てれまさむね[字]東日本大震災から10年▽検証復興は進んだか▽未来に向かい進む被災地…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

てれまさむね[字]東日本大震災から10年▽検証復興は進んだか▽未来に向かい進む被災地

▽最新の県内・東北ニュース ▽6時30分は宮城の旬な場所から-630ライブ ▽篠原気象予報士の気象情報

ジャンル :
ニュース/報道 – ローカル・地域

テキストマイニング結果

ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20

  1. 震災
  2. 津波
  3. 場所
  4. 復興
  5. 看板
  6. 整備
  7. 地域
  8. 県内
  9. 石巻市
  10. メッセージ
  11. 頑張
  12. 時間
  13. 自宅
  14. 一日
  15. 家族
  16. 活動
  17. 犠牲者
  18. 午後
  19. 震災前
  20. 石巻

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気の配信サービスで見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

全て無料!民放各局の動画視聴ができるTVer(ティーバー)!まずはココから → 民放公式テレビポータル「TVer(ティーバー)」

他にも、無料お試し期間のある配信サービスがありますので、以下バナーなどからラインナップを調べてみるのもいいかもしれませんね。



NHK
created by Rinker
エンスカイ(ENSKY)

こんばんは。3月11日、
てれまさむねです。

東日本大震災から10年
県内は広く見上げるほどの青空

でした。
もう10年、

まだ10年、いやいや10年
なんて関係ないという人も

いらっしゃるかもしれません。
さまざまな思いで皆さん

きょうを迎えたと思います。
今夜のてれまさむねは

このあと7時まで時間を拡大して
きょう一日とこの10年を

振り返っていきます。
まずは全国の自治体で最も多くの

犠牲者が出た石巻市。
その2か所から中継です。

震災で児童と教職員合わせて
84人が犠牲になった石巻市の

大川小学校です。
地震が発生した午後2時46分を

中心に多くの人たちが訪れ祈りを
ささげました。

私の後ろに見える校舎は震災遺構
として来月から公開される

予定です。

災害の恐ろしさを知り、命を
どう守るのか考える原点とも

いえる場所になります。

校舎が後世にメッセージを伝える
場となる今、その意味を社会全体

で考えていきたいと思います。
大川小学校でした。

かつておよそ2700人が
暮らした石巻市南浜地区です。

この場所は石巻南浜津波復興祈念
公園として今月28日にオープン

します。

祈りの場として作られたこの公園。
きょうは追悼行事が

行われています。

日中から多くの人が訪れていて

日が暮れた今も明かりのもとで
祈りが続いています。

番組の後半ではこの公園に寄せる
思いやこの10年についても

お伝えします。

まず県内各地で

多くの人が祈りをささげています。

プロ野球の楽天も遠征先の静岡市
で震災の犠牲者に黙とうを

ささげました。

村井知事は多賀城市で行われた
追悼式に出席し今後に向けた決意

を述べました。

この日に合わせて新たな施設も
出来ました。

気仙沼市が整備を進めてきた復興
祈念公園。

気仙沼湾を一望できる高台に
あります。

白いモニュメントは船の帆を
イメージしました。

全国で最も多い3971人が
犠牲になった石巻市。

市内の公園に亡くなった市民を
慰霊する石碑が完成しました。

石碑には犠牲者一人一人の名前が
刻まれています。

山元町では震災遺構となっている

中浜小学校が震災10年に
合わせて無料で公開されました。

きょうは当時の校長などがガイド
を務め

津波の爪痕が残る校舎内を
案内しました。

そして地震が起きた
午後2時46分。

南三陸町の戸倉地区です。

当時小学校から高台に避難して

助かった人たちが再び高台に
集まり

地震の発生時刻を迎えました。

3月11日、県内各地の様子を
ご覧いただきました。

さて今もご覧いただきましたが
地震の発生時刻2時46分。

この時間は各地で祈りに包まれた
わけですけども津波で児童と

教職員合わせて84人が犠牲に
なった石巻市の大川小学校でも

祈りに包まれました。
では大川小学校から中継です。

石巻市の大川小学校です。

早朝から訪れる人たちが
絶えなかった校舎は日が落ちた今

ひっそりとしています。

慰霊祭はことしも中止に

