徹子の部屋 海洋冒険家・堀江謙一[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 海洋冒険家・堀江謙一[解][字]

~生涯現役!83歳で偉業を達成~海洋冒険家・堀江謙一さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
60年前、23歳の時に日本からサンフランシスコへと世界で初めて小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断を成功させた海洋冒険家・堀江謙一さんがゲスト。
◇番組内容
今年6月にはサンフランシスコから日本へ、世界最高齢83歳で小型ヨットによる単独無寄港の太平洋横断を成功させた堀江さん。70代になり長期の航海は引退も考えたが、80歳を過ぎた頃から最近の進化した計器を使えば「まだいけるかもしれない」と思い、妻に相談したという。長い航海中、迷惑をかけるのは日本に残る家族…妻の許可がなければ今回の航海もできなかったと語る。また航海中、動画の自撮りにも初挑戦したという。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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(黒柳)今年6月

世界最高齢83歳で

ヨットによる 単独無寄港

太平洋横断を成功させた

海洋冒険家の堀江謙一さん
今日のお客様です。

どうぞ こちらへおいでください。
はい。

ようこそ おいでくださいました。

23歳の時に太平洋を横断し

『太平洋ひとりぼっち』って
大変…

ご本も出て
大変だったんですけども

よくいらしてくださいました。
ありがとうございます。

現在 84歳でいらして。

で 83歳で世界最高齢

ヨットによる

単独無寄港の太平洋横断を
成功なさいましたが。

すごい。 ただ ご自分では

特別な人だという風には
思ってらっしゃらない…?

はい。 まあ ヨットマンで
いいと思いますね はい。

ヨットマンでいいんじゃないかと
思うんですけど

みんなは
海洋冒険家という事を…。

まあ ご自分から 海洋冒険家と
名乗った事はないと。

だけど 皆さんは まあ
そうおっしゃるんですけど。

でも なぜ その年で
挑戦なさろうと思ったんですか?

まあ そもそも 60年前に

僕は23歳で
太平洋を航海したわけですけど。

それから まあ 60年後にね

このような航海をするとは
考えてもいなかったんですけれど

まあ 69歳の時に
もう 大体 ヨットの航海は

これで やめようかなという事で

10年以上も 静かに
暮らしてたわけなんですけれど。

10年以上 経ってきますとね

やっぱり ヨットマンというのか
挑戦者としてのね

マグマがたまってきましてね。
フフフフ…。

元気だったものですから

今 チャンスじゃないかなと
思って

今回
挑戦させてもらったわけです。

奥様に相談なさいました?
はい。

やっぱり
許可をいただかないとですね

なかなか
美しくいかないものですから。

なんとおっしゃいました?
そしたら。

まあ いつもそうですけれど

反対してるわけではないんですが

やはり 心配はしてると思います。
そうですよね。

ただ まあ
心配してると思いますが

それなりに 信頼も
あるんじゃないかと思ってまして。

そうですか ええ。
まあ… 計画をね 相談したら

反対された事は
結果としてはないんですけどね。

まあ だから 日頃の行いが
いいからかなと思ってますけど。

そうですか。 でも

最初に太平洋を横断なさったのは
60年前ですから 23歳の時。

この若さですね。
まあ この時 大変… もう

『太平洋ひとりぼっち』
っていうので

ベストセラーになって
本が出たりとか

石原裕次郎さんが
映画になすったりとか

大変だったんですが

これ マーメイド号って…
初代?

初代です。 はい。
マーメイド号。

ええ… これ
確かに ちっちゃいですよね

これだけって。
まあ 小さいんですけど

一応 今回も この同じ大きさで
やったわけです はい。

当時のニュース映像があるので

ちょっと
ご覧いただきましょうかしら。

(ナレーション)
「太平洋を 単身 ヨットで横断」

「一躍 若きヒーローとなった
堀江謙一君が

12日夜
4カ月ぶりに帰国しました」

(堀江)「皆さん
ただ今 帰ってまいりました」

「出発以来 4カ月目
祖国に帰ってまいりまして

感無量で言葉がありません」

(ナレーション)「若い英雄を迎えた
14日の伊丹空港」

「あちら仕込みのジェスチャーで
応える堀江君に

歓迎人からは
拍手と どよめきが起こりました」

「待ち受けていたのは
国賓並みの歓迎スケジュールです」

国賓並み。 すごい!
ハハハハ…!

(ナレーション)「やっとの事
この日の日程を消化して

我が家に たどり着いたのは
もう 日暮れ時」

「それでも 浴衣に着替えて

4カ月ぶりの畳の感触を
楽しめば

やっぱり 自分の家はええな
というところ」

あの時のご感想は どうでした?
ご自分の。

なんとなく
気恥ずかしい感じがしますね。

でも まあ
無事にお帰りになった時は

うれしかったんじゃないですか?

