証言者バラエティ アンタウォッチマン![字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

証言者バラエティ アンタウォッチマン![字]

“今、見たい実力派芸人”を取り上げ、彼らの時代を目撃した証人(=ウォッチマン)たちの証言から、“面白さの秘密”を分析していく“証言者バラエティ”!

◇番組内容
《元祖破天荒女芸人》野沢直子SP!
彼女の激動のターニングポイント1991年にスポットを当て、その芸人人生を紐解きます!
▽人気絶頂の中、出演番組をすべて降板し、アメリカ行きを宣言した野沢…
いったい、なぜ海外進出を決めたのか!?
テリー伊藤、清水ミチコ、渡辺直美が証言!
芸人人生で最も揺れ動いた瞬間、その真実に迫ります!
◇出演者
【MC】アンタッチャブル、サンドウィッチマン
【ゲスト】野沢直子
◇出演者2
【VTRゲスト】清水ミチコ、テリー伊藤、渡辺直美
◇おしらせ
☆番組HP
 https://www.tv-asahi.co.jp/antawatchman/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
バラエティ – お笑い・コメディ
福祉 – 文字(字幕)

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  20. 現在

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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〈そして TVerでは
限定作品を毎週リリース!〉

〈デビューから現在に至るまでの

彼女の激しい芸人人生を

ひもとく中で

ある年が非常に重要なんです〉

〈それが…〉

シュッ シュッ シュッ
シュッ シュッ…。

ポーッ ポーッ ポーッ!

〈今夜は

〈題して…〉

〈野沢直子は

1984年にデビューすると

瞬く間にお茶の間の人気者に〉

すげえ!

〈しかし 1991年
彼女は突然 ある行動に出る〉

〈それは…〉

〈一体

〈彼女をよく知る
関係者の証言をもとに

その真相に迫った!〉

〈すると 調べるほどに
浮かび上がってきたのは

彼女の芸人としてのすごさ 決断

そして
のちに与えた影響の大きさ〉

〈ある後輩は こう語る〉

〈それでは どのように

1991年を迎えたのか

振り返ってみよう〉

〈そもそも

うわあ やだ~!
(山崎)あら!

〈それは 1981年 21歳の頃〉

〈元々 人を笑わせるのが好きで
お笑いに憧れていた野沢は

叔父で声優の野沢那智の紹介で
吉本興業に所属〉

「えっ? 野沢那智さん
叔父さんなんですか?」

「叔父さんなの」

〈当時は
漫才ブームをきっかけに

吉本が東京に本格的に進出した
タイミング〉

〈野沢は

東京吉本唯一!

〈当時の東京吉本は

赤坂のマンションの一室に
机が4つ〉

〈社員は数人程度の
こぢんまりした事務所〉

これが東京吉本?
東京吉本 東京吉本。

こんな小さい…。

えっ? あの吉本が…。
あんな こぢんまりとしてたんだ。

って言われて
それで 入る事になった。

じゃあ お笑いで 一応…。

そのつもりで入ったら
なんか 社長の方から

いやいや いやいや…。

みたいな感じで言われて。

なるほど なるほど。
なんか ちょっとね…。

〈そんな野沢の芸人人生は好調〉

〈デビューすると わずか3カ月で
レギュラー番組に抜擢〉

「どういう番組?」

3カ月後には
さんまさんのバーターで…。

すごい! 3カ月後ですよ。
スペアリブの格好をしたりとか…。

(一同 笑い)
それが 最初の仕事だったわけよ!

私の事じゃないの!?

〈空気を全く読まない

大御所にも忖度ゼロの
ぶっ飛びキャラ〉

確かにね…。

それこそ だから

〈そんな芸風が受け 芸歴1年で
レギュラーが3本〉

〈3年で 『笑っていいとも!』の
レギュラーに大抜擢〉

〈下積み時代もないまま…〉

なんの挫折もないというか…。

(一同 笑い)

