先人たちの底力 知恵泉「世阿弥 競争社会を生き抜く“プロデュース力”」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

先人たちの底力 知恵泉「世阿弥 競争社会を生き抜く“プロデュース力”」[解][字]

「秘すれば花」「離見の見」の言葉を生んだ室町時代の能楽師・世阿弥。その生涯は将軍たちの思惑に翻弄され続ける日々だった。プレッシャーの中で培われた世阿弥の知恵とは

番組内容
猿楽を芸術に高め「能」を大成させた世阿弥。12歳で猿楽興行に出演、その美少年ぶりが室町幕府3代将軍・足利義満の目に留まり、以後活躍。だが、その人生は自らが理想とした幽玄とは真逆。権力者との関係に悩み、大衆人気に惑い、ライバルとしのぎを削る、戦いの連続だった。だからこそ世阿弥はライバルたちから、そのエッセンスを学びスキル・アップを重ねた。世阿弥から競争社会を生きぬく“自己プロデュース力”を探る。
出演者
【出演】髙田明,山崎怜奈,清水克行,【司会】高井正智

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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およそ150年続いた鎌倉幕府が滅び

足利尊氏によって開かれた
新しい時代

室町時代。

名前の由来は
京都御所の北西

室町通りに面して

三代将軍の
足利義満が屋敷

いわゆる 花の御所を

構えたことによります。

でも 室町時代というと

源 頼朝が平家を滅ぼしたあと

日本初の武家政権を打ち立てた
鎌倉時代と

名だたる武将たちが
躍動する

安土桃山時代に
挟まれて

「地味だな~」なんて
お感じになる人もいるのでは?

でも さにあらず!

日本が世界に誇る伝統文化の多くは

この時代に形づくられたのです。

現在の和風建築の原型といわれる
書院造り。

石によって空間を構成する枯山水の庭園。

墨の濃淡で表現する水墨画。

華道 そして 茶道。

現代にまで受け継がれる
これらのアートは

室町時代に生まれました。

今回の主役である 能。

ユネスコ無形文化遺産に登録されている
日本独自の芸能も

この時代に原型が完成しました。

そこには
あるキーパーソンが存在しました。

役者であり 演出家であり 劇作家。

作詞作曲から振り付けまでの
全てを手がける

スーパー・マルチ・
アーティストとして

能という芸術の完成に
大きな役割を果たした人物。

しかし 世阿弥の演劇人生は
順調だったわけではありません。

並み居るライバルたちとの競争。

権力者たちの思惑に翻弄され
対策に追われる日々。

時代のうねりに
身をさらされながら

理想の芸術に向かって
ひたむきに進み続けたのです。

世阿弥の知恵を読み解くのは…

始まりは 長崎県にある実家のカメラ店。

そこから…。

大幅値引きで3万円を切って

2万9, 800円!

独特のトークを武器に…

社内にスタジオを作って
生放送を行うなど

常識破りの戦略により

今では年間売り上げ2, 500億円を超える
企業に成長させました。

実は高田さん 世阿弥の言葉を
座右の銘とするほど敬愛する

ファンでもあります。

能という新しい芸術を
世の中に認めさせることに

生涯をささげた 世阿弥の思いに迫ります。

本日も ご来店頂きまして
ありがとうございます。

2回目のご来店ということですけど
どうでした? 前回。

いや~ 前回 すごく居心地がよくて

楽しかったですね。
ありがとうございます。

さあ 今日のテーマはですね 「世阿弥」。

その知恵を見ていきたいと思うんですが
高田さん。

大の世阿弥ファン。

もう本当に 会いたいですね。
「会いたい」!

いつも言ってるんですよ
「世阿弥に会いたい」。

何で 六百数十年前に
あんなことができたんだろうという。

自分が生きてきた その仕事の中でも

すごい…

さあ 清水さん
この世阿弥が活動した室町時代

いろんな文化が花開いた。
そうですね。

今 割と私たちの日常に浸透している

日本的な
生活スタイルとかっていうのは

室町時代に できたものが多いんですよ。

床に畳を敷く和室の在り方とか

このスタジオ 天井ないですけど
天井板を家につける…。

天井 ありますよ。
(笑い声)

それも以前は
天井ってなかったんですよね。

へえ… なかった?

