こころの時代~宗教・人生~ 無宗教からの扉(6)「慈悲の実践」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

こころの時代~宗教・人生~ 無宗教からの扉(6)「慈悲の実践」[字]

遠藤周作や三木清など多くの作家や哲学者が愛読してきた「歎異抄」。日本人の多くが自らを”無宗教”だとする現代、そのメッセージをシリーズ6回に渡り読み解く最終回。

詳細情報
番組内容
「歎異抄」に流れる法然・親鸞の教えの核心である「慈悲」。それはどう実践されうるのか。阿満さんはその思想を支えているのは第6条などに登場する絶対平等主義だとする。それゆえにその教えは、階級社会的秩序を求める政治権力と否応なく対じせざるを得ず、それが「歎異抄」の付録にある法然・親鸞の「流罪の記録」と結びつく。さらに明治期“大逆事件”に連座し絶命した和歌山新宮の僧侶・高木顕明の生き方を道標に考えてゆく。
出演者
【講師】明治学院大学名誉教授宗教学者…阿満利麿,【語り】髙橋美鈴,【朗読】糸井羊司,井上二郎

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉

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「歎異抄」は 700年以上前に書かれた
仏教の古典です。

そこに流れているのは

阿弥陀仏が かつて全ての人を救おうと
立てた願い 「本願」に基づき

阿弥陀仏の名を称えるだけで
皆が浄土に導かれるとした

「本願念仏」の思想。

法然によって説かれた その教えは

親鸞らによって受け継がれました。

「歎異抄」は その親鸞の言葉を

門弟となった唯円という人物が
正しく伝えようと書き残した書物です。

鎌倉時代
疫病や戦乱 飢饉に苦しむ人々の間で

燎原の火のごとく広がった
本願念仏の教えは

1207年 時の権力者による
激しい弾圧を受けました。

京都・鴨川で
法然門下の僧が斬首により死刑。

法然や親鸞もまた
僧籍を剥奪され 流罪の身となります。

この出来事は 法然・親鸞らが説く

「慈悲」の教えに深い関係がありました。

あらゆる人を差別なく救おうとする
「慈悲」の根底にあったのは

絶対平等の思想…

宗教学者の阿満利麿さんは
そう考えています。

「歎異抄にであう 無宗教からの扉」
第6回。

シリーズ最終回となる今日は

仏教が目指す究極の実践
「慈悲」に焦点を当てます。

♬~

今日は
「慈悲の実践」ということですけれども

仏教というのは ひと言で言えば
慈悲の宗教ですね。

なぜ慈悲というのを
それほど強調するのかというと

慈悲ということが強調される背景に
我々の在り方が検討されていると。

そこは 大事なポイントではないかと
思うんですね。

そういう「慈悲」を 「歎異抄」は

どういうふうに
説明しているのかということを

今日は見ていきたいと思っております。

普通に日常語で「慈悲」というと

「思いやり」とか「慈しみ」とか

そういう意味合いで
使われているんだと思いますね。

その「思いやり」というのは 私が
見るところ それは「私が中心」なんです。

どこまでも私が中心で

で 私が困ってる人に
こう 手を差し向けると。

で 私の意識が いつもあってですね

で もっと言えば 私の都合が悪くなると
手を差し伸べることができないと。

私の この都合で こう左右されるという

そういう面が
思いやりの中にあると思うんですね。

で それに比べて「慈悲」というのは

苦しんでいる人の立場に身を置けと

つまり 自分の立場ではなくて
相手の人の立場に立ちなさいと。

しかし それは難しいことなんですよね。

だんだん年取ってまいりますとね
あちこち具合が悪くなって

他人様のお世話になるということになって
初めて

人間というのは一人で
生きられないもんなんだなという

実感をするようになってきているんです。

しかし 若い時はですね 人生というのは
自分の力で切り開くもんだと。

また自己実現なんて言葉がありましてね。

なんか自分一人の力で生ききれるように
思い込んでいたということを

最近 よく感じるんですけれども。

なぜ そういう思い込みが生じたのか。

振り返ってみると 私の中に やっぱり

大きくて
強い自我が こう頑張っていたんですね。

で 自我は いつでも

自分のことしか考えてないんですよね。

ですから 物事は うまくいかなくなると
大体 あの

あれは あの人のせいだと
こう思うんですね。

また 環境が悪い 条件が整わないから

うまくいかないんだというふうに
思い込んでですね

自分の手に負えないことが起こると
まあ それは なんか

ないことにしておこう
というふうなことにも なりがちなんです。

しかし やはり私たちは本当に独立不変の
存在なのかと こう考えてみると

さまざまな因果が交錯している

