林修の今でしょ!講座 2時間SP[字]…の番組内容解析まとめ
出典:EPGの番組情報
林修の今でしょ!講座 2時間SP[字]
生誕140周年!!特別企画!ニッポンはじめて偉人「地下鉄を作った男」早川徳次の超偉業SP!!苦難の銀座線建設を乗り越えた8つの秘話に迫る!資金獲得の陰に渋沢栄一あり?
◇番組内容
生誕140周年!!特別企画!ニッポンはじめて偉人「地下鉄を作った男」早川徳次の超偉業SP!! 東京の地下鉄は今から100年前に一介の民間人が1000億円規模の大工事を成し遂げて作られたものだという!その人物は地下鉄作りに生涯をささげたという偉人、早川徳次。資本家でも政府の役人でもない民間人だった早川が当時政府すら難しいと考えていた地下鉄建設をどう成しえたのか?東京の地下鉄の礎を築いた早川のスゴさを徹底解剖!
◇番組内容2
苦難の銀座線建設を乗り越えた8つの秘話に迫る! ①イギリスで地下鉄と出会い衝撃 ②東京の地下は掘れる!ひらめきの地質調査 ③渋沢栄一を口説き1000億円ゲット!? ④現代につながる!早川モデル地下工事法とは? ⑤日本初!神田川の下を掘る画期的工事 ⑥世界初!?地下鉄資金を増やす副業作戦とは? ⑦世界初!?駅と百貨店を直結させた衝撃の発想 ⑧最大のライバル!?もう一人の地下鉄王
◇出演者
【MC】林修
【副担任】斎藤ちはる(テレビ朝日アナウンサー)
【日直】バカリズム
【学友】伊沢拓司 市川右團次 小芝風花 篠原ゆき子 山崎弘也(アンタッチャブル) ※五十音順
◇おしらせ
☆番組HP
https://www.tv-asahi.co.jp/imadesho/この番組は、テレビ朝日が選んだ『青少年に見てもらいたい番組』です。
ジャンル :
バラエティ – お笑い・コメディ
バラエティ – トークバラエティ
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〈過去の人気回は
TELASAでね〉
〈昨年 大河ドラマの主役だった
渋沢栄一〉
貴重な映像
貴重なインタビューでございました。
『今でしょ!講座』って…。
〈そんな渋沢以外にも
日本をつくった
知られざる偉人はまだまだいる〉
〈そこで
〈昨年 生誕140周年を迎えた偉人
早川徳次〉
〈今や世界トップクラスの規模
といわれる
東京の地下鉄の礎を築いた
その偉業の全貌と…〉
〈あらゆる困難をものともしない
熱すぎる生涯に
迫ります〉
皆さんが早川の立場だったら
どうするか…。
無職ですよ。
500億 集めなきゃいけません。
(山崎)いや…。
〈地下鉄をつくりたいけど 無職〉
〈でも 500億円欲しい!〉
〈そんな時
早川が利用したのは
あの渋沢栄一〉
〈熱すぎるプレゼンで
なんと 1000億円もゲット!?〉
え~っ!
〈未曽有の大災害が
起こっても…〉
〈今でこそ当たり前
地下鉄の駅と商業施設とが
直結しているのも
実は 早川が築き上げた功績〉
(一同 笑い)
〈今回は 講師バカリズム〉
〈さらに
都営大江戸線を計画した
元東京都副知事 青山さんに
都市交通史研究家
枝久保達也さんらが参戦〉
〈そして 早川徳次が
いかにして日本初の地下鉄を
つくり上げたのか〉
〈完成までの道のりを
巨大路線パネルで紐解きます〉
まず無理だろうって言われる
プロジェクトを立ち上げて
信念で いくつもの困難を
乗り越えて実現するって
今の時代に必要な人ですよね。
さあ という事で 本日は
東京の地下鉄をつくった偉人
早川徳次スペシャル
という事ですけども
皆さんは
この人物 ご存じでしたか?
(小芝)知らなかったです。
知らなかった?
名前すら聞いた事なかった…?
聞いた事なかったです。
林くんは?
まあ 一応…。 はい。
一応…?
一応 存じ上げておりました。
やっぱ さすがですね。
(山崎)さすが!
青山さんから見て
この早川徳次って
どういった人物なんですか?
早川徳次はですね
ひと言で言えば
プロジェクト型の天才と
言っていいと思います。
今日 世界の大都市で
地下鉄がなければ
交通機能は成り立たない…
だと思うんですよね。
そういった事を 最初に
日本人としては
プロジェクトとして
取り組んだと。
しかも それを
実現させたという事で
今日の
そう言っていいと思います。
(小芝)
でも そんなにすごい人なのに
なんで 知名度的には
あんまり高くないんですか?
〈「地下鉄も開業した」と
書いてあるくらいで
早川の名前すら出てこない〉
〈という事で まずは…〉
彼の略歴から見ていきましょう。
早川徳次。
生まれは
1881年。
そして
出身地は
山梨県の御代咲村という
桃の産地だそう。
…という家庭環境で育ちます。
(山崎)ちょっといいとこの。
その後 病気を患った関係で
23歳と ちょっと遅めな年齢で
早稲田大学に入学と。
卒業後は
ある行政機関に就職します。
それが
鉄道院と。
現在のJRにあたる機関ですね。
(山崎)ああ~!
だから
(山崎)やっぱ
そっちの仕事だったんですね?
そうなんです。 ところがですね
そのあと
様々なキャリアを経ながら
急に仕事を辞めて
一人で地下鉄建設を志します。
そして その13年後
46歳で
日本初の地下鉄 ホニャララ線を
つくり上げるんですけども
さあ これ 何線でしょうか?
うーん…。
やっぱ 日本最初というと…。
最初です。
やはり そういう…
なんか… なんていうんだろう
方角的なものが大事なのかな
という事で…。
(山崎)あっ そうですか?
(篠原)うん。
ちょっと 自分の…
ご自身の言ってください。
誰かを否定するんじゃなくて。
そうですよ。
まず 南北線を
消そうとしないでください。
(山崎)なんで
否定から入るんですか?
その正解の路線は
こちらで ご紹介します。
それが こちらです。
はい こちら 路線図ですけども…。
(山崎)ああっ!
渋谷から浅草を繋ぐ路線
という事で
市川くん もうわかりますね?
はい
銀座線です。
実は この銀座線こそ
早川が 日本で初めてつくった
地下鉄なんですね。
〈という事で
雷門のある 浅草駅から…〉
〈上野動物園のある 上野〉
〈高級ブランドショップが
立ち並ぶ 銀座〉
〈おしゃれタウン 表参道〉
〈そして 若者の街 渋谷〉
〈全長14.2キロを繋ぐ
東京メトロ 銀座線〉
〈この路線こそ
早川が およそ100年前につくった
日本最古の地下鉄〉
〈ちなみに 1927年に誕生してから
30年間は
東京には
この銀座線しかなかったんだ〉
〈ここからは
早川が 日本初の地下鉄
銀座線をつくっていく
8つの物語をご紹介〉
〈いくつもの困難と
それを乗り越える
すごい偉業が見どころだよ〉
〈まずは
その始まりの物語〉
〈そこには ある運命的な出来事が
あったんだ〉
という事で 早川は
ポイントは
こちらの略歴の1914年。
当時33歳の早川の身に
一体 何があったかと。
〈1914年というと
実は 東京駅が誕生した年〉
〈山手線や中央線など
地上の鉄道はあったものの
山手線は 今のような
環状運転にはなっておらず
東京の市民の足は
いつも満員だったという
路面電車〉
〈交通機能は まだまだ
未発達な時代だったんだ〉
という事で
そんな時代背景の中
早川は ある日突然
地下鉄づくりを
志す事になるんですが。
ここで 早川クイズです。
早川クイズ。
早川が地下鉄を初めて見たという
ある国とは どこでしょうか?
(山崎)国! 国でいいんですね?
はい。
ヒントは 世界で一番最初に
地下鉄ができた国です。
(一同 笑い)
ならない?
これじゃ ならないですか?
結構大きなヒントだったと
思ったんですけど…。
ならないですか?
(山崎)「あそこか!」
って感じがするの
あんまり
ピンとこないんですけど…。
では 解答オープン。
小芝くん…。
(山崎)小芝さん 出してください。
大丈夫 大丈夫 大丈夫…。
(一同 笑い)
(山崎)信用しよう バカリを。
じゃあ まず 山崎くんから
聞いていきましょうか。
山崎くん アメリカ?