屋根の屋根組が そのまま
下から見える状態なんですね。

でも 天井板がある方が
保温の効果は 高まりますからね。

でも 板の製材技術が室町時代に革新して
やっと生まれるんですけど

それまでは ないんですよ。

1日3回 ごはんを食べるなんていうのも
このころに始まるんですね。

それまでは2食なので。

僕も2食なんですよ。
3食 絶対食べないんです。

室町より前の…。
はい だから

僕は そんな時代の人かなとも
今 思ったりして。 (笑い声)

いろんなものが
新しく出来上がっていく時代って

何と言うか 印象的には

結構 派手なイメージが
あったんですけど

でも 何だか 室町幕府って

ちょっと こう ほかの時代に比べると
落ち着いている印象ありますよね。

ヒーローがいないんですよね。
あ~ なるほど!

信長とか 頼朝みたいな。
派手なヒーローがいない。

…なんで あんまり
注目を浴びてないんだと思いますけど。

天井板なんていうのも
誰かが突然 発明するもんじゃなくて

徐々に浸透していくんですよね。

そういう大事なことって 実は
ある日 突然 起こるんではなくて

やっぱり 長いスパンで
変わっていくんですよ。

それが室町時代。
そういう時代の中で

能を発展させた世阿弥を
見ていくんですけれども

その前にですね 今日も

本日のおすすめ 見ていきたいと思います。

今日はね 料理を準備いたしました。
料理?

こちらでございます。
サラダ。

お花が載ってる…?
そう。

これ エディブルフラワーといって
食用のお花なんですけれども

そこで こちらを見てみます。

じゃじゃん!

アミーゴ? 「アミーゴ」って
ラテン系の そっちのノリの言葉ですよね。

分かります?
「秘すれば花だ ぜアミーゴ」。

ぜあみーご!
(笑い声)

私は この空気に頑張って耐えます。

リアクションに困るでしょう?

