徹子の部屋 高田敏江[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 高田敏江[解][字]

~最愛の夫が急逝し46年…今も変わらぬ想い~高田敏江さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
現在87歳。今も朝ドラなどで活躍する女優・高田敏江さんがゲスト。
◇番組内容
1961年に心理学者・相場均さんと結婚するが、その15年後に相場さんは急逝した。高田さんは当時41歳だったが、その後は一度も結婚をせず、今でも独身を通している。そんな彼女は実にアクティブで、なんとスキーもやっているという。さらに「ちぎり絵」が趣味で、姉と一緒に老人ホームで教えるほどの腕前。その姉は昔から美人で有名で高田さんも自慢だったが、2年前に惜しくも亡くなったと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  2. 主人
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  11. 今日
  12. 随分
  13. 舞台
  14. 和紙
  15. アルバイト
  16. 運転
  17. 最近
  18. 仕事
  19. 子供
  20. 瑞穂

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気の配信サービスで見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

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(黒柳)まあ お奇麗。

こちらは今日のお客様の
デビューの頃のお写真です。

今日のゲストは
女優の高田敏江さんです。

どうも。
どうも。

愛するご主人をお亡くしになって
もう46年になるんですって。

ねえ。 そうですね。
そうですね。

高田さんが
41歳の時だったそうでございます。

それから
ずっとお一人なんですけど。

よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。

でも 41歳の時に ご主人が
お亡くなりになったんですけど

それから ずーっとお一人で
舞台も ずっとお続けになって

87歳でも… 今でも
舞台でも出ていらっしゃるし

なんでも出ていらっしゃって
すごい…。

ドラマでは 『金八先生』や
朝ドラでもおなじみで。

ねえ。 本当に お偉いわね。

いえいえ
そんな事ないですけれど。

でも 87歳っていうと
もう 随分…

同じくらいの方
いらっしゃらないでしょ?

あんまり。
いませんね 本当に。

何か 全部 あちらに
いらしてしまったようで。

そうですよね。
ええ。

現在 お一人住まいなんですって?

ええ。 でも 隣に息子夫婦が…。

それは いいですよね。
ええ。

ただ もうね 何しろ 隣で
玄関も何も全部 別ですから

もう ノータッチです。
あっ そうなの。 フフフ…。

それは わざと
別々にしていらっしゃるの?

ええ。 まあね やはり 若者とは

食べるものも違いますし
生活も違いますでしょう。

それに 何しろ 私 思うのにね
嫁と姑っていうのは…

これは お互いに気を使って
疲れちゃうんですよね。

だから かえって もうね
離れて暮らした方が…。

もう 息子たちが仲が良ければ
それが もう 一番いい事ですから。

じゃあ まあ 近くても
息子さんと奥様とが仲が良くて

それで まあ こちらとも
適当にうまくいけばね。

そうです。
それが一番。

ええ。
そうですか。

それで あれなんですってね。

数年前まで 自動車
運転していらしたんだけども

それも 息子さん夫婦に言われて
おやめになったんですって?

ええ。 それが 実はね 私は…
誰も そうなんでしょうけど

まだ大丈夫だろうとは
思っていたんです。

そうしましたら 息子が海外へ
転勤になってしまったんですね。

ちょうど
コロナが始まった時からなんです。

それで 向こうへ行く時に

「絶対にやめてほしい」って
言われたんで

「はいはい。 わかりました」。

「じゃあ 10月ぐらいには
やめましょう」と言って

まあ いなくなったんだから

まあ 大丈夫と思って 私ね
運転をね していましたらね

嫁の方から
「お義母様 今日 車で

お出かけになりましたでしょう?」
ってね メールが来たんですよ。

「えっ どうして?」って
言ったら

我が家
防犯カメラがありますからね

私が運転して出て行くのがね 全部
映ったのが送られてきたんです。

それで あっ こりゃ
もう駄目だと思いましてね。

運転が 何? 危なっかしいの?

いやいや そうじゃなくて
私はバレないならば

まだ していても大丈夫だろうとね
そう思ったんです。

でもね まあ 息子の… 自分が
もしも 息子の立場に立ったら

やっぱり 心配だろうなと思って

これは まあね
老いては子に従えで

それで ピタッと
もう返納致しました。

でも コロナの時に

家で じっとしていらっしゃるのも
嫌でしょ?

