徹子の部屋 篠原ともえ[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 篠原ともえ[解][字]

~あの“シノハラ”が結婚報告&世界的な賞で2冠の快挙~篠原ともえさんが今日のゲストです。

◇ゲスト
16歳で歌手デビューし、独創的な“シノラー・ファッション”で一大ブームを巻き起こした篠原ともえさんが登場。
◇番組内容
2018年に芸能活動を一時休止し、習得しているデザインの知識を生かすべく、パタンナー技術をイチから勉強した篠原さん。2019年にはアートディレクターの池澤樹さんと結婚。翌年、夫婦でデザイン事務所を立ち上げた。そして今年5月、100年以上の歴史があるニューヨークの広告賞で、篠原さんのデザイン作品が銀賞と銅賞の2冠を達成したという。また、デザイナーになることを勧めてくれた吉田拓郎さんとの秘話も明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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   ごあんない

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(黒柳)16歳で歌手デビュー。

その個性的な
シノラーファッションが

世の中にブームを起こした

篠原ともえさん。

あれから 27年が経ちました。

現在は デザイナーとして
世界的な賞を受賞するなど

大活躍でいらっしゃいます。

それから ご結婚もなさいまして

まさに充実した40代の今を
語っていただきます。

よくいらしてくださいました。

しばらくでした。
よろしくお願いします。

お元気?
はい。

今日 楽しみにしてます。
もう 43になった…?

そうですね。
デビューして25年以上

本当に あっという間に
時が経ちましたね。

お世話になりました
デビュー当時も。

でも どうですか? 今は
そういうデザイナーとしてもね

世界的な賞を
おとりになったりなんかしてる…

ご自分の事を。
ええー…。

今の私を
きっと 当時の自分が見ても

すごい喜んでくれると思うので。

実は デビュー当時も
この腕輪ですとか

自分で作ったりですとか…。
あっ そうですってね。

このシノラーファッションの
アイデアは

自分自身で 似合うお洋服を着て
考えていたものだったので

洋服の世界に進む事は

自分自身の
大きな夢でもあったので。

なるほど。
今日お召しの そのお洋服は…。

はい。
やっぱり それ なんか…。

ちょっと立ってみていただいて
いいですか?

はい。 今日 ちょっと
徹子さんにお見せしようと思って。

版画を生地にプリントしまして

四角い生地で仕立てた
ドレスになりますね。

そこの… それが版画なの?
はい。

これは 私自身が作った
版画なんですけれども。

紙凹版といって…

普通は 銅板に彫って
インクを刷るんですけれども

私は 紙を彫って
その間にインクを詰めて 紙に…。

だから ビロビロ… ちょっと
ビロビロになってるのね。

そう… ちょっと独特な線の動きが
あるんですけれども。

これが面白いなと思って。

結構 感覚的に

こう 勢いでバーッと作って
そこの間に傷をつけて

インクを刷って彫るっていう
流れなので。

その 今 お召しになってるのは
それは 切れなの?

はい。 生地にして ちょっと

黒のインクが強く出るような
生地にプリントしまして…。

四角いので お作りになったのね?
そうなんです そうなんです。

だから そこが
四角くなってるのね?

そうなんです。 四角いんですけど
パッと下ろすと

こうドレープが出るっていう…。
いいわね うん。 本当 本当 素敵。

…仕立てにしてみました。
いかがでしょうか?

とても素敵です。
あっ うれしいです!

シャレてるっていう感じが
すごくします。

ちょっと 20代 30代でも
来ていただいてるので

その頃のVTRを ちょっと
見ていただいていいですか?