やっぱり なんか…
何かと アメリカなんじゃないかな
っていう…。
ああ 最初といえば…。
ニューヨークとかにも
ありますよね
サブウェイっていって 地下鉄…。
私も ニューヨークの
地下鉄のイメージで
アメリカかな…。
市川くん 英国。
(市川)そうですね…。
外国であるっていう事も
やっぱり 大ヒントだった…。
なるほど。
はい。
そして 小芝くん。
大丈夫… どうにかしてくれる。
なるほど。
(一同 笑い)
(山崎)逆に追い込んだんでしょ?
自分を。
ロンドンという
非常に絞った答え…。
これは なぜ
そう思ったんですか?
なんか
オシャレな電車のイメージが
すごくあって… すいません。
もう イギリスというか
ロンドンだと。
私は もう絞っていくよ… という。
すいません。
(山崎)別に 聞いてなかった
わけじゃないからね。
あえて 風花ちゃんは絞った…。
あえて絞ったという事ですね。
ごめんなさい。
枝久保さん 正解 お願いします。
(枝久保さん)はい。
(小芝)あっ… やったー!
ああ… やったー!
大正解。
(山崎)ちょっと 風花ちゃん…。
結果 正解なんですね。
イギリスが地下鉄発祥の国
っていう事ですか?
(枝久保さん)はい。 今からですね
150年以上 昔になります
1863年。
日本では まだ江戸時代ですね。
この頃に ロンドンで
初めて 地下を走る…
当時は 蒸気機関車が
地下を走ってたんですけども
メトロポリタン鉄道という名前の
鉄道が開業しました。
このあとの
メトロっていう言い方は
このメトロポリタン鉄道から
由来してるといわれております。
(山崎)地下で蒸気ですか?
(枝久保さん)はい。
なかなか すすけて大変だった
という話も残ってます。
では 話を1914年に戻しまして
そんなロンドンの地下鉄を見た
という早川ですが
一体 どんな事に
ビビビッときたのでしょうか?
では バカリズム先生
お願いします。
はい。 という事で
物語の舞台はですね
1914年のイギリス ロンドン。
実は この年 早川は
鉄道院の仕事で イギリスの
貨物列車を視察するために
この地を訪れていました。
すると 街を歩いていた時
ちょっと…。
早川が目にしたのは
道の傍らにある
地下鉄の階段なんですね。
まずは そこから 多くの人が
出入りしてる様子に驚きました。
そして すぐさま その
(一同 笑い)
この時の興奮を やっぱり
皆さんに伝えたいからね。
(山崎)しっかりやるタイプに
見えなかった…。
淡々とやってくかなと思ったら。
伝えたいからね。
生まれて初めて 地下鉄の姿を
目の当たりにするのですが
早川は
ある事実に衝撃を受けました。
(山崎)アドリブまで!
(一同 笑い)
という事で
早川が 何より驚いたのが
その運行間隔なんですね。
そして この地下鉄のすごさに
衝撃を受けた早川はですね
何をしたかっていうと
もう すぐさま 妻の軻母子さんに
手紙を書きました。
(山崎)へえ~!
はい それが こちらです。
(山崎)電話なんていう時代じゃ
ないもんね。
小さな字で ビッシリと
書き連ねられていますが
要約すると こうなります。
…という事です。
これ 地下鉄を見ただけで
ここまで決意しちゃった
って事ですか?
早川の性格が
元々 猪突猛進型というところも
あったし
当時は 山手線ですら15分に1本
という事だったので…。
(山崎)
山手線が15分に1本ですか?
(青山さん)
一方 路面電車なんかも
混雑してるために
いつ来るか わからないと。
そういう意味では
人々のために 地下鉄が必要だ
という事を感じて
で 猪突猛進型の性格が
これに突っ込んでいく
という事に
繋がるんだと思いますね。
はい という事で…。
自分が
地下鉄を 東京につくる事を
決意した早川ですけども…。
はい この時
早川のとった行動が こちらです。
「辞めて」です。 仕事を辞めました。
(伊沢)ええっ…!
(山崎)ええっ?
お金…
お金 どうしてたんですか?
早川は 一応ですね
イギリスに行く前に
栃木とか あと 大阪の方の私鉄で
会社を立て直す経営者のような
仕事をしてましたので
その退職金を使って
全財産 費やして行ってしまった
という事ですね。
すごいですね。
こちらが 早川の使っていた
パスポートですが…。
無数にある この入国スタンプが
あると思いますが
このほとんどが
イギリスに入って以降に
押されたもので
かなりの国に 地下鉄調査に
行っている事がわかります。
〈こちらは
早川の肉筆のメモが残る
ロンドンの地下鉄マップ〉
〈ロンドンの路線の長さは
どれほどなのか?
建設費はいくらか?
車両は何両あるのか?
などを調べていたり…〉
〈パリ ベルリン
ニューヨークなどでは
トンネルの大きさや線路の幅
駅のつくりなども調査と…〉
〈およそ2年間
たった一人で
6カ国以上の地下鉄を
見て回り
地下鉄づくりに
必要な知識を
徹底的に
勉強しました〉
誰かに頼まれてるとかじゃ
ないんですよね?
(青山さん)そうなんですよ。
勝手に…。
「勝手に」って言うと ちょっと…。
(山崎)だって 掘っていいかも
誰も決めてないのに…。
まあ そうですね 自分で…。
世界中を…。
(青山さん)早川はですね…。
(青山さん)そういう言葉を
残してるわけですよ。
当時は 当然 不可能だと みんな
思ってたと思うんですけれど
そこに向けて 猪突猛進していく
という事で
行動力を発揮したというのが
この調査だと。
すごい人だな。
もっと この言葉
広まってもいいぐらいですよね。
さあ という事で 林くん
ここまでの早川の行動
いかがでしたか?
まず そのセンスですよね
ピンときたと。
でも それは やはり イギリスで
日本のお手本になる…
まあ 先進国として
色々 発展してて…。
その中の一つ
地下鉄っていうものを見た時に
これを日本に取り入れないと
日本がイギリスに追いつけないと。
全体のデザインの中に
地下鉄があって
で 個人的な興味もあって
地下鉄を
多分 選んだんだろうなと…。
だから 単に地下鉄だけを見てた
とは思えないですね。
〈そして 1916年
2年の調査を終えた早川は
満を持して帰国〉
〈地下鉄の「地」の字も知らない
東京の街に…〉
〈ところが…〉
〈早速 大問題発生〉
〈どうする? 早川〉
〈海外での2年の調査を終え
1916年
満を持して帰国した早川は
たった一人で 東京の街に
地下鉄計画を練り始めます〉
〈2つ目は…〉
早川が帰国したあとの行動に
迫っていきましょう。
では 帰国後 早川は
どんなプランを
立てていたのでしょうか?
それが こちらです。
まずは 地下鉄を 東京のどこに
どんなふうにつくるかという事で
地質などのデータを調べ
自分なりの地下鉄構想を
練りました。
そして その構想をもとに
資金を集めて 起業する
というものです。
(山崎)このあと起業なんだ。
という事で 早速 ある問題が
発生してしまうんですけども。
それが こちら。
それぐらい
とんでもない事だったんですよ。
(山崎)何 言ってるんだっていう。
そうそう そうそう。
早川は 地下鉄づくりに必要な
データを探して
鉄道関係の専門家などを
色々 訪ねてたんですけども…。
(山崎)まあ そうか。 当時じゃ…。
誰に聞いても 東京じゃ無理と
一蹴されてしまったと。
(山崎)色んなね 建物も
立ってるしね。
皆さん なんで 専門家たちは
そこまで無理だと思ったと
思いますか? 小芝さん。
(小芝)
今 おっしゃられてたように
建物とかが いっぱいあって
崩れちゃうとかですか?
あっ 上… その重みで…。
(山崎)うんうん うんうん。
これ 青山さん
いかがでしょうか?
ひと言で言うとですね
東京というのは 特に都心部は
元々 海だった所を
徳川家康の時代に
次々と埋め立てを
していった所なんですね。
日比谷の入江というのがあって
今の日比谷公園の所なんかは
初めから入江だった所を
埋め立てたわけですから
建物 たくさん
立ってましたけれど
それぞれの建物を
建てる時に
基礎工事も
念入りにやる
というのが
普通だったわけで。
それが大変なので
いわんや 地下をずっと通る
トンネルを掘るというのは
まあ もっての外と
そういう観念があったんだと
思いますね。
まあ でも 普通だったら
ここで諦めそうなものですけども
早川は そんな事じゃ
諦めないんですよね 青山さんね。
なんと 早川はですね
東京の地盤が弱いという常識を
自力で覆してしまうんですね。
(山崎)自力で覆す!?