嫌ですね。

私 やっぱり どちらかといえば
外へ行きたがる方なんですよ。

それに とてもいいのは

すてきな公園が
すぐ近くにありましてね

その公園でね
大体5周ぐらいすると

大体 我が家から
7000歩ぐらいですかしら。

…になりますのでね。
それに 何がいいって

そこには 子供たちの
プレーパークもあるんです。

で お子さんたちが…
何しろ このコロナの時って

本当に
子供たちが かわいそうですよね。

それなのに もう
喜々として遊んでるんですよ。

フフフ。 キーキーって。
ええ。 もう

その声と その顔
見ているだけでね

こちらまで元気をね
頂けるようでね

本当にね いいんですよ。
そう。

吉行和子さんとは LINEで
仲いいんで…。

何しろ 和子ちゃんとは
もう 同期ですしね。

ですから 本当に

劇団へ入ってから
若い頃…。

ただ 和子ちゃんとは
なぜか

一緒の舞台って 割合
少なかったんですよ。

ええ。
なので 写真なんかも

和子ちゃんと撮った
写真なんて

ないんですよね。
でも 本当に

若い頃から
親しくしてきて

もう コロナになってから
全然会えませんでしょう。

そうですよね。
そういうのできない。

だから メールで
「ああ 早くコロナがね 収まって

また食事会したいわね」とか
つい最近なんかは

「もう 何しろ 遠出といったらね
病院に通う事ぐらいしかなくて

情けないわね」っていうメールをね
やったりしているんですけど。

そうですか。 でも スキーは
30代からやっていらっしゃって。

あっ 私はね スキーはね
子供が まず始めたんですよね。

それで
子供がスキー学校に入って

それを
上野まで送っていきましてね

それで 「何か
送るだけじゃつまんないから

自分も入れさせてください」
って言って それで…。

おやりになったの?
そこから始めたんです。

で 乗鞍に…。
あら。

ここに写っているのは

北杜夫さんの奥さんの
喜美子さんなんですけどね。

あっ そうなの。
もう 喜美子さんとは…。

ここ 乗鞍なんですけれども。

この乗鞍に すてきな指導員…
先生がいらしてね。

カミヒラ先生って
おっしゃるんですけど。

すごく教え方がお上手で

私も それからは 本当に

まあ 中級ぐらいまでは 難なく
滑れるようになったんですよ。

そうですか。
なので 今でも…。

家が近いんですよね。
あっ そうなの。

ええ。 ですからね
お互いに行ったり来たりしてね

3時間ぐらい
おしゃべりしているんです。

いいですよね そういうのってね。

それに ご趣味が
ちぎり絵だそうですけれども

実物をお持ち頂きましたので
皆さん 見て頂いて。

私 想像もつかないものでしたね
ちょっと ちぎり絵って。

これ そうなんですか?
そうなんです。

和紙をですね 染めまして

その和紙をちぎって

こういうふうに
するんですけれども。

1枚の和紙が
グラデーションになって

染まっているんですね。

例えば
紫が薄くなっている所とか

色々ありますでしょう。 それを
自分が いい所をちぎって…。

手で ちぎるんですか?
ええ。 手で ちぎるんです。

ええー。
ですから

見本は みんな… 生徒は

同じものを見ているんですけど
その人 その人によって

ちぎる所が違うと
まるで別な作品のように…。

どんな…
紙は和紙って 日本の和紙?

お手紙なんか書くような
あの長い…。

あの柔らかい…。 ですから

こよりはもちろん できますしね。

これも奇麗ね。 お上手ね。

いえ
私は劣等生なんですよ 本当に。

本当?
もう なんでも ちゃらんぽらんで

徹底的に…。
でも 奇麗 この色が。

これは… 染めるのは

先生が染めて
いらっしゃるんですけれども。

師範の方は
染める事ができるんです。

あっ そうなの。
でも 私はできません。

じゃあ その先生から頂く紙を
ちぎっていらっしゃるの?

そうなんです。 今日 そのね

紙を本当は 持ってくれば
よかったんですけれど。

あら でも 奇麗。 へえー。

これ 絵心なきゃできません?

