徹子の部屋 瀬戸内寂聴さんの思い出~瀬尾まなほ[字] …の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 瀬戸内寂聴さんの思い出~瀬尾まなほ[字]

~生誕100年…瀬戸内寂聴さんの思い出~秘書・瀬尾まなほさんが今日のゲストです。

◇ゲスト
生きていれば今月100歳の誕生日を迎えるはずだった瀬戸内寂聴さんを、10年間秘書を務めてきた瀬尾まなほさんと共に偲ぶ。
◇番組内容
瀬戸内さんが亡くなったのは昨年11月9日。10月から体調を崩し入院。退院日まで決まっていたにもかかわらず、脳の出血を起こし事態は急変したという。最期の瞬間まで見届けた瀬尾さんに当時の様子を聞く。瀬戸内さんは『徹子の部屋』に過去19回出演。当時56歳だった初出演時の映像や、瀬戸内さんらしさ全開の懐かしいトークを見ながら、その人柄に想いを馳せる。また、瀬尾さんが撮影した生前最後の貴重な映像も紹介する。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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(黒柳)私の大好きだった

瀬戸内寂聴さん。 去年の11月に

お亡くなりになりました。

今日は 寂聴さんの
最期の瞬間までご一緒だった

秘書の瀬尾まなほさんに
お越しいただきました。

ちょうど 生きていらしたら

今月 100歳のお誕生日を
お迎えになるはずでした。

今日は 晩年のお話や
いろいろ貴重な映像も

ご紹介していただきます。

どうぞ
よろしくお願いいたします。

よろしくお願いいたします。
瀬尾まなほさんです。

ちょうど 寂聴さんは

去年 11月9日に
お亡くなりになって

その時 ちょうど99歳でいらした。
そうですね。

本当は… 5月生まれだから
今月で100歳。

あっ このお写真 そうですね
あなたとご一緒の。

そうですね。
これ お誕生日の時かなんか?

100歳の。
はい。

数えで いつも
「100 100 100」って言ってたので

「100」って書いてあるんですけど。
あっ そうか。

私たち 「満で99歳だよ。
100まで もう少しだよ」って

ずっと言ってたんです。
なるほどね。

亡くなる瞬間も
見届けていらしたそうですけど

瀬尾さんは寂聴さんの秘書を
何年おやりになった?

私は 2011年に 瀬戸内の元で
働かせていただいて

秘書となったのは
その3年後ですので…。

でも ずっと一緒に働いた
っていう事にすると…。

もう10年で…
11年目になるとこでした。

11年目になるところ。 そうですか。

その左側にあるお写真は

出家なさったばっかりの時
でしょうね。

お若い 56歳の時。
そうですね。

まだ 頭が ちょっと こう
そった痕で青くなってる。

そうね 青くなってますね。

本当 それで なんか ちょっと
初々しい感じがしてますよね。

はい。

そういえば 最後のご出演の時

お二人で
あなたも お出になりましたよね

あの時ね。
はい 出させていただきました。

そのお二人の仲の良さが伝わる
VTRがありますので

ちょっと そのVTRを
ご覧いただきましょうかしら。

「瀬尾さんは お化粧の時に…」
「はい」

「あなたが お化粧なさる?
先生の」

(瀬尾)「時々 メイクを
させていただく時もあります」

「でも その時は爆弾発言が
あるんですって? なんか」

(瀬尾)「メイクする時に
私 何か失礼な事 言いました?」

(瀬戸内)「失礼どころじゃない…」

「メイクする時に

“どうして この鼻… この鼻はね
鼻筋がないんでしょう"

なんて言うの」
「ハハハ…! 本当 ひどい…」

「“どうして ここに
しわがあるの?"とかね

もう ひどいんですよ 言う事が」

「でも それはそれで楽しいの?」
(瀬戸内)「おかしいでしょ…」

「そりゃそうですよね」
(瀬戸内)「うん。 フフフ…」

「でも こういう若い方と
いつも 一緒にいらっしゃると

やっぱり
笑ってらっしゃるんですって…?」

「いや やっぱりね
気持ちがね 若くなりますね」

いつも あんな風だった?
はい。

いつも笑ってばっかりいました。
あっ そう。

亡くなって半年ぐらいなんで

どうでしょう? 今は
少し落ち着いた感じがします?

