徹子の部屋 沢田亜矢子[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 沢田亜矢子[字]

~初孫も誕生!一人娘がハワイで結婚し~沢田亜矢子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
女優・沢田亜矢子さんがゲスト。去年、娘がハワイへ移住して出産し、初孫となる女の子が誕生!ハワイでの生活や、おばあちゃんになった体験を報告する。
◇番組内容
沢田家の女性たちは4代続く「丑年」生まれ。みんなパワフルで、娘の澤田かおりさんはバークリー音楽大学を卒業し、現在も育児をしながら音楽家として大活躍している。かつてアメリカで極秘出産し、シングルマザーとして女手ひとつでかおりさんを育てた沢田さん。その教育方針の根底には、小学校も満足に行けずに働きずくめだった「母の生き方」があったと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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(黒柳)昨年 お孫さんが誕生して

おばあ様になりました。

女優の沢田亜矢子さんです。

現在はハワイでお暮らしという
お嬢さんの生活ぶりや

あまり お話しになっていない
お母様の

たくましい生き方についても
伺いたいと思います。

どうも しばらくでございました。
こんにちは。

かつて アメリカに
極秘出産しにいらっしゃって

騒動になったんですけど。
その時に生まれた娘が

もう ママになった。
そうなんです。 ええ 去年。

何があるか
わからないもんですね。

4年前に こちらに…

徹子さんと
お話しさせて頂いた時は

ロスに行きますという事で

お話しさせて
頂いたんですけれども。

それから…。

私も 糸が切れた たこのような
生き方してまいりましたけど。

ある日 突然 ロスから

これから ハワイに行くから
っていう電話がありまして。

ハワイに何しに行くのかなと
思ったら

結婚して 子供 産みに行きまして。

もう びっくり致しました。
ちょっと VTRを見て頂きます。

「初め 全然わかんなかったもんね。
あなたが

子供を産んできたっていう事が」
「あっ そうでしたか」

「全然 全然」
「実はね みごもった時に

どうしても
1人で産まなきゃいけないな

っていうふうに
思ったもんですから…」

「今でいう
シングルマザーなんだからね」

「でも あなた
お父さんの事とかって

聞かれた事ある? 人に」
「ああー」

「それは やっぱり ありますかね」

「今でこそ 本当に
おっしゃったみたいに

結構ね シングルマザーの方も
たくさんいらっしゃいますけど

あの頃は やっぱり
興味本位だったりとか

あと 心配してとかっていうのは
ありましたけど」

「私も小さかったので
あんまり 覚えていないというか」

「色々あっても
やっぱり 女手一つで

仕事をして
ちゃんと人を育てるって

すごく偉大な事だなとも
思いましたし

多少 そういう
男女のね あれがあっても

いいではないかと。 私は
味方でいようって感じですね」

「優等生的な発言で…」

ハハハ…。
でも 今のお嬢さんが

ハワイで ご結婚生活
していらっしゃるんですってね。

それで お孫さんが
生まれたっていう事で…

今のお嬢さんの子供が
生まれたっていう事で

あなた すぐハワイに
いらしたんですって?

はい。 おばあさんとしては

いてもたっても
いられなくてですね。

なんとか
子供の役に立ちたいって。

孫の顔を見たい
というよりは

子供が1人で
出産したって

本当…
大変だったので

手助けしたいなと
思って。

コロナ禍だったんですけども

PCR検査を受けて

色んな制約のある中で
すっ飛んで行ったんですよね。

そうしましたらですね
私 何か手伝えるかなと思ったら

ほとんど何も手伝えなくてですね。

もう 36年前に子供を産んだ
その記憶っていうのが

飛んでおりまして

何をしたらいいか
わかんなくてですね

ただ
おろおろ おろおろするだけで。

このお孫さんを
初めて ご覧になった時の感想は

どんなでした?
あのですね…

うちの娘は もちろん
日本人ですよね。

あちらの方も日系の方なので

日系の…。
お孫さんの。

お父様がね。
お医者様を向こうで

やっていらっしゃいますので。

日系の顔なので

あらー 名前にそぐわない

日系の顔だわと思ってですね。

なんていう名前だったの?
はい。 ソフィアっていいます。

ソフィアっていう…。 そうなの。
ソフィアっていうんですね。

ソフィアちゃんというよりは

タロウちゃんかなとか
ハナコちゃんかなとか…。

子供には言えないんですけど

心の中では
思っていたんですね。

そのうち
「ウフフフ…」って…。

ああいう大胆な格好で

笑う時は「ウフフフ…」って
笑うもんですから

どう見ても おっさんにしか
見えなくてですね。

可愛い。 ええー。
ソフィアちゃん。

そうですか。
複雑でございました。

でも 日本の子守歌を
孫に歌ったり?

