にっぽん!歴史鑑定『世界遺産 姫路城のミステリー』半世紀ぶりの化粧直しを終え、まばゆいほどの白さを取り戻した姫路城…

出典:EPGの番組情報

[字]にっぽん!歴史鑑定『世界遺産 姫路城のミステリー』

半世紀ぶりの化粧直しを終え、まばゆいほどの白さを取り戻した姫路城。なぜ白亜の優美な城でなければならなかったのか?築城にまつわる秘話とともに400年の歴史を辿る。

詳細情報
出演者
【歴史鑑定人】田辺誠一
番組内容
半世紀ぶりの化粧直しを終え、まばゆいほどの白さを取り戻した姫路城。サギが羽を広げたような優美な姿から白鷺城とも呼ばれているが、その実態は堅守の仕掛けが施された戦の拠点。ではなぜ白亜の美しい城でなければならなかったのか?築城にまつわる秘話とともに、400年の歴史を辿る▽呪われた城?藩主一族が次々と怪死…“大天狗のたたり“の真相に迫る▽今や奇跡の城!激しい空襲に遭っても焼失を免れた理由とは?~地元の人
番組内容2
々の思いがこもった感動ストーリー
HP
https://www.bs-tbs.co.jp/kantei
監督・演出
山崎勝久
音楽
蓮花「夢ヒラリ」
制作
2016年

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – その他

テキストマイニング結果

ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20

  1. 姫路城
  2. 天守
  3. 輝政
  4. 千姫
  5. 家康
  6. 大天守
  7. お城
  8. 手紙
  9. 非常
  10. 漆喰
  11. 姫路
  12. 領民
  13. 秀頼
  14. 城主
  15. 石垣
  16. 当時
  17. 突破
  18. 豊臣家
  19. トイレ
  20. メートル

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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<まばゆいほどの白さを誇る姫路城>

<国宝にして 世界遺産です>

<平成27年 半世紀ぶりの化粧直しを終え>

<往時の美しさを取り戻しました>

<白鷺が羽を広げたような 優美な姿から>

<白鷺城とも呼ばれています>

<築城したのは>

<外壁のみならず 屋根の目地までもが 漆喰で塗られた白亜の城>

<輝政はなぜ戦いのための城郭を 白く目立つようにしたのか?>

<大天守最上階に神社が?>

<姫路城で巻き起こった 奇っ怪な事件の数々>

<輝政は呪い殺された?>

<姫路城のミステリー>

<真相は石垣が知っていた?>

<築城から400年 今なお その威容を 奇跡的にとどめる姫路城>

<なぜ城は幾度もの戦火を 逃れることができたのか?>

<城郭建築の最高峰 天下無双の城に迫ります>

その歴史の謎 私が鑑定しましょう

<ここから1キロメートル余り>

<天守へと 真っすぐ延びるのが>

<かつては この辺りまでが城内でした>

<その広さは187ヘクタール>

<東京ドーム およそ40個分>

<姫路城は 「姫路」の名の由来ともいわれる>

<標高46メートルほどの 姫山を中心に造られました>

<構造は 3つに分けられていて>

<中心にあったのが 天守のある城郭です>

<戦いの最後の砦であるこの場所は>

<攻撃と防御のための櫓で囲まれ…>

<城主の住む本丸のほか>

<一族や家臣が住む 二の丸 三の丸などの>

<居住空間がありました>

<その奥にあるのが 見張り台として建てられた天守>

<姫路城には>

<があります>

<城の入り口となるのが>

<広大な三の丸広場を抜けて 天守を目指しましょう>

<案内役は 城郭研究所の工藤茂博さん>

<三の丸から二の丸に通じる 唯一の入り口 菱の門は>

<城内最大の門>

2階建ての櫓門になってまして

櫓門っていうのは
石垣の間に門があって

その上に櫓がのるという形の門を
櫓門といっています

外観は 江戸時代よりはちょっと遡る
桃山時代ぐらいの意匠を残している

城門になっています

お城の正面に当たる
格式の高い門なので

そういうことも気を使って
建物が建てられていると考えられます

<では いざ 門の中へ>

さあ 今日は姫路城です

いや~ 美しい白亜の城

僕はまだ行ったことないんですが

やっぱりお城は
見どころがいっぱいありますね

菱の門の先
ちょっと気になってしかたがないので

続きを工藤さんに
案内していただきたいと思います

工藤さん 姫路城の案内
よろしくお願いします

はい 分かりました

田辺さん ここから見たらですね
天守が非常に近くに見えます

でもですね
天守までたどり着こうと思ったら

色々 仕掛けがあって
たどり着くのが非常に困難になってます

あっ そうなんですか
では 心して行きます

菱の門をくぐるとですね
まずですね 右側に通路があります

そして 正面にも
もう一つ通路があるんですよね

田辺さんが もし 敵将だったら

どちらのルートから攻めますか?

