BS1スペシャル「究極のヨットレースに挑む 白石康次郎 極限の11日間」荒れる大西洋をヨットで大冒険!…

出典:EPGの番組情報

BS1スペシャル「究極のヨットレースに挑む 白石康次郎 極限の11日間」[字]

荒れる大西洋をヨットで大冒険!世界一過酷といわれるレースの前哨戦。唯一の日本人・白石康次郎の戦い。船の故障を自力で直し、不眠不休で走りぬく。勇気と涙の物語。

詳細情報
番組内容
フランスから大西洋・南極海をヨットで地球一周。4万8千キロを単独・無寄港・無補給で競うヴァンデ・グローブ。冒険家・白石康次郎は4年前、アジアから初出場したが結果は無念のリタイア。今夏、ヴァンデ再出場をかけて、前哨戦の北大西洋レースに出場した。悪天候に見舞われトラブルやリタイアが続出。白石は1日1食、睡眠わずか1時間という厳しい戦いを強いられた。なぜ挑み続けるのか、極限レースを目指す戦いに密着。
出演者
【出演】白石康次郎,【語り】玄田哲章

ジャンル :
スポーツ – マリン・ウィンタースポーツ

テキストマイニング結果

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「世界一過酷」といわれる
ヨットレースがある。

船に乗れるのは一人だけ。

無寄港 無補給で世界を1周し
そのタイムを競う

「ヴァンデ・グローブ」だ。

開催は4年に1度。

フランスから大西洋を下り
南氷洋を1周する。

距離 実に4万8, 000キロ。

3か月間を 己の力のみで戦い抜く。

この究極のレースに挑もうとしている
日本人がいる。

冒険家 白石康次郎 53歳だ。

アジアからの唯一の選手として
ひときわ注目を浴びる存在。

付いた あだ名は…

時には 死者が出るほどの過酷なレース。

並のヨットマンでは 出場すら許されない。

この夏 選手の力量を見定める
予選レースが行われた。

ヴァンデ・グローブと同じ条件で
北大西洋を1周する 10日余りのレース。

本戦に進むためには
完走しなければならない。

襲いかかる激しい嵐。

リタイアする選手が相次いだ。

白石康次郎 夢の大海原へ。

命懸けのレースに挑んだ
11日間の記録である。

フランス 大西洋沿岸の港町…

究極のレース ヴァンデ・グローブは
この町からスタートする。

7月 白石は その予選を兼ねたレース

「ヴァンデ・アークティック」に
挑もうとしていた。

レースを翌日に控えた この日
この先1週間の気象予測をもとに

作戦を練っていた。

これまで何度も
世界一周のヨットレースに出場し

上位入賞を果たしてきた白石。

しかし そのどれもが

途中で港に立ち寄ることが許された
レースだった。

無寄港 無補給で世界を1周する
ヴァンデ・グローブは

白石にとって 人生最大の目標だった。

(歓声)