はい。 ぜひ。

「もう お母さん『徹子の部屋』の
大ファンなんですよ」

「なんか “あの『徹子の部屋』に
出たら 一流だわ"って言ってて」

「もう 今日 私 感激なんです」
「まあ ありがとうございます」

「上は 白いセーターの上に

この赤い こういうウールのものを
お召しなんですけど」

「後ろは開いてるんですね 後ろ…」
「そうなんですよ」

「これ ちょっとセクシーで
後ろを向くと

ほら
こうやって割れてるんです!」

「そうですね。
でも 後ろから見えてるのは

セーターですけどね。
裸じゃないんだけど…」

「同じ模様の
色違いをくださったんですけど

大好きなの ぶら下がるのが…」

「お好きなんですか?
うわー よかった!」

「ちょっとね このね
玉ころさんがね

徹子さんっぽいなと思って」

「可愛いらしいなと思って
生地 選んでる時に」

「こう 当てながらイメージして
デザイン…」

「こういうところも全部 あなたが
探してくださったんですってね」

「でも あなたは幼い頃から
学校の こういう ナントカ帳に

自分は 芸能人 デザイナーに
なりたいっていう風に…」

「あっ これか。
6年3組 自己PR」

「これ 小学校6年生の時の
自分の夢なんですけれど…」

「へえー!」
「芸能人とデザイナーに…」

「本当だ。 服を作るデザイナーに
なりたいって書いてありますね」

「どっちにもなれましたね」
「そうなんです」

「この時から
選べなかったんですけれども」

「なんか
選ばなくてよかったなって

両方かなえる事ができたなって」
「本当にね」

どうですか?
ご自分をご覧になって。

なんか 本当に あっという間に
時が過ぎてるんですけれども

その年齢に合った洋服
っていうのを

自分自身で作ったり
仕立てたりしているのは

もう 今も変わらないので。
なんか 自分自身では

シノラーファッションの延長かな
っていう風に…。

そうですか。
90年代って すごく

テレビのセットだったりも
華やかだったりしたので

そのセットに合わせて 自分が

どういう風なファッションを
するかっていうのは

すごくこだわりを持って…。

髪形を お団子にしようとか

前髪 ぱっつんにしようとか

まあ 顔にシール付けちゃおう
っていうのとか

なんか そういうアイデアは
本当に楽しみながら

自分自身をデザインしていたような
感覚ですね。

そのあと ユーミンさんとか
他の方の衣装も

デザインなすったりなんか
したんだけども。

芸能活動の方 休止して
大学へいらした?

うん。 そうですね。

2018年に芸能活動を ちょっと

レギュラーとか
お休みさせていただいたり…。

ものづくりに集中する時間
っていうのを作ったんですね。

で もともと 10代の時も
芸能活動をしながら

大学へは
進学してたんですけれども

その時はデザインを専攻していて。

大人になったら
もう1回 パターン…

洋服を作ったりするスキルを
上げるために

もう一度 学校に通い直しました。
ああ そう。

そうしたら 得るものありました?

すごく勉強になりましたね。

自分自身の
オリジナルの作品っていうのを

どう突き詰めて作り上げるか
っていうのを向き合いまして。

それで 着物から
インスピレーションを得て

四角い生地で
余す事なく使い切って

作品を作るっていうところに
たどり着きましたね。

答えが見付かったので

学ぶ時間を自分自身で作って
よかったなっていう風に

すごく思います。
その間に ご結婚もなすって?

おめでとうございました。
そうなんです。

お相手は どういうお仕事を
してらっしゃる方なの?

アートディレクターをしている
池澤樹さんなんですけど。

あら いいわね うん。
フフフ…。

デザインを
仕事にしている方だったので

気も合いまして
で 結婚して…。

まあ 彼も

会社に勤めてたんですけれども
独立して。

で 私自身も

デザインを ちょっと…
挑戦していきたいなという事で

2人で 2020年に
会社を立ち上げて。

あっ お二人で?
はい。 作りました。

じゃあ ご主人が社長?
そうです。

私は副社長になるんですけど。

まあ いつまでも 自分自身たちが

学びながら進んでいこうっていう
思いの中で立ち上げました。

なるほど。 でも このコロナ禍に

ちょっと思いきった
っていう感じはあるでしょ?

そうなんですよ。

本当に張り切って
デザイン会社を作って

すぐに
コロナ禍になってしまって

こう 思うような仕事が
来なかったりとか…。

すごく不安な中での
会社設立だったんですね。

でも 彼自身が

小さな仕事も
大きな仕事も関係なく

一つ一つの仕事を
しっかり育てていけば

必ずいい仕事につながるから
っていう風に

デザインの面でも
すっごくアドバイスをもらって

それが かなり力になって

今の仕事につながっていますね。

5月には なんか
あなたがデザインなすった作品が

世界的な賞を受賞なすって…?
はい。

どんな賞ですか? それは。

これは 100年の歴史がある
ニューヨークADC賞という

広告賞なんですけれども。

作品が 『ザ・レザー・スクラップ・キモノ』
という作品…。

これ あなたが
お作りになった…。 革で?