ええ。 まあ…

でも 見本は 一応ありますから

先生がお作りになった。
あっ そうなの?

すごく奇麗。 奇麗ですね これ。

あなたが
お作りになったんでしょう?

はい。
上手。

いやいや 一時は もう 何か
熱中してやっていたんですけど

最近 やらなくなると
手先のね 仕事ですから

どうしても
どんどん下手になりますね。

でも すごくお上手。

で のりで貼るんですか? これは。
そうです。

ふーん。
のりを付けて貼りまして。

ですから
これを私 老人ホームでね

姉と一緒に
教えたりしていたんですけれども。

あっ そうでいらっしゃるの。

あら 可愛い。 ええー。

これ お花の形やなんか
よく見ていないと ちょっとね。

そうですね。 やはり こういうのを
やるようになると 観察も…。

そうですよね。
それもまた 楽しみの一つです。

面白いと思います。

あっ そうだ。
ご主人が… 46年前か。

はい。 急性心不全。

高田敏江さんのご主人は
心理学者でいらして

相場均さんとおっしゃる方で
いらしたんですけども。

1961年に
ご結婚っていうんですか

随分前だったんですけど。

15年後に…。
そうなんです。

15年が ちょっと
欠けていたんですけれど

その時に亡くなったもんですから。

急性心不全だったそうですけど。

51歳だったのね ご主人がね。
そうです。

で あなた様が41歳と。
はい。

そう。 そのね 亡くなったあとに
『徹子の部屋』にいらして

そのお話を ちょっと
してくださっているんですよ。

それ ちょっと いいですか?
見せて頂いて。

「ようこそ おいでくださいました」

「でも お元気そうで
いらっしゃるんで 安心…」

「やはり 4年経って 本当に
元に戻ったっていう感じですね」

「ああー。
そりゃ 本当のね 悲しさは

永久のものかも
しれませんけれども

やはり 体力的にとか…」
「ええ。 体力的に 何はともあれ」

「やはり あの当時… 5~6キロ
痩せちゃいましたかしら」

「ですから 何はともあれ
太らなくちゃ 太らなくちゃ…」

「最近 ちょっと 元よりも
少し こうなりましたけれども」

「でも それは
安心な事ぐらいですもんね」

「いきなり… 帰っていらっしゃる
と思っていらしたのに

いきなり亡くなるっていうのも
なんか とっても…」

「もう… 最初
電話が病院から入りました時は

私… そうですね。 4分くらいは
信じなかったんです」

「もう “ウソでしょ 先生"なんて。
“そんな 私が悪妻だから

この時とばかり
びっくりさせようと思って

そんな電話をかけたんでしょ。
ウソ ウソ"なんて」

「息子さん その時…」
「中2でした」

「中学2年生」

うわ…。
なんか 翌日は

舞台の初日だったんですって?
帝劇の初日だったんです。

うわー。
で 舞台ですから すぐに もう

松本へ駆けつけなければ
ならなかったので

マネジャーに電話をして。

「何しろ
舞台稽古はできないけれど

初日は ちゃんと致しますから」
って言って

松本まで行きました。
まあね なんていう事でしょうね。

いきなりね
急性心不全っていって。

51歳で
あなたは41歳だったんですって?

いや 今 自分も あの写真見て
若かったな…。

まあね 随分前ですもんね。

でも お仕事は続けなさいって

ご主人
おっしゃっていたんですって?

いつも。
そうなんです。 ええ。

本当に それは
ありがたかったと思いますね。

で 何しろ 私
主人が亡くなりました その年が

半年のうちに

主人と主人の義理の弟と
主人の母とおばと

4人 亡くなっているんですよ
半年の間に。

あらー。
だもんですから

私 もうね 本当に自分もね

逝ってしまうんじゃないか
っていう

その恐ろしさがね
ものすごくありましたね。

そうでしょう やっぱりね。
第一 その頃 ちょっと

がんになっていらしたんでしょ?
あなたは。

私 子宮のね がんを患いまして…。
まあ でも 当時は

がん イコール 死みたいな
時代でしたからね。

ですから 余計 そういう意味で
健康に不安があったもんですから。

で 私 息子に なんとしても…
私に もしもの事があった時に

息子が自立していけるようにと
思いまして。

当時 私立の学校に通って…。

中2だった… 中学2年生?
中2年なんです。

で 高校生になった時に
先生にお願いして

事情を話して
学校は 本当はアルバイトは

しちゃいけないというのは
わかっていますけれども

こういう事情ですので

アルバイトをさせてくださいって。
あっ そう。

それで 息子に
アルバイトをさせましてね。

息子も でも とっても一生懸命…

まあ 若いですから
真面目に働いたらしくて

そこの会社から
また来てくださいって…。

あっ そうなの?
はい。

あら 随分ハンサム。
いや…。

ええー。 それで
どういう仕事だったんですか?