そうですね。 ですから
何か私も役に立つかなと思って

昔の事を なんか思い出せるかなと
思ったんですけど

全然 思い出せないもんですから。

ただ 自分が子供を産んだ時に
何ができるかなと思った時に

抱っこして いつも
歌を歌ってあげたんですよね

日本の子守歌とか童謡を。

とっさに
思い出せなかったんですけど

『お猿のかごや』が思い出せて
子供を抱きながら…。

♬~「エッサ エッサ
エッサホイ サッサ」

♬~「お猿のかごやだ ホイサッサ」

それを2時間ぐらい
やっていましたね。

喜んだ? 子供は。
いえ 全然 反応なしです。

あっ そうなの。
生後 まだ1週間ですもん。

あっ そうか。 それじゃあね。
目も開かないし。

でも だんだん 孫も
可愛いと思うようになった。

もう 子供に対しての
可愛いっていうか

どっちが可愛いって
聞かれたら

やっぱり 子供の方が
愛は強いかなと

思っていたんですが。

それは やっぱり
今までの自分の生き方を

全部 子供に懸けましたんで
それは 愛は ひとしおですよね。

子供の愛は きっと 孫よりは

強いんだろうなと
思いますけれども。

でも 孫は現物を見ますと
無条件に可愛いですね。

可愛いのね。 でも 孫を見ると
出産とか 育児とか

色んな事を思い出すんですって?
そうですね。

あの時 どうだったかなとか…。

出産当日は私も 本当に

誰も親戚の者は 付き添って
くれなかったんですけど。

アパートの管理人さんが…
付き添って頂いて

それで 本当に死に物狂いで
産んだんですけれども。

でも なんとか
子供って育つもんで

周りの方も みんな
アメリカ人なんですけど

とっても優しくてですね。

たった1人で日本から来て
産んでるんだなっていう事で

色んな… 乳母車とか
色んなものを

ボランティアで
貸して頂いたりして。

それで 本当に
助けられたんですけど。

あの時は こうだったなとか
1カ月経つと こうなるなとか。

それから 寝る暇もなくて
ミルクを与えるのに

本当に 頬がね こけるぐらい
私も痩せ細っちゃったなとか

日本に帰ってくる時は
どうしようかなって

本当 悩み苦しんだなとか

そんな事を
いっぱい思い出しますね。

ですから 子供 見ていると
あっ 私がたどった道を…

また あの人は
ハワイですけれども

同じ事やってんだなと思いました。
娘はね。

娘はね。 ですから
なんか いとおしくなって

余計 また 母親としての
連帯意識っていうんですか?

そういうのが出てきて。

手出しすると怒られて
シュンとするんですけどね。

それから 娘に言い続けた事が
あるんですって?

そうなんです。

うちの母の教えなんですけれども

母は 女は その当時は
学問するべきじゃない。

それから 子育てしていて
それで いっぱいいっぱいだ

っていうふうにいわれていた
時代なんですけれども。

女も学問を身につけて
自立する事で

生き方を
自分で選択する事ができるから

絶対に学問を身につけて
自立しなさいって

まあ
厳しく言われていたんですね。

そうですってね。

それから 誰かを当てにせず
自分で稼ぐ?

はい。 やっぱり 働かないと
生活をするにしても

趣味をやるにしても
自分で やっぱり

お金というものが
どちらにしても いりますから。

自分の
自由になる稼ぎっていうものを

自分で獲得しなさい。

そうすると 自分の生き方
選択できるし

お金がないから こっちの生き方で
はいって言わなきゃいけないな

っていうような事も
全くなくなるから

それだけは 女としても
人間としても 幸せだから

それは やりなさいって
随分 言われましたね。

でも お嬢さんは 音楽の名門

バークリーに
いらっしゃったんですって?

