ボクらの時代[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

ボクらの時代[字]

妻夫木聡×窪田正孝×平野啓一郎

詳細情報
番組内容
毎回さまざまなジャンルで活躍するゲストが集まり、あえて司会は介さずに多彩な話題や事象を取り上げるトーク番組。今回は映画「ある男」で共演している妻夫木聡と窪田正孝、そして原作の芥川賞作家・平野啓一郎が、注目の映画化となったこのヒューマン・ミステリー作品の撮影舞台ウラなどを語り尽くす。
出演者
妻夫木聡、窪田正孝、平野啓一郎
スタッフ
【プロデューサー】
西村朗(フジテレビ) 
松本彩夏(イースト・ファクトリー) 
松本絵理(イースト・ファクトリー) 
【AP】
福田薫(イースト・ファクトリー) 
【演出】
高野裕樹(イースト・ファクトリー) 
【制作著作】
フジテレビ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
バラエティ – トークバラエティ
趣味/教育 – その他

テキストマイニング結果

ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20

  1. 自分
  2. ホント
  3. 一番
  4. 結構
  5. スケボー
  6. 一緒
  7. 映画
  8. 名前
  9. メーク
  10. 窪田
  11. 小学校
  12. 中学
  13. 母親
  14. イメージ
  15. 家族
  16. 作品
  17. 仕事
  18. 時期
  19. 小説
  20. 評価

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気の配信サービスで見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

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窪田君と僕が
ボクシングが大好きで…。

平野さんの作品を きっかけに
『ある男』っていう映画で

それ きっかけで 僕も ボクシングを
やるようになったんすけど。

っていうか 仕事場で
ほとんど会わないのにさ

すごく プライベートで会ってるもんね。
この半年間ぐらい。

そうですね。
(平野)でも 映画をきっかけに

知り合った? その前から。
いや その前はないか。

会ったこともないか。
ないです。

奥さんとは 昔から
仲は 良かったんですけど

だから お前 ホントに感謝しろよ
って言いますもんね。

こんないい人もらってって。

「うるさいから」とか
「ガハハ…」とか…。

似てますよね。

「DNA鑑定の結果

谷口 大祐ではないことが
確定しました」

[妻夫木 聡さん 窪田 正孝さんが
出演する…]

[原作は 芥川賞作家
平野 啓一郎さんの同名小説]

「私は いったい 誰の人生と一緒に
生きてたんでしょうね」

[不慮の事故で亡くなった
ある男の過去を調べていくうち

他人に なり代わって
生きてきたことが分かっていく]

「好きだったものね」

[真実を追う ヒューマンミステリーです]

もうね ホント
はまりやすいんですよ。

で もともと 体も すごい
ムキムキなんすけど

何をやってるの?って言ったら
「家で 懸垂してます」って言って。

懸垂以外は?っつったら
「いや 懸垂しかしてないですね」

どこに ぶら下がるんですか?

ぶら下がり健康器。
健康器みたいなやつで

ひたすら
懸垂してたらしいんすけど。

ボクシングを始めたら
その懸垂器も…。

捨てました。
いらなくなっちゃって。

そうなんです。
先日 奥さんと話す機会があって

ボクシングに あなたたち
はまり過ぎみたいな話をしてた。

朝 洗面室の鏡の前で
「シュッシュ シュッシュ」言ってたらしくて

朝から シュじゃねえよっつって。

面白かった。
でも その気持ち分かると思って。

鏡がある所だと
シャドーボクシングしたくなるんだよね。

確認したくなっちゃうんですよね。

♬~

[映画 『ある男』の撮影を
きっかけに

親交を深めたという 3人]

[それぞれ どんな幼少期を
過ごしたのでしょうか?]

僕は 子供のとき あんまり
本読むの好きじゃなかったんです。

昔から読書少年だったんですか?
とか よく言われるんですけど

本読むのは嫌いっていうよりも
外で遊ぶ方が楽しかったんで。

え~! 全然…
イメージと逆だった。

みんな 外で 野球とか
サッカーとかしてるのに

何で こんな 本なんか
読んでなきゃいけないのかなって

感じはしてて でも だんだん
やっぱり 高校ぐらいになって

文学の方に
より こう 興味が移ってった。

そういうのって 好きだなってなる
きっかけってあるんですか?