巨大な網の中の一つの結び目にしか
すぎないんだなということも

だんだんと まあ 分かってくる。

つまり 人間を関係の中で見るという

それは実は
仏教の基本的なスタンスなんですね。

私を含む網全体が救われないことには
私の苦しみは解決しないと。

つまり
一人だけの救いというのは ありえないと。

そういうことを
仏教は教えるんだと思いますね。

ですからこそ
仏教が「慈悲の実践」ということを

この目的とすると。

実は そういうことを
仏教が言うということは

苦しみの根本というものを見定める智慧が
不可欠だということを

前提にしてるんですね。

相手の立場に立てるということは
相手が どういう その 条件が重なって

今の苦しみが生じているのかが分かる
そういう智慧があると。

その苦しみの根本を見定める智慧
というものを前提にして

慈悲というものが成立してると。

その智慧を手にするということは
仏教の大きな この課題になるわけですね。

ですから その 思いやりと一番違う点は
そういう智慧を前提にして

慈悲というのが成立していると
そこが大きなポイントだと思いますね。

で 具体的に じゃあ その 「歎異抄」の
中では その智慧ということについて

どういうふうな説明をしているか
ということになるんですが

現実にですね 思うように人々を
助け遂げるということはできないという

苦しみを前提にして 実は「歎異抄」の
第四条というものは生まれている。

「慈悲」を どう考えるか…。

「歎異抄」 第四条では

修行により
自力で悟りに至る「聖道門」という道と

阿弥陀仏の他力に頼る

「浄土門」の道を比べて こう説かれます。

「慈悲に関して言うならば
従来の仏教の教えから

浄土門の教えに
移らざるを得ない

節目の自覚というものが
あります」。

「従来の仏教が教える慈悲
聖道の慈悲とは

人に同情し 人をいとおしみ
人を慈しむことであります。

しかし 思いどおりに
人を助け遂げることは

きわめて困難なことです」。

「それに比べると 浄土の慈悲とは
念仏して速やかに仏になり

仏の慈悲心をもって思いどおりに
人々を助けることを言うのです」。

「この世で どんなに いとおしい
かわいそうだと思っても

思いどおりに助け通すことが
難しいので

そうした慈悲は一貫しないのです」。

「そういう思いに至ると

念仏することだけが
一貫した慈悲心となるのです」。

第四条の中で一番大切なことは
この原文で言いますと

「かはりめ」という言葉なんですね。

…と こういうふうに書いてあります。

両方とも悟りを目指すという点では

共通してるわけです。

例えで言うならば 海の中で
暖流と寒流があるというふうなですね

こう ず~っと暖流を こう横切ってきて
あるところから寒流に変わると。

しかし 全体は海であることには
変わりがないわけですね。

で 同じように慈悲もですね
慈悲を実践していると あるところから

この聖道の慈悲の限界があって
気が付くと浄土の慈悲に こう

強い共感を覚えてるという
そういう移り変わりなんですね。

ですから
私たちの日常的な暮らしの中で

人に対する思いやりとか同情というのは
長続きしないんですよ。

もう これは
もう どうしようもないことですね。

そして ひどくなると
燃え尽き現象まで生じてしまって。

しかしね 我々は不思議なことに

この同情が挫折したり
あるいは燃えついたりしても

どこかでですね なんか諦めきれない。

その人に対する思いやりの気持ちは
依然として どこかで こう残っていると。

で その挫折をして自分の中で
なんとかしたいという気持ち

それを ここでは
「かはりめ」と言ってるんですね。

しかし 浄土の慈悲というのは
死んでから お浄土に行くという

そこで手にする慈悲のことでしょう。

これがね なかなか壁なんですよ。

生きている間の話に
どう つながるんですかと。

ここが あの やっぱり分かんないと

浄土の慈悲を自分のものにしようという
意欲は わいてこないですね。

「歎異抄」では 最後に…

…いうふうに念仏が一番
末通った大慈悲心だという

そういう説明はありますけれども。

浄土の慈悲というのは
具体的には

念仏をするということなんですよ。

念仏の実践の中で感じるものなんですね。

念仏の実践を踏まえていないと それは
単なる その おとぎ話の延長でしかない。

実際に その
無宗教的な人間の立場からしますと

念仏を称えることで
自分が あの… あの世に行って

早く その浄土に生まれることによって
救われるんだという発想になりますと

現実で今 私どもが見ている
苦しみや助けが必要な世の中でですね

あの 実際 それ
手を下さなくていいのかと。

実際 その結び目として助け合わなくて
いいのかっていう発想っていうのが

どうしても こう疑問として
生まれてくると思うんですが。

それについては いかがですか。