はい。 革で。
『ザ・レザー…』。

なんの革です?

これはですね
エゾジカの革ですね。

あら キレイ。

森林被害防止のために捕獲された
動物たちの皮

または ジビエとして
食用のお肉から生まれた

副産物である皮を

このように
着物に仕立てたんですね。

あそこは染めて…
染めるとこは もちろん染めて…。

そうですね。
これは職人さんとの

コラボレーションの作品に
なるんですけれども。

革工場に伺った際に…

革の端って すごく
独特な形をしてるんですよね。

キレイな形なんですけれども
製品化する際に

その革の端はカットして…。
捨てちゃう?

そうなんです。
捨てちゃうんですね。

なので その革の端を
1枚1枚染めて

動物たちが暮らす
山並みに見立てて…。

今日
革を お持ちしたんですけど…。

今 ここに あるんですけど
ちょっと ご覧くださいませ。

こんなキレイ…。
これ 1枚の革なんですね。

はい。
裏は ちょっと こんなになって。

裏って こんなに白いのね。
そうなんです。

革だから すごい丈夫そうなのね。

はい。 薄くても丈夫なんです。
触ってみて いかがですか?

これ なんてキレイに
染まるんでしょうね。

すごいですよね。

締まった黒にするために

ちょっと青みがかった
黒にしたりですとか。

もともとは定年退職された
職人さんだったんですけれども

その職人さんに
お願いしたいという事で

本当に熟練の技を
披露していただきました。

すごいキレイな色ですよね。

ここにも ありますけども。
はい。

こんなに薄い… 薄い革なのね?
薄いんです 0.46ミリ。

0.46ミリ? 確かに薄い。

なので 実際仕立てた着物も

革なんですけど すごく軽くて
着物より軽いぐらい…。

あっ そうなの。
とっても着やすくて。

ちょっと ここに置いときますね。
はい ありがとうございます。

手に取っていただけて
うれしいです。

これは どういう事から
考えついたの? こういう事を。

私の祖母が

着物のお針子さんだった
という事もあって

着物に仕立てたいという思い

そして この山並み…
革の端を山並みに見立てて…

一枚絵の力強いビジュアルは

主人である池澤に
いろんなアドバイスをいただいて

ビジュアル作りを
していったという…。

さっきの着物が
もう1回 見られますかね。

キレイ! キレイね。 ねっ?

うれしいです。
まあ キレイ。

この景色というのは ちょっと

水墨画を
イメージしたんですけれども。

シミュレーションする時に
1枚1枚 革の端をスキャンして

どういった景色がキレイかな?
っていうのを

本当に
3カ月ぐらい時間かけて…。

でも こういった自分たちの挑戦が
世界の方に届いて

職人さんの思いとか伝統が
橋渡しできる…。

ご両親は 東京の青梅市で

お寿司屋さんを
やっていらっしゃる?

はい そうです。
お父様のお寿司は

おいしいですか?
もう すごくおいしくって

ネギトロとか もう…
お父さんの料理は

本当に 私の元気の源でしたね。
そうですか。

でも お父様が 突然 魚料理を
教えてくださったのには

お父様の思いが
あったんですって?

はい。 結婚を機に 私自身も

もう これまでより ずっと
料理をする事になったので。

まあ 10代は
芸能活動もしていましたし

あんまり 料理を教わる機会
っていうのは なかったんですね。

でも 今は 実家に帰ると

私のために お寿司を
目の前で握ってくれるんですよ。

うわあ いいんだ! ハハハハ…!

子どもの時に見えてなかった
父の この 作る…。

手付き?
そう!

手付きが もう
あまりに華麗で

ビックリしちゃったんですね。

なので 父は職人としては
もう引退してるんですけれども

でも 私にとっては
もう 永遠の職人…。

この手仕事が
私のDNAに流れてるって事が

すごく誇らしいですし…。
なるほどね。

今は お魚のさばき方とか聞いて

「ちょっと 私も
お寿司 作ってみようかな」

なんて言って 相談して…。

三枚下ろしとかいうのにも…
あなた できるんですって?

そう…。
まあ アジをさばいたりですとか。

これは 父が 魚の皮の間の…

ネギトロを…
いつもスプーンで取って

おいしいお寿司
作ってくれるんですよ

軍艦巻きで。 それを ちょっと
まねしてみようと思って…。

これ
あなたが お作りになったの?

