徹子の部屋 原由子[字] …の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 原由子[字]

~初登場!20代から…黒柳との“深い縁”~原由子さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
黒柳さんとは1978年のデビューからの付き合いで、今回は実に24年ぶりのテレビ共演。サザンオールスターズの原由子さんが『徹子の部屋』に初登場!
◇番組内容
デビュー当時の思い出やサザン命名のきっかけなど貴重な話を語る原さん。現在ソロ活動でも大活躍だが、元々は横浜で150年続く天ぷら屋の娘。幼少期から音楽に親しんでいたが、実は同じ横浜出身の大先輩・美空ひばりさんとはある意外な接点があり、黒柳さんも興味津々。また、趣味のボウリングや自然観察についてなど私生活も明かす。そして、2010年に夫・桑田佳祐さんが食道がんになった際の黒柳さんとの知られざる秘話も。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

テキストマイニング結果

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キーワード出現数ベスト20

  1. 桑田
  2. 本当
  3. クラプトン
  4. 黒柳
  5. サザン
  6. 当時
  7. 音楽
  8. 最初
  9. 名前
  10. バンド
  11. ベストテン
  12. 一緒
  13. エリック
  14. ロック
  15. 奇麗
  16. 朝顔
  17. お父様
  18. サザンオールスターズ
  19. フフフ
  20. 結婚

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

解析用ソースを読めば、番組内容の簡易チェックくらいはできるかもしれませんが…、やはり番組の面白さは映像や音声がなければ味わえません。ためしに、人気の配信サービスで見逃し番組を探してみてはいかがでしょうか?

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♬~(原)「涙みせない」

♬~「雨の降る夜には
ビリー・ジョエル」

♬~「情ない女になって
しまいそな時にはサンバ」

(黒柳)なんと 今日は
『徹子の部屋』初登場

サザンオールスターズの
原由子さんです。

どうぞ よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。

実は私 彼女の事を
嫁と呼んでいるんですけど

その理由は のちほど。
はい。

ソロでも ご活躍中で

本当に 色んなお話 伺えるのが
楽しみでございます。

もう デビューからの
お付き合いだから

もう 44年になりますか?
そうですね。

私 実は すごいあがり症で
今日もガチガチなんですけれども。

黒柳さんには 人生の大切な場面で
いつも助けて頂きましたので

お礼を申し上げたくて
勇気を出して参りました。

どうぞ よろしくお願い致します。
どうも ありがとうございます。

そんな 勇気なんか
出して頂いたりして。

フフフ…。 ありがとうございます。
必死なんです。

前々から… 最初から…
最初に桑田さんを見た時に

桑田さんが口ずさんでいるのを…

あれを どうやって
譜面にするんだろうと思ったら

あなたがいてね それを譜面に
パパパッてやっているのを見て

彼女がいるから…。 まだ
全然 結婚していない時ですよ。

ええ ええ。
彼女がいるから大丈夫…。

そうやってたでしょ?
ずっと前から。

そうですね。
コード譜とか譜面を書くのが

桑田 苦手だったので。
そうそうそう。

私が適当にですけど
簡単にメモはしていました。

そう。 なんかね
鼻歌みたいに歌ってね

「なんとかで フンフンフン…」って
歌うとね

あなたがね 何も言わないんだけど
パパパパパパッて書いているから

ああいうふうにして
ちゃんと取っておけば…。

初めはね どうやって あれをね

残しておくんだろうなと
思っていたの。

ああやって覚えているわけじゃ
ないだろうにね。

そうですね。 当時は 音声メモも
なかなか できなかったので

ちょっと
メモしておくなんていう事を

私がやっていました。

『ベストテン』の時は
なんでも見えますので。

なるほど。 ああやって彼女が
こうやって書いているんだな

と思ってるうちに だんだんと…。

2人が結婚するっていう話が…
聞いた時に

そうか。 そうじゃないと…
あなたがいないと

彼は成立しないんだな…。
そうですか?