それはね

あの 実は この第四条を読んでですね
誤解する人は少なくなかったんですね。

浄土の慈悲
というのは具体的には念仏することだと。

そうすると念仏だけ
していればいいんじゃないですかと。

現実が どうであってもね

それは あの まあ 悲しいことだけど

まあ 目をつぶっていきましょうと。

で それが もっと
進むとね あの

現実に対する
はたらきかけなんか要らないんだと。

そういう誤解にまで なるわけですね。

で 私が その
若い時 1960年代のベトナム戦争の時に

お坊さんたちもですね ベトナムに平和を
というデモなんかに繰り出してですね

いろいろ活動されました。

で それを見ていた その
ある高名な仏教学者がですね

あの連中は何してるんだと。

念仏以外 なんの不足があって

ああいう行為を
するんだというふうなことを

おっしゃったんですよね。

私は もう愕然としましたよ。

この第四条を念仏することしかないんだ
というふうに限定してしまわれて

その念仏が阿弥陀仏のはたらきで
その人間を 称名する人間を

更に突き動かす力があるんだ
というふうなところまで

見ておられないというところが とても
私は不満だったですね。 つまり不作為。

その 仏教者が何もしなくてもいいという
不作為の言い訳としてですね

この第四条が使われるということが
しばしば あったんですね。

ひょっとしたら
今も あるかもしれませんよ。

ですから
私は もう この第四条を理解する時には

念仏とは何かということが

ちゃんと分かっているということが

大前提だと思うんですね。

それは阿弥陀仏という仏はですね

南無阿弥陀仏という名前になってる。

で その名号を口で称えると
阿弥陀仏は私の中で はたらくと。

ですから
称名をするという行為自身の中から

阿弥陀の
慈悲が少し あふれ出ることもあると。

それが生きている私たちに
浄土の慈悲が持つ意味なんですね。

その 阿弥陀仏によって与えられた念仏を
称える時に

それは人を行動へも
突き動かす力になるという

具体的に そういうことでしょうか。
そうです そうです。

一人一人が念仏をするという
その念仏をするという行為の中で

その人に現れてくる
その人に個有の この慈悲の現れ方

それが浄土の慈悲というものだと
思いますね。

で 「歎異抄」のですね 第十四条には
こういう阿弥陀の慈悲が

私から あふれ出てくることがあると
いうことを述べている箇所がありますね。

「私たちは
阿弥陀仏の誓願の力によって

阿弥陀仏の名を一度 称えようと
思い立った そのときに

あたかもダイヤモンドのような
堅固な信心を得ることができるのであり

その信心を手にすると

阿弥陀仏は必ず悟りに
至ることができるという

位に
迎え取ってくださって

私たちは死ぬとただちに

もろもろの煩悩や仏道の
妨げになることが転じて

悟りの境涯に入ることが
できるからなのです」。

念仏をするようになると
阿弥陀仏の金剛の信心

ダイヤモンドのように固い信心が
私の中に この 伝えられてくると。

この場合の信心というのは
信心という意味です。

つまり 称名をすると

我々の心の中にも少しずつ
変化が生じてくるということを

実は言外に これ含んでるんですね。

阿弥陀仏の心がですね 念仏を通して
私の中に 蓄積されてきて

時に あふれ出ることがある
ということについて

親鸞はですね 少なくとも2つの智慧が

我々 凡夫の間にも生まれてくる
というふうなことを述べています。

一つはですね その

自分と他人とを平等に観るということが
できるようになると。

いつも自分中心であった
そういう度合いがですね

自分中心の度合いが少し弱くなって

相手のことに
その関心が相当 動くようになる。

2つ目はですね 人と人との違い
ということが分かってくると。

それぞれ異なった宿業を背負って
今あるというふうなことは

少し分かるようになってくると。

人と人とは違うんだと。

ということは 人を自分の考えどおりに
動かそうとか いうふうなことは

ありえないというふうなことに
気が付くということなんでしょう。

念仏を私が
口にすると阿弥陀が私の中ではたらいて

私を生きてる間にですね

私を少々
慈悲に向かわせる力を生み出すと。

ですから 念仏が私たちを慈悲へ向けて

後押しをするというふうに
説明できるんですけど

念仏は単に浄土に行くための手段だと
いうふうにしか考えてないと

それは あの 念仏から何か慈悲心が

その あふれて出てくるという発想は
起こらないですよ。

で このことは 明治以降ですね
この「歎異抄」を再発見した清沢満之が

「念仏というのは阿弥陀仏の
慈悲を伝える導きの器である」。 導器。

「阿弥陀仏の慈悲を導いてくれる
器である」という

そういう表現をしてるんですよ。

ですからね 従来の説明は