これ
私が握ったお寿司なんですけど。

まあ
父のまね事ではあるんですが

こうやって 今 教えてもらって
お魚をさばいたり…。

ああ そう。
はい。 ちょっと挑戦していますね。

でも ご両親は
とっても仲がいいんですってね?

はい。
父が営んでいたお寿司屋さんを

母が手伝って
切り盛りしていたので。

なんか 2人が…

時々 けんかもしながら
でも 仲良く一緒に働いてる姿は

すごく
今も目に焼き付いてますね。

そう。 じゃあ あなたがご主人と
会社 お作りになったの

同じような感じ?
そうです。

私も 会社 作る時に
芸能活動を休んで…。

会社 作るって 本当に
これまでない経験なので

すごく不安だったんですね。
ええ。

母親に ちょっと相談すると

母が
「自分の人生を振り返ってみても

お父さんと一緒に働けた事が

自分の人生の中でも
一番楽しかった」って…。

ああ そう。
そう言ってたんですね。 だから

「あなたたちと 自分で…
父と一緒に働いた事は

私の誇りなのよ」なんて
教えてもらった時に

じゃあ 私も頑張れるかな
っていう風に

背中を押してもらえましたね。

お母様のご出身は
青ヶ島っていう所ですって?

そうなんです。
伊豆七島の最南端の

青ヶ島村という…。
うわー! すごい自然ね!

大自然…。

おばあ様は お針子仕事と

島の最高巫女っていう…
巫女さん?

はい。 巫女さんを
やっていましたね。

着物のお針子も
やっていたんですけど…。

これ おばあちゃんですね。
ああ そう。

はい。 これ 私が青ヶ島で
コンサートをやった時に

着物で見に来てくれて

手たたいて
喜んでくれましたけれどね。

よかった よかった
そうですか。

おばあちゃんが着物を仕立てて

お祭りなんかに
参加してる姿を見て

なんか 私も
着物に興味を持ったりですとか

ものづくりに向き合う
きっかけにもなっているので

なんか そういう…

ご先祖様に
すごく力をもらってますね。

おばあ様の丁寧なお仕事…
着物を作る時の。

そういう
丁寧な仕事ぶりというのも

非常に受け継いで
いらっしゃるんですって?

はい。 おばあちゃんが…

ひいおばあちゃんに作った
着物っていうのが

今 私の手元にあるんですけど

すごく丁寧に仕立ててあって…。
ああ そう。

私も この着物のように
世代に残せるものを

いつか作っていきたいな
っていう思いで

ものづくりに取り組んでますね。
なるほどね。

でも 青ヶ島っていうのは
本当に美しい島なんですって?

キレイですね。

椿が なんか 有名?
はい。

伊豆七島全体で 椿の花が
よく咲いているんですけれども

その椿をめでたりですとか…。

伊豆七島に歌われている
数え歌があるんですけど

「椿は島の恋の花
末は油で愛される」

っていう歌なんですけれども。

すごい。
素敵ですよね。

これは
花の一生を歌った言葉で…。

椿っていうのは

最初は
花として美しくめでられていて

でも 晩年は実をつけて
それが椿油になって

人の生活の役に立つよっていう

花の一生を歌ってるんですね。
すごい。

私も10代は
歌手としてデビューして

いろんな人に 見て

華やかに
応援してもらいましたけれども

今は 自分のものづくりを通じて

誰かの気持ちだったり
社会だったり 環境だったりに

役立つような活動を
していけたらいいなっていう…。

なんか その言葉に
すごく力をもらえた…。

そうですね。 世の中の なんか
役に立つって おかしいですけど

世の中に通じる仕事
っていう事ですよね。

なんか その思い… 原点が

この島にはあるなっていう風に
思います。

最近 吉田拓郎さんと
お仕事なさって。

はい そうなんです。 拓郎さんは

KinKi Kidsさんと
一緒に

音楽番組で出会ったのが
きっかけなんですけれども…。

1996年頃ですね。

あら! こんな事して?
そう…。

拓郎さんが同じポーズ
してくれたんですけれども。

今 こうして
一緒に ものづくり…。

拓郎さんが最後のアルバムを
発売されるという事で

それのレコードジャケットの
イメージの衣装デザインと…。

ああ そう。
あと アートディレクションを

今回 私が
務めさせていただいてるんですね。

これ そうですか?
はい。

『ah-面白かった』という

タイトルの作品なんですけれども。

拓郎さんのお母様と

奥様である
佳代さんのお母様のイメージを

一枚の作品にしたいという事で

女優の奈緒さんがモデルを務めて

この衣装デザインも
させていただいてます。

なんか
つま恋で撮影したんですって?

