ガイアの夜明け【日本航空JALはいま…~稲盛改革を継ぐ者たち~】[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

ガイアの夜明け【日本航空JALはいま…~稲盛改革を継ぐ者たち~】[字]

番組では2008年、JAL経営危機から破綻、再建までを追い続けた。新型コロナという未曽有の危機にどう立ち向かうのか。JALの最前線を取材した。

詳細情報
番組内容
8月24日、京セラ創業者で日本航空再建に尽力した稲盛和夫元会長が亡くなった。番組では2008年、JAL経営危機から破綻、再建までを追い続けた。当時、稲盛元会長はガイアのカメラに「幹部社員の意識を変える」と語り、改革に着手。その精神は今に引き継がれている。さらにJALが継承する安全憲章。“命を守る”秘められた社員たちの思いとは…。さらに新型コロナという未曽有の危機にどう立ち向かうのか。JALの最前線を取材した。
出演者
【案内人】松下奈緒

【ナレーター】眞島秀和
音楽
【音楽】
新井誠志
【テーマ曲】
◆オープニング曲
 「光~ray of light~」(松下奈緒)
◆エンディング曲
 「ナカマ」(小田和正)
「ガイア」とは
ギリシャ神話に登場する「大地の女神」を意味し、後にノーベル賞作家のウィリアム・ゴールディングが「地球」を指して“ガイア”と呼んだことから「ガイア=地球」という解釈が定着している。「ガイアの夜明け」という番組タイトルには、地球規模で経済事象を捉えることで21世紀の新たな日本像を模索すること、そして低迷する経済状況からの再生=「夜明け」を目指す現在の日本を描くという意味合いが込められている。
関連情報
◆ホームページ
https://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/
◆公式Twitter
@gaia_no_yoake
https://twitter.com/gaia_no_yoake

ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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日本航空…。

改革のシンボルともいわれる
機体です。

導入への道筋をつけたのが…。

8月に亡くなった
経営の神さま 稲盛和夫さん。

27歳で創業した京セラを

一代で
世界的な企業に育て上げた

実業家です。

日本のみならず…。

世界からも 高く評価されました。

その稲盛さんは

経営破綻した日本航空に

徹底した意識改革を
植え付けたのです。

稲盛哲学とも呼ばれる信念は

今も 現場に息づいています。

そして

日本航空には
忘れてはならない記憶が…。

「ガイア」が追い続けた…。

メルボルンオリンピックの日本選手団
日航特別機。

<日本航空は戦後
半官半民の会社として スタート。

日本の高度成長とともに

世界中に
その翼を広げていきました>

<一方で 派閥争いや

親方日の丸意識が
会社をむしばみ

慢性的な赤字体質が
抜け切らなかったのです>

2010年 その時がきました。

心より おわび申し上げます。

日本航空の経営破綻です。

負債総額 2兆3千億円以上。

金融機関を除くと
戦後最大の規模でした。

その再建という
重責を託されたのが

稲盛和夫さん 当時78歳。

< この日 稲盛さんが初めて
現場を訪れました>

稲盛さん おはようございます。

<名経営者とはいっても
航空業界は初体験。

個々の現場が主役となれるのか

自分の目で見て回ります>

<稲盛さんは この後

本社 空港 地方支店などを

2か月間にわたって
見て回ったのです>

< その結果として
発せられた言葉は

衝撃的なものでした>

再建には 多額の公的資金が
投入されることになり

JALにも 身を切る組織の
見直しが求められました。

本当に ありがとうございました。

当時 4万8千人以上いた
社員のうち

3分の1にあたる
1万6千人もの

リストラが断行されたのです。

それは 職場の花形 パイロットも
例外ではありませんでした。

なんで…。

日本航空の再出発にあたり

稲盛さんが
社員一人ひとりに求めたのは

考え方の改革と
それをやり抜く覚悟でした。

< そこには こんな言葉が…。

「新しき計画の成就は只

不屈不撓の一心にあり。

さらば ひたむきに只想え

気高く 強く 一筋に」。

稲盛会長が
再建のために掲げた言葉です>

このとき
「ガイア」のカメラに語ったのは…。

社員の意識を変えるため

リーダー教育と呼ばれる
研修が行われました。

このとき 集められたのは

機長やチーフパーサーなどの 部課長クラス。

真剣に見入っていたのは…。

これまで 仕事に対する姿勢は
どうだったのか?