なりましたが午後2時46分には
防災無線のサイレンが鳴り響き

遺族など多くの人たちが黙とうを
ささげました。

この10年、遺族はそれぞれの
歩みを進めてきました。

語り部として

また、裁判を通じて。そして、

静かに祈り続けることで失われた

命と向き合ってきました。

私の後ろに見える校舎は震災遺構
として来月から公開される予定

です。

後世にメッセージを発する
場となる今、その意味を社会全体

で考えたいと、この場所から中継
することにしました。

事実に向き合い二度と悲しみを
生まないためにどう行動すべきか。

私たち一人一人が問われています。
≫てれまさむねをご覧の皆さん、

どうもサンドウィッチマンで
ございます。

きょう3月11日で10年。
≫東日本大震災ですね。

≫一人一人考え方違うと思います。
もう10年なのか

まだ10年なのかっていうね。
≫でも10年だからといって

何が終わるわけでもないし。
これからも続いていくことなので

変わらずに応援していきたいな
と思います。

≫落ち着いたらまた、われわれが
どんどん東北にお客さん

呼び込めるように、そういう
動きをこれからもしていきたいと

思いますので、なんとか今を
こらえてまた頑張って

いただきたいなと思います。
また、皆さんのもとに

お邪魔したいと思います。
よろしくお願いします。

ということで
サンドウィッチマンでした。

ここからは10年間の
復興について見ていきます。

こちらの年表にまとめました。

4月に塩釜市で最初の
仮設住宅への入居が始まりました。

しかし仮設住宅、
すべて完成したのが12月。

震災から
9か月後のことだったんですね。

2013年には
災害公営住宅への入居が

始まりました。

楽天の日本一、
東北を元気づけてくれる

出来事もありました。
私、このとき宮城県には

いなかったのですが
よく覚えています。

仙台うみの杜(もり)水族館の
オープン、2015年

だったんですね。
この年には

各地で新しい街も誕生しました。

時間はかかりましたが
再建が着々と進んできました。

9年目の去年には
プレハブ仮設住宅の

入居者がゼロになりました。
そして10年目のきょう、

皆さんそれぞれの思いで
この日を迎えられたことと

思います。
≫県内の復興の歩み、10年間を

見てまいりました。
スタジオには震災担当の

中島デスクです。
中島さんは震災発生当初から

宮城の被災地で取材を続けて
きました。

被災地では
この10年の復興や変化を

どう受け止めていると感じますか。

≫防潮堤や道路、そして住宅
などの整備が劇的に進みました。

しかし被災した人の中には
その在り方に厳しい見方をする

人が多いように思います。
こちらはNHKが行った

アンケートです。

復興事業で見えてきた
地域の姿について

県内の被災者に尋ねたところ

思い描いていたより悪い、が
43%となりました。

ハード面の復興は進みましたが
当初の期待ほどでなかったと

考える人が少なくないと
うかがえます。

≫ここからはなぜこうした結果に
なったのか背景を探っていきます。

まず住まいの復興ですが

主に高台移転、土地のかさ上げ、
災害公営住宅の3つの事業が

行われましたが、いずれも
完成までに時間がかかりました。

≫今回の津波災害の特徴は
もとの場所で

再建が難しいことに
尽きると思います。

そのために

10メートル以上の土を盛ったり

宅地を確保するため山を丸ごと
切り開いたり、大がかりな

工事が行われました。
土地を取得するための交渉や

手続きにも時間がかかりました。
その結果、すべての造成工事を

終えるのに9年かかった地域も
あります。

まちづくりに時間がかかったこと
などで人口流出も進みました。

震災前と先月の沿岸市町村の人口
ですが、仙台、名取、岩沼、

利府では震災前より
増えています。

一方で女川でマイナス43%、

南三陸で
マイナス37%、山元でマイナス

29%と大幅に減少しています。

この10年で被災地の過疎化が
急速に進んだことも

被災者の受け止めの厳しさに
つながっている要因だと感じます。

≫こう見ていくと
二極化しているんですね。

≫また、災害公営住宅では
高齢化も深刻になっています。

主に収入が少ない世帯が入る
住宅ですが

仮設住宅のときにあったような
行政やボランティアの見守り支援

が減り、孤立死も問題に
なっています。

この1年は新型コロナの影響で

入居者どうしが交流する機会も
減少しています。住民どうしの

見守り活動がより重要に
なってきますね。

≫続いてこちら。

先週、県内の
全線が開通した三陸道です。

被災地の経済、どうでしょう?

