徹子の部屋 セイン・カミュ [解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 セイン・カミュ [解][字]

~来日45年…障がいがある妹の創作活動を支援し~セイン・カミュさんが今日のゲストです。

◇ゲスト
来日して45年になるタレントのセイン・カミュさんが登場。
◇番組内容
イギリス人の母を持ち、再婚相手の父が日本人で航空会社に勤めていたため、幼少期は父の仕事の関係で世界各国を渡り歩いていたセインさん。6歳で初めて日本に訪れ、今では日本を“第二の故郷”と思っていると語る。現在は3児の父になったが、はじめは日本流の子育てに戸惑ったこともあったと振り返る。また、セインさんの妹・ジャスティーンさんは知的障がいがあるアーティスト。今回は特別に描いた絵をスタジオに展示して紹介!
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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キーワード出現数ベスト20

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  2. 狂言
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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(黒柳)6歳で来日し 45年です。

流暢な日本語をお話しになる

外国人といえば もう この方です。

セイン カミュさんです。
どうぞ こちらへおいでください。

13年ぶりのご出演ですね。

ねえ。 お久しぶりでございます。
どうも。 お久しぶりでございます。

どうぞ お座りください。
ありがとうございます。

現在 タレント活動を続けながら

障がいを持つ方のアーティストの
活動をヘルプしてらっしゃる…。

いろんなお話 伺います。 どうも。

よろしくお願いします。
どうも。 しばらくでしたね。

そうですね 13年ぶりですか?
そうそう。 13年ぶりですって。

ねえ。 素敵なお洋服で。

ありがとうございます。
ねえ 本当。

徹子さんも素敵ですよ。
いえいえ ありがとうございます。

もう 前にも
申し上げたと思いますけど

アメリカのニューヨークの
お生まれで

6歳で日本にいらっしゃいまして
45年経つと。

で 流暢な日本語をお話しになる。
はい。

前と 少し 風貌 変わりました?
そうですね。

見てのとおり 毛が
ちょっと増えたかなという…。

そう。 毛が増えたのかな?
はい。 ハハハ…!

あっ! これですか?
そうよ。 だから 随分違うんだわ。

あららららら!
格好いいですね この時。

そうそう そうそう。
ちょっと お年 召したかしら 私。

そう… お年は召してないけど

ひげが
きっと違うのかもしれない。

ああ そうですね。 ワーオ!
ワーオ。

13年って
だいぶ変わるもんですね。

まあ そうですよね。
あの時… そう。

3人目のお子さんが
生まれた時だったんだわ。

そうですね ちょうど 娘が。
そうそうそう。

それでも 13年前だから
もう 随分大きくなった?

大きくなりましたよ。
中学2年生になりました。

そんなになったんですか。
そうですか。

そういう時は どういう学校
行ってらっしゃるの?

普通の日本の…
一応 中学に通ってます。 はい。

じゃあ
もう 日本語でしゃべって?