阿弥陀仏というのがあって
で 我々があって

実は その間は念仏という一点で

その2つが結ばれてるという説明が
なかったんですよね。

ですから 念仏はせいぜい
浄土に生まれるための

死後 助かるための
まあ 呪文とまでは言いませんが

そういう言葉としてしか
受け止められてない。

だから 念仏というものが
阿弥陀仏の名前になって

そして我々との接点を持ってるという
その一点ですね。

つまり 阿弥陀仏を
私との間の連続性っていうか

それを保証しているのは念仏だと。

だから念仏は
その慈悲の実践とは無関係だという

そういうことは ありえない。
そこは ポイントだと思いますね。

で 私は ここで法然上人が
なぜ「本願念仏」という教えを

主張されなければならなかったのか
ということを

もう一度 思い起こしたいと思うんですね。

法然という人は 全ての人が例外なく
仏になる方法を求めて

本願念仏にと まあ 至った方ですね。

だから法然上人の心の中には

例外なく一切の人が
救われるという つまり平等ですね。

その本願念仏は そういう意味では
我々に絶対の平等をもたらすんですね。

そういうことを思い起こしたうえで

慈悲ということを考える必要があると
思うんですね。

その表現の一つがですね

「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」
という そういう表現ですよ。

で なぜ親鸞は
弟子一人も持たないのかと。

たくさんのお弟子がいるじゃないか。

しかし親鸞にとっては
お弟子じゃないわけですね。

「同朋」 仲間なんですね。

で なぜかというと
念仏というのは

阿弥陀が 全ての人間に平等に
その 与えたものですね。

ですから この あるその宗教的真理とか
教えとかいうものを

特別の人が独占していてですね

その教えや真理を知ってる人は
たった一人であると。

で 他の人は全部
それに付き従えばいいんですと

そういう発想は仏教じゃないわけです。

阿弥陀からもらった信心を

念仏を通じて等しく全ての人が

同じように手にできているという

その平等さ 平等性ですね。

で しかしですね こういう本願念仏が
もたらした平等観というものが

だんだん広まっていきますとね
面白くない人が出てくるんですよ。

それは権力者です。

権力者というのはですね
いつの時代でも

現存のその組織とか体制とかというものを
差別によって維持しているわけですね。

秩序とかいうものは
差別があって初めて成立するので

そういう差別を前提にして
権力というのは 成り立ってるわけですね。

そういう人にとっては

本願念仏が人に平等を教えるなんてことは
けしからんことになるわけですよ。

その あげくの果てが
「歎異抄」の中に一番最後にですね

「流罪の記録」というものが
付いておりますね。

「歎異抄」の末尾に
付録として登場する「流罪の記録」。

そこには 法然・親鸞らが受けた
弾圧の経緯が克明に記されています。

「後鳥羽院の時代

法然聖人の本願念仏宗が
盛んであったが

ときに 興福寺の僧侶が

本願念仏宗を仏教の敵として
朝廷に訴え出た」。

「加えて 弟子の中に
狼藉に及んだ者がいるという風評が立ち

事実無根の風評だけで
罪科に処せられた人々がいた」。

「一 法然聖人と
御弟子七人が流罪。

また御弟子四人が死刑」。

「法然聖人は
土佐の国番田という所へ流罪。

罪人としての名は 藤井元彦。

年齢は七十六歳」。

「親鸞は 越後の国へ流罪。

罪人としての名は 藤井善信。

年齢は三十五歳」。

政治権力と結び付いた旧来の仏教勢力とは
異なる立場から

法然・親鸞らが説いた絶対平等の教えは

皇室を頂点とする秩序への
挑戦と見なされたのです。

親鸞が 90歳で この世を去るまで
推敲を重ねたとされる「教行信証」。

その終わりには 自らの人生を変えた
権力の横暴を記した箇所が

最後まで削除されずに残されています。

「上皇や天皇とその家臣らは
法に背き

道義に反して怒りをあらわにし
恨みを抱いた。

このため 真の仏教を興した
祖師・法然と門弟数人は

量刑の手続きもなく
無闇やたらと死罪にされたのである」。

「あるいは 僧籍を剥奪され
俗名を与えられて 流罪にされた。

私も その一人である。

で あれば 私はもはや僧侶でもなく
俗人でもない。

ゆえに『禿』の字をもって
自分の姓としたのである」。

死刑というようなものは 当時

数百年にわたって
なされてこなかったというんですね。

しかし 死刑執行がなされている。

で 更に俗なる名前を与えて つまり

僧侶から普通の人間に身分を変えたうえで
流刑というものにしてるわけですね。

もちろん理屈としてはね
当時 法然上人の仏教が広まり始めて

古い仏教の代表である
奈良の興福寺の人たちが

法然の仏教は あれは仏教じゃないから

早くあんなもの やめさせろということを
