NHK地域局発 被災地からの声「首都圏編」[字]…の番組内容解析まとめ
出典:EPGの番組情報
NHK地域局発 被災地からの声「首都圏編」[字]
首都圏に避難した福島の人々の声▽避難先でも作り続けたステンドグラス▽再建し常連客集う理容室▽仕事も住居も転々とし家族が離ればなれに▽終わりなき娘との自主避難
番組内容
震災直後から、被災地で出会った方々の「いま一番言いたいこと」をそのままお伝えしています。被災者一人一人に寄り添った丁寧な取材で、被災地の今をお届けします。番組では、ご意見・お便りを募集しています。NHK仙台放送局へ郵送またはEメールでお送りください。詳しくは、NHK仙台放送局「被災地からの声」番組公式ホームページをご覧ください。
出演者
【出演】津田喜章ジャンル :
ニュース/報道 – ローカル・地域
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
情報/ワイドショー – その他
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そうした分野については
将来的には
♬~
皆さん こんにちは
「被災地からの声」です。
今日は 年に一度お伝えする
「首都圏編」です。
首都圏で暮らす
被災者の方々を訪ねました。
現在 首都圏にいる被災者の方は
ほとんどが福島の方です。
福島を出て暮らす方々は
今も 3万6, 000人を超えているんですが
その およそ半分は 東京をはじめとした
首都圏にお住まいです。
遠くに避難した人は福島を捨てたんだ
といったような
実に安直な批判もあるんですが
これは 全く 的外れでして
避難先として一番頼れる人
例えば 息子さんや娘さん
親戚や友人 知人が
たまたま県内にいたのか
たまたま東京にいたのか
違いといったら
それぐらいだったりします。
今日は まず沿岸部
浜通り地方にある2つの町
浪江町と富岡町から避難した方の声を
お聞きいただきます。
(取材者)紅葉がきれい。
いい所だから。 いい所ですね。
何が気に入ったんですか? こちら。
いろいろ見て回ったんですか?
(取材者)結構 もう 年中
何かしら植えている感じですか?
そうです うん。
結構 期間かかるんですよね。
ソラマメとかインゲンなんて もう
10月… ぐらいにまいて
来年の春ですよね。
それは もう分かる… 分かるの…。
で みんな いなくなるだろうな
みんな
死んじゃうなっていうふうに思って…。
(取材者)今は何ですか?
何が なってます?
大根でしょう。
(取材者)ああ 大根! はいはい。
白菜は あっち側の方がいい白菜。
(取材者)へえ~。
ものすごく
地の果てのような
感じで…。
場所も分かんなかったし
千葉県の どの辺に位置してるかも
分かんなかったので…。
(笑い声)
そうですね やっぱり 花…。 うちでは
ワンコがね…
小型犬 2匹… 2人いたんですけど
去年 半年のうちに亡くなっちゃって。
(取材者)皆さん こう…
土地に溶け込むっていうことの
努力みたいなことは
なさったんですか?
これなんですよ 我が家。
(取材者)一番 その… 正子さんが
ちゅうちょするところっていうのは
何ですか?
浪江町と富岡町出身の方々でした。
どちらの町も
3年前 2017年の春に
一部を除いて
避難指示は解除されました。
既にどちらの町にも スーパーや公営住宅
診療所などもありまして
小中学校は
町内で再開しております。
それでも
実際に町内に住んでいる人は
浪江町が人口の9.1%
富岡町は12.6%です。
その理由はですね
福島県内で避難したか
県を出て避難したかにかかわらず
基本は一緒でして
東京の土谷さんのように
避難後に病気が増えて
医療が 十分整っている所でないと
暮らせないとか
あるいは 千葉の元養豚農家
吉田さんのようにですね
町に戻っても もう前と同じ商売は
不可能で 生活できないとか
あるいは 子供が
避難先の学校に溶け込んで
生活を確立したから
もう戻れない。
こういった話も よくあります。
特に 首都圏に避難すれば
故郷のように 近所同士が
親戚づきあいをするという仲のよさは
大都会のマンション暮らしでは
経験できません。
東京の土谷さんは どこに行っても仮の宿
と言いました。
首都圏と福島で
親子兄弟が離散して
家族の輪が壊れてしまったというケースも
多いです。
首都圏での暮らしは
いやおうなしに
失ったものの大きさを
実感する暮らしになります。
では引き続き 今度は沿岸部の
双葉町と浪江町
更には 内陸にある大玉村から
避難した方々の声です。
(取材者)でも こちらでね
やろうという ご決断は
繁光さんがなさったんでしょ?
お邪魔しま~す。
まあ… う~ん…
(取材者)いつ… 何歳ぐらいまで
こちらに? 学生の時ぐらいまで?
いえ… 結婚して福島に…。
今の鹿目さんのように
情報の錯そうした当初の混乱期にですね
まだ小さい子供を連れて つてを頼って
一旦 県外に出たという方は
国の避難指示があったかどうかに
かかわらず たくさん いらっしゃいます。
住む場所を個人が自由に決めるというのは
憲法でも保障されているわけですから
一人一人の避難の選択によしあしの評価を
下すということは 誰にもできません。
福島出身と声を出せない人に向けた
最後のひと言 印象に残りました。
それから 双葉町出身の
大井川さん一家。
双葉町は
面積の96%が
今も立ち入りが規制される
帰還困難区域です。
今年ようやく 本当に ごく一部で
避難指示が解除されまして
復興がスタートしたとはいえですね
もう 間もなく10年です。
家まで解体すれば 戻る選択肢は
ほぼ残っておりません。
話の端々に 後ろは振り返らないという
思いを 強く感じました。
そして
浪江町の荒川さんですけれども
原発事故だけは
どうしても許せないと
できることなら 時間を巻き戻してほしい
という言葉 ありました。
ふだん 福島の方は それを考えないように
考えないように生活しているだけで
心の中では
決してゼロにはならない気持ちです。
番組では 皆さんからの声も
募集しております。
是非こちらまで お寄せください。
では 「被災地からの声」
今日はこの辺で 失礼いたします。