そうですね。
やっぱり いないんだっていう

こう 絶望感が やっぱり
ある時もありますし

今日みたいな こうやって
1人で出させていただいたら

いつも報告してたんですよね。

「徹子さんにお会いしました」って。

そういう うれしい事も悲しい事も
一番に報告してたので

その人がいないっていうのは
やっぱり すごく寂しい事です。

そうです。
それが一番寂しい事でしょうね。

はい。

晩年は「疲れた」っておっしゃって

横になる時も
多かったんですって?

そうですね。 やっぱり 体力が
だんだん衰えていっておりまして

コロナになって 来客もなかったり
行事もなかったので

こう やっぱり 家で
どうしても 横になってる事も

多くなりました。
そうですよね うん。

どこか行って 説法なさるとか

何か そういうお仕事があればね
そうでもないけど

もう ずっと おうちに
いらっしゃるしかなかったでしょ。

だから やっぱりね
どうしても そうすると…。

発展できないと
つまらない方じゃない?

そうですね。 いろんな… 外から
いろいろな刺激をもらって

それで 自分が
こう 元気になる人だったので。

コロナの間は やっぱり ちょっと
それが大きかったですね。

病院に… なんか
入退院も繰り返していらして

終わりの方では。

今度 お入りになった時には

亡くなるとは 誰も
思っていなかったんですって?

そうですね。
なので いつものように

ちょっと体調が悪くなって
入院していて

99だから当たり前ですよね
みたいな話で

また すぐ退院できるものだと
思ってました。

本当ね。 最後の退院日も
もう決まっていたそうです。

で 最後の検査で
数値が少し悪くて

もうちょっと…

少しリハビリしましょうか
っていう事になって

病院に そのまま

お残りになる形に
なってたんですよね。

そうですね。 で それから すぐに
やっぱり 急変してしまって…。

そこから もう

本当に 10日ぐらいで
亡くなってしまいました。

あっ そう。
その間 お話は おできになった?

言ってる事は聞こえてて
うなずいてはくれるんですけど

しゃべる事は
ほとんどできませんでした。

そう…。 それは やっぱり
頭の中の血管かなんか…。

そうですね。
そういう関係かしらね。

出血してしまっていて
その関係で

ちょっと しゃべりにくいような
状況になってました。

なるほどね。 そうですか。

あの… 「年は越せないかも」って
お医者様がおっしゃった時には

本当に号泣だったんですって?
みんなで。

そういう話じゃないと
思ってたので。

もう 年越して

また来年の誕生日には
っていうような話を

ずっとしてたので
信じられなかったんですよね。

で もう それが やっぱり
悲しくてしょうがなかったです。

そうですよね。
で それから 約10日間で

お亡くなりに
なったそうですけども

耳は聞こえるので あの…

でも 目を開けるのも もう
つらそうだったんですって?

最後の方は。
そうですね。

目を開けるっていう事が
こんなに大変な事なんだ

っていうのは
やっぱり すごく感じて。

で 話しかけたら 「うん うん」って
うなずくんですけど

やっぱり ちょっと しんどいので

ずっと目をつぶっているような
状況でした。

うん… やっぱりね。

あの元気な方がと思うとね
ちょっと 本当に残念なんだけど。

99歳で もうじき100歳
っていうところなので…。

なんか 明け方だったんですって?
お亡くなりになったのは。

そうですね。
病院から電話がかかってきて

ちょっと こう
「血圧が下がってきてるので

今すぐ来てほしい」っていう事で
私たちスタッフ…。

付いてはいらっしゃらなかったの
その時は。

私は 朝方 家にいて

それで 急いで みんなで向かって
娘さんも…。

お嬢さんもいらしたの?
はい。

みんなで 最期に立ち会う事が
できました。

お嬢さんがいらした事は
わかったみたいだった?

