徹子の部屋 具志堅用高[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 具志堅用高[字]

~溺愛!“孫息子”との日常公開&40周年!今語る“結婚秘話”~具志堅用高さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
『徹子の部屋』が始まった1976年、伝説の世界チャンピオンが誕生!それから45年が過ぎ…66歳になった具志堅用高さんがゲスト。
◇番組内容
具志堅さんは5人の孫がいる「じぃじ」!5人目で初めての男の子だった現在2歳になる孫との日常をVTRで紹介。すっかりメロメロの「じぃじ」の素顔は!?実は5人目の孫誕生の9カ月後、父・用敬さんが93歳で亡くなった。負けず嫌いで寡黙な父だったが、具志堅さんの1番のファンだった。そんな父への想いは…。結婚40周年、出会った時は大学生だった妻は、当時、具志堅さんがボクシングの世界チャンピオンだと知らなくて…!?
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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キーワード出現数ベスト20

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  2. 可愛
  3. 世界チャンピオン
  4. フフフフ
  5. ボクシング
  6. 引退
  7. 拳闘
  8. グスマン
  9. 石垣島
  10. 用高
  11. 苦手
  12. 結婚
  13. 親父
  14. お父様
  15. サンドバッグ
  16. チャンピオン
  17. バック
  18. 安全第一
  19. 奥様
  20. 家族

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

   ごあんない

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(黒柳)今日のお客様
すごいんです。

『徹子の部屋』が始まった1976年に

ボクシング界に
伝説の世界チャンピオンが誕生。

この方が その方なんですけど。
具志堅用高さんです。

どうぞ こちらへ おいでください。

それから45年が経ち

具志堅さんは
本当に飾らない魅力で

タレントとして
ご活躍にもなっています。

ようこそ おいでくださいました。
どうも こんにちは。

現在66?
ですね。

前回 8年前のご出演の時には
孫娘が4人

女の子ばっかり
だったんですけど

ここへきてですね

お嬢さんに
男の子が生まれて

なんと 5人目で
初めての孫息子が…。

あっ この時 お嬢様
ばっかりなんですよ

皆さんね。
そうなんですよ。

ここに なんと 突然
男の子が生まれた。

あら 可愛い。
そう。

もう2歳ちょっとでね。

いやー やっぱり いいね。
可愛い?

息子がね やっぱり 最初
生まれた時のように…

男の子だったから 長男が。
それを思い出しましたよね。

あっ その頃を。
はい。

可愛い 本当に。
今 本当 2歳なんだけど

この男の孫との日常を ちょっと
VTRに撮りましたので

ご覧ください。

「“いただきます"は?
“いただきます"した?」

「はい いただきます」

「はい “いただきます"したよ」

フフフフ…。 可愛い。

「うーん!」
「アイス 大好きなんだよね 傑」

「ねえ アイス」

「何歳?」
「3歳」

「3歳まだでしょ。
2歳じゃないの?」

「3歳」

「何歳?」

「2歳」
「2歳ね。 はい わかった」

「はい
バック バック バック バック」

「はい 砂 取りましょう。
はい 砂 取りましょう」

「はい はい。
おっ おおー 上手だね」

「ピースして。 フウー」

「今日は すごい調子いいですね。
安全第一」

「安全第一」
「よっしゃ。 安全第一ね」

可愛い。

可愛い。 可愛いですね。
いいね やっぱり。

もうね 休みの日は
必ず遊んでます。

そう。 ああいうふうに?

公園とか あと 電車…
踏切が好きでですね

よく連れていってますね。

可愛いのね。
可愛いですね。

「安全第一」って言って。
はい。

可愛いね。
はい 本当です。

あの坊ちゃんには
ボクシングはさせたいですか?

無理ですね。
あっ 無理。

やっぱり戦われるっていうのは
見たくない。

あっ そうね。
そうかもしれませんね。

いや もう 自分なんか
その時代だったから

やったんですよ やっぱりね。
昭和も40年代後半から…。

そうですよね。
はい。

ちょっと お話 違うんですけど

胸についてる それは
なんですかね?

あっ これですね 愛犬なんですよ。

犬?

