ららら♪クラシック「サリエリの真実 天才たちを育てたウィーン音楽界の父」映画「アマデウス」で悪役となったサリエリ。実は…

出典:EPGの番組情報

ららら♪クラシック「サリエリの真実 天才たちを育てたウィーン音楽界の父」[字]

映画「アマデウス」で悪役となったサリエリ。実は優れた作曲家であり名教師でもあった!モーツァルトとの本当の関係など知られざるサリエリの真実に迫る。【解説】片山杜秀

番組内容
作曲家アントニオ・サリエリ▽映画「アマデウス」でモーツァルトのライバルとして描かれ、すっかり悪役のイメージが定着したが、今ではスマホゲームのキャラとして、若者の間でも人気急上昇!▽サリエリは名教師!~ベートーベンやシューベルトを育てた優秀な作曲家であったサリエリ。モーツァルトとの本当の関係など、知られざるサリエリの真実を紹介。▽シューベルトが恩師サリエリに贈った声楽曲も披露。【解説】片山杜秀
出演者
【司会】高橋克典,石橋亜紗,【解説】大学教員・慶応大学教授…片山杜秀,著述業/日本ロッシーニ協会会長…水谷彰良,【出演】オットマール・スウィトナー,NHK交響楽団,東京混声合唱団,【語り】勝生真沙子

ジャンル :
音楽 – クラシック・オペラ
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
劇場/公演 – ダンス・バレエ

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  1. サリエリ
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モーツァルトと同時代に生き
宿命のように

モーツァルト毒殺疑惑を
背負う男。

♬~

サリエリの黒いうわさを描いた
衝撃の映画「アマデウス」。

それから36年を経て 今

再び サリエリが 脚光を浴びています。

「我は死だ」。

なんと
ゲームキャラクターになったのです!

今 若者たちの間で…

長らく絶版だった 日本で唯一の伝記も
ファンの熱い声を受けて復刊!

著者の水谷さんもびっくり!

ゲームを通じて サリエリに
関心を持ってくれたっていうことが

最も大きな驚きでした。

今こそ 本物のサリエリを知りたい!

そんな皆さんの熱い思いに応えて
今回は サリエリ大特集!

♬~

さあ 今日のテーマは サリエリ。

今 若い人たちの間で大人気
ということなんですが

どうですか?
いや~ シュッとしたイケメンですけどね。

いやいやいや。
だいぶ ちょっと雰囲気も変わって

ゲームのキャラクターに
なってしまいまして。 そうですね はい。

さあ 今日のゲスト 片山杜秀さんです。

(一同)よろしくお願いいたします。
片山さん どうですか?

いや~ やっぱり これは…
一応 知ってはいたんですけど

やっぱり 目の当たりにすると
びっくりしますね。

(笑い声)
私 ゲームやってないもんですから。

このゲーム
どういうものかといいますと

時空を旅して バトルを繰り広げる
ロールプレーイングゲーム。

いろいろな歴史上の人物が出てきまして

そのうちの一人が このサリエリさん。

キャラクター設定があるんですね。

設定自体は でも 映画の「アマデウス」を

下敷きにしてる感じがしますよね。
そうですね。

まあ すっかりね そうした
モーツァルトの宿敵キャラが

根づいてしまっている
サリエリなんですが

まずは その…

サリエリが主役の映画「アマデウス」。

サリエリは 宮廷楽長でありながら

モーツァルトの才能に嫉妬する
「凡庸な作曲家」として登場し

モーツァルトを殺したと告白します。

アカデミー賞8部門を受賞した
「アマデウス」は

ロンドンの大ヒット演劇の映画化。

実は「アマデウス」には
元となる戯曲がありました。

ロシアの作家 プーシキンが
1830年に書いた…

この作品も 当時…

♬~

プーシキンは 当時 あるうわさを耳にして
物語を構想したといいます。

それは ロシアの外交官から聞いた…

…という 信じがたいニュースでした。

しかし これは フェイクニュース!

なぜ こんな疑惑が広まったのか…。

モーツァルトとサリエリは
どんな関係だったのでしょうか?