家の中では 大体
英語と日本語 両方ですけれども。

学校は もちろん
日本語になりますよね。 ええ。

でも 『異邦人』を書いた

皆さん ご存じの
アルベール カミュさんは

大叔父さんに
当たる方なんですって。

それは ある時 わかったのね?
そうなんですよ。

僕が 多分 えっと…
高校1年ぐらいですかね。

15ぐらいの時
だったんですけれども。

学校の やっぱ 国語の教科書に

アルベール カミュの作品が
出てきまして

その時に 先生が 「あれ? なんか
同じ名字だよね?」っつって

「ああ 本当だ」なんていう話に
なって。

「カミュ」だって?
そうです。

で 家に帰って
うちの母に聞いたら

「あっ そうよ」っつって。
「ええー!」。

ビックリした?
ビックリですよ 逆に。

「なんで教えてくれないの?」って
言ったら

「彼は彼 あなたはあなたでしょ?」
っていう…。

ほう… 面白いわね。
あっさりと… はい。

お母様はイギリスの方?
そうですね。

フランス系イギリスっていう事に
なってますね。

でも そういうの
普通だったら自慢しそうだけど

別に自慢もしないで

「そうよ」って
軽く言うところが…。

そうですね。 なんか そこが逆に

僕は リスペクトできたとこでも
あるのかなと思いました。 はい。

お母様の再婚相手のお父様が

日本の方だったんで…。
はい。

航空会社で働いてらした方?
そうです。

あれですよね。
幼少期は お父様の転勤で

随分 あなた いろんな国を こう

訪ね… 訪ねて。
そうなんです。

生まれたのは アメリカの
ニューヨークなんですけれども

そこから 母と一緒に
バハマ 行ったり

そこから レバノンに行って。
レバノンで うちの育ての親…

日本人の父と
出会うわけなんですけれども。

そこで 中東の航空会社の
支店長をしてたもんで。

で 戦争が始まって。
あら 大変。 うん。

危ないっていう事で
レバノンからエジプトに脱出して。

で エジプトで
また しばらく2年ぐらい いて。

その時は アラビア語と
フランス語と英語を

一応 しゃべれてた…。
すごいですよね。

いやいや…。 で えっと
ギリシャに1回行って 戻って…

エジプトに戻って 荷物をまとめて
初めて日本に来たのが

1976~1977年ぐらいですかね。

その時が6歳?
ちょうど6歳…。

アラビア語って
すごく難しくありません?

難しいと思います。
今だったら もう 全然…。

今 しゃべれない? 全然。
しゃべれないです 残念だけども。

この間 あるテレビ局で

「何カ国語 “ありがとう"
言えますか?」って尋ねられたら

どうやら 31カ国語で

一応 「ありがとう」は
言えるみたいなんですけれども。

じゃあ… 「ありがとう」は?
「ありがとう」は「シュクラン」。

あっ 「シュクラン」?
「シュクラン」です。

それは聞いた事あるな。
そう。 アラビア語は あの…

中東は大体 アラビア語…
メインのアラビア語があって。

だから 同じ…。
そこから… そうですね。

でも 普通の学校…

小学校は公立校に
お入りになったんでしょ?

えっと… 日本でですか?
うん。 そうそう。

はい。 普通の日本の小学校ですね。

いろんなとこ歩いて…
まあ 小さかったけども

6歳まで いろんな国 歩いて
日本にいらっしゃった時

日本っていう国を
どんな風に思いました?

えっと 今までは やっぱり
外国人っていうのが

当たり前にいたような
環境じゃないですか。

日本に降り立ったのは
藤沢だったんですね。

だから 当時の藤沢っていうのは

まだ田舎っぽい感じのとこが
ありまして。

その学校に行ったらば やっぱり
僕が 1人の外国人なわけです。

なので みんな こう 指をさして

「ガイジン ガイジン」って
言うわけですよ。

「えっ? どこに? 何? 誰?」

「えっ? 俺?」みたいな
感じだったんですけれども。

やっぱり 近所内では唯一の

外国人家族というか…
だったもんで

すぐ 近所のみんなが
わかってくれて。

僕からしてみたら やっぱり
外国人が 逆に いないのが

不思議な感じの環境だった…。
そうよね。 日本人ばっかりでね。

そうなんですよ。 だから 日本は…
当たり前なんですけれども

日本人が多い国だなと思った事が
あります。

なるほど。 でも 初めは
日本語を覚える気は

そんなになかったんですって?

えっと… もう 大体
2年周期で動いてたもんですから。

だから まあ 日本も2年周期で…
また2年経ったら

すぐ 違うとこに行くんだろうな
という思いで

来てたもんですから。

日本の小学校
入ったんですけれども

大体 コミュニケーションが
取れないとダメなので

まあ イヤでも… イヤでも
覚えなきゃいけないという。

すぐ覚えて?
はい。 ただ 漢字というのが

いまだに 全然ダメですね。

なかなか 友達になれないですね
漢字とは。

でも 今 漢字書かなくても
大丈夫でしょ?

変換 変換でなるんですけれど。

自分が変換する分には
いいんですけど

送られてくるものは読めないので
すごい困りますね。

そうか。
送られてきたものが読めない。

ああ そうか。
それは難しいわね ちょっとね。

でも まあ
45年 日本に お暮らしになって

どうですか? 日本は。
最高ですね。

いい?
はい。 もう あの…

第二の故郷っていう感じですかね。

育っているのが こっちなので。

多分 他の所に行っても

こっちには戻ってくるだろうな
という感覚かもしれないです。

そんな事 伺うのもあれですけど

日本の どういうとこが
いいですかね?