どのリアクションが正解なのかなと…。

(笑い声)
私も とても汗をかいております。

まずは 今日
こちらから味わって頂きましょうか。

能の代表的な演目に
「翁」という作品があります。

天下太平や五穀豊穣を祈願する
宗教的な意味合いの強い作品で

平安時代から
演じ続けられているともいわれる

能のルーツのような作品です。

今から600年以上前

京都 新熊野神社の境内で
この「翁」が演じられました。

この舞台を 当時17歳だった
室町幕府三代将軍 足利義満が

見に訪れたのです。

舞台に立つのは 観阿弥という人気役者。

このころ 曲舞という

リズミカルな歌と舞を
取り入れた演出で

注目を集めていました。

その評判は 将軍の耳にまで届き
この日を迎えたのです。

義満は 観阿弥の演技に
大いに満足したようです。

更に義満は
一座の美少年に心を奪われました。

その少年こそ
観阿弥の息子 世阿弥。

当時12歳でした。

2人の出会いによって

能という芸術が
未来に向かって動き出すことになります。

義満の花の御所から西へ
およそ900メートル。

観世町という町名があります。

義満は この場所の邸宅を
観阿弥親子に与え

厚遇したといいます。

その場所に 今は 小学校が建っています。

校内の一角に 観世邸にあったという
稲荷神社が再建されていて

往時の気配を伝えています。

新熊野神社での出会い以来

世阿弥は すっかり
義満のお気に入りとなりました。

当時 とても低い身分でありながら

上流社会に迎え入れられた世阿弥。

最高の教養人ともいわれた公家
二条良基や

芸術好きで知られる守護大名
佐々木道誉とも

交流があったといいます。

観阿弥 世阿弥の一座は
将軍 義満の後ろ盾を得たこともあって

引く手あまたの人気劇団になりました。

大きな仕事が増え 収入も増え

劇的に変わった世阿弥の人生。

でも 幸せな日々は
長くは続きませんでした。

強力なライバルが出現したのです。

その名は 犬王。

将軍 義満は
犬王が大変な気に入りようで

自分の法名である「道義」から
1字を与えて

「道阿弥」と名乗らせるほど。

もはや 世阿弥たちは
ナンバーワンではなくなったのです。

悪いことは重なります。

1384年5月。

世阿弥の父・観阿弥が急死。

天才的な役者で 女性から少年まで
どんな役も見事に演じた

観阿弥を失い どうするのか。

世阿弥の真価が問われます。

強力なライバル 犬王の登場により

人気に陰りが出てしまった世阿弥たち。

看板役者 観阿弥亡き今

世阿弥は 果たして
一座を率いていけるのか。

当時21歳。

役者としての世阿弥は
演技は達者なものの 小柄で

カリスマ性では 父親に
遠く及ばなかったと考えられています。

そうなると 演出や劇の中身で
勝負したいところですが

そこでも どうやら 犬王に
後れを取っていたようです。

そもそも
能とは 何なのでしょう?

実は 能という名前で
呼ばれるようになる前は

猿楽と呼ばれていました。

名前から想像されるように

笑いをとる寸劇や曲芸を中心とした
庶民のための娯楽だったのです。

その起源は 奈良時代に遡るとされ

諸国を旅しながら

神社やお寺の祭りなどで
演じられることが多かったようです。

鎌倉時代に入ると

仏のありがたさや
勧善懲悪などをテーマとする

仮面劇が多くなりました。

観阿弥と世阿弥が得意としたのは

このような 庶民向けの
写実的な劇だったのです。

犬王は 違いました。

天女舞という 笛の音に合わせた
優雅な舞を

披露したのです。

洗練された みやびな世界。

将軍や貴族たちを魅了したのは

能の理想とされる幽玄の美しさでした。

それに比べると

世阿弥たちが演じる庶民的な世界は

どうも 分が悪そう。

追い詰められる世阿弥たち。

どうすれば この苦境から抜け出せるのか。

あっ 世阿弥様。

我々は これまで積み上げてきた芸に
より一層 磨きをかけていけば

きっと大丈夫です。

…な~んて意見も あったかもしれません。

でも 世阿弥の考えは違いました。

(世阿弥)私たちも天女舞をやりましょう。

能の研究者 天野文雄さんは

この柔軟な世阿弥の姿勢が
能の発展を促したと考えます。

そもそも世阿弥は
犬王を商売敵として憎んだりはしません。

犬王は すばらしい役者だったと

リスペクトしていたことが
分かっています。

優れた芸だからこそ

自分たちも取り入れ

より魅力的に変えていくのは

理にかなったことでした。

世阿弥が残した 能の演劇論の一つ

「風姿花伝」に こんな章があります。

「学ぶ」と書いて「まね」と読ませる。

実は 「学ぶ」と「まねる」は

語源が同じだという説があります。

世阿弥は 役者は
演じる対象を つぶさに観察し

表面的な動作よりも
その人間の心情をくみ取り

なぜ その動作となったかを理解せよと
説きます。

犬王の天女舞についても

見かけの美しさの陰に潜む

幽玄こそが 能の本質だと
見抜いたのでしょう。

自分たちの猿楽のスタイルに固執せず

新しい技を
ちゅうちょなく まねた世阿弥。

その柔軟さによって
第一線へ返り咲いたのです。

ということでね 最初の知恵は

ライバルこそ学ぶターゲットという
知恵でしたけれども

ただ競争するだけじゃなくて
いいところは まねればいいという知恵。

そのとおりだと思います。
私もショッピング…

自分のスタイルっていうのは
ある程度あったと思うんですけども

だんだん だんだん
それが5年 10年たてば

それと同じような あら?
似てるな 似てるなっていう番組が

どんどん出てくるんですよね。

まねやがって! じゃなくて
あっ それだったら それをまた変えて

1つ違ったものを
作っていこうかっていうのが

我々が今やってるとこなんですよね。

だから テレビでも競合っていう
ほかのショッピングを見て

そこから何を学ぶかっていう
とこでないと

絶対に進化していかない。

違った知恵が どんどん…
それを吸収しながら

自分たちを高めていくっていう
そういう部分では

やっぱり 世阿弥のすばらしさは
そこにあるんじゃないかと。

社員の方も
高田さんのしゃべりをまねして。

いつの間にか そうですよね。

ちょっと声も高いみたいですけど…。
(笑い声)

