証言者バラエティ アンタウォッチマン![字]…の番組内容解析まとめ
出典:EPGの番組情報
証言者バラエティ アンタウォッチマン![字]
“今、見たい実力派芸人”を取り上げ、彼らの時代を目撃した証人(=ウォッチマン)たちの証言から、“面白さの秘密”を分析していく“証言者バラエティ”!
◇出演者
【MC】アンタッチャブル、サンドウィッチマン
◇おしらせ
☆番組HP
https://www.tv-asahi.co.jp/antawatchman/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
バラエティ – お笑い・コメディ
福祉 – 文字(字幕)
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〈芸人が出した歌
〈振り返ると
昭和から平成 令和まで
数々の名曲が
芸人ソングから誕生〉
〈今回 番組では
芸人ソングから見えてくる
お笑い文化を深掘りしていく〉
(古坂)きました。
(山崎)出た!
この曲は もうね…。
本当 名曲ですよね。
ああ 俺 もう 持ってたわ。
(柴田)そうそう そうそう。
ああ 確かに。
(柴田)『ナウ ロマンティック』!
『ナウ ロマンティック』。
♬~「Let’s Now Romantic」
♬~「Let’s Get Now Romantic」
これ でも 驚いたよね。
これは驚いた。
驚いた。 テイ・トウワだもん。
〈今回は 芸人ソングの
ルーツと舞台裏を探るべく
その ど真ん中にいた人たちに
証言を求めた〉
当時は なんか
まだ やっぱ 20代やったんで
多分 照れがあったと思いますね。
芸人が そんな真面目に…
真面目にというか
歌うの どうなの? みたいな。
〈更に スタジオでは
世界で大ブームを起こした
ピコ太郎の生みの親
古坂大魔王も一緒に深掘り!〉
作り手も まあ 一流だから。
(柴田)ああ そうですよね。
〈それでは スタート〉
〈まずは 80年代前半から〉
〈当時のお笑い界は
『THE MANZAI』など
今でも語り継がれる
人気お笑い番組が次々に誕生〉
〈芸人がテレビスターとして
市民権を得ていた頃…〉
〈そんなスター芸人だけの特権が
歌手デビューだった〉
やっぱ たけしさんね。
(伊達・柴田)B&Bさん。
『恋のぼんちシート』は知ってるな。
『恋のぼんちシート』は
もう これは 一世を風靡した…。
〈例えば
アイドル的人気芸人の元祖
B&B〉
なんでも 少ない方がええ。
剣道でも 初段 7段 8段…。
ほんなら 前科7犯 8犯やったら
8犯の方が悪いやないか アホ…。
早いね。
(柴田)早いね。
〈当時 若い女性に大人気〉
〈ブロマイドの売り上げ
俳優部門では
そうそうたるアイドルと並んで
第3位〉
〈そんな彼らの曲が こちら〉
(富澤)『恋のTake3』。
そうそう そうそう!
知らないでしょ。
(柴田)4歳だぜ 山崎。
すごい先生方が
書いてくれてる。
売れたんだろうね。
すごいね。
(柴田)
ねっ 本当ですね。
〈続いては 武道館で
初めてライブを行った漫才師
ザ・ぼんち〉
♬~「そうなんですよ」
これは聴いてた。
これも だから
ワイドショーの
パロディなんだよね。
「そうなんですよ」
っていうやつ。
(柴田)これ ネタでも
結構やってたから
覚えてるんでしょうかね 我々。
そうそう そうそう。
すごいよね。
いい曲なんだよ。
いい曲なんですよ。
いい曲なの。
〈そして なんといっても
こちらの名曲〉
本当 名曲ですね。
たけしさんが歌うのが いいよね。
本当にある所だからね
これ。
そうなんですよね
浅草の。
〈実は たけしさんは
『浅草キッド』を出す5年前に
ある伝説の音楽ライブを
行っていたんです〉
〈それが…〉
〈日比谷の野音で行われた
フリーライブ〉
野音だ。
〈例えば
豪華だね!
すごい。
〈その貴重な音源レコードを
番組は入手〉
〈41年前のライブの様子が
こちら〉
えっ? その音源があるの?