う~ん… 門を突破して

その勢いで
真っすぐ行きたいところですが

まあ ここは あえて右で

では 右のルートから
行きたいと思います

<確かに こちらのコースの方が>

<立ちふさがる門の数も 少なくて>

<攻めやすそうですが…>

ここが るの門です

このようにですね
石垣の中に築かれた門で

埋門とも呼ばれています

随分 入り口が狭いですね

これでは 攻め込んだ兵士達は
少しずつしか通れませんね

ええ 本丸へのね
最短ルートということもありますので

やはり敵に狙われやすいと

いざというときはですね
ここ 穴のようになってますので

この中に 石とか土砂をですね
崩して埋めてしまう

そうすると 門が完全に
封鎖されてしまうというですね

そういう仕掛けになっています

だから埋門なんですね

あっ 埋められたら
これもう戻るしかないですよね

そうですね たとえですね

このるの門を
突破できたとしてもですね

ここはですね 本丸へ到達するための
関門になります

非常にですね 頑丈な
鉄板張りの門になっています

一番上の2層目 ご覧くださいね

そうすると 出格子窓というのがあります

鉄砲をですね ああいう窓から
撃つことができるようになっています

う~ん ここは絶対に通さないぞという

強い意志を感じますね

いや 右を選んだのは
ちょっと失敗でしたね

やはり城を攻めるのは
難しいですね

<では 田辺さんが選ばなかった>

<直進コースで 攻め込んでみることにしましょう>

<敵将達が 最初に突破しなければならないのが>

<こちらの いの門>

このいの門をくぐった
ここの空間ですね

これ普段
二の丸って呼んでますけれども

武者溜りの空間になってます

いの門を もし突破して
敵兵がこの中に入ってきても

ここに待機している兵隊と
戦わなければいけないということで

お城を守るための
一つの重要な空間になっています

<さらに ろの門 はの門と続きますが>

<通路は複雑に折れ曲がり>

<攻め込む敵将達を 翻弄する迷路のようになっています>

<通路にも様々な仕掛けが…>

<道沿いの白壁には 狭間という小さな穴があいています>

<城を守る兵士達は>

<ここから鉄砲で 敵を迎え撃ちました>

<こういった狭間は 城内におよそ900個あります>

狭間の口ですけれども

外側を小さくして
中側は このように広くすると

外側を小さくすることで
敵の攻撃を避ける

そして 内側を広くすることで
射角が広がるという

で こういう仕組みを
アガキというふうにいいます

<では 天守へと向かいましょう>

<にの門は 堅ろうな鉄板張りの扉に>

<3つの櫓が組み合わされた 複雑なつくりの門です>

ここが にの門ですね

非常に変わった門でして
通路の上に門があって

ここが直角に折れ曲がるという
構造になってます

先が見えませんから 敵からしたら
非常に攻めにくいという

まあ そういう効果があると思います

それと 非常に天井が低いですから
この上に兵隊が控えていて

もし この門を突破してきたら
上から槍でつつくとかですね

そうして敵兵が
これ以上進むのを阻止するという

そういう役割を持った門になってます

<こうした堅い守りを突破して ようやくたどり着けるのが…>

<白亜の大天守です>

いや~ 大天守までの道のりは
かなり困難なものでした

ようやく この美しい大天守まで来ましたが

見事なまでに白いです

お城といえば 黒というイメージですよね

戦いのための城
黒い方が目立たなくていいと思うんですが

え~ こんな感じですかね
姫路城を黒にしてみると…

う~ん 黒の方が
ちょっと強そうに見えませんか?

よく見る城のイメージという感じがします

では なぜ黒鷺ではなく

白鷺でなければならなかったのでしょうか?