そうなんですね。
音楽が好きというよりは

私が… 女性の場合ね

音楽は とってもいい武器に
なるんじゃないかな。

ピアノを弾いたりとか

学校の先生にも
なったりとかもできるから。

だから それが
いいんじゃないかなと思って

むしろ 強制的に
ピアノと作曲のお勉強を

させたんですけど。

途中で辞めるかなと
思ったんですが

「5分でもいいから
続ける事を

目指しなさい」って言ったら

やっぱり バークリーに…。
よく入れましたよね。

そうなんですね。
でもね その時は…

バークリーっていうのは
あれですよね。

アメリカですよね。
そうそうそう。

ですからね その時 やっぱり
親の心で

「日本にも いい大学があるよ」って
言ったんですけどね。

そしたら 子供が
お母さんの敷かれたレールは

もう 二度と私は
走らない事にしますから

これ 自分で
選択させて頂きますって

アメリカ 行っちゃったんですね。
あっ そうなの。 あら すごい。

フフフフ…。
気が強くなってしまいました。

随分 しっかりしているわね。
そうですね。

まあ 私が 「しっかりしろ
しっかりしろ」って

言ったんですけど
それは私に返ってきますね。

寂しい思いを致しました。
なるほど。

でも バークリー お出になって
今 作曲家として

CMとかドラマの音楽
やっていらっしゃるんですって?

そうなんですね。
やはり バークリーって

いい先輩とか
コネクションがありますので

その時に知り合った方に
映画とか CMとか

それから
ドラマの作曲のお仕事を頂いて。

それが ずーっと続いていまして

今 ハワイに行っても
それを まだ継続して…。

話は違うけど あなたのお母様は
北海道の農家の方なんですって?

そうなんです。

北見の出身の
母なんですけれども。

開拓で本土の方から
移民のようにして

おじいちゃん
おばあちゃんの代に

斜里に入植して。

それで 土地を開拓して。

子供が9人か10人ぐらい
いたらしいんですけども

そこで
長女として生まれたんですね。

そしたら 自分は お勉強も
したかったんだけれども

やっぱり 子供も働き手なので

小学校にも行かせてもらえなくて。

小学校の教科書を
子守している子供と

自分の背中に教科書を挟んで

それで
「これから行ってきます」って…

「畑に行ってきます」って
言いながら

子守しながら
畑で いつも教科書を読んでいて。

本当に つらいというか…。

学校 行きたかったな
っていう思いを…。

それ 『おしん』の話じゃなくて

あなたの
お母様の時代の話ですよね?

そうなんですよ。
『おしん』じゃなくて

あそこにも おしん いたんですね。

本当にね。
ねえ。

だから その思いがあったので
女の人でも

やっぱり やりたい事は
いっぱいあるのに

昔の時代だから そうやって
時代と納得して

自分の宿命だと思って 生き方を
それに決めるしかなかったけど。

これからの世の中は
それじゃあいけないから

やっぱり
子供も勉強した方がいい

学校 行った方がいいって

考えてくれている
人でしたね。

私も 母の勧めで

ピアノと声楽を習わせてもらって。

それから 「東京の音楽大学に
入りたい」って言ったら

「それは 私が
どんな事をしてでもいいから

行かせてあげる」って言って
行かせてくれたんですけど。

で きょうだい
3人いるんですけど

みんな やっぱり 子供には
学問が必要だっていうので。

すごい。

農家しか やっていなかった
人がですね…。

なんですか?
他の人の農家を手伝ったり

それから 鉄工所に行ったり

保険のセールスやったり
寝具のセールスをやったり。

それから下宿屋さんになって
やって

家を何十軒も建ててみたりとか。
すごいわね。

そんな事を…
寝る暇がないぐらいに

働きまくるような女性でしたね。
お母様?