≫インフラは整ってきましたが
売り上げの回復が道半ばです。

震災後に整備された
高速道路です。

沿岸と内陸をつなぐ道路も
含めると236キロに及びました。

三陸沿岸道路が出来た効果で
仙台ー気仙沼間は

50分ほど短縮されました。

観光客数も増加しています。

石巻・気仙沼圏域の観光客数は
震災前に比べておととしは

100万人以上増えました。

また、こちらは震災後に
整備された各地の商業施設です。

主に被災した店舗や支援に入った
企業などが営業していますが

震災の記憶を学ぶツアーと

連動させるなどしています。

≫道路も整備され、商業施設も
整いました。地域経済の復興も

進んでいるんでしょうか。
≫なかなかそうではありません。

こちらをご覧ください。

被災企業の多くが利用した
グループ補助金で再建した事業者

を対象にしたアンケートです。

売り上げが震災前以上に回復した

と答えたのは建設業で70%、
運送業で56%に上っています。

これまでは復興需要に

支えられて好調だった建設業に
関してもこの先は厳しくなる

ことが予想されます。

それ以外の水産・食品加工、
卸売・サービス業、旅館・ホテル

では3割程度にとどまっています。

コロナの影響もありますし今後も
注視していく必要があります。

≫続いて、防災面については
いかがですか。

≫こちらもハード面は
整備されましたが

日々の備えがおろそかに
ならないよう注意が必要です。

こちらは津波対策ですが防潮堤は
138キロ、59%が完成。

避難ビルは101か所、
避難タワーは32か所で

整備されました。

震災前に比べると確かに
津波に強いまちづくりは

できていますが、防潮堤など
ハードでは津波は防げない。

より高く、より遠くに逃げる
というのが震災の教訓です。

避難所や避難ルートの確認、
海の近くに住む方は自宅以外の

集合場所や連絡方法の確認などを
きょうを機会に

話し合ってほしいです。

≫ここまで3つの
視点で見てきました。

この10年、大きな変化の影で
まだまだ足りない部分も

多いように感じますね。
≫気になるデータがあります。

被災者へのアンケートで、地域の
復興の姿でよいところと

悪いところを複数回答で
尋ねました。

アンケートを見て分かるのは
多くの方にとって10年は

ゴールでも何でもなく、必死に
生きる中の通過点に過ぎません。

新型コロナという
新たな課題に向き合いながら

交流やにぎわいを作ることや
急速に進んだ高齢化、過疎化への

対応など課題は山積みです。

被災者、被災地とひとくくりに
せず、本当に支援が必要な人や

地域を見極めなければいけないし

私たちもそうした方々に

耳を傾けていきたいです。
≫きめ細かな支援が必要ですね。

ここまで震災担当の中島デスク
とお伝えしました。

さて、

東京では天皇皇后両陛下が
出席されて政府主催の追悼式が

開かれました。

地震が発生した午後2時46分に
全員が黙とうをささげ、犠牲者を

悼みました。

天皇陛下がおことばを述べられ
ました。

『てれまさむねをご覧の皆様、
こんばんは。富田望生です。

ひとまず、10年という節目を
迎えたからこそ、改めて思うのが

東北っていいなって。

なかなか帰れなくなった
この時期だからこそ改めて

とても恋しくなりました。

どうかお体にはお気をつけて。』
『てれまさむねをご覧の皆さん、

こんばんは。草なぎ剛です。

きょうで震災から10年という
ことで皆さんどのように

お過ごしでしょうか。

少しでも皆さんに明るく元気に
毎日を過ごしていただけるように

僕も願っております。また

きょうから皆さんにとって
よりよい一日が訪れますように

みんなで一緒に
頑張っていきましょう。』

さて10年が過ぎても大切な人を
亡くした人の悲しみが癒えること

はありません。
悲しみとどう向き合うのか。

それぞれの一日を取材しました。

石巻市の災害公営住宅に1人で
暮らす荻原哲郎さん。

妻の友子さんは今も行方不明です。

自宅が津波にのまれたとき
荻原さんは病院に行っていました。

きょうも自宅があった場所に
向かいました。

友子さんは、あのとき玄関で
荻原さんを見送っていました。

息子が行方不明となっている
佐藤宏行さんです。

当時、高校1年生だった長男の
久佳さん。

体の不自由な祖母を守ろうと自宅
に残り津波に巻き込まれたと宏行

さんは考えています。

気持ちの整理がつかず、

宏行さんは久佳さんの携帯電話に