でも この辺りも
いつの間にか少し自分流に

その声のトーンも
変えていいんだよという

今でも そういう話をよくするんですよね。

だから彼らは まだ若いですから

今から新しい また形に
変わっていってくれることを

僕は望んでますけどね。

学ぶっていう意味でいうと 私は

平日 毎日 ラジオの番組を
やってるんですけれど

そのパーソナリティーとしての
しゃべり方は

いろいろな
ほかの局の先輩方だったりとか

地方局のラジオ番組の
名DJの人とかから

ああ こういう言い回しうまいな! とか
こういう人の引き立て方 上手だなとか

このフレーズ すごい味があって
いいなとかっていうのを学ぶ。

それ今 メモしたりとかしてるんですか?
本当に仕事のノートに

この番組の この回の この人の この発言
めちゃめちゃいい

私も使いたい! と思って
ワーッて書いて

自分が体験することなんて
限られてるからこそ

先輩たちがやってきたこととか
お手本にしたいこととか

全部 吸収しようと思って。

すごいですね やっぱ。
逆に本当アイドルの時

何やってたんだろう? って思います。
本当に。

もっと先人から学べって
感じなんですけど

ちなみに 高井さん
アナウンサーさんの世界では

そういった世阿弥のようなことは
ありますか?

まねるのはね やっぱ大事で

私は新人の時に やっぱ

先輩のニュースを録音して
聴きながら しゃべって。

すごい!
あっ この人うまいな

この人 伝わるなっていう人の
いろんな先輩の聴いて

それは体に覚え込ませるって
いうんですかね。

やってみる しゃべってみるみたいな。

でも NHKのアナウンサーさんって
すごく上品で

じっくりと とちらなくてって
こう正面向いてって感じじゃないですか。

だから 1回ですよ
高~い声でニュースをね。

どれぐらい高くなったらいいですか?
いや 高くしてるわけじゃないです

あれは もう伝えたいから自然に。
伝えたいから高くなってる。

自然に高くなってる。
僕ら ものを紹介するときに

ボソボソって言っても…。
だから 僕は

伝える 伝わるってことの違いをね

しゃべるっちゅうことは
伝えたいわけでしょ。

でも みんな伝えたいって言う
伝えたって言うんだけど

伝わってないことがすごく多いんですよ。

だから伝えたっていうことと
伝わったっていうことは

全く別物ですから。

伝えたって思ったら
ものが売れないって

それは伝わった世界を
作ってないからだと。

そのためには高い声でって…。

だからニュースを1回
読んでほしいと思いません?

それでもって ニュースに興味を持つ人が
現れるかもしれない。

今日は ちょっと高めの声で
お伝えしていこうかなと

思いますけれども。
いい いい いい!

明るい 明るい。
雰囲気が明るいです!

清水さん この猿楽 能

これ一気に この時期に盛り上がってる
これは どうしてなんですか?

