新日本風土記「鍋のしあわせ」海と山の幸に恵まれた日本には、全国に自慢の鍋もの・汁ものがある。猟が解禁となる冬、…
出典:EPGの番組情報
新日本風土記「鍋のしあわせ」[字][再]
海と山の幸に恵まれた日本には、自慢の鍋もの・汁ものがある。富山県氷見の「カモ鍋」。ハレの日に食べる沖縄久米島の「ヤギ汁」。鍋が運ぶ幸せの物語。(2020年放送)
詳細情報
番組内容
海と山の幸に恵まれた日本には、全国に自慢の鍋もの・汁ものがある。猟が解禁となる冬、富山県氷見には、猟師の夫婦とっておきの「カモ鍋」。沖縄・久米島には、ハレの日のお祝いで食べる「ヤギ汁」。娘の門出に、父が愛情をこめて作った一生に一度の味。祖国を離れ日本で暮らす人たちが作る鍋も。タラ漁が盛んな下北半島の脇野沢には、年の瀬、おばあちゃんが家族に振る舞うおふくろの味が。鍋が運ぶ幸せの物語(2020年放送)
出演者
【語り】松たか子,中條誠子,松尾剛ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
テキストマイニング結果
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
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風の中に
土の匂いに
もういちど 日本を見つける。
私を見つける。
(銃声)
(銃声)
(弌英)はい よし はいよし おいで。
この日を待っていました。
狩猟解禁 旬を迎えるカモ。
脂がのったカモを1羽丸ごと鍋に。
贅沢な山の恵みです。
おいしい。
(取材者)どんな味なんですか?
今日は皆さん ようこそ!
(拍手)
日本の津々浦々に その土地ならでは
自慢の鍋や汁があります。
沖縄の久米島で
ハレの日 お祝いに食べるのは…
ヤギ汁。
娘の門出に 父が愛情を込めて作った
一生に一度の味。
やむなく祖国を離れ
日本に根を下ろした
ベトナムの人たちが囲む鍋。
遠いふるさとに 思いを馳せて…。
寒さが厳しいほどしみる 鍋の味。
湯気の向こうには笑顔。
日本列島を 北へ南へ。
鍋が運ぶ しあわせの物語です。
♬~
冬の富山湾に浮かぶ 雪の立山連峰。
能登半島の付け根 氷見は
海に面しながら
豊かな山林を抱える土地。
鍋のしあわせ。
まずは やけどしそうなほど熱々
夫婦の鍋の物語です。
(銃声)
(銃声)
山の反対側で妻が追い立てたカモを
夫が狙います。
(銃声)
川嶋弌英さんは 狩猟歴46年の
ベテランハンターです。
会社勤めをしながら
趣味で狩猟をしてきました。
退職後は自由に山へ。
頼もしい相棒は 妻の光子さんです。
11月~2月のカモ猟の時期
夫婦の暮らしは賑やかになります。
猟でとったカモは 数日熟成させて
特製の鍋に。
カモのガラを1羽分 丸ごと使い
煮込んだスープは
力強く濃厚な味わいに。
(取材者)疲れてきたら?
うん。
地元では 料理自慢で有名な光子さん。
鍋を作ると聞けば
近所の仲間も寄ってきます。
いただきます。
はい どうぞどうぞ。
おいしい。
長年 猟をしてきた弌英さんは
普通のカモ肉には手を出しません。
はい ありがとうございます。
実は お目当てだったのは 首の肉。
1羽から1つだけ
濃いうまみは猟師だから知る味。
いただきます。
二人が結婚したのは 18年前。
お互い 2度目の結婚でした。
弌英さんが
射撃仲間と行った居酒屋で出会い
猟の話で意気投合しました。
それやろね。
光子さんは青森生まれ。
父親は船の乗組員をしながら
熊撃ちで日銭を稼ぐ マタギでした。
山で父親の猟の手伝いをして育った
光子さん。
就職を機に街で暮らしていましたが
弌英さんとの再婚で 再び山へ。
狩りをしたり 罠を仕掛けたり
なじみ深い生活が戻ってきました。
もっかい やっか。
(笑い声)
こんなもんじゃろがね あんた。
(笑い声)
鍋のごちそうといえば
すき焼き。
その脇役のお話。
どうも おはようございます!
いやぁ どうも いつもお世話さまです!
どうもこんにちは お邪魔します!