グスマンっていう名前の
ボクサー犬なんですよ。

あっ ボクサー犬なんですか。
ええー。

グスマンっていうのが

元世界チャンピオン
だったんですよ。

グスマン?
はい。 それをノックアウトして

僕 世界チャンピオンに
なったんですよ。

その名前をつけたんですよ。
グスマンって。

グスマンに。 怖かったんですよね
このチャンピオンは。

なるほど。
それで そのチャンピオン…。

これですか? これは犬ですね。
これですよ。

去年まで… ちょうど1年前に…。

元気でいたんですけどね…
急に…。

いやー やっぱり
性格がよくてさ もう本当に…。

可愛い?
相棒だったね 私の。

この犬と
胸につけてらっしゃる犬は

同じなんですね。
はい。 顔一緒に…。

で 今のがグスマン。

だから 朝 1時間ぐらい
夕方… 夜 大体1時間ぐらい

トレーニング…
一緒に散歩してましたね。

だから いなくなったら
ちょっと怠けて

あんまり 今
ジョギングしてない…。

そうですか。
先日 66歳のお誕生日には

うれしい事がありました。
それは孫娘から

すてきなプレゼントを
おもらいになりました。

それは なんと手作りの

「用高図鑑」というもので
ございました。

これなんですけど
ちょっと ご覧ください。

「これが じぃじの好きなもので
苦手なもの」

(麻衣さん)「ああー」

(具志堅)「上手ですね。
ボクシング…」

色んな事…。

好きなスポーツで…
好きなものは ゴルフしたり

苦手なものは
ジェットコースターとか。

あと 食べ物では
キュウリがダメとか…。

キュウリ? キュウリがお好き?

嫌いだっていうの
わかってるんですよ。

苦手… 苦手なものですね。

苦手なもの書いてるの。
遊園地 行ったら

ジェットコースターに
乗らないとかね。

そうか。
はい。

ジェットコースター お嫌いなの?

怖いですね やっぱり。
私も嫌いなんです。

「じぃじは とにかく

孫たちを溺愛していて

なんでもオーケーと
許してくれます」

「ただ一つ ゲームを始めると

どうしても やっぱり
負けられないようで

大人げなく 娘を怒らせながら
勝負に勝とうとします」

「そんなじぃじです」

この方は お嬢さん?
はい。

可愛いですね。
ですね。

やっぱり 小さい時は
一生懸命… 頑張り屋で

海外に留学した時は寂しくてね。
高校生の時ですね。

そうですか。
だけど やっぱり しっかり者で。

しっかり…。 でもね 外国で
勉強なすったんなら 随分ね。

まあ 5人目の孫誕生の9カ月後に
実は悲しい事がありまして。

石垣島に
お住まいになってたお父様が

93歳でお亡くなりになった…。

カツオ漁船の船長さんで
負けず嫌いの方だった。

この方。 すてきな方です。
用敬さんとおっしゃいます。

いや もう 無口な親父で
やっぱり 荒波に… 戦ったね

一本釣りで頑張った親父だから
根性と負けず嫌いっていうかね。

カツオの一本釣りですから
やっぱり もう

一発勝負ですよね あれ。
あっ そうね。

一瞬に… さおで。
そうですよね。

それも やっぱり 船長をしながら
望遠鏡で…。

1回だけ一緒に
中学生の時に行ったんですよ。

やっぱり すごかったね。

望遠鏡で見て
カツオを探すんですか?

はい。 気合を入れてですね。

みんな やっぱり
短時間で釣るっていうか。

それで 世界チャンピオンに
挑戦する時に 初めて

僕の試合を見に来たんです。
お父様。

それまでね 1回も
見た事ないんですよ 家族は。

アマチュアの時からですね。
あら。

世界の時に
初めて会場に来てるんです。

その時は私も知りません
来てるっていうのは 家族が。

で 世界チャンピオンになって

ホテル戻って
親父と会ったんですよ。

なんておっしゃいました?
「いやー よかった」って。

とにかくすごい喜んで 親父が。
そうですか。

でも
チャンピオンになってから

ずっと 毎回 見に来て
くださってたんですって?

そう。 船乗りを引退して。

北海道から沖縄まで
私 世界戦をしたんですよ

各地区で防衛戦を。
その時も ずっと…。

すごい。 北海道から沖縄。
はい。

でも 具志堅用高記念館の
館長さんとしても ずっと…。

そう。 私の
デビューの時からのものを

ずっと…。
これですね。

ずーっと管理してたんですよね
親父が。

そうなんですか。
もう 何十年間やってたんですよ。

すごい。 そうですか。
随分 色んなものがありますね。

一生懸命…。
これ ボンボン殴るやつ?