僕は 最初に 三島 由紀夫って人の
『金閣寺』って 小説 読んで

すごく 衝撃を受けたんですけど

それはね
文体が 非常に きらびやかで

華麗なんですよね。
何か レトリックとかが こう…。

駆使されてて。
こういう日本語があるのかって

まず 文章に感動したのと

とにかく 暗いんですよね 話が。
それが 良かったんですよ。

その 何か 中学ぐらいになって
だんだん 自我も発達してきて

何となく こう
クラスにいてもね

みんなが 面白いと思って
しゃべってる

昨日のテレビの話とかが
漫画の話とかが

俺は ホントのこと言うと
あんまり 面白くないなみたいな。

ちょっと こう 教室の中で
距離感みたいのを感じた感じで

ちょっと孤独を感じ始めたころに
それを読んで

すごく 共感したんですよね。

ただ 北九州の田舎にいましたから
作家になるとかね

そういうのは ちょっと 全然
イメージは湧かないんですよね。

小説は 好きでしたけど
作家になりたいとかは…。

なれるとも思ってませんでしたし。

全然 現実的じゃなかったんです。

窪田さんとか どうだったんすか?
幼少期は。

幼少期ですか。 でも とにかく
男 3人兄弟の末っ子だったけど

もう 兄の後を ずっと くっついて
遊んでいて。

何歳上だった?
1個上と4つ上だったんですけど。

じゃあ 一番下。
そうですね。

一番上の兄が 少年野球のユニホームを
着て 帰ってきたときに

衝撃を受けて
野球やりたいってなったりとか

結構 わりと やんちゃで
活発な方でしたね。

何でも やっぱり
挑戦してみるタイプだったの?

家族にっていうか 幼少期に
あんまり 女性がいた記憶がない。

母親しかいなかったというか。
そうですか。

不思議なんすけど 小学校も
男女 あんまり仲良くなかった。

ちょっと しゃべったら
あっ 女好きだみたいなふうに

男から言われるみたいな。
僕の世代とかも もろ そうでした。

やっぱ そうですか。
スポーツばっか やってて

体を動かすこと とにかく
すごく好きだったんですけど。

一番 一生懸命やってたスポーツ
って 何なんですか?

一番好きだったのは
バスケですね。

クラブか 何かに
入ってたんですか?

中学の部活に入ったんですけど
1個上なので

真ん中の兄がいたんですよ。

やっぱ 中学に入ると
縦社会すごいじゃないですか。

だから こう 窪田さんって
呼ばなきゃいけないんですよ。

お兄ちゃんでも 窪田さん。
もう 学校で会うときは

呼ばなきゃいけないっていうのは
…って言われて

絶対 それ やだと思っていて

あるとき 『SLAM DUNK』を
読んだときに

あっ… バスケがしたいって
なってから

何か 三井 寿みたいに 無性に
バスケにはまってった感じでした。

中学の3年間だけ?
そっから 中学 3年間やって

そこから ものづくりに
少し 興味が湧いてきて

父親が 建築関係の仕事を
していたので

そこから
工業高校の機械科に入って

そこも 工業高校だったから

女性としゃべる機会が
また なくなって。

少ないんですか?
結構 少なかったんですよね。

あったら しゃべれるんですけど
2人きりになったりとか 人と。

男の子でも そうなんですけど
2人きりになったりすると

途端に 何しゃべっていいか
分かんないとか。

結構 そういう時期があって

極力 あまり 人に関わらない仕事
したいなっていうふうに。

人から逃げてくじゃないけど
そういうのもあったのと

ものづくりがしたい
っていうのがあって

車とか 乗り物が
すごい 好きだったから

そっちの 整備士になろうと思って
ガソリンスタンドでバイトもしてたんです。

それを ちょっと 母親が
心配しかねて

そこから オーディション受けてみな
って言われて 受けて

受かったので ちょっとずつ
今に つながってった感じです。

でも 窪田さん ご自身が

女の子と 2人きりになって
しゃべったりするのが

得意じゃないとかって
思ってたとしても

沿線の女子校の女の子とか
大騒ぎだったんじゃないですか?

