感動の世界遺産 「リラ修道院/ブルガリア」リラ修道院は中世ブルガリアの文化と歴史、芸術があわさった重要な…
出典:EPGの番組情報
[字]感動の世界遺産 「リラ修道院/ブルガリア」
リラ修道院は中世ブルガリアの文化と歴史、芸術があわさった重要な世界遺産。天井のフレスコ画は19世紀のブルガリア宗教画の傑作といわれている。
詳細情報
番組概要
悠久の歴史と人類の叡知から生み出された世界遺産。遥かなる歴史浪漫の旅へ、あなたを誘う。
番組ホームページ
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ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – 旅・釣り・アウトドア
福祉 – 文字(字幕)
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東ヨーロッパ
バルカン半島に位置する
ブルガリア共和国。
首都 ソフィアから
南へ およそ120キロ。
リラ山のふもとには
赤い屋根が並ぶ町並みが
広がります。
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山や丘陵に富んだブルガリアは
ヨーロッパにありながら
どこか アジアのエキゾチックな
薫りを持つといわれます。
その地勢上
東に位置するトルコ系の遊牧民や
モンゴル人
オスマントルコなどから
度々 ブルガリアは
侵略を受けました。
そのため 町には
イスラム教のモスクなどの施設も
見られますが
ブルガリアにおける最大の宗教は
東方正教会の いち組織である
ブルガリア正教です。
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リラ山中に
ひっそりとたたずむ修道院が
リラ修道院です。
強固にそびえる
城塞のような門構え。
壁の高さは およそ24メートル。
ブルガリア正教における
最大の修道院です。
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正面玄関に描かれた絵画は
いかめしい城壁の厳格さと
対照を成しています。
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古来 数多くの信徒たちが
この門をくぐり
修道院に詣でました。
門の天井にも
この地方独特の筆致による
フレスコ画が描かれています。
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修道院の敷地に入ると
独特なデザインの聖母聖堂が
目に飛び込んできます。
リラ修道院の起源は 10世紀にまで
さかのぼるとされます。
一人の修道士が
自らの財産を
貧しい人々に分け与え
修道生活を始めます。
イヴァン・リルスキー。
彼は ここリラ山中にこもり
日夜 熱心な祈りを
神に捧げました。
彼を慕う人々が集まり
山のふもとに
集落が形成されていきます。
そうした信徒たちが
修道院の礎を築きました。
リラ修道院という名前は
聖人 イヴァン・リルスキーの
名前に由来します。
修道院は設立以来
ブルガリアの統治者たちから
厚い保護を受けてきました。
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ブルガリアの人々の
信仰心もあつく
政情が不安定だった
中世ブルガリアにおいて
瞬く間に リラの修道院は
精神的 文化的な中心と
なっていきました。
聖母聖堂の屋外に備えられた
回廊は
色鮮やかなフレスコ画で
埋め尽くされています。
『聖書』などから取られた情景
モチーフは
1200に及ぶといわれます。
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ブルガリアに
キリスト教が伝えられたのは
9世紀の事とされています。
当初 修道院における
宗教画 壁画には
こうあるべきという
一定のパターンが
決められていました。
描かれる人物
そして その姿勢や表情 色使い
構図などがきっちりと定められ
手本どおりに描く事が
画家の仕事であると
されていたのです。
天から もたらされるものを
画家は忠実に表現し
民衆に伝えなければならない。
宗教画を描くという行為は
自らの信仰を実践する行為でも
あったのです。
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そうしたブルガリアの宗教壁画に
変化が起こったのは
17世紀の事とされています。
中世以来 ブルガリアの国土は
異民族であるモンゴル人の侵攻に
度々 さらされてきました。
そして 1393年
オスマン帝国に攻め入られ
ブルガリアは オスマン帝国の
属国とされてしまいます。
そのオスマントルコ帝国からの
支配に対抗する意識が
絵画に表れたのです。
それまで頻繁に
テーマとされてきた修道士から
次第に 戦う聖人へと
モチーフが移っていきました。
竜と戦う聖ゲオルギウスや
異教徒を調伏する
デメトリウスなど
敵と戦い勝利する
というイメージには
当時のブルガリアの
そうした世相が
反映されていました。
♬~
リラ修道院は
伝統的に特権的な地位を
与えられていました。
ブルガリアの君主たちは
リラ修道院の税金を免除し
自治に関する特権を
与えていたのです。
そして その特権は
オスマントルコが
支配するようになっても
受け継がれました。
17世紀から18世紀にかけて
オスマントルコの体制が揺らぐと
帝国の内部で騒乱が頻発します。
そして 支配を受けていた
ギリシャを始めとする
諸民族たちは
次々と 自治独立を
帝国から勝ち取っていきます。
19世紀末
ロシアとの戦争に
オスマン帝国が敗れ
20世紀の初頭に ブルガリアは
晴れて独立を宣言しました。
それは 激変する世界事情
ロシアやイギリス
オーストリアなどの大国の野望が
複雑に絡み合った結果では
ありましたが
ブルガリアの悲願が
ついに現実になった瞬間でも
ありました。
♬~
その悲願は ここリラの山中
リラ修道院から
始まったものでした。
リラ修道院は
ブルガリアの文化と政治を