母は。
うーん。 すごい。

あの当時としては
やっぱり ちょっと…

ちょっと進んだ母だったなって…。
自慢の母ですね。

なるほどね。

あなたが上京する日の
お母様の姿が

今でも忘れられないんですって?
そうなんです。

そのぐらい
寝る暇もないぐらい…

それから 休んでるとか なんか
楽しい事をやっているっていう

そういう姿を
見た事なかったんですけども。

それで いつも気丈だし。

で ニコニコ ニコニコ
笑っていて

私たちの世話をしてくれていた
母なんですけど。

私が東京の大学に行くって
決まって。

それで 最後に
私が入学しちゃうんで

特急に乗って
北見の駅を出発する時に

母が… 窓からスッと見ると

駅のプラットホームの柱の陰に
スッと隠れながら

泣いていたんですね。
あっ そう。

あれだけ強気で
泣いたとこなんか

見た事なかった
母だったんですけど。

ああー やっぱり
子供を手放すって

そんなに
つらい事だったんだなって

今 考えるとね すごく思って。

今でも その光景を思い浮かべると
涙が出てくるんですけどね。

それもですね やっぱり
今 思うんですけど

私が… 子供が大学…

「ボストンの大学に行く」って
言った時に

それまで ずっと 日本で一緒に
暮らしていましたんですけど。

あっ そう。
とうとう行くなっていう日にね

「成田まで送りに行こうか」って
言ったら

「いいよ。 来なくていいよ」って
言われたから

「あっ じゃあ ここで
おさらばするわね」って言ってね。

そこで 子供は

「新宿から電車に乗って行くから」
って言って

タクシーまで見送ったんですけど。

今度 独りぼっちに…
道路に残されて

あれ? 私 どうしよう?
と思いましてね。

あっ おなかすいたなと
なぜか その時 思ったんですね。

そしたら 目の前に
おすし屋さんがあったわけ。

あっ おなかすいたから
おすし屋さんに入ろうと思って

入ったんですが…。
注文しようと思ったんですけど

言葉を発したら
言葉より先に涙が出そうで…。

あら。 ハハハハ…。
なんにも言えなくて。

で なんか おしぼり出て
お茶が出たんですけど

もう なんにも
注文できなくてですね

お茶だけ飲んで それで…。
出てきたの?

出てきた…。
すごい。

だから その時に
やっぱり あの時に母が…

駅で泣いていた母の姿も
やっぱり 思い出して。

はあー。 母親にとって
子供と別れるのは

どんだけ
つらいものだったんだろうなって。

それを やっぱり 今 私も思うと

はあー 母親って つらいな
寂しいな 切ないなって

すごく その時は
ひしひしと感じましたね。

でも おたくは すごいのね。
丑年なんですって? 皆さん。

あっ そうなんです。

それでね 私 丑年でしょ。
母も丑年なんですね。

そして 私 子供も丑年の日に

産もうと思ったわけじゃ
ないんですけど

偶然 丑年なんです。
本当に。 お嬢さんも?

はい。 そしたらですね
なんと 孫も丑年なんです。

うわ。 4代?
4代。

そうしましたらね
おまけが付くの。

あちらのお義母さまも
丑年だったの。

本当に?
本当。

すごい。
もう うっしっしっしですね。

すごいですね それはね。
すごいですね。

あなたのお嬢さんから
お手紙を頂いています。

えっ?
あなたに。 いいですか?

今ですか?
うん。

やだやだ。 本当に?
いい?

