先人たちの底力 知恵泉「楠木正成 混乱を生き抜く“フラットな人づきあい”」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

先人たちの底力 知恵泉「楠木正成 混乱を生き抜く“フラットな人づきあい”」[解][字]

鎌倉末期から南北朝という激動の時代を生きた楠木正成。少数で大軍を打ち破り、政権をひっくり返した正成の力の源泉がどこにあったのか、出自をめぐる新説もふまえ、探る。

番組内容
元は鎌倉幕府の御家人ながら、悪党・商人などいくつもの顔を持っていた楠木正成は、河内を拠点に武装民兵・山伏といった集団と接し、その力を引き出して幕府との戦いで存在感を発揮する。また、敵となった足利尊氏の力量を認める、器の持ち主でもあった。戦前の皇国史観で描かれる忠臣としてではなく、おのれの自由闊達な審美眼を貫いた、新しい正成像とは。楠木の人との向き合い方、閉塞感を打ち破る知恵を探る。
出演者
【出演】髙田明,山崎怜奈,明治大学教授…清水克行,【司会】高井正智

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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源 頼朝が開いた 武家による
初の本格的な政権です。

二度の蒙古襲来など さまざまな
困難を乗り越え

およそ150年にわたって続きます。

しかし そんな鎌倉幕府にも
終わりの時が…。

歴史を変える大事件が起こります。

その中心にいたのが 1人の武士。

名は 楠木正成。

鎌倉幕府打倒を目指す
後醍醐天皇に協力し 旗揚げします。

正成の戦い方は 実に独創的でした。

大軍で攻めてくる
幕府軍に対して…。

常識破りの戦い方で幕府の大軍を圧倒。

「武略の天才」と
称されます。

次々と勝利を収める正成。

それを可能としたのは
ある集団の存在でした。

正成の実像に迫るのは
実業家の高田 明さん。

大幅値引きで3万円を切って

2万9, 800円!

テレビを使った通信販売によって
小売業界の常識を打ち破り

大成功を収めました。

その後 地元・長崎の
サッカーチームの運営に携わるなど

挑戦を続けてきました。

高田さんは
常識にとらわれない正成の知恵を

どう読み解くのでしょうか。

山崎怜奈さん
ようこそお越し下さいました。

ありがとうございます。
ありがとうございます。

こちら 初めてですね?
そうなんです 初めてなんですけれど

「歴史が好きなら 一度 行ってみたら?」
って言って下さった先輩がいまして。

先輩?
小和田哲男先生なんですけれど。

小和田さんね。
すごい名前が出てきました。

そうなんです 小和田先生

よく歴史の
いろいろなことを教えて下さっていて

「怜奈ちゃん ここ合うんじゃない?」
っていうふうに

おすすめしてもらいました。

ありがたいですね 本当に。
ありがたいですね。

山崎さんね だって
歴史 お好きでいらっしゃる…。

そうなんです 大好きで よく1人で
お城巡りしたりだとかするんですよ。

楠木正成がね 今日のテーマですけれども
どんな印象ありますか?

何か あまり人に流されないで

我が道を行くタイプっていう印象も
ありますね。

さあ 中世の歴史がご専門の
清水さんですが

実際の正成って
どういう人物像なんですか?

やっぱり 「太平記」 その他
いろんな記録に名前が残ってますけど

活動を見ると
やっぱり ヒーローなんですよね。

1, 000人弱の兵でもって
何十万という敵と戦って

最後 逆転するわけですから。

うわ~。
これは すごい。

ようこそ いらっしゃいました。
こんにちは。

実業家の高田 明さんです。
いらっしゃいませ。

よろしくお願いします。

今日ね 「楠木正成」がテーマですけれども
高田さん どんな印象ございますか?

やっぱり 鎌倉幕府を壊して
次の時代を作ったっていうのは

あの時代っていうのは 一歩間違ったら
すぐ殺されちゃうでしょ?

それを勇気を持ってね
旗を揚げたというのはね

今の時代でも
大変なことだと思うんですよ。

今日はですね その正成の生きざまに

とことん迫ってまいりたいと
思うんですが

その前に 当店名物の本日のおすすめが
こちらでございます。

「くーっと うまい!」。
分かりましたよ!

