別はあったと思いますよ。

ただ子どもにとっては

分け隔てなく 私なんかは
遊ばせてもらったって記憶があります。

ただ ある日 その…
5月の連休の時 遊びに行ったら

「今日は お前とは一緒に
遊べないんだよ」って言われて

子どもながらに なんで? っていう話で。

「いや 今日はメーデーだからね。
労働者のお祭りなんだよ」と。

「だから町の子とは遊んじゃいけないの」
って同級生に言われて石を投げられてね。

子どもながらに線を引かれた。

傷ついていくわけですよね。

それって何なんだろうなと。
すごいショックだった。

これが 私のこういう問題に対しての
意識づけの最初なのかなと

思ったりもしたりしましたね。

長澤さんが少年時代を過ごした
美唄の町に変化が訪れたのは

1960年代のことでした。

国は 石炭から石油に
エネルギー政策を転換。

炭鉱が次々と閉山されていきます。

炭鉱での仕事をなくし 生活の糧を
失った人々は 困窮していきました。

で やっぱり だんだんだんだん
斜陽産業になっていって

新聞代を払うことすらできない
家とかありますね。

もう半年以上 払ってない
とかっていうのがあって

おばあさんと中学2年か3年の子がいる
うちだった。

テレビ1台しかなくてね ほか何にもない。

外国人労働者の今の家に
よく似てるんだよ。

で 行って 「すいません お金下さい」って
言っても 「お金ない」って。

「分かりました」って。
「また来ます」って帰ってって

こうだった ああだったって話をすると

「いいんだよ そういう家は」って。

「新聞で困らせることはしないように
しないといけない」って。

でも そうこうしてるうちに
そのうちの 中学生の子が

その おばあさんの首を絞めてね
捕まっちゃったんだよね。

貧しさのあまりなのか
何なのか分からないけど

自分のおばあさんの首を絞めて
捕まって少年院に行かされたって。

だから 父も
「追い詰めちゃだめ」って言ったのは

そういう関係とか
そういう環境にある人たちを

その程度のことで 請求して

問題 起こさせてはいけないという
配慮だったというふうに思いますね。

決して困っている人に対しては
冷たくはなかった。

だから私たちも そういう感覚は
育ったんだというふうに思います。

子どもたちの学費のために
働きづめだった父親のもと

地元 北海道の
酪農学園大学へ進んだ長澤さん。

卒業後は 埼玉県にある
食肉加工会社に就職しました。

食肉加工っていうのは 日本の産業の中で
低賃金で有名なところです。

食肉加工は そうでもないんだけども

食肉のほうは かなり いろんな
階層の人たちが働いてるっていうのは

よく分かります。

それなりに地域の中では 被差別のような
人がいたというふうに思います。

長澤さんは 会社で労働組合を組織し

労働条件の改善や サラ金に追われている
人の支援に取り組むようになりました。

一方 幼い頃からクリスチャンとして
育った長澤さんは

近くの教会にも通い続けていました。

25歳の時 同じ教会で知り合った
看護師の和子さんと結婚。

それを機に 教会のあった
群馬県太田市に移り住みます。

長澤さんは 教会で多くの外国人に
出会うようになります。

製造業が盛んになった
群馬県に

出稼ぎでやって来た人たちでした。

彼らとふれあう中で 外国人が労働現場で
強いられている過酷な現実を知ります。