(一同 笑い)
えっ? どういう事?
その時とった行動が こちら。
さあ ここで 早川クイズです。
(山崎)出た! 早川クイズ。
実は 早川は…。
東京の地下は地下鉄が掘れる
という証拠を
入手してしまうんですが
その あるものとは
こちらの東京の名所の
どれでしょうか?
さあ どれでしょうか?
う~ん…。
(一同 笑い)
動物が掘れてない…。
あれだけ掘る動物が…
ねえ 全然掘れてないから
相当 固いんだろう みたいな。
掘る動物 どれだけ掘る…。
元々 入江だったとかいうから
やっぱり ちょっと…
水に関係する所に
橋があって 丈夫だから
意外に 下
大丈夫なんじゃないの?
みたいな感じで
思ったんじゃないかなって。
僕もDですかね。
D 日本橋。
やっぱり この中で一番
地面に直接というか
川の上に
建ててるわけですから
その工事の過程とかも
見ていて
地盤が固いんじゃないかなと
思ったのではないかと。
さあ という事で
正解は こちら。
Dの日本橋なんですね。
素晴らしい。
あざっす。
(拍手)
早川が注目したのは
やはり 日本橋が
とても立派な重たい橋で
しかも
上を路面電車が走ってると。
橋の脚は… 橋脚は
水の中に入ってるわけです。
ですから
こういう橋脚が
立派な橋を支える
という事を
水中でやってるんだから
当然 そういった重さを
支えられるだけの
十分な 丈夫な地盤が
地下にはあると
そう考えたわけですね。
さあ そして 早川は
早速 日本橋の建設に関わった
関係者を訪ねてみると
地下を掘れる証拠を見つけました。
はい この時 早川が
関係者から入手した
実際の資料がこちらです。
〈これは 実際に
早川が入手したとされる
〈資料の上側が川で
下に向かって どのような地層が
あるかが記されているんだけど
よーく見てみると…〉
〈一番上には 「水」の文字〉
〈これは 川の水〉
〈その下に 「泥土」と
書いてあるんだけど
文字どおり
泥のような軟弱な地盤〉
〈ここでは
およそ2メートルにわたって
軟弱な地盤が続いている事が
示されているよ〉
〈そして その下にある
「砂」の文字が書いてある層が
ポイント〉
〈実は この「砂」というのは
粒の大きな土という意味で
地下工事も可能な
固い地盤の事を示している〉
〈そう 早川の読みどおり
日本橋の橋脚は
この固い地盤の上に立っていた〉
〈これを見つけた早川は
その後 20余りの橋の
建設データをかき集め
それらの多くで
地下2メートル以下は
地下鉄を掘る事が可能な
固い地層である事を確認〉
〈こうして 早川のひらめきは
当時の専門家たちの常識を
覆してしまったんです〉
この情報は 橋をつくった
関係者とか当事者じゃないと
なかなか
知り得ないものだったんですか?
そうですね。
今から思えば
こういったデータ
もっと共有できたんじゃないか
っていう話もありますけど
当時は やはり
かなり縦割り的なところも
あったでしょうし
情報の公開っていうのも
進んでなかったでしょうから
なかなか こう…
直接あたっていかないと
わからなかった
っていうところなんですけど。
すごいのが 早川っていうのは
決して技術屋さんではないので
自分で そういったものを…
自分の手で調べるとか
そういう事は
できないんですけども
どういうところに
どんなデータがあって
それを組み合わせれば
どういう事で使えそうかっていう
そこの感覚と執念みたいなものが
特にすごかったのかな
というふうにいえますね。
まさに
「複数の題材の総合的処理」って
今回… 去年から変わった
共通テストで
一番求められている
能力ですからね。
それが ちゃんと備わっていた
っていう事ですもんね。
実現に持っていくまでの
プロセスを きちんと組み立てる。
そこは やっぱ 論理的な思考力。
で しかも
複数のデータを総合的に
専門でもないものまでできる
っていうのは
本当に優秀な人だなと…。
ちゃんと先が見えてた
っていう事ですもんね。
〈そして このあと
無職の早川が
1000億円もの大金 ゲット?〉
〈一体 どうやって?〉
地下2メートル以下ならば
地下鉄工事ができる事を見抜いた
早川でしたが
まだ問題が残っていました。
そう。 お金です。
〈という事で 早川の地下鉄計画は
ステップ2へ〉
〈資金集めに踏み出すんだけど
当然 地下鉄づくりには
とんでもないお金が必要!〉
〈その額は
現代の価値に換算すると
なんと 500億円!〉
〈でも 早川は
ある大物有名人を口説き落とし
なんと 予定の倍 1000億円も
ゲットしてしまうんです!〉
という事で 今度は
資金集めにも動きだします。
これ 皆さんが早川の立場だったら
どうするかっていう事ですよね。
知識は一応ありますと。
でも 無職ですと。
今のところ
社会的信用 ありませんと。
全部使っちゃってるでしょ?
旅行で…。
そうそうそう。 使っちゃってます。
ねえ。
500億 集めなきゃいけません。
どうしますか? 小芝くんなら。
だって 多分…。
社会的信用が…。
(小芝)信用がないから。
「社長!」みたいな。
「よいしょ!」みたいな。
やっぱ そういう
お金持ちに行くしかないかなと
思っちゃいますけどね。
それで 500億集めると。
そこを中心に お金持ちの友達
紹介してもらってみたいな。
篠原くんなら どうしますか?
(篠原)ええ?
(一同 笑い)
絶対ダメだよ!
絶対ダメです!
さあ この早川ですね
(山崎)何するの?
だから 山崎くん言ってる事
あながち間違いじゃない。
だから 青山さん
この人選は抜群なんですよね。
渋沢は 当時 77歳で
自分が色々…
100以上もつくった会社の
第一線からは
身を引いていたわけ
ですけれども
電力ですとか 銀行ですとか
色々 当時のビジネスモデルを
最初につくって いくつも
成功させていた人なので
渋沢が認めた事業である
という事であれば
何十億も何百億も
当時は資金が集まると。
そういう時代だったんですね。
渋沢がすごいですね。
実際 口説き方ですよね。
あの… 色々と
これまでに
調査をしてきた結果が
ありますので
それをもとに まずは
地下鉄つくる事は可能ですよと。
しっかり 納得して頂く
資料をつくるというのと
あと それを事業として
お金を出してほしいと
言ってるわけですから
事業として成り立つんだよ
という事で
ちゃんと
収支の計算とかもして
事業として成立する事を
ちゃんと説明をして
出資を求めたと。
(山崎)儲かるんですよと。
事業計画書みたいなものを
つくったって事ですね。
その結果 200人近い資本家の
協力を得る事に成功しまして
実に 1000億円を集めた
というんですね。
さあ そして こちらは
この時 集まった
出資者の一部です。
早稲田大学の初代学長に
渋沢栄一の娘婿で
製紙王といわれた実業家。
また オノ・ヨーコさんの祖父で
安田財閥のトップといった
当時の日本を支える
一流の資本家が集結したんですね。
(伊沢)安田講堂に残ってるのは
安田善次郎の方で…。
そうだ ごめん。 そうだ 先代だ。
(一同 笑い)
〈渋沢栄一も驚いた!〉
〈1000億円もの資金を集めた
早川の事業計画書〉
〈そこには どんな事が
書かれていたのか?〉
〈今回は 東京メトロさんに
お邪魔して…〉
〈実際に 渋沢にプレゼンした
内容がわかる
貴重な資料を
見せてもらいました〉
(丸山さん)これ
『東京地下鐵道史』といって
地下鉄のつくり方も含めて
どういうふうにつくった
っていうものもわかる
資料になります。
(丸山さん)
こちらになりますけれども
企業目論見書という事で
どのぐらい お金がかかって
どのぐらいの収益が
上がるかというのが
この中に書かれています。
〈えーっと… どれどれ?〉
〈うわあ… なんだか
数字が いっぱい並んでるぞ〉
〈記されていたのは
測量及工事監督費
用地費 土木工事費など
工事に必要な出費 全15項目〉
〈昔とはいえ
100円単位まで
細かく算出されている項目も〉
〈さらにすごかったのは
1年間の売り上げ予測〉
〈人件費などを差し引いた
純利益の予測についても
書かれています〉
〈1年の売り上げは
245万3794円〉
〈純利益は
199万894円〉
〈今の金額にすると
年間 およそ53億円の
利益が出ると明記〉
〈つまり 10年ほどで
採算が取れる計算に〉
〈早川は こうした
具体的な出費と収入
そして その根拠について
渋沢栄一に対し
2時間にわたってプレゼン〉
〈これを機に
そうそうたる資本家 200人から
1000億円もの資金を集める事に
成功しました〉
〈うーん… でも どうして
地下鉄がなかった時代に
ここまで 売り上げを
具体的に予測できたんだろう?〉
〈丸山さん 教えてください!〉
いわゆる
〈地下鉄もない時代に
早川は 一体 どうやって
ここまで具体的な売り上げを
予測する事ができたのか?〉
〈東京メトロ
丸山さんによれば…〉
いわゆる
〈豆? ポケット?