舞台は東京・浅草 老舗のすき焼き店です。
明治時代 一大歓楽街だった浅草は
牛鍋屋が軒を連ねた場所でした。
(取材者)声が通りますね ほんとに。
ハッハハ ありがとう!
呼び込みで鍛えた声ですから。
浅草で代々
演芸ホールを営む松倉さん一家。
いいことがあると 決まってすき焼きです。
初めにネギを焼くのが この店の作法。
1口目は 肉とネギの味わいだけを
楽しみます。
うん うまい。
(住吉)ここが手前どもで
これが本願寺さんですね。
明治13年創業の この店。
そのころ東京には すき焼きの原形と
いわれる牛鍋を出す店が 500近くも。
明治維新とともに肉食が解禁され
牛鍋は文明開化の象徴でした。
具は牛肉に ネギ。
主役の肉を引き立てる 大切な脇役です。
(岡本)毎度どうも ネギ屋です。
毎度どうも お願いします。
岡本健司さん。
長ネギだけを専門に扱う葱商です。
ありがとうございます
今 運んでまいります。
1束で10キロほど。
ネギを荒縄で縛って届けるのが
昔からのやり方。
店とのつきあいは先々代から100年近く。
岡本さんが卸しているのは都内130店舗。
細く長く 東京の料理店を支えてきました。
どうもすいません お邪魔します。
≪よろしくお願いします。
はい どうもありがとうございます
じゃ 失礼します お邪魔してきます。
健司さんに葱商の心得を教え込んだのが
大正時代に商売を始めた祖父 豊吉さん。
15歳で丁稚奉公に出て 18歳で独り立ち。
名だたる老舗に信頼を得てきました。
葱商は都内に6軒ありますが
ネギだけを扱うのは ここだけ。
鍋に合うネギ 蕎麦に合うネギ。
いっぱしの目利きになるには
20年かかるといいます。
健司さんの父 82歳の信義さんも
16歳から この道へ。
ええ 私が…。
はい 社長です。
いやいや 社長ってのは ない…。
うちの。
ネギ以外 脇目も振らぬ商いを
初代 豊吉さんから仕込まれました。
岡本家のすき焼きも
初代 豊吉さんの味です。
ネギはまっすぐに立て じっくりと煮る。
こういうとこから出てくんだよね
こうやって。
ここが一番分かりやすいです。
(健司)この このネギは もう大丈夫。
おじいちゃんが大好きだった
しみしみのネギ。
じゃ 一緒に食べよう。
はい。
じゃあ まず肉を…。
うん 柔らかいわね。
ネギだけでも十分。
味が深い。
元気になったしね。
沖縄本島から西へ100キロ。
サトウキビ畑が広がる
久米島。
この島では 祝い事のたびに
食べられてきた汁があります。
かつて 久米島では
一家に1頭いたという ヤギ。
厳しい環境でも よく育つヤギは
島民の貴重な栄養源でした。
特別な日にヤギを食べる習慣は
今でも変わりません。
(女性)新成人の抱負や
近況などの紹介をお願いいたします。
ちょっと今
見た目も荒れてるんですけど
親孝行したいなぁっていう
気持ちなんで…。
この日は成人式。
お祝いに合わせ 島に帰ってきた…
家では 娘の晴れ姿を
楽しみにしていました。
東京の専門学校に通っている美沙紀さん。
島に帰るのは半年ぶり。
父親の…
無口でシャイな昔気質の男。
朝視さんは 10年前に妻と別れ
6人の子どもの面倒を見てきました。
美沙紀さんは
かわいくてしょうがない末娘。
生後100日の祝いなど
節目節目でヤギ汁を作ってきました。
成人祝いは これで最後。
朝視さん 娘のために
準備に取りかかります。
集落のみんなに振る舞うため
肉の量も半端ではありません。
ヤギ1頭分 60人前を作るのは この大鍋。
島のほとんどの家にあるといいます。
ヤギ汁作りは かなりワイルド。
この肉を ヤギの脂で炒めます。
血や脂と よくなじませることで
ヤギの風味を肉に染み込ませるのが
おいしさの秘訣。
肉に火が通ったら水を入れ
煮込むこと3時間。
少し癖のあるヤギ汁は
島の人といえども
好みが分かれるようで…。
(取材者)食べないんですか?
何が苦手なんですか?