そうですね。 まあ あの…
帰った時というよりも

やはり サンフランシスコに
無事 着けたというのが…。

初めはね。
一番ですね。

そうですよね。 初めの時は
こっちから向こうへ

いらしたんですもんね。
そうなんです はい。

それで 今回は 60年前と逆に
サンフランシスコから日本に?

そうなんです。
逆のコースなんですね これは。

何日間かかったんですか?
全部で。

今回は69日間なんですが。
ええ。

60年前は 94日かかったんで…。

随分… 1カ月ぐらい違います?
違いますね。 まあ…

ヨットの性能も
違ったと思いますし

だんだん やっぱ あとになるほど

ヨットの完成度も
高まってきたんだと思いますね。

なるほど。 随分違いますね。
はい。

今回 日本到着は
真夜中だったので

真夜中に日本に着いて…。
あっ この時ですか?

暗いですよね。
そうですね! はい。

ゴールなすって。

それで 奥様に
お電話なさったんだけど…。

はい。
フフフ…!

まあ 本来はね 報道関係の方は

昼間の方を
期待されてたみたいですけれど

しかし もう こっちもね
もう そんな事は

言ってられないですから。
そうですよね。

もう 時間にはね 関係なく
ゴールするつもりで…。

そうですよね。
はい。

それで あそこで
奥様 電話なすったら

寝てらしたのかしら?
夜だからね。

それとね 場所がね… 携帯が

圏外とギリギリの場所なんです。
そうだったんですか。

ですから 携帯が使えない場合は
衛星電話とかね

そういう事の繰り返し
ってわけですね。

今のあそこは
どこだったんですか?

あれはね あの…

和歌山の
日ノ御埼というところと

四国の伊島という
小さな島がある

その間の見通し線ですね 結局

その間なんですが。

紀伊水道の
入り口になるわけですね。

でも 考えたら あのヨットで

あんな広い太平洋をですか…

あそこのとこから

そんなとこ向けて
入ってらっしゃるの 大変ですね

考えてみると。
まあ やっぱり 広い海の方が

ヨットとしては
走りやすいですからね。

そうですね。

最終的に 随分 狭苦しいとこを
帰ってらっしゃる…。

まあ それは
やむを得ないですけどね。

まあ でも あの…
ヨットが小さいとはいえね

そこそこ性能はいいですから。
そうですか。

どのくらいの大きさ?
最初と同じでね

5.8メートルなんです 全長が。

5.8メートルっていうと
約6メートル?

はい そうです。
うん…。

で これは 寝る時は
中に潜って寝られるんですか?

そうですね はい。

でも 60年前と比べて
いろんな事は 進化は? 中の。

ヨットそのものは そんなに
大きな差はないんですけれど

ただ あの…
連絡をする その通信設備ですね。

ですから 60年前は
太平洋の真ん中から

「今日も元気でやってます」
いうのを

家族に知らせる事が
できなかったわけですね。

なるほどね! ええ。
全然できなかったんで…。

今は衛星電話がありますのでね

毎日でも連絡取れるというか…。

自分は どこら辺にいるとか
そういう事を。

はい。 それと まあ もう1つは
どう言うんですか…

トラッキングシステムといって
僕のヨットが 太平洋で

1時間ごとに
現在地はここですいうのが…

知らせてくれるような
システムがあるわけですね。

だから 誰でもが
そこを どう言うんですか…

今 堀江は
どこにいてるかというのを

把握できてるわけなんですね。
なるほど。

じゃあ そういう方も
たくさんいらしたんでしょうね。

ただ まあね
ハワイなんか通る時

ちょっと
ハワイ寄りたいなと思っても

なんか 寄り道すると
バレそうな感じがしてね

できなかったという事も
ありますけど

まあ 便利なもんです はい。
なるほど。

でも 電気は全部ソーラーパネルで
おやりになったんですって?

そうなんです。
ヨットの上に こう

150ワットのソーラーパネルが
あるんですね。

これで もう
100パーセント賄ってたわけです。

これで賄えたんですか?
それが すごいですよね。

賄えたというより 賄わないと
しょうがないわけですよ。

もう これしかないわけですから。

でも これなんかも
前と比べたら全然いいですよね。

そうです。 これで まあ 電気が…

例えば LEDの電気
つけるわけですけど

60年前は 明かりは
石油ランプだったわけですから。

ああ そうですか。
全然違いますね やっぱり。

そうですね。
やっぱり 60年ですからね。

はい。
ちょっと 航海のご様子をですね

VTRで拝見させていただきます。
ご覧ください。

今年の3月に
出発なすったんですね。

はい はい。
ええー…!