はい。
それは よかったわね。

やっぱり とても気にして
いらっしゃったようですものね。

はい。
そうですか。

で みんなで送る事ができた
っていう事ですよね。

そうですね。

なので こう 生前は
「最期まで一緒にいる」とか

「みとる」っていう…
堂々と言ってたんですけど

こんなにも つらい事なんだなって
思いました。

そうですよね。

普段から
お元気な方でしたからね。

そうですね。 もう
120歳ぐらいまで生きるって…。

『徹子の部屋』にはね
19回出ていただいた…。

本当に多い 19回っていうのは。

初出演は44年前っていいますから
この番組が ちょうど始まった頃。

ああ そうですか。
うん。 出ていただいた。

当時56歳

お若い頃の寂聴さんを
どうぞご覧ください。

「作家の瀬戸内晴美さんです」

「もう お目にかかりたくてね
とても楽しみに…」

「私も もう 徹子さんに
早く会いたくて 本当に」

「“仏門にお入りになる"って
言ったのでね

お入りになってから
お書きになるものが

やっぱり 私たちも
いろんな悩みがあるし

きっと 瀬戸内さんも

いろんなお悩みがあったと
思うんだけど そういうものが

お入りになってから
私たちの代弁者みたいにね

書いていただけるんじゃないか
っていう期待なんか

とてもあったんですけど
そういうところは?」

「あの… 私もね
どういう風になるか

本当に予測できなかったんですよ」

「それで 出家したら どうなるから
するっていうんじゃなくて

あの頃は 私は とにかく…

とにかく出家しないと
どうしようもない

っていう気持ちに駆られて
したものですから

もし 出家してね 例えば
小説を書いちゃいけないならばね

それは もう 仏様がね
私の頭をダメにして

それから 手を折ってね
書けないように

してくださるだろうと
思ったんです」

「それで その時は もう
それでいいと思ったんです」

「それで もしね
出家しても 書く事がいいとね

超越者がね お考えになれば

それは 私に
まだ書かせてくれるだろうと…」

そう… でも まあ 随分

亡くなるまで
書いてらっしゃいましたもんね。

そうですね。
もう 99の最後の最後まで

もう 現役作家でしたね。
すごい…。

そこのとこが すごいですよね。
そうですね。

連載も持ってらした… 自分で
引き受けちゃうんですって?

そうなんですよ。 もう 電話で…

私の知らないとこで
電話で編集者の方と話していて

で もう引き受けてしまって。

「そんな 毎月毎月
これ以上 増えたら

もう 本当に大変ですよ」って
言うんですけど

なんか もう
知らないみたいな感じで。

フフフフ…!

その時はその時だ
みたいな感じでしたね。

何本ぐらい
連載は持ってらしたの?

最後 99の時は5つ。

5つ?
はい。

あら そう。
そうですか。

原稿は 最後まで
手書きでいらしたんですって?

はい。 万年筆で
手書きで書いてました。

これが 瀬戸内寂聴さんの手書きの
万年筆の字です。

とてもキレイな
読みやすい字ですね。

読めますか?
私 読めました。 読めない?

よくね 編集者の方とか
慣れてなかったら

ちょっと こう
読めなかったりとかして…。

多分 瀬戸内が生きてたら

「もう こんな汚いのを出さなくて

もっとキレイな原稿
出してよ」って

私 怒られるんじゃないかと
思うんですけど。

四角い中に ちゃんと
はまってるだけでも

すごいじゃない?
そうですね。

やっぱり 執筆してる姿を
よく そばで見てきたので

やっぱり 原稿用紙を見ると
すごく やっぱり 思い出します。

そうでしょうね。

本当に 「ペン1本で生きてきた」
って 本人も言ってますけど…。

これ あれですか?
万年筆? お使いになってた。

そうです。

あっ こんな感じね。
そうですね。

あそこに天眼鏡みたいなのが
あるの 面白いね。

あれ 字引やなんか見るのに…。
あっ そうです。

こうやって見てて… はい。

でも だんだん コロナ禍になって
自粛生活で表に出られないから

書くネタが
だんだん なくなったって

困っていらしたんですって?