<天下分け目の関ヶ原の戦い>

<この戦で 戦功を挙げ>

<徳川家康から 播磨52万石を与えられて>

<初代姫路藩主となったのが 池田輝政です>

<元々は 秀吉の家臣でしたが>

<秀吉の死後 家康に仕えた戦国武将>

<家康が この輝政に 姫路城築城を命じたのには>

<訳がありました>

<関ヶ原の戦いに勝利し 天下をその手中に収めた家康でしたが>

<大坂城には豊臣家が いまだ健在>

<さらに 西国には 家康を快く思わない>

<秀吉恩顧の大名達が まだ多く残っていました>

<そこで 家康は 西国大名と大坂の間に位置する姫路に>

<両にらみのための城を 造ろうと考えたのです>

輝政っていうのは 信長以降ずっと…

織田家 それから
豊臣家に仕えた大名なんですね

だから家康としては
自分に忠実でもあり

豊臣家とも近しい関係にあるということで

あまり豊臣家も刺激せずですね
姫路に置くことができたと

西国統治を穏便に進めるためには
やはり池田が…

輝政が適任だったというふうに
家康は考えたんでしょうね

<こうして 関ヶ原の翌年から>

<秀吉が かつて築いた 三重の天守を取り壊し>

<輝政は新たに 8年の歳月をかけて>

<大天守と3つの小天守を造り上げたのです>

<高さ15メートルの石垣の上にそびえる 大天守>

<に なっています>

<凜とした千鳥破風に…>

<曲線が美しい唐破風>

<様々な意匠が城に気品を与えています>

<壁は>

<姫路城が他に類を見ないのは 屋根までも白いからです>

屋根の瓦 瓦と瓦の継ぎ目
目地のところにですね

漆喰を塗ってるんですね
それを屋根目地漆喰といいますけども

この漆喰が盛られてるんですね
盛られてるために

天守の屋根全体がですね 真っ白く見える

<壁や屋根に大量の漆喰を使ったのには 理由があるといいます>

漆喰の成分ですけれども

石灰 まあこれはですね
塗ると火に強いということで

戦略的に防火ということで

やっぱり
この白漆喰を採用したんだと思いますね

<しかし輝政が ここまで白にこだわったのは>

<単に防火のためだけではありませんでした>

白くした理由が他にも?

工藤さん その理由というのは
何だったんでしょうか?

う~ん ひと言で言うと
威厳ですかね

威厳ですか?

姫路城ができたときっていうのは
関ヶ原の合戦が終わって直後です

まだ世の中は
完全に治まったわけではありません

さらに姫路の地域に 新しい城主として
池田輝政が入ってきたということで

領民に対してですね

これから新しい時代が来たんだということを

視覚で分かりやすく訴えるという
そういう狙いがあって

このような大きなお城
かつ 真っ白に塗って

恐らく 当時 これだけ真っ白な
大きな建物ってなかったでしょうから

領民が見たら
何か新しいものが来たんだな

時代が変わったんだなということが
分かるような

そういった意図があったと思います

領民達に新たな領主の力を
城で見せつけた ですか

まあ 今見ても
白さに圧倒されてしまうんですから

当時の人々の驚きといったら
なかったでしょうね

そうですね この白い漆喰ですね

決して安いものじゃありませんから

これだけ多くの漆喰を使えるというですね
そういった財力

そういったものも 豊かさの象徴として

領民に訴える力があったと思います

なるほど あっ 工藤さん
ありがとうございました

威厳を示すための白亜の城

それにしても 輝政の美意識
高いですね~

<姫路城の天守は 美しいだけではなかった?>

<美しさの裏に隠された 難攻不落の城の恐ろしさとは?>

<姫路城の特徴は>

<大天守と3つの小天守を 渡櫓でつなぐ>

<連立式天守>

<そのため 見る角度で表情が違います>

<これが 姫路城の魅力>

<美しさを より一層 引き出しているのです>

<しかし 美しさの裏には>

<恐ろしさが隠されていました>

<小天守は それぞれが 堅固な砦になっていますが>

<万が一 敵の手に落ちた場合でも>

<残された大天守に 万全の備えがなされていたのです>

<外観は 5層の大天守ですが>

<内部は地下1階から 地上6階の7フロア>

<地下1階は 籠城戦になった場合の備えとして>

<食糧や燃料を貯蔵する場所で>

<およそ400人もの兵士が>

<数カ月 立てこもる用意があったと いわれてます>

田辺さん
この木の大きな枠ですけど

何だと思います?

これは… これ お風呂?