すごい。
レコードだもん。
もう これ 声で
みんなわかってるんだ。
(柴田)山田邦子さん。
いいね。 すごいね。
片岡鶴太郎さんが
つなぎ。
すげえ。
〈そして
ライブの最後は
たけしさんの歌〉
〈持ち歌の
『いたいけな夏』と
ロッド・スチュワートなど
洋楽を披露した〉
髪形は
こっち側 マネしてんだ。
あっ そういう事なんだ。
ロッド・スチュワート方面なんだ。
(柴田)結構 ロックな…。
そうでしたよね でもね。
確かに なんで
この髪なんだろうってね。
すごい。
(柴田)いやあ すごい!
こんな歴史があったとは。
すごいね。
売れた人しか
やっぱり 曲は出せないから。
やっぱり 売れた人の特権
みたいなとこ あったよね。
作り手も まあ 一流だから。
すごかったですよね。
『およげ!たいやきくん』の…。
ねえ 本当 そうですよ。
すごい事でしたよね。
とんでもないプロジェクト。
それではですね 続きのVTRを
見てみたいと思います。
お笑い界から
ミュージックスターが誕生します。
どうぞ。
〈人気芸人に許された特権として
芸人ソングが
誕生した
80年代
前半〉
〈続いて 80年代後半は…〉
〈お笑い第3世代をはじめ
バラエティー番組で活躍した芸人たちが
ヒットソングを連発〉
〈その中でも 音楽界に
たくさんの偉業を打ち立てた
コンビが…〉
〈アーティストとしても
地位を確立
とんねるず〉
別格ですよね。
ちょっと違うよね。
『一気!』だ。 10歳の頃だ。
うわあ…
懐かしい。
むちゃくちゃな
歌だな。
「飲めぬ下戸には
ヤキ入れて」。
(柴田)2人を象徴してるよな…。
素晴らしい。
ああ…
すごいね。
格好いいわ。
(柴田)すごいですね。
パンクロックだよ。
いやあ すごいね。
(柴田)当時
よくわかってなかったけど。
♬~「押忍!」
〈そんな とんねるずの魅力は
ジャンルにとらわれない
自由な音楽性〉
♬~
ああ 俺 もう 持ってたわ。
「今晩は石橋です」
「木梨です」
うわー 全部知ってるな これ。
(石橋)「この曲を頂いて
初めて演歌の心を知りました」
(木梨)「この曲に賭けてます…」
ノリさんがうまいのよ また。
うまいね。
「ずるひ」っていうね。
西麻布って
これで知ったもんな。
(柴田)そうそう…。
ああ 確かに。
なんなんだろうと
思ったよね 西麻布。
いつも
雨降ってるのかなと…。
あっ きた!
これも当時は懐メロなんだよね。
はあー!
(柴田)懐かしい!
格好いいな。
1年に1曲 出してるんだ ずっと。
本当ですね。
毎年 しかも ヒットしてますよね。
うん。
全部 トップ10入りしてるからね。
すごいですね。
今みたいに
『嵐のマッチョマン』は 暴れよう。
『雨の西麻布』は
しっとり 演歌歌手みたいに。
「皆さん どうも こんにちは」
っていうコントをする。
歌ってる姿が やっぱり ちょっと
コントの一部
みたいな感じでしたもんね。
「こういうキャラクターの2人が
出てきたら面白い」じゃないけど
なんか
そんな感じではありましたよね
とんねるずさんってね。
〈唯一無二の魅力を放っていた
とんねるず〉
〈そんな彼らの偉業が…〉
〈その曲が こちら〉
これね。
ああ 『情けねえ』。
これもCD持ってた。
(柴田)CDね
持ってた 俺も。
すげえ
いい歌なんですよね。
歌うまいんですよ
お二人が。
最後 これで終わったからね
あの番組も。
そうね。
そうですね。
「バラエティーを終わらせるな」
っつってね。
泣いたね。
(柴田)なんか
思い出しますね…。
そうだね。 この歌ね。
(柴田)「バラエティーを
終わらせるなよ」。
これが すごい…。
ああー! デュエット?