一体 どういう事?〉
〈ここで早川クイズ!〉
〈早川は 黒と白の大豆を使って
地下鉄の売り上げ予測に
必要不可欠な
ある事を行ったというんだけど
そのある事とは
一体 なんでしょう?〉
このような白と黒の2種類の豆で
これを たくさん
使ったそうなんですけども
皆さん 使い方 わかりますか?
(伊沢)豆を使って…?
占い的ななんか。
占い…。
占いで事業計画書を出した。
(山崎)どっちを
多くつかむかみたいなね。
篠原くんは
なんだと思いますか?
道路で よく こうやって今も
計ってる方
いらっしゃるじゃないですか。
あっ 交通量調査。
それを豆を使ってやったのか…。
この豆のエピソード
非常に
早川の伝説的なエピソードの
一つなんですけども。
ご名答なんですが
豆を使って まさに
カウンターのようにして
数を数えていった
というのがあります。
〈という事で正解は
〈実は 現在も
地下鉄をつくる時には
人の流れなどの
地上の交通量データなどから
地下鉄の利用客数を推定し
そこから
売り上げの見積もりを計算〉
〈これが
一般的な方法なんだとか〉
〈そう 早川が行った
豆を使った交通量調査が
あったからこそ
渋沢も うなるほどの
緻密な事業計画書を
書き上げる事ができたんです〉
〈でも
実際に豆をどのように使って
交通量を調べたのか?〉
〈その方法を…〉
バカリズム先生 お願いします。
はい。
まずですね
上着のポケットごとに
違う色を
こうやって入れますよね。
(山崎)白と黒を。
はい 入れます。
そして 街で 街角に立って
こう 道行く人や車を眺めます。
(伊沢)結構 凝視。
(山崎)通ってるなと。
そして 例えば 乗用車が通ったら
黒い豆を ズボンの右ポケットに
移動すると。
ああ。 上着からズボンに。
そうそう そうそう。
バスが通ったら 白い豆を
左のズボンのポケットに移すと。
まあ 実際は
もっと なんか 色々
車種ごとに
ポケット 色々 駆使して…。
(山崎)ああ…
もっと細かく分けてたんだ。
これを 毎日 ひたすら
やってたそうです。
これで交通量を調べていたと。
しかも この… 枝久保さん
期間がすごいんですよね?
(枝久保さん)はい。
半年ぐらいにわたってですね
場所… 色んな しかも 東京各地で
交差点とかに立って
ひたすら…。
(枝久保さん)はい。 一人で…。
(山崎)お一人で!?
(山崎)すごいですね!
(伊沢)バイトも使わずに…。
これ だから 青山さん
とんでもない執念ですよね?
これは
早川の真骨頂だと思いますね。
自分で これだけやって…
緻密な調査を
あらゆる箇所について やったと。
だから この路線だと…
あとに繋がるわけでして
これは とても関係者の胸を打った
という事なんだと思いますね。
自分でおやりになったんですか
という事だと思います。
(山崎)いや だって それで
この経路に
なったわけですもんね?
〈そう
豆での交通量調査によって
早川は どこに路線を敷くかを
決めたんですが
実は 今の銀座線とは
ちょっと違うんです〉
〈こちらは この頃
早川が計画していた路線図〉
〈当時
東京中の交通量調査をした結果
浅草~上野間の浅草通り
そして
上野から新橋間の中央通りと
品川方面の通りが…〉
〈そのため 早川は
まず 浅草から品川に
地下鉄を敷く計画を
立てたのですが…〉
〈その後
国の建設許可を得ていく
過程で
この計画を
ちょびっと変更〉
こちらのパネルで
見てみますと…。
浅草から そして 新橋を
つくるというのが
銀座線の初期構想となりますね。
〈そう その始まりは
今より ちょっと短い
浅草~新橋構想〉
〈早川が いかにして
この銀座線を
つくり上げていくのか
そして どうやって
今の形になっていくのかに
ご注目〉
〈すごい物語が
続々登場します!〉
そして 1920年 早川は
今の東京メトロの前身となる
東京地下鉄道という会社を
設立します。
いよいよ 地下鉄建設を始める
という事になるんですね。
ロンドンで衝撃を受けて 6年で
ここまできたと…。
早いですよね。
6年で開業 すごいですね。
そうですよね。
最初の…
お話ありましたけれども
「東京は 地下 掘れない」
っていうぐらいに
バカにされるぐらいのところから
自分自身を信じて
6年間で ここまでの会社をつくる
っていうのは
もう やっぱり ものすごい その…
なんていうんでしょう…。
林くん ここまでいかがでしたか?
まず その方法論を考える
という事が素晴らしいですよね。
何かを成し遂げる人っていうのは
この目標に対して どういう方法を
とればいいのかとか…。
そして 6年 早いって
思ったんですけど 逆に言えば…。
なるほど! このスピードだから。
ですから
そういう 一気に押し切る
そういう行動力があって
実際の開通だったんだろうなと。
なるほど… 確かに。 情熱も
やっぱ この6年だったから
続いたというのもありますよね。
〈驚異的なペースで
自らの地下鉄事業会社
東京地下鉄道の設立にまで
こぎつけた 早川〉
〈どこに どんな駅を設置するか
など
具体的な建設準備が
進められていく中…〉
〈思わぬ事態が
早川を襲う事に!〉
〈それは 早川の会社の存亡すら
揺るがすほどの
大惨事だったんだけど
そんな逆境をバネに…〉
〈早川は
現代の地下工事の礎を築く
すごい偉業を成し遂げるんだ!〉
さあ 会社もできて
着々と工事の準備を始めていった
早川なんですが
ここで とんでもない問題が
立て続けに起きてしまうんです。
まず1つ目が こちら。
伊沢くん 戦後恐慌とは何か
ちょっと わかりやすく
説明してもらっていいですか?
第一次大戦が ヨーロッパで
1914年から19年まで
やってたわけですけど。
その間って ヨーロッパの生産が
落ち込んでしまうので
逆に 日本でつくったものが
海外に売れたわけですね。
なので 日本は
景気良くなったんですけど。
それが こう
第一次大戦が終わって
ヨーロッパの生産力が上がると
日本の製品が売れなくなるので
ものが余っちゃうわけですね。
そうなると 日本の企業の株とかが
下がっちゃって
日本は不景気になって
恐慌と呼ばれる状態に
なっていたと…。
この戦後恐慌によって
先ほどの日本の資本家たちは
大打撃を受けて
出資者が
どんどん減っていきます。
(山崎)最初 お金出すって
言ってたのに。
しかも 問題は
それだけじゃないんですね。
さらに こんな事が起こります。
それが
こちら。
190万人が被災。
10万人もの命が失われた
未曽有の大災害ですけども
この2つの出来事で
早川の財政状態も
大変な事になっていました。
それが
こちら。
(山崎)無理じゃない そしたら。
4分の1に資金が減ってしまった。
さすがに もう
無理でしょ… ってね
諦めても おかしくない状況
なんですけども
この情熱の男 早川は…。
できるんですか?
〈このあと 震災にもめげない
現代にも通じる
早川の画期的なアイデア連発!〉
実は
(山崎)もう まさに
早川さんのやつを見習っての…。
(山崎)えーっ!
早川モデルなんですね。
〈さらに 日本初の地下鉄工事
その様子を記録した貴重映像
公開!〉
〈そして迎えた開業当日
早川 男泣き〉
〈そして 関東大震災によって
1000億円あった資金が
250億円にまで減少してしまった
早川〉
そんな事より…。
〈もはや 取りつく島もなし〉
〈資本家たちは 地下鉄事業に
見向きもしない状況に〉
さすがに もう
無理でしょ… ってね
諦めても おかしくない状況
なんですけども
この情熱の男 早川は…。
〈早川は
ルドルフ・ブリスケ
遠竹勇熊 小田秀吉といった
国内外の優秀な建築技師を招集〉
〈資金難
そして 震災という難局を
打開する方法を話し合いました〉
〈その結果…〉
〈現代の
地下鉄づくりなどにも通じる
2つのすごいアイデアが誕生〉
〈まず 1つ目は…〉
まず こんな事をしました。
それが こちら。
元々 早川の構想は
浅草~新橋間だったんですが
こちら。
浅草から上野までの間を
開業させよう
という事にしたんですね。
(青山さん)これは いわゆる
先行開業というもので
これで終わるという事ではなくて
まず…。
(青山さん)こういう困難な時期に
ここで
地下鉄を2.2キロでも
日本で初めて開通させる
という事が
震災復興に対する
人々の希望になると。
そういう夢も
あったんだと思うんですね。
これが また
見事に当たったんだと思います。
へえ~!