長澤さんは 教会で出会う外国人の

労災や賃金未払いなどの
相談に乗るようになりました。

そんなある日 本格的に支援活動を目指す
きっかけとなった出来事が起こりました。

貧しさにあえぐ祖国の家族に
仕送りするため

フィリピンから出稼ぎに来ていた
40代の男性の死でした。

ショックというよりも

どうして ここまでほっとくのかな
ということのほうが ショックでしたね。

一人で死んでいく。

誰にも みとられることもなく。

誰も関わらないで
亡くなっていくっていうのは

あの時は ちょっと
私にはショックでしたよね。

家族のために日本に来て
仕送りしてたって聞いてたので

最期ぐらい 家族と会ってから
旅立ちたかったろうなと。

そもそも命は そんなに無造作にするもん
じゃないだろうになと思っていて。

だから その前に帰してあげることが

病院に連れてってあげるという作業が
できなかったものか ということが

ふつふつと湧くんですよね。

それが 私にとっては本当に…

そこのところが 一番つらいですよね。

フィリピン人男性の死から2年後。

長澤さんは 資金集めに奔走し

仲間とともに 外国人の命を守るための

「医療相談会」を
始めることを決意しました。

当時 自らを問うようにして
繰り返し読んだ聖書の一節があります。

イエスが 苦難の中にある人と
どう関わるべきかを説いた

「善いサマリア人」のたとえ。

旅の途中 強盗に襲われ

ひん死の重傷を負ったユダヤ人を

同じユダヤ人の祭司や
神殿に仕える者たちが

見て見ぬふりをして通り過ぎる中

ユダヤ人に差別されていた
サマリア人だけが

介抱して救ったという話です。

その最後は サマリア人を差別し
嫌っていたユダヤ人である

律法の専門家に向かって
イエスが語った言葉で閉じられます。

今考えてみると そんなこと
できないんじゃない? って

思うんだけども
それをイエス様は やりなさいと。

痛いところをつかれるなと
思うんだけども

それは 私たちの…
いつの間にか 理念になっていて

単純に…

私たちは ともすると
疲れちゃうと やめちゃうんですね。

あの… 同じですね。

しかし ずっと続けることの
大切さっていうのは 信仰にも似てて

宗教者の中でも こう続けて 祈り続ける。

祈り続けるという言葉に
代表されるように

こういう貧しい人たちと
対じする時には

どうしても疲れちゃうし
時々 諦めちゃう時もある。

だけども 諦めてもいいから
関わり続けると。

キリストの体。

キリストの体。

長澤さんは 次から次へと際限なく続く
外国人支援に取り組みながら

クリスチャンとしての信仰の
深い意味を探ろうとしました。

医療相談会を始めて9年。

教区の司教から
聖職者になる道に誘われます。

49歳でサラリーマンを退職し
3年後 助祭になりました。

しかし その使命感から

徐々に自身を
追い込んでいきました。

日中 教会関係の仕事を終えると
夜は 外国人の支援。

それが終わった深夜には
聖書の勉強に取り組みました。

睡眠が2~3時間という生活が続き
3年後 うつ病を発症しました。

1日1回 夕方 日の暮れたころに

3時半ごろから5時ぐらいの
本当に1時間ちょっと。

あれが一番つらいですよね。

その時は 家の中に閉じ籠もって
電気を消して 時が過ぎるのを待つ。

私は 電車に飛び込みたくなっちゃう。

(電車の走行音)