芸能界っていうか…。

お金もいいしね。
ねっ。 お金も

結構 もらえるじゃん!
みたいなね。

〈そんな絶頂期に

野沢を起用し続けた
この人に

証言してもらった〉

(柴田)「テリーさん!」
(富澤)「テリーさん!」

〈今では テレビのご意見番として
よく目にするが

数々の

〈そんな彼は 野沢を自身の番組に
何度も起用していた〉

「そっか。
野沢さんを起用したのが…」

〈テリー伊藤が

野沢を起用した理由を
証言してくれた〉

彼女は吉本でしょ。 でも…。

そういう意味で言うと なんか

お笑い新人類っぽい…
においはしましたね。

〈当時は 弟子入りや養成所を経て
芸人になる人が多かったが

全く違うルートから
彗星のごとく現れた野沢直子を

「お笑い新人類」と証言する
テリーは

野沢が現れてからの
お笑い界の変化を

こう証言する〉

それは やっぱり とんねるず…。

時の流れの中でね。

〈さらに 共演者を見てみると
大物ばかり〉

〈『お笑いウルトラクイズ』の
ビートたけしをはじめ

そうそうたる顔ぶれの横には
野沢直子がいた〉

〈なぜ そこに
野沢を置いたのか?〉

そこが やっぱり
野沢のすごいとこでもあるし

かっこいいとこだな
っていうふうに思って。

しょうがないじゃないですか。

野沢直子は

なかったんじゃないかな
そういうのは。

「強いんだ ハートがね」

〈物おじしなかったと
テリーはべた褒めだが

野沢の内心は?〉

「でも テリーさんには
そう映ってなかったんですね」

知らなかったんだよね
ただ ホントに。

入って もう3カ月で
テレビ出てたから

なんにも知らなかったわけよ
ホントに。

自分が気づいてない?

〈こうして 順調に 芸人としての
キャリアを積む中…〉

〈デビューから4年経った

1988年…〉

〈野沢直子にとって
転機となる番組が始まる〉

〈それが…〉

「これは 全部見てました」

〈このコント番組は
とにかく画期的で

それまでは
ドリフや ひょうきん族など

作り込んだ派手なセットが
主流だった中

『夢で逢えたら』は
白い壁のスタジオに

最低限の小道具で
コントを見せていた〉

ああ そっか。

〈そんな型破りな センスあふれる
コント番組からは

みどりちゃんや
ガララニョロロなど

多くの人気キャラクターが
誕生した〉

〈さらに コント以外の演出も
スタイリッシュで

清水ミチコのピアノで全員が歌う
オープニングなど

オシャレなコント番組として

深夜2時の放送にもかかわらず
若者を中心に人気番組となった〉

年が変わらない人がやってたから
初めて…。

友達みたいな?

「えーっ! ホントに!?」

よろしくお願いします。

〈野沢とは30年来の友人

清水ミチコが…〉

えっ…。

その頃は
怖いものなしの感じだったので…。

…っていう感じだったんですけど。

〈大御所相手にもひるまない
野沢は

『夢で逢えたら』の現場でも
その度胸を発揮していたと

清水は証言する〉

〈そんな『夢で逢えたら』は
社会現象を起こす〉

〈放送開始から半年後の
1989年4月

土曜日のよる11時30分からの
全国ネットに昇格〉

〈番組のオープニング曲に

サザンオールスターズや
ユニコーンなど

当時人気のバンドを起用〉

11時半は。

〈出演者で作る
PV風の映像の

オシャレさも加わり

番組の人気は
さらに加速〉

〈11時から放送していた

とんねるずの
『ねるとん紅鯨団』との相乗効果で

深夜番組としては異例の高視聴率
20.4パーセントをマーク〉

えっ!? そんなにあったんだ。
(柴田)12時とかだぜ これ。

〈しかし そんな絶頂のさなか

その時が訪れた〉

〈野沢直子

〈さらに その他の仕事を
全てキャンセルし

突然 アメリカ行きを宣言〉

〈なぜ
そのような決断をしたのか?〉

〈その背景にあったのが…〉

〈それまで
順調に結果を残してきた

野沢だったが…〉

〈『夢で逢えたら』で

ダウンタウンや
ウッチャンナンチャンと共演し

初めての挫折を味わったという〉

わからないもんだね 人は。
えーっ ホントに?

すげえ人いるな みたいな。

先輩なら すごくても
先輩だと思えたから…。

へえ~。 どういう時に
感じるもんなんですか?

…って すごい思ってて。

〈清水は 当時 野沢の苦悩に
全く気づかなかったという〉

そうなんだよね だから…。

〈誰にも相談できないでいた
野沢〉

〈そこには
早くに売れてしまったが故の

葛藤があったという〉

あっという間に
売れちゃったからこそ

なんか… 逆に思っちゃうのかな。

行かないから!

(柴田)すごいよね。

〈戦友の清水が 当時の戸惑いを
こう証言する〉

うん そうそう そうそうそう。

…っていう言い方してたので。

そういうふうにも見えたしね。
だけど…。

それが通じるとでも
思ってるのかなって

ちょっと思ってたんですけど。

って思ったぐらい。

(柴田)「きてましたよね
皆さんね ちょっとね」

〈もちろん 人気番組の
レギュラーを抱える売れっ子

野沢のアメリカ行きは

業界内で
かなりの騒動になったのだが…〉

ずっといようと思ったんですか?