日本のですね… なんだろう。

わび さびだったりとか。

本音と建前も
もちろん ありますけれども。

なんだろう この… 和を中心と
しようとするじゃないですか。

丸く収めるとか 水に流すとか。

そういった… なんだろう こう
穏便な感じの文化なのかなって。

なのに
やっぱ 繊細だったりしますし

人に対する思いやりだったりとか
気配りだったりとか。

あんまり ズバッと
言わないですよね 日本人はね。

良くも悪くもですよ でも そこは。
そうね。

お父様は
20年ぐらい前に亡くなった?

はい。
残念でしたね。

そうですね。 ええ。
でも 最期は あの…

なんだろう 幸せにね…。
あっ そうなの。

でも あなたが芸能生活を…
芸能生活?

こういうのをなさるって事には
初め 反対だったんですって?

そうなんですよ。 ねえ。
僕はドラマがやりたいと。

ドラマに出て 演技をしたい
という意味で ドラマに…

ドラマをしたいっていう…

やりたいと
言ったんですけれども

「そんな 太鼓をたたいて 飯が
食えると思ってんのか!」って

怒られた事があって。
「えっ?」って。

「ドラマーだろ?」っつって。
フフフフ…!

だから
ドラマとドラマーの違いで…。

ずっと ミュージシャンで
食っていこうと思って

どれだけ難しいかという事を

訴えようとしてたと
思うんですけれども。

まあ
一応 テレビに出るようになって。

僕の… 直接的には 褒めては
くれてなかったですけれども

亡くなったあとに
やっぱり 友達…

彼の… 父の友達から聞いてたら…
話を聞くんですけれども

「相当 自慢の息子だったらしいよ」
って。

「テレビに出ててね
すごい喜んでたよ」って

言ってくれてたのが すごく…。
よかったですね それは。

それは親孝行でしたよね。
そうですか。

あなたは
お子さん 3人いらっしゃって。

あっ! この時の…。
写真ある。

写真ありますね。
可愛い。

本当 赤ちゃん。
可愛かった。

こういう時が やっぱり
一番幸せかもしれないですね。

えっと 今 19と16と
で 13ですね。

みんな 大体3歳違い。
すごい。 19 16 13。

初めは
日本流の子育てっていうのに

ちょっと戸惑ったとこが
あるんですって?