風呂桶じゃないですかね…

10人ぐらい入れそうですもんね

う~ん 確かに 銭湯 行ったら
これぐらいの風呂桶 ありますけれども

実は違うんですよね
水を 周りに蓄えておいて

調理をするための流しなんですね

例えば 野菜とかですね
洗った その水が このすのこを通って

この 外側に排出されるようになっています

もし 籠城することになったときは

兵士達のために 食糧を提供できるような

そういった施設が
天守の中には備わっていました

田辺さん
さらにですね この扉の向こうに

籠城するのに必要なものが
あるんですけれども

何か クローゼットのような…

何か 武具とか そういう荷物を置く
部屋なんですかね

<では 今回は特別に 中をお見せしましょう>

<どうですか?>

あっ これはトイレですかね

まあ そうですよね 長期戦なので

はい トイレ 必要ですよね

この天守の地下にはですね
もう3つ トイレがあります

で さらにですね
西小天守の地下にも3つ トイレがありまして

便壺がですね 実は備前焼なんですね

このように 天守の中に
トイレがあるというのは

日本のお城の中では
非常に珍しい例になっています

<現在 日本に 建てられた当時のまま残る城は少なく>

<このような状態で 天守に厠が残されているのは>

<珍しいんだとか>

<そして こちら>

<1階部分の壁際にあるのが 石落しです>

<石垣を登ってくる敵に>

<石や熱湯を浴びせ 攻撃するための設備>

<また 天守内の壁には 武具掛けがあり>

<ここに 大量の鉄砲や槍を収めていました>

<さらに 3階には こんな仕掛けが…>

<窓際の壁に作られた 小さな四角い穴>

<実は この奥は隠し部屋になっているんです>

<落城後 敵の武将は 中を確認するため>

<必ず 天守に上がってきます>

<3階は 他の階に比べ薄暗くしてあるので>

<武将は明かりを求め 自然と窓に近づきます>

<その瞬間>

<先ほどの穴から 鉄砲で武将を狙撃するのです>

<天守が戦いの舞台となったときは すでに負け戦です>

<しかし 姫路城は天守も鉄壁の守りを固め>

<どこまでも諦めずに戦うための城でした>

<では 大天守 最上階へ>

<ここからの眺めは壮観です>

<姫路の街 かつての城下町が一望できます>

<しかし ちょっと不思議なものが…>

<そう 神社>

<実は 姫路城は呪われていた!?>

<徳川家康の命を受け>

<初代姫路藩主 池田輝政が築いた 姫路城>

<しかし 不吉な出来事が次々と起こります>

<姫路城が完成して まもなくのこと…>

<1通の不気味な手紙が>

<輝政宛てに届いたのです>

<姫路から北東30キロにある 圓満寺>

<ここに その手紙が 大切に保管されていました>

<手紙の長さは 3メートルを超えています>

<差出人はというと…>

播磨一帯を治めてた
大天狗のことだと思われます

<書状には こう つづられていました>

天狗からの手紙とは また 不可解です

不可解なことは
このとき 始まったことではありませんでした

それは 天守閣が
姿を現したころのことでした

城内に鬼が現れ
夜な夜な人を殺し

奥女中をさらっていったのです

そんな中 届いた手紙に
家臣達は不安に駆られ 心配しますが

輝政は
「そんなものは気にせずともよい 捨て置け」

それから2年後 輝政は謎の病にかかり

床に伏せてしまいました

何をしても一向に回復しないため

人々は こう 噂しました

「天狗の祟り」だと

<家臣らは 圓満寺から僧侶を呼び 祈祷をさせ>

<輝政の病気回復を願いました>

<それは 数週間に及んだといいます>

<すると そのさなか とんでもないものが現れたのです>

<怒り狂った鬼です>

<鬼は こう言いました>

我は おさかべの神である

<おさかべとは 古くからこの地を守ってきた神様>

<家臣達は 今度はその怒りを収めようと>

<天主のすぐそばに おさかべの神を祭る神社を建てました>

<しかし 翌年 輝政は亡くなってしまいます>

<おさかべの神の怒りか>

<手紙を送ってきた 天狗の祟りか>

<人々は 目に見えぬ恐怖に震えました>

この手紙が 誰が書いたか
今となっては 分かっておりません

その当時 苦しめられた民衆の代表が

こういう手紙を輝政公に
届けたんじゃないか

というようなことも思われます

<苦しめられた民衆の声とは>

<一体 何だったのでしょうか?>

<そのヒントが 城の改修工事をした際に 発見されています>

<こちらは 築城当時の木材>

<よく見てみると 何やら模様が彫られています>

<ムカデに…>

<こちらは 平仮名の「の」>

<これは 絵番付と呼ばれるもので>

<文字が読めない 職人や領民のため>

<どの木材とどの木材を合わせるか>

<一目で分からせるための印でした>

<家康から 姫路城築城を命じられた輝政でしたが>

<巨大な城を造るには 多くの労働者が必要です>

<そこで 一日に7000人>

<延べ 2500万人もの領民を徴用>

<さらに 莫大な費用を賄うため>

<年貢を2割 引き上げ>

<田畑の肥料だった肥壺にまで>

<税金を課しました>

<働き手を奪われた上に増税>

<8年間に及ぶ城の建築は>

<人々の暮らしを圧迫したのです>

<こちら 備前門は>

<かつてあった 輝政の館の入り口に当たる門です>

<石垣には ひときわ大きな石が組まれています>

<実は これ 古墳に使われていた棺の石>

<輝政は石不足を補うため>

<古墳の棺や墓石>

<灯籠までも 召し上げていたのです>

領民の暮らしを犠牲にし

死者をも恐れぬ輝政

家臣達が 領民を苦しめた殿を

おさかべの神が祟っている

そんなふうに思って
神社を祭った気持ちも分かる気がします

しかし その後も池田家には不幸が続き

輝政の妻 長男 次男と
次々に この世を去ります

そして程なく 池田家は
鳥取へ国替えを命じられるのです

完成から わずか8年で

城を明け渡すことになってしまいました

う~ん やっぱり 祟りでしょうか?