いつも こう
何げない会話の中から

いろんなものを吸収して
それを小説として書いていたので

やっぱり
来客がなかったり 刺激がないと

もう 随想にしても
何 書こうかっていうのが

やっぱり ありましたね。

そういう時は おいしいものを
食べさせて 励ました?

そうですね。
なので なかなか やっぱり

エンジンがかからなくて
締め切りの当日になっても

もう 部屋に行ったら寝てる
部屋に行ったら寝てる

っていうような事が多かったので

「じゃあ 今日の夜ごはんは

ピザにしましょう」とか

「お肉 食べましょう。 だから
先生 早く書いてください」

「そうしないと 私 先に
食べますよ」みたいな事を言って

あっ じゃあ 頑張ろう
みたいな感じで

先生 頑張ってくれてました。

そういうとこ 可愛いのね

すごくね。
本当に可愛かったです。

本当ですね。 で 食欲は最後まで
ずっとおありだった?

はい。
そう…。

スイカ食べてる。

(瀬尾)「フフフ…!」

(瀬尾)「おいしいですか?」

「種…」
(瀬尾)「なんて?」

「おいしい!」
(瀬尾)「おいしいですか」

お召し物もね 可愛い。
そうですね。

何 着ても
本当に似合うんですよね。

これは
何を飲んでいらっしゃるの?

これは 赤ワインで
パスタとカルパッチョです。

あっ そう。
はい。

お酒も ずっと
相変わらず飲んでいらして。

そうですね。 「お酒飲まなきゃ
やってられない」みたいな事を

よく言ってました。
ハハハハ…! そうね。

そうね 80代? あの…

酔っ払って転んで
骨折したっていう。

そうですね。

その骨折の話
ここで 長くしてくださった…。

病院の先生が 何もともかく…
「あなたの年で

泥酔するっていう事が
私はわかりません」って

先生がおっしゃったってね。

そこのVTRがあるので
そこ ちょっとご覧いただきます。

面白いお話なので。

「ものすごい大けがを
なすったそうでございます」

「地元で 割と最近」
「はい。 それで あんまり

この頃は 飲まないように
してたんですけどね

その時 だから あんまり疲れてて
つい飲みすぎましてですね」

「それで泥酔して
階段から落っこちてですね

大けがしてね」
「おうちの? おうちの?」

「ここ もうね お岩様のように
こんなになってね

腫れて真っ黒になって」

「それでね お医者さんがね

「“あなたは 本当にお若いです"
って言うの」

「何 褒めてくれるのかと
思いましたらね

“86歳で泥酔する人はいません"」
「ハハハ…! それが…」

「なんか ぶつけたとこの骨が…」

「なんかね この辺ね
4つ 折れてるんですって」

「それからね 目もね もうね

目を支える骨がね どこか1つね
飛んで ないんですって」

「目の周りの骨の…
眼球を支えてる骨も折れて

どこか行っちゃってるって
どこへ…」

「どこに行っちゃうんでしょうね
それが」

「まあ それも 不思議な…」

「じゃあ 何か手術かなんか
なすったんですか?」

「そう。 それで “手術しますか?"
って言われたんですよね」

「だけど まさか でも この年でね
痛い思いするのイヤだからね

“もういいです"って
言ったんです」

「でも こうなると ついでにね
もう 思い切って手術してね

この際 鼻も高くしてもらってね

それで 目もパッチリと直そうか
一瞬 思ったの」

「だけどね やっぱり
痛いのはイヤだと思って」

「でも すごいですよね。
86歳で 今 それ…

“手術するんだったら ついでに
鼻も高くしようかしら"って

その辺のところが
相当に やっぱりね…」

フフフ…!
本当に お若いわね。

それで なんか 瀬尾さんと…

あなたと同じお洋服を
着たがるんですって?