分かりました?
はい いつものことですから。

いつものことなんですか?
これ定番なんですね。

これ基本ですからね。
もう一個 ヒントです。

今日は握りセットの中身
詳しい中身が こちらです。

えっ 謎解きか何かですか?
あっ これは…

「くえ」と「とびうお」といったら
僕のふるさとの平戸が得意ですけど。

これを… 取り寄せておりますけれども
まだ分からない?

まともに相手にしない方がいいと…。
(笑い声)

そんなに真剣に考えない方が
いいと思います。

めちゃめちゃ考えちゃった。
ちゃんと あとで答え合わせが来ます。

クイズ番組かと思った…。
まずは こちらから味わって頂きましょう。

あ~ びっくり。

大阪府唯一の村 千早赤阪村。

かつて
楠木正成が治めた土地です。

正成は謎の多い人物で

生まれた年など
はっきりとした記録は残っていません。

そんな正成が歴史の表舞台に現れたのは
ある大事件が きっかけでした。

1331年 時の後醍醐天皇が

鎌倉幕府打倒を目指し
挙兵したのです。

当時 政治は混乱していました。

鎌倉幕府の執権 北条高時は

遊びに興じるばかりで 政治をおろそかに。

多くの民が 苦しい生活を
強いられていたのです。

世を正し よりよい政治を行いたい。

後醍醐天皇は倒幕を決意。

共に戦う兵を集めていました。

正成は その呼びかけに応じたのです。

そして 後醍醐天皇の前で
このように語ったとされています。

なんとも頼もしい言葉です。

果たして どのような戦いを
見せてくれるのでしょうか?