そう思いました。
ありがとうございます。

そう。 桑田さんの暴れっぷり
っていうんですかね。

あの方の色んな行動が
ちょっと 心配だったんで

まあ 私が息子って呼んでおけば
なんかあった時にね

「息子が どうも 失礼致しました」
って言えば 大丈夫かなと思って

息子っていう事に
なったんですけれども。

ありがとうございます。
多分 相当

危なっかしかったんだろうと
思うんですけれども。

最初 『ベストテン』に
出させて頂いたのは

「今週のスポットライト」っていう
コーナーで。

まだ ランキングには
入っていなかったんですけれども。

入っていなかったの? あの時。

今 ライブハウスで話題のバンド
っていう事で呼んで頂いて。

その時 『勝手にシンドバッド』を
歌ったんですけれども。

黒柳さんから…
すごく盛り上げて頂きまして。

で それがきっかけとなって

『勝手にシンドバッド』も
ヒットさせて頂いたんですね。

あっ そう。
はい。 それで

それから 『ベストテン』にも
何度も出させて頂きまして。

そして
今に至るっていう感じですので

本当に『ベストテン』の皆様や
黒柳さんには

本当に感謝しております。
でも 桑田さんが

あれほど
すごい音楽家になるとも

またね
みんな思わなかったからね。

はい。 私も思いませんでした。

あっ 思わなかった?
はい。

でも やっぱり
音楽 続けているうちに

どんどん開眼していった
みたいな感じでしたね。

でも 一番初めに ライブハウスに
いらっしゃるっていって

私 「歌声喫茶みたいなとこ?」って
言ったら

「古いですよ 黒柳さん」って
のっけに言われちゃって。

ハハハハ…。
ねえ。

おかしかったね。 あの時
ライブハウスからだったのね

最初の時ね。
そうですね。 はい。

で あの当時は
ジョギングパンツで

出場させて頂いたんですけれども。
そうそうそう。

デビューして最初の頃は
普段着で…

私服で
出演していたんですけれども。

当時の私服っていうのが

ボロボロのジーパンに
ヨレヨレのシャツで

あまりにも
みすぼらしかったので…。

『ベストテン』ですとか
大きな番組に

出させて頂く事になった時に
これは ちょっと さすがに

衣装をそろえましょうか
っていう事になって

原宿の竹下通りに
買いに行ったんですね みんなで。

ただし 当時 事務所も
貧乏だったものですから

「予算は1人1万円以内」って
言われてしまって。

で 結局 買えたのが

ジョギングウェアの
上下だけだったんですけど。

あっ そう。 フフフフ…。

でも そういう時代が
あったからね

今があるとも言えますよね。
そうですね。

お二人の結婚式の時に
どうしても 私

仕事で行けなかったんだけども
無理やり これは

駆けつけなければ
いけないと思って。

そうなんですよ。 あの時はね

お忙しい中
いらしてくださいまして…。

東京プリンスでしたよね?
はい。

ありがとうございました。
私 走って行って。

どうしても 私は
生番組があって。

何がなんでも 私は

「おめでとう」って
言いに行く… 行ったら

あなたが全部…

着物も何も全部着けて
色直しの…。

文金高島田みたいな…。
そうなの。

それで 「こういうのをするんです」
って言って

うんとあとでいいのに

私のために
わざわざやってくださったのね。

私 覚えています 今でも。
フフフフ…。

とても うれしかったです。

原さんは
サザンオールスターズの

キーボードとボーカルを
担当していらっしゃるんですけど。

ちょっと 聴いてみます。

♬~「おまえが好きだと
耳元でいった」

♬~「そんなヒロシにだまされ」

♬~「渚にたたずむ」

♬~「踊りが上手で
ウブなふりをした」

♬~「そんなヒロシが得意な
エイト・ビートのダンス」

♬~「人も恨やむよな仲が
いつも自慢のふたりだった」

♬~「あなたとなら どこまでも
ゆけるつもりでいたのに」

♬~「突然の嵐みたいに
音を立ててくずれてく」

♬~「涙がでないのはなぜ
教えて欲しいだけさ」

うーん。 すてき。

いや 恥ずかしいですね
自分が歌っているの。