JALに残った社員たちは
厳しく問われたのです。

そして 作られたのが

JALフィロソフィでした。

例えば 正しい考え方をもつ。

例えば 心をひとつにする。

社員全員が 一体感をもち

お客さまに
最高のサービスを提供することを

改めて 約束したのです。

こうして 国を挙げてのバックアップと

稲盛改革によって

日本航空は
業績を急速に回復させます。

破綻直前は
500億円の営業赤字でした。

しかし わずか3年で

過去最高の営業黒字
2, 000億円を達成したのです。

「ガイア」の取材班が訪ねたのは

パイロットが所属する 運航本部です。

こんにちは 南さん。

どうも お久しぶりです。
こんにちは。

運航企画部の部長 南正樹さん。

14年ぶりというか 2008年に…。

実は 破綻前の2008年
南さんを密着取材していました。

当時は…。

花形機 ボーイング747の機長であり
後輩を指導する教官。

ここに 今日一緒に乗る…
訓練をする候補者が来ますので。

新千歳まで
乗客を乗せた旅客機で行う

路線訓練の日でした。

< しかし あいにくの雨。

視界が悪く
条件がよくないなかでの

路線訓練です>

ダウン インサイトして…。

8マイル…
インサイトすると思うので…。

<新千歳に近づくと

南さんは 着陸の手順を
訓練生に説明>

< ところが 着陸のため

高度を下げ始めた そのとき

管制塔から
無線が飛び込んできました>

<コックピットに緊張が走ります>

<視界が悪く
なかなか見つかりません。

そのときです>

<離陸機を確認>

いつも冷静沈着で
後輩の指導にも熱心。

南さんは そんなパイロットでした。

破綻後 JALは経営改善のため
赤字路線を減らし

航空機の処分を行います。

売却する機体はすべて
JALのマークを

白く
塗りつぶさなければなりません。

南さんが乗っていた
ジャンボ ボーイング747は

全機 売却されたのです。

そのころ 南さんは

操縦する機体がなくなった
パイロットを

別の機種に 配置転換させる仕事を
任されていました。

なかには 辞めていく
先輩パイロットもいたといいます。

そんな 南さんが

社内改革に
前向きに取り組めたのは

この 小さな冊子の
おかげだといいます。

稲盛さんの残した哲学
JALフィロソフィです。

常に 締め切り間際で

せっぱ詰まって
仕事をするんじゃなくて

もっと 余裕を持って
土俵の真ん中で

相撲をとるように
仕事をしなさいとか…。

改革で揺れる社内で

3万人を超える
社員一人ひとりの

心のよりどころになったのです。

今や JALの恒例となっている

こんな研修会も
当時から始められました。

この日も オンラインで
さまざまな部署から

100人近い社員が
参加していました。

この日のテーマは SDGsでできること。

自らの行動が

JALフィロソフィの考えに
沿ったものなのか

それぞれ 具体的な例を挙げて
考えてみるのです。

南さんの場合は…。

ふだん 会うことの少ない

他の部署の人たちとの交流。

こうした勉強会を通じて

横のつながりが
持てるようになったといいます。

南さんにとって 稲盛改革とは…。

問われたし…。

稲盛さんの
本気の改革に触れた 社員たち。

そのとき感じた熱い思いは

今も現場に
脈々と受け継がれています。

稲盛さんが植え付けた
意識改革は

パイロットの訓練にも
大きな影響を与えていました。

これから始まるのは
フライトシミュレーターと呼ばれる

専用マシンを使って行う
パイロットの定期訓練。

今回は
福岡から羽田への飛行です。

今 福岡空港を離陸しました。

窓には 飛行機から見える景色が
映し出されています。

実際に 飛行機で飛んでいるのと
同じ感覚です。

目的地の羽田が
近づいてきたとき…。

羽田付近の天気が急変。

雷が鳴り始めたのです。

着陸態勢に入った
そのときでした。

ゴーアラウンドだな… GA。

悪天候のため 着陸中止。

再び 上昇します。

再び トライするか
諦めて 成田へ向かうか

判断しなければなりません。

そこで 成田の天気を調べると

羽田と同じような状況だと
わかりました。

機長と副操縦士の
こうしたやり取りを

後ろで インストラクターの教官が
聞いています。

二人の意見を合わせて
出した答えは…。

再び 羽田へのトライでした。

突然のアクシデントに

二人が
どう協力して対応するかが

試されたのです。