正成は地元の赤坂城で
幕府軍を迎え撃ちます。

この赤坂城
城とはいっても急ごしらえで

兵の数は わずかに500。

大軍で押し寄せる幕府軍。

ひねり潰そうと 一気に攻め上ります。

すると…。

正成は相手目がけて 大木を落とし
岩を投げつけたのです。

正々堂々と戦うのが常だった
鎌倉の武士たち。

正成のゲリラのような戦法に
太刀打ちできず

多くの死傷者を出すことになります。

常識破りの戦い方

その秘密は
正成の兵にありました。

こちらは正成の戦いを描いた
「太平記絵巻」。

立派な甲冑を着た幕府の武士に対して…

正成の兵はといえば
このとおり。

実は 正成軍の多くは
武士ではありませんでした。

ふだんは農業や商業に携わりながら
戦いに参加する

武装民兵 野伏だったのです。

武士と違い
名誉や武功にこだわらない野伏。

相手を倒すためには
どんな手でも使ったのです。

そんな野伏ですが 幕府から
ある名前で呼ばれることがありました。

幕府に反抗的な存在を指す

呼び名です。

当時 幕府に不満を持った悪党は

幕府の管理する荘園を襲い
略奪などを行っていました。

その数は年々増え続け
幕府の手に負えない状態に。

正成と悪党。

彼らは どのように
つながりを持ったのでしょうか。

楠木正成の研究を行う新井孝重さん。

正成が活動した畿内の経済状況に

その謎を解く鍵があるといいます。

…ということが
当然だったんでしょうね。

実は正成 幕府の関係者で

北条氏の家臣だったという説があります。

当時の武士の名字は

一族の本拠地の地名に由来していることが
多いのですが

正成が生まれたとされる
千早赤阪村一帯に

「楠木」という地名はありません。

…ということが考えられるわけですよね。

楠木一族の本拠地だった場所として
考えられているのが 駿河国。

現在の静岡県です。

北条氏の家臣が多く住んだ地域に
楠木という地名があるのです。

駿河から
商業の盛んな河内に移り住んだ楠木一族。

正成は商業活動を通じて

自然と 野伏や悪党などと
つながっていったと考えられます。

その後 倒幕を目指す
後醍醐天皇とも つながりを持った正成。

野伏や悪党など 力を持つ個々の集団と
共に戦いに参加したのです。

正成は そうした個の力を結集し

戦わずして勝利することもありました。

ある時 2, 000の兵とともに
四天王寺に籠城した正成。

幕府は関東一の武士と呼ばれた

宇都宮公綱の軍勢を討伐に向かわせます。

しかし 公綱が到着した時
四天王寺は既に もぬけの殻。

戦わずして勝ったと思った
公綱でしたが…。

4日後の夜 衝撃の光景を目にします。

なんと
周囲を取り囲む山々に

何万という かがり火が
たかれていたのです。

正成の大軍に囲まれたと焦った
公綱は慌てて退散。

しかし この大軍
正成が作り出した幻でした。

地域の野伏ら 5, 000人ほどを集め

実際より 多くの兵がいるように
見せかけたのです。

正成の快進撃に焦った鎌倉幕府は
大軍を向かわせます。

「太平記」によると その数 80万。

対する正成は 地元の千早城で
迎え撃つことに。

正成のゲリラ戦法に
苦杯をなめた経験のある幕府軍。

この度は
兵糧攻めに出ます。

ところが正成軍
びくともしません。

この時 城内はどうなっていたのか。

そこには 大量の飲み水が
運び込まれていました。

一体 どこから…?

それを可能にしたのが
地域の山伏の存在でした。

山伏しか知らない秘密の湧き水の情報を

入手していたのです。

更に ひそかに食料も運び込んでいました。

時が満ちるのを待った正成は
地域の野伏らとともに反撃に出ます。

幕府軍の補給部隊を襲わせ
幕府の兵糧を絶ったのです。

まさかの展開に焦った幕府軍。

勝負をつけるため
千早城に攻め上りますが…。

飛んで火に入る夏の虫。

正成のゲリラ戦法に
またもや やられてしまいます。

兵たちは いちもくさんに逃げ出しました。

正成らが善戦を続けることで
情勢が変わり始めます。

鎌倉幕府に見切りをつけ

後醍醐天皇に味方する武士が
現れだしたのです。

決定的だったのは
幕府の有力御家人

足利尊氏が 自陣に
加わったことです。

尊氏は幕府の出先機関である
京都の六波羅探題を攻め滅ぼします。

そして 関東では
新田義貞が鎌倉を攻撃。

追い詰められた北条一族は自害。

鎌倉幕府は滅亡しました。

正成の巧みな軍略が
見事 後醍醐天皇を勝利に導いたのです。

この勝利 決して正成1人の力ではなく
悪党や山伏など

さまざまな個の力を結集した
結果だったのです。

ということなんですが 山崎さん
メニューの意味 分かって頂けました?

「悪党」…?

そう! 悪党。

悪党の…。
「あぁ くーっと」 悪党。

なるほど 今日のキーワードですね。

清水さん 悪党なんですけれども
楠木正成も この悪党の仲間だった…?