(伊沢)一回 つくっちゃえば
みんな 地下鉄の便利さに気づく
みたいな…。
(青山さん)そういう事です。
実は
例えば 大江戸線なんかも
最初は 光が丘から出発して
それから
環状線部分にいった時も
最初は 2駅ずつ… みたいに
開業していって
西暦2000年に 全部 環状線も
開業させたというふうに…。
まあ 先行開業をして
人々の期待ができて
工事費にも弾みがつく
というのは
現代でも応用してるんです。
(山崎)もう まさに
早川さんのやつを見習っての…。
(山崎)えーっ!
早川モデルなんですね。
ホント 大江戸線
ちょっとずつでしたもんね。
って いわれてましたもんね。
環状部分だけで
1兆円かかってますので。
そうなんですよ。
さあ そして
震災の翌年 1925年9月27日
工事の起工式が行われ
いよいよ 日本初の地下工事が
始まるんですが…。
〈それが もう一つのアイデア〉
〈そもそも 地下鉄工事には
地中を モグラのように掘り進む
シールド工法と
呼ばれるものと…〉
〈地表から 大きく穴を開け
中にトンネルをつくって埋める
開削工法の2種類があります〉
〈早川たちは 費用が
安く抑えられるなどの理由から
開削工法をチョイスしたんだけど
この方法が抱える
ある大きな制約を克服!〉
〈街の震災復興を邪魔しない
すごい地下工事をしたんだ!〉
〈開削工法の制約
それは
地表に 大きな穴を開けるため
道路くらいしか掘る場所がない
という事〉
〈そんな状況の中
早川は ある工夫で
地上の車などの交通を妨げない
さらに 現代の地下工事の礎まで
築き上げるという
偉業を成し遂げたんです〉
さあ では 一体
どんな工夫をしたのでしょうか?
今回は 実際に
その工事に関わった建設会社に
取材を依頼しまして
その秘密に関する貴重な資料を
見せて頂きました。
こちらのVTRを ご覧ください。
(山崎)どこ?
〈訪ねたのは 新宿区にある
大手建設会社 大成建設〉
〈実は かつて
「大倉土木」という名で
早川の地下鉄工事を
担当していた会社なんです〉
〈そんな
当時の工事の様子を記録した
貴重な資料があるとの事で
特別に見せてもらえる事に〉
(山崎)残ってるんだ。
〈昭和2年
浅草~上野間の開通を記念して
つくられた資料集〉
(伊沢)かっこいい 資料集。
〈そこに載っている
トンネルの設計図に注目〉
〈路面電車が走る線路の下に…〉
〈作業員の姿が〉
〈でも この路面電車が走る地面
なんだか板みたいだけど
これは なんだ?〉
〈早川らが採用したのは
路面覆工という方法〉
〈路面覆工とは
開削工法で開けた穴の上に
仮の道路をつくり
フタの役目を担わせる事で
地上の交通を妨げずに
地下で工事をする方法の事〉
〈現在では
水道工事やガス管工事で
当たり前のように行われている
方法ですが
実は 早川らが
地下鉄工事に採用したのが
日本初といわれています〉
すげえ。
〈そして 今回
工事の様子を記録した
100年前の貴重な映像も
見せてもらえたよ〉
〈それが こちら〉
〈作業を開始するのは
終電後の深夜〉
〈重いレールを動かして
60センチほどの深さまで
穴を掘り
そこに 鉄骨と板を敷いて
始発までにフタをする〉
〈この作業を 毎晩少しずつ
浅草から上野まで
全ての区間で行えば…〉
〈あとは どんな時間でも
交通を妨げず
トンネルを掘り進む事ができる
というわけ〉
〈すごく手間のかかる作業だけど
当時
震災後の復興の真っ最中だった
東京の街の勢いを消したくない
という早川の気配りから
この工法を取り入れたと
いわれているんだ〉
〈ただ
日本初の地下鉄工事とあって
当然のように
一難去れば また一難〉
(山崎)やってる人たちもね
初めてだから。
〈難局に見舞われました〉
〈その最大の原因は…〉
うわあ…。
(山崎)ああ…。
これが流れ込むのか。
〈大雨で砂地の地盤が
緩んで 崩落〉
〈大きな穴が
開いてしまったり…〉
〈雨水を吸った土や板の重さに
トンネルを支える鉄骨が
耐えきれず
グニャリと
曲がってしまったり…〉
〈1年に4回
度重なる事故に
近隣住民からは
苦情の嵐〉
〈つらい状況が
続いたんだ〉
〈現場監督 小田秀吉は
責任を感じ 辞任の意を
早川に伝えたんだそう〉
〈しかし 早川は
こんな手紙を送り
小田を鼓舞したとの記録が〉
〈その後も
様々な工夫をしながら
雨にも負けない
大地震にも負けない
安全で丈夫なトンネルづくりに
一層邁進していった 早川たち〉
〈そして 2年間の工事を経て
ついに 開業へと
こぎ着けたのです〉
(拍手)
ホントに 人に迷惑をかけない
みたいな…。
こっちの方が偉いんだ!
じゃなくて
すいません 皆さん…
みたいなのがあったというのがね。
渋沢さんに好かれる感じも
わかりますよね だから。
いや もう… みたいな。
人間力がね
素晴らしかったんでしょうね。
さあ でもですね この工事
すごいのは
これだけじゃないんですね。
(青山さん)はい。 今 ちょうど
流れている映像が
浅草付近のトンネルを
映したものなんですね。
で 実は
このトンネルのほとんどが
早川の時代につくった時の
まんまのトンネルを
今日も使っております。
(山崎)そのままで大丈夫なんだ。
(青山さん)普通
コンクリートの寿命っていうのは
大体 100年ぐらいと
いわれてますけれども
100年といわれる対応年数の
倍の200年持つと
そう いわれてるほど
丈夫なトンネル
という事なんですね。
私は その 早川がつくった
銀座線のトンネルを
外側から
この両手で触った事が
あるんですけども。
外側から?
20年以上前の話
ですけれども
大江戸線をつくっていた時です。
仲御徒町の所で
銀座線の底の部分だとか… に
近い所を
大江戸線の工事をしたので
その間 ちょっと
触れる場所があるわけですよ。
触らせてもらいましたけど…。
どうでした? 触ってみて。
(青山さん)ホントに…。
(山崎)気持ちが…。
こもってらっしゃるんですね。
さあ こうして
トンネルが完成したという事で
浅草 田原町 稲荷町 そして 上野。
距離にして 2.2キロメートルが
開通なんですが
実は もう一つ
すごいものがあるんです。
はい そうです。 それが こちら。
車両ですね。
枝久保さん
この車両もすごいんですよね?
(枝久保さん)はい。
早川はですね 車両も
相当こだわっておりまして。
銀座線といえば
今でも 同じような
黄色い電車が走ってるのを
お見かけすると思うんですけども
実は
最初の車両に導入した色でして。
暗い地下でも
明るく晴れやかにしたいと…。
ベルリンの地下鉄が こういう色を
使っているそうなんですね。
それを参考に導入しました。
他にもですね 早川は
世界レベルの…
世界標準の色んな技術を
日本… 初めてで
色々 導入してるんですけれども。
例えばですね この車体
当時の電車っていうのは
まだまだ 木材をですね
車体とか内装に使っているのが
普通だったんですけれども
この電車は 地下鉄なので
万が一 火災が起きたりした時は
リスクがありますから
全ての車体を鋼鉄製
鉄製でつくっております。
国鉄とか 私鉄とかと比べると
大体30年ぐらい先をいく
発想だった…。
地下鉄の方が
先をいってたんですね。
〈他にも 日本初となる
自動ブレーキシステムや
乗客の転落を防ぐため
当時 最新の
自動ドアシステムを導入するなど
日本最先端の車両が
誕生しました〉
そして
こちら 改札に並ぶ
お客さんの様子です。
かなりの大にぎわいと
なっていますね。
ちなみに このような
10銭硬貨を入れると通過できる
自動改札のような装置が
設置されました。
見ますね あれね。
(山崎)ねえ。
そして こちらは
ホームで電車を待つ
お客さんたちです。
電車が来ると
さあ このように
続々と乗り込んでいきますが…。
(山崎)いやあ なんか すごいね。
なんと この日
1日の乗客者数は10万人と
鉄道史上 類を見ない
大盛況だったそうです。
(山崎)交通手段っていうよりは…。
ジェットコースターに並んでる
感覚ですよね。
(山崎)そんな感じよね。
そうですね。
乗り鉄… 確かに。
さあ そして この日
早川は どんな様子だったのか
資料には こう記されていました。
へえ~ 泣いたんだ。
そりゃそうですよね。 うん。
全部 初めての事なのに
失敗なくというか…。
問題は多々あっても
それが ホントにすごいですね。
林くん… ついに 地下鉄開業まで
こぎ着けましたけども
ここまで いかがですか?