当時 すごく緊張して
マイク 持つ手が震えたんで…。

そうなんです。 『ベストテン』に
ランキングに入れて

で 出場させて頂けるように
なった時に

MC席に行って…。

マイクを持つと
すごく緊張のあまり

マイクが
震えてしまっていたんですけど。

それを いつも 黒柳さんが

優しく
フォローしてくださっていたのを

覚えてます。

私も 司会者席っていうか
そこへ ゲスト席で…

そこでインタビューしたりなんか
するからね。

どうしても マイクロフォンを
お渡ししなきゃいけないんで

こっちから こうやってする…。

だから その時 手が震え…。
そうなんですよ。

他のメンバーは
意外と大丈夫だったんですけど

私だけが いつもガタガタ震えたり
挙動不審になっちゃってたんで

今 思うと 恥ずかしいんですけど。

でも あなたは
プロの音楽家になるつもりは

そもそも
あまりなかったんですって?

私としては 当時

本当に趣味の延長で
キーボードでしたし

みんなに迷惑もかけちゃうんじゃ
ないかなと思いましたから

桑田に 「私は ちょっと
抜けようかな」なんていう事も

言ったんですけど。
その時に桑田が

「テクニックなんてね
上を見たら切りがないんだから

みんなで一緒に
うまくなっていけばいいよ」

っていうふうに励ましてくれて

それで
デビューに至ったんですけれども。

でも 下手だって
威張ってちゃいけないんですけど。

でも 下手だったからこそ

誰にでも弾けるようなフレーズで
シンプルでいて

それでいて
心に残るフレーズっていうのを

心がけて弾くようにしてたんじゃ
ないかなと思いますね。

なるほどね。

とても印象が強かったの
私にはね あなたがね。

女性で こんなに長く
バンドを続けている方は

他にいらっしゃらないんじゃ
ないかっていう事だけど。

ありがとうございます。
本当にね。 あなたのご実家は

横浜で 天ぷら屋さん
やっていらっしゃるんですって?

そうなんです。
150年続く? すごい。

明治5年創業ですので
150周年になります。

お父様が4代目で
お兄様が5代目。

はい そうです。

真ん中の
祖母に抱かれている おくるみが

私なんです。
あなたなの?

お父様 随分ハンサムね。

ありがとうございます。

背が高くて すてきだと思います。

そうですか。
あっ…。

これ お兄様とあなた?

4歳上の兄と私なんですけども。

可愛い。
フフフ…。 今でも仲が良くて。

あっ そう。
最近の写真ですね。

あっ そう。
兄が5代目を今…。

おいしい? 天ぷら…
お兄様の天ぷらは。

そうですね。

ごま油を使った
江戸前の天ぷらですので

かなり…。 あっ ぜひ
黒柳さんも お時間があれば…。

そうですよね。
一回も伺った事ないので

今度 ぜひ…。
ぜひぜひ お願いします。

あなたはフェリス女学院…
横浜のね。 お出になって。

はい。
元々フォークが大好きで

吉田拓郎さんが
よかったんですって?

そうなんです。

中学に入ってからは
フォークソングが好きになって。

洋楽ですと PPM…

ピーター・ポール&マリー
ですとか

サイモン&ガーファンクルが
好きだったんですけど。

中3になりましたら

吉田拓郎さんと
出会ってしまったというか…。

拓郎さんを知って もう

大ファンに
なってしまいました。

初恋みたいな感じで
大好きで。

それで ちょうど その頃

ギターなんかも
始めていたものですから。

ギターを弾きながら

拓郎さんの歌を歌う
っていうのが日課で

毎日 楽しんでいたんですけど。

そこで 拓郎さん
結婚しちゃった…。

そうなんですよ。 中3の終わりに
拓郎さんがされていた深夜放送で

「僕は結婚します」って
発表されたんですね。

で その時 私も まだ
子供だったものですから

すごいショックで

失恋したような気分に
なってしまって。

で 布団をかぶって 一晩 泣いた
なんていう事もありました。

そうですか。
純情でした。

そう。
で その後 ロックに目覚めて

エリック・クラプトンとか…。
そうなんです。

そういう人たちを
好きになったんですって?