そうなんですよ。 私が着てたら

「あっ 今日 この服いいね。
私も同じやつが欲しい」って

言うんですね。

でも 着たら すごく やっぱり
似合うんですね。

あっ そうなの? これ そうね。
同じズボン はいていらっしゃる。

なので よくプレゼントして
おそろいで着たりとかしてました。

すごい… あっ これも そうね。

セーター… 同じ色のセーター。

へえー…!

あなたの人生にとっては

やっぱり
最後の何年間であろうとも

ご一緒にいられたのは
よかったんじゃないですか?

本当に
人生を変えてもらえたので

本当に 今思えば

尊い日々だったなって
すごく思って。

それが ずっと続くって
なんか思ってた自分がいて。

なので やっぱり
すごく幸せだったなって思います。

あなたのお子さん?
はい。

上は2歳?
はい。 2歳です。

下が うんと赤ちゃん?
はい。

3カ月前に生まれたばかりですね。

その赤ちゃんは見せられたの?

いや 見せられなかった…
2月に生まれたので。

あっ そうか。
はい。 なので 見せられなくって。

けれども こう 今 無事に
生まれてきてくれた事によって

瀬戸内が亡くなった こう
すごい喪失感みたいなので

悲しいだけじゃなくて 次男に…
生まれた赤ちゃんによって

ちょっと 私は救われてる部分が
すごくあります。

悲しみも その子どもたちが
救ってくれるような気がする?

本当に もう その…
瀬戸内が亡くなったけれども

新しい命が
私のもとにやって来たっていう

不思議なものを感じます。
そうですよね。

ちょっと
入れ替わりみたいですものね。

なんか 最後の恋人と
呼んでいらしたのは

何? 上の坊ちゃん?
長男ですね。

「いない いない いない いない
いない いない…

ばあ!」

「ばあ!」
(瀬戸内)「ばあ!」

「いない いない いない…」
「ばあ!」

「ばばば… ばあ!」

「アンちゃんがいるしね」

「ほら…。 ちっとも…」

「絶対なんかあった」

あの子に なんかあったらしい…
あの子がぐずってる理由が。

なんか 長男が ちょっと その日
元気がなくって

瀬戸内が勝手に 保育園で
いじめられたって思ってて

で すごく励ましてくれてた
動画ですね。

可愛いわね でもね。
はい。

でも 寂聴さんの最後の映像
というのがあるそうですが

どういう映像なんですか?
それは。

それは もう
私が次男を妊娠した時に

妊娠する報告をした際の動画です。
あっ そうなの。

ちょっと見せていただきますね。
はい。

(瀬尾)「これをアンちゃんに
渡してくれる?」

「アンちゃんに渡して」

(瀬戸内)
「はい ありがとう。 ありがとう」

「おおー… くれないの?」

「ありがとう」

「えっ?」

「えっ? 本当?」
(瀬尾)「うん」

「本当?」
(瀬尾)「うん」

「この間 言ってたのね。
“入ったらいい"って」

「いやあ…!」

「今? いやあ…!」

(瀬戸内)「今度
この子ができるの」

「ママのおなかに入ってるの」

フフフフ…!

もう 男の子って
決まってたんですか? あの時。

はい。
ああいうところも本当に自由ね。

本当ですね。

でも 生前のああいうお姿を
ご覧になると

今 どういうお気持ちがします?

亡くなった直後は こう やっぱり
ニュースになるじゃないですか。

ええ。 そうそう。
それが見られなくって。

で また ちょっと
特集を組んでいただいて

番組もしていただくのも
見れなかったんですよ。

そうですよね。
けれども 今は

ちょっとずつ見れるようになって。
でも やっぱり

より こう 実感するといいますか
それがありますけど

でも もう いつまでも
めそめそもしてられないので

その… 新しい命とともに

やっぱり 瀬戸内が開いてくれた道
といいますか それを一生懸命

前向きに歩いていくしかないな
って思ってます。

そうですよね。
はい。

10年間 寂聴さんのそばに…
11年とおっしゃいました?