デュエット的な感じが。
〈そんな偉業を打ち立てた
とんねるずは
こんな遊び心のある曲を
世に送り出していた〉
〈その曲は 2ndアルバム
『仏滅そだち』の1曲目〉
〈再生ボタンを
押してみると
何やら
ひそひそ声が〉
これ やられた。
〈それが
こちら〉
(ひそひそ声)
おおー ビックリした。
これ 本当にビックリしたわ。
(富澤)なんつってんだろう?
っつってね。
それで ブワーッて…。
そうです… 本当にビックリした。
〈そんな とんねるずは
東京ドーム単独コンサートを成功させ
アーティストとして唯一無二の
異彩を放っていた〉
いやあ…。
なんか 懐かしいな。
きたね やっぱり。
そうですね。
この中に
僕は 入れてはいけないというか
別に 上 下ではなく
とんねるずさんで
できるぐらいね 1本ね。
お笑いが歌うと…
特に こことかも
歌 出してるかもしれないけど
ちょっと照れるじゃない。
まあ そうですね。
まあね 照れますよ そりゃ。
歌じゃねえよみたいな。
お笑いだよと。
音楽は 格好付ける仕事だから。
(柴田)うん 確かに。
お笑いって
格好悪くする仕事だから。
そこは とんねるずさん
関係ないからね。
バチバチの衣装着て
バリバリ格好いい格好して。
〈とんねるずが
芸人ソングの格好良さを示した
80年代後半に対して…〉
〈バブルが崩壊した90年代〉
〈当時のお笑い界は
『ボキャブラ天国』
『電波少年』シリーズなど
〈まず 聴いていただきたいのは
芸人ソングではなく
1994年
日本人によるヒップホップ作品で
初のミリオンセラーを獲得した この曲〉
ああー!
YURIちゃん 可愛かったね。
〈この曲のヒットで
「DA.YO.NE」の部分を
全国の方言で言い換えた
ご当地版パロディソングが
続々リリースされた〉
♬~「それって
絶対二股やで」
今田さんとかじゃない?
今田さん 入ってるよね。
(柴田)今田さん 東野さん…。
東野さんね。
すごい。 オリコンチャート
最高6位までいってるんだ。
本家超え!
〈なぜ ご当地パロディソングが
生まれたのか?〉
〈当時を知る関係者が
証言してくれた〉
誰?
今田さん!
嘘!
〈当時 『SO.YA.NA』を
歌っていた
WEST ENDのメンバー〉
『DA.YO.NE』が
こう バーッてなってて。
これ 大阪とか全国で
いけるやん! ってなって
やったらええやん!
みたいな感じです。
ゲストで出て トークしてて
できるやん!
やったらええやん! みたいな。
(スタッフ)結構 ノリみたいな感じ
だったんですか?
今田さんのひと言が。
それで 吉本が 多分
「大阪版 やりませんか?」って
後日 言われたんかな。
(スタッフ)嫌々?
(今田)はい。
その時は 歌 出すとか恥ずかしい
っていう時期じゃないですか。
あら。
(柴田)「芸人思春期」。
ダウンタウンさん一派なんで
やっぱ 我々は。
あとあとありますよ 今田さん。
〈そんな ラジオ番組のノリから
生まれた
ご当地パロディの波は全国へ〉
「そーたい」。
そうですね。 華丸さんですね。
おたこぷー!
おたこぷーさん。
おたこぷー…。
(柴田)地元を代表する
やっぱ タレントさん…。
♬~「だっちゃねー だっちゃねー」
ハハハハ…!
えっ?
嘘! 奥さん!?
誰の?
〈実は こちらの
東北版
『DA.CHA.NE』を
歌っているのが
当時 岩手めんこいテレビ
アナウンサーだった
伊達さんの奥さんなんです〉
ちょっと待ってよ!
ハハハハ…!
何? 『DA.CHA.NE』!
ハハハハ…!
(柴田)自分プレゼンじゃないよね
これ。 本当に やめて!
何がですか?
奥さん物件よ これ。
(柴田)そんな事ないから。
「恥ずかしい 恥ずかしい」…。
結構 売れたじゃん。
ねえ。
もちろん知ってました。
はやってましたもん。
俺 CD持ってました。
えっ すごい! CD持ってるんだ。
ハハハハ…!