モーツァルトは
こんな手紙を残しています。

しかし 当時 ウィーン宮廷楽長は
代々イタリア人の役職。

オーストリア人のモーツァルトの出世は

そもそも難しかったのです。

宮廷楽長にはなれないということを
分かっているにもかかわらず

やはり サリエリが
まあ 邪魔な存在に見えたんでしょうね。

サリエリは 宮廷楽長になったあとに

モーツァルトの才能を
明らかに認めています。

そして どちらかといえば…

初めは サリエリを敵視していた
モーツァルトも

才能を評価し 手を差し伸べるサリエリに
心を開いていきました。

晩年…

そのことは 「魔笛」の上演に
サリエリを招待して

一緒に オペラを見て
サリエリにほめられて喜んでいる

そういう手紙が残っている
ということでも分かります。

実際には 仲が良かった2人。

しかし モーツァルトの死から30年。

突然 71歳のサリエリに

モーツァルト殺しのうわさが
ささやかれたのです。

当時 ヨーロッパ中で もてはやされていた
天才オペラ作曲家がいました。

それは…

イタリア・オペラの新たなヒーローの
登場に 人々は熱狂しました。

しかし 一方で

イタリア・オペラの時代を終わらせたいと
願う人々がいたのです。

大衆が好む…

ぬれぎぬだった「モーツァルト毒殺」。

真実のサリエリは
懐の深い心優しい人物だったのです。

でしたね。
少なくとも…

ウィーンの音楽界では
やっぱり サリエリがとっても偉い。

だって ベートーベンだって
サリエリに 作曲を習ってるわけで

イタリア語の作曲法ですけど。
ウィーンの音楽界で ある意味

位っていう点でも 頂点を極めていた
大作曲家なんですよね。

すごい人なんじゃないですか!
そうですね。

サリエリ いい人だった情報が
もう一つありまして。

面倒も見ていたということなんですね。
そうなんだ。

だから モーツァルトの毒殺説
なんていうのは もう全く…

ロッシーニが
ウィーンで人気を得たんで

「イタリアけしからん」っていう人が
流したゴシップでね。

モーツァルトが死んでから
何十年もたってから

初めて大きく言われるようになった
出来事なわけですね。

そこまで広まってしまうと やはり

サリエリが抗議したりとかっていうのは
もうできないぐらいまで

いってしまってたんですかね。
そうですね。 やっぱり 今みたいに

ツイッターとかあれば 「俺やってないよ」
とか やるかもしんないけど。

サリエリ やっぱり
当時 もう晩年で

年老いて 病気がちだった状態ですから。
入院なんかして。

サリエリ 入院なんかすると
今度は やっぱり

モーツァルトのその件で
気を病んでるんだとかね。

また新しいゴシップになっちゃう。

だから サリエリ自身は 一生懸命
否定しようとするんだけど

やっぱり サリエリの発信は
伝わらないですね。

そうなんですね。
実際のサリエリが

どんな人生を送っていたのかというのを

一度 振り返ってみたいと
思うんですけれども。

イタリアの商人の息子として
生まれまして

10歳で 音楽に出会い
大聖堂のオルガニストに教わります。

すごいじゃない。
そうなんです。

ただ14歳で 孤児になりまして
ベネチアの公爵に引き取られ

16歳で 宮廷音楽家ガスマンに出会い
ウィーンへ。

20歳で オペラ作曲家デビュー。

37歳で ウィーンの宮廷楽長に就任。

波乱万丈な人生ですね。
そうなんですよね。

お父さんが 結構 商売が傾いたうえに
死んじゃうみたいな。

14歳でね。
はい。 でも やっぱり

音楽の才能が既にある人っていうふうに
認められていたから

いろいろ 周りが助けてくれて
教育は続いていったわけですね。

特に やっぱり
ガスマンっていう

ウィーンのとても有名な
成功していた宮廷音楽家が

サリエリを引き立てたってことが
大きかったんですね。

宮廷音楽家として才能を発揮した
サリエリは…

そんなサリエリが紡いだ音楽は
どんなものだったのでしょうか。

サリエリは 何よりも
オペラ作曲家だったんです。

シリアスなオペラでは
サリエリの先生でもあった

グルックの教えに従って
重厚なオーケストレーションを用いた

ドラマチックな作品を生み出しています。

それから 喜劇的な作品では…

…をするオペラを書いています。

これは 宮廷で モーツァルトと
コミック・オペラ対決をした時の作品。

♬~

コミック・オペラ対決は…

サリエリの活躍は
ウィーンにとどまりませんでした。

サリエリが ウィーン以外で
その存在を知られるようになったのは

ミラノのスカラ座の
こけら落としのオペラ。

そして それがきっかけで
イタリア各地の劇場から

作品を求められました。

そして できたのが…

♬~

このオペラは 2組のカップルが
自分の嫉妬を反省し 仲直りする喜劇。

ベネチアの初演から 瞬く間に…

そのあとに 今度は
オペラ座から作品を求められます。

王妃 マリー・アントワネットの
保護を受けた サリエリは

その後 オペラを
パリ・オペラ座で初演をしています。

中でも 最後のオペラ
「タラール」という作品は

劇作家のボーマルシェが台本を書いて
大成功を収めました。

♬~

オペラ「タラール」の初演では
熱狂した観客の拍手喝采がやまず

前代未聞の作曲家のカーテンコールが
起きたといわれています。

こうして サリエリは
ウィーンで宮廷楽長を務めながら

名声をとどろかせたのです!