朝廷に願い出たりしてる。

で そういうことに応えるということを
名目にして

流刑 死罪というものは
行われるんだけど

実は その後鳥羽という人は
熊野詣に行って 留守の間にですね

死刑になった その僧侶たちが催す法要に
後鳥羽に仕えていた女房たちがですね

それに参加して それにとても感激して
中にはですね

尼さんにまでなっちゃった
というふうなこともあってですね。

で 後鳥羽は どうもその自分の御所の
女房たちが 死刑になった僧侶たちと

情交を交わしたのではないかというふうな
誤解までしてですね。

まあ いわば でっちあげで 腹いせで
命令を下したということですね。

ですから 親鸞は猛烈に怒るわけですよ。

で この「歎異抄」にはですね
この付録 この「流罪の記録」

なぜ こういう記録が付いているのか。

私の解釈ではですね

「本願念仏がもたらす平等というものに
生きていくと

必ず権力者とぶつかりますよ」と。

「その平等に生きる人を弾圧してきますよ」
ということを

まあ いわば予言の書としてね
付けておかれたんではないかと。

と 私は深読みをするわけですね。

つまり それほどに
本願念仏のもたらす平等というのは

人間を 突き動かしてですね
新しい社会をつくる

一つのエネルギーにまでね なっていく
そういうものだと思いますね。

だからですね 本願念仏を
13世紀の段階で 誰が喜んだかというと

差別や疎外されていた人々ですよ。

で それは「歎異抄」の第十三条に
その一端がちょっと出ていますね。

第十三条の中にですね…

「田畠」 田畑ですね…

「ただおなじこと」というのは
本願の前では

職業の別は問題にならない
という意味で ただ同じこと。

そういう言葉があります。

当時の生産の現場の最先端に立って

人々の暮らしを
支えていたにもかかわらず

当時の社会では 差別を受けていたと。

そういう人々は
一番 本願念仏を喜んだわけですね。

ですから そういう善悪とか 年齢とか
男女の性別の違いとか 職業の違いとか

そういう現実の差別というものを

一切 超越したところに
その本願念仏というのは成立していると。

その本願念仏が 我々にもたらした
平等というものの価値は

これは大したものだと思いますね。

これは後に やはりその
平等の意識に立って

日本社会に このゆがみを
正そうというふうな人が現れてくる

そういう根拠にも
なるわけですね。

明治時代 この地で

阿弥陀仏の本願念仏の
思想に基づき

被差別部落の解放に尽くし

日露戦争へと流れる世の風潮に
あらがった僧侶がいました。

こういうお写真ですね。

顕明さん自体の写真というのは
恐らくないと思いますね。

私も見たことありません はい。

ふるさと愛知県から
33歳の時 新宮に来て

淨泉寺の住職と
なりました。

後に明治天皇の暗殺を謀ったとされる

いわゆる「大逆事件」で無実の罪に問われ

獄中で この世を去った
浄土真宗の僧侶です。

顕明さんが ここへ来た時には
電球一つもないような状態で

大変ひどい 荒れてたような状態の中で
高木さんは来られたみたいですけどね。

親友だった新宮教会の牧師

沖野岩三郎が伝えたところによれば

顕明は初めて訪ねた
被差別部落の門徒の家で

出迎えた家族の様子におののいています。

娘の首筋は垢にまみれ
手や爪は汚れていました。

出された握り飯も ところどころ黒ずみ

顕明は泣かんばかりに

一口ずつ念仏を称えながら
飲み込んだといいます。

「自分の中には
ぬぐいがたい差別の心が宿っている」。

この体験は 顕明が自らを厳しく見つめる
原点となりました。

以来 顕明は 彼ら門徒から
お布施を取って生活などできないと

自ら按摩の技術を学んで働き
寺の生計を立てました。

やがて 新宮に遊郭を誘致する動きが
起きると

貧しさゆえに身売りされる女性たちを
看過できないとして反対の声をあげます。

1904年 日露戦争が始まると

当時の仏教界は
こぞって戦争に加担しました。

顕明が属する真宗大谷派も
宗報の号外を発行。

「帝国臣民の義務を
尽くすのは

念仏者の本分」だ
として

人々を
鼓舞しています。

それは 新宮の町にも及びました。

周囲の寺の僧侶は 戦勝祈願の法要を
合同で行いましたが

顕明は ただ一人 参加を拒否しました。

それまで僧侶たちが集まって行われていた
軍人の供養にも 顕明は招かれなくなり

非国民として疎外され
孤立してゆきました。

そんな顕明を支えたのは

遊郭の誘致や戦争に
同じく反対して仲間となった

キリスト教の牧師や
医者 文化人たちでした。

身分や貧富による差別がはびこる
世の中を変えようと

社会主義に心を寄せる彼らとの交流が

顕明のその後の人生に
影を落としてゆきます。

1910年。

街から離れた熊野川沿いの
炭鉱労働者たちを訪ねた直後

顕明は 家宅捜索を受けました。