だから 電車の近くに行かなかった。

それが1か月半ぐらい…
40日 続いたんですかねえ。

暗闇に閉ざされた日々が続いた ある夜。

夢の中で 長澤さんは

自分に向かって こう語りかける
イエスと出会いました。

「私についてくるということが
どういうことか 教えてやろう」と。

それぐらい大変なことなんだ
ということを

もしかすると言ってるのかなと。

もしかすると そういうふうに
おっしゃってるのかもしれない。

私は あの… うつになった時にね

自分が病気になって…
大変だったわけですよね。

で 自分の病気のことで苦しむ。

それは 小さくされていく自分も
感じているわけですよ。

だから…

イエスの教えを実践していくことの
厳しさとともに

長澤さんの心に湧き上がってきたのは

どんな困難があっても
イエスが傍らにいるという実感でした。

やっぱり人間 弱いからね。

何でも すぐ つまずいちゃうから。

つまずいても 何しても

もう一回 やっていくということが
大切だっていう。

なぜって聞いたら

私の隣には 私たちの神がいる。

だから 安心して
一緒に歩きなさいって…

ということだと思う。

一人のフィリピン人男性の死から始まった
医療相談会。

群馬の相談会場には

次第に他県からも
相談者がやって来るようになりました。

それに導かれるように

会場を
栃木 埼玉 東京 茨城 千葉へと広げ

「動く病院」として 走り続けてきました。

相談会を重ねること63回。

それは 公的な支援を受けられず
日本社会が目を閉ざしてきた人たちから

「命の尊さ」を学ぶ 歩みでした。

フィリピンの男性の人が亡くなって

医療相談会 スタートして
2年ぐらいたった時に

こういう人がいたら
次は 亡くなる前に帰そうと。

すい臓がんの女性がいて

一生懸命やって
フィリピン帰したんですよね。

この人も 結局 フィリピンに帰ってから

2週間後に亡くなったのかな。

家族のコメントが
フィリピン領事館通じて 来たんですよ。

帰って2週間の間

娘とも会って
家族とも十分 時間とって…。

感謝しますって言われてね。

私は とってもうれしかった。 ほんとに。

ああ よかったなって。

まあ…。

生きてるうちにね…。

生きてるうちに家族に会って

20年 娘に会ってなくて
成長した娘に会って…

お互いに 別れを告げて
天に行ったんだと思うと…。

これが私の幸せだと思いましたね。

ああ… こういうことをやることも

命を守ることなんだって…。

今になってね 改めて

実感として こう 思いますよ。

だから 命を粗末にするような
今の制度については

やっぱり声を出して
守っていかなくちゃいけない。

どんなに小さくされて
制度を削られてって

もう機械的に削られていく。

日本の行政によって
削られていくことによって

命が削られていく。 それに対して
宗教をしてる者としてはね…。

人間の理屈だけじゃないんですよね。

神から もらった命を

そんなに削らなくたって
いいじゃないかって。

何の権利があって削るんだって…
言いたいですよね。

それが 私の やってることだと思う。

日本国憲法によれば

すべて国民は 健康で文化的な

最低限度の生活を営む権利を
保障されています。

一方 命を守る
セーフティーネットとしての生活保護は

在留外国人の場合
永住者などにしか準用されません。

そこから こぼれ落ちる人は
120万人を超えています。

母国に帰れない人の高齢化や
経済状況の悪化によって

外国人の健康は ますます脅かされ
深刻になっていると

長澤さんは 感じています。

入管の前に在留資格を求めて
延々と続く外国人の列。

長澤さんは 一人のベトナム人青年に
付き添っていました。

(通訳)

6年前 技能実習生として来日した
クインさん。

技能実習ビザから
コロナ禍で国が特例として出した

短期滞在90日のビザに切り替えたあとに

命に関わる腎臓の病気が発覚しました。

健康保険が使えないため クインさんは
既に300万円近くを借金し

治療に関わる費用を
支払い続けてきました。

長澤さんは この日

健康保険が適用される
在留資格を取ることができないか

入管に掛け合いました。

4時間に及んだ交渉。

しかし 健康保険が適用される

在留資格を得る見込みは
立ちませんでした。

長澤さんは 助成金の申請や
市民からの寄付を募り

治療費を可能なかぎり
受け持つことにしました。

こういう状態を 私たちが…

私たちは それこそ見逃してはならないと。

国が困ってる人を
見て見ぬふりをしていた時に

やはり 声をかけていかないといけないと。
訴えていかなくちゃいけない。

声に出せない人の代わりに
声を出す。 訴える。

こういう作業が やっぱり
必要ではないかと思います。

人々の罪を背負い
十字架にかけられたイエス。

その死後 イエスが葬られたところを
訪ねた人たちは

そこに座っている
白い衣をまとった天使と出会います。

天使は言いました。

「あの方は あなたがたより先に
ガリラヤへ行かれる。

かねて言われたとおり
そこで お目にかかれる」。

作り上げていくことが できている。

まあ もちろん足りないところが
いっぱいあるし

いくつになっても変わらないところも
いっぱいあるし。

だけども そのことだけではなくて

貧しい人たちとともに こう 生きてる。

その人と ともに生きていくことで

私自身の心が
耕されていくんではないかなと。

自分が関わってる人と
ともに生きていて喜んでいる

私が喜んでいる。 彼も喜んでる。

まあ 今風で言えば
Win-Winって言うんですかね。

まあ 私も喜んで 彼も喜んで

私も泣いて 彼も泣く。

そういう関係が
私が続いていける関係なのかな。

今は できないけども

あした 何かできることが
あるかもしれない… という考え方で

ずっと関わってる。

あしたが だめだったら
あさってに かけてみよう。

ずっと この連続でした。

だから それで 私の神に頼む心も

耕されて 出来上がって…
いってるような気がするんですね。

時折 説教…。

こんなこと言っていいのかな。
よく分かんないけど。

説教台で説教するでしょ。

そうするとね この辺にね
イエスが出てきてね

ポンと出てきてね 2人で話すんですよね。

それは 他の人には見えない。

それが… ほんとに楽しみ。

突然 「うん?」って。

ともにいるイエスとともに

貧しい人のところに行って

イエスだって 今日できなかったことを
私の責任にはしないし

俺が悪かったとも言わない。

だから あした また2人で
頑張りましょうねっていう

結論かな。 ハハハ…。

♬~

始まりました 「タンカツ」!