高校に入りましてから…

当時 中高一貫の
女子校だったんですけれども。

その関係で編入生だったので
友達が なかなかできなくて。

それで どんどん音楽の方に
傾倒していったんですけれども。

当時 好きだったのが

サザン・ロックって
いわれるような

ちょっとブルージーな

泥臭くて
男っぽいロックだったんですけど。

高3の時にエリック・クラプトンが
初来日しまして。

その時 私も 武道館に2日間
見に行かせて頂いたんですが。

もう 本当に感動して

この場で死んでもいいと
思うぐらい感動したんですね。

で その時に一緒に行ってくれた
女の子の友達も

一緒に感動してくれて。

で それからは
2人でギターを抱えて

エリック・クラプトンの曲を歌う
っていう日々でした。

日々…。 そうですか。

でも ロックだけじゃなくて
歌謡曲も

お好きだったんですって?
そうですね。

実は 私の母の実家が

美空ひばりさんのご実家の
すぐご近所だったんですね。

あっ 横浜で?
はい。 その関係で

ひばりさんのお父様が
魚屋さんをされていて。

そうそう。
母の実家に

お魚を配達してくださったりとか。
あっ そう。

ついでに
囲碁を打ったりとかっていう

そういう
関係だったそうなんですね。

あっ そうなの。
あと お祭りになりますと

ひばりさんが
まだ デビュー前ですけれども

広場の台の上に… 高い所に立って
歌ってくださったとか。

すごい。
あと 銭湯でも

ひばりさんが歌っているのを
見た事があるなんていうのが

母の自慢だったんですけど。
あっ そうだったの。

はい。
なんか おじい様同士が…

ひばりさんのおじい様と
あなたのおじい様同士が

囲碁を一緒になさったりする…。
そうです。

ひばりさんのお父様ですね。
お父様なの? うん。

そうなんです。
それが ちょっとした自慢です。

ひばりさん 『紅白』の時
なんか 一緒だったんですって?