サンドバッグですね。
サンドバッグね。

ここに色んなものが
置いてあったんですよ。

グローブとか…。 今 グローブ…
あれ あるんだけど

今 現在 何一つも
ないんですよね ここに。

どうしたんですか? それは。
観光客の人が

持っていっちゃったんだね。
あら。 そんな事って…。

パンチンググローブとか

現役の時に使ってた道具は
ここに…。 ぜひ 使って

サンドバッグたたいてほしいって
置いておいたら…。

いつの間にか…
私が何年ぶりに帰ったら

何もなかったんですね。
あら。

まあ ファンがいたから
しょうがないなと思って。

でも 残念ですね 記念なのにね。
そうなんですね。

あとは もう みんな
鍵 締めてますけど。

そうですか。

亡くなったお父様への思いは
あります? 何か。

いやね なんていうのかな…。
最後は やっぱり

「ありがとう」でしたね 僕ね。
あっ そうですか。

やっぱり 最後の思い出はね。

でも その記念館なんかできて

お父様 館長やってくださったり
なんかして

本当に あなたの事を大事に
思ってらしたんでしょうね。

ですね。 やっぱり 小さい時から
苦労してたからね みんな

やっぱり 島の人間は。
だから それで やっぱり

私は一つの
世界チャンピオンっていう…

なっただけで ああいう…
なんていうの?

恩返しっていうかね。
そうですよね。

家庭を やっぱり
楽にさせたなという事は…。

今年の5月に
うれしい事がありました。

それは石垣島を
聖火ランナーで走った事です。

で その時に思い出したのは

チャンピオンになって
島に帰った時の事。

ですね。

世界チャンピオンに…
帰った時は…

まず 飛行機で帰れたんですよ。

ずっと船で13時間ぐらいかけて…。

世界チャンピオンになって
1週間後に石垣島に戻って。

空港があるっていう事を
知らなかったんですよ。

あっ そう。

空港の周りに
みんなが集まってですね

そこから パレードなんですよ。

パレード?
はい。

その時を思い出してですね
この間。

やっぱり…
1万人まではいかないけど

5000人近くは…。
あっ そう。

じゃあ 島の方 みんな出てきて。
3キロぐらい。

本当に もう 感動したんですね。

私が島にいる時は

テレビが映らない時代なんですよ。
あっ そうなの。

最初の東京オリンピックは
私 見てないんですよ。

あっ そうか。
テレビがないから。 映らないから。

そうそう そうそう。
だから なおさら…。

いやー もう 何十年ぶりですね
感動したのは。

よかったですね でもね。

だって 那覇の高校に
進学のために

15歳で島を離れてから

本当に親には内緒で
ボクシングをやって

それで たたかれて たたかれて。

で お母様は いつも
ケンカしちゃいけないって

言われてらしたんで…。

人を
殴ったりなんかしちゃ。

そう。 自分のおふくろが

沖縄本島の
久高島っていう島で

一番 うるさいところ
なんですよ

神様の島っていう事で。
だから 人には

絶対ウソついちゃ
いけないとか

ケンカしちゃいけない
っていう事は ずっと言いながら

私が沖縄本島で
ボクシングやってる事

新聞に載っちゃったのよ。
「具志堅 優勝」っていうの。

で 「全国大会へ行く」
っていう記事も載ってて。

「すぐ辞めて島に帰ってこい」と。
フフフフ…。

まず言われましたね。
ねえ。 お母様の一番嫌いな事。

内緒でやってたもんで。
で 結局 島に戻らず?

それから ずーっと
島に戻らないで

プロで世界チャンピオンになって
戻るんだっていうのを

自分に ずーっと
言い聞かせながら やってたのが

世界チャンピオンになって…。

まあ 心では喜んでると
思うんだけど

最後まで「いつ辞めるか」と。

あっ そう。 お母様。

はい。
引退っていう言葉じゃなくて

「いつ辞めるのか」って
ボクシング。

そういう事を ずっと
会う度に言っとったですね。

そうですか。
でも その前の夢ですけども

石垣島に家を建てたい
っていうのは

もう ずっと あったんですってね。
そうなんです。

その頃 石垣島に…
やっぱり 家の中に

お風呂もトイレもないんですよ。

外なんですよ。
あっ そう…。

水道で体を流して
こういう感じで。

だから 一番
世界チャンピオンになったら

家を建てると。

そういう気持ちで
トレーニングに…。

「家! 家! 家!」って言いながら

ずーっと
トレーニングしてましたね。

「家! 家!」って言いながら。

負けたら お金が入ってこない…
現金だから 私。

それで 走りながら
朝のロードワークから

ジムワークの時まで
「家! 家!」って言いながら

サンドバッグたたいてましたよね。
すごいですよね。

で 10回目の防衛で
念願のお家が建てた。

そうです。
すごいですよね 10回防衛。

すごいすてきな家。

島に帰った時は
自分でシャワー入った時…。

うれしかった?
はい。

でも あれですよね
10回 防衛するっていうのは…。

これは本当 40年以上前だから
家 周りは何も…。

まだ瓦のお家と
トタンの家なんですよ

全部 周りが。
あっ そうなの。

その当時ぐらいに観光ブームで
タクシーの運転手がですね

新婚さんとか みんな 乗せて

「こんにちは」って
そのまま玄関 開けて

入るんですよ。
家の中に?