それは アルバイトって。

あの頃
お歳暮の配送の整理みたいなのを

何か こう やっていたようですよ。
ええー。

でも 随分 ちゃんと
やっていらしたのね きっとね。

向こうから
要望が来るくらいでしたから。

そうですか。

でも あれですよね。
ご自分は がんになっていて

それは良くなるかもしれないけど

息子の事が
ただ心配だったんでしょ?

そうなんです。
もう 本当に そういう…。

ですから 高校卒業して
大学へ行ってから

ああ もう これで… と
ホッとしましたね。

もう 本当に 自分で
やっていけるだろうなという事が。

それに まあ 私自身も だんだん

元気になってきましたし。
そうですか。 よかったですよね。

で 最愛のお姉様も なんか
2年前にお亡くなりに…。

姉も がんで
亡くなったんですけれども。

あっ そうだったんですか。

本当に…。
奇麗なお姉様ね お写真。

とっても美人で…。
そうなんです。

姉は本当に美人だったんです。

すごい美人。
あっ そうだったんですか。

昔から美人で有名な
お姉様だったんですってね。

でも 私はね
姉のところに来るボーイフレンド

姉が全然ね
構わないもんですからね

いつも 私が相手になって…。

来る人来る人 みんな
姉が目当てなのに

しょうがない…
私が相手になっていた

というような…。
いいですね。

よく覚えています。
フフフフ…。

あなたと性格が
正反対なんですって? ちょうど。

もうね
姉は きちんとしていまして

先ほども言いましたように

ちぎり絵もね
ちゃんと師範までいきまして

染めも全部できたもんですから。

それで
老人ホームに姉と2人で行って

教えていましてね。

何しろ ちぎり絵って
先ほども言いましたけれど

手でね 指で裂くもんで…
裂くというか

ちぎるもんですからね

とても…
頭の働きっていうのかしら。

あれにいいんだそうです。
ふーん。

それで 老人ホームで
やっていたんですけど

まあ 姉が やはり
だんだん体も悪くなって

それとコロナとで
まあ ボランティアの方は

中止のようになってしまって…。
で お姉様のご主人が

俳優の鈴木瑞穂さん?
そうなんです。

それ また 随分
偶然ですよね。

ええ。 まだ 私が若い頃ね
我が家でもって

若い俳優さんたち
一緒になって

勉強会みたいなのを
やっていたんですよ。

そしたら
妹が知らないうちに

いつの間にか
そういうふうに…。

ハハハ…。 そうなの。
はい。

瑞穂さんと。
ええ。

あの方 いい方ですよね。
私 仕事始めた頃

よくご一緒になって。
あっ そうですか。

いや もう
本当に趣味がなくて。

趣味といえば
散歩か読書ぐらいで。

もう 本当に
演劇一筋の人でしたから。

もう そして
ずーっと それを…。

ですから 姉は
一緒に旅行したなんていう事は

なかったと思うんですよ。
あっ そうなの。

それが まあ
今 瑞穂ちゃん

すごく
寂しさを感じたらしいんですね。

今まで そんな事をね
本当に瑞穂ちゃんって

言わなかった方なのに
親しい友人に

何か 姉がいなくなって
寂しいっていう事をね

初めてね
おっしゃったらしいんですよ。

それを そのお友達の方が
私に電話で知らせてよこしてね

ああ 瑞穂ちゃんも
あの年になって

初めて 本当に寂しいっていうね
あれを感じたんだなと思って。

まあ 私も近々に行って

色々
おしゃべりしてこようかなって…。

お姉様の旦那様ですもんね。

ええ そうです。
ああ そう。

で お孫さんは
某国立大学の大学院生で

ご主人と同じ心理学を専攻して
いらっしゃるんですって?