そんな肉のくさみを和らげるため
仕上げに加える島独特のものが…。
長命草は 海沿いに自生するセリ科の植物。
ヤギ汁に入れるのは
久米島だけの風習です。
美沙紀さんの成人祝いに
集落のみんなが駆けつけました。
大人への一歩を踏み出す娘へ
愛情を込めて作った 父のヤギ汁。
ここで 美沙紀さんからのサプライズが。
山里朝視殿。
はい。
(笑い声)
はい ありがとう。
(拍手)
6人の子どもたち全員
一人前になりました。
一段落ついたあとの汁の味。
♬~
♬~
結構 たっぷりといきますね。
♬~
♬~
じゃあ いきま~す! ミカン投入!
(一同)おいしくな~れ!
これいいよね 一口で食べやすいよね
っていうんで この大きさ。
で これ Sサイズより小さい。
セルフサービスでお願いします。
多分 山口県の方では
これが日常かもしれないけど。
あつっ!
(笑い声)
おいしい。 かぶりついた瞬間
ジュワッと出てきた。
うわ! 全然 皮食べれますね。
(岡村)でしょ!
えっ すごい! これ すごい!
♬~
いや でも ほんとにね…
♬~
(取材者)鍋だけ?
♬~
「試作する」って言うと うれしいです。
作らなくていいから。
♬~
♬~
冬が厳しいほど恋しくなる
鍋のぬくもり。
ここは 下北半島 脇野沢。
古くから タラ漁の盛んな土地として
知られています。
1隻に 1, 500匹。
今年は 願ってもない豊漁。
12月から2月にかけ
マダラは 産卵のために
陸奥湾へやって来ます。
水揚げは 集落総出。
バイト代は タラです。
じゃっぱ汁は 青森の年越しに欠かせない
タラのアラ汁です。
脇野沢では 暮れのご挨拶もタラで。
会長さ~ん!
≪は~い!
まるまる1本 お裾分け。
山崎輝美子さんは
集落でも指折りの料理上手です。
1人暮らしの輝美子さん。
帰ってくる家族のために
じゃっぱ汁の下ごしらえ。
タラは 足の早い魚。
もらったら すぐに さばきます。
身とアラには 塩をふって
寝かせておきます。
街育ちだった輝美子さんが
脇野沢に嫁いできたのは
60年ほど前でした。
家は 漁師の網元。
乗組員たちの世話で いつも大忙し。
働き者だった夫の隆さんは
59歳で亡くなりました。
3人の子どもは 今2人に。
33歳で亡くなった…
3人の子どもをもうけました。
孫たちも大きくなり
年末には ひ孫を連れて
脇野沢に帰ってきます。
♬~
12月30日 みんなが帰ってくる日です。
アブラは 肝のこと。
入れると深いコクが出ます。
じゃっぱ汁の具と味付けは
家ごとに違います。
新鮮なアラから出るダシを
シンプルに塩味で頂く
輝美子さんの じゃっぱ汁です。
お~ お~。
孫たちが帰ってきました。
亡くなった次女 幸子さんの
長女 愛里さんと長男の太一さんです。
家は あっという間に賑やか。
お待ちかねの じゃっぱ汁です。
(笑い声)
(笑い声)
シオン君 ほら。
ありがとうございます。
リイネちゃん はい。
(輝美子)
ガクちゃん ガクちゃん ガクちゃん。
こう おっきくなると思わなかったんだよ
ちゃっこくて。
♬~
ハフハフ アフッ!
もう一杯!
寒がりな 体と心の大発明。
人間は 冬眠しないから
お鍋が必要なんだね。
続いては 遠い南の国からやって来た
鍋の物語です。
神奈川の2つの市にまたがる
県内最大の公営住宅 いちょう団地。
(チャイム)
ここで暮らす ベトナム出身の皆さんが
週末の鍋パーティーです。
ベトナム人も
日本人に負けず劣らずの鍋好き。
人が集まれば 鍋を囲む習慣があります。
鍋の具には こんなものが。
味付けの鍵となるのは
タマリンドという果物の果肉。
酸味を出すために
東南アジアで広く使われる食材です。
魚のアラでもダシをとり
仕上げに入れるのが 炒めたパイナップル。
甘酸っぱく
魚介のうまみが深いスープです。
この団地で30年暮らす ミンさん 72歳。
いちょう団地は 10か国以上
660世帯の外国人が暮らす
多国籍団地。
1980年代 インドシナ半島から来た
難民の人たちが住み始めたのが
外国人が増えるきっかけでした。
ミンさんの家族も ベトナム戦争後
社会主義体制下の迫害を恐れ
祖国を離れました。
1979年 56人の同胞と
小さな船で5日間漂流し
日本船に助けられます。
当時 船で国を脱出した難民は
「ボート・ピープル」と呼ばれました。
インドシナ諸国の難民 144万人のうち
日本が受け入れたのは
およそ1万1, 000人です。
家族5人で 難民として
日本で暮らし始めた ミンさん。
新潟や品川など
各地の保護施設を転々とします。
いちょう団地に落ち着いたのは
来日して9年後。
病気がちだった夫に代わり
家族を支えました。
(取材者)溶接?