やっぱり
こういう人が…。 もちろんね
全員が それで成功したわけじゃ
ないでしょうけど… でも
そうですよね。
それなのにね ホントに
銀座線と半蔵門線の
三越前の乗り換えが長いとか
ブーブー言いながら…。
(一同 笑い)
こんな苦労も知らず。
ええ。
あそこも かみ締めて
乗り換えたいと思います。
ありがたいという事ですからね。
(山崎)かみ締めましょう。
悲願の地下鉄開業へと
こぎ着けた早川。
しかし 彼の目標は まだまだ先。
再び工事を進めるも
新たな問題に直面します。
〈浅草から
新橋までの
路線開通を
目指す早川は
すぐに工事を再開〉
〈上野から神田へと
進んでいくさなか
再び問題発生〉
〈それをクリアするため
こんな偉業を成し遂げます〉
〈当時 これが
とても大きな問題だったんだ〉
実は その問題があったのが
大体 あちらの
神田のちょっと上辺りですね。
ここに 地下工事をする上で
結構な難敵がいたんですけども
この難敵
市川くん なんだと思いますか?
ヒントは
地名ですね。
(山崎)地名。
地名?
神田という地名がヒントですね。
神田ですよね?
これ まあまあな
ヒントなんですけど…。
神田といえば… みたいな。
もう 神田といえば
なんですか?
さあ では その問題とは
一体 なんなんでしょうか?
さあ こちらは 現在の
中央通りの様子です。
画面奥が上野で…。
この通りを
神田方向へと南下していくと
その難敵が見えてきます。
さあ それが
この川 神田川なんです。
(山崎)さすが!
さすが!
さすがですね。 かぐや姫。
さあ これ 皆さん
なんで 神田川が問題か
っていうのはわかりますよね。
水回りというか…。
そのとおりなんですね。
(山崎)ありがとうございます。
神田の手前で
神田川の下をくぐらなければ
いけないわけですね。
ここまでは いわゆる開削工法で
やってきたわけですけれども
そういった方法は ここでは
取れないという事になります。
水浸しになってしまいますので。
どうするかという事に
なったわけなんですね。
川をせき止めるみたいな
発想とか…。
1回 ここのエリアだけ
止めちゃえば
みたいなのは
できないんですか?
ホントに それを
やりたかったんですけれども
残念ながら 当時は
まだ 舟運が
結構 盛んだった…。
元々 運河としても
使われていたので
荷物を運ぶ船ですとか
漁業をする人が
もっと上流に
船を止めてたりとか
そういう事で
現代みたいに
船を やや遊覧とか
そういう事で使ってる
という時代ではないので
当時は ホントに
もう ホントに
八方塞がりじゃないですか。
ただ 早川 またも独創的な方法で
この問題を解決します。
〈難敵 神田川を
攻略した
早川の
独創的な工事〉
〈それが
こちら〉
巨大な鉄樋が
攻略の鍵という事なんですけども
それを写した画像があります。
それが こちらです。
(山崎)鉄樋を?
これ 鉄樋です。
あの… いわゆる
U字型溝の大きいもの
というふうに考えて頂ければ
いいんですけれど
鉄でできてるので
樋の大きいものなので鉄樋と。
そういう言い方をしてた
わけですけれども。
今日の
小さなビニールハウスなんかが
2つぐらい
繋がってるというふうな…。
(山崎)大きいものですよね。
(青山さん)
これを 神田川の真ん中に埋めて
使ったわけですね。
(青山さん)神田川の中央に
向きを変えて
川の流れに沿った形で
この鉄樋を埋めたわけです。
これだけだと
まだダメなんですけれども
鉄樋から出発して
川の淵に向かって
塀をつくったわけです
このように。
鉄樋が
真ん中にあるんですよ。
真ん中
川が流れてるんです。
で 塀をつくったあとで
この塀の中にある水を
ポンプアップして
かき出して
中を乾燥させる
という事で
この部分で工事ができる
という事になるわけですね。
で こうやって
乾燥してるので…
そこに鉄樋がありますね。
鉄樋の下の方まで
掘り進んでいって
鉄樋の下も
掘る事ができるという事で
これで 深く掘って
トンネルをつくったと…。
実は この鉄樋を使おうという事の
ヒントとしては
日本古来の治水の技法で
この掛樋という…
これ よく見かけると
思うんですけれども
農業用水なんか…
特に 田んぼがある所では
田んぼの水をですね 通すために
他の用水路とは違う経路で
水を通すという場合に
こういう掛樋を通します。
子供が向こうに渡るための
橋じゃないんですね これ。
いや でも 子供の時に
これで渡ってたけど。
(青山さん)こういったものを
ヒントにして
応用したかもしれませんね。
でも これを
向きを変えて ああ使うって
なかなか
思いつく事じゃないですよね。
さあ こうした 見事なアイデアで
攻略法は定まったんですが
この工事は
別の問題もあったんですね。
それが こちら。
2年半かかるの? あれ。
とにかく
時間がかかるという事で
ただでさえ
資金が足りなかったのに
お金ばかり出ていってしまうと。
ここで また 早川は
すごい事をやってのけます。
〈早川が取ったのは なんと
副業で資金を増やす作戦〉
〈こちら!〉
〈今でも
地下鉄の駅で見かける あれ〉
〈実は 早川が
資金調達のために取った
副業作戦で生まれたんだ〉
〈みんな
なんの事か わかるかな?〉
早川は 鉄道事業とは
別に副業のような
アイデア事業を考案するんですが
ここで早川クイズです。
出ました 早川クイズ!
出た! 早川クイズ。
さあ 果たして その事業とは
一体 なんでしょうか?
ヒントは
皆さん 駅で見た事があるかも。
(山崎)かも?
まあ 見た事ありますね。
はい では 解答オープン。
(山崎)はい。
山崎くんは キヨスク。
やっぱ なんか 駅といえば
キヨスクみたいな。
同時にできたのかなみたいな
こういうのが。
なるほど。
そして 伊沢くんが商業施設。
やっぱり 当時の駅というのは
乗り降りする場所という
位置づけだったのが
やはり そこに
お店を展開して
テナント料を取ったりで
儲かるんじゃないかなと。
はい 強引に入ってきたな
キヨスク。
林くんは商店街。
まあ そうですね
伊沢と同じですね。
商業施設だというね。
並べて 駅前に。
えー 小芝くんは…。
駅弁。
駅弁。 はい。
その駅ごとに…。
まあまあ 駅にはありますもんね。
(山崎)いやいやいや 全然
浅草~上野間でも
おなか すくしね。
(山崎)全然 全然。
全然 買えますしね。
買えるっちゃ買えますよ。
(山崎)食べたい 食べたい。
それでは正解を見てみましょう。
正解はこちら。
まあまあ 皆さん
大体 言ってる事は…。
ちょっと まあ 駅弁は若干…。
(山崎)いやいやいや
駅弁も買っていくから。
駅弁は…。
(山崎)いや 駅弁も売ってますよ。
さっきから
絞りたがるクセがありますよね。
自分に厳しいのよ だから。
厳しいのか。
そうそうそう。
あんま広く言わない。
保険をつくらないっていうね。
素晴らしい事なんですけどね。
最近は レストランや
アパレルショップが入った
駅チカの施設が多いですけども
実は こうした施設の元を
最初につくったのが
早川なんですね。
(山崎)もう すでにあったの?
そうなんです。
その元になったという施設が
こちらです。
もう まさにね。
地下鉄ストアと言いまして
当時 上野駅に開業された
日本初の
駅内の日用品ショップです。
これが大当たりして
大盛況だったそうなんですね。
(山崎)直営店じゃん。
当時から 例えば ターミナル駅に
デパートをつくったりとか
そういう 鉄道と商業の組み合わせ
という発想は
私鉄とかにも
色々 あったんですけども
この 早川の地下鉄ストアの特徴は
日用品を売ると…。
普通の 沿線の利用者
市民の方々に
日頃 使うものを
安く売ると。
このお店がすごいのがですね
モットーは
これ 今までにない場所に
出しているのに
どうして そんなに安くできた…?