あそこに カッコイイ子がいる。
いやいや…。

他校の文化祭とか
行ったことあります?

ある ある ある。
俺 一回も なくて。

誘われることもなく

交わることがなかったんですよ。

だから よく 「モテたでしょ」とか
言ってもらえるんですけど

一番 モテたのは
小学校6年生のときだけでした。

そうですか。
そこだけです。

バレンタインチョコとか もらった?

小学校のときは…。
結構 もらってた?

うん。 ハハハ…。
何だ 何だ?

何それ? その にやけた感じは
相当 もらってるね。

そりゃ そうでしょ。
小学6年生のときだけ

何か もらえた時期があって。

何個 もらったの?
いや でも…。

12個くらい。
結構 もらってんなぁ。

でもってことはないでしょう。
1ダースじゃないですか。

ねえ ホントですよ。

いや めちゃめちゃ おモテに。
いやいや… 全然っすよ ホントに。

チョコとかも
5個ぐらいが最高だし。

ホントですか?
うん。

12個 5個とかって
僕 話しにくいじゃないですか。

ハハハ…。

でも その お母さまが
オーディションでも受けたらって

言うぐらいだから
やっぱり 何か そういう

芸能関係の仕事すべきだみたいな
存在感だったんじゃないんすか。

いや 母が もともと
地元のモデルみたいな仕事を

バイト感覚みたいな
昔 やってたみたいで

その思いを持ってたみたいで

それを 何か
かけてくれたっていう感じ。

もともと 人と接するの
得意じゃなかったのにさ

思いっ切り人と接するしかない所に
いったじゃん。

それ どうやって
自分で打開したの?

でも 一番 大きかったのは
メークさんでしたね。

一番 一緒にいた…
僕ら 一緒にいるじゃないですか。

メークさん 衣装さんと。
メークさんは 女性が多くて

最初 どうしゃべっていいのか
分からなかったんですけど

そこで 話していくうちに
だんだん 知らない間に

この壁みたいなものが
なくなってってから…。

何だろう? 人とセッションすることが
少しずつ 楽しみを覚えてた感じ。

でしたね。

妻夫木さんは どうですか?
お子さんのときは。

いや~ もう ホント 僕
普通の子供だったんじゃないかな。

僕も もともと 福岡の人間で

小学校2年ぐらいで
横浜の方に出てきたんですけど。

カルチャーギャップはあったんですか?
ありました。

僕 福岡の小学校 通ってるとき
学校に着いたら

まず はだしになんないと
いけなかったんですよ。

僕の小学校 そうだった。
北九州はね。

福岡 共通なんすかね? あれ。
そう あのころ はだし教育が…。

だから 校内は
もちろん はだしでしょ。

外もなんだよ。
そうなんですよ。

体育の授業とかも。
全部 全部 全部。

だって ホント サッカーも
はだしで やってましたもん。

ねえ! ホントに すごいよね。
へえ。

まず だから 外で遊んだら
手と足を洗わないといけない。

へえ~!
足洗い場。

水道水 がぶ飲みしてたね。
ごくごく飲んでた。

横浜に行かれてからは
クラブ活動とか 趣味とか

はまってったことって
あるんですか?

僕の兄も バンドをやってて

それで やっぱり 兄貴と
高校まで 一緒の部屋だったんで

兄がやってるのを見て 自分も
ギター欲しいなと思ったりとか。

最初は
ギターを持ってはみたものの

一緒に やってくれる人が
いないから

その当時 スケボーが
はやり始めてたときだったんで

スケボーに乗ったりとかしてて
兄が 2つ上なんで

高校に進学して

たぶん そろそろ 将来のことを
兄貴のことで

父が 考えだしたんでしょうね。

急に 中学2年生で 毎日
スケボーに明け暮れてた俺に

「お前 2週間後までに
将来の夢 考えてこい」って…。

職業考えてこいって言われて。
分かんない そんなこと言ったって。

夢も何もないのにさ
どうしようと思って。

じゃあ やっぱり
スケボーは 好きだから

プロスケーターになるって
そんとき 言ったの。

そしたら 「スケボーなんかで
飯が食えるか!」っつって。

その当時 今でこそさ こんなに
スケボーっていうのが浸透してるけど。

お父さま的には
何か 正解があったんですか?