実は 破綻前のJALは

運航トラブルが相次いでいました。

<コックピットで
何が起こっているのか…。

教官たちが集まりました>

う~ん…。

<上にものを言えない社風が

安全という 航空会社の根幹まで

揺るがせていたのです>

今は 一方的に
答えを教えるのではなく

コミュニケーションを重視。

最善の選択をするまでのプロセスを
大事にしています。

訓練の大幅な改革が
行われたのには

経営破綻からの
稲盛改革が影響していました。

現在の 訓練の内容は

すべて 社員が自分たちで
作り上げたものです。

しかも その大半に

現役のパイロットが関わっていました。

先日 定期訓練を受けていた

京谷さんも その一人です。

訓練のデータを管理するソフトも

自分たちで開発しました。

その時々の教官の指摘など

自分の過去の訓練データが
蓄積されています。

それが 一目で
わかるようになったのです。

羽田空港に来ています。

あちらに見えますのが
JALの主力機 A350です。

こちらの機体はですね

稲盛改革を象徴する機体とも
いわれております。

フランスのエアバス社製。

以前のJALは

アメリカのボーイング社製の機体が
ほとんどを占めていました。

稲盛さんの考えは

一社に偏らず 複数社で競わせ

コストを下げるという
ものだったのです。

まず 350の特徴は
航空機の材料です。

こちらは エアバス機で初めて
CFRPという

カーボン素材でできております。

従来機と比較しますと

約80トンの
軽量化になっております。

この翼も…。
すごい! そうですね カーブが…。

かっこいいですね。
流線的な
形成となっておりまして…。

ボーイング767と比べてみると

翼の形状の違いは 一目瞭然。

コストパフォーマンスに優れる A350は

新生JALのシンボルです。

そのJALを

2018年から率いるのは
赤坂祐二社長。

ある場所を案内してくれました。

この大部屋にも…。

ありました 稲盛さんの言葉です。

右側がですね…。

そして もうひとつ
忘れてはならない…。

日本航空に
引き継がれることとは…。

<彼女の名前はキヤノンマーケティングジャパンのCanonさん>

<得意分野はイメージング技術?
…だけじゃない>

(指を鳴らす音)パチンッ!
<あれもできる>

<これもできる。 えっ そんなことまで?>

<技術とハートでソリューションを生み出す>

(Canonさん)あっ!
<心強~い ICT PARTNERなんです>

<あなたの近くにも
Canonさんが きっといますよ>

羽田空港に隣接する
JALの施設です。

こちらは JALさんにとって
とても大切な場所ということで

日本航空 安全啓発センターに
やってきました。

松下です。 今日は
よろしくお願いいたします。

赤坂でございます
よろしくお願いします。

ちょうど このあたりですね。

そのものですね。
そのまま ここに

保管されてる…。

そういう施設になってますね。

まだ 煙がたちのぼっています。

あっ JALという文字が…。

1985年8月12日。

羽田から
大阪 伊丹へ向かっていた

日航ジャンボ機が
群馬県の御巣鷹山に墜落。

犠牲者 520人。

単独の航空事故として

史上最悪の惨事になりました。

赤坂社長がですね

この日本航空という会社に
入社されたのは

この事故の
すぐあとだったっていうふうに

お話を伺ったんですけれども…。

赤坂さんは入社後

長い間 整備畑を歩んできました。

2006年にできた
安全啓発センターとも

深い関わりが…。

毎年 8月12日。

御巣鷹山に登り
慰霊碑に手を合わせることは

歴代のJALトップに
引き継がれてきた 務めです。

赤坂さんは 春 夏 秋と
年3回 ここを訪れています。

見せてくれたのは 安全憲章。

全社員が携帯しているものです。

安全とは
命を守ることであると…。

その言葉を伝承していく…。

そうですね。

教訓を受け継ぐため

関連会社も含め
日本航空の若手社員たちは

必ず ここで研修を受けます。

航空の安全に対する
信用を失墜した。

今や 事故当時に
在籍していた社員は

JAL全体の2%未満になりました。

決して 風化させてはいけない
出来事なのです。

ここには
遺品も展示されています。

腕時計の針は

事故のあった
午後6時56分で止まったまま。

遺族が番組に提供してくれた
最期の言葉。

(鐘の音)