やっぱり 猿楽っていうのは
下からボトムアップで出てきた

芸能なんですけど
当時の室町幕府っていうのは

新興勢力なんですよね。

伝統的な公家とか
お寺の世界から見ると

武士っていうのは新しく出てきた階層で

自分たちの中で新たな やっぱり
芸能を作んなきゃいけないっていう時に

為政者って往々にして新興勢力

若者に人気のものに理解を示す政治家って
よくいるじゃないですか。

そういうのをやると
人気も上がるじゃないですか。

それで庶民の中で人気の新しい芸能を
一緒に盛り上げてあげる。

それで自分たちの人気も
上げていくっていう

そういうところが ちょっと
室町幕府にはあるんですよね。

そんな中で観阿弥や世阿弥や
犬王っていうものに

ある種の利用価値を
見いだしたっていうことだと思いますね。

世阿弥って結構
おとなしいイメージがあるので

どこまで言うことを聞いて

どこまで自分は これまでは
受け付けられませんっていう要望を

1本 線を引くのかっていうのって。

結構 でも 世阿弥って
使い分けろってことも言うんですよね。

為政者の目の肥えた
貴族の人たちの前で演じるのと

庶民向けに演じるのでは
演じ方を変えろと。

へ~!
…で 庶民の人たちは やっぱり

ちょっと オーバーアクションに
するぐらいじゃないと

見てくれないっていうようなことまで
書いてるんですよ。

合理的ですね!

だから非常に器用な
芸能人だったんですよね 多分。

その辺りが すごいんですよね。

やっぱり演じ方の中に…
僕 一番すごいのは

「我見と離見」っていう言葉が
あるんですよね。

「我を見る」と 離見は「離れて見る」と。

世阿弥なんかが舞う時の本の中にはね

今日は どれぐらいの人が来てるか
男性が多いか 女性が多いか。

…で どういう今
社会の情勢かとかを考えて

そこに応じて やっぱり
演じ方を変えていくっていうね。

だから自分たちの言い分ばかりで
それを演舞しても

なかなか受け入れられないよっていう。

やっぱ そりゃそうですよね。

僕らショッピングでも
やってる途中で どこどこに

地震がありましたっていったら
もうしゃべれなくなるんですよ 声を。

その時にテンション下げて
「あっ 今 地震ですね

皆さん気をつけて下さいよ
でも 生放送ですから すみません」って

おわびして進めていくという
これをすごく僕らは大事にしてました。

…っていうことじゃないかと
思いますけどね。

さあ ライバルの犬王の技も取り入れて
劇団の人気も復活と思ったんですが

またしても世阿弥を試練が襲います。
そうですね。

道阿弥こと犬王から
天女舞のエッセンスを取り入れ

レベルアップした世阿弥の一座。

しかし およそ24年後の応永15年。

45歳になった世阿弥に
更なる試練が待ち受けていました。

足利義満の死です。

世阿弥を何かと ひいきにしてくれた
義満に代わって

嫡男の足利義持が幕府の最高権力者に。

実は この親子 仲が悪く
義持は父親の功績を否定していきます。

義満が晩年を過ごした北山殿を
ほとんど解体し

義満が始めた 明との貿易を中止。

義満に ひいきされていた世阿弥も

冷ややかな対応を
受けるようになりました。

代わって将軍のお気に入りになったのは
増阿弥という役者でした。

尺八を吹く独特の演出で
観客を魅了したと伝えられます。

その芸のスタイルについて

世阿弥は
「冷えに冷えたり」と評しています。

今風に言えば
「クールな演技」ということでしょうか。

それが新しい将軍に
非常に気に入られたようで

プライベートな催しは もちろん
幕府が催す大きな公演でも

増阿弥が主役を務めることが
多くなりました。

今度こそ駄目か… と
諦めたくなるところですが

世阿弥は違いました。

そこで知恵です。

能の研究者 天野さん。

義持が世阿弥より
増阿弥をひいきにした理由は

父・義満との確執だけではないと
指摘します。

本当の理由は世阿弥が残した能の理論書
「至花道」から

読み取ることができるというのです。

人々の見る目が肥え
世阿弥が犬王の舞を取り入れた頃とは

要求されるレベルが違ったのです。

しかし 増阿弥が
それをクリアできていたとなると

世阿弥 万事休すか?

この状況が
世阿弥の闘争心に火をつけました。

将軍 義持が驚くような
芸術性の高い舞台で見返してやろう。

そのためには
ほかの能楽師にはできない

自分ならではの長所を生かした劇を
作らなければならない。

そうだ…!