はい。
フフ…。 すごいね。

家へ入ってきちゃう?
入ってくるんですよ。

鍵が開いてるんですよ
また これが。

そこに みんな 置いてるもんで
色んなもんが… 写真とか。

そこで写真を撮るんですよ。
ええー。

その時代でしたね
やっぱり 家が建った時も。

すごいですね。
観光ブームの時ですね。

でも その家に
どんどん みんなが入ってきて

写真 写すって すごいですよね。

最後は並んでいたみたいですね
新婚さんが。

お宅に?
はい。

家族の方は
大変だったみたいだけど

忙しくてですね。
なるほどね。

だから もう やっぱり

島では本当に…
家も建てられたっていうのは

本当に もう 感謝ですよね。

『徹子の部屋』に
初出演なさいました時の

VTRがあるので
ちょっと ご覧ください。

そうですか。
ちょっと見て頂いて…。

「こんにちは。
『徹子の部屋』でございます」

「今日は拳闘をなさる

初めてのお客様で
いらっしゃいますけれども」

「具志堅用高さんです。
こんにちは」

「この間は
おめでとうございました」

「私 拳闘っていうと
みんな 笑うんですよね」

「今 なんて… ボクシング?」
「はい」

「で ボクサーの方っていうのは

本当は しゃべらないのが
いいんですって?」

「そうですね。
やっぱしジムに入ったら

しゃべっちゃいけないですね」
「こうやって拝見してると

手は どのぐらいの
大きさなんですか?」

「手の大きさって
関係あるんですか?」

「いや 別にないです。
僕は女の人より

手は小さいんじゃないんですか」
「ちょっと いいですか?」

「ちょっと 上げてみて頂いて
いいですか?」

「ちょっと 私と比べてみますと…」

「奇麗な… 本当に奇麗な手
してらっしゃるのね。 本当だ」

「これで… いっちゃうんですか」

何? これ。

すごいですね。
可愛い 可愛い。

これ いくつの時ですかね?
23歳。

23。
フフフフ…。

だから 5~6回
防衛してましたかね。

そうですね。
その時でしょう きっと。

すごいね このアフロは。
なんで こんな…。

アフロね。
これが邪魔になったんですよ。

そう。 蚊が入って出ないんですよ。

本当に?
はい。

ロードワークの時なんか。

蚊が入っちゃって出ない?
中に… 出なかったんですね。

ブンブンうるさい?
うるさかったですね。

フフフフ…。
かなり重かったですね。

だから 15ラウンドやるのには
大変な…。

やっぱり あれだけ
あったっていう事

お忘れになってたでしょ。
フフフフ…。

その頃 拳闘って言ってましたね。
そう。 拳闘っていいますよ。

だから 私 どうしても
拳闘って言っちゃうの。

うちの大先輩の
白井義男先生がですね…

あの頃
英語 使っちゃいけないんだって。

戦争中だった。
はい。 だから 拳闘。

だから ボディーの事を腹突けと。

腹突け?
腹って。

で アッパーの事を
突き上げって言ったらしいね。

突き上げ。
はい。

だから ジャブの事を

突け 突けって
言っとったみたいで。

絶対 英語を
使っちゃいけないっていう…。

でも これ ボクシングを
全部 日本語でやるの

難しいですよね。
いや だけど あの時は…。

でも 私は拳闘って
言ってましたよ だから。

今でも だから 試合の時に
昔の方々が

セコンドで
「腹! 腹!」って言うもんね。

ハハ…。 そうですか。

そうなのよ。
なるほど。

それも 聞いた事ありますよね。
「腹 腹 腹」ってね。

「腹 腹」って
言うんですよね 今でも。

で 1981年に
14回目の防衛に敗れて

現役を引退すると
宣言なすったんですが

実は この時 網膜剥離で…。
そうです。

私は だから 前回とか

ああいうお話は
しなかったと思うんですけど

本当の事 言ったら
目のケガだったんですよ

僕が
リターンマッチをしなかったのは。

なるほど。 できる状態じゃ
なかったんですってね。

テレビでは アイスクリームが
食べられなかったから

試合 負けたとか言ってますけど
本当は目のケガなんです。

網膜剥離。
はい。

その頃は リターンマッチを
90日以内にこなせないと

権利がなくなる
っていう時代だったんですよ。

あっ そうなんですか。
はい。

やっぱり 無理な状態でした。
あっ そうだったんですか。

もし 目の事がなければ
引退はなさらなかった?