再び 航空業界に衝撃が走ります。

新型コロナの感染拡大で

空の移動が
厳しく制限されたのです。

空港の案内ボードが
次々と欠航にかわります。

それを見つめる
赤坂社長の姿がありました。

いやぁ もう…。

破綻から10年。

JALが再び迎えた 危機です。

1か月後
緊急事態宣言が解除され

赤坂さんが
久しぶりに飛行機へ…。

搭乗していた客室乗務員に

次々と声をかけてまわります。

コロナ禍を乗り切るため

この日 赤坂さんが向かったのは

とある地方都市でした。

♬~
<世界は 新しい日常へと歩みを進めていく>

<見えない不安の先を 見通す眼が必要だ>

<キヤノンの 社会を見守る映像技術は

カメラから得られる多様な情報を解析>

<より安心で より自由な

新しい暮らしの可能性を 見える化していく>

<ひろげよう まだない視界を>

北海道東部の北見市。

空の玄関口は 女満別空港です。

北見市役所にやってきたのは

日本航空の社長 赤坂祐二さん。

コロナで便数を減らした
自治体をまわっていました。

赤坂でございます。
今日はありがとうございます。

札幌から 300kmも離れた 北見市。

飛行機は 欠くことのできない
交通インフラなのです。

かつての破綻では

地方路線から次々と撤退した JAL。

今回は…。

そこで 始めたのが
JALふるさとプロジェクト。

仕事が減った
客室乗務員など 社員たちが

自らのふるさとの魅力を

紹介する取り組みです。

おいしそうです。
匂い 伝わりますかね?

伝わりますか?

中には
郷土料理のレシピを紹介する人も…。

宮崎の郷土料理
冷や汁です。

社員一丸となっての
こうした取り組みによって

国内線の利用客数で
水をあけられていた

ライバル ANAに迫ったのです。

しかし
依然として 業績は厳しい状況。

2021年度の最終赤字は

1, 770億円となり

2期連続の
巨額赤字を計上しました。

そんななか 9月7日 羽田空港。

久々に 国際線ターミナルが
活気づいていました。

この日から水際対策が緩和され

帰国時のPCR検査も
不要になったのです。

それで ちょっと会いに…。

同じころ JAL本社では

役員たちによる
会議が開かれていました。

今の想定では…。

日本発海外行については 1.8倍。

海外発日本行については

1.4倍 伸びたという
かたちになります。

緩和の発表によって

国際線の予約は
順調に伸びていましたが…。

社長の赤坂さん 厳しい表情です。

リモートワークが定着した今

出張需要が なかなか戻りません。

復活へ向けた模索が続きます。

その鍵を握るのは 中国。

コロナ前 JALは
日本各地から中国の主要都市へ

週98便
直行便を飛ばしていました。

その復活のメドが立っていません。

ここは JALの上海オフィス。

スタッフもみんな
国際線の復活を願っています。

客室乗務員の史冠さんも
その1人。

史さんは 2003年にJALへ入社。

日本 アメリカなど主要な国際路線を
担当していました。

しかし コロナ以降は仕事が激減し

220人いた同僚は 150人に…。

史さん自身は
機内アナウンスの研修などを

繰り返す日々です。

羽田近くにある JALの研修施設。

史さんが
上海からやってきていました。

世界的規模で コロナへの対応が
大きく変わるなか

集められていたのは
客室乗務員の仲間たちです。

いつでも乗務に復帰できるよう

ここで 一から改めて
訓練を受けるのです。

この日は 日本人に交じって

6人の中国人乗務員も
参加しています。

2年以上 飛べなかった間に

装備や
手順が変わっているものも

少なくありません。

(警告音)

いきなり始まりました。

機内に煙が…。

そのとき 史さんは…。

(警告音)

緊急脱出訓練が始まりました。

鼻と口を覆って。

客室乗務員の
史冠さんが対応します。

大丈夫です
落ち着いてください。

刻々と事態が変わっていきます。

業務連絡です。

撮影はやめて ノー ピクチャー。

2年半以上
乗務できていなかった 史さん。

全員を脱出させます。

こうした訓練が 朝から夕方まで
3日間 続きます。

赤坂社長には

忘れられない
稲盛さんの言葉がありました。

それは…。

稲盛さんが整備の現場へ
やってきたときのこと…。

もう まさに こう…
命を削る思いでね

あるいは そういう覚悟で

再建に取り組んでいただいた…。

稲盛さんから
ご指導いただいた

いわゆる
世のため人のためにという…。

これによって
利益を出していくと…。

稲盛さんのご恩に
報いていくってことですね。