はい 実際に「悪党」って呼ばれてる
資料が残ってるんですよね。

ただ 悪党っていうと 悪いやつっていう
イメージあるんですけど。

今そういうね 悪党っていう言葉には
ありますよね。

ただ この時代って
荘園制の再編が進んでるんですよ。

その時に 既得権を持ってる人で
排除される人がいるんですよ。

それで リストラされちゃった人が
もちろん不満なので

その既得権を取り返しに
行動を起こすんですね。

そうすると その敵対する側は

そういう人たちのことを
「悪党」っていうふうに呼ぶんですよ。

だから ある種のレッテルなんですよね。
反体制の人間だっていう。

いや この時代って
もう でも鎌倉幕府自体が

そもそも最初から結構 破綻してたり
するじゃないですか ずるずると。

楠木正成に共鳴していく人たちが
結構 たくさんいるっていうのを

分かった上で 反旗を翻してるのか。

最初は そういう予定じゃなくて
行ってたのか。

あの… ただですね 鎌倉幕府って
最後の段階で結構 強力になるんですよ。

挽回してるんですね。
世間的なイメージだと 鎌倉幕府って

モンゴルが攻めてきて だんだん
弱体化していって 滅びるっていう。

こういうイメージがあるんですけど。
ずるずる落ちてるイメージ。

最近の研究だと 鎌倉幕府っていうのは
どんどん力つけてって

絶頂期に
風船が割れるように爆発したっていう

そういう理解なんですよね。
だから モンゴルが攻めてくるっていう

外圧の中で どうにか守らなきゃ
いけないっていうんで

鎌倉幕府が本来 東日本の政権だったのに
西日本まで取り込んで

いろいろな人を…
既得権者を追い出していくもんだから

そういう不満がたまっていって
反作用が起こるっていう。

そういうことなんですよね。
だから 多くの人は

鎌倉幕府が まさか滅びるとは
思ってなかったと思いますよ。

最後の段階まで。
そのぐらい安定してたんですね。

そういう中でも
正成は悪党とつきあっていた。

ここでの知恵がですね

「地位や組織にこだわるな!
“個"とつきあえ」ということでしたけども。

楠木正成は すごく正義感が強い
当時の人としては。

だから いつも民のことを考えて
政権とは どうあるべきかと。

会社が どういう立ち位置で

企業は経営しなきゃいけないか
っていうとこと重なってですね。

これ政治の世界もそうですよね。
企業でも一生懸命やれば

社員もついてくるし
みんなが応援してくれる。

そういう形の性格っていうか

すばらしい性格を
持ってらっしゃったから

これだけのことが 効果を
生んだんじゃないかと僕 思うんですけど。

楠木正成が立ったことによってですね
やっぱ歴史 見てみたらね

誰かが立ったらね そこに今度は
みんながバーッと寄っていく。

そして
政権って倒れていくじゃないですか。

…っていうの 僕は ちょっと
歴史を見た時に思うんですよね。

最後は民の力が
絶対に勝ってるんですよね。

高田さん その 個の力っていいますけど
野伏であったりとか。

そういう人を でも 何か
倒幕のエネルギーにつなげていくには

やっぱ 育成みたいなことも
必要だと思うんですよね。

やっぱり 育成 絶対必要ですよね。

でも 人は
できないって人を見るじゃないですか。

本当は
そんなにね 差はないと思うんですよね。

だから 一番は…

社員でも できないって思ったら
100人 1, 000人集まっても

トップが できないできないって言ったら
本当に できないですからね。

でも 10人ぐらいの
我が社も そうだったんですけども

最初は 3人 4人で始めたカメラ店から

最後は 1, 000人 2, 000人になっていくじゃ
ないですか。

それっていうのは
やっぱり できる立場とかいうものを

やっぱ 適材適所で考えながら

その人たちの 持ってる力を
引き出していくっていう。

だから 巻き込む力っていうのが

トップに立つ人って
いるんじゃないかって。

周りを巻き込んでいく力。

だから 山崎さんなんか
あの… 乃木坂… 乃木坂ですよね?

はい。
46の中の

やっぱ 存在感があられるから
46人の力は いるんだけども

その中に やっぱ 1人 2人
引っ張っていく人がいるという。

そこがトップになるんじゃないですか。

いや 私 全然グループのトップでも
何でもなかったんで。

本当 野伏みたいなもんだったんで…。
いやいやいや。

ただ一方で ちょっと 気になるのが

思いだったり 意志に共鳴して
ついていくのは 分かるんですけど

野伏といわれてる人たちにも

教育が必要って
おっしゃってたじゃないですか。

教育 どのぐらい進んでたのかなと思って。

文字は あんまり
書けなかったはずなんですけど

でも普通に しゃべれば伝わるはずですし
特に戦略に関しては

逆に彼らは武士がやるような

刀とか槍の使い方みたいなのを

習得してないってとこが
逆にウリなんですよね。

手元の石で投げるとか。

そういったところを
むしろ生かすところなんで。

だからそんなに兵隊として訓練する必要は
逆に なかったんじゃないですかね。

当時の百姓とかって やっぱり
農作業だけやってるわけじゃなくて

自分の村を守るために 隣の村と戦うとか
そういうのが日常ですから。

そういう中でトレーニングされていて

逆に武士より
ある意味では強かったりするんですよね。

だから それは安心して
任せていいんじゃないですかね。

なるほど。
だから 今 野伏でも

やっぱり 役割の中で果たしていく。

技術も持ってるから そしたら
その人たちの役割を与えていくって

その使い方が
非常に お上手だったのかなっていう。

多分 そうだと思いますね。
やっぱり 一番は

メッセージを出したんじゃないですか?
高い声で。

それは どうでしょうね。
どんな声で? どんな感じで?