はい。 やはり 同郷の先輩としても
大尊敬していましたし

自分としても… 音楽的にも

歌謡曲ですとか
ひばりさんの歌い方の影響とか…

もちろん
似たようには歌えませんけど。

影響も受けてきたと思いますので。

『紅白』で 遠くから
ひばりさんをお見かけした時は

本当に うれしかったですね。

あなたたちも ご出演になったの?
その時は。

そうです。 サザンの初出場で

『いとしのエリー』を歌った時に…。
そうですよね。

ひばりさんも
特別出演されたんですね。

で サザンは その端っこの方に
並んでいたんですけれども。

原さんは 青山学院で
1年先輩の桑田さんと出会って。

はい そうなんです。
その時 なんか

髪形 リーゼントで…。
ああ そうなんです。

ちょっと
怪しい感じだったんですけど。

青山学院大学に入学して
すぐの頃だったと思うんですけど。

イチョウ並木を歩いていましたら

軽音楽サークルの方から
声をかけて頂きまして

それで そのサークルの説明会に
行ったんですね。

そうしましたら
ちょうど 私の大好きな

エリック・クラプトンの曲を
演奏しているバンドがいまして。

で その時
ギター弾いていたのが桑田で。

あと ベースが サザンのベースの
関口だったんです。

あっ そうなの。
はい。

で クラプトン 好きな人いるから

このサークルに入ろうって
決めたんですけれども

桑田がリーゼントみたいな
怖い感じでしたので

一緒にいた友達と あの人には
近づかないようにしようねなんて

話していたんですけど。
それが桑田さんね。

はい。

でも 新入生歓迎コンパの時に
桑田の方から

「なんか この辺に クラプトン
好きな子いるんだって?」って

声をかけてもらいまして。

で 「ああ 私です」っていうので
ちょっと意気投合しまして。

エリック・クラプトンの
『Layla』っていう曲を

ちょっと弾いたところ
喜んでくれまして

「やればできるじゃん 原さん」
みたいに言ってくれて。

で その秋に桑田に誘ってもらって
始めたバンドが

青学ドミノスっていいまして。

ああ そういう…
そういう名前だったの? 初め。

そうなんです。
それがサザンオールスターズの

前身となる
バンドだったんですけれども。

なんか サザンのバンドの名前の
サザンのきっかけが…。

はい。 ライブが
月に1回くらいあって

で ライブに出る度に
名前を変えるって…

バンド名を変える
っていうのを楽しんで

ウケを狙って
やっていたんですけれども。

翌年の1976年の4月に…。
よくありましたね

その時のポスターが。
あっ はい。

4月にライブに出る時に
なかなか名前が決まらなくて

困っていたところ…

現在 音楽評論家も
されているんですけど

桑田の友人で
宮治淳一さんっていう方が

苦し紛れに考えてくれた名前が

サザンオールスターズ
っていう名前だった…。

あっ そうだったの。
はい。

なんか あいつら
サザン・ロックが好きだし

しょっちゅうメンバーも
出入りしているから

オールスターズでいいやっていう
感じだったらしいんですけど。

でも この名前が
すごく気に入ってしまって。

よく残っていましたね これがね。
あっ そうですね。

ねえ。 それから ずっと
44年 続いているっていう…。

2010年に 桑田さんに
食道がんが見つかったって。

あの時 驚いたでしょ?
そうなんですよね。

私も もちろん すごく
ショックだったんですけれども

やっぱり 私が泣いたりとか
うろたえたりすると

桑田が余計
不安になっちゃうんじゃないかな

と思いましたので

「絶対治るんだから大丈夫だよ。
何 心配してんの?」

みたいな顔をしていたんですね。

とはいえ 裏ではね
とても心配だったんですけれども。

そんな時に 黒柳さんから
温かいお手紙を頂きまして

桑田もですけど
私も 随分 励まされました。

あっ 本当?
はい。

そのお手紙を 今日ね ちょっと
持ってきてくださったんですよ。

こちらなんですけど。

今も大事にしています。
あっ 本当?

はい。 徹子さんや
皆さんが祈ってくださる

っていうのが
本当に力になりました。

桑田さんが
歌えるんだっていうふうに

ちょっと 報道された時にね…。
あっ はい。

なんてよかったと思ったね
本当に。

歌えるんだってわかって

自分の事のように
うれしかったっていう… そう。

はい。 ありがとうございます。
そうだと思いました。

おかげさまで 今年で もう
12年 経ちまして

健康に気を使っている分
今では もう 手術前より

元気になっているんじゃ
ないかなと思えるほどです。

よかったわ 本当にね。
おめでとうございました。

本当にね 色んな方が

助けてくださったんでしょう
きっとね。 本当ね。

今 ご夫婦でボウリングに…

ボウリングに
ハマっているんですって?

はい。
桑田が還暦になりました時に

プロボウラーの矢島純一さんから

マイボールを
プレゼントして頂いたんですね。

で 桑田も元々 中学生の頃に

プロボウラーになりたかった
っていうぐらい大好きでしたので

もう すぐに
ボウリング熱が再燃してしまって。

例えば ベストスコアっていうのは
どのくらい?

あっ 桑田は
パーフェクト出しましたけど

私は209です。
でも パーフェクト狙っています。

でも 彼は そうすると
いくつなの?

パーフェクトっていうと。
はい。 300ですね。

300 できたの?
はい。 300 2回出しました。

それ すごいわね。
はい。

それから 自然観察とかいうのも
好きなんですって?

はい。 毎日 散歩するのが
日課なんですけれども。

散歩しながら見つけた
奇麗な花ですとか

あと 変わった野鳥…。
あっ 鳥とか?