やってます。

その後 やっぱり
引退を発表したあとは

寂しかったね やっぱり。
ねえ。

でも 引退をお決めになった
同じ年に結婚なさって

今の奥様と。
ですね。

ちょうど 私は
7回防衛の時に知り合って。

まだ大学4年生で。
そんな若かったんですか 奥様。

はい。 だから ジムの会長に
バレないように

ずーっと…。
秘密で?

引退するまで秘密で。
あら 奇麗。

すてきな… ねえ。
いや 私も だから

最初ね 会った時は
ああー やっぱり

すごい奇麗な人だなと
思いつつ

この人と結婚できれば
いいなと思いつつ。

フフフフ…。

それが
私の事を知らないんですよ。

世界チャンピオンっていう事を。
フフフフ…。

俺もショックを受けて。
フフフフ…。

悪いけど とにかく家に帰ったら
お母さんに聞いてくれますかと

具志堅用高を知ってるかと。

そしたら もう
びっくりしたらしいよ。

向こうは ご存じだったの?

すごい もう
格闘技が好きだったらしい。

プロレスとか ボクシングは
しょっちゅう見てたらしいよ。

すごいですね それもね。
相撲とか 格闘技が大好きで。

それが もう…
だから 2回目 会った時は

すごい本人は もう
全然違うんですよ。

お父さんとお母さんから言われて。
それは ようございましたよね。

それが だから 結婚も
できたのかなと言いつつ… はい。

でも その時… 結婚なすった時は
どんなお気持ちでした?

いや やっぱり 私は だから
15歳で両親から離れて

ずっと下宿先とか

東京に出てきても ずっと
アルバイト先の寮に入ったり…。

そしたら 結婚したら
こんな楽の ないですね。

よかった。
家族っていうのは やっぱり

感謝っていうか
こういう やっぱり…

また元気をもらうっていうか

頑張らなくちゃいけないな
っていう…。

そうですか。
でも せっかく40周年ですから

奥様に ひと言 感謝のお気持ちを
このカメラにでも。

いやー 本当に40周年ね
色々ありましたよね 本当に。

よく我慢しました。

本当に ご苦労さんです。

この先 また長いと思いますけど
よろしくお願いします。

フフフフ…。
(拍手)

いいわね。
奥様 よろしくお願い致します。

でも 本当に優しい旦那様で。

でも お嬢さん… 麻衣さんって
いらっしゃるんですけど。

2人のお孫さんのお母さんの
麻衣さんがですね

家族代表で
メッセージをくださいました。

あっ そうですか。
ちょっと ご覧ください。

「用高へのメッセージ」

「ちょっと恥ずかしいので
手紙を書きました」

「用高へ。 私の知っている用高は

いつも一生懸命に
何事も楽しんで頑張っています」

「そんな用高を尊敬しているし
目標にしています」

「たまには 体を休める事も忘れず
いつまでも元気に

お仕事に プライベートに
楽しく過ごしてください」

「麻衣より」

フフフフ…。 可愛い。

でも 面白いわ
お父さんって言わないの。

うちは全部 大体 用高。
用高って言うの?

何か欲しいものがあった時に
「お父さん」と。

ハハハハ…。 そう。

お金 出す時に
お父さんって言うし。

その時 お父さん?
はい。

だから 孫でも そう。 娘も そう。
一回も断った事ないですね。

いつも買ってあげちゃう?
はい。

お嬢さん
何人いらっしゃるんですか?

娘は1人なんですけど
孫が やっぱりね

女の子が4人 男の子1人だから。
あっ そうか。

だから 孫にも全部
なんでも やっぱり…。

買ってあげちゃう?

また 一緒に行くんですよ 買いに。
あっ 買いにいらっしゃるの?

ブックセンターとか。
なんでもあるんですね。

本とか いっぺんに買うんですよ
色んなものを。

でも 買っちゃう?
楽しいのは楽しいですけどね。

可愛いから やっぱり。

そうですよね。
出ちゃうんですよ。

せっかくですから
石垣島の皆様にも ひと言 どうぞ。

いや 本当に 市長はじめ
市民の皆さん ありがとう。

また応援してください。
そうです。

『徹子の部屋』は