容疑は 天皇に対する反逆の罪でした。

その時の押収品の中に

日露戦争開戦の年
顕明がつづった

唯一の論文がありました。

原本が失われたその書に

顕明の言動を支えた根拠が
記されています。

逮捕後の裁判は 控訴を認めない一審即決。

顕明は 社会主義者・幸徳秋水ら23人と共に
死刑を宣告されます。

真宗大谷派も 顕明の僧籍を剥奪し

最も重い処分 永久追放にあたる「擯斥」に
処すると通達しました。

12人の死刑が執行される中
無期懲役に減刑された顕明は

秋田刑務所に収監され

3年後 獄中で自らの命を絶ちました。

満50歳になったばかりの初夏の頃でした。

高木顕明はですね この
「今の社会は闇夜の世界である」と。

闇夜というのは 具体的には
どういうことかというと

彼の書いたものを
少し紹介するとですね

その名誉と社会的地位
勲章のために

平民を犠牲として
平然としている社会。

これ 1つですね。
2つ目に彼が挙げるのは

投機事業の名の下にですね

少数人間の利益のために
平民が苦しめられている社会。

3つ目はですね 金持ちのために
貧しい者が獣扱いされている社会。

4つ目はですね
飢えのために 雨に打たれる子ども。

子どもが雨に打たれている
操を売る女性がいる そういう社会。

5つ目はですね 多くの人々を

翫弄物としてしか見ず

人々を迫害 苦役して

自らそれを快とする 喜びとする

そういう金持ちとか官僚たちが

横行している社会と。

これが闇夜の社会として
彼は具体的に列挙している。

そして いわゆる被差別部落の解放運動に
彼は乗り出していくわけですね。

それは後に いわゆる水平社運動なんかが
生まれてきますけども

それよりも はるか前のことです。

ちょうど1904年
日露戦争が始まりだす。

で その寺の住職たちが
何をしたかというと

皆 戦勝祈願をしたっていうんですね。

念仏しながら人を殺すということを
そういうことを勧めるのかということで

極めて激しい反戦 非戦の
主張者になるわけですね。

念仏は 阿弥陀仏が自分の中で
はたらいてるわけでしょう。

阿弥陀仏が殺人を容認しますか。

だから高木顕明の この
「余が社会主義」っていうのを読むと

彼の根本は全て念仏ですよ。

南無阿弥陀仏という言葉を
口にしながら

何が人はできるのか
何をしてはいけないのか。

基準は全部そこですね。

そこが 他の社会主義者たちと
違う点ですね。

つまり そのマルクス主義とか
あるいはイデオロギー的なですね

いわゆる一般的に知られてる
社会主義っていう方向から

入ったんではないということですね。
そうです。

それはね この面白いことに

「余が社会主義」の冒頭に
ちゃんと断ってるんですね。

…という
冒頭に書いてますね。

そこがやはり その 念仏を根拠に

つまり宗教的原理を
根拠に生きていくということは

部分的な生き方ではなくて

その人の全人格的な
生き方に それが貫かれていくと。

実は そのことのためにはですね

「歎異抄」の第一条というものをね
振り返る必要があると思うんですね。

「阿弥陀仏の誓いによって
浄土に生まれることができると信じて

阿弥陀仏の指示どおりに
その名を称えようと思い立つ

その決断のとき

阿弥陀仏はただちに感応して

その人を迎え取ってくださり

すべての人々を仏とするはたらきに

参加させておいでなのです」。

「あづく」という言葉はですね
これ「参加させる」という意味なんだと。

お念仏をするということは
自分が助かるだけじゃなくて

全ての人を仏とする はたらきに
自分が積極的に「参加」していくと

そういう意味合いがあるんだと。

そうすると まあ 私の言葉で言うと
念仏をするということは

「阿弥陀仏の事業に参加する」
ということなんだと。

積極的に言い直せばですよ。

そうすると じゃあ 「阿弥陀仏の事業って
何だ」ということになりますけど

あらゆる貧しさ
苦しさから 人々を解放すると

そういう はたらきですね。

ですからね 念仏をして
自分の救済だけで とどまってしまう

つまり「死後を安楽にして下さいよ」
という

そういう祈りで とどまってるんなら

それはまあ
仏教でなくたっていいわけですよ。

なぜ 阿弥陀が
我々に念仏を与えたかというと

自分の事業に参加させるためなんだと。

人は 巨大な網目の網の
一つの網目でしかない。

網全体が救われるということは
仏教の目標だから

そのためには阿弥陀仏の事業に参加して
その網全体が救われていくという

そういう道を選ぶしかないんだと。

ですからね 高木顕明という人は

阿弥陀仏が行動されるように
自分たちも行動するんだと。

で 阿弥陀仏がよしと思われるように
我が身を律していくと。

つまり 念仏をするということは

阿弥陀仏の事業に参加することです

という解釈をいたしました。

それを地でいってるんですね