そうなんです。
いや 私 まさか 心理学をね

選ぶと
思わなかったんですけれども。

多分 家に置いてある主人の本を

読んだんだと思うんですよ。
本当に?

それで興味を持ったんじゃないか
と思うんですよね。

で… あっ これは
七五三の時の写真ですね。

で… あっ これはスキーですね。

あっ スキーにいらした…
あなたといらした時?

はい。 もう この頃はね
私がね 教えられたんですよ。

もう 本当に
今は そんな事 ケロッと忘れて

もう
一緒に行く事もないですしね。

そうなの? フフ…。

でも 前は スキーも
一緒に行っていらしたの?

そうなんです。
ですから 本当 孫って

目に入れても痛くない
っていうくらい

可愛いって言われますでしょ?

だけども やはり
小学生のうちだけですね。

ハハハ…。 そうなの?
もう 中学になったら

本当に もう メールを打ったって
返事など 絶対に来ないですね。

本当? ハハハハ…。

ですから それはね 嫁からも
「お義母様 まず 返事は来ないと

思っていた方がいいですよ」
っていうので。

この間 唯一
ちょっと褒められたのが

私がウクライナの事も
ものすごく…

早く平和がこないかなって思って。

でも 寄付をしていても
何か行動に出さないと…

たまらなくなっちゃいましてね。

で ちょうどね
代々木公園でもって

3月に平和行進がある
っていうのが

新聞に載っていたんでね
私 行ったんですよ。

で 行きましてね
それで ある団体に入れて頂いて。

そして 代々木公園からグルッと
渋谷駅から原宿を通って

また 代々木に戻るというのを

「行ってきた」って
メールで打ちましたらね

「いいね」ってね
返事が来たんです。

いいわね。
でも それを「いいね」ってね

くださるお孫さんが
いいじゃありませんか。

それは うれしかったです。

でも
よくおやりになりましたよね。

まあ 歩くのは
慣れていらっしゃるから。

歩くのは 私ね…
歩くのだけは好きなんです。

高田さんは10歳の時に 前橋で
空襲を体験なすったんですってね。

それで ずっと 赤城山から
空襲をご覧になったって。

そうなんです。
そんな事から

原爆で被爆した方たちの
手記の朗読劇を ずっと…

昭和60年からだから

随分長いですね。
長いですね。

昭和60年から やっていらっしゃる
っていうんですから

随分になりますよね。

今年もなさいますよ 皆様。
申し上げておきますね。

『夏の雲は忘れない』
8月6日 土曜日。

『夏の雲は忘れない』という
朗読劇ですね。

パルテノン多摩 小ホール
っていう所でなさいます。

パルテノン多摩 小ホール。

渡辺美佐子さん 長内美那子さん
川口敦子さん

そして
高田敏江さんでなさります。

どうぞ 皆さん いらしてください。
お願い致します。

そうか。
広島の原爆の日になさるんですね。

改めて あれですかね。
もういらっしゃらないけど

ご主人に
今 おっしゃる事があったら…。

そうですね。 やっぱりね
主人が 結婚した時に

「仕事は持っている方がいい。
絶対に続けなさい」と言って

チケット売りや何かも
結構 協力してくれたんですね。

まあ 私のように 本当
駄目な 才能のない人間でも

今日まで
やってこられたっていうのは

主人がね 「続けなさい」って
言ってくれたおかげと…

もう それだけは 本当にね
まあ ありがたいと思っています。

まあ 本当にね まだしばらく
ちょっと こっちにいますけど

まだ向こうへはね…。

まあ 上から見守ってください
という事ですね。

そうですよね。
まだお続けになるそうですよ。

でも それにしても
87歳っていうんですから

随分
お元気でいらっしゃいますよね。

それで 芝居も
そうやって 朗読劇も

おやりになるんですからね。
そうですね。

ねえ。 ラッキー。

そうですね。
お声もね 大きい声も出るし。

そう。 声だけは 本当に… ええ。

そうですよね。

親しい方がいなくなるのはね
やっぱり 寂しいですよね。

最近 本当に それを感じますね。
そうですね。

でも 私 ちぎり絵 始めます。
フフフフ…。

『徹子の部屋』は