はい。
寂聴さんのそばにいらして

一番心に残った教えって…。

そういうの
難しいかもしれないけど

何か 心に残った教えみたいなもの
あります?

やはり この瀬戸内の生き様…
生きてる姿を見ると

やっぱり 自分に正直になって
好きなように生きる事と

あと まあ… 誰にも遠慮せずに

自分の思う道を進むっていう事を
やっぱり

その姿を見て
教えてもらえたかなと思いますね。

なるほどね。
情熱的に生きるっていう事を。

そうね。
何やってもいいんだっていう。

そうですね。
そうですよね。

私なんかも そう思いますね。

寂聴さんがお書きになったものも
大好きでしたから

随分読んだんだけど やはり

実際の寂聴さんにお会いして
お話 聞くと

本当にすごいなって
思いますものね。

あなたが本をお書きになった…
寂聴さんとの事をね。

はい。
それを書く時も寂聴さんが

背中を
押してくださったんですって?

そうですね。 やはり 秘書なので
表に出たりとかするのは

やっぱり
批判的な声もありましたし

やっぱり 自分も
そうするべきではないと

思ったんですけれども 瀬戸内が

「チャンスの波は
いつも来るわけじゃないから

波が来た時に乗らないといけない」
って言って

どんどん前に行きなさい
前に行きなさいって

私を前に出してくださって。

そのおかげで
私も本を出させていただいたり

書くっていう楽しさだったり。

すごく それを瀬戸内が
見付けだしてくれたので

今 その本が出せて…

瀬戸内の事を
書いた本なんですけれども

今は きっと 瀬戸内も
喜んでくれてると思います。

よかったですよね。
はい。

瀬戸内さんとの事を書いた本。
そうです。

でも 本当に そうやって

寂聴さんとご一緒に
暮らすようになるっていうのは

本当に不思議な事ですよね。

本当に思いもしなかった事が
私の人生に起きたので

あっという間でしたけど…。
なんで あなたは

寂聴さんのとこに…
働くようになったんでしたっけ?

私が大学卒業の時の
就職活動の時に

なかなか決まらなくって

瀬戸内が
いつも 行きつけのお茶屋さん…

祇園のお茶屋さんがありまして
で そこに瀬戸内が

「ちょっと若い子いない?」
みたいな感じで声をかけた時に

私の友人が
そこでアルバイトをしていて

私が就職が決まってなかったから

私にぴったりじゃないか
っていうので

紹介してもらった縁なんです。

すごいわね!
本当に。

もう なんか
紙一枚みたいなね。

本当にそうなんです。

ええー…!
これは 結婚式の…。

結婚式にも出てもらって。
あっ そうなの?

はい。
へえー そうですか。

結婚式の事は
喜んでくださいました?

そうですね。
なかなか縁がなかったので

「もう 私 多分 死ぬまで…
あなたの結婚式

もう死んでるから行かれないわ」
って言われてたんですけど

スピーチもしてくれました。
してくださった?

よかったですよね。
はい。 よかったです。

それで お子さんもね
お産みになって

それは とても
よかった事でしたね。

でも いろんな事が

こうあるべきですっていう風な
事のない方だったんですって?

そうですね。 本当 自由でしたね。
何にもとらわれずに

自由に自分の思うように
生きてきたっていう

その潔さみたいなのは やっぱり
格好いいなって思ってました。

でも 私たちは作家としての
寂聴さんを見ていたので

ある日 「仏門にお入りになる」って
言った時

本当に驚きましたよね。

世の中の人 みんな驚いたと
思いますけどもね。

なんでだろうってね うん。

そうでしょ?
私も そんな感じがしました。

まあ 早く お悲しみが
癒える事を祈っております。

ありがとうございます。
ありがとうございました。

『徹子の部屋』は