いや う~ん… 父的な正解
っていうのが あったのかどうか

僕には 分からないんですけど

父にとっては 何でもいいから
プロになってほしいっていう。

別に サラリーマンになって
その道のプロになる

っていうことでも
いいと思うんですけれども

何か こう 極めてほしいっていう。
スケボーは 駄目だった?

スケボー 駄目だったらしいです。

あんまり
結びつかなかったんじゃ…。

職業っていうイメージがね
当時は なかった…。

そんときに 何でもいいから
プロになれっていうふうに

言われたことっていうのは
結果 自分の支えとなって

今 やっぱり こう…
いくら 芝居が下手でも

お金をもらってる以上
プロなんだっていう意識は

若いころから あったし
そういう 父の言葉っていうのは

かなり 小さいころっていうか
若いときは

支えになってたような気は
しますね。

当然 その若いときに
受賞されてるじゃないですか。

その 若いときって 当然 賞を
取りにいこうなんてことも

考えてもないと思うし。

シンプルに小説を 書きたいものを
書いてたと思うんですよ。

今 考えて 自分の何が 評価されて
賞を取ったもんだと思いますか?

90年代は 文学は終わったとか
近代文学は もう終わったとか

やり尽くした感みたいなのが
すごく 語られてたんですよ。

19世紀から バルザックとか
フロベールとかの時代から

偉大な作品が 散々 書かれて

現代人が やること残ってない
みたいな話も 結構あって

そういう わりと 知的な議論が
ずっと行われてる中で

もう そういう話は知らんと。
もう 書きたいもの書くみたいな。

新しい ムーブメントみたいなのが
起こってた時代ではあったんです。

町田 康さんとか。
町田 町蔵っていって

パンク歌手として有名だった人が
小説 書きだしたりとか。

柳 美里さんとかが
演劇の方から入ってきたりとか。

それで わりと90年代後半ぐらいは
文学シーンも 混沌としだして

それまでの評価とは
また ちょっと違う軸で

いろんな人が出てきたなみたいな
雰囲気が あったんで。

その中で評価されたっていう
感じだったんですね 僕は。

だから びっくりしました。

ノミネートされるときに
ノミネートしていいですか?っていう

連絡は来るんですよね。

「していいですか?」
やっぱり こだわりがあって

駄目ですって言う人もいるんです。
あんまり いないと思うけど。

いるんですか?
うん。

実は 僕もね ホントのこと言うと
賞と関係ないところで

文学活動していきたいと思ったんで
断ろうかと思ったんです 一瞬。

すごいですね。
でも ちょっと 色々ね

僕が デビューするにあたって

お世話になった
編集者とかもいたし

色々 考えて 結局… そう
ノミネート受けたんですけど。

芥川賞とかに関していうと

社会的には
すごく よく知られてるから

賞を取ると わりと 取材先で
親切にしてもらったりとか。

あと 親が安心したりとか。

そういう 社会的な意味は
結構 あるんですよね。

僕も デビューしたころから
大河ドラマに出ることが

すごく夢だっていうふうに
思っていたときがあって

主演が決まったときに 自分自身も
うれしかったんですけど

おじいちゃんが ご祝儀を
おくってきてくれたんですよ。

ご祝儀を おくってくることが
初めてだったんで

自分が やってることで
何か こう 家族をね

喜ばせるっていうのは…
すごい シンプルだったんですけど

すごく そのことの方が
うれしかったんですよ。

自分が決まったっていうことよりも。

ようやく おじいちゃん孝行だとか
家族孝行が

少しだけ できたような気がして。

あんときは
すごく うれしかったですね。

窪田君は お母さんが それこそ
窪田君が 何かに出て

一番 喜んでくれたものとかって
何か あったりする?