今日は ちょっと 遠慮しときますけど。
いいんですか?

ここでは3万9, 800円とは言いませんから
僕は。

こんなに渋い声でお話ししてるところ
私 初めて拝見したので

何かね… 聞いてみたかったなと
思いましたけど。

ふだんは もう おとなしいんですよ。
(笑い声)

清水さん これ… 野伏たちをひきつける

正成みたいな人物が生まれた
背景っていうのは

これ… 何があったんですか?

一つはですね 正成って

どうも もともと
東日本の出みたいなんですよね。

鎌倉幕府の側の人間が
西に送り込まれたみたいなんですよ。

当時やっぱり モンゴルが
攻めてくるっていう緊張状態の中で

かなり鎌倉御家人が
西に送り込まれるんですよ。

それで 彼は多分 西に行って

社会の矛盾が 西日本に
今 うっせきしてるんですよね。

それまで朝廷や お寺や神社が
治めていたところに

武士が乗り込んできて
あつれきが起こるって。

だから 足利尊氏なんかも
挙兵した一つの理由は

彼は 西日本とパイプを持ってるんですよ。

西日本からのパイプで
どうも今の鎌倉幕府は長くないぞと。

相当 西に不満がたまってるっていう
伝達が来るんですよ。

彼は多分 ずっと関東にいたら

それを知らずに安穏としてたんですよね。

正成の場合も多分
よそから河内に乗り込んでいったんで

それで逆に
世の中の矛盾が見えたっていう部分は

あるんじゃないかなと思います。

楠木正成は 山伏からも

救援物資をもらっていたりっていう話
ありましたけど

どういう育ち方をしたら

その地域の山伏とかと
交流を持ったのかなって すごい謎で。

逆に よそ者だから
なじめたのかもしれないですよね。

もともと西日本って
商業が発達してますから

さまざまな流通とか そういう山伏の

ネットワークみたいなのが
あるんですよね。

そこに うまく吸引できたっていう部分が
あるんですかね。

逆に 地付きの侍だったら
そういうところとは

接触しようと
思わないかもしれないですよね。

ああ~ なるほど。
そこの穴をついたというか。

でも 僕 今日 この番組で思うのは

僕も もう70過ぎてますから

若い時から楠木正成っていう名前は
よく知ってるんです。

でも本当 勇気のある人ですね。

あの時代に
やっぱり反旗を翻すっていうのは

先生 すごいことですよね。

孤立無援ですよね。
そういう方って歴史上います?