メールを送り続けてきました。

息子とつながっていたい。
きょうは電話をかけました。

きょうも新たなメッセージを
送りました。

妻が好きだった花をきょうも準備
します。

女川町で暮らす浅野正雄さん。

妻の静子さんを津波で
亡くしました。

浅野さんは民生委員を務めるなど
精力的に活動してきました。

しかし、去年、
大きな変化がありました。

肺がんと診断されたのです。

午後2時46分。

病気に打ち勝ち、静子さんの分
まで精いっぱい生き続けることを

誓いました。

名取市閖上地区に住む
木皿俊克さんです。

津波で妻の典子さんを失いました。

典子さんの写真の横にある竹灯籠。
阪神・淡路大震災の犠牲者を追悼

する行事を行ってきた兵庫の
ボランティア団体から

贈られました。
この灯籠が多くの人から

支えられていると
感じさせてくれました。

震災から10年となったきょう
木皿さんは、これまで交流を

続けてきた兵庫のボランティアと

共に竹灯籠を並べました。

灯籠から生まれた交流が木皿さん
にとって、前を向く原動力に

なっています。

震災で亡くなった子どもたちに
祈りをささげる311匹の青い

こいのぼり。

この取り組みのきっかけとなった
東松島市の伊藤健人さんです。

津波で当時5歳だった弟の律君、
母、祖父母の家族4人を

失いました。
青いこいのぼりがお気に入り

だった弟のために
震災が発生した年から

掲げてきました。
家族を失うつらさを感じた

伊藤さんですが
一緒にこいのぼりを上げる仲間の

存在が
自分を支えてくれていることに

気付いたといいます。

家族の死と向き合いながらも、
前に進もうと思いを新たにしてい

ます。

横浜市の小学校で震災の特別授業
が行われました。

担当するのは名取市閖上出身の
赤間仁美教諭。

高校生のとき震災を経験しました。
閖上の自宅は津波に流され

母親の哉子さんは亡くなりました。

この10年あるものを心の支えに
してきました。

震災の前の年に受け取った
母親からの手紙です。

震災から数か月後に
見つかりました。

そこには母親からのエールが
描かれていました。

きょう、
子どもたちにその手紙を

見せました。

その母をあの日、突然
亡くしました。

『てれまさむねをご覧の皆さん、
こんばんは。竹下景子です。

3月11日、きょうが震災から
10年。本当に皆さん

頑張ってこられましたよね。

そして、これから私もまた
宮城にたびたび寄せて

もらいたいと思っています。

どうぞ、そのときには声を
かけてください。

そして一緒に一歩一歩、前を
向いて歩いていきましょう。

どうぞ、これからもみんなで
頑張っていきましょう。』

ここで新型コロナ、県内のきょう
の状況です。

宮城県内できょう新たに
新型コロナウイルスに感染が確認

されたのは53人です。一日の
感染が50人を超えるのは

1月22日以来です。

県によりますと、このうち涌谷町
の30代の男性はクラスターが

発生した宮城野区の
仙台東年金事務所に滞在歴があり

この事務所に関係する感染者は
合わせて7人となりました。

一日に発表された人数が50人を

超えるのはことし1月22日以来

感染拡大に歯止めがかからない
状態が続いています。

これで県内の感染者の累計は
すでに回復した人なども含めて

3943人となりました。

またきのうまでの直近1週間の

人口10万人当たりの感染者数を

都道府県別で見ると宮城県は
9.11人で

東京、千葉、埼玉などに次いで
全国で5番目に高い状態となって

います。これは緊急事態宣言が
出ている神奈川県の8.52人を

上回っています。
さて、

フィギュアスケートの仙台市出身

の羽生結弦選手がきょう
3月11日に合わせてコメントを

発表しました。

10年前のあの日。高校1年生
だった羽生選手はリンクの上に

いました。
あの日のことはすぐに

思い出せます。
10年もたってしまったのか

という思いと
確かにたったなという実感が

あります。
自宅が被災。

避難所での生活も経験しました。

10年という月日を経て
気付いたことをこうコメントして

います。

痛みは傷を教えてくれるもので、

傷があるのはあの日があった証明
なのだなと思います。

あの日以前のすべてがあったこと
の証しだと思います。

そして、癒えることのない悲しみ
を抱く人たちへ

羽生選手からのエールです。

簡単には言えないことばだと
分かっています。

僕はこのことばにいちばん