そうですね。 やっぱり
外国人って どうしても

生まれる前に… 映画とかでも
よく出てきますけれども。

生まれる前から もう
子どもの部屋というのを設けて。

子ども部屋。
子ども部屋。

「どういう風に デコレーション
する?」とかいうような話で

盛り上がるじゃないですか。

だから 僕は…
僕もそうだったんですよね

母から聞くと。 やっぱり
自分の部屋があってっていう。

で えっと… まあ 当たり前と
僕は思ってたんですけれども

「いやいや いやいや いやいや
ちょっと待てよ」と。

「夜中 赤ちゃんが泣いた時に
母乳をあげに

わざわざ行かなきゃいけないのは
誰?」って。

「いやいやいや
それは お母さんでしょ」って。

「冗談じゃないよ」と。

「日本では川の字で寝るという
文化がある」と。

「えっ!
川の字で寝るっていって

それって どういう事なの?」
っていうとこから

やっぱり 文化の違いが…。

まあ 一応 納得させられては
いたんですけれども。

要は 僕が怖かったのが
こう 寝返りを打つ時に

子どもを潰すんじゃないかとか…。
そうですよね。

夫婦の このね 間隔は
どうするんだろう? とか

そういった心配が

いろいろあったりとか
してたんですけれども。

でも あの…
お母さんからしてみたら

真横に寝てる方が
母乳も すぐあげやすいし

いる…
この横にいるっていう感覚が

肌と肌の触れ合いで
健康状態がわかるとか

調子がわかるとかっていう事を
言われた時に なるほどなと。

あれ 本当に
外国は 子ども離して

子ども部屋に寝かせますよね。
はい。 それは もう

独立心だったりとか
自立心だったりとか

そういったものを促そうとする
ものなんでしょうけれども…。

じゃあ だからといって 日本は
それがないのかっていったら

そういうわけでもないですもんね。
そう。 だから

日本みたいにくっついて寝たって
いいじゃないかって ちょっと…。

セイン カミュさんは3人兄妹で
いらっしゃるんですけども

長男で
妹さんが2人いらっしゃって

上の妹さんの
ジャスティーンさんは

知的障がいをお持ちになる

アーティストで
いらっしゃって。

今日 お持ちになったのは

妹さんの
ジャスティーンさんの

お描きになった絵なんですけども
ちょっと ご紹介くださいますか?

はい。 ええー…
どっちからいこうかな?

こっちですかね。 これは…。
可愛いね。

はい。
2羽の鳥なんですけれども。

うちの妹の特徴としてはですね

色が まず 鮮やかなんですね。
うん キレイ。

で 色鉛筆を使って描く
っていう事が…。

色鉛筆?
はい。

だから 色鉛筆の割には
すごく丁寧に…。

じゃあ ずーっと こうやって
丁寧に塗り潰すの?

大変だわね。
はい。 だから 鉛筆の数が

どんどん どんどん
減っていくんですけども…

増えていくというか…。

彼女のもう1つの特徴というのは
必ず…

必ずって言っていいぐらい
ないのもあるんですけれども

基本 英語で
なんか書いたりとかするんですね。

これ なんて書いてあるんですか?
これはですね

「I don’t know the name
of this bird

but I wan’t to go to Africa」。

ハハハハ…! 可愛い。

で あの…
これは 僕のハートを

すごくゲッチューした
作品なんですけれども。

訳しますと

「この鳥の名前は知らないけど
とにかく アフリカに行きたい」と。

そうよね。 可愛いよね。
そうなんです。

アフリカに行きたいと言ってる?
はい。

可愛いね。
そうなんです。

今度 こちらは…

これは見てのとおり 人魚です。

人魚。 マーメイド。
マーメイドです。

ねっ 可愛らしい
マーメイドなんですけれども。

これも海の仲間たちですね。

ここに書いてあるのが

「the mermaid is happy swimming

with all the sea creatures
in the sea」。

要は 「人魚さんはね

海にいる
全ての海の生物と泳ぐのが

とてもハッピーなんだ」とね。
「うれしいんだ」と。

ここにマーメイドがあって。
じゃあ 何がいるかっていったら

ここにサメとかね

クラブとか クラゲとか。

可愛いわね。
でも わかりますよね。

そうですね。
そうじゃなくても

右の方の
ピンクの頭のやつなんか…。

これは「blowfish」。
フグです。

フグ?
フグ。

マンボウがいたり
タツノオトシゴがいたり。

僕が一番 ここの中で好きなのが

これね 「agi」って
書いてあるやつですね。

これ 全部 英語なんだけど
ここだけ なぜか「agi」。

しかもね
スペルが ちょっとおかしいの。

「アギ」になってます。
「ギ」になってます。

こういうね よく見ると
もちろん この色もそうですし

この出てくるキャラクターも
そうなんですけれども

本当に こう やっぱり 見る人が

見て感じられるものっていうのが
あるんですね。

僕は もう これ 全部…
全て 好きなんですけれども

やっぱ こういう ちっちゃいね
こう… ユーモアのセンスが。

でも 妹は 狙ってるわけじゃ
ないんですけれども

自然と出てくるものが こう…
キュンってくるものがあって

すごい好きなんですね。
へえー…!