そうなんです。
拓郎さんが 1975年に開催された

伝説のフェスといわれる
つま恋フェスで

撮影したいっていう風に

拓郎さんが
リクエストをおっしゃって…。

「よろしくお願いします」
(篠原・奈緒)「お願いします」

「じゃあ やりましょう」

私も現場に行って
撮影を一緒に務めました。

あっ そうなの?
はい。

すごい気に入ってる作品です。
そうですか。

出来上がりは どうでした?

拓郎さんと ものづくりをできる
っていうのが

すごくうれしかったですね。

拓郎さんは 私がデビュー当時の

歌を歌ったり
テレビに出てる頃から

「篠原 お前
いつか デザイナーになれよ」

っていう風に言ってくれた

唯一の人だったんですね。
ああ そうなの!

当時 私は
デザイナーになりたいけれど

いろんな事をやりたかったので…
夢を選べない状態だったので…。

まあ 両親ぐらいにしか

デザイナーになりたい
っていう事を 相談…。

当時は こんな感じでしたかね
あなたね。

そうだったんです。

でも 本当に この時に
拓郎さんが

「篠原の洋服は 僕も見ていて
楽しい気持ちになるから

この自分のアイデアっていうのを
いろんな人に届けてあげなさい」

「それが君の仕事だよ」
っていう風に…。

すごい。
すごいですよね。

よく見通していらした
って事になりますよね。

一番最初に見通してくれた人
なのかもしれませんね。

でも そうすると
恩人の最後のアルバムに

参加できたっていうのは
うれしかったでしょ?

まさか 声をかけてくれるなんて
思わなかったので。

でも 拓郎さんのイメージが…

すごく
しっかり届けてくれたので

本当 それに導かれるように
私も尽力しようと思って

愛を込めて
参加させていただきました。

実はね 拓郎さんから
メッセージがきてるんです。

あなたに。
本当ですか?

読みます。
はい。

いいですか?
はい。

ああ…!

「吉田拓郎」
フフ…。

ありがとうございます。
すごい… 素敵。

いやあ… ラブレターですね。

フフフ…! 本当ね 素敵。
うれしいです。

どんな気持ち?

胸が いっぱいになりますね。
本当に 拓郎さんとは

いろんな思い出が
あるんですけれども…。

そうやって
自分の最後のアルバムに

声をかけてくださったり

今の私の活動を
すごく温かく見守ってくれて…。

本当に なんか
尊敬するアーティストであり

ものづくりの なんか
師匠という感じがするので

これからも…

このアルバムを最後にって
おっしゃってますけれども

こう 追いかけたいなって…。

ものを作っていく姿勢…
力強い姿勢っていうのは

一緒に お仕事をさせていただいて
本当に勉強になったので

ずっと 仲良くしていたいな
っていう風に思ってます。

ちょっと 感動させないください
拓郎さん。

すごい なんか
うれしくなっちゃいました。

よかったわね。
はい。

ありがとうございます
読んでくださって。

今後 目指すデザイナーの仕事って
どうなりますかね?

今は1人ではなく

池澤さんとチームで
ものづくりをしているので

和を大切に
一つ一つの取り組みに

進んでいきたいなっていう風に
思っていますね。

なるほどね。
芸能活動の方は どう?

芸能活動は
デザインの延長線にある…

自分が表に出る事で

誰かの背中を押せるっていう風に
信じているので

ものづくりする姿を皆さんに…

出る事で見守っていただけたらな
っていう風に思います。

どうぞ ご主人とご両親に
よろしくおっしゃって…。

はい ありがとうございます。

なんか 胸が
いっぱいになっちゃいました。

版画をプリントしたっていう
お洋服をね

四角い切れで
お作りになってみたっていうのは

とっても面白いと思いますよね。
ますます ご活躍ください。

どうも。
はい 応援してください。

『徹子の部屋』は