ずっと オーディション受からなくて
母親にも ごめん やめるって

19… 2~3年後に
言ったんですけど

で 母親 悲しそうな顔してて

でも オーディション受からないから
しょうがないと思って

事務所にも いってたんですけど
その落ちるってなって

一番最後に受けた オーディションが
三池 崇史監督が

映画屋が ドラマをつくるって企画が
テレ東であって

それで 一年間の主役
決まったときに

ホントに 心から喜んでくれたのは
ありましたね。

やめないでくれて よかった
っていう思いが。

一番 最初のオーディションとかで
化粧…。

メークをしてもらったことが
なかったんですけど

メークして帰ってきたら
すごい 写真を撮られて。

すごい メークしてる。
カシャ カシャ カシャ…!

メークしてるだけで。
いや もう そんな

撮らなくていいよみたいなのも
あったりしたんですけど

だから 今は 自分の家族ができて
ホントに また こう 何だかな。

まだ 親にはなってないけど

母親の視点とか 母親の気持ちとか
っていうことを年齢重ねてくると

想像ですけど
まだ 自分の段階では

前ほど 頻繁には
会えてはいないんですけど

自分の家族があるから。

でも すごく 離れてても
つながっているっていうか

そういうのが感じられるのは
やっぱ そうやって

一緒に過ごしてきてくれたものが
あったからなのかなっていうのは

思ったりはしてますけどね。

お兄ちゃんたちって
どう思ってんの?

う~ん…。
何か 話したりする?

いや あんまり でも 前ほど
話さなくなりましたね。

仕事のことは。 「見たよ」とかは
言ってくれますけど。

あまり こう 中身までは
照れくさい部分が。

前は でも 見ることすら
たぶん してなかったし

やっぱ ちょっと
仲の悪い時期とかもあったんで

すごい ケンカが多かったりとか。

それぞれに 家族を持って
すごく お互い フラットになって。

今 すごい
あのCMやってるじゃんとか

ぽんって
いきなり 連絡くれたりとか

そういうのは ありますけどね。

聡さん 仲いいですよね。
仲いいね。

兄貴は そうだな
ずっと 仲いいな。

たぶん 兄が 特にね
すごく おおらかな人だったんで

いろんなことを たぶん
我慢してくれてたんだろうなって

今 思うと 思うんですけど
僕のことに関しても。

だから 今でも
結構 仲いいっすね。

一緒に キャンプ行ったりだとか。

つい 最近も 兄の家に
遊びにいったりとかもしたし。

それこそ
お芝居の中身とかについて…。

いや もう 絶対 それは
話さないですね。

向こうからも言わないの?
聞いてこないし 話さないな。

もしかしたら 兄が 一番
何も話さなくていい存在?

一番 もしかしたら 僕が

フラットにいれる存在なのかも
しれないっすね。

兄がいれば 別に 隣で
好きなことも やれるとか。

別に 何も やんなくていいとか。

唯一 もしかしたら 兄が
甘えられる存在なのかもしれない。

だから キャンプ行っても
2人きりで キャンプ行っても

あんだけ こう 楽なのかなって
思うのかもな。

他人の評価は気にしますか?
時期によって すごく…。

何だっけ? エゴサとかした時期も
ありますね。

それは 読者って やっぱり
読者っていわれるけど

もっと こう 広く考えると

今という時代を生きてる人たち
ってことなんで

その人たちが 僕の作品読んで

どう思うか 感じるかっていうのは
結構 重要だと思うんですよね。

独り善がりで 俺は
こうやって書くみたいなのが

いいっていう考えもあるけど

僕は やっぱり 今っていう時代
生きてて

何か書いてる表現者で
喜怒哀楽 いろんな反応があって

感動したって言ってくれる人も
いれば

怒る人とか いますし。
そうなんですか?