高木顕明という人は。

私は慈悲というのはですね
我が身一人に とどまるものではなくて

仲間の同朋たちの苦しみを
取り除くというふうにして

あふれ出てくるものだ
というふうに申しました。

清沢満之の言葉で言えば

念仏は阿弥陀の慈悲を導く器なんだ
ということも申しました。

つまり 慈悲というのはですね
単に個人的な徳目ではないんですね。

制度とか法律とか組織の中に貫通して
初めて 慈悲というものは意味を持つ。

慈悲の本当のねらいは
こういう社会全体に貫徹するという

それをある意味で目的にしていると。

そういうことがですね 高木のこういう
動きからも分かってくると思うんですね。

しかし 明治以降 日本社会

宗教を巡る日本の社会状況というのは
大変厳しくてですね

天皇崇拝というものを
維持するためにですね

宗教というのは個人のことなんだと。
しかも私事なんだと。

こういうふうに宗教というものを
閉じ込めてきてる。

しかし 慈悲というものは
個人の徳目ではなくて

社会全体に この はたらきかける
そういう性格のものだということは

実は「歎異抄」の中にもあったし

そして近代以降 高木顕明という存在を
通じて そのことが証明もされたと。

そこに「歎異抄」の大きなやっぱり
役割があると思うんですね。

で 私は最後に
申し上げておきたいことは

「歎異抄」というのは
念仏とは何かということについて

縷々 説明している古典ですよ。

その念仏をですね
実際に実践してみたら

どういうことが我々の間に起こるのかは
書いてないんですね。

書いていないってことは
大きな意味があると私は思います。

それは その「歎異抄」が説く
念仏を実践するとね

私どもは その阿弥陀がはたらいた結果

どういう行動をするか一律には言えない。

念仏がはたらく はたらき方も
全部違うわけですね。

それは 念仏を実際に称えた人々が

その身をもって示していく事柄である
ということだと思うんですね。

(鎌倉)今のお話 聞いてましてですね
私が思いましたのは

ブッダもそうですし
イエス・キリストもそうですし

それからガンジーもそうですけれども

とにかく歩くってことを
非常に大事にしていた。

しかし その歩くことが大事だ
ということを いくら言ってもですね

実際に歩かないと 何が得られるのか
分からないっていうことは

ずっと あらゆる宗教も
多分言ってきたことだと思いますね。

そういった意味で その念仏っていうのも
私ども 捉えてもよろしいでしょうか。

そのとおりだと思います。

今のお話では
歩くとか 念仏をするとか

実践するかどうかですね。

「歎異抄」は そういう念仏の意義を
教えてくれるけれども

「歎異抄」を読んだ人間は そこから先は

阿弥陀の慈悲を
どのように世の中に及ぼしていくかと。

それは その人の課題ですね。

念仏は単なる呪文ではなくて

阿弥陀の慈悲というものを
この我々の中に呼び起こしていく

そういう大事な
その役割を持ってるんだと。

それは確認する必要はあろうかと
思いますね。

(池座)あの 今日
お話をお伺いしてですね

宗教者がですね 時に権力と結び付き

弾圧 あるいは 不作為に
加担してしまうというのは これは

本来であればですね
宗教者というものが

その貧苦を救うということを
目的とされていると思うんですけれども。

宗教史の中で
正規の僧侶でない人たち

そういう人たちがね 日本社会
日本の歴史には たくさんいて

特に貧苦というものを

解決するために はたらきかけると。

そういう人たちが
そういうはたらきをしてるんですね。

聖とか?
聖とか

ある聖とすら名前は呼ばれないような人が
他者のためにね

まさに慈悲行を 実践してると。

いわゆる名前のある教団に付属している
その宗教者 仏教者が

どれだけ そういう努力をしたかですね。

で それはね 近代社会になれば

現実社会の矛盾 もろもろの貧苦
というものを解決するのは

それぞれの職種を通じて それを
克服していくということであって

宗教者の役割というのは
なんか精神に こう限定されていく

というふうなことに なりがちであったと。

おまけに宗教は個人の私事である
というふうなイメージも強くてですね

なんか宗教というものは
そういう社会経済的な領域に

手を伸ばすものではないというふうな
ことにもなってきたんでしょう。

実際また 手を伸ばしてみると

ひどい間違いを犯している
ということだって

現実にあるわけですから。

ですから 私は 個々の人間が

その それぞれの宗教心を背景にしてね

それぞれの職業なり

その社会的な役割の中で

そういう貧苦を
なくしていくという はたらきに

こう取り組んでいくと。

しかし それが挫折した時に
なおそれを

もう一歩進むことはできるために…
ための宗教心というか

そういうものが 宗教の一つの役割だ
というふうにも思うんですね。