世阿弥は子どものころから
上流階級に招かれ

「平家物語」や「伊勢物語」
「源氏物語」などの古典に親しみ

また 和歌や連歌など
貴族の教養を身につけてきました。

こんな経験を積んできた能楽師は
ほかにはいません。

文学的で知的な劇を展開できれば
誰にも負けないだろう。

世阿弥は観客の感情を揺さぶる精神性と

ドラマチックな展開を兼ね備えた

新しい能のフォーマットを
生み出していきます。

世阿弥が考案したという新しい能。

それまでと何が違うのでしょう?

父・観阿弥の時代まで主流だったのは
現在能と呼ばれるもの。

ひと言で言えば
現実の出来事を時系列に演じる劇です。

観阿弥の作と伝えられる「自然居士」という
作品があります。

自然居士という
修行僧が

人身売買をする者を
巧みに説得し

買われた少女を取り戻すという内容。

登場人物たちによる やりとりの面白さが
見どころの庶民向けの劇で

あまりイマジネーションの入る余地は
ありません。

世阿弥のアイデアは
そうした現在能の限界を打ち破ります。

時空を飛び越える仕掛けを使い

過去の出来事や人物を
現代に呼び起こすのです。

その仕掛けとは 夢でした。

夢幻能と呼ばれる世阿弥の発明は

能を一気に高みへと引き上げます。

「融」という作品を例に
見てみましょう。

旅の僧が京都を訪れます。

そこで僧は謎の老人と出会います。

老人は ここは平安時代の貴族

源 融の屋敷があった場所だと言い

泣きだします。

老人の正体は源 融の亡霊。

屋敷のあった場所に
さまよい出てきたのです。

夜になり僧が眠っていると
夢に源 融が在りし日の姿で現れ

月の光あふれる庭園で
楽しさと切なさを抱いて舞うのでした。

夢を使うことによって
既に命なき歴史上の人物が現れて

懐かしい思い出や
果たせなかった心残りを表現することを

可能にしたのです。

こうして 世阿弥は
能を更に格調高く気品にあふれ

深い余韻を残す芸術へと
昇華させることに成功。

目利きの将軍 足利義持は

世阿弥への評価を一変し 行動に移します。

重要で格式の高い 応永34年の祭礼能を
世阿弥に委ねます。

大量の褒美と称賛を与え
最高の存在だと世に示したのです。

夢幻能は 興業の面でも
大きなメリットがありました。

「平家物語」「伊勢物語」 それに和歌など
古典文学の世界は

舞台化に向いたエピソードに
事欠かないからです。

世阿弥は 夢幻能の作品を次々生み出し
本を著します。

演じることと同じくらい
あるいは それ以上に

優れた台本が大切だと考えたのです。

思えば 犬王も増阿弥も

世阿弥をしのぐほどの
スーパースターでしたが

その芸術は失われて
今では 何も残っていません。

でも 世阿弥たちの流れをくむ能は
現在にまで受け継がれています。

それは
世阿弥の創作への執念があったからこそ。

世阿弥自身が書いた台本は

およそ50に上ると
考えられています。

世阿弥はまた 義持の時代に
能の理論書も集中的に書いています。

よく知られているのは「風姿花伝」。

ここには 例えば「秘すれば花」

つまり 面白いところは
隠しておいて

聴衆を驚かせることが
大切だという

今も変わらない
演出の基本が説かれています。

そのほかに 世阿弥は
20もの理論書を残しています。

俳優 演出家自身によって
15世紀に書かれた

実践に基づく演劇論。

世界でも類を見ない これらの書物は

世阿弥が 一演劇人にとどまらない視点を
備えた人物だったことを伝えています。

世阿弥が後世に託した
これらの資料のおかげで

後を継ぐ者たちは
迷うことなく芸を磨くことができました。

厳しい条件を突きつけられながら

期待を上回る レベルの高い作品で応えた
世阿弥。

プレッシャーを前向きに受け止めて