時間 返せとか。

ひどい。
すごい。

でも それも 反応ですからね。

SNSとか 見ますか?
SNSですか。

まったく見ないんです。

でも やってることは
やってるじゃん インスタ…。

インスタは 始めさせてもらって

コメントいただいてることに関しては
それは 見たりはするんですけど

他人の評価を気にするほど
別に そんなに う~ん…。

世の中に貢献してるって思って
動いてないから

自分が やりたい 好きなことを
今 瞬間を楽しみたいと思えれば

そんなに 気にはならないのかな
とは思うんですけど

ただ ホント おっしゃるとおり
独り善がりは よくないとは

もちろん… 役割をこえて

自己満とか 承認欲求の方に
いっちゃうと やっぱ どうしても

そうなっちゃうのかなって
思うから

そこの線引きは意識してたいな
とは思ったりはしてます。

どうですか?
分かんない。

俺 作品は するかもしんない。

どっか やっぱ 自分が こう
関わってるものだったりすると

何だろうな 親族みたいな感じの
イメージになるからさ。

その親族が どういうふうに
思われてるかなっていう気分で

やっぱ 見ちゃうのかな。
そういうふうに思われんのか。

じゃあ 次は そう思われないように
しなきゃなみたいな。

それによって 芝居が変わることは
ないんだけど

影響することはないんだけど。

原作のものが映像化する
っていうのは

多々あると思うんですよ。
平野さんの立場から見て

自分が生み出した
子供みたいなものが

映像化するっていうのは
どういう思いがあるんですか?

僕は やっぱ 同時代の映画とか
音楽とか

色々なジャンルのものから
影響を受けてるんですけど

自分の小説も それと同じように

同時代のミュージシャンとか
映画監督とか

もの つくってる人が 僕の作品に
反応してくれるってことは

すごく うれしいんですよね。

だから 監督さんとか キャスティングとか
いろんなことには

口出しをしないことに
してるんですよね。

映画は映画の つくる人たちの
作品なんで。

僕は こうだと思って 映画も
そのとおりになってたら

原作者としては
満足かもしれないけど

ちょっと 映画として

それは うまくいってない
ってことなんじゃないかなって

気もするんですよね。

関わった人たちのクリエーティブなものが
反映される余地が

あんまり ないってことなんで。

客観的に見れるもんなんですか?
それとも やっぱり

主観的になってしまう部分の方が
多いんですか?

いや~
やっぱ ドキドキしますよね。

(一同の笑い声)

それが 一番 僕たち
ドキドキしますけどね。

昔ね 瀬戸内 寂聴さんって
もう 亡くなっちゃったけど

瀬戸内さんが 歌舞伎の脚本
書いたことがあって

一緒に見にいったことが
あるんですよ。

そしたら 瀬戸内さん 隣で

自分で書いた脚本なのに
ボロボロ泣きながら 見てて

すごい 感動して見てて。

これが やっぱり
作家の醍醐味だなと思って。

自分で書いたものに
自分で泣くみたいな。

それは 客観的なのか
主観的なのか

もはや 分からないっていうか。
自分は書いたって思いもあって

泣いてるとこも
あるかもしれないけど

やっぱ いち観客として泣いてる
みたいなところもあって。

何から始めるんすか?

題材から 始めるんすか?
それとも 人物なんすか?

僕の場合は やっぱり テーマかな。
やっぱ テーマ。

名前とかって
どうやって決めるんですか?

ん?
名前とかって…。

それはね 難しいんですよ。

まずね 知り合いの名前は
よけるってのがね。

いや もう だって
何冊も書いてたら…。

だんだんね よけきれなくなって
最近は しょうがないやと思って

知り合いの名前も
だいぶ 入ってんですけど。

キラキラネームになっちゃうよね。

やっぱりね どうしてもね…。

窪田はとか 妻夫木はとかって
書いてるとね。

妻夫木は いないでしょうね。

知ってる人のイメージがね
まざってきちゃうんで。

なるだけ 知らない名前とかを
考えるんですけど。

将来 子供ができるときに

いや この役の名前が
あったからなとか…。

自分の名前を避けるように
なったりとか。

共演した人の名前を避けるとか
なってくるよ 将来。

[それでは
今日も 素晴らしい一日を]

(秘書)あと1周! 網野さん
頑張れ~!
(網野)おう!

(部下)あと1人! ふんばれ~!