そうか すごい人だったんですね。

そうですね。 やっぱり
オペラ作曲家としては

もう本当に このヨーロッパを
代表する人として

同時代的には 圧倒的な存在だったと
いっていいわけですね。

しかも サリエリさんは
作曲や演奏だけではなくて

ニューイヤーコンサートでおなじみの

ウィーン楽友協会の創立にも
携わっているんですよね。 そうですね。

ハイドン モーツァルト ベートーベン
そして サリエリの時代っていうのは

まさに 今 マリー・アントワネットも
出てきましたけど

マリー・アントワネットは 「タラール」って
オペラのちょっとあとには

もうフランス革命が起きて ギロチンで
首を落とされちゃうわけですよね。

そのくらい激動の時代の中で

今まで 教会とか 貴族とか 王とか 国家に
頼っていた 音楽家っていうものが

やっぱり そういうものから
たくさんお金をもらって

パーマネントに雇われなくなってくる。
ええ。

なるほど。
こういう楽友協会を作って

大企業に スポンサーに
なってもらって

いろんな貴族や王様でも まだちゃんと
やってる人には お金出してもらって…

う~ん。
だから 今の時代

このコロナの時代にこそ
やっぱり サリエリがやったこと

楽友協会とは何かってことは
見直されるべきだと思いますね。

なるほど。
へえ~。

さあ ここで サリエリの曲を
お聴き頂きますが

オペラ以外にも 実は
交響曲を1曲 書いているんです。

そんなサリエリの貴重な交響曲を
お聴き下さい。 はい。

♬~

サリエリが 36年間務めた
ウィーン宮廷楽長の仕事は

いわば「管理職」。

王様と音楽家たちのために奔走しました。

そんなサリエリが 特に力を注いだのが…

サリエリの弟子は そうそうたる顔ぶれ!

…など多くのスターの卵が
サリエリを師と仰ぎ

無料で
レッスンを受けました。

サリエリ先生が添削した楽譜も
残っています。

そして サリエリが指導する聖歌隊に
入ってきたのが シューベルト少年。

その才能を見抜き

孫ほど年の離れたシューベルトに
熱心に作曲法を教えました。

レッスンのあとは 町の屋台で…

実は サリエリ
甘いものには目がなかったんですって!

サリエリは 子供の頃から

「甘いものがあれば
音楽に一生ささげられる」という

自分で言っていた人物なので。

シューベルトとサリエリが味わった
アイスクリームの時は

61~62歳の時だったんですけども

「三つ子の魂百まで」
ではないんですけど

死ぬまで 甘いものと
とてもすばらしい音楽を

聴き続けたい 演奏し続けたいっていう
人物ということが

そのエピソードからも
十分 伝わってきます。

そんなサリエリが愛した
アイスクリームを

サリエリファンの遠藤さんと
再現してみましょう!

材料はこちら。

レモンと砂糖 生クリームが
あれば できちゃう

素朴なアイスクリームです。

まずは…

あとは 冷凍庫で冷やし
途中で軽くかき混ぜて

2時間で完成!

おうちで簡単
サリエリ・スイーツの出来上がり!

2人の交流は シューベルトが
成長してからも続きました。

サリエリのウィーン生活50周年を祝う
セレモニーで

シューベルトは 自ら作詞作曲した
こんな合唱曲をささげました。

♬~

大好きな師匠への愛と尊敬を込めた歌。

セレモニーには
60人以上の弟子が駆けつけ

サリエリのために演奏しました。

シューベルトの歌は

弟子たちみんなの温かい感謝の気持ちを
代弁していたのでしょうね。

なんか サリエリとシューベルトの関係も
すてきですし

愛されてるおじいちゃん
もはや 愛されてるおじいちゃん

すばらしい師だったわけですね。
そうなんですよね。

やっぱり サリエリっていう人は

何しろ ウィーンに招かれて
偉くなったっていうのも

もとは やっぱり イタリア語で
オペラを立派に書ける人。

はい。
時代が変わっていきますけれども

上流階級で通用するような音楽を
書くための 作曲家のたしなみとしては

イタリア語の抑揚とかで
きちんと作曲できる技を

身につけておくことが すごく大事だった。
ベートーベンが 例えば

サリエリに習ったっていうのは
まさに それなんですね。

宮廷楽長のサリエリから習うと
もちろん はくもつくし。

そういう形で サリエリっていう人は…

ぬきんでた 革新的な そういうセンスが
あったわけではないけれども

伝統が残り 成長していくうえで
とても大事な人だったということですね。

ほんと そうですね。
やっぱり 革新っていうのも

伝統があってこそ 出てくるわけだから。
ええ。

ちゃんと まず きちんとしたことが
分かってないといけない。

サリエリっていうのは
まさに そういう人として

18世紀の終わりから
19世紀の頭のウィーンで長く君臨して

楽壇生活50周年記念なんていうのを
たたえられる人になったわけですね。

最後にですね
シューベルトが作詞作曲した

サリエリのウィーン生活50周年を
祝うための曲というのを

お聴き頂きますけれども

片山先生 これ 聴きどころは
どんなところでしょう?

これは もう やっぱり
ウィーンの音楽生活っていうのは

すっかり変わってるっていうかな。
どんどん… サリエリが若い頃ってのは

もっとプロフェッショナルな
宮廷の音楽家たちの世界だったものが

やっぱりこう 街のいろんな音楽の
いわゆるアマチュア的なね

いろんな人たちがいて
みんな 音楽を習ってて

現代に近づいてくるわけですね。
ええ。

サリエリが ムジークフェラインなんかを
通じて生み出した

ウィーンの新しい音楽の社会の
ありようっていうのが

このシューベルトの心を込めた一曲にも
表れてるかなって思いますね。

♬~

♬~

♬~

次回は 映画音楽の巨匠…

お楽しみに!

♬~