実は白石は かつて1度
そのヴァンデ・グローブに挑んでいる。

4年前に出場した 前回の大会。

アフリカ大陸の沖を南下し
南氷洋に入った直後 それは起きた。

高波にさらされた翌日
マストが真っ二つに。

出発から1か月

レース全体の3分の1に満たない地点での
リタイアだった。

何が起こるか分からない
海の厳しさを思い知らされた。

以上 今日の日誌は以上です。

あの日の悔しさを胸に 白石は
この4年間 万全の準備を進めてきた。

その最後の関門となるレース
ヴァンデ・アークティック。

このレースを完走できれば
本戦への切符をつかむことができる。

そのために用意したのが 最新鋭のヨット。

白石自らスポンサー探しに奔走し
8億円を調達した。

恩師であるヨットマン
多田雄幸にあやかって

スピリット・オブ・ユーコー5世と
名付けた。

孤独な戦いを支える
ハイテク化された船内。

現在地や ほかの船の状況は
常にGPSでモニター。

寝ている間も 舵などを電子制御で動かし
走り続けることができる。

更に今回 上位に食い込もうと
ある工夫も施した。

それが 船の左右に伸びている水中翼
フォイルだ。

フォイルを水に沈めながら走ることで

船体を傾け 海面との接触を減らし

波の抵抗を
極力少なくすることができるのだ。

船体のバランスをとるのは難しくなるが

近年 上位に食い込むためには
必須とされている。

新型コロナの感染が続く中で迎えた
ヴァンデ・アークティック。

選手たちは全員
PCR検査を義務づけられた。

観客も大幅に制限される中 出場する
20艇のヨットがスタート地点に集まった。

北大西洋を舞台にした
およそ10日間にわたる戦いが幕を開けた。

レースは
フランスの大西洋岸からスタート。

北極圏に近いアイスランド沖の
ユネスコ・ポイントを回って南下

2つ目のチェック地点を通過し
出発地点に戻ってくる。

レースが始まると
各選手は一斉に帆の張り具合を調整。

風だけを推進力とするヨットレースでは

いかに風を読み 風を捉えていくのかが
勝負を分ける。

緊急時を除いて 陸からのアドバイスは
禁止されているため

コース取りなどの作戦は
全て一人で立てなければならない。

スタートしてすぐ
選手たちを低気圧が待ち構えていた。

悪天候で海は大荒れ。

風も安定せず
帆の調整は難しくなっていた。

荒れる海を どう進めばよいか。

白石は気象データをにらみながら
作戦を練っていた。

スタート地点から北西へ進むのが
最短ルート。

しかし このルートでは
強力な低気圧の影響をもろに受ける。

かえって時間のロスになりかねないと
考えた白石は

低気圧を回り込むルートを
とることにした。

低気圧から離れ過ぎると
風を失い 後れを取る可能性もある

賭けとも言える作戦だ。

低気圧をいち早く抜けたのは
ヨーロッパの強豪選手たちだった。

♬~

ヴァンデ・グローブに
過去3回出場したベテランで

優勝候補の筆頭だ。

ジェレミーが乗るのは
スピードを極限まで追求した

最先端のヨットだ。

最大の特徴は 平らに設計された船底。

海と接する部分を
極力減らすことに成功した。

最高時速は100キロ。

それをベテランの技で巧みに操り
首位を狙う。

ジェレミーのすぐあとを追うのが
ヴァンデ・グローブ初出場を目指す…

フランスの若手トップといわれている。

彼が乗るのもまた
時速100キロ近いスピード艇だ。

時に 命の危険が伴う過酷なレース。

選手たちは
定期的に自分の姿を衛星通信で配信し

安否報告を行う。

それぞれ
工夫を凝らした配信を行う選手たち。

孤独な戦いの中の安らぎの瞬間だ。

♬~

レース3日目。

低気圧を抜け
8位につけていた白石。

その直後 突然大きく順位を落とす。

この時 白石に何が起きたのか。

実は 帆を上げ下げするための
ロープが引っ掛かり

動かなくなっていた。

やむなく白石は船を止め
修理に取りかかった。

9階建てのビルに相当する高さの
マストに登る。

白石は この大会 最年長の53歳。

風にあおられながらの作業が続いた。

船が正常に走りだしたのは
6時間以上たったあと。

手痛い時間のロスとなった。

しかし トラブルは続いた。

何日だ…?

ここと あと ここですね。

今度は発電機の故障。

電力が失われると
船内のコンピューターが止まってしまい

船の正確な位置が
分からなくなってしまう。

度重なる作業に
白石の体力は奪われていった。

レースに特化した作りになっている
白石の船。

体を休める空間は ほとんどない。

夜は船室の端に寝袋を敷いて寝る。

食事をとるのも この僅かなスペースだ。

今回 初めてサーディンを食べます。

ちょっとサーディンを食べる
余裕がなかったんですが

え~ サーディンを食べて
元気になろうと思ってます。

あっ うまい。 これ うまいやつだ。

船の軽量化を図るため
持ち込む食事は 一日1食のみ。

何が起こるか分からない 海の上。

船を走らせながらの睡眠は
1時間にも満たない。

レース6日目。

コースの最北端
ユネスコ・ポイントが見えてきた。

トップ争いは差が詰まり
激しい戦いとなっていた。

優勝候補のベテラン ジェレミーと
若手トップのシャルリーは

2位と3位につけていた。

え~ 今
ユネスコ・ポイントを回ってきました。

ありがとうございます。

何艇かな? 今 もう
先頭集団も ちょうど見たところです。

トラブル続きだった白石も
10位で粘りを見せていた。

しかも ここで白石は うまく風をつかみ
トップとの差を100キロ近く縮めた。

しかし その2日後。

再び低気圧に突入。

今大会 最大の嵐となり
極めて危険な状況だった。

時に あえてスピードを落とし
危険を避けなければならない。

過去8回の大会で3人の犠牲者を出した
ヴァンデ・グローブ。

中には 船ごと消息を絶ったケースもある。

常に転覆や遭難の危険が付きまとう
死と隣り合わせのレース。

このヴァンデ・アークティックでも

一歩間違えば遭難につながりかねない
トラブルが起きていた。

イザベル・ヨシュク選手を襲ったのは
帆を張るための支柱が折れるトラブル。

船のコントロールが利かなくなった。

イザベルは 帆をきつく巻きつける
応急処置を施し レースを続行。

危機を乗り切った。

嵐の中
一人 また一人と脱落していく選手たち。

この予選レースでは ここまで
合わせて3人の選手がリタイアしていた。

白石も激しい嵐と闘っていた。

スピードを抑え 波から受けるダメージを
最小限に抑えようとしていた。

過酷な状況においても
努めて明るく振る舞う白石。

その原点には 亡き師匠への思いがあった。

およそ40年前 世界一周レース
「アラウンドアローン」に

日本人として初めて出場し
優勝を果たした。

当時 世界を相手に
互角に渡り合える日本人は

多田のほかにいなかった。

そのころ白石は 水産高校に通う高校生。

将来は 船の仕事に就きたいと考えていた。

ところが ある日 テレビで多田を知り
ヨットレースに憧れるようになる。

居ても立ってもいられず
電話番号を調べて 深夜に連絡を取り

弟子入りを志願した。

唯一の弟子となった白石に

多田は
ヨットの全てを教えてくれた。

ヨットの設計から仕上げまで
自ら行っていた多田。

白石は そのひたむきな姿を
一番近くで見続けていた。

♬~(サックス)