あそこ ぶつからないんですかね?
ぶつからない…?

大丈夫ですね。 ハハハ…!
大丈夫です はい。

ええー…!

音が入ってないから あれですよね
なんか 静かに思えるけど

相当の音でしょ? この時。
そう。 波の音がありますからね。

うわー! 飛行機とか。

これもね 先ほどのね

位置が出るやつが
ありましたのでね

各報道関係は もう
僕の位置がわかりますのでね

僕と連絡取らずに 直接
飛行機が飛んできてくれるという。

ああ そうですか。
わかるんですね。

これは
頭 洗ってらっしゃるんですか?

そうです はい。
うん…。

どれぐらいの割合で
頭 洗えるんですか?

最初はね 1カ月間
頭 洗わなかったですね。

寒かったですからね。
ああ そう… 寒い? なるほど。

これ ハワイ沖ですね はい。

そうかといって
ハワイ沖は通るけども寄れない。

そうですね はい。

なんか
いつも 船から落ちないように

命綱っていうのは着けてないと
いけないんですって?

そう。
基本的には ヨットでは その…

ライフジャケット… 浮くやつを
しないといけないんですけれど

浮いても
海へ はまってしまったらね。

やっぱり
命綱の方が確かですね これは。

なるほどね。 へえー…!

1日 どのくらい
移動なさるんですかね?

大体ね あの…

先ほどの サンフランシスコ
出発して

ハワイまでは 大体 1日に
200キロぐらい進んでるんですね。

へえー!
で まあ 後半 ちょっと

スピードが落ちてきましたので
平均すると

1日 大体 170キロぐらいは
進んでるわけですね。

だから
時速7キロぐらいですかね。

大体 それぐらいで進んでます。
風で… 風ですよね ヨット…。

もう 100パーセント
風で進んでますのでね。

そうですよね。
こいでもいいですけど

追い付かないでしょうからね。

でも 風がない事には
大変ですよね。

そうですね。 まあ 時々
風がなくなる事もありますけど

大体 風はありますね。
うん…。

また ありすぎても
困りますけどね。

そうですよね。 なるほど。

なんか 薬を たくさん
用意してらしたんですけど

使ったものは
ほとんどなかったんですって?

そうなんです はい。 まあ 結局…
どう言うんですかね。

薬一式…
いつの航海もそうなんですけどね

持っていきますけど
まあ 結局 使ったのは

目薬と ばんそうこうだけ
だったわけですから。

ばんそうこう?
だから まあ…

そこで 航海… 僕が いかに
健康だったかという事でね。

そうですよね。
まあ ちょっと 居直りましてね

「青春 真っただ中」と
言ってるわけですけどね。

普段から 何か
スポーツとかトレーニングは

してらっしゃるんですか?
特に した事はないんですけど

まあ 気を付けてる事というのは

暴飲暴食さえしなければ
いいと思ってるんですね。

なるほど。
はい。

じゃあ 普段は
暴飲暴食をなさらない。

それから 歩いたりなんか
なすったりはしてるんですか?

まあ そんな…
時々 散歩はしますけどね

あまりね ジョギングするとかね
それから

ジムへ行って どうするとかね
僕は やった事ないんですよ。

ええー!
そうでいらっしゃるんですか。

だから もう ヨットの航海
今回でもね 六十何日間…。

お食事は どんな風?

基本的にはね もう
カレーとコーンフレークですね。

おお…。
朝が 大体 カレーなんですね。

で 夕方がコーンフレークとか
シリアルですね。

そうすると 牛乳とか
そういうものを 持って…?

はい。 ロングライフのミルクが
ありますのでね

それで もう かけて…
簡単ですね これで もう。

お菓子なんかは
持ってらっしゃらないんですか?

あっ キャンディー類は
結構 持ってました。

あっ そうですか。
はい はい。

そうすると まあ
寝る前に ちょっと

そういうもの召し上がって…。
そうですね。

間食にもいただきますしね はい。

あと パンとか果物とか卵なんかも
持ってらっしゃるんですって?

卵も持っていきましたし

パンもありましたし
果物もありましたが

結構ね 果物なんかでも もう

ほとんど この航海全体を通じて

最後の最後の近くまでは…

最後の1週間ぐらいまで 毎日
果物をいただいてましたから

結構持ちますね これは。
あっ そうですか。

前の時は あの… なんか

今のプラスチックのボトルが
なかったんで

ビニールの袋に入れて お水を
お持ちになったんですって?