あれですかね 妹さんが
障がいがあるって気付いたのは

いつ頃なんですか?
そうですね…。

えっと 生まれた時は
まだ わからないですよね。

やっぱり
ちょっと しばらく経って

大体 2~3歳ぐらいの時に

やっぱり 平均的に見ると
ちょっと こう

歩きだしたりとかするのが
遅かったりとか

言語をしゃべるのが
ちょっと遅かったりとか

…というのが
まあ いろいろありまして。

それで いろいろ 検査っていうか

試験… テストするわけですよね。

やっぱり
障がいがあるのではないか…

あるであろうと。

要は 生まれた時に
へその緒が 2回ぐらい

首を絞めてたっていう事が…
多分 もう そこから…。

息ができなかった…。
そうなんです。

酸素が やっぱり
脳みそにいくのが

ちょっと こう 衰えてたというか。

やっぱ 左の脳に障がいが…

言語をしゃべるとかというような
感じのとこですかね。

…があったんですけれども。

…の割には 日本語も英語も
しゃべれますし

こうやってね 描く事もできますし
読み書きもできたりとか…。

でも 子どもの時は
あなたは 妹さんたちの面倒も

見てたんですって?
そうですね。

学校が 茅ヶ崎から横浜まで
通わなきゃいけない。

やっぱり 妹の… 妹は
自分で行けなかったりするんで

その面倒を僕が見て
毎日 学校の送り迎えを…。

だから 部活とかいうのも
ほとんどなかったですし。

学校終わってから 友達と遊びに
行ったりとかっていうのも…。

部活…。
なかったですね はい。

でも まあ
妹は こういう状態だし

親に頼られてるんだな
っていうのもありましたし

思春期の時には

すごいイヤだった時も
ありますけれども

でも 家族なので
家族は やっぱり

助け合わないといけない
っていう事も…。

偉い。
いや まあ それが…

それが任務というか…。

妹さんが 絵の才能があるって
わかったのは…。

そうですね
家の方では ちょっとずつ

いろんなものに
挑戦したりとかしてて

その中の1つが

絵を描いたりとかする事
だったんですけれども

平塚にある施設に行って
通うようになってから

だんだん 絵の才能というかが
芽生えてきたというか うん。

それが
どんどん増えていくような感じ

作品がね 増えていくような
感じになったんですけれども。

全く違うところで
僕が ある番組をやっていて

ある会社に…

訪ねて インタビュー
するわけなんですけれども

その会社の社長さんが

そのインタビュー…
撮影が終わったあとに

「ちょっと セインに
見せたいものがあるから

ちょっと来てくれる?」って
言って

「はい」って言って 一緒に行って

「これ 見て 見て」っつって
絵を4枚出してきたんですね。

これ もう
13年前ぐらいの話ですけれども。

絵を出されて あら? と思って。

「これね 実は 障がい者が描いた
絵なんだよ」っつって。

「あっ そうなんですか。
すごいですね」って。

彼は もちろん
僕に知的障がいの妹がいる

っていうのも知らないですし
初対面なんで。

「これ アーティスト
誰ですか?」って聞いたら

「えっとね ちょっと待って
わかんないな」

「多分 クリスティーンかなんか
っていう人だと

思うんだけれども」って。
僕も なんか…

なんか この絵のタッチに
すごく共感を感じたものがあって。

「へえー! そうですか」っつって

後ろ見たら 名前が書いてあって。
「クリスティーン」じゃなくて

「ジャスティーン」って
書いてあって。

「これ 僕の妹ですよ」っつって。

えっ!
「えっ!」。

まさしく そのリアクションで。
本当?

「えっ!」。
もう 鳥肌 ブワー 立ちまして。

そうですよね。
はい。 スタッフのみんなも

「えっ 何?」っていう話になって。

そういう事があって あなたは

アーティストの才能を持ってる
障がいの人の

支援を始めたんですか?
そうですね。

一応 やっぱり タレントなので

PR的な感じですけれども。

いろんな方…
著名人だったりとか

いろんな方に声かけたりとかして
集まってくれて。

妹さんの絵は
他にもあるんですって?

いっぱいあります。 ハハハハ…!