なかなか 本当に…

僕も そう思うんですよね。

そういうね 楠木正成ですけれども

鎌倉幕府を倒すのに 大きな功績を挙げた。

そして 自らも新政権に加わっていく。

続いて こちらを味わって頂きましょう。

鎌倉幕府に勝利した後醍醐天皇。

思い描いた政治を行おうと
改革を実行に移します。

建武の新政です。

人任せにせず 自ら積極的に
政務に取り組もうとしました。

更に 新たな役所を設立。

能力があれば公家 武士問わずに

人材を登用します。

正成は 新設された
4つの役所の要職に

抜てきされました。

しかし この建武の新政

すぐに行き詰まってしまいます。

武士とともに働くことになった公家たち。

伝統と格式を重んじるあまり

ともすれば武士を
見下しがちでした。

一方の武士たち。

戦いに参加しなかった公家たちが

多くの恩賞を得ていることに
納得がいきません。

武士たちにとって最大の不満は

土地に関するものでした。

幕府滅亡後 後醍醐天皇は

武士が所有する土地の権利を

一旦 白紙に戻します。

そして 自身の権限で

改めて権利を与えることにしますが

あまりに多くの事務処理に

作業が追いつかなくなってしまいます。

いつまでたっても
土地の権利が認められない武士たち。

不満を訴え 役所に殺到し
混乱が起きていました。

そんな中 動き出した人物がいました。

鎌倉幕府を倒す際に活躍した
足利尊氏です。

北条の残党を討伐するため
鎌倉にいた尊氏。

自身の裁量で 部下たちに恩賞を与えます。

尊氏は 後醍醐天皇に対する

武士たちの不満をくみとったのです。

そして 後醍醐天皇に反旗を翻し
京都へ攻め上ります。

正成の出番です。

後醍醐天皇を守るため 直接対決します。

正成たち朝廷軍と尊氏軍の戦いは

一進一退を繰り返しますが

正成軍が尊氏軍を撃破。

敗れた尊氏は 九州へ逃げていきました。

尊氏敗北の知らせに
後醍醐天皇と側近たちは 大喜び。

そうした中 正成は驚きの提案をします。

尊氏との和睦を訴えたのです。

しかし 不思議なことを言うものだと
相手にされません。

なぜ勝利しながら和睦を訴えたのか?

実は 正成
戦場で ある光景を目にしていました。

負けて逃げていく尊氏の軍勢に

勝利したはずの正成たち朝廷軍の兵が
ついて行くのです。

(新井)尊氏は
そもそも所領を作って

武士たちに
与えたりしてるでしょ。

だから…

尊氏を排除するっていうことは
もうできないと。

だったら…

正成は 後醍醐天皇に
厳しい言葉で訴えます。

正成は たとえ敵であっても

尊氏の持つ人望を
正しく評価する目を持っていました。

しかし 後醍醐天皇と側近たちに

現状を理解する者はいません。

正成の訴えは
聞き入れられることはありませんでした。

2か月後 九州に逃げていた尊氏が

再び 京都へ向かって進軍します。

尊氏軍は 後醍醐天皇に不満を持つ

九州 中国 四国地方の
武家勢力を引き入れ

巨大な勢力となっていました。

焦った後醍醐天皇は 正成に
尊氏を討つよう 命令します。

この時も正成は
冷静に状況を見ていました。

真っ向勝負では勝てないと判断。

現実的な案を示します。

後醍醐天皇を比叡山に避難させ

尊氏軍が京都に入ったところで包囲。

そして 兵糧攻めにするという戦略でした。

しかし 後醍醐天皇と側近たちは

今回も 正成の言葉を
聞き入れようとしません。

それどころか側近の一人が言い放ちます。

これまで後醍醐天皇に尽くした
正成の存在を

否定するような言葉でした。

何を言っても無駄だと諦めたのか…。

戦場へ向かう道中
後醍醐天皇に対して言葉を残しています。

正成は 僅か700の兵で

数万の尊氏軍に挑みました。

湊川の戦いです。

6時間以上 持ちこたえたといわれた正成。

しかし ついに限界が…。

近くの民家に逃げ込み

共に戦った弟

正季と刺し違えて 自害します。

後醍醐天皇のために戦って5年余り。

正成の人生が幕を閉じました。

正成の死後 足利尊氏は京都を占拠。

追い詰められた後醍醐天皇は
比叡山に逃れ

尊氏と和睦しました。

結果として
正成が提案したとおりとなったのです。

その後 尊氏は征夷大将軍となり
室町幕府を開きます。

尊氏側の記録には
正成を評した一文があります。

正成の持つ自在な目を
正しく評価していたのは

皮肉にも 敵であった足利尊氏でした。

正成の提案が受け入れられ

もっと早く 後醍醐天皇が
足利尊氏と和睦していれば

あるいは 日本の歴史は
変わったのでしょうか?

ということですけれども
山崎さん いかがでしたか?