音楽と酒をこよなく愛する多田。

どんな嵐の海でも
笑顔を絶やすことはなかった。

知れば知るほど 白石は
多田の人柄にほれ込んでいった。

乾杯!
おめでとう!

しかし 弟子入りの5年後
多田は帰らぬ人となる。

2度目のアラウンドアローンに
挑戦していた多田。

レース中 何度もヨットが転覆した。

途中 オーストラリアで棄権。

そのひとつき後 宿泊していたホテルで
自ら命を絶った。

このレースを終えたら 次は
ヴァンデ・グローブだと語っていたという。

翌年 白石は 多田のヨットを使って
単独世界一周に乗り出した。

ヨットには 多田雄幸の魂を受け継ぐ
という意味を込め

スピリット・オブ・ユーコーと名付けた。

2度の失敗を経て
3年がかりで世界一周に成功した。

その後 数々の国際的なレースで
活躍するようになった白石。

トラブルに見舞われても
多田と同じようにレースを楽しんだ。

レース10日目。

多くの選手が2つ目のポイントを通過し
ラストスパートに入っていた。

この時点で
1位は 若手のシャルリー・ダラン。

すぐ後ろを優勝候補筆頭の
ジェレミー・ベイユが追っていた。

一方 白石は この時点で12位。
完走は もう見え

目標を少しでも順位を上げることに
切り替えていた。

いまだに続く発電機の不調と格闘しながら
勝負どきをうかがっていた。

はあ 終わりました。

ゴールまで 500キロ。

優勝争いは一騎打ちとなった。

トップのシャルリー。

それを追うジェレミー。

ゴール直前
その差は ほとんどなくなっていた。

午後8時44分。

戦いを制したのは
ベテランのジェレミーだった。

(拍手と歓声)

続いて シャルリーがゴール。

最後は 50分の差をつけられていた。

初のヴァンデ・グローブ出場を果たした
シャルリーは

本戦でのリベンジを誓っていた。

一方 最後の勝負を
かけようとしていた白石。

白石のヨットは 横から風を受けた時

一番スピードが出る。

この時 海の上には北北西の風。

そこで 早めに南に向かい

風を最大限に受けながら
ゴールに向かう作戦をとった。

作戦どおり 横風をつかまえ
一気に加速する白石。

2艇を抜き 更に追い上げを見せていた。

狙いを定めたのは…

その差は 20キロほど。

そして 翌日の午前3時。

白石は ゴールラインを越えた。

はい 白石さん!

あっちです あっち。

結果は10位。

ファブリスとの差を
僅か5分まで縮めていた。

10番。

5分。

(拍手)

無事に完走した白石は
本戦への出場権を手にすることができた。

ヴァンデ・グローブ本戦に向けて
大きな手応えを感じる戦いだった。

晴れてヴァンデ・グローブ出場権
獲得しました。

すばらしいです。
はい ありがとうございます。

はい ありがとうございました。
ありがとうございました。

お疲れさま。

予選レースの翌月。

白石は 一時的に日本に帰国していた。

本戦が始まる前に どうしても
訪ねておきたい場所があったからだ。

♬~

新潟県長岡市にある墓地。

ここに 恩師である多田雄幸が眠っている。

4年前か。

多田家 来るのは
夏っていうイメージがある。

多田への手土産は いつも決まって酒だ。

すごいですね。
そう。

多田が生前 次に挑戦したいと語っていた
ヴァンデ・グローブ。

4年前は悔しい思いをした そのレースに
再び挑むことになる。

つかの間の休息を終え 再びフランスへ。

妻 海夕希さんと しばしの別れ。

(海夕希)はいはい いってらっしゃ~い。

新型コロナで家族はフランスに入れず
ここで見送りとなった。

命の危険が伴うレースに
挑み続ける白石を

家族は いつも何も言わずに
送り出してきた。

ごめんなさい…。

11月8日 いよいよ
ヴァンデ・グローブ スタートの日。

選手たちは これから
およそ3か月に及ぶ戦いへと出発する。

♬~

ヴァンデ・グローブ スタートです!

再び挑む極限のレース
ヴァンデ・グローブ。

白石康次郎は このレースの果てに

一体 何を見いだすのだろうか。

♬~