うわー。
お嬢さんから。

あら ありがとうございます もう。

いかがですか? 感想は。
いやー もう 本当に ねえ…。

すいません。 フフフフ…。

もう 子供は 本当に あれですね。

育てた時には つらい事とか
悲しい事とか 悔しい思いとか

いっぱいあったですし。
それから 皆さんから

「シングルマザーって
つらいでしょう」とか言われて…。

「大変でしたね」とかって

皆さん 優しい言葉を
語りかけてくださるんですけど。

このような手紙を
頂いたりすると…。

頂いたりって 自分の子供の場合は
言わないんですね。

「もらうと」。
「もらうと」ね。 フフフフ…。

もらうと…
いやー やっぱり 大変だったけど

産んどいてよかったなって
つくづく思いますし…。

そう。
私の味方だな。

こんな ふがいない母親でも

やっぱり
味方になってくれたなと。

悲しい事も つらい事も いつも
この子が笑いに変えてくれて

もう 本当に
この子がいなければとか

大変だったなって思う日は

子育ての中で
1日もなかったなと。

どの日も本当に楽しかったなって。
あっ そう。

ますます思いますね。
そうですか。

じゃあ よかったですよね。
よかったですね。

今年 舞台で
96歳のおばあさんの役を

おやりになったんですって?
そうなんです。 どういうわけかね。

別に 私が本当のおばあさんに
なったからって

来た話じゃないですけど。
たまたま そういう

96歳のお話が来たんですね。

これ 東京大空襲を舞台にした

その時に生き残った
私の話なんですけれども。

だけど もし 本当のおばあさんに
なっていなかったら

私 自信を持って
これをやりますって

言わなかったかもしれませんね。
でも 本当は おばあさん…

本当のおばあさん…。
本当のおばあさんで。

なるほどね。 でも これから

90歳の役も
おやりになる予定なんで

おばあちゃん役が すっかり
もう 板についたんですって?

そうですね。 不思議ですね。

だって お話 頂いた時は
私が おばあさんだって

皆さん
ご存じないわけですからね。

今日 本当に 『徹子の部屋』で
こうやって

大っぴらに
お話しさせて頂くわけですから。

人生って おかしいですね。
フフフフ…。

何か仕組まれているような
気がして。

最近は おばあさんの役しか
来ないんですよね。

あっ そう。
フフフフ…。

悔しいけど。
でも 自信を持って

おばあさんって こういうものよ
みたいな感じで

自信を持って やれるので
もう これから どんどん

おばあさんの役
やりたいなっていうふうに

思っていますけどね。
なるほどね。

まあ 実際に
おばあさんなんだから…。

そうですね。
でも コロナも

色々あったりなんかして
考え方も変わったんですって?

そうですね。 もう 今年で
3年目になりますもんね。

やっぱり 私も
後期じゃないですけど

高齢者ですよね。
ですから 怖いし

外に出ていけないし
人と会っちゃいけないんだな。

ですから お仕事も
極端に減っちゃって

どうする事もできない。

テレビもなければ
舞台もなければ…。

それこそ
歌を歌うお仕事もなくて

ずーっと
家に閉じこもっていましたね。

これじゃいけないな
っていうふうに思いまして。

これは 一回 何かを乗り越えて

飛び越えなきゃいけないなと
思いましたんでね

よし もう お金の事とか
キャパが どのくらいだとか

人数が何人しか来ないとか…。

舞台に出る場合ね。
舞台に出る場合ね。

ランクが どんなこんなって
そんな事 考えない…。

3人でも それから 本当に
100人しか入らない

お芝居の場でも それから
お客さんが1人しかいない

例えば ディナーショーでもね
歌は歌 お芝居はお芝居だって。

そこで 精いっぱいの事をやれば

私は生きていけるっていうふうに

コロッと考え方を
変える事にしたんですね。

そしたら そういうお話があれば
どんどん行こうという。

お呼びがかかれば
どこでも行こう

っていう気持ちになりまして。

そしたら 気持ちが
すごい楽になって

お勉強もしなきゃいけないし
歌も覚えなきゃいけないし

台本も 何十ページも
しゃべらなきゃいけないわ…。

一生懸命
しゃべらなきゃいけないし。

ある意味 コロナが
私の生き方を変えたというか

もう一回
リセットしてくれたなと。

悪い事ばかりじゃなくて
私を また

原点に戻してくれたなって
思いましたね。

子供が
また 子供を産みましたしね。

その子供が私を また
救ってくれたな。

孫の顔を見るために
このコロナを

また生き抜かなきゃ
いけないっていうふうに

思ってくれたし。
そういうふうに

なんか 悪い事を

どんどん どんどん
いいふうに考えて

100歳まで生きるぞっていうふうな
気持ちでいます。

お孫さんが成人になるのが
見たいと思っているんですって?

そうですね。
成人… あと20年ですよね。

あと20年っていったら
93歳なので すぐですもんね。

それとね 私もね
色んな回り道しましたから

回り道した分の元を取るために

もっと…
20年間は必要だなと思って。

徹子さんも長生きしてください。
お祈りしています。

本当に どうも
ありがとうございました。

ありがとうございました。
昔から長いお付き合いのあなたが

幸せそうで安心しました。
あっ ありがとうございます。

『徹子の部屋』は