「ご自身の徳のなさを
思い知ってください」って言われたら

もう結構 傷つきますよね。

しかも 時の天皇に
そんなこと言えるんだっていうのは

その場で だって斬首されても
おかしくないじゃないですか。

これ ただね 今の発言は
「梅松論」っていう

割と 室町幕府寄りの歴史書に
書かれてることなんですよね。

なので ちょっと
盛ってるかもしれませんね。

盛ってるかもしれない。
基本的に 後醍醐天皇を

おとしめなきゃいけないので。

ただ 確かに でも
ズケズケと言っていたことは

「太平記」にも書かれてますから
それは 間違いないと思います。

何て言うんですかね 歴史の皮肉?

尊氏が正成を 一番よく理解し
正成が尊氏を理解していた。

それは お互いに敵同士であった。

そうした中で ここでの知恵は

「敵であっても良いものは良い
自在な目を持て!」

ということですけれども 高田さん。

私が会社を もう36の息子ですけど

社長に譲って 66で退任したでしょ。

その時のきっかけっていうのは

ある大きな企画をする時に
僕は その企画は

僕の経験の中で絶対 成功しないっていう
信念があったんですよ。

そして その議論がもう
けんけんがくがく 相当戦って

最終的に僕が
40人ぐらい会議室に集まって

じゃあ みんなに聞いてみようと。

それで みんなの手を挙げて

多い方で決めるぞってやったわけですよ
本当に これは。

そしたらですね 僕に手を挙げた人が
たった2人だったんです。

38人が向こうに手を挙げた。

そしたらもう それは
すぐ 僕 受け入れましたよ。

じゃあ もうしかたない
やろうって言って

僕は先頭切って また それもやりました。

…で 成功したんです。 結果的に。

やっぱり そういうものもありましたし

でも議論は尽くした
尽くした尽くしても

負けでも それはもう
みんなで決めたことだったら

そこに対して集中していくっていう中で
今の会社っていうのは

また成長してくれてるのかなって
思いますよね。

高田さんが後醍醐天皇だったら
歴史変わってましたね。

(笑い声)
本当にね。

社長がワンマンだけでいったら
絶対うまくいかないし

だから そういうとこは
私の経験の中でも感じる時ありますね。

山崎さん いかがですか?
ご自身も やっぱり

そういう敵とかライバルだけれども
いいところをね

お互いに認め合って みたいなことって
ありますか?

そうですね。 私は もともと
アイドルグループにいたので

同世代の女の子たちと
一緒にお仕事をするっていうことが

本当に多かったんですけれど
もう みんな尊敬ですね。

自分にはないものを
みんな それぞれ個々が持ってる分

自分のことを卑下しないというか

何か自分は
あの子と比べて駄目なんだって

思わないように逆にしないと
保てないからこそ

人へのリスペクトとともに
自分への自尊心も

ちゃんと持ってないと
そこが両立してないと

何か いい方向に進んでいかないし

お互いの関係性も こじれていっちゃう。

嫉妬とか執着とかに
変わっていっちゃうので。

だから 他人へのリスペクト
自分への自尊心っていうのは

多分 両方持ってた方がよいと
思ってるんですけど

楠木正成とかは だから
どっちも持ててたのかなって思って。

だからこそ 生きるのが苦しくて

結局 自害しちゃったのかなと
思ったんですよね。

自分の言ってること やってることとかも
間違ってない

確固たる自信があるからこそ
後醍醐天皇に強く言えたけど

後醍醐天皇のこともリスペクトしてたから
ずっと ついてってたのに

結局 そこが届かないんだって思うと

そこの両立できてたものが
破綻しちゃうじゃないですか。

そりゃ苦しいだろうなって
見てて思いますね。

すごく うなずかれてね。
そうですね。

やっぱり劣等感もないし

かといって優越感もないんじゃないかって
思うんですよね。

そういう人じゃなかったかという。

誠実で謙虚で そういう感覚を持った

武将だったんじゃないかって
思いませんか?