創作エネルギーに変えたのです。

ということで 高田さん 「秘すれば花」。

はい 出ました。

いや~ これをね
まだ精度が低いんですけども

何度も僕も やってきましたけどね。

例えば お値段でも最後に
2万9, 800円って言いたいところ

例えば タブレットなんか

「今日は 最初からいきますよ
100円です」って言ったら

これも 「秘すれば花」なんですよ。

それを どういうタイミングで
どれだけの間隔で

どういうレベルで
出していくかっていうことが

やっぱ 能を舞う世阿弥が考えた

民衆を とりこにするための
方策じゃなかったかというふうに

共通項を感じるんです。

考え方として やっぱり

父親である観阿弥の存在が
大きかったのは

彼が世阿弥に受け継いできたものが
あるっていうのを

世阿弥も自覚しているからこそ

世阿弥もまた…

…からこそ この今の世の中になって

世阿弥の存在が
一つ 抜けてるんだと思うんですよね。

自分のやったことを文字化したりして

魅力っていうものを伝える方向に
シフトしたっていうのは

世阿弥の新機軸なんですよ。

何で それが世阿弥にだけ
可能になったかっていうと

実は 世阿弥って 一生を通じて

ず~っとスーパースターだったわけじゃ
ないんですよね。

むしろ 不遇な時代の方が
長かったんですよ。

ほとんどの書物は
その不遇な時代に書いてるんですよ。

それが…

…になっていって それが多分

ああいう形になったんだと
思うんですよね。

そこが すごいね やっぱり。

六百数十年前のものを読んで

今 私が生きてる…

これ すごいことだと思うんですよね。
しかも 業種を超えてね。

一番好きなものは やっぱり…

これはもう 最高の言葉です。

例えば 山崎さんが
スーパースターになります。

「自分はすごい! これだけ有名になった」。

世阿弥は
それを徹底的に否定したんですよ。

それは 若いがゆえに美しさがある。

そういう時こそ 更に
足らないという自分を感じて

修業を続けなさいっていうことを
言ってる。

これが「真の花」。
真実の「真」の花って書いてるんですよ。

それ 僕もやりながら 全然…
「高田さん うまいね」って言われても

うまいというふうに
全然 思ったことないですよ。

だって もう常に この年になっても

ず~っと 修業は
死ぬまで続くって思ってるから。

だから それだけ
何を見ても関心があるんですね。

そう考えたら 結構楽しいんですよ。
そういう自分を作っていけるから。

このお店の盛り上がりを見てると

世阿弥が いかに すごい理論を
生み出してきたのか分かりますけど

その原動力になったのが プレッシャー。

プレッシャーと
うまくつきあっていく方法って

どんなふうにお考えですか?
山崎さんは どうですか?

割と弱い方ではあるんですけれど

ただ プレッシャーがない人生
つまらないなというのを

本当に思っていて。

何かを乗り越えた経験であったりとか…

血となり肉となりになるので

もし 2つ選択肢があって
一つは 割と気楽に過ごせるところ。

もう一つは 挑戦しなきゃいけないし
結果 どうなるか分からないけど

新しい発見がありそうなところ。
「どっち選びますか?」ってなったら

多少 無理してでも こっちを選んだ方が
私はいいと思うので…。

強いですね。
偉いですね。

プレッシャーに負けそうになる時に
私は自分で仕事の反省ノートとか書いて

よかったところも
悪かったところも書くんで

よかったところを その時だけは
ちゃんと見て 自信をつけるっていう。

何かね 流してしまいがちだけれども
ちゃんと よかったところも。

これ 義持って ものすごく厳しく
見えたんですけど どうなんですか?