(山崎)確かに。
(枝久保さん)まあ これ 一つは
電気代とか そういったものも
電車用に一括で大量に買った
電気の一部を
駅の中ですから
そこに向けられるとか。
あとは 鉄道会社というところで
信用もあるので
それなりの数 一気に仕入れる事で
まあ 単価も安くなると。
〈他にも
駅に食堂をつくったり…〉
をつくるなど…〉
そういうお店 もう あったの?
チェーンストアっていうのが
日本では 当時 ほとんどまだ
なかった時代ですから…。
早川の地下鉄ストアを
やるにあたっては
担当の社員を
アメリカに派遣してですね
当時最先端だった
アメリカのチェーンストア事業
というのを学ばせて
東京で そういう
チェーンストアとして
もっと広げていこうという
さらに広い夢を持ってたんですね。
(伊沢)すげえ…。
1個にね…。
さあ 神田川の工事中の
収入アップ作戦は
こうした地下鉄ストアなどを
展開しただけじゃないんですね。
実は こんな事もしていました。
それが こちら。
臨時駅 萬世橋です。
(山崎)臨時駅?
(伊沢)萬世橋に駅あったんだ。
ここに
今はない臨時の駅をつくって
上野広小路 そして 末広町と…
ここまでの区間を
開業させてしまうんですね。
(山崎)神田川やってる間に
という事ですか? これは。
そうですね。 あの路線図
見て頂ければわかるとおり
末広町で止まってしまうと
そこで行き止まりで
その先 お客さん
行けなくなってしまうので
その先
乗り換えられるようにしたいと。
当時…
まあ 今は ないんですけども
中央線に万世橋という駅が
ありまして。
また 近くにですね
市電の路面電車のターミナル
みたいな
こう 集まってくる場所も
あったので
そこまで延ばせば その先
乗り換えができるという事で
そのために
神田駅の工事が終わるまでの
2年間だけ
開業する仮駅をつくったと。
実際 これで
乗客も2割ほど増えたので。
「のりつぐ」ですもんね
名前がね。
もう やはり
もう ホントに
そのために生まれてきたんじゃ
ないかというような。
そうですよね。
生まれた時に もう決まってた…。
(山崎)決まってましたね
乗り継ぐ事は。
さあ ちなみに この萬世橋は
今も その名残が…
トンネル内に残しているんですね。
こちらです。
渋谷方向に向かう場合ですと
進行方向右側
末広町を過ぎた辺りの車窓に…。
(山崎)あっ!
このように
「まんせいばし」と書かれた
プレートが
ごく一瞬 見えるそうなんです。
興味のある方は ぜひ
チェックをしてみてください。
携帯見てる場合じゃないですね。
さあ という事で
様々な工夫を凝らしてきた
早川ですけども。
林くん
ここまで いかがでしたか?
そうですね。
元々 そういう思いがあったから
海外を見た時に…。
っていう
そんな印象を受けますね。
〈という事で 1931年
2年半にわたる
神田川工事を終えると
いよいよ 早川構想の目的地
新橋への路線延長に
着手します〉
〈ここから
この神田から新橋までのゾーン
実はですね
これまでの問題続きと違って
これ むしろ 早川に
運気が傾いてきたという
超ラッキーゾーンなんですよ
ここ。
ここ ラッキーゾーンなんですよ。
いい事もあるんだ やっぱね。
そうなんですよ。
悪い事ばっかりじゃないよ。
そのラッキーな出来事が
こちらです。
ここで 早速 早川クイズです。
出た 早川クイズ。
駅と何が直結するのでしょうか?
(山崎)何?
フリップに
答えをお書きください。
これは もう
ノーヒントでいけますよね。
(山崎)そういう事ね。
(一同 笑い)
(小芝)えっ!?
キョトンとしてますけど…。
これ でも
わかるんじゃないですか?
(山崎)ん…?
確かに 路線図 見ていくとね
ヒントが もう書いてますから。
(一同 笑い)
ちょっと待ってね。
えっ…。
(一同 笑い)
そっか。
(山崎)むしろ もう その…。
オーケー オーケー…。
(一同 笑い)
それは もう お任せします…。
(一同 笑い)
さあ それでは
解答 見てみましょう。
皆さん 解答オープン。
じゃあ 山崎くんから
見ていきましょう。
デパート。
はいはい。
三越前。
なるほど。
そして 伊沢くんは百貨店。
百貨店ですね。
三越前と あと やっぱ
日本橋もあったりとかで
この辺り やっぱ
百貨店 多いですから…。
(山崎)確かにね そっか そっか…。
さあ そして 小芝くん。
お金持ちの駅と直結。
お金持ちの駅と直結…
どういう事ですか?
お金持ちの駅というのは
なんでしょうか?
三越って お高いイメージが
デパートとか… あって。
そこと直結できたから…。
なるほど。
駅と お金持ちの駅が
直結したって事?
お金持ちの人が住んでる駅と
直結したから…。
(山崎)お金持ちの人が
住んでる駅って…。
それだと いっぱい
なんか こう… お金がね。
(小芝)使ってくれたりとかする…。
お金 使ってくれるから
という事なんですね。
では 正解は なんなんでしょうか。
それが こちら。
〈そう 三越前だよね!〉
〈改札を出ると
三越本店まで徒歩1分!〉
〈これは 90年以上前に
三越側が 早川に提案する形で
実現したんだけど
その条件が
また すごかったよ!〉
(小栗)《久々に 集まった》
ならこれでしょ
(山田)でも こんな気持ちいい日は?
爽やかなプレモルにしよっか!
(川口)しちゃいましょ
(小栗・山田)よし はい
<新!爽やか
「ザ・プレミアム・モルツ<香る>エール」>
はぁ~
青空みたいだ
(缶を開ける音)
プシュッ! プシュッ! プシュッ!
♬~
(ビールを注ぐ音)
<金麦ザ・ラガーーー!
ラガーー-!
ラガーー-!の 新>
〈ここで 学友の
『妖怪シェアハウス』の連続ドラマ
シーズン2が4月から
そして 映画が
6月に公開されます。
私が演じる
気弱な主人公の目黒澪が
再び 妖怪さんたちと
シェアハウスして大騒ぎします。
ドラマは
4月9日よる11時から。
初回は1時間スペシャルです。
ぜひ ご覧ください。
(山崎)イエーイ!
(拍手)
〈駅と百貨店を直結!〉
時は1926年。
まだ 浅草から上野間が
工事中の事です。
今後の資金繰りに悩む早川の元を
ある一人の人物が訪ねていました。
その人物は 日本橋三越の専務で
のちの会長となる倉知誠夫。
そして 早川に
こんな話を持ちかけました。
(山崎)うまいなあ!
資金不足に悩んでいた
早川にとっても
願ってもない提案。
ウィンウィンだね。
三越も
関東大震災で被災しましたので
デパートを再建する
という時期だったので
そういう意味で 地下鉄が
この前を通るんだったら
直結したいという事で希望したと。
同時に 経費を出すんですから
自分で 駅のデザインも
自由にさせてほしいという事を
早川に対して申し入れまして
で 駅構内では 初めての
エスカレーターというのも…。
ああ~ ここで。
(青山さん)ええ。
ここで 三越前駅でつくったと…。
〈その後 三越の噂を聞きつけた
〈その結果…〉
〈日本橋駅は 高島屋〉
〈京橋駅は 明治屋〉
〈銀座駅は 銀座三越と松屋銀座〉
〈そして 上野広小路駅は松坂屋〉
〈5つの駅が百貨店と直結し
それぞれ駅の建設費の一部を
百貨店に負担してもらったんだ〉
〈ホント これまでの苦労が
ウソみたいに ツイてるよね!〉
これ あの 青山さん
かなり画期的な事ですよね?