(一同 笑い)

〈そうして

〈アメリカでの活動はというと

コメディショーなどに
積極的に出演〉

〈現在も バンドなど
アメリカでの活動をしながら

毎年夏に 日本で仕事をする
スタンスを貫いている〉

〈野沢が手にしたもの
それは…〉

〈挫折の末 全てを捨てて

アメリカという
誰も自分を知らない場所に

あえて飛び込み

恐れず 自分らしく
思いきり やりたい事を楽しむ〉

〈野沢は

すごいな。

言葉しゃべれず行くっていうのは
すごいですよね。

最初ね
全然しゃべれなかったからね。

ちょっと無謀ですよね。
無謀… まあ 無謀だよね。

さあ そんな…。

あら!
(柴田)この方です。

〈91年の野沢の渡米は

当時は業界を動揺させたが

今では
芸人の海外進出の背中を押す

大きな一歩となっている〉

〈そんな野沢に

背中を押してもらった
芸人がいる〉

〈それが…〉

お願いします。

〈現在 アメリカに移住し
活動する 渡辺直美〉

〈2016年
野沢と舞台で親子役で共演〉

〈その際に

その当時は 私 別に

アメリカに住みたいとかは
なかった時だったんで

アメリカの仕事とかアジアの仕事
ちょこちょこしてる中で

直子さんと会って

その舞台が始まる時の
ポスター撮影の時に

「直美ちゃん あれ見たよ」
みたいな…

海外の仕事のやつを
見てくださったみたいで

「絶対 海外行った方が
いいよ」って…。

「ホントに 自分のやりたい事を…
いいんだから

思いっきりやっていいと思うよ」
とかいって言ってくださって

「えっ!?」みたいな。

「行ってもいいのかな? 私」
みたいな

っていうのはありましたね。

えっ…。

〈渡辺は 『ピカルの定理』で
大ブレイクしたのちの…〉

〈多くのレギュラーを抱える
人気芸人とあって

周りからは反対されたという〉

かなり 吉本からも
止められましたし…。

いや 言われてないですよ
そんな事。

いや こんな事
言われてないんですよ。

へえ~。
(柴田)そんな事 言う人が…。

言った人 後悔してるんだろうな。

「いやいや
そんな事ないですよ」って

「私は バランス良く
どっちも仕事したいですよ」

みたいな事を言っても…。

「誰だろう? これ」

そののちに…。

「やっぱ 感化されてるのよ」

(柴田)ワールドツアーまで
いったんだよ これが。

〈渡辺は

〈さらに その後

世界的ファッションブランドの
CMをはじめ

数々の雑誌のモデルに大抜擢〉

〈そして

〈現在は アメリカで
仕事をしながら

帰国して
テレビや舞台に出演するなど

世界を股にかけ
活動を続けている〉

(柴田)「すごいよね」
「股にかけてるね」

〈そういった活動ができるのは

先駆者である野沢の存在が
大きいという〉

「まあ そうでしょうね」

だって 昔なんて
留学 行ってる時…。

吉本の人に言われたんですよ。

それは 確かにそうだなって
やっぱ 移り変わりが激しいから。

幅広くなって。

私も こうやって

「いやあ さすが」

〈『夢で逢えたら』での挫折は

野沢直子にとって
新たなスタートのきっかけ〉

〈野沢直子が
1991年に切り開いた道は

大きかった〉

〈そして あれから20年〉

〈野沢がつくった道を頼りに

今後も 海外に挑戦する後輩たちが
続いていくのだろう〉

すごい。
え~! ちょっとさ…。

いや でも 心強いひと言ですよね。

いや でもね
結果 良かったですからね。

だって 野沢さんが 例えば…。

怖いから。
(富澤)そうですね。

だから やっぱ
めちゃめちゃ大きいですよね。

成功がある…
綾部君とかもそうだよね。

綾部君も なんか

「アメリカ生活の事を
ちょっと聞きたいんですけど」

って言われたから
ちょっと 話 聞いたら…。

(一同 笑い)
そんなレベルだった…。

綾部君も なんか

「アメリカ生活の事を
ちょっと聞きたいんですけど」

って言われたから
ちょっと 話 聞いたら…。

(一同 笑い)
そんなレベルだったんですね。

「それかよ!」っていう…。