(鎌倉)あの これ
最後の質問になりますけれども

現在 政権とですね ある特定の いわゆる
カルトと呼ばれてる宗教ってのが

相互作用し合って 非常に
人間たちを苦しめてるって現実が

徐々に最近
浮かび上がってきてますけれども。

そういった現代ってものを見た時にですね
阿満先生のお考えになる

宗教というものの役割っていうのは
これから未来的にはですね

どのようになっていくべきだ
というふうにお考えでしょうか。

一つはね 我々が宗教という言葉で

実は
呪術的思考を深めてるだけではないか

というふうに思うことは よくあります。

つまり 宗教と呪術の違いというのは
非常に微妙なものですよ。

例えば この本願念仏にしても
自分の この願望のために念仏すると。

例えば 今 自分はひどい病気にかかって

なんとか病気を治してほしいとして
念仏すると。

そういう欲望ですね。
その欲望実現の手段にしてしまう。

そうすると その念仏は呪術ですよ。

つまり その宗教と呪術の区別は
ほんとに難しい。

難しいけれども 一つ言えることは
宗教は自分を問うて 自分を内省して

自分の問題を意識したうえで
それを乗り越えるために

その宗教の行というものを求めると。

しかし 呪術は自分を問わないんですね。

こういう社会ですから
いろいろ困ったことを抱えて

どうしていいか分かんないという状況は
たくさん出てくるでしょう。

その時に ちょっとした隙間に

そういう呪術的思考で
近寄ってくる人があればですね

それにすぐ飛び乗ってしまうと
思いますね。

だから宗教というのは

自分の根本問題を解決したい
しようという そういう営みであって

なぜ そういう状況が
人間に生まれてくるのかということを

問い 尋ねていって 根本的な問題が
何であるのかに行き着くような

そういう やっぱり
場があるか ないかですね。

それは あの
例えばアメリカ人なんかで

この ジョアンナ・メイシーなんかが
その典型ですけど

環境保護運動なんかに乗り出した人が
自分の行動の根拠として

仏教を採用したというような例も
あるわけですね。

彼女の言葉で言えば…

つまり 自分がどこまでも
中心であるような世界の見方ですね。

そういう見方から
仏教を知ることによって

エコ・セルフというね

そのつながりの中の… 私の言葉で言えば
網の一つの結び目という

そういう関係性の中で
自己 人間というものを捉えるという

そういう視点をね 手にしたと。

つまり エゴ・セルフ
エゴ・センターであると

自分が疲れたり 挫折したら
そこまで燃えついてしまう

燃え尽きてしまうわけですね。

でも そのエコ・セルフという

生命体全体の中の自分なんだ
という思いになれば

疲れた時は休めばいいじゃないですか。

そして その仲間たちと
手が組める時は手を組んで

少しずつ世の中を変えていけばいいと。

ですから 私は冒頭に申し上げたように

仏教というのは
関係性の中で人間を捉えていくと。

私を成り立たしめている因果関係の
全てを知ることはできないから

私は 自分が生じて生み出した問題を
自分の力では解決できない。

そういう時に 彼女が言うような

エゴ・セルフからエコ・セルフへ
というふうな

自我観の展開 転換といいますか

そういうことも
一つの手助けになるだろうし。

我々の持っている常識だけが 世界を見る
見方 人間を見る見方だというのは

ちょっとやっぱり この際 考え直しても
いいんじゃないかと思うんですね。

高木顕明は今 新宮市の南
丘陵地に設けられた共同墓地で

市井の人々と共に眠っています。

冤罪によって逆賊とされ

命を落としてから82年が過ぎた 1996年。

高木顕明の名誉は 回復されました。

真宗大谷派が 高木顕明に対する
擯斥処分の取り消しを告示。

宗務総長の名で

「真摯な僧侶を擯斥して
死に至らしめ」たことに

「心からなる謝罪」をし

これが 「自らの過誤の歩みを検証」する
一歩である と表明しました。

(念仏)

名誉回復の後 淨泉寺では20年以上
毎年 高木顕明をしのぶ法要が営まれ

多くの人が
顕明の訴えに耳を澄ましています。

かつて 逮捕された顕明の
弁護費用などにするため 売られ

行方知れずになっていた遺品の数々。

現住職らが捜し 寺に買い戻しました。

闇夜の現世で 念仏者としての
慈悲の道を歩もうとし

実践し続けた高木顕明。

墓と並んで立つ顕彰碑には その遺言とも
言うべき言葉が刻まれています。

「南無阿弥陀仏は
真に御仏の救済の声である。

闇夜の光明である。

絶対的平等の
保護である」。

「諸君よ 願わくは 我らと共に
この南無阿弥陀仏を称えたまえ」。

「何となれば この南無阿弥陀仏は
平等に 救済し給う声なればなり」。

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