再興するべく
トルコからの解放運動の
精神的な とりでと
なっていったのです。
♬~
リラ修道院は
ブルガリアの民族意識と
独自の文化をとどめる史跡として
1983年
世界遺産に登録されました。
♬~
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美しい自然に包まれた
ルーマニア北部
モルドヴィア地方。
モルドヴィア地方北部には
ヨーロッパの中でも
他に類を見ない
独創的な教会群があります。
その教会は それぞれに
後期ビザンティン美術の
傑作で覆われ
周囲の自然と調和しています。
その一つ ヴォロネッツ修道院の
聖ゲオルギ教会は
壁を彩るフレスコ画の美しさから
東欧のシスティーナ礼拝堂と
称賛されます。
15世紀後半
モルドヴィアの最盛期を築いた
シュテファン大公の時代。
ビザンティンの特徴と
地方の文化が融合した
モルドヴィア独自の美術が
生まれました。
1488年
木造の教会があった敷地に
聖ゲオルギ教会が建てられました。
教会の外壁は
ヴォロネッツの青と呼ばれる
その強烈な青色を背景に
数百の肖像画 フレスコ画で
描かれています。
教会の西側に
モルドヴィアの修道院で
最も素晴らしいといわれる
「最後の審判」が描かれています。
栄光に満ちた無数の聖人が
天国に住まうという図像は
モルドヴィア芸術の最高傑作と
たたえられます。
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建物を覆うように突き出た屋根は
雨や強い日差しから
壁画を守ります。
こうした屋根は
北モルドヴィア地方の教会で
同じように見られます。
15世紀後半
シュテファン大公の時代に
モルドヴィア公国は
最盛期を迎えました。
その頃
東南ヨーロッパを席巻していた
オスマントルコの
攻撃に遭いますが
大公は 攻撃に屈する事なく
キリスト教信仰を守りました。
そして 新たな勝利を収める度に
戦勝を祝って
修道院を建てました。
こうして多くの宗教建築が造られ
それらは 中世モルドヴィア美術の
最高の遺産となりました。
南のファサードには
エッサイの樹が描かれています。
キリスト教美術の主題の一つで
キリストの系譜を図像化した
この絵は
16世紀の中頃
無名の芸術家によって
描かれました。
壁画は 数百年の時を経た今なお
鮮やかなヴォロネッツの青を
とどめています。
ビザンティン帝国の没落ののち
モルドヴィアと隣国のワラキアは
ビザンティン芸術の継承を
推し進めました。
そして 自らの宗教を守るため
東方正教会を支え続けました。
教会の装飾は スチャヴァの
熟練画家の指示のもと
芸術家たちによって描かれました。
ビザンティンの概念では
全ての教会は
神が創造した宇宙を表し
天と地上の位階は序列を表示する
と考えられています。
教会の穹窿天井の周りは
神の世界を象徴する図像が描かれ
壁面は 『福音書』や
聖人の生涯を表す場面が
描かれます。
モルドヴィア北部の教会の壁画は
第2期ビザンティン芸術と
呼ばれます。
ビザンティンの画家たちは
過剰な装飾で
ドラマティックな手法を
展開しましたが
モルドヴィアの画家たちは
極めてシンプルな表現を追い求め
力強い描線や
滑らかな色彩の壁画を
生み出しました。
モルドヴィツァ修道院は
領主 ペトル・ラレシュ公によって
1532年に建てられました。
修道院の教会は
高い壁と大きな塔が印象的な
モルドヴィア地方で
最も美しい教会です。
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教会の外側を彩る壁画には
大きく分けて
2つのテーマが描かれています。
南のファサードは
躍動的に描かれた
コンスタンティノープルの
攻防戦と
受胎告知の賛歌が描かれています。
♬~
モルドヴィツァの教会の特徴は
西の面に設けられた
3つの高いアーチが印象的な
玄関廊です。
教会を彩る絵に表現される場面は
典型的な
モルドヴィアのモチーフで
描写の手法は
ビザンティンとルネサンスの
影響を受けています。
玄関廊の壁は
最後の審判が描かれ
アーチの部分には
子供のキリストを抱いた
聖母マリアが描かれています。
聖域の上のアーチ形天井では
天使に囲まれたイエスと
聖母マリアが描かれます。
♬~
モルドヴィア地方北部の
教会に見られる
壁面を彩る『聖書』の物語は
文字を読む事ができない農民に
キリスト教を
わかりやすく布教するために
描かれたのだといわれます。
美しい壁面は
周囲の自然を損なう事は
ありません。
芝生の緑と空の青が
教会の建物と調和しています。
♬~
教会の壁全体の場面と肖像は
教会の秩序を強調するために
入念に配置されました。
建物の構造上の問題を補って
後陣の曲面を飾る人物像は
細長く描かれ
装飾全体を眺めた時
バランス良く表現されます。
♬~
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フモール川の渓谷にある町
グラフモールルイから
北へ6キロほど離れた所に
フモール修道院があります。
1530年 それまで
古い修道院があった敷地に
有力貴族
テオドール・ブブイオグによって
建てられました。
フレスコ画は
スチャヴァの画家 トマによって
1535年に描かれました。
ヴォロネッツの青で知られる
ヴォロネッツ修道院の
フレスコ画では
青を特徴としていたのに対し
フモールの教会は
アカネの顔料で作られる
赤褐色を特徴としています。
フモールの教会のファサードは
典型的な図像的テーマの
受胎告知の賛歌を始め
「エッサイの木」「最後の審判」が
描かれています。
♬~
♬~
フモールの教会は
領主や貴族の埋葬地として
建てられました。
画家たちは
基本的な図像プログラムに従って
壁を装飾しましたが
画家自身による
場面の解釈によって
独自の方法で描かれました。
♬~
ルーマニアの
モルドヴィア地方北部に見られる
建物の外側と内側が
フレスコ画で装飾された
印象的な教会の数々は
中世から残されてきました。
後期ビザンティン美術の傑作と
たたえられる
その独特の様式の教会のうち
7つの教会は
1993年 ユネスコの世界遺産に
登録されました。
♬~