はい。 野鳥の写真を…。
写真を お持ちくだすったので

ちょっと ご覧ください。
自分で撮ったので

下手なんですけど。 スマホで
撮ったりしているんですけれども。

でも よく撮れましたよね。
あっ はい。

ありがとうございます。
あら いっぱいいるんだ。

はい。 これが小さな…
ささやかな趣味なんです。

可愛い。 えっ すごい。
フフフ…。

お花。
はい。 トベラっていう花ですね。

これ ドクダミなんですけど
5弁なんですね 花びらが。

本当ね。
ちょっと珍しかったので…。

これはアヤメですね。
奇麗。

フフフ…。
奇麗ね。

あっ これ 春菊なんですよね。
春菊? へえー。

私も びっくりしました…。

春菊って
こんなお花が咲くんですね。

ええ。

あっ 奇麗。
あっ これは

「原坊の朝顔」って
言って頂いてるんですけれども。

39年ほど前に 桑田と
代官山を散歩している時に

泥の塊の中から芽を出していた
朝顔を見つけまして。

で それを持ち帰って
大事に育てましたところ

奇麗な花が咲いて。

で 種が ちょっと採れたので
その年 5人の方に…

ファンの方に
お分けしたんですね 種を。

そうしましたら その方たちが
また収穫して

ファンクラブに
送り返してくださって。

それを また お分けして
っていう形でやっていましたら

今年で もう 38年ぐらいに…。

あっ そんなに。
今では 日本全国で

その朝顔が花を咲かせています。
原坊の朝顔。

あっ そうなんです。
幸せの朝顔なんて

呼んでくださる方も
いるんですけど。

やっぱり
みんなが大事にしてきたものを

大切に咲かせよう
っていう気持ちが

なんか 幸せにしてくれるのかな
と思っています。

今年 31年ぶりに
オリジナルアルバムを…。

はい。 『婦人の肖像』という
アルバムをリリースしました。

『婦人の肖像』。
はい。

まさか この年になって
アルバムを出させて頂けるなんて

本当 想像もできなかった
未来なんですけれども。

10年ほど前から 桑田からは

「どんどん
曲を作っておきなさいよ」とは

言われていたんですね。

で お風呂に入っている時とか
散歩中に浮かんだフレーズを

メモはしていたんですけれども
昨年の夏に

そろそろ まとめましょうよ
っていう事になりまして。

で それでも 最初のうちは
ミニアルバムができれば十分

っていうふうに
のんびりしていたんですが

だんだん ミュージシャン魂に
火がついてしまいまして。

今年に入ってからは
桑田も参加してくれて

全面的に
バックアップしてくれましたので

全部で10曲 出来上がりました。
あっ よかった。

なんか 2人の原点の

クラプトンの事を歌った曲も
入っている…。

あっ そうなんです。
今の曲がクラプトンの…。

あっ そう。 今のね。
いいなと思って…。

はい。 ありがとうございます。

他に ひばりさんっぽい歌い方のも
あるんですって?

あっ そうですね。
ちょっと やっぱり どうしても

ひばりさんのコブシが
入ってしまうなっていうのが…。

思えば 私たち
昭和30年代に生まれて

ちょうど日本が高度成長期で

とっても元気で
面白い時代に育ちまして。

洋楽でしたり 歌謡曲でしたり

色んな
すばらしい音楽の恩恵を受けて

励まされてきたっていうのが
いかに 本当に ありがたくて

幸せな事だったのかって
思い知りましたし。

こんなふうに
自由に音楽を楽しめる時代が

ずっと続いてほしいなっていう
願いを込めたり

あとは 私たちが経験してきた
すばらしい音楽を

次の世代にも
お届けできたらなという思いで

アルバムを完成させました。
よかった。

来年はサザンが45周年ですので…。
あっ そう。

はい。 最初は 能天気な
学生バンドだったんですけれども

黒柳さんでしたり 多くの方に
お世話になって

育てて頂いて…。

音楽でお届けできたらなと…。
ぜひね

おいで頂けたらと思います。

どうも 本当に 今日は
ありがとうございました。

ありがとうございました。
色々 音楽まで

ありがとうございました。
ありがとうございました。

『徹子の部屋』は