支えられてきた人間だと思うので

そのことばが持つ意味を
力を

いちばん知っている人間だと思う
ので言わせてください。

頑張ってください。

中継です。こちら番組の冒頭でも
ご紹介しましたが石巻南浜津波

復興祈念公園。

日が暮れまして追悼の明かり、
ともっています。

現地にいる岩間瞳キャスターに
伝えてもらいます。

石巻の町にはたくさん追悼の
明かりがともっています。

一つ一つには全国各地から

寄せられたメッセージ。
今は亡き大切な人への思いや

復興への願いが込められています。

今月28日に開園する予定の

石巻南浜津波復興祈念公園です。

この中心部に置かれているのが

こちら。
がんばろう!石巻の看板です。

この看板が立てられたのは

震災から1か月後でした。

がれきが積み重なり

復興への道筋が見えない中、

ある住民の男性が立てました。

石巻市は甚大な被害を受け
県内で最も多くの人が

犠牲になりました。
変わり果てた町の中で掲げられた

この看板は

人々を励ましそして心を寄せる
場所になっていきました。

NHKが撮影してきた

同じ場所から同じ画角で撮った
定点映像、この10年を振り返り

ます。

震災直後、2011年4月の

この地区の映像です。
がれきに埋め尽くされた

この場所に掲げられたのが
がんばろう!石巻の看板です。

製作したのは黒澤健一さん。

地域の人を励ましたいとの思い

から津波に流された自宅があった
場所に掲げました。

この場所だけでも明るくしたいと
5月にはこいのぼり。

夏には七夕の吹き流しを
飾りました。

近所の人から俺も頑張るからと
声をかけられたのを励みに

看板を掲げ続けました。

地区の人だけでなく石巻を訪れる

人にとっても犠牲者に祈りを
ささげる場所となっていきました。

2015年ごろから住宅や道路の
整備のため土地のかさ上げ工事が

始まります。
2016年の定点映像。

看板はこの場所から
姿を消しました。

大きく変わった石巻の町並み。

定点映像から消えたあの看板は。

地域の人たちの思いを受け
整備中の復興祈念公園に移設され

ずっと残されていました。

10年前、黒澤さんが
がれきの中に掲げた看板。

これからも地域のシンボルで
あり続けます。

さて10年を機に未来に向けて
スタートを切った人たちもいます。

気仙沼市で酒店を営む
菅原文子さん。

きょう、祈りをささげた場所は家

の前です。
この店は夫の家族が代々

経営してきましたが
夫と義理の両親の3人が津波で

亡くなり店も全壊しました。
菅原さんは負けねえぞ気仙沼と

いうラベルを貼った地酒でファン
を増やし店を再建。

おととしには3人の夢だった創業
100年を迎えました。

特産のイチゴでふるさとを再び
盛り上げたいと

動き始めた人もいます。
亘理町のイチゴ農家、丸子裕人

さんです。

東北一のイチゴ産地だった亘理町

9割の農家が被災しました。

津波でハウスがすべて流されて

しまった丸子さんは

再起を図ろうと北海道へ渡り
イチゴ作りを続けました。

10年を前に再びふるさとに
戻った丸子さん。

ことし父親が管理していたハウス
を引き継ぎ、生産を始めました。

丸子さんは宮城県が新たに

開発した品種の試験栽培にも
取り組んでいます。

亘理町ではイチゴ作りをやめて
しまう農家が相次ぎ

震災前の半分ほどにまで
減ってしまいました。

丸子さんは
こうした農地を活用して大規模に

生産を行うことを目指すという
ことです。

震災の教訓を若い世代が伝える
活動も始まっています。

気仙沼向洋高校の旧校舎です。

最上階の4階まで津波が押し寄せ
今は震災遺構として

公開されています。

語り部として活動するのは地元の

階上中学校の生徒たち。

訪れた人に津波の爪痕が残る施設
を案内しました。

当時、3歳から5歳だった
生徒たち。

家族や地域の人から震災の被害を
学びながら、その教訓を伝えよう

としています。

活動を続ける生徒たちに先輩から
メッセージが寄せられました。

贈ったのは10年前の震災直後

階上中学校を卒業した
梶原裕太さんです。

その梶原さんからのメッセージ
です。

今、階上中学校の皆さんが語り部
として話す内容には

実体験といえるものは少なく
多くは大人の語り部の方々の伝聞

かもしれませんが、
そのようなことはささいな問題

です。
大事なのは

当時の状況、出来事を通じて
防災への意識、

命のもろさ、
くじけない心などを多くの人に