いっぱいあります。
あっ はい こういうね。

『Happy my friends』。

可愛いね。 お友達?
お友達ですね。

可愛いお友達。 そうなんです。

やっぱりね ブタさんがいたり
虹があったりとか

あとは
えたいの知れないけれども

皆さんの想像に
お任せします的な感じの

お友達が
いっぱいいるという感じですね。

ふーん…!
他にも… これは もう ねっ? 魚。

魚?
魚です。

多分 ここから
少しずつ ちょっと

進化していってるような感じは
あると思うんですけど。

そうですね。

でも こっちの
今 お持ちのやつも

随分進化してます…。
そうですね。

あの魚から だんだん
尾びれ 背びれがついて

こういう風に
なっていったわけですけどもね。

本当。
はい。

でも そういうお仕事は
いいですよね。

そうですね。 まあ なんだろう…。

本当に この絵を…
絵がきっかけで癒やされたとか

この絵がきっかけで なんか こう
違う事 始めましたとかいう方に

この間も
お会いしたんですけれども。

アートギャラリーをお持ちの方も
うちの妹の絵を見て

あっ これは もう 障がい者の
アートだからじゃなくて

アートというのは
もう 万能なんだと。

そうそうそう。
ねっ。 障がいあろうとなかろうと

もう アートはアートなんだ
っつって

ギャラリーを代官山に開かれた
というところもありました。

ああ そう。
はい。 とか…。

でも 本当に可愛いですもんね。
はい。

もっと他のも見たいと思いました。

本当に いっぱいあるので…。
ねえ。

うん。 動物シリーズだったりとか

あとは野菜シリーズとか
フルーツシリーズだったりとか。

そんなの あるの?
あと 楽器シリーズだったりとか。

ええー!
はい いろいろ。

見たい。
今度 じゃあ お見せします。

セイン カミュさんは

7年前から
日本の伝統文化を学んでいる?

はい。
それは どういう?

えっと そうです… きっかけは
もっと前なんですけれども

その以前に 1回 誘われて
狂言をやらないかと。

狂言って… 僕 もう
狂言も 歌舞伎も お能も

全部同じ
ちょっと こう ゆったりとした

なんか 何言ってるか
よくわからない なんか こう

見てたら眠くなるような感じの
イメージだったんですよ

1回も見た事なかったもんで。

実際 行ってみたら

野村万蔵先生と
お会いする事ができまして。

よかった。
はい。

えっと…
まあ 話を聞いていくうちに

狂言は 日本の
お笑いの原点だという事で

あっ そうだったんですねと。

これ
舞台にお立ちになったの?

そうなんです。
そこから いろいろ 一緒に

仕事させていただく事に
なったんですけれども

7年前に ちょうど

外国人のための狂言
というのを提案されて。

その時に 「じゃあ 僕は
どうしたらいいんですか?」

って言ったら
「いや もう もちろん

狂言の良さを
英語で伝えてください」と。

また 万蔵先生も
説明がすごく上手なので

「初めて狂言を見たけども
とってもよかった」

「こんなに面白い日本の芸能が
あったなんて」っていう

もう フィードバックが
いっぱいありまして

やっててよかったなと思って。
よかった。

やっぱり 日本の
本当にいい文化というものを

海外の方に伝えるという事が

すごく大事だなと思ってまして。
そうそう そうそう…。

狂言って
ご興味あったりしますか?

私は 自分で
耳の聞こえない人たちの

狂言のグループを持っております。

あっ そうなんですか。
うん そう。

みんな 手話で狂言…
本当の狂言やる。

やっぱり
野村さんのところと同じです。

へえー! そんな…。
だから 私も

今まで知らなかったの。
狂言を あなたが

興味をお持ちだっていう事をね。
はい。

結構 なんだろう…。

国境を超える面白さって
あるんですよね。

やっぱり
600年前からやられてるので

間だったりとか
見ててもわかる面白さ。

それで
必ず面白さが同じなんですよね。

そうなんです。
同じところで 必ず 皆さん

笑ってくれるんですよね。
そうそうそう。

それを だから
もうちょっと こう

解説してあげたりとかすると

更に 皆さん どんどん こう
近付いてくるような感覚で。

それがきっかけで
また アメリカですね…

カナダにも
行かせていただいたりとか

文化交流的なもので
狂言を持っていった先で

僕も また 英語で
解説するわけなんですけれども。

もう スタンディングオベーション
いただいたりとか。

よかったですね。 そうですか。

本当やっててよかったなと思って。
よかった。

今度 うちの手話でやる狂言も

ぜひ 見にいらしてください。
お誘いしますね。

ぜひ お願い致します。
知らなかったから。

1回 一緒にやりませんか?
そうですよね。

「はっ はっ はっ
はっ はっ はっ はっ…!」。

そうそう そうそう…。
ねっ?

どうもありがとうございました。
セイン カミュさんでした。

『徹子の部屋』は