思いますね。

誰かよりも
誰かが優れてるとかっていうよりも

個人は個人で この人は
ここが すばらしいっていうのは

ちゃんと見極められてた上で
自分は自分っていうのがあったから

比べるとか
劣等感だったりっていうことが

もう そぎ落とされてたのかな。

人と比較してないんですよね。
自分の中の信念で生きてるっていうのは。

そうやって生きていけないと
きついですよね。

同業者たくさんいますもんね。
高井さんも。

そうですね。
私もね たくさんいますけどね。

でもやっぱり リスペクトは
常にありますよね。

「ここは すごいな」ってしないと
自分もね

あしたの成長がないっていうか。
確かに。

「人のふり見て 我がふり直す」を
いい方に捉えて

どんどん吸収して
成長していってっていうのが

楠木正成の生き方だったのかなとも
思いますね。

そういう中ですね
正成 最後は もう死を覚悟して

戦場に向かうことになってしまった。

う~ん…。

死ぬしかなかったのかなというのは
正直 残念なところで

やっぱり 楠木正成も
後醍醐天皇を見限って

足利尊氏の側についていたら

結末 違ったんじゃないかなと思って。

それをするってことは
できなかったんですか?

1つはですね 建武政権
後醍醐の政権ができた初期の時に

実は派閥が2つあったんですよ。

足利尊氏派閥と
それから後醍醐天皇の皇子の

護良親王っていう親王の派閥
2つの派閥があって。

実は楠木っていうのは挙兵以来
護良派閥だったんですよ。

護良側の命を受けて
尊氏の暗殺を試みたことも

実は あるんですよ。

だから恐らく尊氏側につくっていうのは
ちょっと難しかったんじゃないか。

それは 楠木正成側のプライドなのか

足利尊氏の取り巻き側の警戒心なのか…。
どっちだろうな…。

どっちなんだろうな…。

護良派閥だった人でも 実は赤松とか

裏切ってるのもいるんですよね。
足利側に。

だから その辺はやっぱり本人の
プライドの問題かもしれないですよね。

さあ 今日はですね
楠木正成の知恵を見てきましたけれども

まず 山崎さんから。

やっぱり彼はとても賢くて
人の意見に よく耳を貸す人で

かつ 目上の人 しかも時の天皇に対して
ものを言える度胸もあって。

何で自分で自害しちゃったかな
っていうのが すごくもったいない

惜しいところではあるんですけれども

ただ 彼の意思であったりとか
精神みたいなものを受け継いで

その足利尊氏が作る世の中に
移っていった。

そこを生きていった人も多いと思うので
やっぱり 彼の存在っていうのは

今に続く日本の歴史の中に
結構 重要な人物だったのは

間違いないんじゃないかなと
改めて思いましたね。

楠木正成って
もちろん最後は悲劇なんですけど

もっと彼にとって悲劇だったのは
そのあとの歴史の中で

太平洋戦争の中で
楠木正成っていうのが

ある意味 悪用されちゃった
歴史があるんですよね。

水木しげるさんの漫画で
有名な漫画で

「総員玉砕せよ」って漫画があるんですけど
ご存じですか?

大隊1つが隊長の命令のもと

全滅しちゃうっていう話なんですけど

その原因を作った隊長が
もう病的な楠木正成信奉者なんですよ。

戦争で
どう考えても勝てないっていう状況で

戦っても ほぼ意味ないんだけれども
俺たちは楠木正成みたいに頑張るぞと。

自分は陶酔下の中で
死んでいくんですけれども

一種の日本人の滅びの美学みたいな形で

悪用されちゃった歴史があるんですよね。

戦争中の ちょっと
そういうアレルギーがあるんで

戦後 楠木正成っていうのは
ちょっと触れちゃいけないぐらいの

扱い方をされてきたんですよね。

なので 本当は楠木正成から
学ばなきゃいけないのは

今日 出てきた合理主義的なところとか

そういったところに
もうちょっと目を向けると

いいんじゃないかなというふうに
思いますね。

改めて 楠木正成

もう一回 深く勉強したいなと思いました。
そうですね。

自分の利害だけじゃなくて

やっぱり民全部の幸せのために
っていうことを考える

そういうトップが出てきて

世界を変えてほしいと思いますから。

その代表的な方が
楠木正成じゃなかったかなという。

よかったです。 勉強になりました。

うちの店もね
ライバル店からいいところを学んで

もっともっと大きくしていきたいと
思いますんで

また ご来店下さい。
ありがとうございました。