姫路城の永遠の謎です

<その後 長壁神社は>

<代々の城主から 城の守り神として大切に祭られ>

<いつの頃か 大天守の最上階に移されました>

<さて 姫路城の西の丸には>

<240メートルの 日本一長い櫓があります>

<一人の姫のために造られたという櫓>

<なんと ここにも祟りが>

<元和3年 国替えとなった池田家にかわり>

<姫路城の新たな城主となったのは>

<代々 徳川家に仕えてきた 譜代大名の本多家でした>

<その本多家に 一人の姫君が嫁いできます>

<千姫は元々 秀吉の世継ぎである 秀頼と結婚していました>

<しかし 大坂の陣で 徳川が豊臣に攻め入った際>

<家康によって救出されます>

<残った夫 秀頼は自害して果てました>

<命を救うことのできなかった千姫は>

<心に深い傷を残したまま この姫路城にやって来たのです>

<2人目となる夫は本多家の跡取りで>

<眉目秀麗と噂された忠刻>

<忠刻は傷ついた千姫を癒やすために 心を砕きました>

<そのとき 新たに設けたのが 西の丸御殿です>

<屋敷をぐるりと囲むのは 長さ240メートルもの櫓>

<百間廊下と呼ばれる その脇には>

<いくつもの小部屋がつくられました>

<千姫に仕える侍女達が ここで暮らしたといいます>

<廊下の突き当たりが 千姫の居室です>

<2年後 千姫は初めての子 勝姫を>

<さらに本多家の跡取りとなる 幸千代を授かります>

<ようやく訪れた幸せな時間>

<しかし 再び千姫を不幸が襲います>

<元和7年 幸千代がわずか3歳で亡くなったのです>

<深い悲しみの中 千姫は もう一度 子宝に恵まれるようにと>

<城のそばに天満宮を建てます>

<それは西の丸の櫓から 見える位置にありました>

<千姫は ここから 朝に晩にと手を合わせ>

<祈ったといわれています>

<さらに千姫は占いにもすがりました>

<すると…>

≪不幸の原因は
亡き夫 秀頼の祟りであろう

<驚いた千姫は 秀頼の供養にと仏像を彫らせ>

<その中に こんな手紙を収めました>

<しかし その願いは届かず 夫 忠刻が病死>

<千姫は一人娘の勝姫を連れて江戸へ>

<落飾して天樹院と号し>

<亡くなるまで 2人の夫の菩提を>

<弔い続けたと いわれています>

実は本多忠刻が亡くなったのは5月7日

それは 11年前に大坂城が落城し
千姫が一人 城を脱出し

豊臣秀頼に
別れを告げた日だったんです

おさかべの神の祟りの次は
秀頼の呪いですか

何だか姫路城で暮らす者達に
不幸が襲いかかりますね

しかしです

姫路城自体は
建てられた当時の美しさを保っている

400年もの間です

これは なぜなんでしょうか?
調べてみましょう

<戦国時代に築かれた城の多くは>

<戦火や時代の波にのまれ 消えていきました>

<そんな中 姫路城は 幾たびもの危機を乗り越え>

<今なお 往時の姿をとどめています>

<築城から400年>

<家康は豊臣家を一掃するべく>

<大坂にいた秀頼への攻撃を開始します>

<戦うために築かれた姫路城は>

<このとき 西国大名を迎え撃つため 万全の備えを整えていました>

<しかし…>

当時 浅野幸長とかですね
加藤清正っていう

豊臣方につくかもしれない
有力大名の多くは

もう死んでいたんですね

で それから 家康も敵になりそうな大名には

結構 弾圧を加えてたんで

豊臣家について
家康と対決しようという大名は

ほとんど残ってなかったわけですね