そうなんですね。 あれは
ちょっと失敗しましたね はい。

そうすると
お水って腐るんですって?

ああいうのに入れておくと。
どう… そうだと思いますが

ただ 60年前の航海の時には

水はね もう 生水は
1回も飲んでないです。

必ずボイルしたものしか
飲まないようにしてましたから。

今は ボトルに入ってるやつが
ありますから

もう 全然… どう言うんですか。

そのままで?
そのまま… そう はい。

それ 火は使えるんですか?
ボイルするって。

ガスコンロがありますのでね

お湯は沸かせるわけですね。
ああ なるほど。

お湯さえ沸かせれば
もう大丈夫ですね これは。

なるほど。

じゃあ さっきの ごはんも
温めて食べようと思えば…。

もちろん そうです はい。
そうですよね。 すごい。

でも 1回目の時

『太平洋ひとりぼっち』って
ベストセラーになって

映画にもなって 裕次郎さんが
なすったんですが

あの時の みんなの歓迎は
すごかったですか?

そうですね。 まあ あの…

あまりね… どう言うんですかね。
ヨットで そういう事が

皆さん 考えてもいなかったと
思うんですね。

僕の航海のニュースを知って

ヨットで そんな事もできるんだ
という事を知ったわけでね。

それまでは そんな事も
考えていなかったと思うんですね。

だから そういう意味で
ちょっと… どう言うんですか。

驚きもあったみたいですけど
今は そんな事はないですね。

「今度は何するんだ?」って
逆に聞かれるぐらいですから。

そうですか。
はい。

まあ 60年前は 今と違って

海外旅行というものが

あんまり 自由に
できない時でしたよね みんなが。

そうです そうです。
うん…。

でも なんか パスポートも…。

まあ だから
日本の法律では 別にね

「ヨットで海外行ってはいけない」
とか そういう規則は…

別に禁止されてるわけでは
なかったんですが

パスポートをですね
取る方法が…。

まだ
道が開けてなかったわけですね。

なんとか 僕も パスポートを
取って行きたいと思って

努力したんですけれど
その道がなかったという事で

やむを得ず パスポートなしで
行ったわけなんですね。

一応 密出航っていう事…。
そうです はい。

それで サンフランシスコへ
着いた時は どうだったんですか?

サンフランシスコ
着いた時はですね

まあ… ヨットが
まだ どう言うんですか。

サンフランシスコ湾に
入った時にね

最初に すれ違ったヨットに

パスポート持っていないんです
という事を

最初にアピールしてましたら

「そしたら ついてこい」と言って
案内してもらったんですが

まあ 到着した翌日には

サンフランシスコの市長さんから

サンフランシスコの
名誉市民の鍵をいただいてですね。

あら!
で 市長さんは

最初にアメリカに来た
コロンブスも

パスポートを省略して
やって来たから

「まあ お前もいいだろう」
というような…。

シャレてますね。

…扱いだったという事でね。

まあ 望外の喜びでもありますね。
そうですか。

向こうの人が喜んだのね。
はい。

そうですか。
ようございましたよね。

で 帰国後に海上保安庁で

事情聴取とかっていうの
されたんだけども

それも不起訴になった…?
そうです…。

大丈夫だったんですかね。

じゃあ 今回も まあ
いろいろ大丈夫だろうと

お思いになって出ていって。
そう…。

今回 まあ… 時代が
もう 60年経ってますからね

いろいろな規則ができてましてね

ヨットにも いろいろな…

車でいう車検みたいなものが
ありまして…。

だけど 全部 これは
クリアして行ってますから

問題点はなかったと思いますが

今回は まあ コロナが
ちょっとあったというのが。

これが まあ ちょっと…。
そうですね。

でも 初代のマーメイド…

お乗りになってらっしゃる
ヨットは

現在 サンフランシスコに
飾ってあるんですって?

そうです。
サンフランシスコの

国立海洋博物館
という所に置いて

60年間 大事に
保管してくれてるわけでね。

すごいですね。 ここに?

はい そうです。 これ… はい。

ですから 到着した時よりも

今の方がキレイになってますから。
フフフフ…!

懐かしかったですか?
前のをご覧になったら。

そうですね。
いろいろ やっぱり…

記憶がよみがえってきますよね
これは。

そうですよね…。
涙が出るぐらいね。

うん?
涙が出そうになるぐらいですよ…。

そうでしょうね。
だって 60年前ですもんね。

お若かったわけですよね。
はい はい。

なるほど。 でも
こうやって立ってらっしゃると

上のとこにある
「MERMAID」っていうものは

随分… やっぱり
ヨットって大きいんですかね?