はい。
そうです。 そうです。
え~っとね…
2回もらった。
縁もゆかりもない日本で生きてきた40年。
夫を亡くし 子どもたちは皆
この団地を巣立ちました。
週末に 家族で食べた鍋は
今 祖国の仲間たちと。
寒い 寒い。
今日は…
団地で知り合い
苦労を分かち合った友人たち。
ロンさんは 16歳の時
徴兵を避けるため 国を去りました。
♬~
鍋のしあわせ 今度は?
熊本地震で
最も被害の大きかった 益城町。
木山仮設団地です。
ジャーンって。
被災地が ひととき華やいだ
一夜の鍋のお話です。
震災から 間もなく4年。
仮設団地は 変化の時を迎えています。
そこ 4つ出来る。
災害公営住宅が完成し
多くの人が 長い仮設暮らしを終えます。
6月には 木山以外の益城町の仮設は
全て解体されることになりました。
ここには 自宅再建のめどがまだ立たない
100世帯ほどが残るといわれています。
(遊ぶ子供たちの声)
木山仮設で4年間暮らす…
全壊した自宅の再建に時間がかかり
ここに残ります。
被災した次の日 真っ先に
家から持ち出したものがあります。
尺八です。
趣味で始めて もう19年になります。
學さんは 半年前に退職して以来
家に籠もりがち。
ご近所づきあいも ほとんどありません。
1月 黒塗りの車が
木山仮設にやって来ました。
次々と鍋の道具を運び込む男たち。
まるでプロレスラーのような
風貌ですが…。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
九州各地のお寺から集まった
お坊さんたちです。
よろしくお願いします。
東日本大震災をきっかけに
移動居酒屋と称して
被災地で鍋を囲む会を開いています。
最初は炊き出しをしていましたが
次第に もう一歩踏み込んだ形を
考えるようになりました。
木山仮設で初めて開かれる 鍋パーティー。
あの古田さん夫婦の姿も。
家に籠もりがちな學さん
「鍋と酒」と聞いて 重い腰を上げました。
それでは乾杯します。 はい 乾杯!
(一同)乾杯!
よろしくお願いしま~す。
仮設に残る人も 仮設を既に出た人も
集まりました。
もう食べていいですか?
鍋は お坊さんの代表 堀さんの地元
博多の水炊きです。
うん!
温かい鍋に酒。
聞き上手のお坊さんを前に
ご近所づきあいの少ない男たちも本音が。
やっぱ 何というかな…。
これまで自分のことを話す機会が
ほとんどなかったという學さんも…。
尺八 持ってきな。
ハァ~。
ハハハハハ!
ほら 持ってきなっせ
持ってきなっせ。
(拍手)
初めて あの尺八を
みんなの前で演奏することになりました。
(拍手)
イエイ イエイ イエイ イエイ!
すんません
流れで こがんなったもんでね。
イエーイ!
(拍手)
♬~
はい!
♬「おてもやん」
「おてもやん」。
熊本人の陽気さを歌う
誰もが親しんできた曲です。
♬「嫁入りしたことぁ したばってん」
♬「川端まっちゃん きゃめぐろ」
♬「春日ぼうぶらどん達ァ」
♬「しりひっぱって 花盛り 花盛り」
♬「さぞや お月さん 煙たかろ」
♬「ヨイヨイ ヨイヨイ」
♬「ヨイヨイ」
(拍手と歓声)
♬~
ってことで…
鍋は 最後のシメも お楽しみ。
神奈川 いちょう団地。
ベトナムの鍋のシメは…
米を使った麺 ビーフン。
鍋で煮込まず スープをつけ汁にして
頂きます。
これで おなかも いっぱいに。
♬~
下北半島 タラ漁の集落 脇野沢。
シメにも とっておきの一品が。
「こっこ」とは タラの卵。
1匹分を丸ごと使った ぜいたくな汁。
御飯にかけて食べるのが 孫たちの大好物。
(笑い声)
(笑い声)
(笑い声)
(笑い声)
おばあちゃん もう一杯。