結果的に姫路城が戦場の舞台になることは
なかったわけですね

<その後 太平の時代へ>

<徳川幕府のもとで 姫路城の城主は 次々と入れ替わっていきました>

<そのことを今に伝えているのが 屋根瓦です>

<揚羽蝶文は池田家>

<三葉立葵文は本多家>

<中には わずか数年で国替えとなった 大名もいました>

姫路城っていうのは やっぱり
西を守るですね 拠点なんですね

例えば 藩主が替わって
次の藩主が非常に幼少であるとかですね

そういう場合は その人を別の場所に移して

他のですね 譜代大名の中で
きちんと成人してる

信頼できる大名を移すと
そういう城になってるんですね

それだけ徳川家は
姫路城を重視していたわけです

<しかし 城主達は 常にある不安に駆られていました>

<江戸時代中期に書かれた資料に こう記されています>

<巨大な天守の重さは 実に5700トン>

<城がその重さを支えきれず 傾き始めていたのです>

<城主達は どう対処したのか>

<今から60年前に行われた 解体修理で明らかになりました>

<部屋のゆがみを防ぐ筋交いや…>

<つっかえ棒のように天井を支える柱などが 見つかったのです>

<継ぎ目には年号が記されていました>

調べてみると 記録に残ってるだけで

36回 修理が行われてきています

姫路のお城の城主になるっていうのは
非常に名誉なことなんですね

本社が江戸にあったとすると
姫路支店というのは

出世コースの一つの重要なお城になります

お城が壊れたからといって
ほっとくわけにはいきませんので

それだけ維持管理をして
400年 持たせてきたということになります

<天下太平の時代 天守は無用の長物となりました>

<しかし 歴代の城主達は 名誉と出世のため>

<この美しく巨大な城を守ってきたのです>

<幕末 新政府軍と旧幕府軍が激突>

<多くの城が戦火で失われました>

<このとき 姫路藩は旧幕府軍に参戦>

<姫路城が ついにその力を試されるときが来ました>

<しかし 旧幕府軍の劣勢を知ると>

<姫路城に立て籠もった者達は>

<あっさりと新政府軍に 城を明け渡してしまいます>

<こうして姫路城は 永遠に不戦の城となりました>

<時は流れ 昭和20年 太平洋戦争末期>

<姫路城に最大の危機が迫りました>

<アメリカ軍による空襲です>

<同じ時期 名古屋城など 多くの城が消失しました>

<では なぜ姫路城は無事だったのか>

<1枚の写真が残されています>

<そこに写っていたのは 真っ黒な天守>

<城を守りたいと願う人々が>

<夜に飛来する爆撃機から 姫路城を見えなくするため>

<黒い網で覆ったのです>

<姫路市街が大空襲に見舞われたのは 7月初旬>

<1万発の焼い弾が降り注いだ街は>

<夜が明けると 一面 焼け野原になっていました>

<しかし 姫路城は 変わらぬ姿をとどめていたのです>

<悠然とそびえる姫路城は>

<打ちひしがれた人々に 大きな希望と勇気を与えました>

姫路城の大改修は
度々 行われてきました

2009年から5年半の歳月をかけ

半世紀ぶりに行われた化粧直しは
記憶に新しいところです

この大改修には1万5000人もの人が携わり

大天守の塗り直しには
漆喰が100トンも使われたそうです

次の大改修は50年後

そのときには
新たな発見があるかもしれません

まさに不戦の城

この美しい白い姿は

長い年月
人々によって守られてきたんですね

いや~ 僕も今度の休日

真っ白なお城に
行ってみたいなと思います