ロンドンも
ニューヨークも
市役所が
直接 経営しています。
日本だけは この時
完全民間で地下鉄をつくった
というのがあるので
特に この銀座線の
この三越前駅付近の駅
っていうのは
いずれも
百貨店なり小売店なりと直結する
という事をすると同時に…。
という事をやったので…。
ある意味 これは
民間だからこその… はあ~。
これは その後
帝都高速度交通営団になっても
メトロ株式会社になっても
いずれも この発想は
引き継いでくるという事で
日本は 独特の地下鉄の駅の
発展を遂げたと
言っていいと思いますよね。
さあ そして この
それが こちら。
(青山さん)今日 私たちは
銀座っていうと
すごいと思ってますけれど
当時としては
それほどでもなかった
とは言いませんけれども
やはり 上野 浅草の方が
人の流れがすごかった。
それが銀座線によって
人の流れが かなり銀座にいった
という事で…。
で まあ
その後
銀座が日本一の繁華街という事に
繋がったわけですね。 ですから…。
(山崎)そういうとこにも
影響を及ぼすんだね。
さあ という事で
こうして 三越前
そして 日本橋
そして 京橋
そして 銀座と
次々に駅が完成しました。
そして 建設費用が
大幅に浮いた事で
1934年 ついに…。
新橋までの路線を
完成させる事になるんです。
(山崎)いやあ…
色々あったね 新橋まで。
ロンドンの決意から 20年。
(山崎)20年!
工事の着工から9年かけて
やっと ここまできました。
林くん いかがですか?
それだけの苦難がありながら
9年は早いですよね。
早いですね 確かに。
あるスピード感がないと
これだけの大事業を
逆に
できなかったんだろうなって…。
でも 途中から運が巡ってきた。
その事によって
上野 浅草と銀座のバランスが
変わったって 文字どおり
(山崎)いや ホント 繁華街が
変わっちゃうんだもんな。
物語は いよいよ
クライマックスを
迎えます。
最後に 彼の前に
立ちはだかったのは…。
〈ついに 浅草から新橋まで
地下鉄が開通〉
〈早川は ここから
品川に路線を延ばそうと
考えていたのですが
現在の銀座線といえば…〉
〈品川方面ではなく
新橋から赤坂見附
表参道 渋谷へと
繋がっています〉
〈なんで 渋谷に延ばす事に
なったんだ?〉
〈実は そこに こんな大物が
深く関係していたよ〉
その もう一人の人物というのが
こちら。
別名 私鉄王や渋谷の王とも
呼ばれていまして
東急電鉄の創始者として
渋谷を中心に
高級住宅街 田園調布など
東横線沿線の街づくりを
推し進める事業で
大成功してきた人物なんです。
東横線の人なんだ。
そして 実は
この渋谷から新橋の区間
そんな 五島慶太が
早川が
新橋駅を完成させたあとに
一気につくった
路線なんです。
そこは 早川さんが
つくったんじゃないんですね。
〈渋谷から
田園調布を通り
横浜までを繋ぐ
東横線など
7つの路線を
抱える
東急電鉄〉
〈その創始者
五島慶太は…〉
〈当時 東京で
最もにぎわっていた浅草と
新橋を繋ぐ早川路線に
自身が持つ路線を
繋げる事ができれば
利便性がさらに向上する と…〉
〈渋谷から新橋までの地下鉄を
極めて短期間で
一気に開通させます〉
まず 五島慶太
今 ご紹介あったように
早川の地下鉄と
直通運転する
乗り入れる目的で
東京高速鉄道という
もう一つの地下鉄会社を
つくりまして。
早川の会社とかで
働いていた人たちも含めて
色々と経験者も雇ってですね
早川は 先ほど出たように
9年の時間
かかったわけですけど…。
〈でも この時は まだ
〈ここから
直通にしてほしい五島が
早川に
交渉を持ちかけるんだけど
これが
とんでもない大騒動の引き金に〉
♬~
(新垣)《いままでの柔軟剤は 着るときには
香りが変わってた》
<そうなんです>
《香り変わらず続くのは
ただひとつ?
<「アロマリッチ」だけ>
おんなじだ
≪「アロマリッチ」 白の「アロマリッチ」 生まれた≫
〈学友の
(篠原)『相棒 season20』
最終回スペシャル前篇は
明日よる9時放送です。
冠城亘最後の事件
どうぞ お見逃しなく。
よろしくお願いします。
〈自らつくった地下鉄と
早川の地下鉄を繋げたい五島〉
〈2人の交渉が
とんでもない大騒動を
巻き起こしてしまうんだ!〉
早川さんは それ すぐ
受け入れてくださったんですか?
いや 当然 早川からすれば
一方的に言われても
困る話なんですけども…。
早川さん…。
両者 色々 何度も
話し合いはするんですけども
平行線で
解決しないといったところで。
五島は 最終的に これは
早川を説得するのは無理だと…。
(小芝・山崎)えっ!?
(枝久保さん)諦めまして。
(山崎)ほう!
水面下で
(山崎)いやあ それは ちょっと…。
(枝久保さん)あっという間に
早川の会社の株式
40パーセント近くを
一気に買い占めてしまって…。
五島は こうした
ライバルの会社の株を買い占めて
で 買収してグループに入れていく
っていう手法を
得意としてたんですね。
(山崎)え~っ!
さらにですね
話は どんどん泥沼化して
深刻化してしまうんです。
林くん
この状況を別のものに例えると
どういう状況ですかね?
まさに
〈しかし 早川の会社を
買収しようと画策する五島に対し
抵抗する人たちが現れます〉
〈それが…〉
〈早川の会社で働く
3500名もの従業員〉
〈この会社を守ろうと
ストライキを宣言するんです〉
〈このままでは
地下鉄が止まってしまう〉
〈五島も考えを改めると思っての
宣言だったんだろうけど
思わぬ人たちが
動き出してしまうよ!〉
この状況を収めるべく ついには
その時の 政府側の中心人物と
なったのが この人です。
そして 佐藤栄作たちによって
早川と五島の戦いには
こんな結末が訪れてしまいます。
それが こちら。
〈早川と五島 役職辞任〉
〈喧嘩両成敗として
2人とも一線を退くよう
国が勧告したのです〉
〈そして 交通インフラの整備を
進めたかった政府は
2人の会社を買収〉
〈合併させてしまうんだ〉
〈その時 誕生したのが
東京メトロの前身
営団地下鉄だったというわけ〉
すごい終わり方だな これ。
〈五島は その後も
営団地下鉄や東急電鉄など
複数の会社の役員に就き
渋谷の発展に
貢献したんだけど…〉
〈早川は退任を機に
鉄道業界から引退〉
〈ふるさとの山梨に戻り
平穏な隠居生活を
送ったんだって〉
さあ という事で
様々な事があって
ようやく銀座線は このように
今の形になったというわけです。
(山崎)複雑ですね。
そう考えると 銀座線ってね。
(伊沢)色んなドラマが
あったんだな。
さあ ちなみに 今も
この銀座駅のコンコースにある
こちらの
地下鉄の父 早川徳次像は
この時 引退した早川の事を思った
社員たちが
お金を出し合って
つくったものだったそうで
早川も
とっても喜んだという事です。
そうですね。
従業員の方に…。
ちなみに 引退後 早川は
62歳で他界してしまうのですが
生前 よく口にしていた言葉
というのがあります。
それが こちらです。
そして 今 まさに
それが現実のものとなって
僕たちの生活に欠かせない
交通機関になったという事ですね。
早川の言葉に
「蜘蛛の巣の様に
地下鉄網が
張り巡らされる」
という言葉を
残したわけですけど
それは まさに…。
(青山さん)
白金高輪から…
短い距離ですけども
品川駅に 現在
メトロは 一つも
乗り入れて
ないんですけれども
その路線をつくると。
そういう意味では 私たちは
早川の「蜘蛛の巣」というのを…
まだ課題がありますので
それを これから
一生懸命やっていくという事が
早川の遺志を継ぐ事になるかと
思います。
(青山さん)まさに
そういう事ですよね。
まさに そうですね。
(山崎)はあ~!
〈完成が待ち遠しいぞ!〉
街全体のデザインを
変えたと。
今の時代に
必要な人ですよね。
枝久保さん いかがですか?
はい。
早川の偉いところといいますか
偉業っていうのは
色々 語られるんですけど
結局 早川がいなくても
早川のあとに
誰か 地下鉄は
つくったかもしれないと。
ただ 早川が
早川の考えで つくったからこそ
今の東京の地下鉄の形があると。
早川がつくったからこそ
今の便利な駅だったりとか
乗り換えだったりとか
店舗との直結だったりとか
そういったものは 全て
早川が第一歩を残したからこそ
実現してるっていう事は
ぜひですね
皆さんに伝わるといいなと
思っております。
最後に 林くん いかがでしたか?
地位とかなんかに関係なく
能力のある
プロジェクト型のリーダーを
ちゃんと認めて
その人のプランが
実現できるように
応援していかなきゃいけないなと。
我々自身の
都市の そして 日本のつくり方
デザインの仕方ってものを
見直す機会に 僕はなりましたね。