よく 足利義満って 室町時代を代表する

一番 権力者みたいに
いわれるんですけど…

だから 彼の趣味っていうのは
ちょっとギラギラしてて

にぎやかだったらば
すぐ飛びついちゃうっていう

ちょっとミーハーなところがあって。

それがね 次の代の義持ぐらいになると

だんだん 芸術に対する理解が
深まるんですよ。

禅とか そういうのが好きだったり
やっぱり…

自分でも
仏教の研究をしたりするタイプなんで

ちょっと哲学がないと
そう簡単には飛びつかないんですよ。

世阿弥の方も そういったところを

吸収していかざるを
えなくなったんですよね。

それで磨き上げられたっていう部分
あると思いますね。

確かに…

(笑い声)

本当の意味でひかれるなっていうところを
感じるのって

やっぱり 哲学的な 内面の深いところの
部分だったりするので

義持派かもしれないですね。

やっぱり 時代が
成熟したんだと思いますよ それだけ。

ただ もっと大変なんですよね このあと。

義持のあとの
義教という将軍の頃になると

流罪にされてしまいますから
佐渡島に。

義持は 弾圧まではしないんですけど

義教は 自分の嫌いな能役者は
弾圧しちゃうんですよ。

でも やっぱり
そういう逆境の中で最後までね

自分が求めるものを書き続け
演じ続けたっていうのは

やっぱり 器用な方だなと思いますね。

そうそう 佐渡に行ってからも
まだ著作活動 続くんですよ。

「金島書」っていうね
文学作品をちゃんと残してるんですよね。

世阿弥の伝説も残ってるんです。

世阿弥が腰掛けた岩っていうのが
残ってたりして。

じゃあ 本当に 地元で受け入れられて…。
多分 そうなんですよね。

何もないところから
そういうことは出てこないと思うので。

今度 4人で行きましょうか。
いいですね。 行きますか。

ちょっと大きめで 僕が櫓をこぎますから。
(笑い声)

これ 佐渡では 最後
世阿弥は亡くなってしまうんですか?

そこは ちょっと分からないんですよね。
戻ってこれたという説もありますし

その後の消息は よく分からないんです。

ただ 義教が死んだあとまで
生きてますから

義教が死ぬと 大体

義教に処罰された人って
復活できるんですよね。

なので 戻ってきた可能性が
高いんじゃないかとはいわれてます。

さあ 今日は 世阿弥の知恵を
ここまで味わってまいりましたけれども

山崎さんから いかがですか?

冷静な人っていう印象が
より深まったというか

感情だけでは動かない ちょっと
確固たる信念があって

だからこそ 人々に 自分の気持ちを
冷静に客観的に伝えられたりとか

技術を伝えられたりとかっていうこと
あったんでしょうけど

一方で 演者としての彼としては

結構 しんどいんじゃないかなと
思うんですよね。

自分が表現することが
もう理屈で論理的に分かってるからこそ

それを否定されるっていう時代は

相当 厳しかったんじゃないかなと
思うので

それでもなお
自分の探究心 好奇心を絶やさずに

持ち続けてたっていうのは
本当にすばらしいことだなと思います。

会ってみたいです。
(笑い声)

世阿弥の言葉の中に…

これは 世阿弥が残した言葉です。

だから 今 少子高齢化っていう

本当に3人に1人ぐらいが
高齢者になってくる。

僕も そうなっていきます。

でも その時に やっぱり 夢を持って
元気に過ごしてほしいという思いが

世阿弥の中にあったんじゃないかと。

これは 老後について語ってるんですね。

年老いても
役割は変化しながら あるんだから

初心を忘れずに長生きして 今からの人生
頑張っていきましょうということを

世阿弥が言いたいんじゃ
なかったのかなって思って。

共通するなって。
今の時代に世阿弥が出てきて

それを語ってるんじゃないかと
思ってます。

本日は ありがとうございました。

♬~

ふう~! おいしいですね。

いや 世阿弥は ライバルから学んで
プレッシャーに負けなかったからこそ

世界に誇る芸術 能が
今の形で伝わってるんですね。

よし! 今日は こんな感じかな。

うちのお店もね 歴代店主が

寒~い空気の重圧に打ち勝って
伝わってきた

ダジャレメニューがありますからね。

ダジャレメニューを考えたのは 誰じゃ…。