内緒にしてましたし。
あっ そうなんだ。
そうです そうです そうです。
(柴田)ハハハハ…!
すげえね!
〈話は戻って 芸人ソング〉
〈WEST ENDで
ブームを作った同じ年
今田さんは 本格的な
音楽プロジェクトを始動させる〉
〈それが…〉
いやあ これは すごいよね。
(柴田)『ナウ ロマンティック』!
『ナウ ロマンティック』。
細いな 今田さん。
これ でも 驚いたよね。
これは驚いた。
驚いた。 テイ・トウワだもん。
世界の。
本当。
(柴田)テイ・トウワの
すごさみたいなの
俺 あんまり わかってなくて。
こういうので…
これが出て みんなが
「すごい すごい」言い始めて
知ったぐらいの感じですよ
逆に。
俺らも… Deee-Liteがいたから。
俺は 日本人とは思ってなかった。
もう 洋楽の人…。
〈芸人 今田耕司とは
かけ離れた
〈そのキーマンは
90年に全米を沸かせていたDJ
テイ・トウワという人物〉
〈アメリカの
ビルボードポップチャートで
4位を獲得と
成功を収めていた彼は
94年に帰国し
活動の拠点を日本に移した事で
この曲が
誕生したというのだが…〉
「どういう音楽 好きですか?」って
言うから
僕 洋楽 結構 80年代とかは
10代 聴いてたんで。
ニューロマンティックって
いわれてる音楽なんですけど。
ちゃんと
〈更に
〈今田耕司が
KOJI 1200の名曲
『ナウ ロマンティック』誕生秘話を
証言〉
「どういう音楽 好きですか?」って
言うから
僕 洋楽 結構 80年代とかは
10代 聴いてたんで。
ニューロマンティックって
いわれてる音楽なんですけど。
多分 そこで
今田の「今」と もじって
『ナウ ロマンティック』
っていうのを
多分 テイさんが
作ってくれはったと思います。
ちゃんと…。
俺ら やっぱ…
テイ・トウワってさ
世界のスターなのよ やっぱり。
(柴田)はいはい。
このジャンルは まあまあ 当時
やっぱり 最先端なので。
僕
僕 もう デビューしてますから。
やりたいなって 自分も。
いいな ああいうの…。
当時 だから そういう曲
僕も作ってましたから。
ああー!
へえー!
〈当時 センセーショナルだった
KOJI 1200は
音楽番組にも多く出演したが…〉
〈その際
ミュージックビデオ撮る時とか
そういう時は
もう すごいスタッフさんを
テイ・トウワさんっていう
その時のプロデューサーさんが
集めてきたんですけど。
ハハハハ…!
してくれないの? メイク。
カツラも なんか すごい変な…
変な店の人みたいな なんか…。
でも 生歌やったんで。
カラオケやと思ってたんですよ。
カラオケっていうか…。
本当に…。
(柴田)本当だ。
メイク なんか おかしい。
〈KOJI 1200
『Mステ』貴重映像〉
(柴田)本当だ。
メイク なんか おかしい。
全然違うな CDと。
いんぐりもんぐりみたいに
なっちゃって。
♬~「oh いしゃ料だとか」
〈確かに
CDジャケットと比べると
仕上がりに差が〉
〈あと 普通に
歌詞を間違えていました〉
ノリノリで できますけどね。
〈売れっ子芸人だけに許された
特権 芸人ソング〉
〈ここには もう1つの特権があり
売れっ子だからこそ
最高のプロデューサーたちと
タッグを組む事が許されていた〉
〈そして
その最高の制作陣によって
今でも色あせない名曲が
生み出された〉
〈そして 次回…〉
次回はですね… はい 90年代以降。
うわっ!
番組をきっかけに生まれた
ヒットソング。
例えば ポケビとか ブラビとか。
はいはいはい。
(柴田)あと 藤井隆さん…。
あの辺なんかの証言も
ございますのでね。 はい。
それでは 次回 90年代 後編で
お会いしたいと思います。
さようなら!
さようなら!