こうやって見ると。
そうですね。

6メーターといっても
まあ そこそこ大きいですけど。

海に浮かべると
大した事はないですけど。

そうですね。
はい。

まあ その… いらした2年後に

海外旅行が自由化されて

もう 知ってたら
密出航はしなかった…?

まあね。 もう 2年なら

もうちょっと
我慢したかもしれませんけど

わからなかったですね それは。

なるほど。
はい。 まあ だから 多分ね

急に決まったんじゃないかな
という気もしますけどね。

そういう事があった…。

それと 東京オリンピックが
ありましたから はい。

そうですか。

ヨットをお始めになったのは
いつ頃からなんですか?

15歳… 高校1年生の時にね

たまたま 入学した高校に
ヨット部があったんですね。

僕は それまで ヨットにも
触った事もなかったんですね。

時代もね…

高校1年っていいますと

昭和29年 1954年だったので

まだ ヨットという時代では
なかったんですけど。

でも 学校に
ヨット部があったものですからね。

すごい。 どちらですか? 学校は。

関西大学の付属高校でね

関大一高という
高校なんですけれど

そこには
ヨット部があったんですね。

で… あの学校は やっぱり
大学の付属いう事でね

ヨット部もありましたし
馬術部もありましたしね。

すごい!
ボート部もあったとかね

割に そういう面では
恵まれてた学校だったんですね。

でも ヨットなんか
おやりになったりなんかして

ご家族の反対は
なかったんですか?

別になかったですね。
まあ 僕もね…

別に 高校なんか

行かなくてもいいん違うかと
思ってましてね。

別に やりたい勉強が
あるわけでもないのにと

思ったんですけど まあ

両親が勧めてくれたんでね

じゃあ 行ってやるかみたいな
ちょっと…。

あまり可愛くない息子だったと
思いますが… はい。

まあ それでも
ヨット部があったので

ヨット部 やってたんですけど
まあ…

両親は 友達なんかに

「ヨットなんか よくやらすね」と
言われてたみたいですけれど

気持ち良くさせてくれてました
はい。

そうですか。

なんか
生まれた時は ちっちゃくて

病気がちだったんですって?

あのね… 2歳ぐらいの時に

ちょっと 病気になって

その頃 ちょっと… 発育不全で

いまだに なんとなく その時の…。

でも 随分 可愛いお子さんですね
でも。

いやあ… どうですかね。
ねえ。

シャレたお洋服で。

なんか 近所の写真館で撮った
写真だそうなんですけど。

大事ですよね こういうのもね。

もう これしか残ってないですね。
フフフフ…!

ただ 向こうから
帰っていらした時とか

そういう時は
写真 いっぱいあるでしょ?

僕は
あんまり持ってないんですよね。

あっ そうですかね。
うん。

でも すごいですよね。

最初の時は「最年少」で

今度は
「最高齢」っていうんですから。

その間に 60年っていう年月が
経ったわけですけど。

まあ
ずっと健康だったもんですからね

その点では まあ
ずっと恵まれてまして

いろいろな航海も
できましたのでね

よかったなとは思ってます。
なるほど。

モットーが おありなんで
「一生 チャレンジャーでいたい」。

「100歳まで挑戦を続けたい」。

まあ… できればね

100歳までと思ってますけど

実際に100歳になった時

心臓が動いてるかどうかの自信も
ありませんのでね

やっぱり
今 元気なものですからね

やはり 今がチャンスだと思って

チャレンジしたわけですね。

よかったですね
今回 うまくいって

どこも悪くならないで。
はい。

そうですか。 最近 お仲間と

ヨットで グルメ旅
なさったりしてるんですって?

そう。 まあ…

大阪湾でヨットやってますから

瀬戸内海が近いものですからね

友達なんかとね
ヨットで行くとしたら

なんか こう どう言うんですか…
シーズンでね

「今なら ハモのシーズンだから
ハモ食べに行こう」とかね

もう そういう
グルメクルージングですね 結局。

いいですよね。
はい。

でも 動力は風なので

割と まあ…
シニアっていいますか

年齢が上の方でも
向いているスポーツだと

思ってらっしゃいますってね
ヨットって。

やっぱり どう言うんですか…
普通 スポーツといいますと

マラソンとかね
あるいは 泳いだりすると

自分自身の動力…

人間が
動力源になってるわけですけど…。

年齢の幅が広いと思いますね。
なるほどね。

これからも
まだまだできると思ってます。

そうですね。
今度 また 何かの時には…。

本当にありがとうございました。
はい ありがとうございました。

『徹子の部屋』は